2016年1月24日日曜日

十一面観音とその魅力

「十一面観音、雑感」
このブログでは、社会的な視点での過去、現在、未来を気のつくまま書いているが、
今回は以前からも興味深くフォローしてきた十一面観音について、それに理解の深
い人の言葉から少し省みたい。自分の振り返りもあるが。
十一面観音は特長的な観音像だ。様々な仏面を11も持ち、一般の我々に御利益を下さ
る、と言われている。
先ずその構成は、
・頂上仏面(如来相)
・正面三面菩薩
・右三面の瞋怒面(怒り)
・左三面の狗牙上出面
・後一面の笑怒面
であり、10種の勝利(現世の利益)、4種の果報(死後成仏)を衆生にもたらすとされて
いる。別に、今後も、来世に期待はしないが、人の欲望は、尽きぬもののようで有る。
私が十一面観音に出会ったのは、20年以上前になるのか、聖林寺で何げなく対面した
ことに始まる。それは、前後して読んでいた和辻氏の古寺巡礼の影響かもしれない。
暫らく像の前で佇んでいた記憶がある。
こちらがエネルギーを持っているときは芸術的な鑑賞としての十一面観音となるが、
悩みや仕事で落ち込んだときはその対面から何かを戴いてきた、と思う。
まことに不思議な観音像である。
和辻哲郎の基本的な日本文化への想いが良く書かれている。
1)和辻哲郎の「古寺巡礼」より
「これらの文化現象を生み出すに至った母胎は、我国の優しい自然であろう。
愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせこの自然とも同じく
底知れぬ神秘を持った我国の自然は、人体の姿に表せばあの観音(ここでは
中宮寺観音)となるほかにない。
自然に酔う甘美な心持ちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴であるが、
その根は、あの観音と共通に、この国土の自然から出ているのである。
葉木の露の美しさも鋭く感受する繊細な自然の愛や一笠一杖に身を託して
自然に溶け合って行くしめやかな自然との抱擁やその分化した官能の
陶酔、飄逸なこころの法悦は、一見、この観音と甚だしく異なるように
思える。しかし、その異なるのは、ただ、注意の向かう方向の相違である。
捕らえられる対象こそ差別があれ、捕らえにかかる心情には、極めて近く
相似るものがある。母であるこの大地の特殊な美しさは、その胎より出た
同じ子孫に賦与した。我国の文化の考察は、結局我国の自然の考察に歸て
行かなくてはならぬ。
その基本意識は、
人間生活を宗教的とか、知的とか、道徳的とか言う風に泰然と区別してしまう
ことは、正しくない。それは、具体的な1つの生活をバラバラにし、生きた全体
として掴むことを不可能にする。しかし、1つの側面をその美しい特徴によって、
他と区別して観察すると言うことは、それが、全体の一側面であることを
忘れられない限り、依然として必要なことである。
芸術は衆生にそのより高き自己を指示する力の故に、衆生救済の方便として
用いられる可能性を持っていた。仏教が芸術と結びついたのは、この可能性
を実現したのである。しかし、芸術は、たとえ方便として利用されたとしても、
それ自身で、歩む力を持っている。だから、芸術が僧院内でそれ自身の活動
を始めると言うことは、何も不思議なことではない。
芸術に恍惚とするものの心には、その神秘な美の力が、いかにも、浄福のように
感ぜられたであろう。宗教による解脱よりも、芸術による恍惚の方が如何に
容易であるかを思えば、かかる事態は、容易に起こり得たのである。
仏教の経典が佛菩薩の形像を丹念に描写している事は、人の知る通りである。
何人も阿弥陀経を指して教義の書とは呼び得ないであろう。これは、まず、
第一に浄土における諸仏の幻像の描写である。また、人びとも法華寺経
を指してそれが幻像のでないといいえまい。それは、
まず、第一に佛を主人公とする大きな戯曲的な詩である。観無量寿経の如きは、
特に詳細にこれらの幻像を描いている。佛徒は、それの基づいてみづからの
眼を持ってそれらの幻像を見るべく努力した。観佛は、彼らの内生の
重大な要素であった。仏像がいかに刺激の多い、生きた役目を務めたかは、
そこから容易に理解される。
観世音菩薩は、衆生をその困難から救う絶大な力と慈悲とを持っている。
彼に救われるには、ただ、彼を念ずればよい。彼は境に応じて、時には、仏身
を現じ、時には、梵天の身を現ずる。また、時には、人身も現じ、時には、
獣身をさえも現在ずる。そうして、衆生を度脱し、衆生に無畏を施す。
かくのごとき菩薩は、如何なる形貌を備えていなくてはならないか。
まず、第一にそれは、人間離れした超人的な威厳を持っていなければならない。
と同時に、もっとも人間らしい優しさや美しさを持っていなく絵ならぬ。
それは、根本においては、人ではない。しかし、人体を借りて現れることで、
人体を神的な清浄と美とに高めるのである。
・聖林寺11面観音より
切れの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼、ふくよかな唇、鋭くない鼻、
全てわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、
また超人を現す特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには、神々しい威厳と
人間のものならぬ美しさが現されている。
薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、人のこころと運命を見通す観自在の
まなこである。、、、、、、
この顔を受けて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。
、、、四肢のしなやかさは、柔らかい衣の皺にも腕や手の円さにも十分現
されていながら、しかも、その底に強靭な意思のひらめきを持っている。
殊に、この重々しかるべき五体は、重力の法則を超越するかのようにいかにも
軽やかな、浮現せる如き趣を見せている。
これらのことがすべて気高さの印象の素因なのである。
・百済観音について
漢の様式の特有を中から動かして仏教美術の創作物に趣かせたものは、
漢人固有の情熱でも思想でもなかった。、、、、、、
抽象的な天が具体的な仏に変化する。
その驚異を我々は、百済観音から感受するのである。
人体の美しさ、慈悲の心の貴さ、それを嬰児の如く新鮮な感動によって迎えた
過渡期の人々は、人の姿における超人的存在の表現をようやく理解し得る
に至った。神秘的なものをかくおのれに近いものとして感じることは、
彼らにとって、世界の光景が一変するほどの出来毎であった。
・薬師寺聖観音について
美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。、、、、、、
つややか肌がふっくりと盛り上がっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。
衣文につつまれた清らか下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を
表現したものである。しかも、それは、人体の写実的な確かさに感服したが、
、、、、、、、、
もとよりこの写実は、近代的な個性を重んじる写生とはおなじではない。
一個人を写さずして人間そのものを写すのである。」
特に十一面観音の記述については、その後の私の意識からは離れない。
2)井上靖の「星と祭」より
この本では、十一面観音の記述とともに近江の十一面観音について詳しく
書かれている。
十一面観音の記述部分、
「十一面観音信仰は古い時代からのもので、日本でも八世紀初めの頃からこの観音像
は盛んに造られはじめている。この頃から十一面観音信仰はその時代の人々の生活
のなかに根を張り出しているのである。この観音信仰の典拠になっているものは、
仏説十一面観世音神呪経とか十一面神呪経とか言われるものであって、この経典に
この観音を信仰する者にもたらせられる利益の数々が挙げられている。それによると
現世においては病気から免れるし、財宝には恵まれるし、火難、水難はもちろんの
こと、人の恨みも避けることができる。まだ利益はたくさんある。来世では地獄に
堕ちることはなく、永遠の生命を保てる無量寿国荷生まれることが出来るのである。
また、こうした利益を並べ立てている経典は、十一面観音像がどのようなもので
なければならぬかという容儀上の規定も記している。まず十一面観音たるには、
頭上に三つの菩薩面、三つの賑面、三つの菩薩狗牙出面、一つの大笑面、一つの仏面、
全部で十一面を戴かねばならぬことを説いている。静まり返っている面もあれば、
憤怒の形相もの凄い面もある。また悪を折伏して大笑いしている面もある。
いずれにしても、これらの十一面は、人間の災厄に対して、観音が色々な形に
おいて、測り知るべからざる大きい救いの力を発揮する事を表現しているもの
であろう。
観音が具えている大きな力を、そのような形において示しているのである。
十一面観音信仰が庶民の中に大きく根を張って行ったのは、経典が挙げている数々の
利益によるものであるに違いないが、しかし、そうした利益とは別に、その信仰が
今日まで長く続きえたのは、頭上に十一面を戴いているその力強い姿ではないかと、
加山には思われる。利益に与ろうと、与るまいと、人々は十一面観音を尊信し、
その前に額ずかずにはいられなかったのであろう。そういう魅力を、例外なく
十一面観音像は持っている。
それは例外なく、宗教心と芸術精神が一緒になって生み出した不思議なものであった。
美しいものだと言われれば美しいと思い、尊いものだといわれれば、なるほど
尊いものだと思う意外仕方のないものであった。十一面観音の持つ姿態の美しさを
単に美しいと言うだけでなく、他のもので理解しようと言う気持が生まれたように
思う。そうでなかったら頭上の十一の仏面は、加山には異様なもの以外の
何者でもなかったはずである。それが異様なものとしてでなく、力強く、美しく、
見えたのは、自分がおそらく救われなければならぬ人間として、十一面観音
の前に立っていたからであろうと思う。救われねばならぬ人間として、救う
ことを己に課した十一面観音像の前に、架山は立っていたのである。」

3)白洲正子の「十一面観音巡礼」より
この本のあとがきは、中々に面白い。
「私にとって、十一面観音は、昔からもっとも魅力ある存在であったが、
怖ろしくて、近づけない気がしていたからである。巡礼ならどんな無智
なものにでも出来る。手ぶらで歩けるということは、私の気持をほぐし、
その上好きな観音様にお目にかかれると言うことが、楽しみになった。
が、はじめてみると、中々そうは行かない。回を重ねるにしたがい、
初めの予感が当たっていたことを、思い知らされる始末となった。私は
薄氷を踏む思いで、巡礼を続けたが、変幻自在な観世音に幻惑され、
結果として、知れば知るほど、理解を拒絶するものであることをさとる
だけであった。
私の巡礼は、最後に聖林寺へ戻るところで終わっているが、再び拝む天平の
十一面観音は、はるかに遠く高いところから、「それみたことか」というように
見えた。私はそういうものが観音の慈悲だと信じた。もともと理解しようと
したのが間違いだったのである。もろもろの十一面観音が放つ、めくるめく
ような多彩な光は、一つの白光の還元し、私の肉体を貫く。そして、私は思う。
見れば目が潰れると信じた昔の人々のほうが、はるかに観音の身近に
参じていたのだと。」
白洲氏は、十一面観音を求めて、滋賀や福井、岐阜、奈良などと様々な
地域を巡り歩いている。旅行で近くに行ったときには、是非これを片手に
ちょっとでも立ち寄ってみるのも楽しいもの。
最後に再び、井上靖の「星と祭」の渡岸寺の十一面観音の記述を味わって
もらいたい。
「渡岸寺と言うのは字の名前でして、渡岸寺と言う寺があるわけではない。
昔は渡岸寺と言う大きな寺があったそうだが、今は向源寺の管理となっています。
、、、
堂内はがらんとしていた。外陣は三十五、六畳の広さで、畳が敷かれ、
内陣の方も同じぐらいの広さで、この方はもちろん板敷きである。
その内陣の正面に大きな黒塗りの須弥壇が据えられ、その上に三体の
仏像が置かれている。中央正面が十一面観音、その両側に大日如来と
阿弥陀如来の坐像。二つの大きな如来像の間にすっくりと細身の十一面観音
が立っている感じである。体躯ががっちりした如来坐像の頭はいずれも
十一面観音の腰あたりで、そのために観音様はひどく長身に見える。
架山は初め黒檀か何かで作られた観音様ではないかと思った。
肌は黒々とした光沢を持っているように見えた。そして、また、
仏像と言うより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻ででもあるように
見えた。もちろんこうしたことは、最初眼を当てた時の印象である。
仏像といった抹香臭い感じはみじんもなく,新しい感覚で処理された近代
彫刻がそこに置かれてあるような奇妙な思いに打たれたのである。
架山はこれまでに奈良の寺で、幾つかの観音様なるものの像に
お目にかかっているが、それらから受けるものと、いま眼の前に
立っている長身の十一面観音から受けるものとは、どこか違っている
と思った。一体どこが違っているのか、すぐには判らなかったが、やがて、
「宝冠ですな、これは、みごとな宝冠ですな」
思わず、そんな言葉が、加山の口から飛び出した。
丈高い十一個の仏面を頭に戴いているところは、まさに宝冠でも戴いている
様に見える。いずれの仏面も高々と植えつけられてあり、大きな冠を
形成している。、、、、、
十一の仏面で飾られた王冠と言う以外、言いようが無いではないかと思った。
しかも、飛び切り上等な、超一級の王冠である。ヨーロッパの各地の博物館で
金の透かし彫りの王冠や、あらゆる宝石で眩く飾られた宝冠を見ているが、
それらは到底いま眼の前に現れている十一観音の冠には及ばないと思う。
衆生のあらゆる苦痛を救う超自然の力を持つ十一の仏の面で飾られているのである。
、、、、
大きな王冠を支えるにはよほど顔も、首も、胴も、足もしっかりしていなければ
ならないが、胴のくびれなどひとにぎりしかないと思われる細身でありながら、
ぴくりともしていないのは見事である。しかも、腰をかすかに捻り、左足は
軽く前に踏み出そうとでもしているかのようで、余裕綽々たるものがある。
大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。
観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽たるものがあって、
凛としてあたり払っている感じである。金箔はすっかり剥げ落ちて、ところどころ
その名残を見せているだけで、ほとんど地の漆が黒色を呈している。
「お丈のほどは六尺五寸」
「一本彫りの観音様でございます。火をくぐったり、土の中に埋められたりして
容易ならぬ過去をお持ちでございますが、到底そのようにはお見受けできません。
ただお美しく、立派で、おごそかでございます」
たしかに秀麗であり、卓抜であり、森厳であった。腰をわずかに捻っているところ、
胸部の肉つきのゆたかなところなどは官能的でさえあるあるが、仏様のことであるから
性ではないのであろう。左手は宝瓶を持ち、右手は自然に下に垂れて、掌を
こちらに開いている。指と指とが少しづつ間隔を見せているのも美しい。
その垂れている右手はひどく長いが、少しも不自然には見えない。両腕夫々に
天衣が軽やかにかかっている。」
この仏像は今もなお、周辺の人々に手厚く守られている。これが特に十一面観音
の本来の姿では、この仏像の前に立つたび、そう思う。
最後に、私が小浜のお寺を訪れ、十一面観音と対面した時の印象を。
「室町時代の面影が感じられる建物である。厨司が開いて、すらりとした
十一面観音が、ろうそくの織り成す火影のもとに浮かび上がった。
そのきらびやかさに思わず眼が行った。切れ長の大きな眼、ふっくらとした優しさ
の頬と気品の高い唇、頭上の仏面も含め女性のやわらかさが伝わってくる。
渡岸寺のイメージが強いのか、思ったより華奢なお姿で、彩色が鮮やかに
残っている。細く伸びた指は美しく、元正天皇の御影とされたのも、何と無く
分かる。若々しい観音様である。全体から漂う幼いふくらみ、その指、その掌の
清潔で細微な皺、頬に差し込む蝋燭の火影の漆黒と金箔の綾、その鬱したほど長い睫、
黒地に施した螺鈿のように黒い小さな額にきらめく池水の波紋の反映の、
ひたと静まる空気感がある。時代は平安初期、檜の一本造りで、
このような仏像が、若狭にあった、自分の不勉強さに思わず目をつむる。
好きな人と並んで話した時に覚えたあの心の弾みと甘酸っぱさを思い出す。」


「日本人の心を仏像より観る」
和辻哲郎の「古寺巡礼」は、奈良周辺のお寺にある仏像の美しさに
心を魅かれた彼の想いとそれをベースとした古寺全体についての
時代的な流れについて書かれている。
ここでは、「仏像の形」から、そのような仏像が何故出来たのか?
を日本文化の問題点、日本人の心の問題として考え、現代への意味付けを
含め、「仏像 心と形」と言う本を中心に、考えてみる。
例えば、法隆寺の仏像は、飛鳥時代の精神、考えが客観化したものであり、この
表現されたものを通じて、その背後にある飛鳥時代の人間の生き方、
考え方、想いを理解したい。
1)釈迦如来像
釈迦如来像が作られ始めたのは、550年ごろ、仏教の伝来とともに、
始まった。
そのため、釈迦牟尼仏を理解する必要があり、京都市上品蓮台寺などに
保管されている絵因果経は、わが国に残る仏伝を取り扱った最古の作品である。
生まれたばかりの釈迦は、32相80種好の異なる特色を具備していたという。
これは、釈迦仏、薬師仏、阿弥陀仏でも、同じく、32相80種好を具備するもの
と規定している。
32相には、肉桂相や白豪相などがある。
仏陀の見分け方は、手の位置、指の曲げ方、などで、何仏かを決定している。
これを印相、印契と読んでいる。
涅槃像は、仏が入滅する時の姿勢で、最古の作品としては、貴重である。
そして、涅槃図の中には、1つの感情の動きがある。じっとその悲しみを
押し殺している弟子と慟哭し、嗚咽している一般民衆には、大きな差がある。
原始仏教(人生の苦の原因である愛欲を断ち切ること)から大乗仏教への進化
を考える必要がある。
大乗仏教では、もっぱら釈迦の存在を超歴史化、超人化して、人間とは違う
如来や薬師、大日、阿弥陀などの多くの仏を創りだした。これらのことにより、
仏教は、初めて宗教と言える形となっていった。

2)薬師如来像
どんな宗教でも、それが一般民衆に受け入れられるには、何らかの現世利益
的信仰の形が必要となる。人間の悟りの境地を最終目的とする仏教においても、
一般民衆をその振興に導くための方便として、様々な現世利益を
与える仏が出現して、その信仰を集めてきた。
薬師如来は、それの代表として、広く信仰を集めてきた。
日本でも、観世音菩薩がまず、信仰され、その後、教理的な位置付けとしては、
あまりされていないが、曼荼羅図にも描かれる薬師如来が広く一般民衆の
振興の対象となっていく。
最初は、7世紀ごろ、法隆寺の金堂像として、造立される。
旧いものでは、奈良法輪寺、京都神護寺にある。
戦前の日本では、功利主義や実用主義はほとんど思想として認められていなかった。
しかし、功利主義などを公の価値から排除することが薬師如来の評価
する場合には重要となる。
すなわち、この薬師如来崇拝からは、日本人の「合理的実利精神が
明確となる。
その具体的な事実として、「比叡山延暦寺の本尊が、「薬師如来」であるという
ことを考える必要がある。そこには、日本文化の雑種的混合的な性格とその雑種性
混合性を統一するものが、現世利益の精神と思われる。
その人気の点では、現世に対する絶望と死に対する不安から、阿弥陀如来と
なって行くが、やはり現世利益の薬師如来が一般民衆では、本尊とかんがえられ、
現世での薬師如来、来世での阿弥陀如来の二元崇拝となって行く。
しかし、法然、親鸞により、薬師による現世利益崇拝が主となる。
親鸞に、現世利益和讃と言うのがある。
 南無阿弥陀をとなれば
 この世の利益きはもなし
 流転輪廻のつみきえて
 定業中夭のぞこりぬ
 南無阿弥陀仏をとなえれば
 十万無量の諸仏は
 百重千重囲適して
 よろこびまもりたまうなり
要は、南無妙法蓮華経と唱えれば、この世においても幸福を得ることが出来る。
3)阿弥陀如来像
一如来は一浄土を開いているが、阿弥陀如来の極楽浄土が広く知られているため
その有様は、「観無量寿経」に詳しく書かれている。
法隆寺の阿弥陀如来像(橘夫人念持仏)は白鳳時代の傑作である。
平安時代には、末世思想が広く信じられ、末法時代になるとの恐れもあり、
阿弥陀仏の信仰が「念仏するだけでこの末法時代から逃れられる」ことで、
阿弥陀如来像の造率やその仏画が多く作られた。
阿弥陀如来像の印相は、最も種類が多い。
一般に阿弥陀如来の印相は、両手ともに第1指と第2指とを捻して、
輪のようにしているものである。上品上生から下品下生の9種類がある。
多くの阿弥陀如来像は、丈6象が基本であり、京都法界寺、京都浄瑠璃寺
の本尊、京都宝菩提院本尊などが有名である。
また、陀如来堂には、2つの考えがあり、念仏を修行する場と極楽浄土
のような華麗絢爛な装飾で極楽浄土を現したものである。
来迎図にも、一尊、三尊、二十五菩薩来迎、聖衆来迎など様々な来迎図
がある。
京都知恩院の阿弥陀如来二十五菩薩来迎図、高野山の聖衆来迎図、滋賀の
西教寺の迅雲来迎図、京都泉湧寺の二十五菩薩来迎像などが有名である。
阿弥陀仏信仰は、藤原時代から急速に大衆化し、多くの信者が
増えた。このため、浄土の有り様を描いた画が多く書かれ、浄土曼荼羅
、浄土変相図として、その拡大の一端を担った。
特に、当麻曼荼羅、智光曼荼羅、清海曼荼羅の浄土三曼荼羅は有名である。
■現代における阿弥陀の浄土と彼岸の世界
阿弥陀如来の「我々の死後、救済してくれるという」考えが現代人に
通用するか、はかなり疑問が残る。慈悲として釈迦如来、現世利益の
薬師如来、宇宙総括の大日如来は、感覚的にも納得の行く所であるが、
彼岸そのものがありえるのであろうか。
しかし、平安時代以降、阿弥陀如来の以外の仏教美術は、その多くが
消えたり、影響を受けたりして、日本文化の核となって行く。
そして、阿弥陀の極楽浄土を深く知るには、日本文化や」日本人の心を
知るには、「観無量寿経」への理解が必要となる。
観無量寿経は、父と母を殺そうとする太子が幽閉の身にする。そこで、
母は、釈迦に極楽浄土へ行く方法をおしえてもらう。「定善と散善である」
これにより、幾つかの散善の方法により、極楽浄土に9品のレベルで、
いけるようになる。
しかし、その教えである浄土教は、思想的な変化をして行く。往生要集の
源信から法然、親鸞となり、民衆へと更に広がる。
阿弥陀を本尊とする浄土教が「現世への絶望や死への不安、美や善への
憧憬」を単に彼岸への約束だけで、実現できるものではない。
ここに、阿弥陀如来を基本とする教えの限界があるかもしれない。
4)大日如来
大乗仏教が本格的に広まり、お釈迦様が仏としての釈迦如来の意味づけが
強くなると、上救菩薩下化衆生の具現化のために、様々な仏が出現する。
阿弥陀如来、薬師如来などであり、夫々が具体的な性格を持って出現した。
そして、釈迦如来を1つのものに統一する思想が濾巡那仏を仏教の本源の
仏と考えるようになった。その仏があらゆる世界に釈迦として出現する
と考えた。
この教義を具体的に展開したのが、真言密教である。
このため、大日経、金剛頂経の両経典ともに、基本は同じであるが、
大日如来の姿は印相を含め、かなり違う。また、大日如来像は、
王者の風格を現そうとしているためか、他の如来と違い、多くの
装飾をつけている。曼荼羅が重要な位置を占め、胎蔵界と金剛界
の両界曼荼羅を1対のものとして扱うのが通例でもある。
神護寺の紫綾地金銀泥両界曼荼羅図が有名である。
仏像では,案祥寺五智如来像、高野山竜光院の本尊、法勝寺の
四面大日如来、渡岸寺の胎蔵界大日如来像、唐招提寺の濾巡那仏
坐像などがあるが、諸仏、諸菩薩を統一する中心本尊として
の仏であり、大衆信仰の対象としては、あまり出てきていない。
■大日如来の日本社会での位置付け
大衆信仰として、大日如来の存在はそれほど高いとは思えない。
そのりゆうとしては、
・真言密教の本尊であり、浄土宗、浄土真宗、禅宗日蓮宗の多さに
比べて、天台宗とともに、その数が少ない。
・大日如来が智の仏であり、「情」を基本とする日本人の心性、
日本文化の性格に合わないことがある。
しかし、大日如来が根源となり、ほかの如来や菩薩の崇拝を育てた
のではないだろうか。
更に、これらの背景に華厳思想があることを忘れてはならない。
曼荼羅の基本は、大日経に基づく胎蔵界曼荼羅と金剛頂経に基づく
金剛界曼荼羅を2対1組とする両界曼荼羅であるが、結局は絶対の仏
である大日如来に統一されていく。
例えば、現在の胎蔵界曼荼羅である中台八葉院略図では,13の院
に分かれており、この院を囲んで、持明院、遍智院、蓮華院、金剛手院
が囲み、第2、第三重に多くの仏が配置されている。
そこには普賢菩薩、文殊菩薩など8つの菩薩との関係を上手く描いている。
両界曼荼羅は、一目で、仏教の深遠な思想が理解されるようになっている。
例えば、第3層の釈迦院はたにんん救済に向かうし、文殊院は、自己深化、
自己向上へ向かう。
■日本人の生命観と密教との関係
日本人は、古来から自然の中に、生ける神の姿を観る民族である。
このため、自然崇拝に適した仏教が日本では受け入れやすかった。
また、在来からの神道とも同じである。
智を基本とする大日如来は、観音、弥勒などの「情」を基本とする
ような仏に対しては、やや馴染みにくい。
5)観音菩薩像
菩薩は、大乗仏教の中で、発展し、密教の広がりとともに、特に
その数が増えた。これは、「上救菩薩、下化衆生」の仏教の境地
を示す。特に、観世音菩薩への大衆信仰の大きさは凄い。
観世音菩薩の国内での広がりは、観音霊場三十三箇所を巡拝する
風習も始まった。
その始まりは、500年ごろの陀羅尼雑集12巻と思われる。
更に観音像は、十一面観音、如意輪観音などに拡大していく。
観音信仰は、日本書紀の記述では、天武天皇時代にもあり、その
始まりはかなり古い。
十一面観音の規定は、正面の三面が菩薩面、左三面が槇面(憤怒)
右三面は菩薩面に似て狗牙が上に出ている顔につくり、後ろの一面は
大笑面、頂上に仏面を創ることになっている。
次に出現した不空賢索観音がある。この観音は、多くの寺に安置
されたとあるが、現在は、広隆寺、興福寺、東寺などに僅かに残るのみ。
次の千手観音では、正式には、大阪葛井寺の観音のように、四十八手
を大きく作り、残りの9百本以上を光背のように、背後に広げたように
配列する。これを好く現しているのが、京都三十三間堂である。
更には、馬頭観音、准禎観音、如意輪観音、聖観音などがある。
なお、観音信仰の著しい典型的な例としては、西国三十三箇所の
観音である。千手観音が16体、11面と如意輪観音が6体、
聖観音が2体などとなっている。
観音が大乗仏教の慈悲の精神そのものを表現していることもあり、
その信仰対象になったのであろうが、美的な面では、ややグロテスクな
千手観音にその信仰が集まるのは、何故か?
人間は、複雑であり、怪奇的な面をも持つという多面性を現すことが
重要と考えられたのであろう。更に、人間の苦行の叫びを聞く
だけではなく、直ちに救済を行うための実践隣、それが千本の手
となる。
観音経では、大火、大水、羅刹鬼、刀杖、悪人、拇械枷鎖、怨賊
などの七難から衆生を救い、三毒、淫欲、槇志、愚痴などの
内面的な毒から衆生を救う現世利益の力がある。更に、観音は、
三十三身に変化して、民衆を救う。
このような観音を信じることにより、安心、希望、畏怖、
感謝の心を持つことになる。
観音信仰は、「あらゆる生けるものの中に観音の現われを見る」
思想であるが、これは、全てのものは、可能性として、この宇宙の
大生命を宿していることにもなるが、工業社会の進化は、
「世界は我々の支配」と言う間違った考えが支配している。
6)地蔵菩薩
地蔵菩薩は、村の入り口、畑の横など常に我々の生活に溶け
込んでいる仏であり、ほかの菩薩とは違い、頭上に宝冠を
頂くことなく、袈裟と衣を着用した普通の僧侶の姿が基本である。
経典には、実を作り出す「地」は偉大であり、同じくこの菩薩は
全ての衆生を救済する力を持っている、と言っている。
更に、平安時代以降、死んだ人も救済すると信仰されたこともあり、
多く造られた。
これを具体的な形にするため、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、
天道を救うため、六地蔵菩薩として、安置している。
地蔵菩薩は、ほかの観音菩薩などと同じく、現世利益を説いて
いるが、更に、過去に死去した人の罪を救済し、解脱へと導く
菩薩としても信仰されている。
地蔵菩薩は、民衆の生活に深く根付いた仏でもあり、その証
として、多くの和歌、狂歌、歌謡曲などに無数に登場する。


「楽浪(さざなみ)志賀、十一面観音像」
ここでは、少し、志賀から離れるが、文化と風土の関係からは、
十一面観音について、簡単に書きたい。
湖北地域には、多くの11面観音像があるが、その中でも、
私が、十一面観音を知ったのは、いつごろであろうか。?
また、それに、興味を持ったのは、何時頃であったろう。
民衆の欲の具現化といえば、済んでしまうが、湖北の様に、
観音と地域住民が一体となっている文化?では、時の権力者、利用者、
などから適当に庇護されて来た観音とは、大きく違うのではないだろうか。
湖北の向源寺に属する観音堂(渡岸寺観音堂)に安置されている十一面
観音像は、地域の人々のこの像に対する想いの強さの現れである。
確かに、京都や奈良の有名寺院に安置されている十一面観音とは、
外見的な美しさとは、何か本質的に違う。
その精錬さにはない、ありのままの姿、実体から来る空気の様なもの。
元々が衆生の願いを様々な形で、叶え様としたのが、あのような
十一面にも及ぶ、憤怒、希望、などの表現像なのであろう。
個人的には、
かなり欲張りな像と思っている。
多分、
有名寺院のそれは、美術品?、安置している寺院には失礼だが。
地域に有る観音は、住民の希望の体現化されたものであろう。
見る人にとっての基本的な心構えが違う。
例えば.有名寺院の十一面は、その部位としての美しさが主となる
かもしれないが、この地域の十一面は、各人の欲望であり、
病気祈願の切実な願いかもしれない。
今度は、観音を拝観するよりも、衆生の方々のすがた、空気、出来れば、
その想いなどをじっくりと味わいたい。
十一面観音像の構成は、
・頂上仏面(如来相)
・正面3面菩薩
・右3面の瞋怒面(怒り)
・左3面の狗牙上出面
・後1面の笑怒面
とのこと。
そして、10種の勝利(現世の利益)、4種の果報(死後成仏)を実現されよう
としている。
和辻哲郎も、「古寺巡礼」で書いているが、
ーーーーー
観世音菩薩は、衆生をその困難から救う絶大な力と慈悲とを持っている。
彼に救われるには、ただ、彼を念ずればよい。彼は境に応じて、時には、仏身
を現じ、時には、梵天の身を現ずる。また、時には、人身も現じ、時には、
獣身をさえも現在ずる。そうして、衆生を度脱し、衆生に無畏を施す。
かくのごとき菩薩は、如何なる形貌を備えていなくてはならないか。
まず、第一にそれは、人間離れした超人的な威厳を持っていなければならない。
と同時に、もっとも人間らしい優しさや美しさを持っていなく絵ならぬ。
それは、根本においては、人ではない。しかし、人体を借りて現れることで、
人体を神的な清浄と美とに高めるのである。
ーーーーーー
別に、今後も、来世に期待はしないが、人の欲望は、尽きぬもののようで有る。
私の想いからすれば、単なる趣味的な、美術品的鑑賞は、意味がない。
そして、これらが、日本文化の今も残る具現化されたもので有ることにも
変わりもない。


「曼荼羅から見る日本人の意識」
曼荼羅は、仏の存在を論理的にまとめた図であり、これを
その性格上から見れば、ビジネスとしての全体把握にも、応用
出来る筈である。そのためにも、曼荼羅図の理解をまずは、してもらいたい。
ここでは、その概要を「仏像」「続 仏像」の本をベースに
書いている。
仏像の形は多種多様である。
一つ1つの仏の背後には、生々しい人間の心が隠されている。
曼荼羅は、仏のまとめ方としては、最も、有効である。
仏の最上位にいるのが、4つの如来である。
まず、一番上は、仏教の創始者である「釈迦如来」。
次には、その対極に、「大日如来」となる。
「釈迦如来」は、人間的な立場としての仏であるが、
「大日如来」は、形而上学的(理論的な)な立場としての仏である。
この縦の軸に対して、現世利益を与える「薬師如来」が彼岸救済を
基本とする「阿弥陀如来」と対極的な立場にある。
しかし、日本では、大乗仏教の発展、空海の密教の拡大により、「釈迦如来」
よりも、「大日如来」を中心とする仏教思想が本流のようになる。
あらゆる宗教は、現世利益を追求したものであるが、地獄、極楽図が
衆生の中で、その存在を高めているのは、彼岸救済、すなわち、死んだ後の
自身の安寧が強いからでもある。
このため、法然や源信により、「阿弥陀如来」が仏教の原点と説かれる。
しかし、特に、最近は、日蓮が説いた現世利益追求の「薬師如来」が
仏教の原点としてみなされている。
曼荼羅は、このように、最上位の仏の位置付けをその根本思想により、
明確にすることが可能となる。
更に、この曼荼羅に、菩薩を加えることで、夫々の役割と思想が明確になる。
例えば、
・大日如来には、「観音菩薩」「不動菩薩」が密教が作り出した菩薩として
配置される。
・釈迦如来には、「文殊菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩」がある。
・薬師如来には、「毘沙門天、大黒天、弁天」が配置される。
・阿弥陀如来には、「地獄、極楽、地蔵」が配置される。
日本文化を理解するための曼荼羅での展開
曼荼羅の基本軸を色々と想定することで、日本文化の仏教からの視点
出の対比検討が可能である。
例えば、大日如来の「観音菩薩と不動」を軸とした場合は、「男性的なもの」
「女性的なもの」と言う視点で、新たなる考え方が可能かもしれない。
また、これに、時間軸として「現在、未来、実際的、観念的」の4軸を
考えると、現状の仏教の姿も見えてくる。
・仏教の世界観としての「十界」
①迷界(6道という)
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界
②悟界
声聞界、緑覚界、菩薩界、仏界
最も、熾烈な表現の地獄絵巻
京都北野天満宮の「北野天神絵巻」がある。
「マンダラ」という語は、英語ではヒンドゥー教やその他の宗教の
コスモロジー(宇宙観)も含め、かなり広義に解釈されているが、
日本語では通常、仏教の世界観を表現した絵画等のことを指す。
「曼荼羅」はもっとも狭義には密教曼荼羅を指すが、日本においては、
阿弥陀如来のいる西方極楽浄土の様子を表した「浄土曼荼羅」、
神道系の「垂迹(すいじゃく)曼荼羅」など、密教以外にも「曼荼羅」
と称される作品がきわめて多く、内容や表現形式も多岐にわたり、
何をもって「曼荼羅」と見なすか、一言で定義することは困難である。
密教の曼荼羅は幾何学的な構成をもち、すべての像は正面向きに
表され、三次元的な風景や遠近感を表したものではない。しかし、
全ての曼荼羅がそのような抽象的な空間を表しているのではなく、
浄土曼荼羅には三次元的な空間が表現されているし、神道系の
曼荼羅には、現実の神社境内の風景を表現したものも多い。
また、日蓮宗系の各宗派でも、「南無妙法蓮華経」の題目を主題として
中央部に書き、その周辺全体に諸仏・諸菩薩などの名前を書いた曼荼羅
を本尊として用いることが多い。
(日蓮正宗では、主題に「南無妙法蓮華経 日蓮」と書かれた十界
互具の曼荼羅本尊のみを曼荼羅として用いる)。
全ての曼荼羅に共通する点としては、(1)複数の要素(尊像など)から
成り立っていること、(2)複数の要素が単に並列されているのではなく、
ある法則や意味にしたがって配置されている、ということがあげられる。
密教系の絵画でも、仏像1体だけを表したものは「曼荼羅」とは呼ばない。
「曼荼羅」とは、複数の要素がある秩序のもとに組み合わされ、全体として
何らかの宗教的世界観を表したものと要約できるであろう。
その形態
曼荼羅はその形態、用途などによってさまざまな分類がある。
密教では曼荼羅をその形態(外観)から次の4種に分けている。
大曼荼羅 - 大日如来をはじめとする諸仏の像を絵画として
表現したもの。一般的に「曼荼羅」と言ったときにイメージ
するものである。

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