2016年10月1日土曜日

猫の客

はじめは、ちぎれ雲が浮かんでいるように見えた。浮かんで、それから風に少し
ばかり、右左と吹かれているようでもあった。
台所の隅の小窓は、丈の高い溝板塀に、人の通れぬほどの近さで接していた。
その曇りガラスを中から見れば、映写室ほの暗いスクリーンのようだった。
板塀に小さな節穴があいているらしい。粗末なスクリーンには、幅3メートル
ほどの小路をおいて北向こうにある生垣の緑が、いつもぼんやりと映っていた。
狭い小路を人が通ると、窓一杯にその姿が像を結ぶ。暗箱と同じ原理だろう。
暗い室内から見ていると、晴れた日はことに鮮やかに、通り過ぎる人が倒立して
見えた。そればかりか、過ぎていく像は、実際に歩いていく向きとは逆の方へ
過ぎていった。通過者が穴にもっとも近づいたとき、逆立ちしたその姿は窓を
あふれるほどにも大きくふくれあがり、過ぎると、特別な光学的現象のように、
あっという間にはかなく消えた。


チビは腰を落としてじっとそれを目で追う。やがて全身を低い姿勢に緊張させると
四肢をそろえてわずかに後方に身を退き、ばねをため込む様に丸く収縮する。
そこから、猛烈な勢いで地を蹴るや、白い小さな玉に敢然と飛びかかる。そうして、
両の前脚のあいだの宙にいつか玉を数往復させるほど打ち合わせながら、
こちらの脚の間を走り抜ける。
てんでんの性格は、こんな超絶技巧の途中にも、突然としてあらわれた。ピンポン玉
を見捨て、身を鋭角に翻したかと思うと、次の瞬間には置き石の影に潜むヒキガエル
の頭に小さな掌を載せている。と、また次の瞬間には反対へ飛んで、片方の前脚から
突っ込むように草叢に滑り込み、白いおなかを見せたまま、小さくひくつきながら
こちらを見ている。かと思うと、もう遊び相手には見向きもせずに、物干し竿に揺れる
下着の袖口を垂直とびでつかんでから、母屋の庭へと木戸を抜けていったりする。


引越しして半年の、1987年の早春のある日、アルミサッシュの窓を大きく
開けると、南から風が雪崩れてきた。流しの窓はもちろんのこと、二つの部屋の
東側のガラス障子それに食堂の出窓やトイレの窓まで次々に開け放っていくと、
家の中はたちまちに、風をはらむ祠となって荒れ始めた。雲が速く走る物干し場
の方へ呆然とした目を向けていると、細腕の二本からみあう恰好で宿り木が、
折れて落ちてきた。見上げると、隣家から蔽いかかる大きな欅けやきが、幹と枝
ばかりの全身をはげしく風に洗わせていた。
斜めの大きな天窓からは、日光の幾条かが射しては消え、その間合いに混じるように
梅の蕾も吹き込んできた。とばされた小机の上の紙の類は、落ちたところからまた、
意思あるもののように舞い立とうとしていた。

35
9月中旬に吐血した天皇の容態が、その後急変し、世を上げての自粛気分となった。
1988年の秋遅い頃であった。
その子猫チビがあらわれ、借りている離れの家へはじめて入って来たときの光景は、
くりかえし思い出される。
広やかな庭から形ばかり仕切られえた小庭に面して、洗濯機を置く狭い土間があった。
ある明るい午後、その開き戸のわずかな隙間をいつかしら抜けてきて、白く輝く
四つの跡に半ば日曝しのすのこをことと踏んで、行儀のよい好奇心を全身に
みせながら、貧しい部屋のうちを静かに見渡していた。
黒二毛というのか、焦げ茶というより墨の混じった泥のような色の、年寄った野良猫も
敷地内に出没していた。こちらは引き戸を引き開けてでも留守の家に入ってこようとす
る
という話を聞き、妻は情愛を込めてドロと呼ぶようになっていた。、、、
一度この小さな家へ入ることを覚えたちびは、隙間を作ってやりさえすれば、
静かに入ってくるようになった。それで悪戯するというわけではない。
家の中をそろそろと歩く。物と物のあいだへ、真白い毛並みに灰墨の玉模様の浮く
柔らかい身を、しばしが潜らせた。


疲れが濃くなって非常時に入ると、しかし決まって机が二つ面している南の窓越しに
濡れ縁に乗ってから窓の桟に両の前脚をかけてこちらを覗く、小さな仄白い影
が見えた。
そこで窓を開け、冬の暁に連れられてきた来客を迎え入れると、家内の気配は
ひといきに蘇った。元日にはそれが初礼者となった。年賀によその家々を回り歩く
者を礼者という。めずらしくもこの礼者は、窓から入ってきてしかもひとことの
祝詞も述べなかったが、きちんと両手をそろえる挨拶は知っているようだ。


卵をもった初夏のものが、とりわけ美味として珍重される。
チビはそのまるごとの姿を見るや、いきなり興奮が極まった。焼き魚や刺身を
もらうときとは、すっかり様子が変わっている。だが、妻はいつものように
声を掛けながら、手に取ったそれを指で一毟りをして、傍らに来ているチビ
の口許に差し出した。チビは背中に背鰭ひれをこしらえたように総毛立っていた。
尾は狸のそれのように膨張しきっている。またたく間に平らげてしまうと、
その味覚のせいか舌触りや咽喉越しのせいか、重ねて別種の興奮が来たようである。
妻がもうひと毟りむしりした。チビが襲うように食べた。それから少し間を
置いて、もうひと毟りした。チビがまた一瞬のうちに平らげてしまうと、口中で
赤い舌が炎のように裏返るのが、向き合った席から見えた。
さらにもうひと毟りするまでの間を、チビはこらえきれなかった。まどろっこしい
というのか、全身いっぱいでじりじりとしてみせ、目は夜叉のように切れ長となり、
卓袱台にかけていた前脚には、みるみる鉤かぎ型の爪があらわになった。
狩猟に動いたチビの牙が、シャコを遠ざけようとした妻の掌に深々と食い込んでいた。


チビは、人間には素気ないくせに、東隣の家からこの庭に入ってくると、身も心も
一変したように緑のひろがりの隅々に鼻を突き入れ、目を凝らし、前脚を差し入れ、
ときには躍りかかり、埒をなくしたように全速力で駆け巡っていた。それは
お婆さんたちがいなくなって燈籠に灯も点らなくなった日々の、深夜にも未明にも
つづいた。
チビにとって、そこは森の様であっただろう。一緒に逍遥にしていると、ある瞬間
場所のすべてに感応したというように全身に波を起こし、一体をむやみに疾走
してから立ち木の高いところへと上り詰めて、さらにどこかへ逃れでようとするように
中空に身を曝し、打ち震える、そんな動きの全過程をみることがあった。


防犯のために点している玄関の常夜燈と離れの住居からくる明るみとのほかは、
月の光がようやく、物の文目あやめをつけさせていた。仄暗い屋敷の中で、
小さな白い玉が跳ねて、硬い音を立てた。それを追う小さな生き物も、月光を
まとって、白い珠のようになった。
昼は昼で、チビは梅の花びらを背につけたりしながら、ハナアブを叩き、トカゲを
嗅ぎ、精気と混沌の兆しをはじめた庭で遊び続けた。突然の木登りは、稲妻に
化けた様であった。稲妻はたいがい上から下へ走るものだが、この稲妻は
下から上へも走ったわけである。チビが電撃的な動きで柿の木に登るのを、
件のノートの中で、稲妻の切尖のようにと妻は描き止め、また、雷鳴を
起こす手伝いをするように、とも言い換えたりした。、、、、
登りきった柿の木の梢で、風はあらゆる変化を鋭く窺がいながら次の瞬間に
対して身構えている姿は、天からも地からも離れて、あらぬ隙間へ突き出よう
とする姿である。
猫は飼い主にだけ心を許す、だから一番可憐な姿は、飼い主の前にだけ曝す
ものだ、と聞いた。猫を所有する事をことを知らないまま、飼っている状態だけ
を擬似的に味わっている夫婦は、チビの一番甘えきった姿というものを、
見せてもらっていないはずだった。
ところが、そのためにかえって、チビは飼い主さえ知らない、媚びることの
ない無垢と言う、野生の姿を示してくれている。チビから受ける神秘的な
感じの由来は、簡単に暴いてしまえばそんなことではないか、と思ったものだ。
すなわちその最たる姿が、稲妻捕りと呼ばれるものだった。


7月半ばに梅雨があけると、庭の池のほとりの日当たりのいい岩に、1匹の
シオカラトンボの蒼い姿態があらわれていた、ホースの水で作る空中の弧に
ついついと口付けしてきたあの1匹の、遺した息子と言うことになるのだろうか。
あの親しかった雄のシオカラトンボは、八月の終りとともに見えなくなった。
お爺さんとお婆さんが離れていった庭から、翅のある友もその妻も消えてゆくのを、
しばらくは惜しんだものだった。だがその同じ彼が、この夏の光とともに
蘇って来た気がした。するとその消失とにせの蘇生とのあいだに、取り返せなく
消えていった者たちのことが、かえってありありと思い返された。
七月も終りの、陽射しの強い午後、庭に出るとまず、池に迫り出すその岩に
目をやった。シオカラトンボはいなかった。そんなとき以前していたように、
軽く二回、手を拍った。すると、どこからか大気をかすかに震わせて、
涼しい影が飛行して来た。水のアーチをつくると喜んだようにあたりを
飛びめぐってから近づいてくるところなど、あのシオカラトンボと変わりがない。
張り巡らされた蜘蛛の糸を巧に避けながら、廃れていくばかりの庭を隅々まで、
彼も豪勢に住みなしているらしい。ふと思い立って、水栓を締めた。
水流を作ることをやめて、左手の人差し指を宙に突き出してみた。すると
彼は、中空に大きな一巡りの呼吸を入れた。それから速やかに接近してきて、
眼の前で小さく別の旋回を見せたかと思うと、人差し指の指す方向に向いて、
その指に止まった。喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、
長い時間だった。ひとけの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている
庭の中央で、指先にしばし、大きな2個の複眼と透き通った4枚の翅を載せていた。
わずかな身じろぎが伝わって彼は中に舞い上がったが、また直ぐに戻ってきて
止まった。それから再び静かな時間が過ぎた。


それから、ぐったりしているミンミンゼミを掴んで掌に載せた。もう駄目かと思って
いたら、ミンミンゼミは緑の斑紋をもつ翅からちょっと音を立ててよろよろと
飛び立ち、いったん地面に落ちそうになりながら、また持ち直した恰好で翅を
打ち震わせ、高く、西側の塀を越えて飛んで行った。


ただし、チビがどこまでも人の世を突き抜けて天にも地にもいないような神秘的な
感じを持っていたのに対してお姉ちゃんという子猫には、柔らかい、平穏で
地上的なものがあった。それに体型が少し洋梨形に丸みを帯びていて、尻尾は
短く、アニメーションから抜け出してきたような親しみやすさがある。

110
早朝、だれかが縁側で包丁を研いでいる、と思った。
欅の枝葉の繁りを梳いて、庭へ厳しい晩夏の光が差し込んでいる朝だった。
とても近い音なのに、見渡しても誰もいない。音のする方に下駄をつっかけて
出ると、すぐそばの梅の木の、根方にそよぐ草叢から発していた。
目を凝らして草の間をのぞいてみたら、前肢にミンミンゼミががっしりと
捕らえられたまま、翅を収め切っていない大カマキリが振り向いた。
カマキリは一番苦手にしている生き物であった。これには全く耐えることが
できない。包丁を研ぐような音は、瀕死のミンミンゼミの、喘ぎの翅音だった。
いや、それとも、攻撃しながらも立てるという、大カマキリの威嚇音だったのか。
惨劇をまなうちに焼き付けたまま、布団に戻って、なおその音を聴きながら
息を整えていると、目を覚ました妻がかたわらから尋ねてきた。事の次第を
話すと飛び起きて、縁側に投げ置いてあった藤細工の布団たたきを手にして、
庭の飛び石へ、寝間着で裸足のまま下りて行った。
後ろからついていくと、布団たたきで引き離した大カマキリを、背後の
植込みの方へ撥ねやった。それから、ぐったりしているミンミンゼミを掴んで
掌に載せた。もうだめかと思っていたら、ミンミンゼミは緑の斑紋をもつ
翅からちょっと音を立ててよろよろと飛び立ち、いったん地面におちそう
になりながら、また持ち直した格好で翅を打ち震わせ、高く、西側の塀を
越えて飛んで行った。

121
4匹の仔猫は、敷地の緑の間をチロチロとしていた。白黒の母猫のほかに
濃い鼠色の父猫もいて、珍しく家族そろっての棲息である。
秋になるとすぐに、母親の姿が見えなくなった。ちろちろの影も、4匹から
3匹となった。ことにその中の1匹が、ちびの模様に似ていることもあって、
3匹まとめてチビチビビーズと呼ぶようになった。3匹の仔猫と父猫
はいつもエントランスのあたりにいた。といっても、決まった1匹の仔猫
だけが、通行に邪魔にならない植込みの間に出て、行儀よく前肢をそろえて
座っていた。父猫を含む残りの3匹は、躑躅の植込みの陰に隠れていた。
どうやって役割が決まったものか、一番器量よしの仔猫がそうやって居住者
の関心を惹きつけた。可憐に思った住人が食べ物を路肩のコンクリートの
面に供える。するとその子の後ろからそろそろと3匹が出てきて、食べ物
にとりついた。器量よしの仔猫は自分からは食べず、ほかのものが
落ち着いたところを見て、ようやく食事にとりかかった。
チビチビビーズの3匹のことは、器量よしのその仔猫を、おねえちゃん
と呼んだ。白い毛がほとんである芯の強そうなのをシロ、いちばんよたよた
して背中が甲羅の模様をしたのを、カッパちゃんと呼んだ。
慎重でおとなしい父猫はそのまま、お父さんと呼ばれた。
たしかに、おねえちゃんはチビに似ている。ただし、チビがどこまでも人の
世を突き抜けて天にも地にもいないような神秘的な感じを持っていた
のに対して、おねえちゃんという仔猫には、柔らかい、平穏で地上的な
ものがあった。それに体型が少し洋梨形に丸みを帯びていて、尻尾は
短くアニメーションから抜け出してきたような親しみがある。

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