2016年3月28日月曜日

2052年他から思う

チョット、前から2052年(今後40年のグローバル予測)なる本を
読んでいる。40年前に出た「成長の限界」のバージョンアップ版?である。
「成長の限界」「銃・病原菌・鉄」と並行して読むと中々に、面白い。

1.「2052年」を読む
「2052年」著作の出発点となる問題意識は、ランダースによると、
「成長の限界」による警告にもかかわらず、人類は十分な対応を行わない
まま40年が過ぎた、という点にある、とのこと。

例えば、
「問題の発見と認知」には時間がかかり、「解決策の発見と適用」に時間
がかかる。、、、そのような遅れは、私たちが「オーバーシュート(需要
超過)」と呼ぶ状態を招く。オーバーシュートはしばらくの間なら持続可能
だが、やがて基礎から崩壊し、破綻する」(序文)

「しきりに未来について心配していた10年ほど前、私は、人類が直面
している難問の大半は解決できるが、少なくとも現時点では、人類に何らか
の手立てを講じるつもりはないということを確信した」(1章)

「持続可能性と幸福」実現に向けては、以下の5つの課題、問題をキチンと
精査することが必要とのこと。
・資本主義は終焉するのか?
・経済成長は終わるのか?
・緩やかな民主主義は終わるのか?
・世代間の調和は終わるのか?
・安定した気候は終わるのか?

記述されている40年後の世界については、気候変動、人口と消費、エネルギー
問題、食料事情、社会環境、時代精神など実に膨大な記述がなされている。
それらすべてを要約することは出来ないし、する気もないが、枠組みに
関する最重要なポイントとして、以下の点を理解しておくことは肝要と思う。

①都市化が進み、出生率が急激に低下するなかで、世界の人口は予想より
早く2040年直後にピーク(81億人)となり、その後は減少する。
②経済の成熟、社会不安の高まり、異常気象によるダメージなどから、生産性
の伸びも鈍化する。しかし、生産年齢人口をベースとする粗労働生産性は着実
に伸びる。
③人口増加の鈍化と生産性向上の鈍化から、世界のGDPは予想より低い
成長となる。それでも2050年には現状の2.2倍になる。
③資源枯渇、汚染、気候変動、生態系の損失、不公平といった問題を解決
するために、GDPのより多くの部分を投資に回す必要が生じる。このため
世界の消費は、2045年をピークに減少する。
④資源と気候の問題は、2052年までは壊滅的なものにはならない。
21世紀半ば頃には、歯止めの利かない気候変動に人類は大いに苦しむ
ことになる。しかし、農業技術等の進化により 、食料生産量は増加する。
⑤インターネットの拡大は、「外在化した集合意識」として、大衆の影響
力が大きくなる。また、多様で流動的な環境により、安定した拠り所や
制限もほとんどなく、開放的で、様々な機会に恵まれ、意識も大きく
変わっていく。
⑥米国、米国を除くOECD加盟国(EU、日本、カナダ、その他大半
の先進国)、中国、BRISE(ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ、
その他新興大国10カ国)、残りの地域(所得面で最下層の21億人)
の大枠で分析しているが、予想外の敗者は現在の経済大国、中でも
アメリカ(次世代で1人当たりの消費が停滞する)。勝者は中国となる。
BRISEはまずまずの発展を見せるが、残りの地域は貧しさか
ら抜け出せない。 日本はほとんど考慮外?

中国の多方面にわたる影響の記述が多いことに気付く。「アメリカから中国
への覇権のスムースな移行が可能か?」の記述もあり、東アジアでの日本
の位置付けをもっと真剣に考える時期になりつつある。

2.成長の限界
ローマクラブがMITに研究を委託して1972年に出した報告書「成長の
限界」は、高度成長期に位置していた日本では、大きなショックとなった。
そのポイントは、人口と工業資本がこのまま成長し続けると食糧やエネルギー
その他の資源の不足と環境汚染の深刻化によって、2100年までに破局を
迎えるので、成長を自主的に抑制して「均衡」を目指さないと世界が破滅
する、と言うもの。
「システム・ダイナミクス」とかいう手法で世界システムのモデリングを
行い、人類の文明が今後成長を続けていけるのかどうかをコンピュータで
シミュレーションした。

人類文明をこのまま放っておくと、
①勢いよく成長し続ける。
②負のフィードバックループによる制約が間に合わず、一時的に地球のキャパ
を超えて「成長の行き過ぎ」が生じる。
③負のフィードバックループが本格的に作用し、破局的な痛みを伴って成長
が一気に止まる。
そして、仮定を色々変えてみて、悲観シナリオから楽観シナリオまで何
パターンかシミュレーションしてみても、「成長の限界」は遅くとも2100
年までには訪れると報告書は主張した。

ただし、汚染(たとえば放射性廃棄物の蓄積)の影響は時間的に遅れて現れる
ということと生態系への影響は複雑すぎて計算しづらいという。
「現在の知識で最も欠けているのはモデルの汚染セクターに関する知識
である」(166頁)
「汚染を吸収する地球の能力の限界がわかってないということは、汚染物質の
放出に対して慎重でなければならないことの十分な理由となるであろう」
(66頁)と言うコメントもある。

イギリスの経済学者ロバート・マルサスが18世紀末に記した、あの「人口論」
を想起させる。食料を生産するための耕作地の増加が人口の増加に追い付かず、
人類は飢餓・戦争など悲惨な状況に突き進む、、、、。

「成長の限界」が社会にもたらしたショックは、とりわけ日本において大きい
ものがあった。公表の時点で日本は、いまだ60年代の高度成長の余韻の中に
いた。前年の1971年、ニクソンショックで1ドル360円時代は終焉して
いたが、それはむしろ日本の経済発展の結果を象徴する出来事と受け
止められた。しかし1973年、第一次石油危機が世界を襲う。
資源が有限であるという事実をまざまざと見せつけられた日本では、高度
成長とは異なる新しい道を歩まねばならないことが、人々の実感として
受け止められた。しかし、トイレットペーパーの買占めなど、喉元過ぎれば、、
の例え通り、いまだ、多くの日本人は、成長主義に囚われている様である。

個人的にも、高度成長のあの漲るエネルギーや日々の変化に対して、とても、
現在の凋落しつつある日本を思っても見なかったし、「限界」の言葉さえ、
なかったと記憶している。

3.「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイヤモンド著)
本書は1万3000年の人類の歴史のなかで、いったい何が文明をおかしく
させた主たる要因だったのかということを「文明の利器」と「環境特性」
との関係、および技術や言語の発生と分布と伝播の関係に深く分け入って
徹底精査したことをまとめたものである。

今日の世界現状からのジャレド・ダイアモンドの問題意識は、「現代世界
はなぜこんなにも不均衡になったのか」ということにある。これを言い換える
と、「世界の富や権力はなぜ現在のようなかたちで分配されのたのか」という
問題になる。なぜ、他の文明がイニシアチブをとり、なぜ他のかたちで分配
されなかったのかということでもある。

これまで、文明力の決め手になるものとしては、食料生産力、冶金技術力、
多様な技術的発明力、集権的な組織力、そして文字によるコミニケーション
力などが重視されてきた。ジャレド・ダイアモンドが農業生産力の次に
とりあげるのは、とりわけ「文字の力」や「発明の力」の問題だ。
ここにはすべての記号的な力や技能的な力が含まれる。文字は互いに遠く
離れた世界を知識で結びうる。文字や記号があれば、収穫物の記録も、
技能の伝達も、契約の締結も、裁判の発達も速やかになる。
それがリテラシーというものだし、西側的な意味での情報力や知識力
というものだ。

なぜこんな様に、アルファベットだけが近代社会のリーダーシップを
とったのか。これは結構、異常なことである。なぜなら、ここには
そもそもシュメール楔形文字の系譜もエジプト象形文字の系譜も、漢字
の系譜もマヤ文字の系譜も、入っていない。ましてオガム文字もハングル
文字も仮名文字もないのである。
ギリシア・ローマ系のアルファベットだけがその後の新世界を制したのだ。
何故、このような結果になったのか?

その点、第12章「文字を作った人と借りた人」、第13章「発明は
必要の母である」は面白く読める。
また、第16章「中国はいかにして中国になったのか」、第17章
「太平洋に広がっていった人びと」については、「2052年」
の中国の記述と合わせて、考えるとチョット面白い。
これらを論じて、本書の重大な“折り目”にあたる1500年代に
世界がすっかり入れ替わってしまったことを、第18章「旧世界
と新世界の遭遇」でふたたび強調している。

過去、現在、未来、これらを読むと中々に、面白いのでは?

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