2016年1月24日日曜日

ローカル志向時代より思う

最近、「ローカル志向の時代(松永桂子著)の本を目にし、一読した。
社会は変わりつつある、価値も変わる、人とのゆるやかなつながりや安心感など、
貨幣的価値に還元できないものが重要となり、これまでとは異なるライフスタイル、
価値観、仕事、帰属意識が生み出されつつある。都市と農村のフラット化、新たな
スタイルの自営業、進化する都市のものづくり、地場産業、地域経営、などの視点
から現在の「ローカル志向」を解き明かすために、地域をベースにして、消費、
産業から個人と社会の方向性について考えた本である。
とくに、地域経営の在り方についてものづくり、まちづくりは人とその基盤となる
風土、文化、更には景色が大きくかかわっている、という。
さらに言えば、30年ほど前に充分に理解したとは言えないが、この本の最後に
紹介のある山崎正和氏の「柔らかい個人主義の時代の誕生」を読んだ時の感触が
いま眼前により具体的な形として広がっている、そんな思いにかられた。
1.若者の働き方の変化
地域への関わりの世代の広がりは私自身のNPOや地域活性化支援への関わりからも、
とくにここ4、5年変わってきている事を感じる。例えば、滋賀県では十数年前から
地域の課題を解決したり、解決しようとする人たちの支援をするなどのために地域
プロデューサを毎年育成して来たが、以前は60代の定年後の次の何かをしたい人
がほとんどであったが、4、5年前からは20代から40代の現役メンバーが多く
なってきた。彼らの志向は自分たちの住む地域をもっと理解し、何かをやりたい、
という意識が極めて強い。
また、身近なところでも、Iターン、Uターンの若い人が増えている。
最近の若者の意識については、この本にもあるが、電通が2015年8月にした調査が
面白い。その調査では、
電通総研、「若者×働く」調査を実施
「電通若者研究部(ワカモン)との共同で「若者×働く」調査を実施しました。
この調査は、週に3日以上働いている18~29歳の男女3,000名を対象とし、30~49歳の
男女2,400名のデータと比較することで、若者の現在の働き方、働く目的、働くことに
対する意識などを明らかにしました。
本調査の主な結果は以下のとおりです。
1. 若者の約3割が非正規雇用。女性では約4割。
2. 働く上での不満は、給料などの待遇面、有給休暇の取りづらさ、仕事の内容など。
3. 働く目的はまず先に生活の安定。働くのなら「生きがい」も得たい。
4. 現在の働き方は堅実に、理想は柔軟な働き方をしてみたい。
5. 約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくない
と思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。
6.「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」。
7. 若者は「企業戦士」「モーレツ社員」という言葉を知らない。
特に、5から7項の結果は我々世代と大分違う様でもある。
その中でも、
約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくないと
思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。働くことへの意識については、18~29歳の約4割が「働くのは当たり
前だと思う」(39.1%)
一方で、「できれば働きたくない」(28.7%)が約3割に上ることが分かった。
仕事に対する価値観でも「仕事はお金のためと割り切りたい」(40.4%)など、
消極的なマインドがある中で、「自分の働き方はできる限り自分で決めたい」
(28.4%)という意識がある。会社や仕事の選び方は「できるだけ安定した会社
で働きたい」(37.1%)という意識が強いが、「1つの企業でずっと働いていたい
と思う」という意識は17.3%。周囲や社会とのかかわり方では、
「できるだけ価値観が共有できる仲間とだけ仕事がしたい」(32.9%)、
「社会に貢献できる仕事・会社を選びたい」(23.2%)となっている。
「できるだけ安定した会社で働きたい」という項目は、女性18~29歳で44.3%と高い。
「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」「社会」という言葉がイメージするものとして、18~29歳では
「日本社会」(41.9%)、「会社や所属している集団」(39.2%)、「住んでいたり、
関わりのある地域」(34.8%)、「友だちや家族」(34.1%)が上位に挙がった。
社会=日本というイメージと同時に、友だちや家族といった身近な「社会」も
想起されていることが分かる。女性18~29歳は「会社や所属している集団」
(42.6%)が最も高く、身近なコミュニティーを社会としてイメージしている。
「企業戦士」の認知率は、40~49歳が53.6%であるのに対し18~29歳は31.2%。また
「モーレツ社員」は、40~49歳が54.4%であるのに対し18~29歳は21.7%と、年代により
大きな差が見られた。
これらの言葉は、高度成長期に仕事に熱中する、企業のために粉骨砕身で働く
サラリーマンの像を表した言葉であり、世代ギャップがあることが分かる。」
時代の変化と意識の変化を感じる調査結果でもある。
また、後述でも伝えるが、Iターンで成功している地域の人の言葉を幾つか、
・「人生は一度きり。価値あることに時間を使いたいですし、一緒に働く仲間にも
価値ある時間を過ごしてほしい」。
・「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツでした。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきたのです」。
 ・町のサイトには「移住者は自分がやりたいことを実現するために、目的を
持ってやってきていた」とある。
2.「柔らかな個人主義の誕生」より
この本は、1984年に刊行され、60年代と70年代についての分析が中心であるが、著者
の「消費」の定義の仕方など、現在でも十分に通用する内容ではあるが、個人的には
組織の中で一途に仕事に打ち込んでいた自分にとってのこれからの社会への個人の
関わりの変化を感じさせる内容であった。池田内閣の所得倍増計画の下で高度経済成長
を目指していた60年代の日本社会が、その目的を遂げた後、どのように変化していった
のか。70年代に突入して増加し始めた余暇の時間が、それまで集団の中における一定の
役割によって分断されていた個人の時間を再統一する道を開いた。
つまり、学生時代は勉学を、就職してからは勤労を、という決められた役割分担の時間
が減少したことにより、余暇を通じて本来の自分自身の生活を取り戻す可能性が
開けたということである。
こうした余暇の増加、購買の欲望の増加とモノの消耗の非効率化の結果、個人は大衆
の動向を気にかけるようになる。以前は明確な目的を持って行動できた
(と思っていたが)人間は、70年代において行動の拠り所を失う不安を感じ始める。
こうして、人は、自分の行動において他人からの評価に沿うための一定のしなやかさを
持ち、しかも自分が他人とは違った存在だと主張するための有機的な一貫性を持つこと
が必要とされる。それを「柔らかい個人主義の誕生」と考える。
今読み返しても、その言葉をなぞっても、決してその古さを失っていない。
まずは、
・けだし、個人とは、けっして荒野に孤独を守る存在でもなく、強く自己の同一性に固
執するものでもなくて、むしろ、多様な他人に触れながら、多様化していく自己を統一
する能力だといへよう。
・皮肉なことに、日本は60年代に最大限国力を拡大し、まさにそのことゆえに、70年代
にはいると国家として華麗に動く余地を失ふことになった。そして、そのことの最大の
意味は、国家が国民にとって面白い存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたへ、個
人の人生を励ましてくれる劇的な存在ではなくなった、といふことであった。
・いはば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもない人(ノーボディ
ー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、それがひとしなみに尊重
され、しかし、ひとしなみにしか扱はれない「誰でもよい人(エニボディー)」に変っ
た、といへるだらう。(中略)これにたいして、いまや多くの人々が自分を「誰かであ
る人(サムボディー)」として主張し、それがまた現実に応へられる場所を備へた社会
がうまれつつある、といへる。
・確実なことは、、、ひとびとは「誰かである人」として生きるために、広い社会の
もっと多元的な場所を求め始める、といふことであらう。それは、しばしば文化サーヴ
ィスが商品として売買される場所でもあらうし、また、個人が相互にサーヴィスを提供
しあふ、一種のサロンやヴォランティア活動の集団でもあるだらう。当然ながら、多数
の人間がなま身のサーヴィスを求めるとすれば、その提供者もまた多数が必要とされる
ことになるのであって、結局、今後の社会にはさまざまなかたちの相互サーヴィス、あ
るいは、サーヴィスの交換のシステムが開発されねばなるまい。
・もし、このやうな場所が人生のなかでより重い意味を持ち、現実にひとびとがそれに
より深くかかはることになるとすれば、期待されることは、一般に人間関係における表
現といふものの価値が見なほされる、といふことである。すなはち、人間の自己とは与
へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在す
る、といふ考へ方が社会の常識となるにほかならない。そしてまた、さういふ常識に立
って、多くのひとびとが表現のための訓練を身につければ、それはおそらく、従来の家
庭や職場への帰属関係をも変化させることであらう。
・ここれで、われわれが予兆を見つつある変化は、ひと言でいへば、より柔らかで、小
規模な単位からなる組織の台頭であり、いひかへれば、抽象的な組織のシステムよりも
、個人の顔の見える人間関係が重視される社会の到来である。そして、将来、より多く
の人々がこの柔らかな集団に帰属し、具体的な隣人の顔を見ながら生き始めた時、われ
われは初めて、産業か時代の社会とは歴然と違ふ社会に住むことにならう。
この30数年前に語られた言葉がインターネットの深化に伴い、現在起きていることで
あり、それに対する個人の生きる指標でもあるようだ

3.百姓への勧め
若い人の意識の変化は確かに多くなりつつあるが、まだ現状維持や保守的な行動の
若者が多いのも事実である。この本でも言っている上野さんの「ゴー・バック・トゥ・
ザ百姓ライフ」、即ち、多様な生業を組み合わせた生活への意識変化も必要なので
あろう。
ここに「元東大教授 上野千鶴子さんと社会学者 古市憲寿さん」の対談の記事
があり、彼らの指摘もまた事実であることも考える必要がある。
「古市」ただ、無頼は「頼らない」とも読める。無頼を「何かに頼らないこと」とする
と、最近、そういう生き方への憧れは若者を含めすごく広がっている気はします。既存
の企業などに頼らず、もっと自由に生きてもいいのでは、と。ここ10年ぐらい、会社
に勤めず、独力でスキルアップするような働き方はある種のブームです。
「上野」ただ、無頼というのは、いわば無保険・無保障人生。簡単に勧められない。
「古市」たしかに、専門的な能力がなければ「無頼」はうまくいかないと思います。
そして一つの組織に属していれば安定という時代でもない。僕自身も友人と会社を経営
しながら、趣味のように大学院に通っています。
ただ、企業にしがみついて生きようという人も依然多い。
「上野」安全と安心が希少になってきたから、よけいに何かにしがみつきたいの
でしょう。「就活」や「婚活」に必死になるのが、その表れでしょうね。
「古市」たしかに、新入社員のアンケートでも、定年まで同じ会社にいたいという人
が最近増えていますし、専業主婦志向も強まっていますね。
「上野」一方で、労働市場で最も割を食った非正規労働の中高年既婚女性たちは、
1990年代後半からどんどん起業しています。背景には、NPO法ができて任意団体
が作りやすくなったこと、介護保険法で助け合いボランティアがビジネスになった
ことがある。起業は若者だけの動きじゃない。
「古市」労働市場で一人前として働けないから、自分たちで、ということですね。
起業といえばITにばかり注目が集まるけど、裏側にはこうした女性たちがいる
のですね。
「上野」資本力のない女と若者は労働集約型か知識集約型の産業で起業するしかない。
この20年、グローバル競争に勝ち抜くという口実で政官財や労働界が労働の規制緩和
にゴーサインを出しました。その結果、格差社会でワーキングプアが男性にも大量に生
まれた。日本では移民の代わりに女性と若者が使い捨ての低賃金労働力になってきた。
フリーターが「不利だー」になったのね。起業は労働市場で相対的に不利な人たちの
選択肢。
「古市」自由になる代わりに、格差がどんどん広がっていく気がします。そこでは無頼
が、政策決定者側にとっても都合のいいキーワードになっている。今後、みんなが何も
のにも頼れない「無頼」にならざるを得ないのでしょうか。
「上野」もちろん全人生を会社に預けるような働き方をする人たちも、一部に残る
でしょう。でも、会社ごと心中することになるかもね。
「古市」自由に生きるためには、どこかでベースみたいなものがないと難しいというこ
とですね。
「上野」脱サラした人たちを見てきたけど、イヤな仕事を断れなくなったり仕事の質を
保つのが難しい。だから、「フリーになりたい」という転職相談には反対してきた。
「会社は無能なあなたを守ってくれる。荒野で一生戦うエネルギーと能力があるか」
って。
「古市」フリーとは定義上「自由」であるはずなのに、不安定だからこそ何かに従わな
きゃいけない。一方で、今の日本では、特に男性サラリーマンは全人生を会社にささげ
ることが求められ、働き方が自由に選べない。それがジレンマですね。
「上野」昔の日本は違った。土地の気候風土に合わせて稲作、裏作、機織り、季節労働
と多様な活動を組み合わせて生計を立てるのが「百姓(ひゃくせい)」だと言ったのは
中世史家の網野善彦さん。百姓は「種々の姓」のことだから。だからゴー・バック・
トゥ・ザ百姓ライフ、よ。
確かに、若者を中心に社会への参加意識の変化は、特に東北の震災以降大きく変わり
つつあるようだが、この対談にもあるようにさらに保守的な意識と行動も増えている
ようだ。この2人の言葉もかみしめておく必要はある。
4.Iターン事例から
この本にも紹介のある事例についてもう少し詳細に書くと、
1)海士町(あまちょう)
島根県から、フェリーで約2時間半。お世辞にもアクセスがいいとはいえない隠岐島諸
島の一つ、海士町は1島1町の島だ。その便の悪さにも関わらず、ここ11年間で人口約
2,400人(2014年10月現在)の2割に当たるIターン者数を誇るという素晴らしいい島。
各種メディアでもよく取り上げられている。
海士町での背景
高齢化、人口減少等、何かと問題先進県と言われる島根県の離島にあって、この島の
青年団は、平成のはじめくらいから「お前らどうするんだ」と島の年配者から
プレッシャーをかけられていた。そこに山内町長の登場。財政的な危機を自らの給与
を50%カットして乗り切る姿勢、そして「私が責任を取るから、なんでもやって
みなさい」と、どんなチャレンジもサポートする意気込みが役場の職員にも伝わり、
何でもやってみようという機運が高まった。
だが、海士町が単に行政主導だけでここまで来たのではない。行政と民間の立場、
みんな一丸となって地域をよくしていく。その中で、行政ができることはベストを
尽くしてサポートする。そのような流れで今の結果を出している。
幾つかの事例を示すと、
①ものづくりへの対応
海士町では、ある一つの「商品」というよりは「ブランド」ひいては「産業」を生み
出してきた。しかし、多くの自治体が6次産業化に取り組んでいる中、なぜ海士町は
うまくいっているのか?そのポイントは「全部自分たちでやること」らしい。
農協や漁協を通すと、コストがかかる。それを自分たちでやってしまえば、その分雇用
も生まれる、とポジティブに考える。春香も隠岐牛も多くのサンプルを自分たちで
研究開発、市場調査などすべて島の人たちでやった。
②ひとづくり
ものづくりが一定の成果を出し始めた頃、次に取り組むべき課題が「ひとづくり」だっ
た。人口流出が激しい海士町では、高校が廃校の危機にあった。廃校になれば、高校生
になったら島外に出なければならず、人口の更なる流出が起こる他、家計負担も大きく
なる。そこで、島外から高校生を受け入れる「島留学」を開始。この島は半農半漁で、
綺麗な水もあるため、ほぼ自給自足生活できる。つまり、小さな社会がそこにある。そ
れを活かして、島を丸ごとキャンパスにして、地域総あげで教育を行うことで特色を出
して行った。
③学習センターの設置
島では質の高い教育が受けられない、というのが常識となっていた。それをカバーする
取り組みとして学習センターが設置された。小学校から高校生まで一貫して、学習支援
をする、いわば公設の塾のようなもの。しかし、ただの学習塾ではない。町のヘッド
ハントにより移住してきた豊田さんと藤岡さんという、その道のプロ達が指導にあたり
高校と連携してカリキュラムを工夫する他、「夢ゼミ」という、キャリアデザイン、
生き方のコーチングまである。
移住者を惹き付ける一番の魅力は、
海士町の移住者が多いのは、見ず知らずの人が突然アポを入れても時間を割いてくれ、
真剣に夢を語ってくれる。「私でもなにかできそう」と、自分も既に島の一員である
かもしれないという錯覚に陥る。
対応は、365日24時間。漁業に興味がある、という移住希望者がいれば、朝5時からの
漁に連れて行ったりすることもあるという。そうやって、外の人と内の人の間に入って
あげることで、島へ入って来るハードルを低くする。ここまでが役所の仕事という境目
はない。制度より、システムより、補助金より、これらの地道で人間味あふれる
サポートが、移住者に「受け入れてもらえた」と感じさせ、彼らを惹き付ける要因の
一つである。
2)徳島県神山町の場合
徳島市内から車で約40分、人口約6000人の徳島県神山町。今この町に、IT系の
ベンチャー企業やクリエイター達が続々と集結している。過疎化が進む神山町が取り
組んだのは、観光資源などの「モノ」に頼って観光客を一時的に呼び込むこと
ではなく、「人」を核にした持続可能な地域づくりである。具体的な取り組み内容
と実際の成果について“「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくり”を
ビジョンに掲げるNPO法人グリーンバレーが中心となって動いている。
2004年12月に設立されたグリーンバレーは、1992年3月設立の神山町国際交流協会を
前身とするNPO法人だ。「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくりや
後述する「創造的過疎」による持続可能な地域づくりなどをビジョンに掲げた活動を
展開している。
グリーンバレーはこれまで環境と芸術という2つの柱を建て、徳島県に自らビジョン
を提案し、プロジェクトを進めてきた。
まず環境面については、米国生まれのアドプト・プログラムという仕組みを日本で初
めて採用して道路を作った。アドプト・プログラムは、住民団体や企業が、道路や河川
といった公共施設の一区間を引き受けて、行政に代わってお世話をするものだ。そして
芸術面では、国際芸術家村を神山町に作ることにした。
1999年10月から神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)というプログラムを実施
し、神山町に芸術家を招聘し、その制作の支援を住民がやっていこうという活動が
町に大きな変化を起こしていった。
神山町のプログラムは資金が潤沢ではないので、有名なアーティストに来てもらえ
ない、住民が始めたプログラムなので専門家がいない、などの課題があった。
そこで神山町では発想を転換した。“アートを高められなくても、アーティストを高
めることはできるのではないか”。つまり観光客をターゲットにするのではなく、制作
に訪れる芸術家自身をターゲットにしようと考えた。
「欧米のアーティストから『日本に制作に行くのなら神山町だ』と言われるような場所
作りを目指した。そのために、やってきたアーティストたちの滞在時の満足度を上げ、
神山町の“場の価値”を高めることに注力する取り組みを1999年から7~8年間続けた。

そこでグリーンバレーは、2007年10月に神山町から移住交流支援センターの運営を
受託、2008年6月には総務省からの資金援助を得て「イン神山」というWebサイトを
立ち上げ、神山町からの情報発信を開始した。
“神山で暮らす”というコンテンツがウケた
サイトでは当然、アート関連の記事を作り込んでいったが、公開後に意外なことが起
こった。「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツだった。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきた。
グリーンバレーには、アーティストたちを神山町に呼び込むための活動を通して、
移住希望者と物件オーナーとのマッチングや空き家自体の発掘などのノウハウが
貯まってきていた。実際にサイト公開後の2010年から2012年までの3年間で、神山町
移住交流支援センターでは37世帯71名(うち子供17名)の移住を支援した。
町に必要な人材をピンポイントで逆指名する「ワークインレジデンス」
移住者の大きな特性は、平均年齢が30歳前後だということ。そうした若い世代に
ついては「神山町が必要とする人たちを選んでいる」という。
神山町移住交流支援センターでは過疎化、少子高齢化、産業の衰退という課題解決の
ために移住支援を行っているが、こうした課題に対する答えを持ってる人、例えば
子供を持つ夫婦や起業家の人などを優先的にお世話をする。
これが「ワークインレジデンス」という取り組みだ。町の将来に必要だと思われる職業
を持つ働き手や起業家を、空き家を一つのツールにして、ピンポイントで逆指名する。
地域再生で一番大切なことは、「そこにどんな人が集まるか、集められるか」。
それを実践しているのが、神山町のようだ。
5.その他
この本は、ローカル志向という点で、新しい自営業、地域経営、地場の産業など
かなり幅広いテーマでまとめられている。
以下にその章立てを示すが、個人的に今興味があるのが、若者を中心の意識変化と
それに対する地域経営をテーマにしたもであり、そこからのキーフレーズについて、
今回は書いているので、少し記事内容は限定的である。他のテーマなどに興味ある
方は、関係ある章を読んでもらうことをお勧めする。
第1章  場所のフラット化
1-1    古くて新しい商店街
1-2    消費社会の変容と働き方の変化
第2章    「新たな自営」とローカル性の深まり
2-1    古くて新しい自営業
2-2    自営の人びとが集う場
2-3    経済性と互酬性のはざまで
第3章  進化する都市のものづくり
3-1    中小企業の連携の深まり
3-2    新たな協業のかたち
第4章  変わる地場産業とまちづくり
4-1    デザイン力を高める地場産業
4-2    ものづくりとまちづくり
4-3    外部者からみえる地域像
第5章  センスが問われる地域経営
5-1    小さなまちの地域産業政策
5-2    「価値創造」の場としての地域
5-3    「共感」を価値化する社会的投資
終 章  失われた20年と個人主義の時代
特に気になった文について少し紹介する。
・「これまでも、地域の自然、風土、文化はまちづくりの思想の根底に据えられて
きました。他方、地域経済を支える産業は風景や景観、風土や文化とのかかわりから
論じられることは少なく、むしろ自然や文化に対置してとらえられてきたふしが
あります。」
ローカル志向という流れの中では、地域の経済といえどもその風景、風土、文化、
さらに景観も考えた総合的なアプローチが重要となって来るのでは、と思う。
・「地域に産業があることにより、多様な人々がひきつけられ、多様な人々が
まじり合うことによって、町の姿が演出されます。そして豊かな生活空間を創出して
いくことにもつながっていきます。円熟した景観や風景がそれを物語ることになる
でしょう。
しかし、それは単に内なる視点だけでは構築されず、外部者からの意味づけがあって
意味を持つわけです。生活者の視点だけでなく、旅行者的な外部の視点で地域を捉える
ことは、観光まちづくりを進めるうえでも重要になってくるのではないでしょうか。」
この指摘は今個人的にも企画している事業にも当てはまることであり、この本にも
紹介のある中川理氏の考えも大いに参考となる。


これに参考になるものとして宇沢弘文の「社会的共通資本」がある。

宇沢弘文は、その著である「社会的共通資本」で、社会的共通資本
を以下のように考えている。また、彼は、格差社会について、いち早く
警鐘し、現在の日本のあるべき姿について、憂いて来た。
宇沢氏が、社会的共通資本の「具体的な構成は先験的あるいは論理的
基準にしたがって決められるものではなく、あくまでも、それぞれの国
ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因
に依存して、政治的なプロセスを経て決められるものである」としている
のは重要なポイントである。ただ、農業や都市のほかにも、教育や医療
など社会的共通資本として論じている多くの提起が今の日本では、全く
逆の方向で進んできたことも事実である。多分、このような役割を果たす
べき存在の1つとしてのNPOなどの団体が有効であるのだろうが、
いまだ貧弱な組織力、実行力しか持ち得ない。また、多くの市民、住民には、
行政任せとしての意識が強く、社会基盤そのものに遅れが見られる。
社会の様々な分野についてどれが社会的な管理を必要とするかを、市民
あるいは国民の社会意識の醸成により決めていく必要があるが、徐々に
ながらその意識は強くなっている、と思う。時間はまだ掛かると思うが、
この流れは、私自身の地域活動や行政の委員会などでも、その流れはまだ
充分とはいえないものの、確実に進んで来ている。期待を持ちたいものである。
なお、此処では、ほとんど語られていないインターネット拡大、深化
に伴う変化も社会的共通資本の点から検討すべきと思う。社会意識の変化が
これにより、変化の促進が強められている状況では、今後の検討課題
としても重要である。
1.社会的共通資本について
社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある
社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を
意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立
を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割
を果たすものである。
しかも、社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められて
いるような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって
共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。
(政府が一元的に管理的を行うものではないと言っている。)
社会的共通資本はこのように、純粋な意味における私的な資本ない
しは希少資源と対置されるが、その具体的な構成は先験的あるいは
論理的基準にしたがって決められるものではなく、あくまでも、そ
れぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的
、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められるも
のである。
(このため、彼の考えは農業、都市のあり方、教育、医療分野、
金融分野まで幅広いテーマを含んでいる)
社会的共通資本はいいかえれば、分権的市場経済制度が円滑に機
能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件であると
いってもよい。それは、ソースティン・ヴェブレソが唱えた制度主義
の考え方を具体的な形に表現したものである。
したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として
官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件に
よって左右されてはならない。
社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見に
もとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。
社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制
度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。自然環境
は、大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、沿岸湿地帯、土壌などで
ある。社会的インフラストラクチャーは、道路、交通機関、上下水
道、電力・ガスなど、ふつう社会資本と呼ばれているものである。
なお、社会資本というとき、その土木工学的側面が強調されすぎる
ので、ここではあえて、社会的インフラストラクチャーということ
にしたい。制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度
をひろい意味での資本と考えようとするものである。
(60年代の高度成長期から特に始まったハコモノ行政と呼ばれる
道路建設や公共建物の増加は、一見、我々の生活を便利にしたが、
公害と言う悪影響を更に加速させている)
 自然環境を経済学的に考察しようとするときに、まず留意しなけ
ればならないのは、自然環境に対して、人間が歴史的にどのような
かたちで関わりをもってきたかについてである。この問題は、広く
、文化をどのようにとらえるかに関わるものであって、狭義の意味
における経済学の枠組みのなかに埋没されてしまってはならない。
「文化」というとき、伝統的社会における文化の意味と、近代的
社会において用いられる意味との問に本質的な差違が存在すること
をまず明確にしておきたい。
(日本文化の固有性とは何か、の問いが最近言われることが多く
なったが、金銭主義と功利主義の中で、それを見出すのは、中々に
難しい)
2.農業と農村について
農業は国の根幹として扱われてきたが、実際の現場では、生産人口も、
その生産量も激減しており、アメリカで主流である、相対的経済的に
高い貢献度のある生産手段を多く使用する、工業生産がある、財の生産
に特化して、その逆の生産手段を多く使用する、農業がそれであろう、
財は輸入によって対応したほうが国全体にとって望ましいという考え
があるようだ。
これまでの我が国の農業政策が,農業を一つの資本主義的産業と捉え,
工業と同様の市場経済的な効率性基準を適用してきたためであるとし,
この点で,旧農業基本法は「破壊的役割」を果たしてきたと言っている。
農業の生産過程は工業部門とは対照的で自然と共存しながら、人間の生存
に欠くことができない食料を生産し,自然環境を保全するという基本的
特徴を有していることから、これを「ビジネス」よりも「農の営み」
として捉えるべきと考え、農業の問題を考察するときは、
・農業の営みが行われる場,そこに働き生きる人々を総体として捉えること
・一つの国が安定的な発展を遂げるためには,農村の規模がある程度安定的
な水準に維持されることが不可欠。
と考える必要があるといっている。しかし、現在の農業は工業部門の考え
を踏襲し、効率性、営利性を重視している。民営化、大規模化が言われている
現在、6次ビジネスなどと言っているだけではない根本的な対応が必要な
時期なのかもしれない。
3.都市政策について
都市が個人や企業による私的土地所有・利用が市場競争のルールにしたがって
活動する結果、その合成物である都市空間は一面で市民生活や企業活動に
便益をもたらすが、他方ではかえってそれらを阻害するものとなり、最近は特に、
無差別な新規建物の建設や車優先の施策など、人の生活、行動を無視した計画
が少なくない。特に、車社会の良い面を強調した一面特化の施策を進めたこと
により、車の持つ悪影響が大きく出てきている。
宇沢氏は『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)を含め、都市空間が抱える
こうした歪みを、モータリゼーションの問題に則して明らかにしてきた。
モータリゼーションがもたらす弊害は、市場という枠組みのなかの「補償」の
ルールでは絶対に解決できない。都市は市場競争というルールに替わる社会的
管理のもとに置かれなければ持続不可能である、と。
しかし、東京都排ガス規制などの一部では見られるものの多くは無統制の状態
である。
また、都市における土地利用や開発は、これまでも完全に野放図に行われてきた
わけではないが、日本の都市政策や都市計画はむしろ居住環境の悪化や住宅難
を深刻化させてきた。東京や大阪のような大都市では、その実現は難しいとは
思うが、ジョイコブスの考えは、中々に面白い。
①街路の幅は出来るだけ狭く、曲がっていて、1ブロックの永さは短いほうが良い。
②古い建物が出来るだけ多く残るような再開発を進める。
③都市の各地区は必ず2つ以上の機能をもち、多様性を高める。
④都市の各地区は充分高い人口密度を持つ。
以上から人間的な魅力を持つ都市は、何よりも歩く事を前提とすること。
車社会の実現を優先とした公共財への投資と便利さのみを優先させた行政手法だが
一見、便利で住みやすい都市を作り上げてきたように思えるが、最近の人と
車の関係や交通量も極めて少ないところへの立派な道路造りのやり方など
誰が主役か分からない行政施策が問われ始めている。
4.経済学者宇沢弘文氏の言葉
・「経済学の原点は人間、人間でいちばん大事なのは、実は心なんだね。
その心を大事にする。一人一人の人間の生きざまを全うするのが、実は経済学
の原点でもあるわけね。」
・「社会のすべてを極力、市場に委ね、競争させたほうが経済は効率的に成長する
と主張する考えに対して、効率を優先し、過ぎた市場競争は格差を拡大、
社会を不安定にすると反論した。
(正に、今もこれからもそうなるのでは?)
・「市場で取り引きされるものは、人間の営みのほんの一部でしかない。
医療制度とか、学校制度とか、そういうのがあることによって社会が円滑に機能して、
そして一人一人の人々の生活が豊かになる。人間らしく生きていくということが
可能になる制度を考えていくのが、我々経済学者の役割。」
・社会的共通資本という考え
「これはね、単なる公共財を意味してるんじゃないと思うんですね、経済学という。
そうではなくて、利益追求の対象にしてはならない、誰のものでもない、みんな
のものだというね、こういうひと言で言えば、これはとても概念は難しいと
思いますけれども、そうした新しい経済の在り方、つまり社会をね、こういう
ひと言で言えば、これはとても概念は難しいと思いますけれども、そうした
新しい経済の在り方、つまり社会を転換しなければとても実現はできない。
そういう経済、あるいはその制度、これをどうあるべきかを、本当に具体的に、しかも
理論的に追究なさった、珍しいけうの先生だったと思いますね。」

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