2016年10月1日土曜日

青い目がほしい

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すると、ミスターのゴマ塩色の頭が、カウンターの上に大きく浮かび上がる。
彼は物思いから覚めて、彼女の方に目を向けようとする。青い目。
かすみのかかった眼。小春日和がそれとわからぬほど徐々に秋に移っていく
ように、ゆっくりと、彼は彼女の方を見る。網膜と対象との間、視力と目前の
眺めとの間で、眼はたじろぎ、ためらい、宙をさまよう。時間と空間のある時点
で、彼はわざわざ一瞥必要はないと悟る。彼女の姿は目に入らない。彼にとっては
見るものがないからだ。口にはまだジャガイモとビールの味が残っており、
心は雌鹿のような眼をした処女マリアに憧れ、たえず損をしている意識に
感受性を鈍らされた52歳の白人移民の店主に、どうして小さな黒人の少女
の姿が見えよう?これまでの生涯で、そんな芸当が出来ると思ったことは
一度もなかった。ましてや、そういうことがのぞましいとか必要だとか言う
考えは、浮かんだことすらなかった。
彼女は彼を見上げ、本来なら好奇心が宿るところに、空白しかないのを
見る。それから、それ以上のものを。つまり人間を認めようという意識の完全な
欠如、ガラスをはめ込んだように隔絶した感じ、を見る。
彼の視線を宙ぶらりんにしているものが何か。彼女にはわからない。
しかし、彼女はこれまで、大人の男の目の中に、、興味や嫌悪や、怒りさえ
見たことがあった。それでいて、この空白はなじみのないものではない。
それにはとげがあり、瞼の底には嫌悪がある。、、、
彼の爪が、彼女のしめった掌に軽く触れる。、、、、
ピコーラは歩道の割れ目につまずく。怒りが心の中でうごめき、目を覚ます。
それが口を開け、口の熱い子犬のように、恥にまみれた傷口を丹念になめてくれる。

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彼女の話はみんな、食事の描写で腰砕けになってしまう。ピコーラは、マリーの
歯がかりかりのすずきの背肉にかみついていくところを見、太った指が
くちびるからはみ出した熱くて白い肉の小さな切れ端を口の中に押し込むのを見た。
また、ビールビンの蓋が抜けるときのぽんという音を聞き、最初に吹きあがってくる
苦い風味を嗅ぎ、冷たいビールの味が舌に触れるのを感じた。

110
眼は、モリーンが逃げていった方角にじっと注がれている。彼女は折りたたんだつばさ
のように、自分の中にこもってしまったように見えた。彼女の苦しみが、
私の反抗心をそそる。私は彼女の心を開き、神経を掻き立て、その弓なりに曲げた
背骨に棒を突き入れ、力づくでまっすぐ立たせ、みじめな思いをみんな路上に
吐き出させたいと思った。しかし、彼女はみじめな思いがじわじわと眼の中に滲み
だそうになるのを、じっとこらえていた。

132
猫は彼女の脚の間やまわりに体を擦り付けた。一瞬、恐ろしさを忘れて、彼女は
しゃがみ、涙で濡れた手で猫に触った。猫は、彼女のひざに身をすり寄せた。
それはからだ中が黒い猫で、深みのある絹のような黒色をしており、先が鼻の方を
さしている眼は、青みを帯びた緑色だった。光のせいで、眼が蒼い氷のように
きらめいている。彼女は猫の頭を撫ぜた。すると、猫は喜んで舌の先を震わしながら、
のどを鳴らした。黒い顔の中の青い目が、彼女の注意を引いた。彼女がしゃがんで
猫の背中を撫でているのを見た。また、猫が首を伸ばして眼を細めているのを見た。
この動物が母親の愛撫に応えるとき、そんな表情をするのを何度も見たことがある。

猫はすごい力で窓に投げつけられた。それから、ずるずるとすべり落ち、ソファの
うしろの暖房機のの上に落ちた。2,3度身震いしただけで、猫は静かになった。
毛がこげる微かなにおいがしただけであった。
そこに猫は青い目を閉じ、黒い、無力で、生命のない顔をして横たわっている。

彼女はその毛に顔を擦り付けた。それから彼女を見た。
汚い裂けた服を見、頭から突き立っている編み毛、お下げがほどけたところで
くしゃくしゃになっている髪、安い靴底からゴムの詰め物がのぞいている泥だらけの
靴、よごれたソックス、ソックスの一方が歩いているうちに靴のかかとのなかに
ずれこんでいるさま、を見た。こぶのように丸くなった猫の背中越しに、その少女を見
た。



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生涯を通じて、彼はいろいろなものに対する愛着心を抱いていた。
富や美しいものの獲得ではなくて、使い古したものに対する
純粋な愛情だった。
、、、、
おおむね、彼の性格は1つの唐草模様を呈していた。複雑で、均斉や
バランスがとれ、構造は緊密だったが、一つだけ欠点がある。
この注意深く織られた模様は時折、まれではあったが、激しい性的渇望
のために、ひどくそこなわれるのだ.

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最初の小枝は細く、しなやかで、緑色をしている。そうした小枝は完全な円に
なるほど曲がるが、折れはしない。れんぎょうやライラックの茂みから伸びでる、
繊細で、誇らしげで、いかにも希望にあふれた生命が表すのは、鞭打ちの
変化にすぎなかった。春になると、打たれ方が変わる。冬使われる革紐の
鈍い痛みに変わって、こうした新緑のしなやかな小枝が与える痛みは、
鞭打ちが終わって、長い時間がたたなければ、抜けない。長い小枝には
いらいらするさもしさがあったので、わたしたちは革紐のしたたかな打擲
ちょうやくや、きびしいけれどまっとうなヘアブラシの一打ちのほうをなつかしく
思ったものだ。いまでも、わたしにとって春はしなやかな小枝で打たれた時の
痛みの記憶で一杯だ。だから、れんぎょを見ても喜びはわいてこない。
ある春の土曜日、わたしは空き地の草の中に体をうずめて、とうわたの茎を
裂きながら、蟻や桃の種子や、死のことや、眼を閉じたらこの世界はどうなるんだろう
、
ということを考えた。私は長いこと、草の中に横たわっていたに違いない。
家を出るときには前にあった影が、帰るときには消えてしまっていたからだ。
家には薄気味の悪い静けさが満ちていたが、わたしは家の中に入った。
すると、母が何か汽車やアーカンソー州の歌をうたっている声が聞こえてきた。
母はたたんだ黄色いカーテンを持って裏口から入り、カーテンを台所の
テーブルの上に積み上げた。

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