2016年1月24日日曜日

「未来の作り方」より思う。技術が世界を変えるのか?2052年は?

最近、未来のつくり方(池田純一著)を読んだ。シリコンバレーで活躍して来た
メンバーの生き様、考え方などからアメリカの持つ「未来を考える力」の
源をまとめているが、やや体系的な面での不足もあるのだろうか、馴染まない
点もある。しかし、各テーマの中に出てくるキーフレーズは、これから来る
社会を技術的な視点から考える上では、大いに参考となる。
気になったいくつかのキーフレーズでは、これから起こる社会の動きを知る
上で面白いと思った。

1)アメリカの強さ
90年代の初頭にインターネットに絡む様々な想いや考えが出て来た。
情報スーパーハイウェイ、netscapeによるネットコミュニティ化など
90年代の夢を20年かけて地道に実現して来たアメリカ。
「未来を創る」事への気の長さがその根底にある。そして、その気の長さが
次の20年、未来へつながる。
20年経ったら必ず現実化するという信条がアメリカの強さでもある。
今から20年後の世界を、未来をビジョンとして語る事が出来るのだ。
夢、そして構想が新たな科学的技術的な知見を得るだけで、実現するわけではない。
企業のような組織的マネジメントが必要であり、ユーザーの参加も不可欠である。
構想の実現は社会と言う基盤の中で醸成され、現実化し、成長していく。
単眼的短期的な発想と行動しか出来ない日本の政治屋が多い中、誰に期待を
すればよいのか?

2)シンギュラリティの存在
カーツワイルの説くシンギュラリティとは、ネットワーク上に分散するコンピュータ
の演算能力が増加し続けやがて、地球上の演算能力の総和が人間の持つ演算能力を
凌駕してしまう臨界点。是が2045年に起こると予想している。
この予想される世界に先んじて、googleはgoogleXを設立し、ロボット工学、AI、
生命科学、宇宙工学など多岐にわたる最先端の科学や技術の成果に取り組んでいる。
是を「ムーンショット」、「×10」と言う考え方で積極的な推進をしている。
レイ・カールワイル氏が語る
もし仮に人間と同レベルの知能を持つコンピュータが生まれたら、その後は今の
技術レベルで10年かかるテクノロジー進化が例えば1時間はおろか1分で成し
遂げれると言うのは理論的に可能であると私も思います。
知能というものを情報を学習して記憶し自ら考えて答えを出す能力と定義
するならば、情報量(知識量)の時点では既にコンピュータは人間を超えて
います。なぜなら、2013年の時点でGoogleの検索エンジンには既に30兆ページの
WEBページがインデックスされており(2008年では1兆ページだったそうですが、
5年間で30倍に増えたそうです)、Googleコンピューターはこれら30兆のWEB
ページのすべてを人間よりも遥かに正確に記憶している計算になります。
例えば、あなたがある一つのキーワード、
仮に「パーマネントトラベラー」という語句でGoogle検索したら
この30兆ページのWEBページデータベースを1秒くらいですべて参照して、
そのキーワードにマッチした検索結果をすべて拾ってこのブログを検索結果の
2ページ目とかに表示させるわけです。
もう既にこの時点でコンピューターはWEBから拾える情報の数量では世界人口
すべての人間のインターネット情報量に勝っています。
恐らく10年後には世界の大学図書館の書物はすべてデジタル化されてクラウド
に蓄積されてデータベース化されているでしょう。
そして、数10年後の世界を見るという視点では、2052年(今後40年の
グローバル予測、40年前に出た「成長の限界」のバージョンアップ版?)
をあわせて見ていくと面白い。
「2052年」著作の出発点となる問題意識は、ランダースによると、「成長
の限界」による警告にもかかわらず、人類は十分な対応を行わないまま40年が過ぎた

という点にある、とのこと。
例えば、
「問題の発見と認知」には時間がかかり、「解決策の発見と適用」に時間
がかかる。、、、そのような遅れは、私たちが「オーバーシュート(需要
超過)」と呼ぶ状態を招く。オーバーシュートはしばらくの間なら持続可能
だが、やがて基礎から崩壊し、破綻する」(序文)
「しきりに未来について心配していた10年ほど前、私は、人類が直面
している難問の大半は解決できるが、少なくとも現時点では、人類に何らか
の手立てを講じるつもりはないということを確信した」(1章)
「持続可能性と幸福」実現に向けては、以下の5つの課題、問題をキチンと
精査することが必要とのこと。
・資本主義は終焉するのか?
・経済成長は終わるのか?
・緩やかな民主主義は終わるのか?
・世代間の調和は終わるのか?
・安定した気候は終わるのか?
記述されている40年後の世界については、気候変動、人口と消費、エネルギー
問題、食料事情、社会環境、時代精神など実に膨大な記述がなされている。
それらすべてを要約することは出来ないし、する気もないが、枠組みに
関する最重要なポイントとして、以下の点を理解しておくことは肝要と思う。

①都市化が進み、出生率が急激に低下するなかで、世界の人口は予想より
早く2040年直後にピーク(81億人)となり、その後は減少する。
②経済の成熟、社会不安の高まり、異常気象によるダメージなどから、生産性
の伸びも鈍化する。しかし、生産年齢人口をベースとする粗労働生産性は着実
に伸びる。
③人口増加の鈍化と生産性向上の鈍化から、世界のGDPは予想より低い
成長となる。それでも2050年には現状の2.2倍になる。
④資源枯渇、汚染、気候変動、生態系の損失、不公平といった問題を解決
するために、GDPのより多くの部分を投資に回す必要が生じる。このため
世界の消費は、2045年をピークに減少する。
⑤資源と気候の問題は、2052年までは壊滅的なものにはならない。
21世紀半ば頃には、歯止めの利かない気候変動に人類は大いに苦しむ
ことになる。しかし、農業技術等の進化により 、食料生産量は増加する。
⑥インターネットの拡大は、「外在化した集合意識」として、大衆の影響
力が大きくなる。また、多様で流動的な環境により、安定した拠り所や
制限もほとんどなく、開放的で、様々な機会に恵まれ、意識も大きく
変わっていく。⇒特に、この部分がシンギュラリティと絡んでどのような
姿になっていくか。
⑦米国、米国を除くOECD加盟国(EU、日本、カナダ、その他大半
の先進国)、中国、BRISE(ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ、
その他新興大国10カ国)、残りの地域(所得面で最下層の21億人)
の大枠で分析しているが、予想外の敗者は現在の経済大国、中でも
アメリカ(次世代で1人当たりの消費が停滞する)。勝者は中国となる。
BRISEはまずまずの発展を見せるが、残りの地域は貧しさか
ら抜け出せない。 日本はほとんど考慮外?
3)更なる社会変化
ティールの「ゼロ・トゥ・ワン」では今あるほとんどのサイトがサービス
化と言う情報の横流しであり、そこからは新しいモノは、何も生まれない。
ゼロから新しい1を生み出すことがこれからの社会に必要だ、と言っている。
社会にとって、価値ある生産とは何か、現在のインターネットは本質的には、
何も生み出さない、と考えている。
ドットコムバブルがはじけ、シリコンバレーでは次のようなことが起業の
「新しい常識」となった。
①漸進主義
②リーンスタートアップ
③革新より改良
④販売よりも製品
ティールはこのすべてに反論して以下のように主張する。
①大きな賭けをしろ 
②成功するための計画を持て
③競争するな
④販売は製品と同じくらい大切
以下で、彼の考えが簡潔に説明されている。もっとも刺激的なのは、競争は
「存在しないチャンスがあるかのような妄想を抱かせる」資本主義の対極にある
という主張だ。そして「独占」こそすべての成功企業の条件であると言い、
独占状態を永続的に維持するには先行優位ではなく後発優位に着目すべしと説く。
彼は人間を次の二軸で四つのタイプに分類する。
一つの軸は未来に対して曖昧なイメージを持っているか、具体的なイメージを
持っているか。
もう一つの軸は楽観主義か悲観主義か。世界を変えるビジョナリーは「未来に対して
具体的なイメージを持った楽観主義者」だという。未来に対して曖昧なイメージしか
もっていないと無為か無謀に陥り、未来に悲観的だと享楽か逃避に走る。
起業家はまず、「偶然」という他力を拒絶しなければならない、というのがティール
の考えだ。「人生はポートフォリオじゃない」という名言も出てくる。
そのこころは、人は自分の人生を分散することはできないから、圧倒的な価値を生み
出すものにすべてをつぎ込む覚悟でやれということである。どんなに能力があっ
ても起業向きでない人間が起業する必要はない。
彼にとってビジネスは人類のためにかつてないほどの価値を生むことであり、誰かを
叩き潰すことではない。
目的は何か? そのために競争や起業がどうしても必要なのか? ほかにベストな道は
ないのか? 起業家にかぎったことではない。個人から国まで、私たちは目的と手段を
いとも簡単にすり替えて目的化した手段の奴隷となっている。たとえば「便利になれば
なるほど時間が足りなくなる」「効率化すればするほどデフレが悪化する」といった現
象は、「時間の余裕を生み出す」「利益を出す」という目的が「便利」「効率化」とい
う手段にいつのまにかとってかわられることによって起きているのではないか。
競争は善、という思い込みから離れると、これまで道理だと思っていたことが簡単に
ひっくりかえる。ほかにも、機械は人間を代替するか?これは、以前に「機械との
競争」でも取り上げた。ダイバーシティはいいことか? これも、以前に「多様な
意見はなぜ正しいのか」でも考えた。社会起業家は社会の課題を解決できるか?
製品がずばぬけてよければ営業は必要ないか?
と言っている。
さらに、幾つかのキーフレーズが、次への想いとなる。
4)インターネットの更なる拡大がもたらすもの
インターネットの拡大により個人、団体、企業との関わりは大きく変わってきた。
特に消費社会での様々な評価サイトや個人レベルでの評価の重み、など日本でも
5年ほど前から顕著になっている。facebookや幾つかのコミュニティサイトが
社会の基盤のかなりの部分を占め、個人と企業とのつながりもインターネット上での
膨大なデータから更に強まっている。2005年ぐらいから拡大始めた「人を中心
とするインターネット」は人がインターネット上で様々な活動を行う事が主であった。
人の表現力やコミュニケーション力を充実させる事は一定の収束に向い、今は
「データ」と「モノ」がソーシャルネットの上でつながり、IoT、さらに
現在の人が中心のネットと合わせて混在した世界となっている。
更に、その重要な動きの1つがマッシブと言う概念である。膨大な数の人々が同時に
リアルでコミュニケーションし、そのために最適なインターフェイスを提供する事が
今後の満足度をあげるポイントとなる。マッシブは、「膨大な数の個体が凝縮した
群体」であり、従来の均一的なマスとは大きく異なる。そのため、個体と群体
の間にも様々なつながりが出来る。
そして、とスマホの拡大普及によって従来の交換体形とは異なる経済の
体形が可能となってきた。
すでに社会にある資産、資源の中で稼働率が低いものを利用者間で融通させる
事が容易になってきた。8年ほど前からシェアという概念で認知され多くのサービス
が出て来たが、日本では意外とサービス利用は限定されているようである。
このサービス普及には、技術的な革新性よりも文化的な土壌が優先して
いるようである。
永年培われた生活文化は、新しいツールが出て来たといっても、それが使う側に
よほどの便益を与えないと難しい。携帯やスマホが多く受け入れられたのは、
使う人々が今までにない便利さを感じたからであろう。シェアサービスが
受け入れらるかは、習慣や使う側の文脈がないものに対しては、難しいのであろう。
ただ、この有限と見られ始めた様々な資源を効率よく、有益に使うための
インフラとしては広範なレベルでの活動として今後も進めることが求められる。
2010年に「シェア」という邦訳が出て、日本でもその動きが活発となったが、
現在のシェアサービス」は、国内で一部見られるものの、積極的な拡大や活用は
余り見られない。しかし、郊外を見れば、最近頑張っている幾つかのシェアの
サービスがある。
規模的には、5年前にサービスしていたものよりも大きくなっている。
しかも、旧来の「ものや活動」をベースとするサービスから「人」をベースとする
サービスにそのビジネス主体が変わってきている。
以下の最近のそのようなサービスを紹介する。
①Airbnb (エアビーアンドビー、エアビーエンビー)
宿泊施設を貸し出す人向けのウェブサイトである。192カ国の33000の都市で
一晩に100万人以上が利用している
日本での登録物件は8月時点で1.3万件と多いとはいえない。
このサイトの利用者は利用に際して登録して、本人のオンラインプロファイルを作成す
る必要がある。すべての物件はホストと関連付けられており、ホストのプロファイルに
は他利用者からのお勧め、泊まったことのあるゲストからのレビュー、また、
レスポンス・レーティングやプライベートなメッセージングシステムも含んでいる。
②Uber (ウーバー)。
スマートフォンを活用したハイヤー・タクシーの即時手配サービスを提供する。
すでに世界42カ国、150ほどの都市で即時手配サービスを実施している。
すでに日本に進出済み。本格運用は2014年3月から台数限定、東京都山手線内側
の南半分限定でハイヤーの手配サービスを行っている。
ウーバーが新たに始めるのは、タクシーを手配する「uberTAXI」、ハイグレードタクシ
ーを手配する「uberTAXILUX」の2種類。ウーバーと契約したタクシーにはウーバーから
支給されるiPad miniと携帯電話が常備され、ウーバーユーザーからの呼び出しに対応
する。タクシー側のメリットも明快だ。空車で「流し」をしている際に顧客を獲得でき
るチャンスとなるため、稼働率を引き上げる効果を期待できる。
ウーバーは効率的なタクシーの運用に寄与するので、二酸化炭素の排出量を減らすこ
とにつながる。ウーバーはクルマだけのサービスではない。すでに米国の一部都市では
自転車で小さな荷物をデリバリーするサービスをやっている。
東京であれば、日本交通をはじめ、大手タクシー会社はスマホアプリを運用しているた
め、すでにスマホで迎車サービスを使っている人にとっては、あまり便利さを感じない
かもしれない。むしろ埼玉、千葉などの郊外や地方都市に出張した際に、ウーバーで
簡単にタクシーを呼ぶことができれば、かなり便利だろう。
③Meetrip
Meetripは地元ユーザ(またはガイド)と旅行者をつなげるスマートフォンアプリ
である。
Facebook認証をしてサインアップしたら、地元ガイドは簡単にツアー計画を作
成できる。例えば、旅行者には知られていない古い街並みを探索する3時間のツアー、
地元で最も人気な麺を楽しむランチなどだ。旅行者はおもしろそうなツアーを見つけて
申し込むことができる。ガイドと連絡を取り合うことで、自分だけの完璧なツアーを練
り上げることができるし、値段を含むツアーの詳細は後から変更できるので調整の
余地もある。
Meetripは、アクティビティより「人」に焦点を当てている。
地元の人たちがMeetripを使う動機はいろいろ考えられる。遠くから来た旅行者との
交流や外国語の会話や練習、または地元の特別な場所を旅行者に紹介することなど。
これらはどれも、地元の人たちがアプリを最初に使い始める理由だ。
しかし時間が経つにつれ、Meetripが彼らの大きな収入源になる可能性がある。
④trippiece
テレビで見かけたあの絶景、いつかはこの目で見てみたい!そんな気持ちを持ったこと
はありませんか?
トリッピースは「みんなで旅をつくる」がコンセプトのソーシャル旅行サービス。
ユーザーの「旅に行きたい」想いが投稿され、それに共感した仲間が集まり、みんなで
旅をつくる。
トリッピースの旅の良いところは、あなたが行きたい場所に行けることとなによりも
日常生活では出会うことのなかった、同じ興味・価値観を持った人達と出会えること。
トリッピースの旅とは?
トリッピースではユーザー自らが行きたい旅の企画ページを作って共有することが
でき、その旅の企画に共感したユーザーが集まり、みんなで旅のプランを作っていく。
旅のプランが具体化されたら、トリッピースと提携している旅行会社がその企画をツア
ー化してご提供する。
⑤KitchHike
ごはんを作る人(COOK・クック)とそれを食べたい人(HIKER・ハイカー)をつなぐ
日本発のウェブサービス。例を挙げると、COOKは「トルコに住むGulsahです。
地中海風のフルコースを用意しますよ」と登録。サイトを見て「Gulsahさんの
ごはんを食べたい!」と思ったHIKERが、日付などを指定して連絡を取る。
HIKERはごちそうになったあと、写真付きのレビューも投稿できる。
COOKは提供する料理に自ら値段をつけ(最低価格10ドルより)、HIKERはお代
を支払う。お金のやりとりはPaypalもしくはクレジットカードで行われ、
KitchHikeはその間から手数料をもらう仕組み。現在は英語版のみ提供で、
日本、タイ、カナダなど、13カ国からの登録があり、今後も世界中でサービス
を展開していく予定。
Airbnbでは「家」という元手が必要だが、KitchHIkeで必要なのは料理をつくる「人」
そのものであり、宿泊するのはためらわれる家でも、食卓を囲むことならずっとハード
ルは低くなると言う発想がある。
いずれにしろ、これらのシェアサービスがシェアリング・エコノミーとして社会の
基盤となっていくには、それらを受け入れる生活文化の存在と特に日本で見られる
何事にも、規制をかけるやり方の変更、新たな法整備や大胆な規制緩和、
が必要となる。

5)社会基盤への影響
ローレンス・レッシングは「CODE]の中で、ITを政治の中に組み込み、IT
の下で自由、平等を考えITを社会の運営モデルと提唱した。インターネットは
社会的な統治基盤の一部として考え、特に公共的な価値としての「公開性」を
重視している。このように、ITをベースとして、法と統治、技術が三位一体
となった新しい社会を提唱している。子の中では、「四つの社会的力」を
言っている。それは、「市場、規範、法、そしてアーキテクチャ」である。
レッシグによれば、われわれの社会において、人のふるまいに影響を及ぼすものには、
(1)法、(2)規範、(3)市場、(4)アーキテクチャ(またはコード)という4種類あるが、
サイバー空間においては、とくに4番目の「アーキテクチャ」が重要な
規制手段だという。
実空間での事例として、「公共空間における携帯電話の利用」を取り上げる。
車内、病院、劇場など公共的な空間において、携帯電話の利用はさまざまな方法
で規制されている。
①法律による規制
自動車運転中の携帯電話利用は、「道路交通法」によって禁止されており、違反者に
はきびしい罰則が科せられる。これによって、運転中のドライバーのふるまいは規制さ
れている。
②規範による規制
電車やバスなどの車内での携帯利用に関しては、車内のアナウンスや、乗客の冷たい
視線などの「規範」によって、とくに音声通話利用というふるまいは規制されている。
③市場による規制
喫茶店、レストランなどでは、携帯電話が利用できるスペースを設け、それ以外の場
所では携帯電話はできないようにしているところもある。これは、市場の中で、携帯電
話をできる空間を制限しているという意味では、市場による規制といえるだろう。
④アーキテクチャによる規制
劇場、病院などの一部では、建物内に携帯電波をシャットアウトする装置が設置され
ている場所がある。これは、アーキテクチャによる規制といえる。
サイバー空間においても、これと同じような4種類の規制が加えられている。
①法律による規制
著作権法、名誉毀損法、わいせつ物規制法などは、サイバー空間にも適用され、違反
者には罰則を課することができる。
②規範による規制
アニメに関するコミュニティサイトで、だれかが民主政治のあり方に関する議論を始
めたら、たちまちフレーミングの嵐(炎上)にあうだろう。
③市場による規制
インターネットの料金体系はアクセスを制約する。商用サイトにおいて、人の集まら
ない電子会議室は閉鎖されてしまうだろう。
④アーキテクチャによる規制
サイバー空間の現状を決めるソフトウェアとハードウェアは、利用者のふるまいを規
制する。たとえば、一部のサイトでは、アクセスするのに、IDとパスワードを
要求される。
レッシグの独創性は、この4番目のアーキテクチャが、利用者にも知られることなく、
利用者のふるまいを規制していること、また、実空間以上に、インターネット上で
アーキテクチャによる規制力が無際限に大きくなり得ることを発見した点にある。
それが行き過ぎると、インターネットから自由が奪われてしまう恐れがあるのだ。
そうした事態を防ぐためには、アーキテクチャの規制を管理できるような対策を講じる
必要がある。それは、私見によれば、①から④までのそれぞれにおける対応が必要
ではないかと思われる。
更には、理念を実現するための起業と社会変革を実現するためのインターネットという
ツールの活用。社会を変革するなどと口先だけの政治屋が多い中、特に日本では政治屋
はいるが政治家がいない中、自身の持つ社会的理念を社会基盤となるインターネット
を活用して企業を育て、それによって社会そのものを変えていこうというアプローチ
は素晴らしいと思う。残念ながら、このようなアプローチは今の日本ではほとんど無い
様に思える。
6)企業のあり方
前項の社会基盤への影響は、その存在の1つである企業のあり方も
変えつつあると言う。
2010年ぐらいからベネフィトコーポレーションと言う考えが明確
になってきた。従来の企業と大きく違うのは、株主の利益最大を目的とした
組織、法人ではなく、ステイクホルダー、企業活動にかかわる全ての関係者、
顧客、社員、取引先、地域、行政、への貢献の拡大である。
これからはベネフィトコーポレーションの基本スタンスで、従来の企業と
ノンプロフィトコーポレーション(NPC)の良さを持った組織が重要となる。
逆な面で言えば、日本の従来からNPO法人といわれる組織もこのベネフィット
コーポレーションに近づく必要がある。
ベネフィットコーポレーションとなるためには、会社は明白な社会的/環境的
使命と、株主だけではなく社員やコミュニティー、そして環境の利害を考慮する
ための法的拘束力のある受託者としての責任を有する必要がある。会社はまた、
持続可能性および労働者の好待遇についての〈B Lab〉の誓約を採用するために、
定款の改正をする必要がある。
この組織が何を認証するかというと、「当該企業が、社会問題や環境問題の解決に
貢献するという存在である」ということ。この認証を受けられれば、CSRというが、
企業の存在意義そのものが肯定される。すごい法制度である。
日本ではアウトドア用品メーカーのパタゴニアが有名。
この考えを理解するには、ヴェブレンのいう「習慣の重要性」と「製作者本能」
の概念に注目する必要がある。
人間は、生来より外部環境に働きかけて必要なものを作り生存して来た。
その「つくる」と言う本能が製作者本能と言っている。
その技術の知識や智慧が製作者の集まった共同体に蓄積されてきた。しかし、
産業革命により自らの製作をせずとも商品の購入と言う行為で生存する事が出来る。
これにより消費社会と言うものが現出して来た。すなわち、思考習慣(制度)
は環境の変化と技術による変化によって変化していく。
また、創るという行為を環境や技術の変化から見てみると、3Dプリンター
として、広く社会基盤に浸透しつつある事を認識しておくべきである。
今はビジネス的な実利面が中心に、この進化が進んでいるように見えるが、
より深く社会に直結した社会基盤として進むと思われる。
企業が{つくる」と言う従来からの考え方も大きく変わってくる。
将来の姿はどうなるのか
3Dプリンターに関する講演の記事の抜粋から、少し考えてみる。
「3Dプリンターによってアイデアの“触れる化”が実現 田中氏は、企業による
大量生産⇒個人による適量生産、消費の楽しさ⇒創ることの楽しさの発見、
特定企業による排他的なプロジェクト⇒異なるバックグラウンドを持った全員
参加型のプロジェクトといった、社会や心の変化を若者が集う大学で
感じられるという。
3Dプリンターで何ができるのだろうか。その方向性として2つの説を紹介している。
1つ目は、製造業に新しい産業革命が起こるという説(メイカームーブメント)。
大規模な生産設備や作業人員は不要になり、1人で製造業に参加できるようになる。
2つ目は新しい情報文化が始まるという説(FabLab:ファブラボ)。情報の中にモノの
データが流通するネットワーク端末のひとつとして捉えることで社会構造が変化する。
例えばFabLabは、世界60カ国250箇所でネットワーク化された地域の市民実験工房と
して利用されている。そこでは、3Dプリンター以外にも大小のミリングマシンや
レーザーカッター、デジタル刺繍ミシン、3Dスキャナーなど、さまざまなデジタル
工作機械が設置され、小学生から大学の研究者まで多様な人々が出会い、新たに
生まれたニーズの可能性を形にしている」という。
ファブラボについての紹介がある。
https://www.youtube.com/watch?v=YTwt7ji3EgY
7)今また分散化と旧きよき共同社会へ向けて
分散化された社会への回帰
ネットワーク化の進化発展が分散化を推し進める。
これにより、文化や社会構造までが新しい普遍的な組織編制の可能性を高める。
分解、再構成が既存の組織や社会の仕組みに適用される事により、更に進歩主義的
(プログレッシブ)な社会改革がソーシャル化以後、個体の大群化されたより
複雑なつながりを持ってそれぞれの持つ機能や組織を活かすために創れていく。
そのためには、組織原理に精通し、技術的な思考の高い人々がその推進を
担っていく必要がある。
これらの動きから、思うのが、宇沢弘文氏の「社会的共通資本」の考え方である。
社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある
社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を
意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立
を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割
を果たすものである。
しかも、社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められて
いるような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって
共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。
(政府が一元的に管理的を行うものではないと言っている。)
社会的共通資本はこのように、純粋な意味における私的な資本ない
しは希少資源と対置されるが、その具体的な構成は先験的あるいは
論理的基準にしたがって決められるものではなく、あくまでも、
それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、
経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て
決められるものである。
このため、彼の考えは農業、都市のあり方、教育、医療分野、
金融分野まで幅広いテーマを含んでいる。
社会的共通資本はいいかえれば、分権的市場経済制度が円滑に機
能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件であると
いってもよい。それは、ソースティン・ヴェブレソが唱えた制度主義
の考え方を具体的な形に表現したものである。
したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として
官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件に
よって左右されてはならない。
社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見に
もとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない、
と言っている。
社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制
度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。自然環境
は、大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、沿岸湿地帯、土壌などで
ある。社会的インフラストラクチャーは、道路、交通機関、上下水
道、電力・ガスなど、ふつう社会資本と呼ばれているものである。
なお、社会資本というとき、その土木工学的側面が強調されすぎる
ので、ここではあえて、社会的インフラストラクチャーということ
にしたい。制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度
をひろい意味での資本と考えようとするものである。
大共同社会
ジョン・デューイは、産業革命により出現した大社会の状況を反省し、それ以前の
共同社会を新たなる視点で構築する事を考えた。しかし、その基本はラジオなどの
メディアを基盤とする社会構築への試みであったが、ラジオを含め社会基盤
となるには充分な力を持っていなかった。だが、是を現在のインターネットが
基盤となった社会に適用すれば、その理念は生きてくる。
この点を広く検証したのが、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」
であろう。彼は、グローバリゼーションが広まり、世界がフラット化しつつある
要素には、10項目があると言っている。
更に、これらの要素を最適な形で有効に活用するには、以下の3つの集束
が必要となる。
1)グローバルなプラットホームが形成され、共同作業が可能となる。
これらを上手くこなす仕組み、
フラットな世界への接続可能なインフラ、
プラットホームを活用できる教育体制、
プラットホームの利点欠点を活かせる統治体制、
を構築できた国が先進的な活動と富、権力を得ることが
出来る。
2)水平化を推進する力
水平な共同作業や価値創出のプロセスに慣れている多様な人材が必要である。
3)新たなるメンバーの参加
中国やロシアなど政治、経済などの壁により、参加できなかった30億人
以上のメンバーの参加が可能となった。
面白いのは、これらが実行されることにより、世界レベルでの変革となるが、
その基本は、「共産党宣言」に指摘されてぃることである。
「昔ながらの古めかしい固定観念や意見を拠り所にしている一定不変の凍り
ついた関係は一掃され、新たに形作られる物もすべて固まる前に時代遅れになる。
固体は溶けて消滅し、神聖は汚され、人間はついに、人生や他者との関係の実相
を、理性的な五感で受け止めざるを得なくなる。、、、、、そうした産業を駆逐
した新しい産業の導入が、全ての文明国の死活を左右する。、、、、、、、
どの国もブルジョアの生産方式に合わさざるを得ない。一言で言うなら、
ブルジョアは、世界を自分の姿そのままに作り変える。」
フラット化要件での集束が推進されるには、
すべてが「指揮・統制」(コマンド&コントロール)から「接続・共同」
(コネクト&コラボレート)に切り替わることが重要となる。
このため、個人のアイディンティの整理なほど、個人の持つ力が
重要となる。
旧来のようなラインでの単調な仕事をこなしたり、トップダウンからの
指示を的確に実行するだけの旧来型のミドルクラスは、機械や低賃金の
労働者などに取って代わられ、以下の様な新しいミドルクラスが必要となる。
①共同作業のまとめ役
②様々な技術の合成役
③複雑なものを分かりやすくする説明役
など とのこと。
いずれにしろ、この本で言うムーアの法則に準じて発達、拡大する技術進歩と
それによる社会の変革はどこまで進むのであろうか、楽しい様で怖い意識も
湧き上がって来る。



「「2052年」を読んでみて!」

チョット、前から2052年(今後40年のグローバル予測)なる本を
読んでいる。40年前に出た「成長の限界」のバージョンアップ版?である。
「成長の限界」「銃・病原菌・鉄」と並行して読むと中々に、面白い。
1.「2052年」を読む
「2052年」著作の出発点となる問題意識は、ランダースによると、
「成長の限界」による警告にもかかわらず、人類は十分な対応を行わない
まま40年が過ぎた、という点にある、とのこと。

例えば、
「問題の発見と認知」には時間がかかり、「解決策の発見と適用」に時間
がかかる。、、、そのような遅れは、私たちが「オーバーシュート(需要
超過)」と呼ぶ状態を招く。オーバーシュートはしばらくの間なら持続可能
だが、やがて基礎から崩壊し、破綻する」(序文)
「しきりに未来について心配していた10年ほど前、私は、人類が直面
している難問の大半は解決できるが、少なくとも現時点では、人類に何らか
の手立てを講じるつもりはないということを確信した」(1章)
「持続可能性と幸福」実現に向けては、以下の5つの課題、問題をキチンと
精査することが必要とのこと。
・資本主義は終焉するのか?
・経済成長は終わるのか?
・緩やかな民主主義は終わるのか?
・世代間の調和は終わるのか?
・安定した気候は終わるのか?
記述されている40年後の世界については、気候変動、人口と消費、エネルギー
問題、食料事情、社会環境、時代精神など実に膨大な記述がなされている。
それらすべてを要約することは出来ないし、する気もないが、枠組みに
関する最重要なポイントとして、以下の点を理解しておくことは肝要と思う。

①都市化が進み、出生率が急激に低下するなかで、世界の人口は予想より
早く2040年直後にピーク(81億人)となり、その後は減少する。
②経済の成熟、社会不安の高まり、異常気象によるダメージなどから、生産性
の伸びも鈍化する。しかし、生産年齢人口をベースとする粗労働生産性は着実
に伸びる。
③人口増加の鈍化と生産性向上の鈍化から、世界のGDPは予想より低い
成長となる。それでも2050年には現状の2.2倍になる。
③資源枯渇、汚染、気候変動、生態系の損失、不公平といった問題を解決
するために、GDPのより多くの部分を投資に回す必要が生じる。このため
世界の消費は、2045年をピークに減少する。
④資源と気候の問題は、2052年までは壊滅的なものにはならない。
21世紀半ば頃には、歯止めの利かない気候変動に人類は大いに苦しむ
ことになる。しかし、農業技術等の進化により 、食料生産量は増加する。
⑤インターネットの拡大は、「外在化した集合意識」として、大衆の影響
力が大きくなる。また、多様で流動的な環境により、安定した拠り所や
制限もほとんどなく、開放的で、様々な機会に恵まれ、意識も大きく
変わっていく。
⑥米国、米国を除くOECD加盟国(EU、日本、カナダ、その他大半
の先進国)、中国、BRISE(ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ、
その他新興大国10カ国)、残りの地域(所得面で最下層の21億人)
の大枠で分析しているが、予想外の敗者は現在の経済大国、中でも
アメリカ(次世代で1人当たりの消費が停滞する)。勝者は中国となる。
BRISEはまずまずの発展を見せるが、残りの地域は貧しさか
ら抜け出せない。 日本はほとんど考慮外?
中国の多方面にわたる影響の記述が多いことに気付く。「アメリカから中国
への覇権のスムースな移行が可能か?」の記述もあり、東アジアでの日本
の位置付けをもっと真剣に考える時期になりつつある。
2.成長の限界
ローマクラブがMITに研究を委託して1972年に出した報告書「成長の
限界」は、高度成長期に位置していた日本では、大きなショックとなった。
そのポイントは、人口と工業資本がこのまま成長し続けると食糧やエネルギー
その他の資源の不足と環境汚染の深刻化によって、2100年までに破局を
迎えるので、成長を自主的に抑制して「均衡」を目指さないと世界が破滅
する、と言うもの。
「システム・ダイナミクス」とかいう手法で世界システムのモデリングを
行い、人類の文明が今後成長を続けていけるのかどうかをコンピュータで
シミュレーションした。
人類文明をこのまま放っておくと、
①勢いよく成長し続ける。
②負のフィードバックループによる制約が間に合わず、一時的に地球のキャパ
を超えて「成長の行き過ぎ」が生じる。
③負のフィードバックループが本格的に作用し、破局的な痛みを伴って成長
が一気に止まる。
そして、仮定を色々変えてみて、悲観シナリオから楽観シナリオまで何
パターンかシミュレーションしてみても、「成長の限界」は遅くとも2100
年までには訪れると報告書は主張した。
ただし、汚染(たとえば放射性廃棄物の蓄積)の影響は時間的に遅れて現れる
ということと生態系への影響は複雑すぎて計算しづらいという。
「現在の知識で最も欠けているのはモデルの汚染セクターに関する知識
である」(166頁)
「汚染を吸収する地球の能力の限界がわかってないということは、汚染物質の
放出に対して慎重でなければならないことの十分な理由となるであろう」
(66頁)と言うコメントもある。
イギリスの経済学者ロバート・マルサスが18世紀末に記した、あの「人口論」
を想起させる。食料を生産するための耕作地の増加が人口の増加に追い付かず、
人類は飢餓・戦争など悲惨な状況に突き進む、、、、。
「成長の限界」が社会にもたらしたショックは、とりわけ日本において大きい
ものがあった。公表の時点で日本は、いまだ60年代の高度成長の余韻の中に
いた。前年の1971年、ニクソンショックで1ドル360円時代は終焉して
いたが、それはむしろ日本の経済発展の結果を象徴する出来事と受け
止められた。しかし1973年、第一次石油危機が世界を襲う。
資源が有限であるという事実をまざまざと見せつけられた日本では、高度
成長とは異なる新しい道を歩まねばならないことが、人々の実感として
受け止められた。しかし、トイレットペーパーの買占めなど、喉元過ぎれば、、
の例え通り、いまだ、多くの日本人は、成長主義に囚われている様である。
個人的にも、高度成長のあの漲るエネルギーや日々の変化に対して、とても、
現在の凋落しつつある日本を思っても見なかったし、「限界」の言葉さえ、
なかったと記憶している。
3.「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイヤモンド著)
本書は1万3000年の人類の歴史のなかで、いったい何が文明をおかしく
させた主たる要因だったのかということを「文明の利器」と「環境特性」
との関係、および技術や言語の発生と分布と伝播の関係に深く分け入って
徹底精査したことをまとめたものである。
今日の世界現状からのジャレド・ダイアモンドの問題意識は、「現代世界
はなぜこんなにも不均衡になったのか」ということにある。これを言い換える
と、「世界の富や権力はなぜ現在のようなかたちで分配されのたのか」という
問題になる。なぜ、他の文明がイニシアチブをとり、なぜ他のかたちで分配
されなかったのかということでもある。
これまで、文明力の決め手になるものとしては、食料生産力、冶金技術力、
多様な技術的発明力、集権的な組織力、そして文字によるコミニケーション
力などが重視されてきた。ジャレド・ダイアモンドが農業生産力の次に
とりあげるのは、とりわけ「文字の力」や「発明の力」の問題だ。
ここにはすべての記号的な力や技能的な力が含まれる。文字は互いに遠く
離れた世界を知識で結びうる。文字や記号があれば、収穫物の記録も、
技能の伝達も、契約の締結も、裁判の発達も速やかになる。
それがリテラシーというものだし、西側的な意味での情報力や知識力
というものだ。
なぜこんな様に、アルファベットだけが近代社会のリーダーシップを
とったのか。これは結構、異常なことである。なぜなら、ここには
そもそもシュメール楔形文字の系譜もエジプト象形文字の系譜も、漢字
の系譜もマヤ文字の系譜も、入っていない。ましてオガム文字もハングル
文字も仮名文字もないのである。
ギリシア・ローマ系のアルファベットだけがその後の新世界を制したのだ。
何故、このような結果になったのか?
その点、第12章「文字を作った人と借りた人」、第13章「発明は
必要の母である」は面白く読める。
また、第16章「中国はいかにして中国になったのか」、第17章
「太平洋に広がっていった人びと」については、「2052年」
の中国の記述と合わせて、考えるとチョット面白い。
これらを論じて、本書の重大な“折り目”にあたる1500年代に
世界がすっかり入れ替わってしまったことを、第18章「旧世界
と新世界の遭遇」でふたたび強調している。
過去、現在、未来、これらを読むと中々に、面白いのでは?

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