2016年8月30日火曜日

天人五衰

天人五衰の輪廻転生、曼荼羅の記述あり。
123ページの鼠の自己正当化の自殺。
159ページの蓮の池の描写
197ページの胎蔵界曼荼羅
241ページの山門までの描写


5
沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる。それでも沖は昨日よりも澄み、伊豆半島の
山々の稜線も辿られる。5月の海はなめらかである。日は強く、雲は微か
空は青い。きわめて低い波も、岸辺では砕ける。砕ける寸前のあの鶯色の
波の腹の色には、あらゆる海藻が持っているいやらしさと似たいやらしさ
がある。5月のうみのふくらみは、しかしたえずいらいらと光の点描を
移しており、繊細な突起に満たされている。3羽の鳥が空の高みを、ずっと
近づきあったかと思うと、また不規則に隔たって飛んでいく。
その接近と離隔には、なにがしかの神秘がある。相手の羽風を感じるほどに
近づきながら、また、その一羽だけついと遠ざかるときの青い距離は、
何を意味するのか。三羽の鳥がそうするように、我々の心の中に時たま
現われる似たような三つの理念も。
午後二時、日は薄い雲の繭に身を隠した。白く光る蚕のように。
丸く大きく広がった濃藍の水平線は、海景にぴっちりはめた蒼黒い鋼の
箍だ。沖に一瞬、一か所だけ、白い翼のように白波が躍り上がって消えた。
あれには何の意味があるのだろう。崇高な気まぐれでなければ、きわめて
重要な合図でなければならないもの。そのどちらでもないということが
ありうることだろうか。潮は少しづつ満ち、波もやや高まり、陸は巧妙
きわまる浸透によって侵されていく。日が雲におおわれたので、海の色は
やや険しい暗い緑になった。その中に、東から西へながながと伸びた
白い筋がある。巨大な中啓のような形をしている。そこでけ、平面が
捻じれている様に見え、捻じれていないかなめに近い部分は、中啓の
黒骨の黒っぽさを以て、濃緑の平面に紛れ入っている。日がふたたび
明らかになった。海は再び白光を滑らかに宿して、南西の風の命ずる
ままに、無数の海驢の背のような波形を、東北へ東北へと移している。
尽きることのないその水の群れの大移動が、何ほども陸に溢れるわけ
ではなく、氾濫は遠い遠い月の力でしっかり制御されている。
雲は鰯雲になって、空の半ばを覆うた。日はその雲の上方に、静かに
破裂している。



行きは海に気をとられていて目にも触れなかったが、帰路は堤防の下
の一輪の昼顔の萎びた淡い紅色もよく目についた。堤防の上の砂地には
夥しい塵芥が海風にさらされていた。コーラの欠けた空き瓶、缶詰、家庭用の
様々な空き缶、永遠不朽のビニール袋、洗剤の箱、沢山の瓦、、、、、、
地上の生活の滓がここまで雪崩れてきて、はじめて「永遠」に直面するのだ。
今まで一度も出会わなかった永遠、すなわち海に。もっとも汚れ錆びれた、
醜い姿でしか、ついに人が死に直面することが出来ないように。
堤の上には乏しい松が、新芽の上に赤いヒトデのような花を開き、帰路の左側
には、寂しい小さな四弁の白い花をつらねた大根畑があり、道の左右を
一列の小松が劃していた。そのほかにはただ一面の苺のビニールハウスで
蒲鉾型のビニール覆いの下には、夥しい石垣苺が葉かげにうなだれ、蠅が
葉辺の鋸の葉を伝わっていた。見渡す限り、この不快な曇った白い蒲鉾形が
ひしめいている中に、さっきは気付かなかった、小体な塔のような建物を
本多は認めた。


「自分を猫だと信じた鼠の話だ。何故だか知らないが、その鼠は、自分の
本質をよく点検してみて、自分は猫に違いないと確信するようになったんだ。
そこで同類の鼠を見る目も違ってき、あらゆる鼠は自分のえさにすぎない
のだが、ただ猫であることを見破られないために、自分は鼠を喰わずに
いるだけだと信じた。
よほど大きな鼠だったですね。
肉体的に大きかった小さかったということは問題じゃない。信念の問題なんだ。
その鼠は自分が鼠の形をしていることを、猫という観念が被った仮装にすぎないと
と考えた。鼠は思想を信じ、肉体を信じなかった。猫であるという思想を
持つだけで十分で、思想の体現の必要性は感じなかった。そのほうが侮蔑の
たのしみが大きかったからさ。
ところが、ある日のこと、その鼠が本物の猫に出くわしてしまったんだ。
お前を食べるよ、と猫が言った。
いや、私を食べることが出来ない、と鼠が答えた。なぜだ
だって猫が猫を食べることはできないでしょう。それは原理的本能的に
不可能でしょう。
それというのも、私はこう見えても猫なんだから。
それを聞くと猫はひっくり返って笑った。髭を震わせて、前肢で宙を引っ掻いて、
白い和毛に包まれた腹を波打たせて笑った。それから起き上がると、矢庭に
鼠に掴みかかって喰おうとした。鼠は叫んだ。
なぜ私を喰おうとする。
お前は鼠だからだ。
いや、私は猫だ。
そんならそれを証明してみろ。
鼠は傍らに白い洗剤の泡を湧き立たせている洗濯物の盥の中へ、いきなり
身を投げて自殺を遂げた。猫は一寸前肢を浸してなめてみたが、洗剤の味
は最低だったから、浮かんだ鼠の屍はそのままにして立ち去った。
猫の立ち去った理由は分かっている。要するに、喰えたものじゃなかったからだ。
この鼠の自殺が、僕の言う自己正当化の自殺だよ。しかし自殺によって別段、
自分を猫に猫と認識させることに成功したわけじゃなかったし、自殺するとき
の鼠にもそれくらいのことはわかっていたにちがいない。が、鼠は勇敢で
賢明で自尊心に満ちていた。
彼は鼠に二つの属性があることを見抜いていた。一次的にはあらゆる点で肉体的鼠であ
ること、二次的には従って猫にとって喰うに値するものであること、
この二つだ。
この一次的な属性については彼はすぐにあきらめた。思想が肉体を軽視した
報いが来たのだ。しかし二次的な属性については希望があった。第一に、自分が猫の前
で猫に喰われないで死んだということ、第二に、自分を「とても喰えたものじゃない」
存在に仕立てたこと、この二点で、少なくとも彼は、自分を
「鼠ではなかった」と証明することが出来る。「鼠ではなかった」以上、
「猫だった」と証明することはずっと容易になる。なぜなら鼠の形をしている
ものがもし鼠でなかったとなったら、もうほかの何者でもなりうるからだ。
こうして鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。
、、、、、
ところで、鼠の死は世界を震撼させたろうか?と彼はもう透という聴手
の存在も問わず、のめりこむような口調で言った。独り言と思って聴けば
いいのだと透は思った。声はものうい苔だらけの苦悩をのぞかせ、
こんな古沢の声は初めて聴く。「そのために鼠に対する世間の認識は
少しでも革まっただろうか?この世には鼠の形をしていながら実は鼠でない
者がいるという正しい噂は流布されたろうか?猫たちの確信には多少とも
罅が入ったろうか?それとも噂の流布を意識的に妨げるほど、猫は神経質に
なったろうか?
ところが驚くなかれ、猫はなにもしなかったのだ。すぐに忘れてしまって、
顔を洗いはじめ、それから寝転んで、眠りに落ちた。彼は猫であることに
満ちたり、しかも猫であることを意識さえしていなかった。そしてこの完全
だらけた昼寝の怠惰の中で、鼠があれほどまでに熱烈に夢見た他者にらくらく
となった。猫はなんでもありえた、すなわち档案とうあんにより自己満足により
無意識によって、眠っている猫の上には、青空が開け、美しい雲が流れた。
風が猫の香気を世界に伝え、なまぐさい寝息が音楽のように瀰漫した。」



しかし眺めることの幸福は知っていた。天ぶの目がそれを教えた。何も創りださないで
ただじっと眺めて、目がこれ以上鮮明になりえず、認識がこれ以上透徹しないという
堺の、見えざる水平線は、見える水平線よりも彼方にあった。しかも目に見え、
認識される範囲には、さまざまな存在が姿を現す。海、船、雲、半島、稲妻、太陽、
月、そして無数の星も。存在と目が出会うことが、すなわち存在と存在が出会うことが
見るということであるなら、それはただ存在同士の合わせ鏡のようなものでは
あるまいか。そうではない。見ることは存在を乗り越え、鳥のように、見ることが
翼になって誰も見たことのない領域まで透を連れて行くはずだ。そこでは美さえも、
引きずり朽され使い古された裳裾のように、ぼろぼろになってしまうはずだ。
永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海というものがあるはずだ。
見て見て見ぬく明晰さの極限に、何も現れないことの確実な領域、そこはまた
確実に濃藍で、物象も認識もともどもに、酢酸に浸された酸化銅のように溶解して、
もはや見ることが認識の足枷を脱して、それ自体で透明になる領域がきっと
あるはずだ。、、、、
この16歳の少年は自分が丸ごとこの世には属していないことを確信していた。
この世には半身しか属していない。後の半身は、あの幽暗な、濃藍の領域に
属していた。したがって、この世で自分を規制しうるどんな法律も規制もない。
ただ自分はこの世の法律に縛られているフリをしていれば、それで十分だ。
天使を縛る法律がどこの国にあるのだろう。だから人生は不思議に容易だった。
人の貧困にも、政治や社会の矛盾にも、少しも心を悩まされなかった。
時折やさしい微笑みをうかべたが、微笑みと同情は無縁だった。微笑みとは、
決して人間を容認しないという最後のしるし、弓なりの唇が放つ見えない吹き矢だ。


107
浪は砕けるとき、水の澱のようなあぶくを背後にすべらせつつ、今まで三角形
の深緑の累積だったものが、いっせいに変貌して、白い不安な乱れに充ちて、伸び上が
り、
膨れ上がってくる。海がそこで乱心するのだ。のび上がったとき、すでに
裾の方ではや砕けている低い波が見られる一方、高い波の腹は、一瞬、
訴えても詮無い悲鳴のような、めちゃくちゃな白い泡の斑を、おびただしい気泡
のようにあらわした、鋭く滑らかな、しかも亀裂だらけの熱い硝子の壁になる。
それが切れ上がって、極みに達するとともに、波の前髪が一斉に美しく梳かれて
前へ垂れ下がり、さらに垂れ下がると、整然と並んだ青黒いうなじを見せ、
この項にこまかく漉き込まれた白い筋がみるみる白一色になって、斬られた首の
ように地に落ちて四散する。
泡の広がりと退去。黒い砂の上を、船虫のように列をなして、一斉に海へ馳せ
かえっていくたくさんの小さな泡沫。
競技を終わった競技者の背中から急速に引いていゆく汗のように、黒い砂利
の間を退いていゆく白い泡沫。
無量の一枚の青い石板のような海水が、波打ち際へきて砕けるときには、何という
繊細な変身を見せることだろう。千々にみだれる細かい波頭と、こまごまと分かれる
白い飛沫は、苦し紛れにかくも夥しい糸を吐く、海の蚕のような性質を
あらわしている。
白い繊細な性質を内に秘めながら、力で圧伏するということは、何という微妙な
悪だろう。、、、、
浜はさびしく、泳ぐひともなく、二三の釣り人を見るだけだ。船が1艘も見えぬ時
の海は、献身からもあたうかぎり遠い。今、駿河湾は、一つの愛もなく陶酔もなく、
完全に醒めきった時間の中に寝そべっている。この怠惰な、この無償の完全性を
やがて白光を放つ剃刀の刃のように滑ってきて、切り裂いてゆく船がなければならぬ。
船はこんな完全性に対する涼しい侮蔑の凶器で、ただ傷口を与えるために、
海の張りつめた薄い皮膚の上を走ってゆくのだ。


288
あたりは蝉の声、きりぎりすの声に充ちている。それほどの静けさに
田を隔てた天理街道の事々しい車の音が織り込まれている。しかし
目前の自動車道路には、見渡す限り車影がなく、路肩にこまかい砂利の影
を並べて、白々と横たわっている。
大和平野の伸びやかさは昔と変わらない。それは人間界そのもののように
平坦だ。かなたには小さく貝殻のような屋根屋根を並べた帯解の町が光り、
薄く煙が立っている。帯解の町、平野のすべての上には、のこりなく
晴れた夏空がひろがり、綿雲はぬめのほつれを引き、彼方霞んだ山々
から伸び上がった幻のような雲が、上端だけは彫塑的な端麗さを帯びて
青空を区切っている。
本多は暑さと疲労に打ちのめされてうずくまった。うずくまったとき、
夏草の禍々しい鋭い葉端の光りに、目を刺されるような気がした。
ふと鼻先をよぎる蠅の羽音を、腐臭を嗅ぎつけられたのではないかと
本多は思った。
門に入って、彼の目に見える限りは元気を装おうと自ら鼓舞して、砂利の多い
凸凹な参道の坂を上っていく間、左方の柿木の幹にはびこった病気のような
苔の鮮明な黄や、右の路傍のほとんど花弁の落ちた禿げ頭の薊の花の
薄紫を、目の角に残すばかりで、喘ぎながら道の曲がりを頼みに歩いた。
道の行く手を遮る木陰の1つ1つが、あらかたで神秘に思われた。
雨になれば川底のようになるであろうその道の雑な起伏が、日の当たる
ところはまるで鉱山の露頭のように輝いて、木陰におおわれた部分は
見るから涼しげにさざめいている。木陰には原因がある。
しかしその原因は果たして樹そのものだろうかと本多は疑った。
幾つめの木陰で休むことができるかと、本多は自分に問い、杖に問うた。
4つ目の木陰が、すでに車のあたりからは窺われない曲がり角に
あって、静かに誘っていた。そこまで来ると崩折れるように、路傍の
栗の根方に腰を下ろした。
歩くうちは忘れていたのが、休むとともに募るのは、汗と蝉の声だった。
杖に額をあてて、額に押し付ける杖頭の銀の痛みで、胃や背にひしめく
痛みを紛らわした。、、、、、
夏の草木の匂いがあたりに充ちた。道の両側に松が多くなり、杖に倚って
見上げる空には、日が強いので、梢の夥しい松笠のその鱗の影も1つ1つ
彫刻的に見えた。やがて左方に、荒れて、蜘蛛の巣や昼顔の蔓のいっぱいからまった
茶畑が現れた。道の行く手を、なおいくつもの木陰が横切っている。
手前のは崩れた簾の影のように透き、遠くのは喪服の帯のように
3,4本黒く能子に横たわっている。




302
一面の芝の庭が、裏山を背景にして、烈しい夏の陽にかがやいている。
芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。
夏というのに紅葉している楓もあって、青葉の中に炎を点じている。
庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子がつつましい。
左方の一角に古い車井戸が見え、また、見るからに日に熱して、腰掛ければ
肌を焼きそうな青緑の陶の椅子が芝生の中程に据えられている。そして裏山の
頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳やかしている。これといって奇巧の
ない、閑雅な、明るく開いた庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを
支配している。このほかには何1つ音とてなく、寂莫を極めている。

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