2017年6月30日金曜日

雨に似合う花

雨だからこそ美しく咲く花もあります。しっとりと雨に濡れる風情に心を動かされるのは日本人の美意識ゆえでしょうか。梅雨の季節ならではの花めぐりも楽しいものですね。

紫陽花(あじさい)

くすんだ紫陽花の色は太陽の下よりも雨雲の下のほうが映えます。花のグラデーションがぼかしの効果になって、美しい風情を醸し出します。
紫陽花イメージ

変化する花の色

紫陽花は色が変化するのが特徴。土壌が酸性だと青系に、アルカリ性だと赤系になります。日本は火山地帯で雨も多く弱酸性なので青系が主流です。アルカリ土壌の欧州では赤系が大半なので、鮮やかな青紫の色は日本ならではの美しさです。

紫陽花はガクが美しい

花びらのように見えるのはガクの部分。中心部に小さな花を咲かせます。てまり状に咲いているのは「西洋アジサイ」。日本が原産の「ガクアジサイ」は額縁のように周囲だけに花が咲きます。
紫陽花のガクイメージ
もともと紫陽花は日本固有の植物。長崎出島に来たオランダ人シーボルトが、恋人の「お滝さん」にちなんで「オタクサ」という学名を付けて海外に初めて紹介しました。それが品種改良され、日本に逆輸入されたのが西洋アジサイです。

紫陽花の名前の由来

もともと日本では「集真藍」(あずさあい)といい、これが「あじさい」に変化しました。やがて、白居易の詩から「紫陽花」という字が当てられるようになりました。色の変化から「七変化」(しちへんげ)という別名もあります。
東京周辺では鎌倉の「明月院」があじさい寺として有名ですが、その他にも紫陽花の名所は多数あり、6月はあじさい祭りが各地で開催されます。

花菖蒲(はなしょうぶ)

野花菖蒲(のはなしょうぶ)が改良されてできたアヤメ科の園芸植物で、一般的に菖蒲というと花菖蒲のことを指し、端午の節供の菖蒲湯に使われる菖蒲はサトイモ科の別の植物です。

花菖蒲、あやめ、かきつばた、見分けられますか?

「何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」ということわざがありますが、これはどれも美しくて優劣つけがたいという意味。花が咲くころ各地でイベントが開催されますが「菖蒲まつり」だったり、「あやめ祭り」だったり、いろいろです。

それぞれの花を見分けるポイント

・花菖蒲...水辺などの湿ったところに群生する。
花の色が多様。青紫や赤紫、白や絞りなど、大きな花をつける。
花の真ん中に黄色い斑がある。花茎が葉より長い。
花菖蒲イメージ
・あやめ...山野に生える。水がなくても生育する。
紫色の花を咲かせる。真ん中に黄色い斑があるが、それが網目模様になっている。
あやめイメージ
・かきつばた...水湿地に群生する。青紫色の花を2、3個つける。
中心にある短い花びらのような部分(内花被片)の先が尖って直立している。
かきつばたイメージ
・菖蒲...湿地に生える。菖蒲湯に使われる菖蒲は、株元近くに黄色っぽい細長い花をつける。
菖蒲イメージ
これを覚えておけば、「菖蒲と言いながら実はあやめ」「あやめじゃなくてかきつばた」などと見分けられて、鑑賞の楽しみが増えるかもしれません。
東京近郊では、江戸川河川敷に広がる「小岩菖蒲園」、江戸時代からの名所として安藤広重の浮世絵にも描かれた「堀切菖蒲園」など、たくさんの名所があります。

2017年6月22日木曜日

下賀茂神社

下鴨神社の境内に広がる「糺の森(ただすのもり)」のことを教えてくれたのは、先斗町(ぽんとちょう)にある片泊まり(かたどまり)の宿「三福(みふく)」の先代のご主人だった。ご自分で撮影された糺の森の写真を見せてくれたのだが、原生林の木の枝に鳥が止まっているように思えたので、そう告げると、数日後、「あなたがおっしゃったように山鳩が写っていました」という手紙付きで、大きく引き延ばした写真が自宅に届いた。

 
そういうわけで、糺の森を歩くときは、木々を見上げながら鳥を探す。なにせ縄文時代から残る森である。鳥や動物以外にもいろんなものが住んでいそうだ。目に見えるものも、見えないものも。 住宅地から神社へと導く原生林は「境界」だ。こうした神域と俗世の〝間(あわい)〟を、京都にいると感じることがある。鎮守の森。祭りの夜。路地。橋。池。少し油断すると違う世界に引っぱりこまれそうな、ゾクッとするような瞬間が、なくはない。おそらく目に見えないものに対する畏怖を京都の人たちは自然に感じているのではないだろうか。東京の街は夜中でも明るくて、境界がわかりにくい。京都は神社仏閣の数も多いし、参拝する人も多い。街を歩けば、屋根の上に、家族を守る鍾馗(しょうき)さまの姿を見つけるはずだ。
 
糺の森から下鴨神社本殿でお参りして、帰りには河合神社(かわいじんじゃ)で美人祈願もすませれば清らかな気持ちに。でも、出町(でまち)商店街に出て、「出町ふたば」の豆餅をほおばれば、もう俗世にどっぷりだけど。

糺の森下鴨神社(ただすのもりしもがもじんじゃ)

住所/京都市左京区下鴨泉川町59
TEL/075-781-0010
参拝時間/6時〜18時(季節によって若干異なる) ※糺の森は散策自由

京都下鴨のお散歩記事はこちらから!

2017年6月21日水曜日

幸福度?

http://president.jp/articles/-/22327

日本で最も幸福な都道府県は、ダントツで沖縄県だという。沖縄の平均年収は全国最低で、失業率は全国最悪だ。どうすればお金がなくても幸せになれるのか。幸せをつかむ近道を、「幸福学」が解き明かす──。

「幸せですか」だけで幸福度は測れない

私は、幸せになるための仕組みを学術的根拠に基づいて体系化する「幸福学」の研究者です。その目的は誰でも幸福になれるようにすることです。
厄介なのは「幸福」の定義が曖昧なことです。個人差は大きく、言語が違えば意味も変わります。たとえば英語の「happy」と日本語の「幸せ」は同じではありません。「happy」は「幸せ」よりも「嬉しい、楽しい」という意味が強い。また「幸せ」は持続的な心の状態ですが、「嬉しい」「楽しい」はその場の気分や感情をあらわすものです。そのため心理学では「well-being(幸福、福利、健康)」という言葉で、幸福の研究が行われてきました。また、文化的背景や国民性によっても、幸せの感じ方には差があります。たとえば国別に幸福度調査をすると、日本より西洋諸国のほうが「自分は幸福だ」と感じる人の割合が高い傾向があります。10段階で幸福度を聞くと、西洋のピークは8だけですが、日本では5と8の2カ所に山ができます。
こうした調査は一定の手法に基づいて行わなければ定量的な比較ができません。心理学の世界で最も広く使われているのは、「ディーナーの人生満足尺度」です。考案したエド・ディーナーは2008年まで34年間、米国イリノイ大学の教授を務めていました。彼は「幸福学の父」と呼ばれています。
「ディーナーの人生満足尺度」のポイントは、「あなたは幸せですか」といった単純な質問ではなく、5つの質問に7段階で回答してもらうことで、「幸福」という言葉の曖昧さや、直近の気分の影響を受けにくくしているところです(図1)。この調査では自分が今どれくらい幸福と感じているかという「主観的幸福度」がわかります。たとえば各種調査によれば、中国の大学生より日本の大学生が、日本の大学生よりアメリカの大学生のほうが「主観的幸福度」は高いようです(図2)。
前のページ
1 2 3 4 5
次のページ


なぜ収入が上がっても幸せになれないのか

では、そもそも人が「主観的幸福」を感じる要因とは何でしょうか? 真っ先に思いつくのはお金、すなわち収入です。たしかに収入が高ければ高いほど、住居や食事、衣服や嗜好品にたくさんのお金をかけて贅沢ができます。
ところが、プリンストン大学名誉教授でノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンは、10年に驚くべき研究結果を発表しました。それは、「感情的幸福は、年収7万5000ドルまでは収入に比例して増大するのに対し、7万5000ドルを超えると比例しなくなる」というもの。米世論調査会社のギャロップが08年から09年にかけて調査したデータを分析し、得られた結論です。
1ドル100円で換算すると、7万5000ドルは日本円で750万円。ただ、アメリカ人は日本を含むアジア諸国の人よりも金銭欲が高い傾向にあるのかもしれません。よって、日本では年収500万~600万円程度でしょうか。これは日本人男性の平均所得511万円(14年)とほぼ同じ水準です。
なぜ「収入が高いほど幸せ」とはならないのか。その理由は、お金によって満たされるのは、あくまでも「生活満足度」だけで、「幸福度」ではないからです。「生活満足度」は、「幸福」をつくる要素のひとつにすぎません。
「生活満足」は持続時間の短い感情的満足です。家やクルマ、外食などの消費で得ることができますが、次第に飽きてしまうものです。一方、「幸福」とは、「生活満足」だけでなく、長期かつ安定的に心を満たしてくれるものです。友人とのつながり、築き上げた家族、今まで歩んできた人生の歴史に抱く充実感。これらは「お金では買えないもの」だと言えます。
「生活満足度」は他人と比べられるもの、「幸福度」は他人と比べられないもの、という言い方もできるでしょう。人間の金銭欲、他人との比較欲は際限がありませんから、どんなに豪華な家やクルマを所有していても、それを超える豪華なものが目に入れば、満足度は下がります。しかし、人とのつながりや人生の充実は、他人との比較で簡単に価値が揺らぐものではありません。
平均以下の低収入では、衣食住に問題を抱え、幸福度は低くなってしまうでしょう。しかしある程度の収入――ひとつの目安として7万5000ドル――に達すると、基本的な生活には支障がなくなります。つまり、それ以上の収入は「生活満足度」を引き上げることはあっても、「幸福度」にはあまり寄与しないというわけです。
年収が高ければ「快適」であり「便利」にはなりますが、それは必ずしも「幸せ」とは関係ないようなのです。

幸せになる近道は「非地位財」の追求

幸福について「持続性」という観点からもう少し考えてみましょう。
経済学者のロバート・フランクは周囲との比較で満足を得るものを「地位財」、他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものを「非地位財」と整理しました。「地位財」の具体例は、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家やクルマなどの物的財。一方の「非地位財」は、健康、自由、愛情などです。この2つの違いについて、心理学者のダニエル・ネトルは著書『目からウロコの幸福学』で、「幸福の持続性が異なる」と論じています(図4)。
図では「結婚」が両者の間にあります。これは「結婚」が、「他人に自慢できる配偶者」「家庭を持っているという社会的ステータス」という意味では地位財であり、「パートナーとの絆」「家族への無償の愛、つながり」という意味では非地位財だからです。
重要なのは、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福は長続きする、という点です。「少しでも年収を上げたい」は地位財の獲得を目指す志向ですが、それでは幸福が持続しません。
それなのに、なぜ人はついつい地位財の獲得に走ってしまう――目の前にぶらさがった具体的な餌に飛びついてしまう――のでしょうか。フランクは、人間は自然淘汰に勝ち残って進化してきた生物だから、と説明しました。子孫を残すために重要なのは「競争に打ち勝つこと」。だから人間は、競争に勝つと嬉しくなるようにできている。そのため、他人との比較優位に立てる「地位財の獲得」を目指してしまう。
しかし現代社会では、生存競争にそこまで躍起になる必要はありません。平均年収を超える程度までは「地位財」を目指し、それ以降は幸福の持続性が高い「非地位財」を追求するのが、幸福をつかむ近道かもしれません。

87個の質問を「寄与度」で並べ替え

「地位財」「非地位財」の分類を踏まえたうえで、幸せになるためにはどんな要素が重要なのでしょうか。そのヒントとなりそうなのが、私が研究している「幸せの因子分析」です。
因子分析とは、たくさんのデータの間の関係を解析する「多変量解析」のひとつです。物事の要因をいくつか求め、そうした複数の要因がその物事にそれぞれどれくらい寄与しているかを数値化します。私の研究ではインターネットを通じて集めた1500人に、29項目・87個の質問に答えてもらうことで、自分が幸せだと感じるのに大きく寄与している心的要因をリストアップし、大きく4つに分類しました(図5)。当然、これらの大半が「非地位財」に関連しています。
第1因子は「やってみよう!」因子。自己実現と成長の因子です。自分の強みがあるかどうか、そして強みを社会で活かしているかどうか、そんな自分は「なりたかった自分」であるかどうか、そして、よりよい自分になるために努力してきたかどうか、といったような項目が並んでいます。大きな目標を持っていること、大きな目標と目前の目標が一致していること、そして、そのために学習・成長しようとしていることが幸せに寄与しているのです。
第2因子は「ありがとう!」因子。つながりと感謝の因子です。第1因子が自己実現や成長など自分に向かう幸せだったのに対し、第2因子は他人に向かう幸せだといえます。
また第2因子については、興味深い発見がありました。実は「友達(親密な他者)の人数が多いかどうか」自体は、幸福にあまり関係しません。関係が深いのは「多様な友達がいること」だったのです。多数ではなく多様。つまり、いろいろな職業、年齢、性格、国籍の友達がいる人のほうが、そうでない人よりも幸せを感じられるのです。毎日を職場と家庭の往復に終わらせている人は、幸せになりづらいのです。
第3因子は「なんとかなる!」因子。前向きと楽観の因子です。「楽観性」や「気持ちの切り替え」は先天的な気質だと思われるかもしれませんが、私の経験からは、そうとも言い切れません。私は子どもの頃は内向的・悲観的・神経質でしたが、今ではむしろ真逆の気質です。これは上京をきっかけに、もっと明るく、ポジティブで、積極的な人間になろうと決意し、サークルや部活動、バンドなどに精力的に参加したからだと思います。最初は疲れましたが、確実に性格が変わりました。
米国で盛んな「ポジティブ心理学」によれば、物事を前向きに解釈する人、外交的な人ほど幸福を感じやすく、反対にネガティブな態度を取り続けている人は幸福を感じづらくなることがわかっています。主観的に幸福な人は、そうでない人に比べて、病気になりにくく、寿命が長く、収入が多いというのです。気質や性格は、行動で変えられます。悲観するのは端的に損です。
第4因子は「あなたらしく!」因子。独立とマイペースの因子です。これは「地位財」に目がいくのを抑えるという点で重要です。たとえば「自己実現と成長」を目指すとき、「あいつより出世する」というのは間違い。人の目を気にせず、自分のペースで努力することが幸せを長続きさせるコツです。

日本の「幸福度」は世界順位で53番目

あらためて「幸せの4つの因子」を見渡すと、いかに幸福にとって「お金」が一部の要素にすぎないかがわかると思います。「収入が増えれば、幸せになれるはずだ」と仕事ばかりに目を血走らせるのは、遠回りの愚行です。4つの因子を念頭において行動すれば、より効率的に幸せになれるはずです。
経済的な繁栄が幸福と連動しないことは、国連が今年3月に発表した「世界幸福度報告書」でも証明されています。日本は世界の実質GDP(国内総生産)ランキングでは、アメリカ、中国に次ぐ第3位ですが、幸福度ランキングでは53位でした。
幸福度ランキングの第1位はデンマーク、2位はスイス、3位はアイスランドで、アメリカは13位、イギリスは23位、フランスは32位、イタリアは50位で、日本はその下でした。
また内閣府の「幸福度に関する研究会」の報告によると、日本人の1人当たり実質GDPは1960年代から増え続け、この50年で六倍になりましたが、「生活満足度」はほとんど変わっていないのです(図6)。内閣府が調査している「生活満足度」は、幸福度そのものではありませんが、ひとつの指標として大いに参考となる結果です。


日本のワースト3は群馬、福島、新潟

年齢や地域、家族構成や性別などの属性によっても幸福の感じ方は違います。たとえば年齢。実は人間は年を取れば取るほど、自然に幸せを感じやすくなるようにできています。
図7を見てください。これは、ディーナーがまとめた「感情」と「人生の満足度」に関する世代別の結果ですが、年を取れば取るほどネガティブな感情は減退し、満足度は上がっています。また、図8を見ると、多忙で子どもの出費などに苦しむ40代では人生の満足度が一旦下がるものの、60代以降は概ねどのような状況の人でも満足度が上がることがわかっています。「年寄りは卑屈で不機嫌」というイメージは、大きな誤解だといえます。
これは加齢によって脳の働きが変化し、細かいことを考えるための脳の神経回路が衰えて、全体的なことしか考えなくなるからだとみられています。これはネガティブなことではなく、むしろ「脳の全体関係化」「第3因子(前向きと楽観の因子)の獲得」とでもいうべきことだと思います。
加齢による「人生の下り坂」はネガティブイメージですが、むしろ上りのような苦しさはなく、ゆっくりと見晴らしを楽しみながら歩いていけます。人は、年を取るほどに幸福度が上がっていく存在なのです。
住んでいる地域によっても幸福度には差が出ます。2014年、私は博報堂と共同で、日本国内の地域別の幸福度を測定する「地域しあわせ風土調査」を行いました(図9)。その結果は驚くべきものでした。ベスト3は沖縄、鹿児島、熊本。九州・沖縄地方の幸福度が高く、全体的には「西高東低」となりました。沖縄県の平均年収は全国の都道府県でも最下位。失業率も5%近くと全国最悪です。所得と主観的幸福度が比例しないことがわかります。
一方、ワースト3は群馬、福島、新潟でした。関東近郊の群馬と福島は、東京と物質的な面で比較してしまう人が多いのかもしれません。
次に、男女の幸福度の差です。一般的に世界中多くの国では、男性より女性のほうが、主観的幸福度が高い傾向にありますが、日本はそれが特に顕著。日本は女性が男性よりずっと幸せな国なのです。なお女性が感じる幸福度は、「未婚」より「既婚」、「子どもなし」より「子どもあり」、ありの場合は「3人」が最も幸せという結果でした。

「貧乏子沢山」はなぜ幸せなのか

こうした結果は、これまで見てきた「地位財」と「非地位財」、「幸せの4つの因子」という考察と整合性があります。つまり、「結婚や子どもの存在は主観的幸福度に比例する」と考えられます。「家族をつくる」は前述した、多様な人とつながりを持つ幸せに含まれるアクションのひとつです。
がむしゃらに働いて、出世を目指す、そういう生き方は「地位財」を増やすだけで、その幸福は持続しません。仕事はそこそこでも、家族や友人との時間をしっかり持てているほうが、「非地位財」を増やせるはずです。極論すれば、「可処分所得の多いお一人様」よりも、「貧乏子沢山」のほうが、幸せになりやすい。そのことは数々のデータが示している通りです。
もちろん、配偶者や子どもは「愛情を注げる他者とのつながり」を担保する存在のひとつにすぎません。独身であっても、支え合う仲間や信頼できる友人が相当数いれば、幸せな人生を過ごすことは十分に可能なはずです。
誤解してほしくないのですが、私は「結婚して子どもをつくらなければ幸せになれない」とか「沖縄の人のように暮らすのが一番だ」と主張したいわけではありません。大切なのは、幸福のメカニズムを知り、今の暮らしを振り返ることです。なぜ既婚者や沖縄の人の主観的幸福度が高いのか。その理由を考えることが重要だと思います。
これまで日本は、欧米型の資本主義を手本にしてきました。そのひとつの到達点は「カネで買えないものはない」というライフスタイルです。しかし、それで高められるのは「生活満足度」であって、「幸福度」ではありませんでした。いま地方への「Uターン」に注目が集まっているのも、そうした価値観からの揺り戻しでしょう。だからこそ、世界中で「幸福学」が流行しつつあるのです。私の研究が、みなさんの働き方や暮らし方を見直すきっかけになれば嬉しく思います。

2017年6月20日火曜日

出雲と古社

出雲という「神の都」の奥深さに触れるべく、訪れたい場所があります。宍道湖の北東、山際に立つ佐太神社は出雲国二ノ宮とされた神階の高さを誇る古社です。今も続く神在祭は、古式が守られています。主祭神は『出雲国風土記』にその出生が記された佐太大神。猿田彦大神と御同神で、「お導き」のご利益が。大社造りが三殿並んだ貴重な構造の社殿の中央、正中殿に鎮まっています。

宍道湖の南東には聖樹の椿が見事な枝振りを見せる八重垣神社。愛の象徴である椿がつやつやとして、佐久佐女の森には大杉の木立が深閑と立ち、神代の物語へ誘う境内が心に沁みます。
出雲大社の北西、日御碕の急峻な土地に夕日を浴びて輝くのは日御碕神社です。天照大神が夜を守る日沈宮と、弟神の素戔嗚尊が坐す神の宮の二社からなります。浜辺へ降りると、かつて日沈宮があった経島に木製の鳥居が立つのを望むことができます。稲佐の浜から古社まで、出雲の聖地はどこも美しいのです。

稲佐の浜(出雲)

島には豊玉毘古命を祀る。島の上の松は松枯れで失われ、現在の島はこんもり丸い姿。夕日が沈む絶景を狙って訪れたい。
住所/島根県出雲市大社町杵築北稲佐 地図

日御碕神社(出雲)

拝殿と本殿が続く権現造りの社殿は、桃山時代の特徴を残し、石造建造物などとともに重要文化財に指定されている。
住所/島根県出雲市大社町日御碕455 地図

八重垣神社(松江)

宝物館では1100年以上前に神社の壁に描かれたとされる貴重な六神像が拝せる(拝観料¥200)。平安時代の宮廷画家、巨勢金岡の筆とされ、国の重要文化財。
住所/島根県松江市佐草町227 地図

佐太神社(松江)

三棟の大社造りのうち南殿(左)は御神座が通常とは逆という珍しい構造。「佐陀神能」はユネスコ無形文化遺産に登録されている。
住所/島根県松江市鹿島町佐陀宮内73 地図

山陰の自然と人々に守られてきた出雲の古社は厳しくも大らかな表情がある

日御碕神社の御守所にて。災い除けの御神砂守などの授与品からおみくじまで充実。祭神・素盞嗚尊は、自らの住まいを柏の葉を投げて止まったところにすると占い、柏葉が舞い降りたのがこの地だった。
素盞嗚尊と稲田姫命の夫婦神を祀る八重垣神社。大杉の立つ森に神秘の「鏡の池」もある。
佐太神社の隨神門。田園に囲まれた長い参道から境内に入ると、重要文化財の社殿がそびえる。
大社町には、毎月1日の早朝、人々が稲佐の浜で海水を汲み、大社に参拝する民間の潮汲み神事もある。

大佛次郎と鎌倉

鎌倉駅から鶴岡八幡宮に向かう若宮大路や、それに平行する小町通りはいつも大にぎわい。ところが、表通りから一歩中へ入ると、車が通れないほど細い路地があって、散歩にはうってつけ。文士が考え事をしながらでも歩けるような路地が残っているのも、鎌倉の魅力のひとつです。
鎌倉文士の中心的な存在だった大佛次郎(おさらぎじろう)は、小町通りとは若宮大路を挟んで反対側の、雪ノ下に住んでいました。路地をたどれば、鎌倉駅から歩いて5分ほどのところです。
鎌倉の路地を歩く。どこへ出るのかわからないのも楽しい。
大佛は大正昭和にかけて『鞍馬天狗(くらまてんぐ)』『赤穂浪士(あこうろうし)』などの時代小説で大人気を博し、『天皇の世紀』では幕末から明治維新への近代日本の群像を描きました。横浜生まれの大佛は、大正10(1921)年に鎌倉に住むようになり、いっとき長谷(はせ)の大仏裏の谷戸(やと)にいたことから、このペンネームをつけたといいます。その後、雪ノ下に転居して、昭和48(1973)年に亡くなるまで住みました。
写真提供/野尻芳英
昭和20(1945)年には、自宅と細い路地を隔てて建っていた茅葺きの家を買って、客をもてなす茶邸としましたが、ここには、里見弴(さとみとん)、久米正雄(くめまさお)などの作家が集まって宴会をし、編集者との打ち合わせに使われました。一室には炉が切られていて、夫人のお点前でお茶を楽しんでいる写真も残っています。現在は週末と祝日だけ開く「大佛茶廊」となっていて、作家の孫である野尻芳英(のじりよしふさ)さんが選んだコーヒーや抹茶で訪ねる人をなごませています。
玄関から入ると、庭に面して客間が二間ある。
鶴岡八幡宮の裏山・御谷(おやつ)が開発されそうになったときに、地元住民と一緒になって景観と自然を守る運動を起こした大佛は、鎌倉風致保存会の初代理事になり、イギリスのナショナル・トラスト運動を日本に紹介しました。また、猫好きでも知られ、「猫は僕の趣味ではない。いつの間にか生活になくてはならない優しい伴侶になっているのだ」(『猫のいる日々』徳間文庫)と言っているほど。常に10匹以上の猫と暮らし、生涯かかわった猫は500匹にもなりました。
猫の絵が入った看板が目印の大佛茶廊。
路地が好きだった大佛次郎の散歩の道すじを想像しながら歩けば、悠々と歩く猫が先導してくれるかもしれません。
-2013年和樂6月号より-
INFORMATION
店舗名大佛茶廊(おさらぎさろう)
住所神奈川県鎌倉市雪ノ下1-11-22
営業時間土・日・祝日の12時~日没 
休業日月~金曜 
TEL0467-22-8175
Webhttp://www.1938.jp/osaragi/

2017年6月18日日曜日

東西の寿司

江戸と上方の老舗の違いを食文化から読み解いてみましょう。今回は寿司、麺類、弁当を東西で比べてみました!

寿司

東は…
創業一八七九年 吉野鮨本店

かつて魚河岸のあった日本橋で、屋台寿司から始まった「吉野鮨」。あらかじめネタは煮たり酢で締めるなど “仕事” を施し、客を迎える昔ながらの江戸前寿司屋です。ここはトロ握り発祥の店としても知られる店。冷蔵庫のない時代に脂分の多いトロは扱いづらく、長らく鮪は赤みが主流でした。「大正7、8年ごろに赤みが高騰して買えなくなって。トロの部分を握ったら人気が出たそうです。思い切った行動に出た2代目のことを思うと、老舗は守る一方でもだめと思っています」と5代目・吉野正敏さんは言いますが、この時代に江戸さながらの寿司屋のあり方を保ち続ける姿勢は、かえって革新的に映ります。「寿司は握ることで酢飯とネタが熟れて味わいが増す」と握りにこだわり、先々代は軍艦巻を出さなかったとの逸話も。
吉野鮨本店(よしのすしほんてん)
住所/東京都中央区日本橋3−8−11 地図
TEL/03-3274-3001
営業時間/11時〜14時、16時半〜21時半 土曜は昼のみ営業
定休日/日曜、祝日

西は…
創業一八四一年 吉野鯗

鯖(さば)や鯵(あじ)といった大衆魚を用い、家庭料理でもあった大阪寿司に「寿司屋にしかない逸話を」と3代目が明治初期に考案した箱寿司。「一枚」の単位で数えられる箱は内のり二寸二分。昆布だしを含ませた寿司飯に甘辛く炊いた椎茸を挟み、上に小鯛、焼穴子、厚焼き玉子などをのせて押し付けます。吉野鯗のある船場は、かつては大店(おおだな)の商家が並び、行事や節句に合わせてハレの食事がふるまわれていました。華やかで贅沢な箱寿司は船場の旦那衆に人気を集め、大阪中の寿司屋に広がったとか。ところが今、材料の仕込みからすべてを自分の店でつくっているのはここぐらい。しかも、一枚の箱からできるのはたったの6切です。
吉野鯗(よしのすし)
住所/大阪府大阪市中央区淡路町3-4-14 地図
TEL/06-6231-7181
営業時間/10時〜19時
定休日/土日祝日

麺類

東は…
創業一七八九年 更科堀井麻布本店

創業時から“お殿様”の御用達という出発点をもつ「更科堀井」。蕎麦の実の芯の部分だけを使う純白の蕎麦「さらしな」も、元々は献上品としてつくられていたもの。奥ゆかしい甘みと蕎麦の香り、のど越しのよさは確かに殿様好み。江戸っ子が見えを張っても食べたがったのも理解できます。「名物があるだけでも店は続きません」と9代目・堀井良教さん。「店の柱となる蕎麦は4つ。もりそば、田舎風の太打ちそば、さらしな、そしてさらしなに旬なものを練り込んだ季節の変わりそば。この4種類がそろえば、蕎麦好きなら毎日でも来てくれますからね」東京の老舗蕎麦店には珍しく、この店では蕎麦の量もたっぷり。
更科堀井麻布本店
(さらしなほりい あざぶほんてん)
住所/東京都港区元麻布3-11-4 地図
TEL/03-3403-3401
営業時間/11時半〜20時半
定休日/年中無休

西は…
創業一八九三年 うさみ亭マツバヤ

300年以上もの歴史をもつ商人街の中心地、船場。伝統的な商家は主の家族に加え、番頭や丁稚(でっち)などの使用人が寝食を共にしていました。そんな大所帯の商家の暮らしを食で支えたひとつがこの店。大阪庶民の味として有名なきつねうどんは明治の中ごろ、この店がその発祥。「なんでも手っとり早く食べなあかん」のが商人の街、大阪の伝統で、きつねうどんも1杯でお腹を満たすために生まれたのだとか。3日かけて炊かれるお揚げ、特殊なかび付けをした屋久島の枯節(かれぶし)と1年寝かせた利尻の昆布でとるおだし、自家製手もみうどん、とこだわりの材料がひとつの鉢に入って、この時代に1杯580円。味に厳しい船場で繁盛を続けてきた老舗の矜持は値段にも表れます。
うさみ亭マツバヤ
(うさみていまつばや)
住所/大阪府大阪市中央区南船場3-8-1 地図
TEL/06-6251-3339
営業時間/11時〜19時,金土は11時〜19時半
定休日/日曜祝日

弁当

東は…
創業一八五〇年 日本橋弁松総本店

「弁松」の前身は日本橋魚河岸の食事処。3代目が折詰弁当専門店を開業。写真の折詰弁当「並六」は「きんとんはデザート代わり。弁当向きのおかずとして完成されていて、手の入れる余地がない」と8代目樋口純一さんが胸を張る看板商品。おかずは砂糖と醤油を使った甘辛の味付け。味が濃い理由には、日もちのほか、砂糖が高価な時代に見えを張った江戸っ子気質からとか、江戸は肉体労働者が多かったからともいわれます。店の味を守るために、毎朝樋口さん自らも工場に立ちます。弁当はすべて社員の手づくり、手詰めで、なんと玉子焼を焼き始めるのは午前1時から。この弁当ひとつに、江戸っ子職人の見栄とやせ我慢が詰まっているから、おいしさもまたひとしお。
日本橋弁松総本店
(にほんばしべんまつ そうほんてん)
住所/東京都中央区日本橋室町1-10-7 地図
TEL/03-3279-2361
営業時間/9時半〜15時,土日は9時半〜12時半
定休日/年中無休

西は…
創業一九〇二年 大黒

「食い味をつける」とは大阪を代表する調理法。素材の持ち味を活かし、それを引き出すために味を施し、複合のうま味を生みます。「大黒」はそんな“浪速(なにわ)の食い味”が味わえるかやくご飯の専門店。店のある道頓堀は芝居小屋の建つ街として歴史が長く、池波正太郎も役者に連れられて店を訪れ、この味の虜になったひとりです。「熱々もいいけど、冷めるとまた違うおいしさがあるでしょ?」と2代目の妻・木田節子さん。杉折に詰められたご飯はおだしの香りが引き立ちます。お土産のかやくご飯は劇場の陣中見舞いにも重宝。
大黒(だいこく)
住所/大阪府大阪市中央区道頓堀2-2-7 地図
TEL/06-6211-1101
営業時間/11時半〜15時,17時〜20時
定休日/日曜月曜祝日
-2014年和樂11月号より-