2016年3月28日月曜日

ローカル志向の時代

最近、「ローカル志向の時代(松永桂子著)の本を目にし、一読した。
社会は変わりつつある、価値も変わる、人とのゆるやかなつながりや安心感など、
貨幣的価値に還元できないものが重要となり、これまでとは異なるライフスタイル、
価値観、仕事、帰属意識が生み出されつつある。都市と農村のフラット化、新たな
スタイルの自営業、進化する都市のものづくり、地場産業、地域経営、などの視点
から現在の「ローカル志向」を解き明かすために、地域をベースにして、消費、
産業から個人と社会の方向性について考えた本である。

とくに、地域経営の在り方についてものづくり、まちづくりは人とその基盤となる
風土、文化、更には景色が大きくかかわっている、という。
さらに言えば、30年ほど前に充分に理解したとは言えないが、この本の最後に
紹介のある山崎正和氏の「柔らかい個人主義の時代の誕生」を読んだ時の感触が
いま眼前により具体的な形として広がっている、そんな思いにかられた。

1.若者の働き方の変化
地域への関わりの世代の広がりは私自身のNPOや地域活性化支援への関わりからも、
とくにここ4、5年変わってきている事を感じる。例えば、滋賀県では十数年前から
地域の課題を解決したり、解決しようとする人たちの支援をするなどのために地域
プロデューサを毎年育成して来たが、以前は60代の定年後の次の何かをしたい人
がほとんどであったが、4、5年前からは20代から40代の現役メンバーが多く
なってきた。彼らの志向は自分たちの住む地域をもっと理解し、何かをやりたい、
という意識が極めて強い。
また、身近なところでも、Iターン、Uターンの若い人が増えている。

最近の若者の意識については、この本にもあるが、電通が2015年8月にした調査が
面白い。その調査では、
電通総研、「若者×働く」調査を実施
「電通若者研究部(ワカモン)との共同で「若者×働く」調査を実施しました。
この調査は、週に3日以上働いている18~29歳の男女3,000名を対象とし、30~49歳の
男女2,400名のデータと比較することで、若者の現在の働き方、働く目的、働くことに
対する意識などを明らかにしました。
本調査の主な結果は以下のとおりです。
1. 若者の約3割が非正規雇用。女性では約4割。
2. 働く上での不満は、給料などの待遇面、有給休暇の取りづらさ、仕事の内容など。
3. 働く目的はまず先に生活の安定。働くのなら「生きがい」も得たい。
4. 現在の働き方は堅実に、理想は柔軟な働き方をしてみたい。
5. 約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくない
と思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。
6.「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」。
7. 若者は「企業戦士」「モーレツ社員」という言葉を知らない。
特に、5から7項の結果は我々世代と大分違う様でもある。

その中でも、
約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくないと
思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。働くことへの意識については、18~29歳の約4割が「働くのは当たり
前だと思う」(39.1%)
一方で、「できれば働きたくない」(28.7%)が約3割に上ることが分かった。
仕事に対する価値観でも「仕事はお金のためと割り切りたい」(40.4%)など、
消極的なマインドがある中で、「自分の働き方はできる限り自分で決めたい」
(28.4%)という意識がある。会社や仕事の選び方は「できるだけ安定した会社
で働きたい」(37.1%)という意識が強いが、「1つの企業でずっと働いていたい
と思う」という意識は17.3%。周囲や社会とのかかわり方では、
「できるだけ価値観が共有できる仲間とだけ仕事がしたい」(32.9%)、
「社会に貢献できる仕事・会社を選びたい」(23.2%)となっている。
「できるだけ安定した会社で働きたい」という項目は、女性18~29歳で44.3%と高い。

「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」「社会」という言葉がイメージするものとして、18~29歳では
「日本社会」(41.9%)、「会社や所属している集団」(39.2%)、「住んでいたり、
関わりのある地域」(34.8%)、「友だちや家族」(34.1%)が上位に挙がった。
社会=日本というイメージと同時に、友だちや家族といった身近な「社会」も
想起されていることが分かる。女性18~29歳は「会社や所属している集団」
(42.6%)が最も高く、身近なコミュニティーを社会としてイメージしている。
「企業戦士」の認知率は、40~49歳が53.6%であるのに対し18~29歳は31.2%。また
「モーレツ社員」は、40~49歳が54.4%であるのに対し18~29歳は21.7%と、年代により
大きな差が見られた。
これらの言葉は、高度成長期に仕事に熱中する、企業のために粉骨砕身で働く
サラリーマンの像を表した言葉であり、世代ギャップがあることが分かる。」

時代の変化と意識の変化を感じる調査結果でもある。

また、後述でも伝えるが、Iターンで成功している地域の人の言葉を幾つか、
・「人生は一度きり。価値あることに時間を使いたいですし、一緒に働く仲間にも
価値ある時間を過ごしてほしい」。
・「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツでした。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきたのです」。
・町のサイトには「移住者は自分がやりたいことを実現するために、目的を
持ってやってきていた」とある。

2.「柔らかな個人主義の誕生」より
この本は、1984年に刊行され、60年代と70年代についての分析が中心であるが、著者
の「消費」の定義の仕方など、現在でも十分に通用する内容ではあるが、個人的には
組織の中で一途に仕事に打ち込んでいた自分にとってのこれからの社会への個人の
関わりの変化を感じさせる内容であった。池田内閣の所得倍増計画の下で高度経済成長
を目指していた60年代の日本社会が、その目的を遂げた後、どのように変化していった
のか。70年代に突入して増加し始めた余暇の時間が、それまで集団の中における一定の
役割によって分断されていた個人の時間を再統一する道を開いた。
つまり、学生時代は勉学を、就職してからは勤労を、という決められた役割分担の時間
が減少したことにより、余暇を通じて本来の自分自身の生活を取り戻す可能性が
開けたということである。

こうした余暇の増加、購買の欲望の増加とモノの消耗の非効率化の結果、個人は大衆
の動向を気にかけるようになる。以前は明確な目的を持って行動できた
(と思っていたが)人間は、70年代において行動の拠り所を失う不安を感じ始める。
こうして、人は、自分の行動において他人からの評価に沿うための一定のしなやかさを
持ち、しかも自分が他人とは違った存在だと主張するための有機的な一貫性を持つこと
が必要とされる。それを「柔らかい個人主義の誕生」と考える。
今読み返しても、その言葉をなぞっても、決してその古さを失っていない。
まずは、
・けだし、個人とは、けっして荒野に孤独を守る存在でもなく、強く自己の同一性に固
執するものでもなくて、むしろ、多様な他人に触れながら、多様化していく自己を統一
する能力だといへよう。

・皮肉なことに、日本は60年代に最大限国力を拡大し、まさにそのことゆえに、70年代
にはいると国家として華麗に動く余地を失ふことになった。そして、そのことの最大の
意味は、国家が国民にとって面白い存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたへ、個
人の人生を励ましてくれる劇的な存在ではなくなった、といふことであった。

・いはば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもない人(ノーボディ
ー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、それがひとしなみに尊重
され、しかし、ひとしなみにしか扱はれない「誰でもよい人(エニボディー)」に変っ
た、といへるだらう。(中略)これにたいして、いまや多くの人々が自分を「誰かであ
る人(サムボディー)」として主張し、それがまた現実に応へられる場所を備へた社会
がうまれつつある、といへる。

・確実なことは、、、ひとびとは「誰かである人」として生きるために、広い社会の
もっと多元的な場所を求め始める、といふことであらう。それは、しばしば文化サーヴ
ィスが商品として売買される場所でもあらうし、また、個人が相互にサーヴィスを提供
しあふ、一種のサロンやヴォランティア活動の集団でもあるだらう。当然ながら、多数
の人間がなま身のサーヴィスを求めるとすれば、その提供者もまた多数が必要とされる
ことになるのであって、結局、今後の社会にはさまざまなかたちの相互サーヴィス、あ
るいは、サーヴィスの交換のシステムが開発されねばなるまい。

・もし、このやうな場所が人生のなかでより重い意味を持ち、現実にひとびとがそれに
より深くかかはることになるとすれば、期待されることは、一般に人間関係における表
現といふものの価値が見なほされる、といふことである。すなはち、人間の自己とは与
へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在す
る、といふ考へ方が社会の常識となるにほかならない。そしてまた、さういふ常識に立
って、多くのひとびとが表現のための訓練を身につければ、それはおそらく、従来の家
庭や職場への帰属関係をも変化させることであらう。

・ここれで、われわれが予兆を見つつある変化は、ひと言でいへば、より柔らかで、小
規模な単位からなる組織の台頭であり、いひかへれば、抽象的な組織のシステムよりも
、個人の顔の見える人間関係が重視される社会の到来である。そして、将来、より多く
の人々がこの柔らかな集団に帰属し、具体的な隣人の顔を見ながら生き始めた時、われ
われは初めて、産業か時代の社会とは歴然と違ふ社会に住むことにならう。

この30数年前に語られた言葉がインターネットの深化に伴い、現在起きていることで
あり、それに対する個人の生きる指標でもあるようだ。

3.百姓への勧め
若い人の意識の変化は確かに多くなりつつあるが、まだ現状維持や保守的な行動の
若者が多いのも事実である。この本でも言っている上野さんの「ゴー・バック・トゥ・
ザ百姓ライフ」、即ち、多様な生業を組み合わせた生活への意識変化も必要なので
あろう。
ここに「元東大教授 上野千鶴子さんと社会学者 古市憲寿さん」の対談の記事
があり、彼らの指摘もまた事実であることも考える必要がある。

「古市」ただ、無頼は「頼らない」とも読める。無頼を「何かに頼らないこと」とする
と、最近、そういう生き方への憧れは若者を含めすごく広がっている気はします。既存
の企業などに頼らず、もっと自由に生きてもいいのでは、と。ここ10年ぐらい、会社
に勤めず、独力でスキルアップするような働き方はある種のブームです。
「上野」ただ、無頼というのは、いわば無保険・無保障人生。簡単に勧められない。
「古市」たしかに、専門的な能力がなければ「無頼」はうまくいかないと思います。
そして一つの組織に属していれば安定という時代でもない。僕自身も友人と会社を経営
しながら、趣味のように大学院に通っています。
ただ、企業にしがみついて生きようという人も依然多い。
「上野」安全と安心が希少になってきたから、よけいに何かにしがみつきたいの
でしょう。「就活」や「婚活」に必死になるのが、その表れでしょうね。
「古市」たしかに、新入社員のアンケートでも、定年まで同じ会社にいたいという人
が最近増えていますし、専業主婦志向も強まっていますね。
「上野」一方で、労働市場で最も割を食った非正規労働の中高年既婚女性たちは、
1990年代後半からどんどん起業しています。背景には、NPO法ができて任意団体
が作りやすくなったこと、介護保険法で助け合いボランティアがビジネスになった
ことがある。起業は若者だけの動きじゃない。
「古市」労働市場で一人前として働けないから、自分たちで、ということですね。
起業といえばITにばかり注目が集まるけど、裏側にはこうした女性たちがいる
のですね。
「上野」資本力のない女と若者は労働集約型か知識集約型の産業で起業するしかない。
この20年、グローバル競争に勝ち抜くという口実で政官財や労働界が労働の規制緩和
にゴーサインを出しました。その結果、格差社会でワーキングプアが男性にも大量に生
まれた。日本では移民の代わりに女性と若者が使い捨ての低賃金労働力になってきた。
フリーターが「不利だー」になったのね。起業は労働市場で相対的に不利な人たちの
選択肢。
「古市」自由になる代わりに、格差がどんどん広がっていく気がします。そこでは無頼
が、政策決定者側にとっても都合のいいキーワードになっている。今後、みんなが何も
のにも頼れない「無頼」にならざるを得ないのでしょうか。
「上野」もちろん全人生を会社に預けるような働き方をする人たちも、一部に残る
でしょう。でも、会社ごと心中することになるかもね。
「古市」自由に生きるためには、どこかでベースみたいなものがないと難しいというこ
とですね。
「上野」脱サラした人たちを見てきたけど、イヤな仕事を断れなくなったり仕事の質を
保つのが難しい。だから、「フリーになりたい」という転職相談には反対してきた。
「会社は無能なあなたを守ってくれる。荒野で一生戦うエネルギーと能力があるか」
って。
「古市」フリーとは定義上「自由」であるはずなのに、不安定だからこそ何かに従わな
きゃいけない。一方で、今の日本では、特に男性サラリーマンは全人生を会社にささげ
ることが求められ、働き方が自由に選べない。それがジレンマですね。
「上野」昔の日本は違った。土地の気候風土に合わせて稲作、裏作、機織り、季節労働
と多様な活動を組み合わせて生計を立てるのが「百姓(ひゃくせい)」だと言ったのは
中世史家の網野善彦さん。百姓は「種々の姓」のことだから。だからゴー・バック・
トゥ・ザ百姓ライフ、よ。

確かに、若者を中心に社会への参加意識の変化は、特に東北の震災以降大きく変わり
つつあるようだが、この対談にもあるようにさらに保守的な意識と行動も増えている
ようだ。この2人の言葉もかみしめておく必要はある。

4.Iターン事例から
この本にも紹介のある事例についてもう少し詳細に書くと、

1)海士町(あまちょう)
島根県から、フェリーで約2時間半。お世辞にもアクセスがいいとはいえない隠岐島諸
島の一つ、海士町は1島1町の島だ。その便の悪さにも関わらず、ここ11年間で人口約
2,400人(2014年10月現在)の2割に当たるIターン者数を誇るという素晴らしいい島。
各種メディアでもよく取り上げられている。
海士町での背景
高齢化、人口減少等、何かと問題先進県と言われる島根県の離島にあって、この島の
青年団は、平成のはじめくらいから「お前らどうするんだ」と島の年配者から
プレッシャーをかけられていた。そこに山内町長の登場。財政的な危機を自らの給与
を50%カットして乗り切る姿勢、そして「私が責任を取るから、なんでもやって
みなさい」と、どんなチャレンジもサポートする意気込みが役場の職員にも伝わり、
何でもやってみようという機運が高まった。
だが、海士町が単に行政主導だけでここまで来たのではない。行政と民間の立場、
みんな一丸となって地域をよくしていく。その中で、行政ができることはベストを
尽くしてサポートする。そのような流れで今の結果を出している。
幾つかの事例を示すと、

①ものづくりへの対応
海士町では、ある一つの「商品」というよりは「ブランド」ひいては「産業」を生み
出してきた。しかし、多くの自治体が6次産業化に取り組んでいる中、なぜ海士町は
うまくいっているのか?そのポイントは「全部自分たちでやること」らしい。
農協や漁協を通すと、コストがかかる。それを自分たちでやってしまえば、その分雇用
も生まれる、とポジティブに考える。春香も隠岐牛も多くのサンプルを自分たちで
研究開発、市場調査などすべて島の人たちでやった。

②ひとづくり
ものづくりが一定の成果を出し始めた頃、次に取り組むべき課題が「ひとづくり」だっ
た。人口流出が激しい海士町では、高校が廃校の危機にあった。廃校になれば、高校生
になったら島外に出なければならず、人口の更なる流出が起こる他、家計負担も大きく
なる。そこで、島外から高校生を受け入れる「島留学」を開始。この島は半農半漁で、
綺麗な水もあるため、ほぼ自給自足生活できる。つまり、小さな社会がそこにある。そ
れを活かして、島を丸ごとキャンパスにして、地域総あげで教育を行うことで特色を出
して行った。
③学習センターの設置
島では質の高い教育が受けられない、というのが常識となっていた。それをカバーする
取り組みとして学習センターが設置された。小学校から高校生まで一貫して、学習支援
をする、いわば公設の塾のようなもの。しかし、ただの学習塾ではない。町のヘッド
ハントにより移住してきた豊田さんと藤岡さんという、その道のプロ達が指導にあたり
高校と連携してカリキュラムを工夫する他、「夢ゼミ」という、キャリアデザイン、
生き方のコーチングまである。

移住者を惹き付ける一番の魅力は、
海士町の移住者が多いのは、見ず知らずの人が突然アポを入れても時間を割いてくれ、
真剣に夢を語ってくれる。「私でもなにかできそう」と、自分も既に島の一員である
かもしれないという錯覚に陥る。
対応は、365日24時間。漁業に興味がある、という移住希望者がいれば、朝5時からの
漁に連れて行ったりすることもあるという。そうやって、外の人と内の人の間に入って
あげることで、島へ入って来るハードルを低くする。ここまでが役所の仕事という境目
はない。制度より、システムより、補助金より、これらの地道で人間味あふれる
サポートが、移住者に「受け入れてもらえた」と感じさせ、彼らを惹き付ける要因の
一つである。

2)徳島県神山町の場合
徳島市内から車で約40分、人口約6000人の徳島県神山町。今この町に、IT系の
ベンチャー企業やクリエイター達が続々と集結している。過疎化が進む神山町が取り
組んだのは、観光資源などの「モノ」に頼って観光客を一時的に呼び込むこと
ではなく、「人」を核にした持続可能な地域づくりである。具体的な取り組み内容
と実際の成果について“「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくり”を
ビジョンに掲げるNPO法人グリーンバレーが中心となって動いている。

2004年12月に設立されたグリーンバレーは、1992年3月設立の神山町国際交流協会を
前身とするNPO法人だ。「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくりや
後述する「創造的過疎」による持続可能な地域づくりなどをビジョンに掲げた活動を
展開している。
グリーンバレーはこれまで環境と芸術という2つの柱を建て、徳島県に自らビジョン
を提案し、プロジェクトを進めてきた。

まず環境面については、米国生まれのアドプト・プログラムという仕組みを日本で初
めて採用して道路を作った。アドプト・プログラムは、住民団体や企業が、道路や河川
といった公共施設の一区間を引き受けて、行政に代わってお世話をするものだ。そして
芸術面では、国際芸術家村を神山町に作ることにした。
1999年10月から神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)というプログラムを実施
し、神山町に芸術家を招聘し、その制作の支援を住民がやっていこうという活動が
町に大きな変化を起こしていった。

神山町のプログラムは資金が潤沢ではないので、有名なアーティストに来てもらえ
ない、住民が始めたプログラムなので専門家がいない、などの課題があった。
そこで神山町では発想を転換した。“アートを高められなくても、アーティストを高
めることはできるのではないか”。つまり観光客をターゲットにするのではなく、制作
に訪れる芸術家自身をターゲットにしようと考えた。
「欧米のアーティストから『日本に制作に行くのなら神山町だ』と言われるような場所
作りを目指した。そのために、やってきたアーティストたちの滞在時の満足度を上げ、
神山町の“場の価値”を高めることに注力する取り組みを1999年から7~8年間続けた。

そこでグリーンバレーは、2007年10月に神山町から移住交流支援センターの運営を
受託、2008年6月には総務省からの資金援助を得て「イン神山」というWebサイトを
立ち上げ、神山町からの情報発信を開始した。
“神山で暮らす”というコンテンツがウケた
サイトでは当然、アート関連の記事を作り込んでいったが、公開後に意外なことが起
こった。「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツだった。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきた。
グリーンバレーには、アーティストたちを神山町に呼び込むための活動を通して、
移住希望者と物件オーナーとのマッチングや空き家自体の発掘などのノウハウが
貯まってきていた。実際にサイト公開後の2010年から2012年までの3年間で、神山町
移住交流支援センターでは37世帯71名(うち子供17名)の移住を支援した。

町に必要な人材をピンポイントで逆指名する「ワークインレジデンス」
移住者の大きな特性は、平均年齢が30歳前後だということ。そうした若い世代に
ついては「神山町が必要とする人たちを選んでいる」という。
神山町移住交流支援センターでは過疎化、少子高齢化、産業の衰退という課題解決の
ために移住支援を行っているが、こうした課題に対する答えを持ってる人、例えば
子供を持つ夫婦や起業家の人などを優先的にお世話をする。
これが「ワークインレジデンス」という取り組みだ。町の将来に必要だと思われる職業
を持つ働き手や起業家を、空き家を一つのツールにして、ピンポイントで逆指名する。

地域再生で一番大切なことは、「そこにどんな人が集まるか、集められるか」。
それを実践しているのが、神山町のようだ。

5.その他
この本は、ローカル志向という点で、新しい自営業、地域経営、地場の産業など
かなり幅広いテーマでまとめられている。
以下にその章立てを示すが、個人的に今興味があるのが、若者を中心の意識変化と
それに対する地域経営をテーマにしたもであり、そこからのキーフレーズについて、
今回は書いているので、少し記事内容は限定的である。他のテーマなどに興味ある
方は、関係ある章を読んでもらうことをお勧めする。

第1章  場所のフラット化
1-1    古くて新しい商店街
1-2    消費社会の変容と働き方の変化
第2章    「新たな自営」とローカル性の深まり
2-1    古くて新しい自営業
2-2    自営の人びとが集う場
2-3    経済性と互酬性のはざまで
第3章  進化する都市のものづくり
3-1    中小企業の連携の深まり
3-2    新たな協業のかたち
第4章  変わる地場産業とまちづくり
4-1    デザイン力を高める地場産業
4-2    ものづくりとまちづくり
4-3    外部者からみえる地域像
第5章  センスが問われる地域経営
5-1    小さなまちの地域産業政策
5-2    「価値創造」の場としての地域
5-3    「共感」を価値化する社会的投資
終 章  失われた20年と個人主義の時代

特に気になった文について少し紹介する。
・「これまでも、地域の自然、風土、文化はまちづくりの思想の根底に据えられて
きました。他方、地域経済を支える産業は風景や景観、風土や文化とのかかわりから
論じられることは少なく、むしろ自然や文化に対置してとらえられてきたふしが
あります。」

ローカル志向という流れの中では、地域の経済といえどもその風景、風土、文化、
さらに景観も考えた総合的なアプローチが重要となって来るのでは、と思う。

・「地域に産業があることにより、多様な人々がひきつけられ、多様な人々が
まじり合うことによって、町の姿が演出されます。そして豊かな生活空間を創出して
いくことにもつながっていきます。円熟した景観や風景がそれを物語ることになる
でしょう。
しかし、それは単に内なる視点だけでは構築されず、外部者からの意味づけがあって
意味を持つわけです。生活者の視点だけでなく、旅行者的な外部の視点で地域を捉える
ことは、観光まちづくりを進めるうえでも重要になってくるのではないでしょうか。」

この指摘は今個人的にも企画している事業にも当てはまることであり、この本にも
紹介のある中川理氏の考えも大いに参考となる。



ローカル志向の時代
働き方、産業、経済を考えるヒント
松永桂子/著

豊かさが示すところは時代によって変わる。いま、価値を持ち始めているのは、人との
ゆるやかなつながりや安心感など、貨幣的価値に還元できないもの。そして、これまで
とは異なるライフスタイル、価値観、仕事、帰属意識が生み出されつつある。
都市と農村のフラット化、新たなスタイルの自営業、進化する都市のものづくり、地場
産業、地域経営、クラウドファンディングetc.
いま、日本社会の底流で何が起きているのか――。現在の「ローカル志向」を解き明か
すために、「地域」をベースにして、経済や消費、産業の領域から個人と社会の方向性
について考える。
目次

まえがき
第1章  場所のフラット化
1-1    古くて新しい商店街
1-2    消費社会の変容と働き方の変化
第2章    「新たな自営」とローカル性の深まり
2-1    古くて新しい自営業
2-2    自営の人びとが集う場
2-3    経済性と互酬性のはざまで
第3章  進化する都市のものづくり
3-1    中小企業の連携の深まり
3-2    新たな協業のかたち
第4章  変わる地場産業とまちづくり
4-1    デザイン力を高める地場産業
4-2    ものづくりとまちづくり
4-3    外部者からみえる地域像
第5章  センスが問われる地域経営
5-1    小さなまちの地域産業政策
5-2    「価値創造」の場としての地域
5-3    「共感」を価値化する社会的投資
終 章  失われた20年と個人主義の時代
あとがき

「地域内経済循環」について
? 「地域内乗数効果local multiplier effect」・・・イギリスのNEF
(New Economics Foundation)が提唱する概念。
? ナショナル・レベルで考えられてきたケインズ政策の枠組みへの 批判。
? 地域再生または地域経済の活性化=その地域において資金が
多く循環していること。
? ①灌漑irrigation・・・資金が当該地域の隅々にまで循環すること による経済効果
が発揮されること。
? ②漏れ口を塞ぐplugging the leaks・・・資金が外に出ていかず、 内部で循環する
ことによってその機能が十分に発揮されること。
? 「地域内乗数3(LM3)」・・・資金循環の最初の3回を対象として
乗数効果を測定する方法。NEFはこれまで10の地域コミュニ ティを対象に地域内
乗数効果の実験を実施。(福士(2009)、中
島(2005))。

「地域内経済循環」について(続き)
? 日本での類似例・・・長野県飯田市の試み
? 「若者が故郷に帰ってこられる産業づくり」
?
→「経済自立度」70%を目標に掲げる。
? 経済自立度・・・地域に必要な所得を地域産業から
の波及効果でどのくらい充足しているかを見るもの。
・・・具体的には、南信州地域の産業(製造業、農林業、
観光業)からの波及所得総額を、地域全体の必要
所得額(年1人当たり実収入額の全国平均×南信
州地域の総人口)で割って算出。08年推計値は
52.5%
、09年推計値は45.2%
。「コミュニティ経済」という視点の重要性
? ①「経済の地域内循環」 ・・・ヒト・モノ・カネが地
域内で循環するような経済
→グローバル化に対しても強い。
・②「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」の
再融合
・③経済が本来もっていた「コミュニティ」的(相互扶
助的)性格
・④有限性の中での「生産性」概念の再定義
・・・労働生産性から環境効率性へ


若者のローカル志向の背景には「自給期待」があり、その先は「自分達の生きる場を自
分達で作っていく」につながっている
  
303 ( 39 九州 会社員 ) 14/02/19 PM07 【印刷用へ】
■若者のローカル志向の先にあるもの

若者の「ローカル志向」が進んでいる。千葉大学・広井良典教授は、

>経済構造の変化によって社会的な課題を解決する「空間的単位」が小さくなった事が
要因でしょう。
リンク

と分析する。

 背景には、1970年の豊かさ実現による、「私権社会から共認社会への転換」があり、
更に、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災を経て、市場社会やそれを導
いてきたマスコミや学者、政治家に対する不信から、「自分達で自分達が生きていく場
を作っていく」という「自給期待」が顕在化していると考えられます。

 若者のローカル志向は地元への就職という形で顕在化していますが、その先には地元
の諸問題を、「行政に代わって自分達で解決していく」という流れに発展していくよう
に思います。

■「自分達で地域の問題を解決していく」の実践例

 広島県安芸高田市川根では、大水害という危機を契機に、「もう行政には頼れない」
「自分達で出来る事は自分達でやろう!」と、災害復興だけではなく、産業、福祉、教
育などあらゆる分野で自治活動が進められています。

 このような活動に、今後、ローカル志向の若者達が参画し、「自分達で自分達が生き
ていく場を作っていく」事が実現されていく事がイメージできます。

共同売店ファンクラブブログより引用します
リンク

川根振興協議会は、地域の諸問題を住民の手で解決しようと1971年に設立された自治組
織で、辻駒さんはその会長であり、広島県の安芸高田市地域振興推進員も努めておられ
ます。

川根(旧・川根村)は、19の集落におよそ260戸、人口600人ほどの地域です。川根村は
1956年(昭和の大合併)に高宮町へ、さらに2004年(平成の大合併)に安芸高田市へと
合併されています。最初の合併後、役場、学校、病院、商店街などが次々と消えていき
、2000人いた人口は3分の1に。過疎化、高齢化が深刻となっていました。

大きな転機となったのは1972年、広島を襲った集中豪雨がもたらした大水害で、川根地
区は孤立し、大きな被害を被ります。この時、「もう行政には頼れない、自分たちでで
きることは自分たちでやらねば」という危機感と自治意識を強く持ち、災害復興だけで
はなく、産業、福祉、教育などあらゆる分野で自治活動を進めていきます。

川根の取り組みは、やがて高宮町全体に広がります。そして、地域住民が加入する振興
会が、それぞれに予算と権限を持ち、町役場と役割分担をしあうという「高宮方式」は
、地域自治のモデルとして全国に知られるようになります。

この川根地区に万屋(よろずや)という店があります。万屋は、住民の共同出資によっ
て誕生した「共同売店」です。7年前、農協の合併に伴う合理化で、高田郡農協は川根
地区にあった農協売店の閉鎖を決定しました。地域に一つしかない売店がなくなるとい
うのは大変なことです。特に、お年寄り、車に乗れない人、立場の弱い人は、その地域
では誰かの助けなしには生きていけないということです。

閉鎖の話を聞いてすぐ、辻駒さんは農協の組合長の元へ行き、「どうしても廃止するな
ら、その施設をくれ」と言ったそうです。そして地域の人たちに出資を呼びかけます。
しかし、始めはみんな心配して、「出資して赤字になったらどうするんだ、また出資し
ろ、というんだろう」と言ったそうです。

その時、辻駒さんは、「みんながそれほど心配するなら大丈夫。店がつぶれないように
、店で買い物するでしょうから。車に乗れない高齢者を支えるためにも、町に買い物に
行くのを10回のうち、7回にして店を利用すればちゃんと儲かる」と説得してまわった
。

その結果、1戸1000円の出資に260戸の全戸が応じて、農協は「万屋」として、またガソ
リンスタンドは「油屋」という、地域による「直営売店」に生まれ変わりました。

実際の経営は、協議会の副会長でもある岡田さんの建設会社に依頼。また、たとえ1000
円ではあってもきちんと「株券」を発行して、一人ひとりが「株主」であり、みんなの
店だという意識を持つよう工夫しているようです。


「ローカル志向」(メモ)Add Stardivot
広井良典「日本救う若者のローカル志向」『毎日新聞』2013年12月9日夕刊

「若者のローカル志向」を「最近の若者は”内向き”になったとか、”外”に出ていく
覇気がないといった批判がなされることがよくあるが、これほど的外れな意見はないと
思っている」という。「ローカル志向」の「もっとも根本的な背景」について、広井氏
は次のように述べている;
すなわち高度成長期を中心に、拡大・成長の時代においては、工業化というベクトルを
駆動因として世の中が「一つの方向」に向かって進み、その結果、各地域は”進んでい
る-遅れている”という時間軸にそって位置づけられることになる(東京は進んでいる
、地方は遅れている等々)。ところがポスト成長の時代においては、そもそもそうした
一元的な時間座標が背景に退き、逆に各地域のもつ独自の個性や風土的多様性に人々の
関心が向かうようになる。単純化していえば、時間軸よりも「空間軸」が前面に出る時
代になっていくのである。
ただし、「ローカル志向」と「各地域のもつ独自の個性や風土的多様性」と必ずしも関
係があるものではないという意見もあり。大澤真幸氏*1は阿部真大*2『地方にこもる若
者たち』の書評で*3、この本を要約しつつ、次のように述べている;
 「地元にもどる」とか「地方にこもる」と言うとき、「地元」「地方」といった語に
よって現在の若者たちが指示している対象、こうした語によってイメージされている社
会の実態は、かつて「東京志向」が主流だったときに前提となっていた「地方/東京」
「田舎/都会」の二項対立の中で指し示されている地方・故郷・田舎とは、まったく違
っている。このことが、本書の前半である「現在篇」によって明確に示される。
 人生の理想は東京で実現すると信じていたかつての若者が、それでも、故郷や田舎に
帰ってくるのは、そこに、東京では得られなかった濃密な共同性や愛すべき自然環境が
あると見なした場合である。
 ところが、阿部が大学生たちに、「地元と聞いて思い出すものは何ですか?」という
アンケートをとったときに返ってくる答えは、「イオン」「ミスド(ミスタードーナツ
)」「マック」「ロイホ(ロイヤルホスト)」などである。この答えは驚きである。な
ぜなら、これらのものに、地元的な固有性はいささかもないからである。むしろ、これ
らは、それぞれの地方に固有な特殊性が、とりわけ希薄なものばかりである。ミスドも
マックも、日本中、どこにでもある(場合によっては、世界中にある)。とすると、若
者たちは、「地元がいい」と言いつつ、特に地元にもどらなくてもいくらでも見つかる
ような場所や施設を思い浮かべていることになる。
 それならば、彼らは、地元の何に魅力を感じているのか。かつてだったら、田舎に回
帰する者たちは、その地域に根ざした共同性や人間関係に愛着をもっていた。しかし、
阿部の調査は、ここでも、過去のイメージがあてはまらないことを示している。その調
査によると、地方にいる若者たちの圧倒的な多数が、つまり調査対象となった若者のお
よそ4分の3が「地域の人間関係は希薄である」と答えている。他の人間関係について
は、希薄だと答えている者の率は、はるかに低いので(満足していない者の比率は、家
族関係に関しては、およそ5分の1、友人関係については1割未満しかいない)、彼ら
は、地域の人間関係に対して、ことのほか背を向けている、ということになる。地域の
共同性が好きでもないのに、わざわざ地方にとどまっているのだ(ついでに指摘してお
けば、本書の後半に、2012年におこなわれた、東日本大震災で被災した3県の調査
が紹介されており、それによると、「近所の人」が頼りになったと答える人の率が最も
低いのは、人口10万代の地方中小都市で、通念に反して、大都市の方が「近所の人」
への信頼度が高い)。
 地元のイメージが託されているものは、どこにでもある施設で、地元の地縁共同体に
も参加意識をもてないのだとすると、若者たちはなぜ地元を志向するのだろうか。阿部
が調査をもとに結論していることは、わりと穏当なものである。すなわち、1990年
代以降のモータライゼーションが生み出した、大型ショッピングモールが立ち並ぶ郊外
が、地方の若者たちにとって「ほどほどの楽しみ」を与えてくれるためだ、と。要する
に、駐車場が完備した、国道沿いのイオンモールで遊べば、そこそこ満足できる、とい
うわけだ。地方都市は、余暇の楽しみのための場所がない田舎と刺激が強すぎる大都市
との中間にある「ほどほどパラダイス」になっている、というのが、本書の前半の「現
代篇」の最も重要な主張である。さらに、あまり明示的には語られていないことを付け
加えておけば、そのほどほどパラダイスで鍵となっている人間関係は友人関係、もっと
はっきり言うと、中学や高校のときの同級生の関係であろう。
かくして、「ローカル志向」は三浦展氏のいう「ファスト風土化」に大接近することに
なる(『ファスト風土化する日本』*4)。しかし、大澤氏は「1990年代以降のモー
タライゼーションが生み出した、大型ショッピングモールが立ち並ぶ郊外が、地方の若
者たちにとって「ほどほどの楽しみ」を与えてくれるため」という理由づけにはかなり
不満なようだ。ドラマ『あまちゃん』に言及しつつ、
地元志向の、一筋縄ではいかない複雑さや深さは、たとえば、今年(2013年)大ヒ
ットした「あまちゃん」のことを考えただけでも、思い至ることができるだろう。「あ
まちゃん」の脚本を書いた宮藤官九郎は、00年代の初頭から、郊外的な「地元」にこ
だわり続けてきた。
(略)
その宮藤官九郎の、現在のところの到達点が、「あまちゃん」であろう。「あまちゃん
」は、主人公のアキが、母の春子に連れられて、地元北三陸に帰ってくるところから始
まる。いや、北三陸は、アキにとって、普通の意味での地元ではない。彼女は、東京の
世田谷で生まれ育っており、北三陸には一度も行ったことがなかったのだから。しかし
、北三陸は、すぐに、アキにとって、地元以上の地元、ごく短期間暮らしただけなのに
、世田谷よりもはるかに懐かしく愛情を感じる地元になる。
 アキと春子が帰ってきた北三陸には、やはり、地元を超える地元を象徴する人物、夏
ばっぱ(アキの祖母)がいる。夏は、北三陸という地元を一度も離れたことがない。い
や、彼女は、ただ地元に定住しているだけではない。夏は、逆に、深く潜る人である。
海女という仕事が、夏の「地元を超える地元」への志向を表現している。
 夏の最愛の夫(アキの祖父)の忠兵衛が、また興味深い人物だ。遠洋漁業を生業とし
ていて、1年に10日ほどしか地元にもどらない忠兵衛が目指す先は、東京どころでは
ない。彼は、東京とか日本とかといった領域が意味をもたないような、グローバルで普
遍的な空間(大洋)を移動する。しかし、その自由な移動のためには、地元を超える地
元に根を張る夏が必要だ。こうした両極の短絡的な結びつきは、どのようにして可能に
なるのか。そのように考えていくと、地元への志向ということに、まだまだ汲(く)み
尽くせない謎や深みがあることがわかってくる。
と述べている。ここで重要なのは(多分)「ローカル」と「グローバル」との関係だろ
う。グローバル化と「ローカル志向」との関係については、(全く別の側面ではあるが
)「グローバル化と資本のフレキシビリティ」*5(『ソシオロジカル・スタディーズ』
所収)でも言及していたのだった。

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