2016年1月24日日曜日

5Sとポルフって

生産管理システムの再構築や営業力見直しの個別支援で、企業を訪問する場合、
まず、見せていただくのが、現場の状況、社員の挨拶を含めた日頃の態度である。
5Sの習慣は、活気のある企業、経営実績の上がっている企業では、まず、キチンと
されている。以前には、私自身不勉強な点もあり、5Sをコンサルとされている方の
実践の場やお話を聞かせても頂いた。シツコク、キチンとやっていくことの難しさは、
中々に大変である。
1)改めて、5Sは、
①「整理」とは、要るもの、要らないものを分けて、要らないものを捨てること。
②「整頓」とは、安全、品質、能率向上になるよう物をおいて、表示すること。
③「清掃」とは、ゴミなし、汚れなし。清掃、点検すること。
④「清潔」とは、整理、整頓、清掃(3S)の状態を維持すること。
⑤「躾」とは、社会人、組織人として行うべきことを正しく守る習慣付けのこと。
これは、製造の現場は当然として、事務系の中でも、同じである。
ある会社の調査をみると、
事務室にある書類を「要る」、「要らない」に分けて見ると、その割合は、半分程度。
さらに、この要るを現在の仕事にどうしても必要な書類と使用頻度が落ちて書庫
などの外に出しても良い書類に分けると、その割合は2:3になる。
つまり、事務室を整理すると、そこの書類の80%を追放できるという結論になる。
「いつか使うだろう」の場合は、殆ど使用しないと考えたほうがよく、捨てる勇気を持
つことも「整理上手」のコツである。「もったいない」も同様である。
整頓は目で見る管理であり、見える化の基本であろう。
ここで大切な事は、「誰でも、どこに、何が、いくつあるか、すぐに分る」という置き
方になっているか、どうかという点である。
街でよく見かける看板、これを現場に掲げる方法を多用するのがよく、設備に貼る、天
井から吊るなど現場に最良の方法で対処する。棚や置き場には所番地を付け、誰でも、
簡単に集配できるように工夫する。
清掃、清潔は、整理、整頓の継続性を高めることにあり、躾は、人間性の向上を考えた
基本中の基本である。
そんな中で、最近、PPORF(ポルフ)と言う5Sを含めた企業体質の定量的な改善
手法について、話を聞いた。中々、面白いが、実施には、結構根性が要る。
2)ポルフとは、
生産力向上、企業体質改善を強化するための20の項目と、それを実現するための手法。
一つ一つを単独に進めるよりも、同時にバランスよく進めることが高い効果を生むとし
ている。
定期的に、各項目ごと5点満点で自己採点をし、3年程度の中期計画をもとに
改善を進めていく。
■ポルフ20項目
経営基本、不良撲滅、コスト低減、工程短縮、技術開発の5大項目に選別される。
1.整理・整頓・清潔・清掃 (4S)
2.職制の整流化・目標管理
3.小集団活動
4.中間仕掛り量の減少
5.段取り替え迅速化
6.作業改善(製造のVA)
7.監視作業ゼロ
8.職場間のつなぎ
9.機械設備の保全
10.作業規律 (5Sの躾に近い)
11.品質保証体制
12.外注体質強化支援
13.宝の山案内図によるムダ追放
14.改善コーナー・自己改善能力
15.多能化・人員配置変化対応
16.工程管理
17.能率管理
18.マイコン利用
19.省エネ・省資源
20.新技術・固有技術
具体的には、例えば、1番の4Sのためのチェックシートは14項目あり、それを
巡回グループがあるエリアを廻り○、×を付けていきます。○の数×5点がシート
点数となります。また、○となるための基準も設定する必要があります。
各項目はチェックシート項目の全てが○となった場合、5点評価となり、ポルフ
評点が100点となります。
一般的に20項目評価点の合計が20点アップすると生産性倍増の体質になるとの事。
ポルフでは、全員が目標を共有化し全社的な視野に立って改善していく。
経営目標と一体化し達成を実現出来る。
①意識改革
働きがいのある明るい職場作り
トップダウンとボトムアップのドッキング
目的指向型への変革
マーケットイン(後工程はお客様)の考え方定着が図れる。
②企業(製造)体質の強化
物的生産性の向上
工期短縮、仕掛り品の減少、多能化により「変化即応型の企業」になる。
設備稼働率の向上
品質向上、クレームの減少
安全の確保
中小企業でこれを本格的にやるには、かなりの体力がいる。もう少し、簡易版が
あれば?と思うが。

ソーシャルメディア進化論を読む

エイベック研究所なるものを知ったのは、4,5年前サークルモールという
コミュニティインフラが企業のWeb戦略の中で、かなりの効果をあげている
ことを知った時である。
今回、そのエイベック研究所を育て、企業コミュニティという新しい
マーケティング手法を開発した武田隆氏の「ソーシャルメディア進化論」
を読んだ。
元々、文系から起業し、Webの世界でビジネスをしてきた事もあり、
技術屋の技術やWeb手法に偏りがちな内容とは違い、茶道、庭園などの
伝統文化からの気付きや人間をベースとした行動の適用など、そのアプローチ
の面白さを改めて感じさせられた。最近のデータの徹底収集と分析を基本
とするビッグデータへの流れとは対極的なアプローチは、我々も、是非、
学ぶ必要があるのでは、と思う。
Webを活用していない経営者からWeb画面のみのかっこよさに現を
ぬかす「Webデザイナー」と呼ばれる人も含め、一読は有益なのでは?
人気のあるサイトやfacebook、ブログ等に共通しているのは、その
コンテンツや仕掛けに「人を感じさせる何かがある」モノが少なくない。
社会的な流れの体現的な場合もあるし、心理的なアプローチの場合もある。
最近は、「デザイン思考法」が色々と参考にされているようであるが、
これからは、人間的な認識センスがないとWeb関連ソリューションでは、
評価されるものを創るのが難しいのでは、と思う。
エイベック研究所のビジネスモデルは、オンラインの「企業コミュニティ」
を提案してこれをじっくり育て、企業の増収増益に寄与することにある。
この企業コミュニティは「スポンサード・ソーシャルメディア」という
もので、エイベック研究所はこのビジネスモデルを研究開発するために
数年をかけ、15億円をつぎこんだとのこと。紹介されている花王、
ユーキャン、ドクターシーラボ、レナウン、カゴメ、ベネッセなどで企業
コミュニティを成功させ、マーケティング効果を収めた。
成功の秘訣のひとつに「20名の法則」の発見があった。ユーザーと
ユーザー、企業とユーザーと事務局の関係構築には、その場がどのように
活性化するのか、その具合を適確につかむ必要があるのだが、エイベックは
およそ参加ユーザー20名前後のところで、その場が急に不活性になること
をつきとめ、これを超えると「思いやり」がゆきとどかなくなるだけではなく、
かえってマイナス効果も生じることに気がついた。
本書では、ソーシャルメディアの地図として、縦軸にネットワークの
「拠りどころ」を、横軸に「求めるもの」を置くことで4つのエリアで
捉えていく。 単純な図だが、これによって4つの象限エリアを見える
ようにして、どこにどのようなはたらきかけをすれば、重複と過疎化を
排除する「集合知」が活性していくかを定められるようになった。
ネットユーザーが匿名性がいいのか実名性がいいのか、関係構築を図りたい
のか、情報交換だけをしたいのか、この4象限がその濃淡をあらわした。
全体を俯瞰するだけでは、見えてこないユーザの想いを絞り込むことは
マーケティングとしては、重要である。
Webの進化により、社会や市場の環境が急激に変わる中、企業サイトも
「よいコンテンツ」があれば、成果の出る状況から変化している。
こうして2007年、花王は第3世代の「場の時代」に移行することを
決める。それがエイベック研究所が開発した、企業と顧客が双方向で対話
する企業コミュニティだったのである。
企業コミュニティの基本戦略は、企業の公式サークルとはべつにユーザー
サークルを次々につくりあげていくというものだ。
企業コミュニティのモデルを作り上げるまでにも、龍安寺の石庭や茶道からの
アイデアが活かされている。
コミュニティがうまく活性化するには、「役割の設定」と「報酬の設定」
が必要と考えている。ブラクティスとインセンティブである。しばしば報酬
(インセンティブ)ばかりが重視されるけれど、実はコミュニティにおいては
参加者に役割(プラクティス)を与え、それにやりがいを感じてもらうこと
がもっと効果的なのである。
また、参加者のなかに“活性メンバー”を発見することも欠かせない。
ふつう、どんなコミュニティでも活発な発言者はせいぜい5パーセントくらい
なものなのだが、この5パーセントこそがその場の命運を握るのだ。
かれらは他者のために「もてなし」をしたい“活性メンバー”なのである。
つまりこの利他的な連中こそがネットワークの“ハブ”なのだ。
エイベック研究所ではこれを「サポーター」と名付け、その正体をつきとめる
ことに全力を上げた。ドクターシーラボが化粧品の通信販売を14億円に
延ばしたときは、「ミッピイ」さんというサポーターが大きな“ハブ”の
役割を果たした。
これを社会学やマーケティングでは「関与モデル」の活性化という。
自分が関わっている出来事や変化が「わが事化」すること、それが
「関与モデル」の一騎当千の作用力なのである。
また、このモデルをビジネスモデル化するために、顧客が企業にもたらす
継続的な価値を、マーケティングの用語ではLTV(ライフタイムバリュー)
という。文字どおりは顧客生涯価値だが、その顧客がブランドにもたらした
利益を累計したものをさす。そこにブランドに対するロイヤルティ(帰属意識)
が見える。だからLTVを高めることは企業の市場命令だ。
そのために、顧客が何をもってブランドに満足しているかのかを、詳しく
知る必要がある。顧客満足度の特性をつかむ必要があるからだ。
そこに企業コミュニティが機能した。
そして、企業コミュニティが機能しただけでは、そこでLTVに見合うことが
どのようにおこっているのかは、まだわからない。そのためエイベックでは
コミュニティ活動におけるKPI(Key Performace Indicator)を測ること
にした。交流量と感謝量の両方のインディケータで満足感や帰属感を推計
するものだ。
これにより、企業コミュニティのマネタイズ・モデルが可能となる。
Webマーケティングへの必要な素養、単なるモデル化からマネタイズ化
することへの探求の強さ、など示唆に富み、学ぶべきとは少なくない。

集合知について

地域の活動をしていると、人の多様性、意見の多様性を
感じざるを得ない。また、その多様性が、組織を活性化させる
場合もあり、低迷、消散させる場合もある。企業の活動の中では、
それを覆い隠し組織の方向性を高める必要性もあるが、頑張っている
企業の多くは、この多様性を容認し、如何に、個人と組織の方向性
を保つか?に工夫されている様である。
また、前回の衆議院選挙やチョット前の「アラブの春」に見られた
みんなの意見や集合知的対応が招いた結果としての是非のあり方もある。
IT活用を企業に進める立場の人間としても、「人とITの融合」に
この多様性や集合知を活かすことが重要と思っている。
「みんなの意見は案外正しい」(ジェームズ・スロウィキー)
「多様な意見はなぜ正しいのか」(スコット・ペイジ)
「集合知とは何か」(西垣 通)
を読み返している。
インターネットの拡大に伴い、多くの人たちが、自分の感じ方や考え方を
公開している。それら無数の声を自動的に集めてきて、人々の集合的な意見
を吸い上げ、政策に生かしたり、ビジネスに役立てたりできるという話
が多くある。当然、インターネット上の「集合知」がすばらしい働きをする
ことはある。でも、うまくいくのは、条件が整備された課題に限られる。
たとえば、これからの政治をどのように運営していけばいいかをネット上
の集合知にまかせたとしても、混乱をまねくだけであろう。
また、意外とみんなの意見を集約すると正しい場合も多い。しかし、その場合は、
すべて「基本的に正しい答えが存在」「回答者が充分に傾向が分散している」
「それを推定することができる」といった場合である。
たとえば「日本の少子化を止めるには?」といった絶対的な答えがでない問い
を、集合知で解決することは出来ない。
①「みんなの意見は案外正しい」からのポイント
以下の記述が気に入っている。
「集合的にベストな意思決定は意見の相違や異議から生まれるのであって、決して合意
や妥協から生まれるのではない」
これは、多様性の重要性を説く「多様な意見はなぜ正しいのか」も同様のベースを
持つものではないか。
また、「解決すべき問題は、認知、調整、協調」の3つであり、集合知が機能する
ためには「多様性、独立性、分散性、集約性」という条件が満たされなければ
ならない」と言っている。
・認知  正しい答えが必ず見つかる問題 
・調整  他人の行動も加味する必要のある問題
・協調  自己利益だけ追求すると全体の利益を損なう問題(地域活動ではよくある)
そして、
・多様性  集団の中のそれぞれの人間が自分の私的な情報とそれに基づく意見を
      持っており、突飛なものも含め色々な意見がある状態
・独立性  周囲の人の意見に影響されずに集団の中の人がそれぞれ意思決定
     できる状態
・分散性  集団の中のそれぞれの人間がローカルで具体的な情報に基づき意思決定
     をする状態
・集約性  多様な情報や意見を集め、うまく集約する仕組やプロセスがある状態
これらの条件は、現在のソーシャルメディア拡大の要件ともなっている。
②「多様な意見はなぜ正しいのか」からのポイント
「多様性が一様性に勝る」「多様性が能力に勝る」を明確に説いている。
そのため、まず集合知を4つのツール要素に分解する。
・多様な観点  状況や問題を表現する方法
・多様な解釈  観点を分類したり分割したりする方法
・多様なヒューリスティック  問題に対する解を生み出す方法
・多様な予測モデル  原因と結果を推測する方法
群衆の叡智や多数決が万能という意味ではない。むしろ限定的である。
ここでは、集合知の働く条件を以下のように結論している。
・問題が難しいものでなければならない
・ソルバーたちが持つ観点やヒューリスティックが多様でなければならない
・ソルバーの集団は大きな集合の中から選び出さなければならない
・ソルバーの集団は小さすぎてはならない
以上の条件が満たされれば、ランダムに選ばれたソルバーの集団は個人で
最高のソルバーからなる集団より良い出来を示す。専門の科学者達が解けないで
いる問題を、多様なツールボックスを持つ非専門家集団が解いてしまうことが
ありえる。
地域での活動での組織作り、企業での組織の活性化、いずれにおいても
色々な気付きが出てくる。
③「集合知とは何か」からのポイント
発想として考えさせられるのが、「生命体を機械化していく」のでは
なく、「生命体を機械でサポートする」形こそが重要である。主観的な知で
構成されている「閉鎖システム」である人間と、開放されパターン化さ
れた入出力を持つコンピュータのような「開放システム」とでは、
その融合化は難しいとのこと。
システムはすっかりと根をおろしており、その有用性はすでに広く知れ
渡っている。問題は「システム」そのものにあるのではなく、システムを
つかって「システム的な世界を構築すること」にある。
提示される「集合知を支援するIT」とは、その最も本質的なところでは
個人同士、集団同士をむすび、コミュニケーションの密度をあげ、活性化
していくものになる、そしてその為の方法としては、人間の暗黙知や
感性的な深層な「人間の主観的な部分」をすくいあげ、明示化するため
にITを使う。
ウィキペディアとグーグルからアマゾンやイーベイでの集合的相互評価
システムもあり、リナックスを例に集団的創造の話題に触れ、Twitter や
YouTube とブログを組み合わせて新しいジャーナリズムのあり方がある。
企業内コミュニケーションに悩む企業やソーシャルメディアの活用に
逡巡する企業でも、その原点に立ち返り、単なる表面的な解決では
済まさず、今後の進め方を考えて欲しいものである。

里山資本主義とは

大分前から市の協働事業化のための色々な対応をしている。
行政も、以前のハコモノ行政と呼ばれるような十分なる支援が出来る状態ではない。
いずれにしろ、金がないのである。
このような環境の中で、市民や地域企業を如何に上手く地域事業の中に組み込んで
いけるのか?が今後、大きなテーマとなる。様々な市民向けサービスの質を
低下させずに、その満足度を上げていくのか、が大きな行政のテーマでもある。
しかし、市民も行政も豊富な資金でのサービス支援の出来た古き良き時代に
慣れている。
人間、面倒なことは嫌なのである。まだまだ、旧き良き時代感覚が蔓延している
のでは?そんな意識が消えない。
先日も、市民からの様々な協働事業をテーマとする事業案件の説明を聞いた。
地域の文化遺産を継承していくためのイベント、ウォークによる市民参加
のイベント等もある。他にも、定番的な事業としては、商店街の空き家の活用、
親子や女性の地域参加への仕組み作りなどである。農業に絡む様々な仕掛けも
あるが、湖北などと違い、案件は少ない。都市型サービス的な事業が多い。
そして、まだ、行政の支援に「おんぶに抱っこの姿勢」が殆どである。
個人的には、協働事業の大きな要件の1つに、「自立的な事業化」が必須と
思っているが、審査委員の「もし、この案件が採択されない時には、事業を
実施しますか?」の回答に、「止めます?」とのこと。
「想い」の強さは、行政からの支援金に依存するようである。
確かに、地域で活動していこうとする人は増えている。特に、若い人の意識は
地域の中で自分は何が出来るのか?を意識し、様々な活動に進んで関わって行く
人が増えている。
例えば、未来塾と言う地域の中で色々と課題を見つけ、その解決に先導的な
役目の人を育てる塾があるが、ここ2年では、塾生の構成が変わってきている。
退職者などが減り、30代や40代のバリバリ現役組が増加している。
その彼らは、地域に関する問題意識も高い。
里山での活動やその活性化などは、テーマとしてあるもの、ボランティア
的な活動が主のようであり、事業化への取り組みは、それほど多くない。
最近、「里山資本主義」なる本を読んだ。
1.「里山資本主義」から想うこと
本書は、エネルギーという最もカネに近い物品という、里山という言葉から最も縁がな
さそうな事例からはじまる。岡山県真庭市の銘建工業。山奥とはいっても岡山市まで一
時間ちょっとの田舎にある製材会社。
ここでは、製材時に出る木屑で発電している。まずは自社で使い、余った分を売ってい
る。自社で使う電力が一億円相当で、売電分が5000万。しめて1億5000万。もしこの木
屑を産業廃棄物として処分すると、2億4000万ほどかかる。しめて年間3億9000円。木屑
発電所の設備費10億円は、三年足らずで回収できる。
しかし同社の主力製品は、あくまで材木。材木が売れるから木屑が出て、木屑が出るか
ら発電も出来る。
そして、林業先進国オーストリアの話もある。
人口900万に満たないが、失業率で日本を下回り、一人当たりGDPで日本を上回る。
面積が北海道とほぼ同じで。森林面積は日本の15%。
なのに同国の林業は30億ユーロの貿易黒字と、全エネルギーの10%を賄っている。
まずは、我々があまり活用を考えなくなった周辺自然資源を再度、見直すことの
必要性を事例とデータで、説いている。
カネが全てのようなグローバル経済に惑わされることなく、地域の資源の見直しの
必要性を言っている。それは、ガラパゴス的な経済と自給自足を目指せということ
ではない。世界と地域の両輪を考え、そのためには、自分たちに何があって、
何がないのかをきちんと知る必要がある。何故、この20年経済政策が空回り
してきたのか?自分が何を持ち、そこにどんな価値が見出せるのか
を知らなかったからだ、と言っている。
里山を資本とした利子生活においては、人口減少も高齢化もむしろ追い風なので
ある。里山では、都会では味わえない自然と水と空気と家庭菜園と、比較にならない
ほどの食材やゆとりある住居が格安にある。
人の意識も徐々に変わりつつある。地域への参加増大もその1つであろう。
2.様々な地域での活動からの気付き
地域活性化には「あるもの探し」や「ばかもの、よそもの、わかもの」が必要と
言われているが、周辺や訪問した地域での気付きとしては、
①「お年寄りをお年寄りとして扱わない」、というのがあり、現役バリバリで
やっているお年寄りが多くいるところは地域全体元気。
②一人一人が役割をもっているところは、何かがおきても続けられる。
逆に、何かの歯車としてやっている人たちというのは何かあると弱い。
指導的な人と支援する人の関係が重要である。
③自分たちで文化を生み出し、守り、それを観に来る人たちが沢山いて、
そういう人たちから収入を得る、そのお金で程よく文化を守る、というかたち。
徳島県上勝町や長野県小布施などは良いサイクルを創っている。
④「あなたはこういう役割を担っている人です。」という、場があって
コミュ二ティがあって、集まって、リーダーがいて、話すきっかけがあればいい。
情報のやりとりがなくなっているというところは過疎化もするし、コミュ二ティが
小さくなって行くような気がする。
⑤地域関係者でのネットワーク作り
農家民宿、農業体験を実施するNPO法人、老人会、自治会等とも連携し
て目標を共有化して行く。農業者を主役とした魅力ある地域づくり・交流事
業(グリーンツーリズム等)を推進し、その効果を農業者自身が実感し始める。
⑥捨てられたもの、無くなりそうな物などまずは、身近にあるものを
キチンと見直す。これには、多様な人の視点を入れることが重要。
「里山資本主義」に紹介されているのは、全国的な活動の中では、僅かな
事例である。個人レベルでのミクロなビジネスでも、多くの取り組みが
出てくれば、また、違う社会観が出てくる。GDPの数%に落ちた農業
生産や林業も新しいビジネスの形として、次の展望が拓かれて来る。
そうすることが、我々の使命かもしれない。

日本文化について雑感,葛飾北斎、旅、

「葛飾北斎の凄さ!」

北斎の浮世絵にであったのは、かなりの昔であった。
長野の小諸までも見に行った。
暫くは、展示会があれば、行くことが多かった。
最近、葛飾北斎をもっと知る事が、浮世絵の世界の見直しと思うと
同時に、90歳程まで、徹底した自身の作品追求の姿は、
自身に対して大甘な自分にとっても、大いに学ぶべき事が多い。
・その信条と気概
己六歳より、、、、、八十六歳にしては、益々進み、九十歳にして
その奥義を極め、百歳にしてまさに神妙ならぬ人なり。
この絵に対する執念、追求心、そしてその傲慢さは、素晴らしい。
例えば、
人物を描くには、骨格を知らねば真実とはなり得ない、と言うことで、
接骨家名倉弥次郎に入門した。
絵画には、ヨーロッパを中心に、色々な流派の、色々な
題材のモノが多数ある。
昔、元西洋近代美術館館長の高階さんから光の三原則を
基本とする印象派の話を聴き、西洋絵画の奥深さを知った。
浮世絵は、私にとって、
それとは、一線を画するものだ。
もとは、今の人気雑誌の類であったのだろう??
人気役者、江戸の風物詩などを大衆?に広く見せるためであったのだから、
その実力は察しがつく。
しかし、北斎、歌麿、チョット違和感のある写楽などの作品を見ていると、
日本土壌でしか育たない細やかさとイマージュを高める世界観があると思った。
有名な富嶽三十六景や潮干狩図の作品に多様されている遠近感を存分に使った
シンプルな構成と見る人にイマージュを沸かすテーマの設定は、他の絵画の比
ではない。
また、基本は、版画を何枚も重ね絵とした多層、多色のもであり、厳密には、
その出来は、一枚、一枚違うのである。
この多様的な出来が、個人的には好きである。
今流では、大量生産の江戸時版だろうが、実は、個別生産型なのである。
浮世絵に惹かれるのは、昔、まだ、モノクロ全盛時に、自身で出向いて撮った
写真の現像から作品作りまで、やっていたことが大きな影響を持っていると思う。
浮世絵を見ていると、流石と思うものの多くは、そのフレーム切り出しの上手さ。
シンプルな中にも、情景、例えば、滝の音、雨脚の速さ、小舟の動きなどが
見る人各様に迫って来る様ではないか……
そして、好きなのが、肉筆画の凄さである。「潮干狩図」に見られる透視画法、
等の和漢洋の表現方法や技法の混然一体の作品や晩年の「肉筆画帖」にある様な
その精密な描き方は、北斎にして、画狂老人と言わしめた執念の凄さにある。
この点、浮世絵とは違いがあるが、伊藤若冲の超リアリティは、同次元で、
驚嘆に値する。リアリティを徹底追求するためなのか??その表現技術は、
誰も真似の出来ない領域かもしれない。
西洋や中国などの他国にはない、美意識、文化的土壌である。
写真は、光の加減を撮影対象と自身のイマージュに、如何に合わすのか、
に自身の才能を発揮し、
現像液の持つ粒子を自身の想いに合わして、作り上げていく事が、基本となる。
そこに、表現方法の多様性が出て来る。
土門拳さんや木村伊兵衛さんの作品を見ているとそれを強く感じる。
写実性と言う点では、少し違うのでは?との意見もあろうが、
肉筆画などを見ていると、同根にある様な気もする。
チョット、素人的発想かも。
浮世絵には、全面的とは言えないが、それがあり、出来るのである。
おなじ、原画であっても、年代を経て復刻された作品が、以前の
ものと違うなー、と感じた方もおられるはず。
浮世絵理解のベースには、日本人としての、共通項がある。
これを日本文化、その美意識の発露と捉えてもよいはず。
・個人的に興味ある作品
以下の作品は、錦絵として、描かれているが、「対象物が持つ
本質をあらゆる角度から捉えようとしている」視点の違いが
広重の東海道53次と本質的に違うのでは、と思う。
1)富嶽三十六景
富士山を主題、46図。凱風快晴(通称赤富士)、神奈川沖波裏 など。
収集家にとっては、その構図、色使いなど素晴らしいのであろうが、
江戸時代の庶民の生活風景、江戸の賑わいなど、チョット違う
視点で見ていると結構面白い。
2)千絵の海
各地の漁撈を画題とした錦絵。変幻自在する水の表情と漁業に
たずさわる人が織り成す景趣が描かれている。全12図。
既に、無くなった漁労の風景が生き生きと描かれており、古き
日本の風物詩が語れている。
3)諸国滝まわり
落下する水の表情を趣旨として全国の有名な滝を描いた。全8図。
相州大山ろうべんの滝(神奈川県伊勢原市大山の滝)
東海道坂の下清流くわんおん(三重県亀山市関町坂下)
美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)
木曽路の奥阿弥陀の滝(岐阜県郡上市白鳥町、日本の滝百選。白山の参拝)
木曽海道小野の瀑布(長野県木曽郡上松町、現存)
和州吉野義経馬洗い滝(奈良県吉野郡あたり、滝はなし)
下野黒髪山きりふりの滝(日光市、現在は日光3名滝)
東郡葵ケ岡の滝(東京、赤坂溜池)
4)諸国名橋奇覧
全国の珍しい橋を画題とした11図。
摂州安治川の天保山(大阪、天保山)
足利行道山くものかけ橋(足利の行道山)
すほうの国きんたい橋(山口県の錦帯橋)
越前ふくいの橋(九十九橋、福井市)
摂州天満橋(大阪天満橋)
飛越の堺つりはし(飛騨と越中の国境)
かうつけ佐野ふなはし古図(群馬県佐野市)
東海道岡崎矢はぎのはし(三河の岡崎)
かめいど天神たいこばし(亀戸)
山浅あらし山吐月橋(京都嵐山渡月橋)
ともかく、北斎の凄さは、その対象ジャンルの広さと作品の多さにある。
読本挿絵、摺者、肉筆画、黄表紙挿絵、錦絵など、当時の絵に関する
ほとんどのジャンルを手がけ、しかも、そのレベルはとても高い。
北斎は、単なる風景画作家ではない。
個人的にも、更に深く知りたい人間である。



「葛飾北斎はやはり素晴らしい!!」
作品の味わい方は当然として、北斎の人となりについても、
まだまだ、知らないことが多い。
ここでは、永田正慈氏の「葛飾北斎」を中心に、少し整理していく。
しかし、葛飾北斎の凄さは、
「七十三歳にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に
八十六歳にしては益々進み九十歳にしてなおその奥意を極め
百歳にして正に神妙ならんか百有十歳にしては一点一格にして
生きるがごとくならん願わくは長寿の君子予が言の妄ならざる
を見たまうべし」と喝破する絵画への圧倒的な執着であろう。
65歳以上を高齢者と呼び、ある意味、社会から廃絶しようと
する現状で、個人的にも、学ぶべき点は多い。
1)好きな作品について
多くの人は、葛飾北斎を「富嶽三十六景」を描いた風景版画の浮世絵師
程度にしか認識していないようである。しかし、「富嶽三十六景」等の
結構知られている錦絵が描かれたのは、晩年の4年間に集中している。
むしろ、作品としての面白さを味わうのであれば、更に、視野を広げた
鑑賞が必要である。
しかしながら、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)
は、嵐の中遠景に見える富士山は、どっしりとした不動の富士であり、
波が押し寄せてくる瞬間をとらえた、鷹の爪のような波頭の迫力は
この作品の魅力でもある。
しかも良く見ると、荒れ狂う海の中、おしおくり船を必死に漕ぐ人々がおり、
拭き下げぼかしなど、版木ではなく摺師が水分の調整でぼかす、高度な
技術が必要な部分でもある。
現在の横浜本牧沖から富士を眺めた図。
更には、全国の有名な滝を描いた作品が好きである。独特の形態をした滝の
美しさは比類がない。更に、今後実施したい自己回帰の旅のこともあり、
興味のある作品である。
「諸国滝廻り」は、全8図からなり、江戸近郊にとどまらず日光、木曽の奥
や東海道筋筋の鈴鹿峠、吉野など諸国の名瀑を題材にしたものであり、山岳
信仰や阿弥陀や観音が祀られている滝など、信仰の対象となっている滝
が選ばれている。ただ、その土地を描いたというよりは、むしろ滝を通して
水の表現に挑んだ作品と言える。普通ではとらえがたい水という対象物を
自由自在に描き分ける北斎独自のデザイン力が素晴らしい。
これらの水表現は、北斎がそれ以前に手がけた「北斎漫画」や「新形小紋帳」
といったデザインの見本帳にその端緒を見ることができ、何年もかけて水と
いう対象物を研究してきた北斎の集大成の一つが「諸国滝廻り」であり、
個人的にも、「諸国瀧廻 り」の中の日光の「上野黒髪山きりふりの瀧」は、
この滝の特徴を良く捉えており、数百年前の同じ景観を味わうと言う点でも
興味がある。また、美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)は、貧しい
ながらも親孝行な樵(きこり)がこの水を年老いた父親に飲ませたところ
お酒に変わったと言う孝行息子の伝説を秘めた滝としても有名であり、現在
では、日本の滝百選や名水百選にも選ばれる名所でもある。
この作品は、空を濃紺にし、画面中央に正面切って直下落去する滝を見事
に描いており、「森羅万象尽くして描かざるはなき」と言われた北斎の水
表現は、流石です。
潮干狩図は、肉筆画でも、最高と思われる。
本図の女性は、文化年間後期以降の北斎美人画にしだいに顕著となる退廃的な
雰囲気、ちりちりとした独特の線質、やや歪んだ体躯の造形といった特徴が
まだ明らかではなく、健康な上品さを保っている。
三人のうちには眉をそり落とした年輩の女、桜の模様の小袖を着た年長の娘、
黒地の振り袖を着た若い娘と、衣装風俗に巧みに年齢差が表現されており、
裕な町方の母親と子どもたちが三月三日の潮干狩に興じる様子を表した
ものの様である。
女たちを含めた右側の人物群が一様に砂の上の貝に注意を向け、左側の
少年たちは砂を掘る手元に関心を集中することにより画面に緊張感が
もたらされている。
肉筆画が版画とは異なり、個人による注文制作であった可能性がある。
更に、本図のもうひとつの特徴は、当時司馬江漢等によって喧伝された
新しい洋風画の技法を学んだ広大な風景表現である。
濃い青色の空、山々からわき上がるような白いちぎれ雲、青色と灰色
で表される遠山といった遠景の描写にはとくに洋風画の技法の影響が
強くみられる。本図は、北斎の美人画、風俗表現および風景表現の特質
が融合した希有な作例である。
「北斎花鳥画集」は、その構図や表現方法で、ただ、花と鳥を描写する
だけでなく、自然の中での風・空気・時間までを表現しようとしている。
静止した瞬間をとらえた図と風で動いている一瞬を描写した図の二種類
があり、その計算され尽くされた構図は、北斎ならではの世界であり、
描線の一本一本にも細かな精神が行き届いている。11図あるようで
あるが、その構図を他の、例えば、富嶽三十六景など、絵と比べると
似たような手法も多く、中々に、楽しい。
千絵の千絵の海について
葛飾北斎の場合は、広重の目指した名所絵を描くこととは、基本的なスタンスが
が違う。富嶽三十六景でも、この千絵の海でも、対象物を気象、季節、
その視点などの様々な条件下で、捉え、その都度、異なる情景を描き出そう
としている。
千絵の海は、全10図あるが、変幻する水とともに漁にいそしむ人々の姿が
いきいきと描かれている。 特に私の好きなのは、「総州銚子
(そうしゅうちょうし)」で、岩場に打ち上げられ、砕け散る波しぶきが
大変ダイナミックに描かれているのが良い。
激しくぶつかって砕ける波の表現。細かい飛沫、波の勢いに負けないよう、
船上の人々は力一杯櫂をこいでいる。押し送り船と呼ばれる漕帆両用の小型船。
漁獲された鮮魚を江戸へ高速で輸送するために用いられたとのこと。
難易度の高いぼかしは摺師の腕の見せどころ。このぼかしによって、
水の深さや広さが見事に表現されている。
その略歴と作品概観
1)勝川春章への入門
多くの人は、その名前を知らない人であるが、しかし、浮世絵の世界では、
欠くことの出来ない名手である。
ただ、錦絵が完成されてから活躍した6人の浮世絵師には、入っていない。
鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重の6人。
まずは、勝川春朗(しゅんろう)として、デビューした。
作品的には、あまり個性的な特徴がない、といわれている。
また、密かに狩野派の画法を学んでいると師匠に疑われ、破門される。
2)宗理の時代
勝川派から独立し、狂歌の世界と深く結びつきながら、宗理様式と呼ばれる
独自の画風を挿絵、肉筆画などに残した。
ただ、全体としては、狂歌絵本の挿絵や摺物が重点となって行く。
ここで、作品概要について、少しまとめる。
①読本挿絵  物語について挿絵の効果は大きく、その数量も多い。
「新編水滸伝」「増補浮世絵類考」「七福神図」などがある。
この読本挿絵は、「増補浮世絵類考」に代表されるが北斎の業績
としては、大きい。「椿説弓張月」は、滝沢馬琴との連携で29冊を
書き上げた。
②摺物、狂歌絵本の挿絵  狂歌との連動
「七里ヶ浜図」「画本東都遊」「美やこ登里」「潮来絶句集」などがある。
狂歌絵本としては、「画本狂歌 山満多山」があるが、
「絵本隅田川両岸一覧」は、全図が鮮やかな彩色摺で、宗理様式の風俗
描写が見事な作品である。
摺物では、「休茶屋」「春興五十三駄之内」「狂歌師像集(美人画集
のようなもの)」 
宗理美人と呼ばれる清楚な雰囲気の美人が特徴。
③肉筆画 
宗理時代には、②と③が多くなっているが、画狂人という号を
使い始めた頃から三美人図などの肉筆画が多くなってきた。
「見立三番 風俗三美人図」「魚貝図」など
④黄表紙挿絵
草草紙の1つであり、流行した通俗的な絵入り読み物の総称。
「金々先生栄花夢」などの洒落本を中心に展開していく。
⑤錦絵   非常に少ない
なお、北斎は、妙見菩薩という北極星を神格化した熱心な信仰者
であり、その作画活動のエネルギーであった。 
また、「画狂人」という号を使い始める。  
北斎は、その揃物でも、東海道揃物を7種類ほど出しており、
東海道に対しては、多作であった。
注目される摺物錦絵がある。
洋風表現を取り入れた風景画。
「江ノ島図」「「賀奈川沖本杢(ほんもく)之図」がある。
これらには、板ぼかしと呼ばれるぼかし手法が多用され、大胆な
表現となっている。これは、後の「富嶽三十六景」へとつながる。
3)文化中期の時代
肉筆画が多くなる。
「二美人図」は宗理様式の美人図として、随一の傑作と言われている。
「獅子図」は、墨絵で、一気に描かれた。
肉筆画の代表作品としては、「潮干狩図」で、唯一の重要文化財に
指定されている。これは、潮の引いた砂浜で、大人や子供がいる光景
を違和感のない透視図法で、伊豆の山並や富士山を遠望している。
ほかにも、多様な手法が使われており、近景は、宗元画の漢画描法、
遠景は、油彩画手法で描かれている。
また、この頃、絵手本「北斎漫画」の初版を出す。
絵手本とは、画様式や技法をマスターするための指針であり、
多くは、特定の絵師や弟子のためにだけで肉筆で描いた。
しかし、北斎の場合は、門人や地方の支援者の習作のために、
また、葛飾派の画風を普及させるために、作成した。
北斎漫画は、10編に追加の5編がある。
なお、略画式の「紅毛雑話」では、鳥、動植物、虫、魚など
掲載もしている。
錦絵では、「東海道名所一覧「木曾名所一覧」「江戸一覧」
などを俯瞰図の形で、宿場の町並み、細かな人物までを
描いている。
4)錦絵の時代
1830年からの4年間がこの時代と考えられている。
「画狂老人」の号をこの前後から使っている。
しかし、「富嶽三十六景」等の風景版画や多くの錦絵がこの時代に
描かれている。
主な錦絵の分類
・風景画(富嶽三十六景)
・名所絵(江戸八景)
・俯瞰図(百橋一覧図)
・古典画(詩歌 写真鏡)
・花鳥図(百合、芙蓉に雀)
・武者絵
・化け物絵
・雑画
・玩具絵など
特に、「富嶽三十六景」は、広重の東海道に比して、大きく違うのは、
富士と言う対象物を気象、季節、視点など様々な条件下で、捕らえ、
その都度、異なる山容の表情に最大の興味を持っていることにある。
これは、同時期に描かれた、
①千絵の海
各地の漁撈を画題とした錦絵。変幻自在する水の表情と漁業に
たずさわる人が織り成す景趣が描かれている。全12図。
既に、無くなった漁労の風景が生き生きと描かれており、古き
日本の風物詩が語れている。
②諸国滝まわり
落下する水の表情を趣旨として全国の有名な滝を描いた。全8図。
相州大山ろうべんの滝(神奈川県伊勢原市大山の滝)
東海道坂の下清流くわんおん(三重県亀山市関町坂下)
美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)
木曽路の奥阿弥陀の滝(岐阜県郡上市白鳥町、日本の滝百選。白山の参拝)
木曽海道小野の瀑布(長野県木曽郡上松町、現存)
和州吉野義経馬洗い滝(奈良県吉野郡あたり、滝はなし)
下野黒髪山きりふりの滝(日光市、現在は日光3名滝)
東郡葵ケ岡の滝(東京、赤坂溜池)
③諸国名橋奇覧
全国の珍しい橋を画題とした11図。
摂州安治川の天保山(大阪、天保山)
足利行道山くものかけ橋(足利の行道山)
すほうの国きんたい橋(山口県の錦帯橋)
越前ふくいの橋(九十九橋、福井市)
摂州天満橋(大阪天満橋)
飛越の堺つりはし(飛騨と越中の国境)
かうつけ佐野ふなはし古図(群馬県佐野市)
東海道岡崎矢はぎのはし(三河の岡崎)
かめいど天神たいこばし(亀戸)
山浅あらし山吐月橋(京都嵐山渡月橋)
等にもいえる。
5)晩年
北斎の作画に対する気概。
「己6歳より物の形を」写す癖ありて半百のころよりしばしば
画図を顕すといへども七十年前描く所は実に取り足るものなしに
七十三歳にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に
八十六歳にしては益々進み九十歳にしてなおその奥意を極め
百歳にして正に神妙ならんか百有十歳にしては一点一格にして
生きるがごとくならん願わくは長寿の君子予が言の妄ならざる
を見たまうべし
八〇歳を超えてからは、動植物や宗教色の強い内容、古事古典などを
描くようになった。
肉筆画の手本となるような「肉筆画帖」を製作している。
また、絵手本では、「画本彩色通」によって、今までに修得した作画
への知識の全てを開陳しようとした。
動植物や文様、西洋と尾東洋の明暗法等の描写法、泥絵、硝子絵、
油彩画の絵の具の調合法など当時としては、秘密にすべき内容を
解説まで加えている。
最後の大作「須佐之男命厄神退治之図」「弘法大師修法図」の
2つを描いている。
辞世の句
「飛(ひ)と魂(たま)でゆくきさんじゃ夏の原」


「旅への誘い」

「旅」、日常から非日常への転換、内面の顕現化、日頃の自分では、
無意識に過ごす瞬間を意識化し、あらためて自分を見直す。
これを体系的、定量化した手法がポジティブ心理学の1つでもある。
政治、経済、社会、技術の圧倒的な進化、深化が各人を包み込み、
不安と恐怖の昨今である。そして、それを誰も制御できない。
このような時代に、「旅」は、個人、団体、社会にも大きな影響を
与え、各人の行動の再考、更に各地での観光ビジネスの活性化など、
社会へ好循環のエネルギーを与える。
まずは、行動やその想いの強さから、松尾芭蕉、柳田國男を少し
深堀し、自分の想いへの参考としたい。
1)松尾芭蕉の場合、
松尾芭蕉は、旅の人である。
一鉢一杖、一所不在、正に世捨て人のなりわいの如くであったとのこと。
松尾芭蕉が、このような長旅と困難なことを実行したのか?
彼にとって、旅とはその人生にどんな意味を持つのか?
これを理解し、自分の血と肉とすべきは、己の使命でもあり、避けて
通れない課題でもある。
「おくのほそ道」に、
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也。
船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ゆる
者は、日々旅して、旅を棲とす。古人も多く旅に死せるあり。
予も、いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思い
やまず、海浜をさすらいて、、、、」。
この旅に出る根本動機について書き出している。
松尾芭蕉の旅の哲学がそこにある。
旅の中に、生涯を送り、旅に死ぬことは、宇宙の根本原理に
基づく最も純粋な生き方であり、最も純粋なことばである詩は、
最も、純粋な生き方の中から生まれる。多くの風雅な先人たち
は、いずれその生を旅の途中に終えている。
旅は、また、松尾芭蕉にとって、自身の哲学の実践と同時に、
のれがたい宿命でもあった。
「旅」の理念、日本の伝統的詩精神を極めて、「旅」こそ詩人の
在り方と心に誓い、一鉢一杖、一所不在、尊敬する西行の
庵生活すら一所定住ではないかと思いつめのも彼である。
よれよれの紙衣を見て、「侘つくしたる侘人、われさえ哀れに
覚えける」と言っている。
松尾芭蕉としての気概がここにある。
2)柳田國男の場合、
柳田國男は、東北を中心に、その地域の生活風情を描いている。
柳田にとって旅とは、一体何であったのだろう。
柳田は「旅は本を読むのと同じである」(以下は、「青年と学問」
からの引用がベース)といっている。
さらに、「雪国の春」の序文は、十分に理解しておくべきことである。
「初めて文字と言うものの存在を知った人々が、新たなる符号を
通して、異国の民の心の隅々まで覗うは容易な技ではない。ことに
島に住む者の想像には限りがあった。本来の生活ぶりにも少なからぬ
差別があった。それにも関わらずわずかなる往来の末に、たちまちにして
彼らが美しいといい、あわれと思うすべてを会得したのみか、
さらに、同じ技巧を借りて自身のうちにあるものを、いろどり形づくり
説き現すことを得たのは、当代においても、なお異教と称すべき慧眼
である。かねて風土の住民の上に働いていた作用のたまたま双方に
共通なるものが多かった結果、いわば、未見の友の如くにやすやす
と来たり近づくことが出来たと見るほか、通例の文化模倣の法則
ばかりでは、実はその理由を説明することが難しいのである。」
旅はその土地のことばや考え、心持ちなどを知ることであり、文字
以外の記録から過去を知ることであるともいっている。
「青年と学問」におさめられた講演のなかで柳田は、人の文章(文字)
や語り(無文字)から真に必要なものを読み取る能力を鍛えろと、
青年たちに訴えている。人の一生はしれている。
その限りある時間を有益に使えといっている。
柳田は見ること、聞くこと、読むことを同一線上でとらえている。
作家にとっては、その五感を鋭敏にすることは、大事であるが、
柳田の場合は、それらを媒介しているのはことばであり、ことば
を媒介としてあらゆる事象を読み取ろうとする。
それは、本を読むように風景を見、人と語る。
「タビ」という日本語はあるいはタマワルと語源が一つで、人の給与
をあてにしてある点が、物貰いなどと一つであったのではないかと思われる。
 漂白と定住、逃散と定着、村を追い出される者、出ていく者、あるいは
諸国を歩く遊行僧、旅芸人、木地師など、移動を余儀なくされる者の
心持が、すなわち「タビ」であったと思われる。
多くの人にとって、「タビ」は、すなわち生きることと直結していたの
である。見ず知らずの者に屋根を与え、火を囲み、事情や他国
の話を聞くなかで、「タビ」が新たな関係を生んでいく。
特に、東北の生活の厳しさは、これらを熟成していく土壌がある。
人生は旅だといい、死に装束も旅姿である。「タビ」は、わたしたち
のこころのなかを貫いているのである。
柳田は「日本人の結合力というものは、孤立の淋しさからきている」
として、この人の情(友だち)や、結びつき(群れ)の研究の必要性
を説いていた(「柳田國男対談集」より)。
「北国紀行」に集録されている「旅行の話」のなかでも、柳田は旅の心構え
や聞き取りの仕方について細かく触れている。
松尾芭蕉は、「旅の中に、生涯を送り、旅に死ぬことは、宇宙の根本原理に
基づく最も純粋な生き方」と喝破している。その意味では、松尾も柳田も、
基本は同じである。
3)私にとっての「旅」とは、
まずは、ほぼ同じ歳の退職老人が、1000kmを歩き通す、
ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅、と言う小説がある。
昔お世話になった女性が、ガンになった、と言う手紙が届いたところから
それは、始まる。登場人物は、ハロルドとその妻、そして自殺した息子の
影、ガンの女性、隣人の老人であるが、イギリスの初夏の風景と途中で
行合う人々の交流が、きめ細やかに書かれている。歩くと言う行為の中に、
自身と人間の真の姿を見出し、息子への負い目、ガンになった女性への
償い、妻との心の大きな溝を自然が癒して行く。子供時代のその不遇な
環境と生い立ちから、目立たない人生を生きてきた人間が、ガンで生死
の境にある女性に、昔の償いを果たさねばならない、と言う強い気持ち
が、途中の挫折したいと言う気持ちをも乗り越えさせ、肉体的にも、
絶体絶命の状況を乗り越えさせた、それは、なんなのだろうか。
心情的には、凄く納得観のある作品である。
自分にも、「旅」に、求めるべき、そして、残った人生への回答が
あるのでは、ないかという大いなる期待が出てきた。
その一文より、
「人生という名のジグソーパズルのピースは最終的に全て捨て去られる
運命にあるのか?そんなものは結局無に帰してしまったというのか?
ハロルドは今わが身の無力さを思い知らされ、その重さに耐えかねて
気持ちが沈むのを感じていた。手紙を出すだけでは、足りない。
今の状態を変える方法がきっとあるはずだ。
そして、徐々に高まる心の変化、その昂揚感。
小さな雲の塊があたりにいくつもの影を落としながら走りすぎて行く。
彼方の丘陵地にさす光はすすけている。夕闇のせいではなく、前方に
横たわる広い空間のせいだ。ハロルドは頭の中で、イングランドの
最北端でまどろむクィーニーと南端の電話ボックスにいる自分、
そして、その中間にあるはずの、彼の知らない、だから想像する
しかないたくさんのものを思い描いた。道路、畑、川、荒野、そして、
大勢の人間。そのすべてに出会い、通り過ぎるだろう。ジックリと考えている
必要など毛頭ない。理屈をつける必要もない。その決断は、思いつく
と同時にやって来た。その明快さにハロルドは、声をあげて笑った。」
ここ1年ほど、心にわだかまっていた影が、明確な形で姿を現した。
今までの60年以上の生きて来た中での、自身の想いと行動を
赤裸々に、自身に映し出すことにより、虚像と実像は、明確に
分離され、新たなる実像への、何もない自分を知った。
多くの人がそうである様に、過去に自身を埋め、僅か数年先
にも、何も期待しない自分がある。縮退する心は止めどなく、
縮退するのだ。
そして、気が付いた、俺はこのまま老醜となり、朽ちたくない。
残された時間は、大分少なくなったが、現在までの自分から
決別し、新しい自分探し、残された時間と新しい心で、最後の
ステージに乗るべきではないのか。
松尾芭蕉、柳田國男、を見習うことは出来ない。
しかし、「旅」が単なる物見遊山の行動ではなく、自身の
強い想いの結果であることでは、松尾、柳田に引けはとらない。



「旅するもの、松尾芭蕉」
松尾芭蕉は、旅の人である。
東北を中心に、関西までその足を進めている。
しかも、一鉢一杖、一所不在、正に世捨て人のなりわいの
如くであったとのこと。
松尾芭蕉が、このような長旅と困難なことを実行したのか?
彼にとって、旅とはその人生にどんな意味を持つのか?
私自身の旅への強い想いもあり、「おくのほそ道」「野ざらし紀行」
等からその一端を掴みたい。
1)「おくのほそ道」より
まずは、
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也。
船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ゆる
者は、日々旅して、旅を棲とす。古人も多く旅に死せるあり。
予も、いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思い
やまず、海浜をさすらいて、、、、」。
この旅に出る根本動悸について書き出している。
松尾芭蕉の旅の哲学がそこにある。
旅の中に、生涯を送り、旅に死ぬことは、宇宙の根本原理に
基づく最も純粋な生き方であり、最も純粋なことばである詩は、
最も、純粋な生き方の中から生まれる。多くの風雅な先人たち
は、いずれその生を旅の途中に終えている。
旅は、また、松尾芭蕉にとって、自身の哲学の実践と同時に、
のれがたい宿命でもあった。
「予も、いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思い
やまず、海浜をさすらいて、、、、」とあるが、旅にとり付かれた
己の人生に対する自嘲の念でもある。

また、唐津順三も、「日本の心」での指摘では、
「竿の小文(おいのこぶみ)」「幻住庵記」にある「この一筋」、
様々な人生経路や彷徨の後、「終に無能無才にしてこの一筋に
つながる」として選び取った俳諧の画風に己が生きる道を
見出しながらも、その己における在り方には、まだ不安定ものがあった。
「野ざらし」以後の「旅」の理念、日本の伝統的詩精神を
極めて、「旅」こそ詩人の在り方と心に誓い、一鉢一杖、一所不在、
尊敬する西行の庵生活すらなお束の間の一所定住ではないかと
思いつめた旅人芭蕉にも、ふいと心をかすめる片雲があった,
はずである。
野ざらしを心にして旅に出て以来、殊に大垣を経て名古屋に入るとき、
己が破れ笠、よれよれの紙衣を見て、「侘つくしたる侘人、われさえ
哀れに覚えける」と言って、「狂句木枯らしの身は竹斎に似たるかな」
の字余りの句を得て以来、芭蕉は、つねにおのが「狂気の世界」を
見出したという自信を持った。
松尾芭蕉としての気概がここにある。
2)「野ざらし紀行」より、
貞享元年(1684)8月、松尾芭蕉は初めての旅に出る。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」
と詠んで、西行を胸に秘め、東海道の西の歌枕をたずねた。
「野ざらしを」の句は最初の芭蕉秀句であろう。
「野ざらし」とは骸骨である。骸(むくろ)である。
「しむ身」は季語「身にしむ」を入れ替えて動かしたもので、
それを「心に風のしむ身かな」と詠んで、心敬の「冷え寂び」
に一歩近づく風情とした。
「野ざらしを心に」「心に風の」「風のしむ身かな」という
ふうに、句意と言葉と律動がぴったりとつながっている。
この発句で、松尾芭蕉は自分がはっきりと位をとったことが見えたに
ちがいない。
「野ざらし紀行」は9カ月にわたった。伊勢参宮ののちいったん伊賀
上野に寄って、それから大和・当麻寺・吉野をまわり、さらに京都・
近江路から美濃大垣・桑名・熱田と来て、また伊賀上野で越年し、
そこから奈良・大津・木曽路をへて江戸に戻っている。
この旅で松尾芭蕉はついに「風雅の技法」を身につけた。
まるで魔法のように身につけた。
例えば、
道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
秋風や薮も畠も不破の関
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
春なれや名もなき山の薄霞
水とりや氷の僧の沓(くつ)の音
山路来てなにやらゆかしすみれ草
辛崎の松は花より朧にて
海くれて鴨のこゑほのかに白し
とくに「道のべの木槿は馬にくはれけり」「明ぼのやしら
魚しろきこと一寸」
「辛崎の松は花より朧にて」「海くれて鴨のこゑほのかに白し」
の句は、これまでの芭蕉秀句選抜では、つねに上位にあげられる名作だ。
そういう句が9カ月の旅のなかで、一気に噴き出たのである。
しかし、ここで注目しなければならないのは、これらの句は、
それぞれ存分な推敲の果てに得た句であったという。
例えば、劇的な例もある。有名な「山路来てなにやらゆかしすみれ草」。
これを初案・後案・成案の順に見ていくと、
(初)何とはなしに なにやら床し すみれ草
(後)何となく 何やら床し すみれ草
(成)山路来てなにやらゆかしすみれ草<
このあとの「笈の小文」の旅が約半年、更科紀行が足掛け3カ月、
奥の細道が半年を超えた。芭蕉はそのたびに充実していった。
いや、頂点にのぼりつめていく。
これは高悟帰俗というものだ。「高く悟りて俗に帰るべし」。
それから半年もたたぬうちに、芭蕉は奥の細道の旅に出る。これはそうとうの
速断である。速いだけでなく、何かを十全に覚悟もしている。



「日本文化短描」

日本文化、様々な分野、活動があるものの、以下の3例を参考にその姿を
自分で考えてもらいたい。
1.ドナルド・キーンの想い。
日本文化への想いを感じ、各人も一考して欲しい。
「その起源は、室町時代の足利義政の美的趣味から始まっているが、
日本人は、過去の歴史や慣習を簡単に手放してしまった。日本の文化は世界の
勝者となったが、戦後までの風景、情景を今ではほとんど思い出されない。
しかし、私は古典からは得られない日本の姿を現代の視点で見る事を学んだ。
グローバル化が進む中、日本文化は世界に何を貢献できるのだろうか考えたい。
高齢化、機械化が進み、膨大な余暇を手にした人類の未来には、日本の第二芸術と
言われるものが役立つと考える。素人が参加できる第二芸術が日本では非常に豊かに
育まれている。
格式のある家元制度から地域の集まりまで、多種多様な組織が共存し、老若男女が
研鑽を積みあう世界である。
それが日本の美意識を支えてきた。
能、文楽、歌舞伎のファンが増え、茶道、華道、書道など、日本人の向上心の源
である「道」は、世界へ広がる。このような第二芸術は、一般人に育てられ
広く日本社会に受け入れられている。
2.茶道の四規七則 
七則とは、ある人が利休居士に「茶の湯の極意を教えて欲しい」と尋ねたのに
答えたもの。ところが、その答えが当たり前のことすぎたので「そんなことは
誰でも知っています」というと、利休居士は「この心に適う茶ができるのであれば、
あなたの弟子になりましょう」と言われたとのこと。
「茶道裏千家淡交会 会員のしおり」より
四規
 和敬清寂
七則
 茶は服のよきように点て、炭は湯に沸くように置き、冬は暖に夏は涼しく、
 花は野の花のように生け、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ

 茶には「和」という根本理念が流れています。それは、茶人たるものは腹を立てない
とか、仲良くするべきだとかいった表面的なことのみならず、己の心の和、道具の取り
合わせの和、席中相客の和が合わさってこそ、心の乱れのない点前ができる。
また、人の心の和とは禅の悟りの境地を表すものであり、この普遍なる価値を有する
和は、茶の修道においても、主客、師弟のそれぞれの立場で真に求められるもの。

 人を敬い、自らを慎むこと。お互いが慎みあい、敬い合うことがなければ、どんな茶
事や茶会でも自己満足で終わってしまう。上へへつらうことなく、下には丁重に
接することで敬し敬される関係が生まれる。

 清らかであること。例えば、茶室に入る前には、必ず手水鉢で手を洗い口を漱ぎます
が、それは単に目に見える汚れを洗い流すばかりではなく、手水の水には心身を清める
という意味が込められている。日々の掃除を怠らず、身体を洗い清めるということは、
同時に内からも清めているのだという気持ちを大切にする事になる。

 寂、すなわち静かでなにものにも乱されることがない不動心を表している。
客は静かに心を落ち着けて席入りし、床の前に進む。軸を拝見しそこに書かれた語に
よって心を静め、香をかぎ花を愛で、釜の松風を聴く。
そして感謝を込めてお茶をいただく。まさに自然と同化することによって寂の心境に至
る。
茶は服のよきよう点て、
 「服のよき」とは差し上げる相手が飲みやすいように、適度な湯加減と茶の分量でお
茶を点てるということ。形通りに点てても心がこもっていなければ何にもならない。
主客の直心の交わりがあって初めて本当の意味での「服のよき」お茶が供される。
冬は暖に夏は涼しく、
「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにも暖かなるように」という、「いかにも
~ように」という心映えを生かした工夫が求められる。茶事も夏なら朝の涼しい
内に催し、茶室の中、露地、道具の取り合わせに様々な配慮がなされ、自然に融和し、
四季の移ろいの偉大な恵みを主客ともに分かち合う気持ちの中からさりげない気遣い
が生かされてくる。
花は野の花のように生け、
 茶花は自然にあるがままを茶室に移し生けます。ことさらに技巧は加えません。
一輪の花であってもその花が自然から与えられている全生命を生けると
いう心が大切。
相客に心せよ
お茶を介して同席するお客様への心遣いのこと。亭主から客だけでなく、正客は次
客の、連客はお詰の、それぞれの立場を考えて動作することが大切であり、そうして
初めて和やかな茶席の雰囲気が醸成されていく。

3.薬師如来像から見えるもの
どんな宗教でも、それが一般民衆に受け入れられるには、何らかの現世利益
的信仰の形が必要となる。人間の悟りの境地を最終目的とする仏教においても、
一般民衆をその振興に導くための方便として、様々な現世利益を
与える仏が出現して、その信仰を集めてきた。
薬師如来は、それの代表として、広く信仰を集めてきた。
日本でも、観世音菩薩がまず、信仰され、その後、教理的な位置付けとしては、
あまりされていないが、曼荼羅図にも描かれる薬師如来が広く一般民衆の
信仰の対象となっていく。
最初は、7世紀ごろ、法隆寺の金堂像として、造立される。
旧いものでは、奈良法輪寺、京都神護寺にある。
戦前の日本では、功利主義や実用主義はほとんど思想として認められていなかった。
しかし、功利主義などを公の価値から排除することが薬師如来の評価
する場合には重要となる。
すなわち、この薬師如来崇拝からは、日本人の「合理的実利精神が明確となる。
その具体的な事実として、「比叡山延暦寺の本尊が、「薬師如来」であるという
ことを考える必要がある。そこには、日本文化の雑種的混合的な性格とその雑種性
混合性を統一するものが、現世利益の精神と思われる。
その人気の点では、現世に対する絶望と死に対する不安から、阿弥陀如来と
なって行くが、やはり現世利益の薬師如来が一般民衆では、本尊とかんがえられ、
現世での薬師如来、来世での阿弥陀如来の二元崇拝となって行く。
しかし、法然、親鸞により、薬師による現世利益崇拝が主となる。
親鸞に、現世利益和讃と言うのがある。
 南無阿弥陀をとなれば
 この世の利益きはもなし
 流転輪廻のつみきえて
 定業中夭のぞこりぬ
 南無阿弥陀仏をとなえれば
 十万無量の諸仏は
 百重千重囲適して
 よろこびまもりたまうなり
要は、南無妙法蓮華経と唱えれば、この世においても幸福を得ることが出来る。

自身のセンスアップ

「自身の想い、考えを論理的にまとめるセンス」

会社の規模に関係なく、ビジネス対応の中では、論理的な考え、行動が
必要とされるが、物事を筋道立てて考えるコトは少なからず、発想の
強化とその訓練、そして、絶えずそれを意識するセンスが必要と思う。
企業人として、社会人として、自身の考え、想いを相手に分かり易く
伝えることは、己の大きな資産でもある。コレは、中小企業のビジネス支援
の中でも、強く感じる。
ロジカルシンキングはその大きな1つであり、そのセンス、スキルを身に
つけると、物事を論理的に、体系だてて考えられるようになるため、
全体像が把握しやすくなり、相手にもわかりやすく伝えられるようになる。
コレは、ビジネスだけではなく、地域活動の中でも、重要なはずであるが、
多くの活動の中で、まだまだ、と言う感は逃れられない。
1.基本的なスタンス
社会の変化が急激な中、「当たり前が変わる」時でもある。「当たり前と思わない」
ことが一番肝要な態度かもしれない。考えるセンスが必要である。
自分の中でものごとを組み立て、意味のつながりや事実の関連を見つけたり
(論理力)、新たな問題を発見したり(発想力)、それをどう解決するかを見つけたり
(問題解決力)、何々はきっとこうなるのではないかと予測したり(推理力)、
何かを構想したり(構想力)等々することである。
そこで必要なのは、知っていることや、当たり前のことを当てはめている限り、
思考は、自分にとって必要ではない。良く言われるロジカルシンキングの活用
の前に自身の「当たり前の発想」を変えて欲しいものである。 
1)意識を観念化しない
良く人の行動を制限するものに「意識の壁、知識の壁、行動の壁」の3つが
あると言われている。そして、「意識の壁」として、
①固定化(自身のことしか見ない) 自分の見方(知識・経験)を絶対と思う
②偏食化(自身のことしか見えない)過去の経験的な行動に頼り、その価値を色眼鏡化
③単眼化(1つ見えたことですべてと見なす)たまたまの結果が全てと思う
これらの罠に落ちないために以下のスタンスを取ることが必要である。
・他にも対応策があると思う(正解はひとつではない)
・自身の経験、知識は不十分と思う(知識、情報を広く感じる)
・見えないことへの配慮(見えている事象にのみ囚われない)
特に、中小企業のビジネススタンスでは、注意すべきことかもしれない。 
2)考えを多様化するセンス
「多様な意見は何故正しいのか」の本にもあるとおり、集合知の効果を上げるには、
人々の多様さが重要といわれている。コレは、自身の考えをまとめる上でも
同じである。
①視点(立場)を変える
いまの位置・立場そのままでなく、相手の立場、他人の視点、子供の視点、
過去からの視点、未来からの視点、等々
②見かけ(外観)を変える
見えている形・大きさ・構造のままに見ない。大きくしたり小さくしたり、
分けたり合わせたり、伸ばしたり縮めたり、早くしたり遅くしたり、
前後上下を変えたり等 々
③意味(価値)を変える
分かっている常識・知識のままに見ない。別の意味、裏の意味、逆の価値、
具体化したり抽象化したり、まとめたりわけたり、喩えたり等々
④条件(状況)を変える
「いま」「ここ」だけでのピンポイントでなく、5年後、10年後、更なる未来、
あるいは5年前、10年前等々
「変える」とは、それを意識してみるという意味である。
例えば、「視点を変える」「視点を意識してみる」とは、「~と見た」とき、
「いま自分は,どういう視点・立場からみたのか」と振り返ってみるということだ。
特に、ビジネスの場合、まだまだ「顧客の立場で見たらどうなるか」等々。 
コレは、他の3つも同じである。
2.「考える」ための基本スキル
1)「分ける」コト
人間の考える範囲は、限定的である。そのため、「考える」ことを効果的に進めるには
「分ける」行為が重要となる。
今見えているカタチ、いまある意味、いまある条件、いまある構造、いま
ある位置関係等々を分解することで、新しい関係づけを見つけるコトが容易になる。
①ツリーに分ける 垂直分解(系統図、機能分解、目的・手段)、水平分解(役割区分)
②フローに分ける 流れのパターン(時系列、因果関係、起承転結)
③配置に分ける  位置関係、配置関係等々パースペクティブ(遠近法)の関係
④構造に分ける  組成関係、骨格構造等々立体的関係
⑤状況に分ける  5W1H(ヒト・モノ・カネ)
やや大雑把になる中小企業の対応では、ビジネス強化として、考える必要がある。
「分ける」をチェックする目安は、
・もう少し細かくならないか
・もう分けられないか
・他の分け方はできないか
・何か前提にしていないか
・見落とし,ヌケはないか
・似た事例をベースに上記の項目を見直してみる
2)グルーピング
「グルーピング」は,バラバラになった情報、バラバラにした情報の中に、意味
のある「つながり」を見つけて、あらためて新しい基準(共通点)で、
まとめることにある。
いずれにしても、共通点があるのは、似ているから「共通点」が見つかるのでは
なく、「共通点」を見つけるから似ているのである。両者はつながるのではなく
つなげる。共通点は創り出すものなのである。
「グルーピング」をチェックする目安は、
・似たところはないかと考えてみる(まずは、共通点を適当に仮説化)
・違いはどこにあるか、を考える。似ても似つかないものはどれか、
を考えるのも一つ。
・別に言い換え(置き換え)られないか
・両者に関係づけられるものはないか、無関係なものはないか
・両者をそれぞれ別のモノ(似たもの、関係あるもの)に置き換えてみる
・それぞれを由来・背景・根拠・理由に遡ってみる
・似た事例をベースに上記の項目を見直してみる
新規事業を開発する場合、業種の定義や提供を別種にし直したりすることで、従来
と異なる市場を発見することが多々ある。例えば、「クロネコヤマト宅配便」は、
従来の郵便事業の定義をし直したものであり、「スターバックス」は、単なる
コーヒーを飲むと言うビジネス定義から「楽しい空間提供」と言う定義に
変えたことにより、新しい顧客を開発したものである。
最近は、元気のある中小企業経営者でも、このような発想が出てきている。
3)組み合わせ
「組み合わせ」は、異質の分野のもの、異なるレベルのものを組み合わせることで
新しい全体像を見つけ出す。全体だけでなく、その一部分同士からも新しい
組み合わせを見つける。
例えば、最近脚光を浴びている「3Dプリンター」は、Webの世界とリアルの世界を
上手く組み合わせて行くビジネスである。ディジタルコンテンツとしてのモノ作りの
データを実際の形に創っていくことで、これからの社会に大きな変化をもたらして
行く。また、ipodに代表される様な音楽配信サービスは、インターネットの
広さとディジタルコンテンツを上手く組み合わせたことによる。
コレは「組み合わせ」と言う考えが重要なポイントとなる。
中小企業でも、多くとは言えないが、異業種交流での他社との組み合わせで、
新しい製品を開発している事例もある。
3.ロジカルシンキング概要
ロジカルシンキングとは論理的(ロジカル)に考える(シンキング)ことであり、
行動への成功率を高め、確実に目標達成するために不可欠な思考法である。
1)なぜロジカルシンキングが必要なのか?
ロジカルシンキングしないと、モグラ叩き的な仕事、全体把握の欠如、失敗の繰り
返しがあり、経験、ノウハウの積み上げが難しい。
ロジカルシンキングを実施することにより、全体像の把握、体系的な思考、
最短距離の達成、確実な目標達成が可能となる。
従来から日本でロジカルシンキングが定着しないと言われているが、グローバル化
が進み、ビジネススピードで勝敗が決する時代となり、組織の目標、個人の目標
を論理的に展開する必要が出てきている。
例えば、ロジカルシンキングしない人には、以下の態度が多く見られる。
・やってみなければ分からない
・運が悪かった
・戦う相手が悪かった
・根拠無く他人のせいにするのが特徴
・どんぶり勘定的な判断
残念ながら、中小企業ビジネスでは、このような態度がまだ見受けられる。
2)どうすればロジカルシンキングが身につくか?
①まず全体像を把握する
・全体と部分の関係を把握し、構成要素の把握を行う。
・グランドデザインを明確にする
 グランドデザイン・・・全体構想、将来のあるべき姿
 グランドデザインの共有化を図り、意思統一を行う。
②目的と手段を区別する
 目的と手段を間違えたり、同一として考えている場合が結構多い様である。
 手段はあくまでも、どのように行うか?である。
 また、目標には、上位目的と下位目的があることを認識する。
 大目的と小目的を正確に認識し、目的と手段の混同原因としない。
③なぜなぜを考える
 原因究明なしで対策を考えない。
 成功や失敗の原因究明を絶えず行うことが重要である。
④情報整理法を身につける
 氾濫する情報の中で、ロジカルシンキングの基本は意識したとしても、
 的確な情報の入手と整理が大きな力を持つことになる。
 それには、キーワードで整理するコト、情報をグルーピングし、階層化
 して整理するコトが肝要である。

3)ロジカルシンキングの基本
①マクロからミクロに、まず全体を捉える
・ミッシー(MECE)の考え方をベースに、モレ無く、ダブリ無く把握する。
全体像把握にはMECEが効果的である。
・フレームワークを意識し、全体の構成要素の明確化を考える。
例えば、構成要素別分析、経営戦略のフレームワークとしての3C
(Customer,Company,Competitor)がある。
・モデル化して、単純明快に考える。
例えば、「ビジネスモデルジェネレーションキャンパス」などは有効である。
②既成概念の枠にとらわれない発想
コレには、ゼロベース思考(既成概念や常識にとらわれないゼロからの発想)、
オプション思考(解決策の選択肢、代替案を複数考える思考法)、ブレイン
ストーミング、マインドマップ手法などがある。
③情報整理の工夫
図解や図表を使って情報を整理する。
また、MECEを意識したツリー構造で、因果関係や大小関係を階層化する
「ロジックツリー」もその1つでもある。
一枚に情報を整理して全体像を把握する習慣化も有効である。
4)阻害要因
以下の点に配慮していく必要がある。
・過去の成功体験に酔いしれ、思考停止となる。
・失敗体験に囚われ、タブーを作る。
・mustとwantの区別が出来ない。
wantは望ましいコトであり、しなくても良い事でもある。
・過去の延長で思考することで、ワンパターン化、記憶に依存した判断をする。
また、ビジネス面に関わらず、自分が望む成果を得るためには、相手が望んでいる
ことを知り、期待する成果へと導くために、適切な伝え方をする必要がある。
相手が望む結果を得るための根拠を、漏れなく、抜けなく、わかりやすく
説明し、確実に成果が得られることを伝えるためのスキルとしても、
ロジカルシンキングは多いに活用出来るはずである。
是非、中小企業の組織、個人レベルでも更なる活用を進めてもらいたい。



「顧客理解とビジネスモデルゼネレーション的センスのアップ」
2年以上前から中小企業の新規ビジネスやWebサイト構築に、ビジネス
モデルゼネレーションキャンパスを使ったり、使うように支援して来た。
この手法は、9つのビジネス要素を参加者で討議しながら、全体を把握し、
各要素のシナジー的な動きを感じるのがポイントかもしれない。
この種の一覧性のマップ作りの重要な点は、メンバー間の意識化と共有化
にあるはずであり、その基本を認識するならば、様々な形に応用できる。
そのため、全社のビジネスモデルを再構築する、と言うような大きな行動
とは別に、自社のWebサイトをSEO的な手法ばかりではなく、
このマップ作りにより、サイトの見直し、再構築が結構有効でもあることは、
幾つかの中小企業のWebサイト構築からも分かった。
すべての組織はビジネスモデルを持っているはずであり、組織がどうやって
動いているかを書いたロジックでもある。しかし、中小企業では中々、
コレに答えられない場合が少なくない。自社の現在の事業をもう一度、
ビジネスモデルとして再認識するコトと自社の想定している顧客なるもの
を理解するセンスが必要ではないだろうか。
1.ビジネスモデルゼネレーションキャンパス
以下の9つの要素をベースとして、ビジュアルで絵みたいに書いて行く。
営業、総務、技術などの各部門のメンバーが参加し、ポストイットなどで、
話をしながら、ブレーンストーミング的な形で進めていくのが、良い
マップとなる。
①顧客セグメント
企業が関わろうとする顧客グループについて書き出す。
②与える価値
特定の顧客セグメントに向けて、顧客の望む価値を生み出す製品とサービス
について記述して行く。
③チャネル
顧客セグメントとどのようにコミュニケーションし、その価値を伝えていくのか
を記述する。
④顧客との関係
企業が特定の顧客セグメントに対してどのような種類の関係を結んでいるのかを記述。
⑤収入
企業が顧客セグメントから生み出す現金の流れを表現する。
⑥リソース
ビジネスモデルの実行に必要な資源、資産を記述する。
人材、モノ、お金、知的資産(IP、ブランド、技術)など必要なモノを書く。
⑦主要活動
企業がビジネスモデルを実行する上で必ず行わなければならない必要で重要な活動
を記述する。
⑧キーパートナー
ビジネスモデルを効果的に実現するためのサプライヤーとパートナーのネットワーク
について記述する。
⑨コスト構造
ビジネスモデルを運営するにあたって発生するすべてのコストを記述する。
以下の動画で見ると、もう少し理解が深まるかも。
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=06kKApxIsPA&list=PLymIFHb5jZpXs-bHnYe9i50nTePU">https://www.youtube.com/watch?v=06kKApxIsPA&list=PLymIFHb5jZpXs-bHnYe9i50nTePU
AiUUW&index=1</a>以上のようなワークの効果として、
・各要素のつながりから特に、将来の組織モデルの見える化が可能となる。
・活動を全体的に考え、細部へのこだわりが無意味であることを気付かせて
くれる(一覧性による全体把握センスの向上)
・支援者、仲間との共通言語とフレームワークを共有化出来る。
・ビジネスを必要プロセス毎に把握できるため、各部門の相互理解、支援が高まる。
2.「顧客を知る」ことのセンスアップ
ビジネスモデルゼネレーションキャンパスの作成時に、よく分からない?と言われる
のが、上記①の顧客セグメントの具体的な洗い出しである。「自社の顧客?」が
分かっている様で、実際は、良く理解しているとは言えない場合が結構多い様である。
1)顧客セグメント?
まずは、ブレーンストーミングなどを行い、想定している顧客セグメント(年齢、
性別、など)をすべて書き出す。更に、その中から幾つかの候補を選び、そのうちの
一つを使って顧客の具体的なイメージをまとめていく。
顧客にまず名前を付けて、性別、年齢、既婚かどうか、収入などの特徴を与える。
(他でもよく言われているペルソナ的なアプローチ)
まず、基本的な属性を定めることで、作業を進めていくうちでブレのないようにする。
それぞれの顧客イメージがずれないように、このような基本属性を定めることが重要と
なる。
2)何を見ているのか
顧客が日常生活をしている中で何を見ているのかを記述する。顧客が、どのような
環境に囲まれているのかを定め、職場、家庭、趣味仲間など、どのような提案
をしているのかをイメージする。
どのような友人がいて、どのような会話をしているのかを考え、どのようなタイプの
商品、サービスに日頃、触れているのかを考え、そこで、どのような問題に遭遇する
のかをイメージし、生活する中で自然に影響を受けそうなものを列挙していく。
3)何を聞き、感じているのか
「何を見ているのか」で書かれた環境の中にいる人たち、友人、配偶者、上司、
影響力あるメンバーが何を言っているのかを書き出す。誰がどのような発言を
して影響を与え、感じているのかを知るためのカテゴリーになる。
例えば、顧客属性を固めていくときに便利なのが雑誌であり、雑誌が細かく分けた
属性に対して記事を作成していることから、顧客の愛読誌を特定し、その雑誌の特集
をチェックしていくのは一つの手法でもある。
顧客の心の中で起こっていることを書きだし、感情を想像してみて、重要なことが
上手くいったとき、どんな感情を持つのか、その人の夢や願望を書き出せる。
4)どんな事を言い、どんな行動をしているのか
「何を見ているのか」「何を聞いているのか」「何を感じ、考えているか」を受けて、
その人がどのような行動をしているのかを知ることである。
5)顧客の得られるものは何か
本当に欲しいもの、必要としているものは何か?成功の基準をどこにおいていて、
どのようにして成功にたどり着こうとしているのかを考えてみるコトが上記②の
「顧客へ与える価値」となる。最終的に、顧客が何に対して価値を感じ、お金を払う
のかを理解するために必要となる。
3.ビジネスモデルゼネレーションキャンパスへのセンスアップ
事業を多角的視点で捉える「キャンバス」(マップ)を使い、既存事業のビジネス
モデル分析やビジネスモデル転換、新規事業のビジネスモデルデザインを行う。
1)顧客関係を起点としたプラットフォーム化
顧客との関係を起点としたビジネスモデル化については、単発の取引から継続した
関係の構築、さらには共創関係への顧客関係の変化を描くことが出来る。
こうした顧客関係の変革は近年、事業を安定させるためのビジネスモデル上の課題
となっており、ビジネスのプラットフォーム化についても考える。
2)新規事業と既存事業のビジネスモデル上のシナジー化
既存の企業で新規事業を立ち上げる際には、現業との関係が重要になる。また、新規
事業へ一貫性をもたせるためのビジネスモデルを考える。
3)収益モデルの構築と事業構造
ビジネスモデルの妥当性を検討する最終的なポイントは、その収益モデルにある。
適切な収益モデルなしにどのような事業も成立しない。収益モデルを変更すること
によるビジネスモデル変革について検討する必要がある。
4)ビジネスモデル変革のアプローチ
既存のビジネスモデルにイノベーションを起こすためのアプローチについて検討する。
新しいビジネスモデルを作るためには、業界にとって「常識」とされていることを
覆し、未来志向で新しいビジネスモデルを構想する必要がある。
組織を上手くビジネス的に整合するために、ビジネスモデルゼネレーションキャンパス
を大きくは、2つの視点で考えて行くコトが重要かもしれない。
右側のエリアでは、
まず「価値(VP:Value Propositions)」の要素を考えることが肝要である。
「新奇性」や「パフォーマンス」、「カスタマイゼーション」などビジネスが提供する
価値を考える。たとえば「外からネットで依頼すれば、事務所に戻らなくても請求書を
作成し発送できる」というサービスなら「場所に制約されない」という価値(VP)。
その様な価値(VP)を、誰のために創造し、提供するのか。それが顧客「CS(Customer
 Segments)」である。この点で、2項の「顧客を知る」ことは重要である。
さらに顧客(CS)と企業の関係「CR(Customer Relationships)」を考える。
企業は顧客を獲得し、維持し、販売を拡大するために、関係(CR)を構築することを
重視する。最近は、ユーザー同士が教え合ったり、情報を交換し合う場を提供する
「コミュニティ」がネットを活用して実現できるものとして、重視されている。
更に、価値(VP)を届けるために顧客(CS)とどのようにコミュニケーションするの
か、企業の顧客へのインタフェイスである「チャネル(CH:Channels)」が必要である

VPを中心にCS、CR、CHを考えてまとめていくと、自然に「収益の流れ(RS:Revenue
 Streams)」が見えてくる。右側のエリアは、「顧客との関係性」といったように
「価値」を考えるエリアになるはずである。
左側のエリアでは、エリアは価値(VP)を作り出し、実際にどのように提供していく
かが一番の課題である。ここにはコストがかかってくるため、コストを抑えるために
「効率性」が重要な指標となる。
  
価値(VP)を実現するために、必ず行うべき「重要な活動(KA:Key Activities)」を
考える。例えば、モノを作る「製造モデル」、サービスで悩みや課題を解決する
「問題解決モデル」などがある。そのため、ビジネスモデルの実行に「必要なリソース
(KR:Key Resources)」を考え、「主要なパートナー(KP:Key Partners)」
と組むことや選定も必要になってくる。
こうしたKA、KR、KPを考えていくと、自然に「コスト構造(CS:Cost Structure)」
が見えてくるはずである。
以上のように、右と左側のエリアの性格を十分理解しておくコトが社会環境などの
変化に対して、組織をキチンと動かしていくためには、必要である。
この考えをベースにして、更なる組織強化が図れる。
①マネジメントのネットワーク化
 各グループの管理レベルのメンバーによるネットワーク化が有効となる。
②外部とのネットワーク化
 地域の企業、団体、等自組織の重点活動に関係する部門との連携が図れる。
③職能ネットワークの構築
 組織において対応出来る技術、技能を持った有機的なつながりを構築する。
④ローテーション化
 個人レベルでの幅広い総合的な視野の育成を考える。
ビジネスモデルゼネレーションキャンパスのポイントは、9つのビジネス要素
を一覧化したことにある。細かな手法ややり方よりも、この全体フレームを
意識することだけでも、事業構築のセンスアップにはなるはずである。
なお、中小企業で必要になりそうなスキルの簡単が概要を示す。
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=C2qIkr_iJdg&feature=youtu.be">https://www.youtube.com/watch?v=C2qIkr_iJdg&feature=youtu.be</a>



「顧客の行動を理解し、新しいビジネスを紡ぎ出すセンス」
インターネットの世界は、益々深化し、旧来のマス的な顧客把握では、
不十分となっている。顧客対応では、リアルな行動をベースに、個人の
行動にある潜在的なニーズを把握し、顧客体験をより個人ベースで、
より高度にして行く必要がある。
単なる顧客行動分析やGoogleAnalytics活用では、把握できない個客の
想いや要望を、総合的に見るための「カスタマージャーニーマップ」的な
センスが必要とされる。コレにより、中小企業でも、多様化するチャネル
を総合的にまとめていくことのメリットに加えて、今までにない新しい
サービスの実現の可能性も出てくるのではないだろうか。
1.カスタマージャーニーマップ
カスタマージャーニーマップとは、サービス設計の際に顧客の行動文脈を
旅(ジャーニー)のプロセスに見立てて可視化し、把握する手法やそのために
描いた図を指す。サービス全体の機能やタッチポイント(顧客接点)を示し、
その上を顧客がサービスを利用したり商品を購入したりする行動を描いた図は、
まさに「顧客の旅行地図」といえる。
カスタマージャーニーマップは、サービスのアイデア発想や設計のためのヒント
を発見し、よりよいカスタマーサービスを実現するために使われる。
よりよいカスタマーサービスを実現するという目的でジャーニーマップを
利用するには、サービスのフェーズやタッチポイントにおける顧客の
行動はもちろん、顧客の思考や感情まで把握する必要がある。
カスタマージャーニーマップの本質は「おもてなしにおける心遣い」の
可視化と共有化の戦略において、旧来型のおもてなしを提供していた経験
豊富な顧客担当者同様に、顧客がどんな状況のときに何を欲し、何を喜び
とするかを理解することにある。
顧客行動を包括的に見たうえでの理解することが、従来は存在しなかった
革新的な顧客体験を生み出すようなサービスを設計できるようになる。
2.カスタマージャーニーマップの考え方
その基本は、顧客とのつながりを5W1Hとして、把握することである。
即ち、
・Who(誰が、が基本となる)
・When(顧客の状況、サービスへの接触タイミングなど)
・Where(サービスへの接触場所、自宅、会社、交通機関など)
・What(コト、モノ、サービス等の接触内容)
・Why(接触時の顧客の考え、感情など)
・How(チャネル、タッチポイント、接触の手段)
特に、Whenは、顧客の行動プロセスを時間軸として捉え、接触の状況、
具体的なシーンを考えて行く。コレには、マーケティングのAISASを
考えるのが適当かもしれない。
AISASが想定する購買行動プロセスは5つである。
「Attention」(注意が喚起され)、「Interest」(興味が生まれ)、「Search」
(検索し)、「Action」(購買し)、「Share」(情報を共有する)
AISASにおける「Search」は、製品やサービスに関心をもった顧客が
「購入前に、Googleなどの検索サービスで情報を調べてみる」というプロセスを示す。
また、最後の「Share」は、ブログやSNS、クチコミサイトなどで、製品やサービスの
感想などの情報を投稿(情報共有)するプロセスを示す。
また、広告宣伝の視点でAISASを考えると「AttentionとInterestにてメディア
ミックスで宣伝広告を行い、検索サイトに誘導するクロスメディア広告モデル」と
捉えることもできる。
簡単なカスタマージャーニーマップ作成の流れを示す。
①顧客がいま、どんな流れでサービスを利用しているかを把握するため、フィールド
リサーチをする。
②フィールドリサーチの結果、サービス利用目的や行動傾向のパターンに応じて、
顧客をセグメント化~モデル化(ペルソナ)する。
③ペルソナごとに、行動の流れに沿って、顧客が接したタッチポイント、そこでの
インタラクション、考えたこと、感じたことなどの要素とその関係性を明確に
しながら、視覚的にマッピングを行う。コレには、多様なメンバーの参加が有効
でもある。また、マッピングを行う際は、フィールドリサーチで撮影した写真など
をそのまま貼り付けてもよい。
④現状のサービス体験のどこに新たなヒントが隠されているかを、マップを
見ながら検討する。
改善のためのヒントを探るためには、なぜ現状のサービス体験がそのように
なっているかを、サービスに関わるステークホルダー間の関係性なども別途考察
しながら、まったく別のサービスの形はないか、を考える。
顧客の体験を理解し、それをヒントにこれまでなかったようなより価値の高い顧客体験
について思いを巡らせる、その手助けをしてくれる手法の1つがカスタマージャーニー
マップであり、「カスタマージャーニーマップをどう作ればよいか」をいくら考えて
も、答えは見えてこない。しかし、「顧客の体験をとにかく理解しよう」と強く思い、
知っていること、教えてもらったこと、調べてわかったことを整理しようと紙の上で
作業をすれば、その結果がカスタマージャーニーマップになると思ったほうが、
良い結果がでる可能性はある。
3.何故、カスタマージャーニーマップなのか
インターネットやモバイルが普及したことで、近くにいない人の状況でも把握できる
ようになった。即ち、より遠く、より多くの人に、同時におもてなしを届けられる
可能性が生まれてきた。旧来のおもてなしとは違う形での新しいおもてなしを提供
できるようになったことで、新たなビジネスモデルの構築とチャンスが活発化
している。
顧客体験が重視される背景
①インターネットやモバイルの普及で従来にはない新しい方法でおもてなしが可能
になった。
②それを競争優位性として新しいビジネスを生み出そうとする動きがでてきた。
③「顧客体験」を戦略として採用することが重要になった。
企業が「これまでにはなかった方法で顧客の状況に応じた適切なサービスを提供するこ
とで、市場における競争優位性を獲得する」ために採用する戦略が重要となる。
描かれたカスタマージャーニーマップをもとに、顧客体験の向上というゴールに
つなげるにはどうすればよいのか。カスタマージャーニーマップは、顧客体験
そのものをキチンと理解し、その本質を明確にするのに有効である。
顧客体験の理解には、「What」と「Why」を明確にする必要がある。
多くの場合、「顧客体験とは何か?」という問い自体が、その理解を難しくしている。
「何か?」と問えば、それは「現状肯定として」の発想となりがちであり、そうでは
なく「何のために顧客体験を重視するのか?」と自身に、問うことが必要
となる。「What?」(それは何か?)ではなく「Why?」(なぜそれなのか?)と
問うことが重要となる。それは「これまでにはなかった方法」で顧客の状況に
応じた適切なサービスを提供することで、市場における競争優位性を獲得すること
になる。
Airbnb: <a href="https://www.airbnb.jp/">https://www.airbnb.jp/</a>
Airbnbは、世界中の人どうしが、誰かの部屋を借りたり、逆に自分の部屋を貸し
出したりできるルームレンタルのプラットフォームサービスを提供している企業。
創業は2008年、現在は、192か国、3万4000都市の賃貸可能な物件が登録されている。
部屋を貸し出す「ホスト」という人たちが登録している物件には、個人の住宅
だけでなく、城やツリーハウス、イグルー、個人所有の島なども含まれる。
ホテルとは比較できないほど個性豊かな部屋のなかから宿泊先を選べる。
Airbnbのサービスがもたらしたのは、従来になかった新しい旅の体験といえる。
従来であれば、現地に既知の友人や知り合いがいない限り、旅行の宿泊はホテルなどの
宿泊施設に限られていた。しかし、Airbnbを利用することで、誰でも現地の一般家
庭に泊まることができる。単に宿泊料金が安く済むだけではなく、部屋の提供者と
知り合い、ともに過ごすことができるという、旅行の体験を大きく変えるきっかけも
得られる。部屋の提供者にとっても、利用してもらうことでいろいろな国からやって
きた旅行者たちと知り合い、その人々を通じて異国の文化に触れることができる。
顧客体験を戦略として採用することで、従来になかった顧客体験を生み出す新たな
ビジネスを展開し、それによって市場における競争優位性を獲得してい
る例として、Airbnbのやり方は、広く適用が可能である。
旧来のおもてなしでは、気配りによって顧客の状況を把握していたが、Airbnbの場合
は、それをインターネットやモバイルの活用によって実現し、より広範囲に提供
している。顧客の行動パターンと意識の動きについての知識、情報を活用する、
これを現在の顧客体験の戦略の文脈に当てはめると、なぜ「顧客の文脈を理解する」
ことや、そのためにサービスを利用する「顧客の旅」(カスタマージャーニー)の
文脈を把握することが重視されるのか理解できるはずである。
4.カスタマージャーニーマップ作成のポイント
特に、注意すべきは、新しい顧客の旅のアイデアが生まれる場づくりである。
顧客にとって理想的な新しい旅やサービス体験を生み出すためには、ブレーン
ストーミングなどの創造力を発揮するための技術が必要であるが、カスタマー
ジャーニーマップの作成を行なうワークショップに参加したメンバーが、その
創造的なプロセスに参加すること自体を楽しむことができ、それによってより
創造力や情熱が駆り立てられる状態を作るファシリテーションが欠かせない。
1)ステークホルダーの関係をマップ化する
まず最初のステップは、顧客やフロントスタッフ、バックヤードのスタッフなど、
サービスに関わる利害関係者をリストアップすること。関係者間のインタラクション
をマップ化して表現し、サービススタッフなど動きが、顧客の利益にどんな
影響を与え、顧客はそれに不満があるか、を説明できるようにする。
2)顧客モデル=ペルソナを作る
次のステップでは、顧客モデルとしてのペルソナを考える。顧客のプロファイルや
性格、ビジネス状況やそれに対する期待は何かをユーザーモデルとして作成しておく。
ペルソナ化は、ある特定の顧客プロフィールを具体的に創出することで、より
深いWebサービス化が可能として、活用されている。
更に、作成したペルソナがどんな結果を期待しているか、何を達成しようとして
いるかを明らかにする。
3)カスタマージャーニーマップ化
次ののステップは、2つ目のステップで明らかにした「結果」にペルソナがどのよう
なプロセスを経て辿り着くのかをカスタマージャーニーとして図示することで、
顧客の旅のプロセスを明らかにする。
顧客の旅の段階をリストアップした後に、それを時系列に並べた形に図的に表現する。
4)タッチポイントを考える
さらにこの顧客の旅の各段階で、顧客が実際にサービスに触れるタッチポイントとなる
スタッフや機器が何かを書き加えていく。顧客とサービスの接点を明らかにする段階。
多様化するチャネル含めて、まずは、コレをまとめると、全体が見えてくる。
5)最も重要な「真実の瞬間」
次に顧客がそれぞれのタッチポイントに接した際の重要度を評価し、最も重要な「真実
の瞬間」がどの時点かを判断する。
なお、「真実の瞬間」とは、「顧客が最良の選択だったと納得させるため」という
キーワードで、サービスマネジメントやサービスデザインの分野では使われるよう
になっている。
6)サービスデリバリーの責任者を明確にする
次のステップでは、各タッチポイントで顧客にサービスを提供する直接の担当者が誰か
を明記しておく。そうすることで、例えば顧客をイライラさせる待ち時間の要因が
、同じ人がサービスプロセスに何度も登場していてボトルネックになってしまっている
ことに気付けたりもする。
7)旅の途上の感情を描く
ここまでのステップで、顧客の旅の途上でのタッチポイントやそこでのインタ
ラクションあるいはサービスを実際に行なう担当者の関係性が図示されており、
その旅の途上で顧客の感情がどのように変化するか、ポジティブとネガティブの間
をどう動くかを評価することが重要となる。
8)全体設計図として落とし込む
カスタマージャーニーマップを作成しながらサービスデザインを行なったあとは、
実際にそこで考えられ決定されたことが、実際にサービスを提供する人びとの支援と
なるように、フロントスタッフ、バックエンドのスタッフ、サービスのインフラと
なるシステムの関係性を描いたサービスの全体設計図を描く。



「これから必須、情報の整理力とフェルミ推定的センス」
情報が氾濫している今の時代、企業経営者に求められるのは、必要情報を選別し、
全体の方向性を勘ではなく、数字的なアプローチと定量的感覚で把握しておく
ことである。
例えば、製造業の現場力を上げるために、5S(整理、整頓、掃除、清潔、躾)
の徹底を進める中小企業経営者は多い。しかし、コレも、モノの整理、整頓が
全面に出ているようであるが、モノに付随する情報の整理、整頓が重要なはずで
ある。モノと情報が整理・整頓ができた状態を明確ににして、整理・整頓の
実施にあたって問題点や障害を考えて検討をしていくべきである。中小企業
の戦略化、IT化の支援をしていても、5SとIT化の連携化、共通化などで、
必ずしも、十分な対応が出来ているとは思えない。
整理、整頓するという最大の目的は、頭の整理である。整理をすれば、自身
の持っている資源は何かが客観的につかめてくるし、何が重要で、何が不要
なのかも見えてくる。ヒト・モノ・カネ・情報の整理が出来て、どうすれば
有効に活用できるかを考える域に達すれば、相当な決断力、判断力アップになる。
1.フェルミ推定に学ぶ
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を
いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することを指す。
フェルミ推定では、回答を導き出すための考え方が重要視される。回答すること
が難解な解を導き出すために、推定するわけだが、とにかく数値を仮置きして
いき、最終的にそれに近い答えが出せれば良い。
例えば、
フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人のピアノ
の調律師がいるか?」を推定するものである。これはフェルミ自身がシカゴ大学
の学生に対して出題したとされている。
この問題に対して、例えば次のように概算することができる。
まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする
・シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノを保有している世帯があるとする
・ピアノ1台の調律は平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする
・週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。
シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度
ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
それに対し、(1人の)ピアノの調律師は1年間に250×3=750台程度
を調律する。
よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される。
この様に、フェルミ推定では、自身の持っている情報と全体把握能力が問われる。
「一見掴み所が無い事象、状況を単純化して計算を簡易化し、概数を算出する」
ビジネス化する、事業方針を固めていくと言う場合は結構有効と思われる。
よく市場調査をして、事業計画へ進める場合も、まず、全体の方向性、市場の流れ、
おおよその規模を設定し、それに合わせて、更に調査、計画を進めていく。
以前には、優秀と言われてきた人の基準に、「知識の豊富さ、経験の多さ」
があったが、インターネットの爆発的な拡大による情報量の豊富さとベスト
プラクティスからの事例の多さは、フェルミ推定的なアプローチと思考の出来る人
が優秀と言われることになる。
①結論の設定、仮説化
今ある情報からでも、可能性の高い結論、仮説を想定し、情報の精度を上げながら、
仮説検証をして行く。
②全体の把握
全体俯瞰する意識、視点の選択、分類による思考の集中化、因数分解による
構成要素の把握、全体の再構築と問題部分の把握
③単純化する
モデル化、そのための枝葉末節の切り落とし、ある共通点からの類推化
が重要な構成要素になる。
特に、②の全体の把握は、経営者にとって重要であり、フェルミ推定的アプローチ
から大いに学ぶべきである。
2.情報収集能力アップに向けて
1)情報収集を効率的に行う
インターネットの深化、拡大により、まずは、自動的に質の高い情報が毎日自身
に来ることの仕掛けが重要である。
また、グーグル検索でも、効果的に必要情報を集める人は、キーワード、キーフレーズ
の設定が非常に上手い。最近の検索エンジンの高度化により、2語から4語を
自身の視点で、選定している。
幾つかのやり方について、
・ツイッターで質の高い情報発信を発信している方をフォローし、移動時間などの空
き時間にチェックして行く。
・グーグルリーダーを活用しRSSで世界経済、政治、日本経済政治、等の記事を自動で
あつめる。
・アメブロなどのブログツールで考え方、ノウハウなどを発信していただいているブロ
グをRSSでチェックする。
・グーグルアラートによる必要キーワードでの最新情報の確認をする。
また、私のサイトでも、良く参考にする情報サイトを集めている。
http://www.kokusan-itsien.jp/参考となる情報/
例えば、三菱総研の「生活者市場予測システム」は、結構面白い情報がある。
https://mif.mri.co.jp/
このようなことを自動で集まる仕組みをまずは構築すること。
更に、「集まった情報を整理する能力し、効率化させる力」が必要となる。
例えば、
・エバーノートで気づいた内容、整理することなどをすべての情報をまずは保管する。
・マインドマップで論理思考と水平思考を掘り下げ、情報の本質を考える。
・ドロップボックスでフォルダを共有して自宅編集、会社編集できるものを使いわける
・グーグルドキュメントでオンライン上で書類、データーを共同編集して時間を効率
化させる。
等など
2)情報の整理
情報が氾濫している社会で上手くやっていくためには、自身の頭の中を常に整理して
いく必要がある。情報で溢れかえった脳内をきれいに整理整頓しなくてはならない。
そのために積極的な出力化が効果的となる。
出力化とは、頭の中にある情報を整理して吐き出す作業のこと。自分の知っている
ことを誰かに話したり、文章として書いたりして情報を外部に出す。それにより、
思考を整理することが出来る。
出力化のメリット
①記憶が定着する
米パデュー大学のカーピック博士の研究によると、人間の脳は入力よりも出力
を繰り返す方が、記憶の定着が良いということが分かっている。
つまり、繰り返し情報を読むよりも、文字として書いたりする方が覚えられる。
たとえば、英単語を覚えるのであれば、単語帳を読むよりも、実際にノートに
単語を書く方が記憶が定着する。書いた方が覚えられるというのは、昔から
よく言われているが。
②気づく力が付く
出力化が習慣化している人は、気づく力が圧倒的に付いて来る。たとえば、
毎日書いている人であれば、書くためのネタを探すクセが付いているはず。
結構、人間観察をしたり、窓の外を眺めたりして、色々な情報を無意識に
集めているので、普通の人が気付かないようなことに気づけるようになる。
③人に伝える力が付く
出力化は、自分の頭の中にある情報を形にする作業であり、これをやっていると、
自分の思っていることを、他人に伝える力を付けることが出来る。文章などを
キチンと書ける人は、論理性をもって、人との会話が出来ている。
ビジネスの場面でも、自分の意見を言うことを求められる機会は多いはずであり、
そういった時に、瞬時に思いを伝えられるのであれば、高印象を与えられるはず。
3)情報収集の基本スタンス
自身に情報が無ければ、出力化は不可能である。このため、効率よく情報を
集めることができるように、情報収集の仕方を考える。
①情報収集の目的を明確にする
質の良い情報を効率よく集めるためには、誰に話すのか、ブログに書くのか、
等を意識しながら、情報を集めていく事が肝要である。
これを意識していくことで、「使える情報」だけが意識に残ることになる。
ただ情報を集めるだけでは整理するのが大変であり、情報収集の段階で、ある程度
の情報精査をする必要がある。
②必要な情報だけを集める
自身の時間を有効に使うためにも、几帳面に情報を取っていこうとすると、無駄な時間
が増えるだけであり、必要な情報だけを読み取るようにすることを基本とする。
③スピードを重視し、完全な結果を求めない
情報というのは、直ぐに、腐ることを意識する必要がある。少し前まで最新だった情報
でも、数週間後には古い情報となってしまい、その鮮度は落ちる。スピードを意識し、
必要な情報だけを集めるかということがポイントとなる。
3.効果的な出力化に向けて
出力化の基本ポイントは、自身に対しても、見える化することである。
様々な経営者やキーマンと話しても、全て頭の中で、済ませようとする方の多くは、
あまり良い結果を生まない様である。
1)出力化のリストを作る
リストを作って視覚化すると、頭の中を効率よく整理することができる。
今まで得た情報を箇条書きとして、ノートの書いていき、それらを同じカテゴリー
毎に分類をすれば、情報がしっかりと整理される。頭の中の情報を視覚化する
ことで、効率よく情報整理することが出来る。
2)情報収集を基に自分の頭で考える
その情報について考え、自分なりの見解を持たないと意味が無い。得た情報を
無条件に受け入れては、自身の必要とする判断は出来ない。
目的と手段の混在、原因と結果が短絡的などが散見される事があるが、自身の軸
を持ち、5W1Hのようなガイドを持つと結構防げる。
3)文章化することを習慣にする
情報を収集して自分の頭で考えていくと、ある程度の方向性が出てくるはず。
それらを文章化する事が肝要で、ノートでもブログでも、自身の言葉で自身の意見
を書く事が必要である。コレを習慣にすることで、自身の理解度も高まり、自身の
間違いにも客観的に気づくことが出来る。
情報を効果的にまとめていくには、上記の様なやり方が有効ではあるが、
最も、考えるべきは、自身の視点を持つことである。
自身の視点を持つことにより、収集した情報に優先順位が付けられるし、そこから
選別した情報での因果関係、関係要素が明確に把握出来る。コレにより、自身が
必要とする結果や気付きが得られ易くなる。



「中小企業でも統計センスを磨こう」
多くの中小企業では、統計的な判断で、ビジネスを進めること、統計センスを
企業判断に持ち込むことはほとんどない。
経営トップの勘と経験”に頼った意思決定が基本であり、それが、当たり前の
世界でもある。
しかし、市場の動きが速くなり、その構造も複雑化することで、過去の成功体験が
通用する領域がドンドン狭くなっているのも、事実である。きちんと科学的に
検証可能な“事実”に基づいて、的確な意思決定を行っていかなければ、企業経営
すら脅かす失敗をもたらしかねない局面が増えている。
逆にデータを分析すれば、適切な意思決定を行うための判断材料を生み出せる上、
新しい市場や見えなかったニーズ、未来に向けた戦略など、これまで成し得なかった
ビジネスへの進化を起こすことも可能ではないのだろうか。
玉石混交の様々な情報や主張があふれている現代で、情報を客観的に吟味できる統計
センスとそのリテラシーが非常に強力かつ重要であり、「主観的な判断」「恣意的な
判断」「都合のいい判断」を防止することがビジネスとしても重要である。
1.データマイニングとは
小売店の販売データや電話の通話履歴、クレジットカードの利用履歴など、企業に
大量に蓄積されるデータを解析し、その中に潜む項目間の相関関係やパターンなど
を探し出す技術。従来は、こうした取引の「生データ」は、経理処理に必要なだけ
で活用されていなかったが、情報技術の向上により、潜在的な顧客ニーズが眠る
「鉱山」として「採掘(mining)」されるようになった。
よく引き合いに出されるのが、スーパーの販売データをデータマイニングで分析
することにより、「ビールを買う客は一緒に紙オムツを買うことが多い」「雨の日は
肉の売上が良い」など、項目間の相関関係を見つけることができる。
また、クレジットカードの利用履歴を解析することにより、不正使用時に特徴的な
パターンを見つけ出し、あやしい取引を検出するなどの応用も考えられる。
ここで、そのやり方を少しコメントする。
①相関ルール抽出
データベースに蓄積された大量のデータから、頻繁に同時に生起する事象同士を相関の
強い事象の関係、すなわち相関ルールとして抽出する技術。
例1 スーパーでビデオを買った人のうちガムテープを買う人が多い → 両者を同じ場
所に置く。
例2 本Aを買う人は、後に本Bを買うことが多い → 本Aの購入者に本Bを薦めるダイレ
クトメールを送る。
その他の頻出パターン、時系列やグラフを対象としたものもある。
②クラス分類
クラス分類は与えられたデータに対応するカテゴリを予測する問題。
例:薬品の化合物のデータから,その化合物に薬効がある・ないといったカテゴリ
を予測する。
③回帰分析
与えられたデータに対応する実数値を予測する問題
例:曜日、降水確率、今日の売上げなどのデータを元に、明日の売上げという実数値
データを予測する。
④クラスタリング
データの集合をクラスタと呼ぶグループに分ける。
クラスタとは、同じクラスタのデータならば互いに似ていて、違うクラスタならば
似ていないようなデータの集まり。
例:Webの閲覧パターンのデータから、類似したものをまとめることで、閲覧の傾向が
同じ利用者のグループを発見する。
これらは、ECサイトの効果を知るためのA/Bテストやダイレクトメールの
メッセージとデザインを何度かランダムに送り分け、そのうち最も反応が良かったもの
を全面展開するなど身近にも活用されている。
特に、回帰分析は、我々のビジネスにも、直接応用できる。
2.統計センスを高める。
企業ではよく、エクセルやBIツールを使って一生懸命きれいな円グラフを作る。
会議ではそれを見ながら経営方針を決めたりしているが、グラフ化は単なる「集計」
であって「分析」ではない。単なる「見える化」をしただけでは、グラフが見えた
としても、誰もがその内容まで理解しているわけではない。「その数値が何を
示していて、どう行動したらどれくらい利益が上がるのか」という判断を出せること
こそが重要である。
この様に、具体的な意思決定、アクションにつながるプロセスを科学的根拠に基づいて
導き出すのが統計やアナリティクス(分析)であり、まずは、その様な統計データ
を使っていく、企業文化の醸成が必要である。
データはある、でもそこから何が分析できるのか分からないという企業に、具体的な
アクションを起こさせるきっかけ創りは必要となる。社内に分析の専門家がいないなら
外部の知恵を借りてもいいし、サンプルデータで「このあたりの領域が重要だ」と
判断したら、すぐに分析を開始し、方向性と仮説を検証しながら、全社レベルの
データまで対象を広げていくことが肝要である。
その結果を、現場の人も含め、共有していくと「これならいけるんじゃないか」と
盛り上がる場面が多々出てくる。そうやって具体的な施策を打ち出しながら、企業文化
を変えていくことも重要なポイントでもある。
3.統計スキルを高める幾つかのキーワード
ビジネスで必要となる定量分析は、正規分布、標準偏差、Z値、T値、P値、標準誤差
などの統計学の基礎知識だけ知っていれば、統計センスアップと必要とされる
統計分析はできるものである。ただ、中々、取り組みにくいかもしれないが。
①正規分布とは平均を中心として、左右対称にばらけている分布を指す。
エクセルでNORMINV関数やNORMSDIST関数を使うことで、標準正規分布表や正規分布の
グラフを描くことができる。
正規分布は自然現象の多くがこのような分布に従っていることが知られており、「分布
が正規分布に従っている前提で、その事象が発生する確率は何%である」といった計算
の前提となる。
②標準偏差
正規分布の横軸の目盛りが標準偏差となる。標準偏差はσ(シグマと読む)。
正規分布では、1標準偏差の中に全体の分布の34.1%にあたるデータが含まれる。
したがって、中心から両側1標準偏差をとると全体の68.3%のデータが含まれる
ことになり、平均から両側1標準偏差とると全体の2/3、2標準偏差( 2σ)で
95%、となる。ちなみに標準偏差はZ値はとも呼ばれる。
また、標準偏差を2乗すると分散が求められる。
③標準誤差とは?
標準誤差とは統計処理によって算出された値が、どれ程確からしいかを標準偏差で表し
たもの。
例えば、日本人の成人男性の身長の分布を算定するのに、ランダムに集めた30人の平均
でとるのか、それとも3万人のデータをもとにして計算するのか、または実際に日本人
の成人男性全員のデータで計算するのか、結果が異なる。
30人の場合は、たまたまその中に背の高い人が何人か混じっていれば平均値は大きくな
るし、サンプル数が小さければ小さいほど、そのような個別の特殊事情が反映され
る可能性が高くなる。一方、多くのデータを入手することがコストがかかったり、
手間がかかったりするので、できるだけ小さな数字で計算できれば楽である。
そこで、許容範囲内のずれかどうかを確認しながら、できるだけ少ないデータで
統計処理を行うためにこの標準誤差が使われる。
④P値とは?
P値とは、統計処理により計算された値の本当の答えがゼロである確率をさしている。
すなわち、実際には、何の差もないのに、誤差や偶然によって、たまたま、データ
のような差が生じる確率であり、通常は、5%以下を考える。
例えば、右足と左足の大きさから慎重を説明した回帰分析モデルが、重回帰式の
各項がそれぞれ意味がないかもしれない確率(=P値)の大きさを示している。
あるP値が29%ある場合、これの係数-3.64478が本当はゼロである確率が29%
あることを示している。回帰分析の手続きとしては、まずこのP値が大きい変数
から削除していき、全ての変数のP値が5%以下になったところで変数を確定させ
るのが一般的に行われる。
⑤t値とは?
t値は平均値から何個の標準偏差分離れているかを表す。
すなわち、2平均の差の検定であるt検定の、結果を表すものがt値で、そのt値が
絶対値で大きくなればなるほど「2平均の差がないことはない」確率、すなわち
「2平均に差があるといえそうな」確率が高くなり、有意差があるといえる。
⑥重回帰分析とは?
重回帰分析とは変数が複数ある回帰分析を意味し、エクセルによる重回帰分析の
ポイントは、正しい説明変数(Y=aX1+bX2でいうXのこと)を選択することにつきる。
例えば、回帰分析によるデータ分析の事例として、アパートの家賃を
総面積、部屋数、風呂数、、セキュリティー対策、駐車場の有無、駅からの距離
バス路線の有無、築年数で説明させる回帰分析を実施する場合など。
4.自身で統計データを分析する
まずは、回帰分析を体験的に行うのが良いかもしれない。
1)何のために回帰分析を行うのか整理する
何がどの程度の影響を及ぼす、のかについて分析する為の回帰分析なのか、
将来の予想モデルとしての回帰分析なのか?をはっきりさせる。
将来を予想するモデルでは、変数自体が将来どうなるかわからないようではモデル
ができたとしても役に立たない。
2)十分なデータ数のある変数の候補をできるだけ多く集める
十分なデータ数とは変数の数の15倍以上が目安。変数を2つ取った場合、1つの
変数に必要なデータ数は30程度。
5倍以下のデータ数ではデータ分析は難しいといわれている。
相互に高い相関関係にある変数でもって回帰分析を行うと「マルチコ
(Multicollinearity)」という事象が発生する。
相互に相関関係が高い変数でもって、回帰分析を行うと、
・係数の符号が正しく出ない
・t値が本当より小さく出てしまう
・少しのデータの変化で回帰分析の結果出てくる係数が大きく変わってしまう。
という事象が発生し、回帰分析を難しくする。
4)エクセルのツール→データ分析→回帰分析から回帰分析をおこなう。
エクセル回帰分析結果の読み方を理解しておくことも重要である。
分析のツールとしては、Excelは必須。レポーティングは必要であり、その点で
Excelは以前として使いやすさ・結果の見やすさ・覚えやすさのどれを取っても
バランスが取れている。
また、Excelだけでは追いつかないケースもちらほら散見されるから「R」が有効。
無料であり、OSS同様に世界中のコミッターが最新パッケージをどんどん提供して
くれるのでいつでも最新手法に触れられるというのも大きい。
5.統計センスを更に高める
以前なら処理できずに捨ててしまっていた膨大なデータも、ITの進化で低コストに
収集・蓄積できる時代になった。だが、このデータを“宝”にするか“ゴミ”と
して埋もれさせてしまうかが、ビッグデータ利活用では問われている。
データが“宝”になるか“ゴミ”で終わってしまうのか。その重要なポイントは
「分析のゴールをきちんと設定する」こと。自社にはどんな課題があり、分析結果を
どう経営に結びつけていくのか、そこから逆算して考えた方が投資対効果は
大きくなる。そのためにまず必要なのは、分析や統計のリテラシーを持つ人間
や企業文化を育てること。
また、「データから価値を生み出す」なら、まずは経営者自身で体験をしてみること
が必要かもしれない。経営者としてのめざすべきゴールは利益を上げることであり、
今あるデータの中で、何が利益とつながっていそうなのか、トライ&エラーを繰り
返しながら仮説を検証していく。
莫大なデータの中に隠された意味を解釈し、最適な利活用のシナリオを描き、実用化
していくには、適用業務を踏まえたデータやツールの活用方法、データを利用し
たビジネスモデル構築までの道筋を的確にナビゲートできる「総合力」が欠かせない。
例えば、「購買」向上について考えると、その背後には、ウキウキした人は商品を
買いやすいという「心理要因」や魅力的な広告に触れた人は購買しやすいという
「広告接触」、カワイイイメージや信頼感という「ブランド力」などは動かす
ことが可能な説明変数となるため、それに向けた商品作りにアクションを行うことが
基本的なやり方である。
一方、「性別」や「年齢」、「世帯収入」などは動かせない説明変数となるため、
結果につなげるためには狙い所をずらすという方法もある。女性や高齢の人も訪れ
やすい店構えに変えるとか、安価な商品のラインナップを増やすなど、原因を遡り、
簡単にコントロールできる地点にまで落とし込めば売上に結びつく可能性がある。
更に、「在庫ロス」という動かせない結果に対して、説明変数が「季節」、「景況
指数」、「仕入れ数」の場合はどうするか。季節と景況指数はずらすことさえ
できないが、仕入れ数は状況に合せて制御できるため、在庫の変動予測に従って
仕入れ数を最適化することができれば、データ分析からの価値が生まれる。
多くの企業では、何気ない毎日の仕事が、会社のどんな貢献につながっているのか
あまり意識していない。データを見てみることで、会社の中でのメンバーシップ
意識が高まり、やりがいが生まれるのではないかと思う。

和辻哲郎の世界

「和辻哲郎の日本精神史から、思う」

和辻さんの風土、古寺巡礼、日本古代文化を横断的に貫いている
のは、まだまだ、仏教思想に対する日本人の理解は、甚だ希薄であった、
と言う認識であるが、「志賀の漢人」と呼ばれる人々が多く、シナ文化
の経由の地であった志賀では、その生活文化は、少なからず、以下の様な
仏教や美術と同様に、影響を受けていたはずである。
このため、和辻哲郎の「日本精神史研究」を概観したい。
1)上代における仏教の受け入れ
当時の日本人は、ただ単純に、神秘なる力の根源としての仏像を礼拝し、
現世の幸福を満たすものとしての意識程度であるが、現世を否定せず
して、しかもより高き完全な世界を憧れる事が、彼らの理想であった。
現世は、不完全との認識を持っているが、憧憬するのは、常世の世界
であり、死なき世界である。
この時代において、仏教が伝わり、今までの「木や石の代わりに今や
人の姿をした、美しい、神々しい、意味深い「仏」が持たされる。
魔力的な儀礼に代わりに今やこの「仏」に対する帰依が求められる。
一切の美的魅力がここでは、宗教的な力に形を変えるのである。
さらに、最初に来た仏教が修行や哲理を説くようなものではなく、
むしろ、釈迦崇拝、薬師崇拝、観音崇拝の如く、現世の利益のための
願いを主としたことが幸いであった。
また、このような意識は、単に、芸術に関してのみではなく、
日本人の内的生活、思想の進展、政治の発達にも、大きな要素
となって行く。生活文化にも、同様のことが言える。
2)仏像の姿
仏像においては、「仏」という理念の人体化を意味している。
その大きなポイントは、嬰児と物菩薩像との眼の作りである。
それは恐らく、嬰児の持つ眼の清浄さ、初々しい端正さが多くの
人々を魅了しているからであろう。
ただ、時代により、その特徴は少しづつ変化する。推古の頬は、
明らかに意味ある表情を含んだ、肉のしまった成長した大人の
顔である。しかし、白鳳時代では、このような表情は全然現れて
おらず、成長した人の頬としては空虚であり、嬰児としての
柔らかい頬の円さをもっている。
しかし、我々は、仏像や菩薩像において、嬰児の再現をみるのではない。
作家が捉えたのは、嬰児そのものの美しさではなくして、
嬰児に現れた人体の美しさである。宇宙の根本原理、その神聖さ、
清浄さ、など総じて、嬰児の持たざる内容をここに現そうとしている
のである。作家が表現しようとする仏菩薩像は、経典の説くところ
のその理念である。
その円光の中に5百の化仏あり、一々の化仏に5百の化菩薩あり、
無量の諸天を従者とす、、、、ほとんど視覚の能力を超えたものである。
3)推古、天平美術
日本文化は、シナ文化と言う大きな文化潮流の中での1つである。
そして、日本の特殊性は、同じ文化潮流の中での地域的、民族的な
特殊性であることを理解しておく必要がある。
推古から天平への様式展開には、本質的な違いがある。
例えば、天平美術では、推古の持つ「抽象的な肉付け」や「抽象だが
鋼鉄の如く鋭い線」の表現から離れ、直感的な喜びの表現がある。
推古の彫刻は、人体を形作る線や面が、人体の形を作る唯一の目標とせず、
それ自身に、独立の生命を持たせている。しかし、天平彫刻では、人体を
形作る線や面は、人体の輪郭、ふくらみ、筋肉や皮膚の性質、更には、
衣の材料的性質やそれに基づく皺の寄り方、衣と身体のとの関係などを
忠実に再現することを目指している。
即ち、天平様式の根底には、仏の理念が支配しており、美術の様式と
思想的、宗教的理解には、相関の関係がある。
これは、絵画においても、同様なことが言える。
推古時代より天平時代に至る仏教美術の様式変化は、日本人の心的
生活の変遷と並行している。仏像の多くは、国民の信仰や
趣味の表現である。
型は、外から持ってこられたが、それに盛られたのは、国民の願望
であり、心情であった。それは、シナ芸術の標本ではなく、
我々祖先の芸術である。
彫刻にしろ他の歌や絵画にしろ、一般民衆もまた、これに関係していた
はずであり、特に、薬師崇拝、観音崇拝のような単純な帰依は、特殊の
教養なき民衆の心にも、極めて入りやすいものである。
造形美術の美が、その美的な法悦により、帰依の心を刺激したことは
間違いのないことと思われる。
4)歌や物語について
ここでは、仏教美術と万葉の歌が同一の精神生活の表現としているが、
個人的には、歌などについては、分からないので、万葉集、古今和歌集など
についての、言説は省いていく。
ただ、
春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
というような感情を直接表現する歌は,分かりやすいが、
春やとき花やおそきと聞きわかむ鶯だにも鳴かずもあるかな
と言うような鶯で春を考えるというようなやや屈折した心情のは
中々に、難しい。
竹取物語などのお伽への傾向は、古事記などにもあるが、多くあった。
いなばのウサギの話、鯛の喉から釣り糸を取る海神の宮の話、
玉が女に化する天の日矛の話など。
枕草子についても、同様に省くが、
「春はあけぼの、やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、
紫だちたる雲の、ほそくたなびきたる」
「春はあけぼの、そらはいたくかすみたるに、やうやうしろくなりゆく
山ぎはの、すこしづつあかみて、むらさきだちたる雲の、ほそく
たな引たるなどいとおかし」
等の改作があるというが、個人的には、あまり上手くないとは、思えない。
枕草子においては、清少納言の静かで細微な観察がある情景、ある人物
の描写において、力強い特性描写を可能としている。
5)「もののあはれ」
本居宣長がこの「もののあはれ」を文芸の根本と主張した。
何事にまれ、感ずべき事にりて、心の動きて、感ずる。
「あはれ」とは、「みるもの、聞くもの、ふるる事に、心の感じて
出る、嘆息のこえ。
また、「もの」とは、「物いふ、物語、物まうまで、物見、物いみ
などいふたぐいの物にてひろくいふ時に添ふる語」と言っている。
即ち、「もののあはれ」をいかなる感情も直ちにそのままにみるべきでは
ないと言っている。それは、それ自身に、限りなく純化され浄化されようと
する傾向を持った無限的な感情でもある。
「ものあはれ」を含め、我々が体感し、共有化できることが、数百年経った
現在でも、通じ合えることは、生活文化、芸術感覚が変わっていないと
いうことでもある。楽浪(さざなみ)の志賀とも呼ばれるこの地域でも、
同じであろう。



「日本古代文化(和辻哲郎)に思う」
私は単なる技術屋であり、歴史学者でもないし、考古学者でもない。
単に、日本人がどんな人々であったか、特に、宗教、道徳、美術
などの面で、どのような動きがあったのか、知りたいのみである。
しかし、この志賀地域は、古代からの遺跡もあり、小野神社
を含めて、古来、「志賀の漢人」と呼ばれる人々が多かった。
中々に、興味魅かれることも多い。
和辻哲郎の「日本古代文化」にしろ、どこまで理解しているか、
怪しいものであるが、自身の「今後の地域を見る眼を養う」と言う
点では、少し、整理していきたい。
1)日本人の特性
和辻は、言う。
この日本民族気概を観察するについては、まず、我々の親しむべく
愛すべき「自然」の影響が考えられなくてはならない。
我々の祖先は、この島国の気候風土が現在のような状態に確定した
頃から暫時この新状態に適応して、自らの心身状態をも変えて行った
に違いない。
もし、そうであるならば、我々の考察する時代には、既に、この
風土の自然が彼らの血肉に浸透しきっていたはずである。
温和なこの国土の気候は、彼らの衝動を温和にし彼らの願望を
調和的にならしめたであろう。
日本人は太古から魚貝と植物とを食っていたのである。
したがって、稲の耕作を学び取った後にも、食糧の上に質的変化
はなかったであろう。日本人は本来菜魚食人種としての温和な
性格を持っていたのである。
、、、
我々の祖先には熱砂から生まれるらしい強烈な幻想や広漠たる
大陸に訓練されるらしい意力粘り強さなどはなかったが、
しかしささやかな小山の愛らしい円さがいかに喜ばしく美しいか
青空に抱くかるる優美な金剛山の姿がいかに偉大荘厳であるか、
或いは、また細かな珠玉の可憐な触感がいかに微妙であり、
浅芽原のふみ心地がいかに快いかを、鋭敏に感受しうる心はあった。
(これは、白洲正子、唐木順三ほか多くの識者が示唆している
ことでもある)
2)2つの文化の存在
対朝鮮外交から、二つの有力な文化圏を想定している。
・近畿を中心とした山陰、山陽、四国などに分布している。
筑紫を経由せずに、銅鐸遺品が分布している。
・筑紫を中心とした四国、中国全土
銅矛銅剣遺品が分布している。
筑紫からの交通は大陸と潮流的にも、盛んであった。
3)倭の国?
倭人伝によると、
29の国が女王卑弥呼に服属し、残る1国が属さなかったとのこと。
人口については、色々な説があるようであるが、42万人と言う説がある。
卑弥呼が女王となったのは、その「鬼道」、呪術、であった。その
神秘的な力により、衆より選ばれる人であり、「神の如きもの」となった。
一般的に君主の起源は、宗教的であり、最古の君主の形式は呪術者との事。
この当時、宗教的な信仰は3つの面をっ持っていたとの事。
・神がかり   しかし、明確な人格神はいない。
・占い
・厄除け
統一を遂行した大和朝廷は、出雲大社の大物主神により、その権威を
裏付けさせられた。これにより、各地の子孫祭事は守られ、氏姓制度の
発達となる。天照大神と大物主神の存在、旧来の信仰との調和が必要
となり、神そのものの性質が変化する必要が出てきた。
・漠然たる神秘を持った神々が夫々に特殊な機能を持つ神に分化する。
・人文神、火の神、農業神、太陽神など、の崇拝が高まる。
・これらの神々が人格を備えた人間的な神として具象的な性質を持つ。
多かったシナからの帰化人。これにより、仏教の伝来、政治体制、
衣食住等の生活技術の導入、そして文字の発達(特に、日本書紀の
記述など)が進んだ。特に、漢字の日本語化は日本人の仕事として、
重要である。
(湖西地域は、多分、朝鮮からの帰化人が多く、その遺跡も
多数ある。昔から大いに関係ある地域であるようだ。)
4)上代の宗教心
以下の様な形式を持っていた。
・呪術は精霊をを追い払う。
・神がかりの漠然たる神秘力
・大祓い
これらをキチンと実行するための儀式が出てくる。
・斎瓦をもって神を祀る。
・矛、盾などによる武器による。
・武器そのもの、特に刀剣を」神として祀る。
・鏡を祀る。
これにより、神代史のもっとも重大な説話は、全て、鏡、玉、矛、
剣のどの尊崇空生まれた。
古い儀式からは、単に「祭られる神、自然神」が生まれ、新しい
儀式からは、「神を祀る神、君主としての神、英雄神」が生まれ、
最後に造化神が生まれた。
2つの文化圏からその神話は、並存する。
イザナギの尊は天照大神をを生んでこの神に高天原を統治させる。
⇒大和朝廷の権威の由来
スサノオの尊は大国主の神を産み「地上の国の君主」とした。
⇒多くの神社と民衆から崇められた出雲の大神
しかし、全体性の権威のため、皇室尊崇の宗教として、「皇祖神」
が出てくる。
5)その道徳観
基本は、皇国連綿の道が天下を収めたと言われる。
それは、人間の行為の道徳的意義を天皇への順従という形で、
全体性への帰属が根本となる。
上代の人倫としての罪には、5つあるとのこと。
①畔放ち  溝埋め。農村の共同体、共同作業としては重要
②屁戸   衛生的な面では重要。
③生剥逆剥 家畜などに対する残虐な行為
④上通下通婚 婚姻関係のタブー
⑤馬婚、牛紺、犬紺など 畜犯する。
上代人の善悪の価値とは、「よし」と「あし」で言い表している。
・「よし」は清さであり、「清明心」の概念。
これは「キヨキアカキ」と読まれる。清さは明るさ、明朗性であり、
暗さに対する。汚れなき明るい心である。
更に、清く明るい心とは、共同体の内部において己を全体に帰属せしめ、
なんらの後ろめたい気持ちにも煩わせぬ明朗な心境である。
それに対して、穢い暗い心とは、主我的な衝動によって全体から背き
、後ろめたい気持ちによってひそかに心を悩ますような心境である。
6)造形美術
鏡、武具装飾、埴輪、石壁画、石棺等は全て上代人にとって、美術品
として独立したものではないが、もっとも重大な生活の契機となる
ものである。
・シナの様式を模倣したもの  鏡、瓦、武器、など
・外来の様式を混地得ない   埴輪、石壁画、陶棺など
特に、これらの中でも、鏡が重要である。
その文様は色々あるが、十二支の文字や鳥獣、玄武、清龍、朱雀など
に注意が必要である。
注意すべきは、線、文様の性質の変化である。
和辻哲郎の言う
「この日本民族気概を観察するについては、まず、我々の親しむべく
愛すべき「自然」の影響が考えられなくてはならない。
我々の祖先は、この島国の気候風土が現在のような状態に確定した
頃から暫時この新状態に適応して、自らの心身状態をも変えて行った
に違いない。」
には、大いに納得できる。これが学術的にどうかは、別にして、
時代が、社会が、変わろうと、今の自分含め、人との交流において、
まずは、考えるべきことかもしれない。


「和辻哲郎の古寺巡礼から思う事」
和辻哲郎の風土からも思うが、ヨーロッパの風土、インドの風土、中国の
文化に対する造詣の深さには、感服する。
この古寺巡礼にも、仏教文化を中心とした造詣をベースとした様々な示唆が
見られる。私自身、全くの実力不足ではあるが、古寺巡礼を通したその想い、
感想から、日本人としての原点?について、少し、記述する。
全然、ずれている事も含め、勝手な個人的想いとしてではあるが。
和辻哲郎の基本的日本文化への想いは、最後に良く書かれている。
これらの
文化現象を生み出すに至った母胎は、我国の優しい自然であろう。
愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせこの自然とも同じく
底知れぬ神秘を持った我国の自然は、
人体の姿に表せばあの観音(ここでは中宮寺観音)となるほかにない。
自然に酔う甘美な心持ちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴であるが、
その根は、あの観音と共通に、この国土の自然から出ているのである。
葉木の露の美しさも鋭く感受する繊細な自然の愛や一笠一杖に身を託して
自然に溶け合って行くしめやかな自然との抱擁やその分化した官能の
陶酔、飄逸なこころの法悦は、一見、この観音と甚だしく異なるように
思える。しかし、その異なるのは、ただ、注意の向かう方向の相違である。
捕らえられる対象こそ差別があれ、捕らえにかかる心情には、極めて近く
相似るものがある。母であるこの大地の特殊な美しさは、その胎より出た
同じ子孫に賦与した。我国の文化の考察は、結局我国の自然の考察に歸て
行かなくてはならぬ。
・その基本意識
人間生活を宗教的とか、知的とか、道徳的とか言う風に泰然と区別してしまう
ことは、正しくない。それは、具体的な1つの生活をバラバラにし、生きた全体
として掴むことを不可能にする。しかし、1つの側面をその美しい特徴によって、
他と区別して観察すると言うことは、それが、全体の一側面であることを
忘れられない限り、依然としてひつようなことである。
芸術は衆生にそのより高き自己を指示する力の故に、衆生救済の方便として
用いられる可能性を持っていた。仏教が芸術と結びついたのは、この可能性
を実現したのである。しかし、芸術は、たとえ方便として利用されたとしても、
それ自身で、歩む力を持っている。だから、芸術が僧院内でそれ自身の活動
を始めると言うことは、何も不思議なことではない。
芸術に恍惚とするものの心には、その神秘な美の力が、いかにも、浄福のように
感ぜられたであろう。宗教による解脱よりも、芸術による恍惚の方が如何に
容易であるかを思えば、かかる事態は、容易に起こり得たのである。
仏教の経典が佛菩薩の形像を丹念に描写している事は、人の知る通りである。
何人も阿弥陀経を指して教義の書とは呼び得ないであろう。これは、まず、
第一に浄土における諸仏の幻像の描写である。また、人びとも法華寺経
を指してそれが幻像のでないといいえまい。それは、
まず、第一に佛を主人公とする大きな戯曲的な詩である。観無量寿経の如きは、
特に詳細にこれらの幻像を描いている。佛徒は、それの基づいてみづからの
眼を持ってそれらの幻像を見るべく努力した。観佛は、彼らの内生の
重大な要素であった。仏像がいかに刺激の多い、生きた役目を務めたかは、
そこから容易に理解される。
観世音菩薩は、衆生をその困難から救う絶大な力と慈悲とを持っている。
彼に救われるには、ただ、彼を念ずればよい。彼は境に応じて、時には、仏身
を現じ、時には、梵天の身を現ずる。また、時には、人身も現じ、時には、
獣身をさえも現在ずる。そうして、衆生を度脱し、衆生に無畏を施す。
かくのごとき菩薩は、如何なる形貌を備えていなくてはならないか。
まず、第一にそれは、人間離れした超人的な威厳を持っていなければならない。
と同時に、もっとも人間らしい優しさや美しさを持っていなく絵ならぬ。
それは、根本においては、人ではない。しかし、人体を借りて現れることで、
人体を神的な清浄と美とに高めるのである。

・聖林寺11面観音より
切れの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼、ふくよかな唇、鋭くない鼻、
全てわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、
また超人を現す特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには、神々しい威厳と
人間のものならぬ美しさが現されている。
薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、人のこころと運命を見通す観自在のまなこである

、、、、、、この顔を受けて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。
、、、四肢のしなやかさは、柔らかい衣の皺にも腕や手の円さにも十分現されていなが
ら、
しかも、その底に強靭な意思のひらめきを持っている。殊に、この重々しかるべき五体
は、
重力の法則を超越するかのようにいかにも軽やかな、浮現せる如き趣を見せている。
これらのことがすべて気高さの印象の素因なのである。
・百済観音について
漢の様式の特有を中から動かして仏教美術の創作物に趣かせたものは、漢人固有の情熱
でも思想でもなかった。、、、、、、
抽象的な天が具体的な仏に変化する。その驚異を我々は、百済観音から感受するのであ
る。
人体の美しさ、慈悲の心の貴さ、それを嬰児の如く新鮮な感動によって迎えた過渡期の
人々は、人の姿における超人的存在の表現をようやく理解し得るに至った。
神秘的なものをかくおのれに近いものとして感じることは、彼らにとって、世界の光景

一変するほどの出来毎であった。
・薬師寺聖観音について
美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。、、、、、、
つややか肌がふっくりと盛り上がっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。
衣文につつまれた清らか下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を
表現したものである。しかも、それは、人体の写実的な確かさに感服したが、
、、、、、、、、
もとよりこの写実は、近代的な個性を重んじる写生とはおなじではない。
一個人を写さずして人間そのものを写すのである。
なお、和辻哲郎がその美しさを認めている像には、
薬師寺の薬師如来と夢観音あるが、ここでは、省く。
中宮寺観音は、すでに、和辻哲郎の全体の意識の大きな要因として、
記述した。
・阿弥浄土図について
まことにこの書こそ、真実の浄土図である。そこには、宝池もなく宝楼もなく
宝樹もない。また、軽やかに空を飛翔する天人もいない。ただ大きい弥陀の
三尊と上下の端に装飾的に並べられた小さい人物とがあるのみである。
しかも、そこに、美しい人間の姿をかりて現されたものは、弥陀の浄土と
呼ばれるにふさわしいものである。

和辻哲郎から見る風土と日本人、文明生態史観より
梅棹忠夫の文明の生態史観を読んだ。
多くの学者が、西洋と東洋という括りで、アジア対ヨーロッパと言う
慣習的な座標軸で、その発達や文化の違いを論じてきたが、ここでは、
中様と言う考え、例えばイスラム文化などを別世界と考える、を提言
している。そして、さらに、現代の資本主義による高度の近代文明を
持つ地域を第一地域と分類する。第二地域はそれ以外になるのだが、
中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラム世界の4つの
大共同体を考える。
この視点から、各地域で複雑に絡み合い、対立する各地域の文明を
生きた現実世界として、統一的に整理している。
特に、その基盤となるのが、風土に起因しているとの指摘は、和辻の
言っている3つの地域類型と同じ発想とは、中々に面白い。
和辻の風土ほどの深さは無いものの、現代を認識しながらの視点は
考えるべきことでもある。

ーーーーーーーーー
日本が、明治時代を経て、西洋化、文明化?したとは、言え、その本質は
変わっていないはず。様々な人々が、其々の視点で述べている。
和辻哲郎は、モンスーン地域、沙漠地域、そして、地中海を中心とする
牧場地域などを自身の観た感触と全体感覚で、まとめている。
インターネットのよる電脳世界となった今でも、人間が、その生活空間から
脱し得ない限り、この風土との関係はきれないはずである。

我々は、風土において
我々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである。
我々はさらに風土の現象を文芸、美術、宗教、風習等あらゆる人間生活の
表現のうちに見出す事が出来る。

1)風土を人間存在の1つとして規定する
人間を根本的に把握する為には、個であるとともにまた全である如き人間存在の
根本構造を押さえベキである。
2)人間存在の二重性格がまず、人間の本質として把握されるならば、時間性と
同時に空間性が見出されねばならない。
3)人間の創る様々な共同態、結合態は、一定の秩序において内的に展開する
ところの体系である。
4)人間存在の空間的、時間的構造は風土性、歴史性として己を現して来る。

以上から、
主体的な人間存在が己を客体化する契機は、ちょうどこれらの風土に在するのである。
そして、人間存在の風土的規定は、(^-^)/、、、するための連関(^-^)/
となる。
従って、主体的なる人間存在の型としての風土の型は、風土的、歴史的現象の
解釈のみえられる。人間の存在認識と構造の把握は、風土の型を捉える必要がある。

ここでは、類型を3つに分類している。
・モンスーン地域
一般的にモンスーン地域の人間の構造は、その風土の激しさから受容的忍従
的と考える。その構造は湿潤。特にインドの人間において文化的に、歴史的
感覚の欠如、感情の檄性、意力の弛緩として現れている。
インドの想像力の特性は、(^-^)/本生評である。そこでは、あらゆる生物が、人間
含めての衆生がその共通の生にて描かれる。
即ち、様式的には、全体として明白さを欠き、非構造的である。
これは、西洋の人間中心主義的な芸術的統一とは全く異なる。
・沙漠地域
沙漠を人間のあり方として考えると、人間が個人にして同時に社会的で
あり、その具体性においてはただ人間の歴史的社会にのみ現出する。
沙漠の本質は、乾燥、と考える。従って、渇きであり、水を求める生活となる。
これにより、対抗的戦闘的な関係が在する。特にそれは、その共同体において
明白である。
沙漠の民の特性は、思惟の乾燥性、意力の強固さ、道徳性傾向の強烈さ、
感情生活の空疎(心情優しさや暖かさの欠如)と言われている。
・牧場地域
これは、ヨーロッパを中心とした風土であるが、湿潤と乾燥との総合と
考えられる。ただ、乾燥期の特徴は、地中海、特に、イタリアによく
現れているが、フランスやドイツではまた異なる風土が存在する。
そのため、その地域の文化形成は、歴史的、風土的な制約をうけるものの、
その風土的な限界を超えて形成できる事を、ギリシャやイタリアの文化
から、知り得るものでもある。

・日本の場合
日本でもモンスーン的な風土類型を逃れる事はできない。
受容的、忍従的である。ただ、その受容的性格は、少し違う。
まずは、熱帯的、寒帯的であり、しかも、季節的、突発的でもある。
所謂、台風的なのである。
しめやかな激情、戦闘的な快活なのである。

しかし、これらを、個人にして社会である事に関して見ると、
共同体の作り方に現れて来る。
家族としての、間、は先ほどの3つの類型とは、明白に違う。
(^-^)/家がその共同体としての家族的な生活の基本となる。
(^-^)/家は家族の全体性を意味する。
家族の全体性が個々の成員よりも先に位置付けられるのである。
家こそが、先ほどのしめやかな激情、戦闘的な快活と言う間柄
を顕著に発達させたのである。
そのため、日本におけるうちとそとは、重要な意味を持つ。
それは、
個人の心の内と外であり、
家屋の内外であり、
国あるいは町の内外である。
これが、ヨーロッパと大きく違うところである。日本人は外形的には
ヨーロッパの生活を取り入れたが、家に規定されている個人主義的
社交的なる公共生活は、全く取り入れていないと言える。
これは、宗教的な信念や人間としての隔てなき結合の尊重となている。
すなわち、日本の人間がその全体性を自覚する道も、実は、家の全体性を
通じてなされる。
古代から、人間の全体性は、まず、神として把握されてきた。そして、
それは、国家という枠組みが出来ていない古代では、最も、素朴的な
全体性の把握であるが、不思議にも、その素朴な活力が国史を通じて
行き続けている。それを示す歴史的な証左は、多く見られる。例えば、
明治維新、天皇の存在など。
原始社会における宗教的な全体把握が高度文化の時代になお社会変革の
動力として行き続けているのである。
すなわち、日本の国民は皇室を宗家とする一大家族なのである。

日本の家に、図らずも、その表徴が見える。
それは、各々の室が独立性を保った家としてに作りになっている
ヨーロッパの建物と比較するとよく分かる。そこでは、カフェが茶の間であり、
往来は廊下である。鍵を持って個人が社会から己を隔てる一つの関門を出れば、
そこには、共同の食堂や共同の庭がある。
日本には、明らかに、家、がある。廊下は全然往来となることはなく、その
関門としてお玄関は内と外を別にしている。我々は、玄関に入る時は、
脱ぎ、履くことを要する。食堂や茶の間はあくまでも私人的であり、
共同の性格を帯びることはない。家は毅然と外なる町に対して己を区別
しているが、しかし、その内部においては、室の独立という如きは、全然
ないのである。室を隔てるのは、襖と障子であるが、防御的対抗的、
へだて、の表現はない。すなわち、へだて、の意志が他の人によって
常に尊重されるという相互の信頼に基づくのである。襖や障子は、むしろ、
隔てなき意志を表現しつつ、そのへだてなさの上において、ただ室を仕切る
だけのものなのである。
表面的には、精錬されたビル群が林立しようと、根本的に、日本の源流は
しっかりと生きていいる。


(^-^)/芸術の風土的性格
古寺巡礼には、ここで指摘の事がベースとなっており、基本的な考え方は
理解しておく必要がある。

人間の本性に根ざし従ってあらゆるところに働ける芸術創作力が
如何にして民族と時代とにより異なる種々の芸術を創り出すのか?
ここでは、2つの問題を指摘している。
・(^-^)/ところによって異なる芸術
・(^-^)/ときによって異なる芸術
それが明確に現れているのが、庭園への取り組みである。
ヨーロッパの庭園は、ただ、自然のままの風景であるが、日本の庭園は、
決して自然のままではない。
また、絵画や工芸品の表現でも、大きな違いがある。
ヨーロッパの規則正しい模様に対して、日本のそれは、一見デタラメの様であるが、
規則正しい模様以上の妙味がある。これは、茶の湯、歌舞伎、そして仏教美術
にさえも現れている。

伝統工芸への想い

「「手仕事の日本」から想う」
30年ほど前に書かれた柳宗悦の「手仕事の日本」。
もし、精神文化で理解を深めたと言うのであれば、和辻哲郎の「日本古代
文化」であり、地域の持つ文化や一般生活での具体的な形を知るという
点では、この「手仕事の日本」と思っている。終戦と言う大きな節目から
日本社会、日本人そのものが変わりつつあるのは、残念なことであるが、
意識の底流には、まだ数千年の共通的な感覚は残っているのであろう。
「手仕事の日本」で、それを感じるのも、これからの自分にとっても、
有意義なことと思っている。
以下に、「手仕事の日本」からの記述を示す。
今でも、充分考えさせられる内容であることが分かると思う。そして、
我々が如何に、自然との協奏の中にいる事を、強く感じる。
「あなた方はとくと考えられたことがあるでしょうか、今も日本が素晴らしい
手仕事の国であるという事を。
西洋では、機械の働きがあまりにも盛んで、手仕事の方は衰えてしまいました。
しかし、それに片寄りすぎては色々の害が現われます。それで各国とも手の技を
盛り返そうと努めております。なぜ機械仕事と供に手仕事が必要なので
ありましょうか。機械に依らなければ出来ない品物があると供に、機械では、
生まれないものが数々あるわけでありす。全てを機械に任せてしまうと、第一に
国民的な特色あるものが乏しくなってきます。機械は世界のものを共通に
してしまう傾きがあります。それに残念なことに、機械は兎も角利益のために
用いられるので、出来る品物が粗末になり勝ちであります。それに人間が
機械に使われてしまうためか、働く人からとかく悦びを奪ってしまいます。
こういうことが禍して、機械製品には良いものが少なくなって来ました。
(現在の高度に精密加工できる工作機械と熟練の技では、この指摘は、必ずしも
正しくはない。しかし、この文意にもあるが、昨今のグローバリぜーションの
拡大で、「国民的な特色が乏しくなる」と言う点を真摯に受け取ると、
日本文化をキチンと承継し、高めていくにはこの指摘は重要である)
しかし、残念なことに日本では、かえってそういう手の技が大切なものだと言う
反省が行き渡っていません。それどころか、手仕事などは時代に取り残された
ものだという考えが強まってきました。そのため多くの多くは投げやりに
してあります。このままですと手仕事は段々衰えて、機械生産のみ盛んに
なる時が来るでしょう。しかし、私どもは西洋でなした過失を繰り返したくは
ありません。日本の固有の美しさを守るために手仕事の歴史を更に育てる
べきだと思います。
今日眺めようというのは、他でもありません。北から中央、さては西や南に
かけて、この日本がいまどんな固有の品物を作ったり用いたりしているかという
ことであります。これは何より地理と深い関係を持ちます。気候風土と離れて
しなものは決して生まれてはこないからです。どの地方にどんなものが
あるかという事を考えると、地図がまた新しい意味を現してきます。、、、、
こんなにも様々な気候や風土を持つ国でありますから、植物だとて鳥獣だとて
驚くほどの種類に恵まれています。人間の生活とても様々な変化を示し、
各地の風俗や行事を見ますと、所に応じてどんなに異なるかが見られます。
用いる言葉とて、夫々に特色を示しております。これらのことはやがて各地で
作られる品物が、種類において形において色において、様々な変化を示す
事をかたるでありましょう。いわば、地方色に彩られていないものは
ありません。少なくとも日本の本来のものは、それぞれに固有の姿を持って
生まれました。
さてこういうような様々な品物が出来る原因を考えて見ますと、2つの大きな
基礎があることに気付かれます。一つは自然であり、一つは歴史であります。
自然と言うのは、神が仕組む天与のもであり、歴史と言うのは人間が開発した
努力の跡であります。どんなものも自然と人間との交わりから生み出されていきます。
中でも、自然こそは全ての物の基礎であるといわねばなりません。その力は
限りなく大きく終わりなく深いものなのを感じます。昔から自然を崇拝する
宗教が絶えないのは無理もありません。日rんを仰ぐ信仰や山岳を敬う信心は
人間の抱く必然な感情でありました。、、、、、、
前にも述べました通り、寒暖の2つを共に育つこの国は、風土に従って多種多様な
資材に恵まれています。例を植物にとるといたしましょう。柔らかい桐や杉を
始めとして、松や桜やさては、堅い欅、栗、楢。黄色い桑や黒い黒柿、節のある
楓や柾目の檜、それぞれに異なった性質を示してわれわれの用途を待っています。
この恵まれた事情が日本人の木材に対する好みを発達させました。柾目だとか
木目だとか、好みは細かく分かれます。こんなにも木の味に心を寄せる国民は
他にないでしょう。しかしそれは全て日本の地理からくる恩恵なのです。
私たちは日本の文化の大きな基礎が、日本の自然である事をみました。
何者もこの自然を離れて存在することが出来ません。
(このような指摘は、様々な人が言ってきた。
例えば、和辻哲郎は、言う。
「この日本民族気概を観察するについては、まず、我々の親しむべく
愛すべき「自然」の影響が考えられなくてはならない。
我々の祖先は、この島国の気候風土が現在のような状態に確定した
頃から暫時この新状態に適応して、自らの心身状態をも変えて行った
に違いない。もし、そうであるならば、我々の考察する時代には、既に、
この風土の自然が彼らの血肉に浸透しきっていたはずである。
温和なこの国土の気候は、彼らの衝動を温和にし彼らの願望を
調和的にならしめたであろう。」と。
そして、美濃和紙や各地の和紙、有田から備前などの焼き物、木曾檜の
木工品など結構好きで、旅したときはその地方の工芸品を見たり、
買ったりしてきたが、それらがその地域の自然と切り離しては、成り立たない、
と言うことをその度に、感じたものである。)
しかし、もう1つ他に
大きな基礎をなしているものがあります。それは一国の固有な歴史であります。
歴史とは何なのでしょうか。それはこの地上における人間の生活の出来事であります。
それが積み重なって今日の生活を成しているのであります。、、、、、、
どんなものも歴史のお陰を受けぬものはありません。
天が与えてくれた自然と、人間が育てた歴史と、この二つの大きな力に
支えられて、我々の生活があるのであります。
我々は日本人でありますから、出来るだけ日本的なものを育てるべきだと思います。
丁度シナの国ではシナのものを、インドではインドのものを活かすべきなのと、
同じであります。西洋の模造品や追従品でないもの、すなわち故国の特色あるものを
作り、またそれで、暮らすことに誇りを持たねばなりません。たとえ西洋の
風を加味したものでも、充分日本で咀嚼されたものを尊ばねばなりません。
日本人は日本で生まれた固有のものを主にして暮らすのが至当でありましょう。
故国に見るべきものがないなら致し方ありません。しかし幸いなことに、
まだまだ立派な質を持ったものが各地に色々と残っているのであります。
それを作る工人たちもすくなくありません。技術もまた相当に保たれている
のであります。ただ残念なことにまえにも述べたとおり、それらのものの
値打ちを見てくれる人が少なくなったため、日本的なものはかえって等閑に
されたままであります。誰からも遅れたものに思われて、細々とその仕事を
続けているような状態であります。それ故今後何かの道でこれを保護しない
限り、取り返しのつかない損失が来ると思われます。それらのものに
再び固有の美しさを認め、伝統の価値を見直し、それらを健全なものに
育てることこそ、今の日本人に課せられた重い使命だと信じます。
(ここ数年、伝統工芸品、工芸品への理解が高まり、各地で若い職人と
大学などとのコラボやデザイナーの積極参加で伝統工芸の技や素材を
活用した新しい製品造りが盛んになっている。私の近くでも、京都の
工芸のスキルを織物や木工品に適用して、今までにない形でのものの
提供を図っている人々が多くなっている。日本文化の発信として、国
全体としての取り組みが少しづつ具体的な形になって来たのであろう。
また、民間でも、企業ベースで、地域の工芸技術を活用した様々な
製品が創出されている。これを更に大きなうねりとすることが柳さんたちの
想いを結実することとなろう。それは、また、最近忘れ去れつつある
日本文化の見直しとその原点の認識を更に、多くの人に理解してもらい、
より精細な文化創造物を生み出すことの推進力にもなる


「手作りへの思いとモノづくり日本」
最近、手作り品、手仕事の品への評価が高まっている。
そこには、機械的に作られ安さのみを追求した合理性の完成品への
反発と人間性欠如への抵抗がある。また、それらを望む成熟社会で
生きてきた余力と目利きのよさを背景とする顧客層の拡大が
大きい。京都では、伝統工芸品として、何百件の認定品がある。
また、それらを活かしきる技術が継承してきたことも大きい。最近、
デザイナーと上手く組み、イタリアを中心とするヨーロッパに日本の
伝統工芸品として、認知度を更にアップさせ、ビジネスとしても、成功
している職人が増えつつある。この人たちは、職人と言うよりも、工芸
作家と呼ぶべきかもしれない。
最近、お話を聞いた「桶」製品も自然との調和を基本とする日本人特有の
繊細さと素材を徹底的に活かしきる技の集大成から新局面を迎えつつある。
全体の持つフォルムや美しい杉の香り出し、1点の隙もないその滑らかな
側板のつながりなど、その基本的な技を「桶」と言う常識の中で具現化
するだけでなく、テーブルや街灯、花瓶へと進化させている。
私たちには、素材の放つ高野槇、木曾サワラ、木曾檜、吉野杉の匂いを感じ、
滑らかな手触り、そのフォルムの美しさを見て、手作りの凄さを
身をもって知っている。それは、多くの工芸品と呼ばれるものにある
自然との調和を原点とした日本人の持つ共通した特性であり、まだ我々の
中に、存在している事をあらためて認識する。
多分、手作りとしての繊細さと素材を活かしきることへの情熱が、
「ものづくり日本」の原点ではないのだろうか。確かに明治以降、西洋
の技術と考え方を基本として、工業国への邁進を進めてきたとは言え、
精神的な基盤としての日本人の特性は、脈々と受け継がれてきた。
それが、今の日本を支えていると思う。
これを理解するため、工芸品、民芸品に強い想いを持っていた柳宗悦
について考えて見たい。
伝統工芸品と民芸品の違いが良く質されるが、
伝統工芸は、法律的には通産省認定の産地で工芸士資格保持者が作った物
という定義がある。広義では日常民具の域を超越した、技巧的な産品という
意味の工芸品である。そして、民芸品は日常民具の範囲内で、美術的価値を
持っていてはいけないとされている。柳宗悦の「民衆的工芸」による定義
があるが、あくまでも民具に焦点を当てただけで、民具が美術品以上に評価
され、美術品同等に高価で取引される事を良しとしたわけではない。
更に言えば、「伝統工芸品」とは、日常生活の中で古くから使われてきた
工芸品であり、今もなお伝統的な原材料を使い、伝統的な技術・技法により
手工業的に製造されている工芸品となる。
柳宗悦率いる「民芸運動」の中で、彼らが訴えたのも「用の美、使われてこその
美しさ、日常にあってこその工芸品」である。
陶芸の分野では、河合寛二郎、浜田庄司、バーナードリーチなどが運動
(というか思想)に賛同している。
日本では、出来のいい工芸品は美術品として扱われることも多いので、その辺の格差が
ない分、なんだか桐の箱に鎮座させて「もったいなくて使えない」とか「傷なんかつけ
たら鑑定で金額が下がるから」などの理由で使わないのだろうが、本末転倒の極みと
いえよう。
更には、国の伝統工芸品として指定を受けるためには、「主として日常生活で使われて
いる」「製造過程の大部分が手作り」「伝統的技術または技法(およそ100年以上)
によって製造」「伝統的に使用されてきた原材料を使用」「一定の地域で、ある程度
の産地を形成」という5つの要件が必要となる。
柳宗悦は、昭和初期に興った民芸運動の中心的存在と言っていいだろう。
 彼は"民芸"という言葉を使った(作った)。民芸とは、簡単に言えば日常的に使う
道具、民衆的工芸という意味。 著者は20年近くの歳月をかけて、北海道を
除く全国(沖縄含む)に赴いて調査したという。
「手仕事の日本」と言う本では、次第に日本各地から失われてゆく伝統的な手仕事
(民芸品)を記録している。現代では民芸品というと高価な芸術品というイメージが
あるけれども、柳のいう民芸品とは、あくまでも(当時)庶民が日常的に使っている
道具、いわゆる実用品・日用品である。彼の審美眼に適った道具とそれらに
施された美しさを探っている。
しかし、本書はたんに手仕事を記録し紹介する本ではなく、手仕事を通じてその
背景にある日本的な美、日本的な文化と精神、日本と各地方のあり方、日本及び
日本人の指針を書いたでもある。
日常生活ではまず見ることがないけれど、いまでも民芸品として作られている物
もあれば、郷土館か博物館へ行かなければもはや見れないような物もある。
文章だけではいったいどんな物なのか想像できないような物もある。例えば、
囲炉裏関係の道具とか背負籠、蓑や雪帽子等、いまの生活には必要なくなり、
廃れたものもある。職人は自分の仕事に誇りを持っているため、仕事を疎かに
しない。自分の名を誇るのではなく、仕事を誇るからだと言う。
この場合、味わいは愛着とは違う。 古くなっても使用に耐えられる美しい物と
古くなると使えなくなり醜くなる物があると言えよう。
柳宗悦にとっての美しさとは何なのか。端的に言えば、著者は"健康な美しさ"だ
と言う。変に懲りすぎると美しくない物が多い。また、見てくれに走って、使い勝
手が悪かったりする。 良い物は見た目がシンプルな物が多いように思われる。
シンプルでムダがない。
以下の様なコミュニティもある。参考に、
https://m.teshigoto.biz/sanchi/map/index


『とと姉ちゃん』ファンも必見! 「民藝」のスーパースター物語

DMA-photo_yanagi_663民藝の父、柳宗悦
「用の美」と称えられ、素朴な美しさで広く親しまれている民藝――。今ではすっかりおなじみになっていますが、民藝は大正時代の末に登場した新しい美意識です。生みの親は柳宗悦であり、彼と同じ美に対する認識をもっていた陶芸家の濱田庄司や河井寬次郎らとの語らいの中から、民衆的工芸を略した「民藝」という言葉がつくられたのです。その民藝の7大スーパースターを、2回に分けてご紹介しましょう。

この人がいなかったら
生活を豊かにする「用の美」は
生まれなかった!

民藝の父・柳宗悦(やなぎむねよし)

 まずは、「民藝の父」と称される柳宗悦の足跡を簡単に振り返ってみましょう。
 明治22(1889)年に東京麻布で生まれた柳は、学習院高等科のころ、後に文豪として名を馳せる武者小路実篤や志賀直哉らと文芸雑誌『白樺』を発刊。『白樺』は小説のみならず、西洋美術を積極的に取り上げ、その中心的役割を担ったのが柳でした。
 その後、東京帝国大学哲学科を卒業した柳は宗教学者として世に出ます。当時、柳はイギリスの宗教詩人で画家であったウィリアム・ブレイクの、おのれの直観を重視する思想に大きな影響を受け、芸術と宗教に基づいた独自思想をもつようになります。
 このころ、柳の人生は朝鮮から訪れた青年によって大きく旋回します。手みやげであった李朝の小さな染付の壺を見た柳は、そこにまったく新しい美を発見。朝鮮の民衆雑器への興味を募らせて朝鮮半島へ行き、多種多様な工芸があることに感銘を受けます。
 さらに、江戸時代に諸国を遊行した僧・木喰(もくじき)がつくった仏像に惹かれた柳は、日本各地を訪ね歩く旅の途で、地方色豊かな工芸品の数々や固有の工芸文化があることを知ります。そのころ出会ったのが濱田や河井で、彼らと美について語らううち、「名も無き民衆が無意識のうちにつくり上げたものにこそ真の美がある」という民藝の考え方が定まるのです。
 民藝の特性を柳は「実用性、無銘性、複数性、廉価性、地方性、分業性、伝統性、他力性」の言葉で説明。柳の求める美は民藝運動へとつながり、研究や批評をするだけでなく、全国に残る手仕事を訪ね歩き、生活全般にわたって用いることによって実践。蒐集した民藝品を展示する「日本民藝館」を東京の駒場につくり、その功績を伝えています。
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民藝と出合い、独自の造形を追求し、
生涯を一陶工としてまっとう

河井寛次郎(かわいかんじろう)

 中学生のころから陶芸家を志していた河井寬次郎は、島根県の安来(やすき)から東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科へ進学。2学年下には濱田庄司がいて、卒業後に技師として入所した京都市立陶磁器試験場では同僚として、ともに釉薬の研究にいそしみます。
 やがて、京都市五条坂に工房「鐘溪窯(しょうけいよう)」と住居を構えた河井は、初の個展で東洋古陶磁の技法を駆使した作品を発表し、技術と完成度の高さで好評を博します。しかし、河井自身は次第にみずからの作陶に疑問を抱きはじめ、同時期に柳宗悦から酷評を受けたことも、迷いに拍車をかけたとされます。
 その後、濱田がイギリスから持ち帰ったスリップウエアと呼ばれる陶器を見た河井は、日用の器に自分の本分を見出し、疑問を解消。濱田を介して柳と出会うと、過去のわだかまりを超えて理解し合い、民藝運動へとのめり込んでいくことになります。
 人気を博した中国古陶磁のスタイルから、日本民窯のモチーフをふんだんに取り入れるようにして、河井の作風は一変。「用の美」を意識した、暮らしに溶け込んだ品々を数多く生み出します。
 第二次世界大戦の最中は作陶が中断されますが、戦後に再開すると、ため込んでいたエネルギーを放出するかのように意欲作を連発。生命感にあふれた力強い器や、不思議な造形を手がけ、民藝の枠を超えた新たな美へ作風を広げます。
 その芸術性は国内外で高く評価されるようになり、文化勲章や人間国宝に推挙されるも、ことごとく辞退。河井は最期まで賞や名誉に関心を示すことなく、一陶工としてやきものと向き合ったのです。
河井

河合寛次郎の作品は、どこかモダンでオリジナル性が光ります!

右上/河井が愛した赤い釉薬の「辰砂筒描角筥」1950年 右下/「白地丸文隅切鉢」1939年 左上/戦後のエネルギッシュな作風を代表する「三色打薬茶碗」1963年 左下/3種類の粘土を重ねてつくられた「練上手鶉文角鉢」1934年(写真はすべて日本民藝館)
DMA-濱田庄司photo

柳宗悦の右腕として
民藝運動を支えた
イギリス仕込みの陶芸家

濱田庄司(はまだしょうじ)

 柳宗悦、河井寬次郎とともに民藝運動を初期から推進した濱田庄司は、近現代の日本を代表する陶芸家です。
 みずから「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と振り返っているように、濱田の作陶家としての生涯は4つの土地を抜きにして語ることはできません。
 東京高等工業学校窯業科に入学した濱田は上級生であった河井寬次郎という終生の友を得て、卒業後は河井と同じく京都市立陶磁器試験場に入所します。
 このころ、個展で出会ったイギリス人陶芸家、バーナード・リーチを千葉県我孫子の柳宗悦の家に訪ねたことから、柳とも親交を深め、大正9(1920)年にリーチとともに渡英。セント・アイヴスのリーチのもとで作陶生活に没頭した約3年半の間に、濱田はその土地固有の素材を用いることと、伝統を生活や作陶に生かすことを学びます。
 帰国後、濱田はまっすぐ京都の河井邸に向かい、そのまま滞在。柳と河井を引き合わせ、この3人が中心となって民藝運動を推進することになるのです。
 濱田の日本での作陶は、沖縄の壺屋と栃木県益子で始まります。沖縄には長期滞在し、イギリスで学んだ作陶法を実践し、伝統的な壺屋焼にならった作を残しています。また、生活に根差した制作の場を求めて移住した益子では多くの古民家を邸内に移築し、作陶に没頭。ほとんど手轆轤(てろくろ)のみでつくるシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様などの作風を追求しました。
 柳の没後、濱田は「日本民藝館」第2代館長に就任。終生を民藝に捧げたといっても過言ではありません。
濱田

生活に根差した作陶意識を反映した、濱田庄司の堅実で力強い器

いずれも作陶の拠点であった益子の土と釉薬をもちいたもので、力強く健康的な作風に特徴がある。右上/「柿釉青流描角鉢」1954年 右下/「白釉黒流描鉢」1960年代 左上/「藍塩釉櫛目鉢」 1958年 左下/「白釉鉄絵丸文壺」1943年(写真はすべて日本民藝館)
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日本と西洋を結び、
民藝運動を海外に紹介した
イギリス人陶芸家

バーナード・リーチ

 陶芸家としてはもちろんのこと、民藝運動における様々な橋渡し役を務めたバーナード・リーチは、日本の民藝の発展を考えるうえで欠くことのできないイギリス人です。
 香港で生まれ、誕生後間もなく母と死別したリーチは日本にいた祖父のもとで暮らした経験がありました。イギリスに移り、ロンドン美術学校に通っているとき、詩人で彫刻家の高村光太郎と知り合い、小泉八雲の著書を読んだことから日本への憧れを強く抱くようになります。
 明治42(1909)年、22歳になっていたリーチはついに来日。文芸雑誌『白樺』の同人と交流を深め、リーチが開いていたエッチング教室に通っていた柳宗悦とはウィリアム・ブレイクや陶磁器に関する話で盛り上がり、芸術に関する思想的な影響や刺激を与え合う生涯の友となります。
 また、樂焼に興味をもったリーチは、六世尾形乾山に入門。大正6(1917)年には千葉県我孫子の柳邸内に窯を築いて、陶芸家としての活動をスタートさせています。
 約10年の日本滞在の後、リーチは濱田庄司を伴って帰国。イギリス南西部のコーンウォール半島のセント・アイヴスに日本風の登窯を築き、リーチ工房を設立します。イギリス現代陶芸の祖として、また、民藝運動の思想を海外へ普及させる伝道師として、大きな役割を担いました。
 リーチの作風は西洋陶器の伝統的な手法であるスリップウエアと、東洋陶磁の技術を融合させたところが特徴です。身近な人物や旅先の風景などを題材にしたエッチングや素描作品も残されています。
リーチ

イギリス人のセンスと日本の民藝との絶妙なハーモニーが光る!

右上/躍動感に満ちたうさぎが印象的な「楽焼莵文皿」1919年 右下/リーチ工房でつくられた「ガレナ釉線彫水注」1922年 左上/「楽焼緑釉筒描茶器」1919年 左下/エッチング作品「岩図(軽井沢)」1919年(写真はすべて「日本民藝館」)
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