最近自身の60年あまりの時代振り返りをしている。原点回帰かもしれない。
読売新聞に「昭和時代」と言うのが、毎週土曜日に載っているが、
単行本としてもあるようだ。時代のポイント、節目をマクロ的に見るには、
かなり参考になる。先週の記事には山崎正和氏の「柔らかい個人主義の
誕生」の本のはなしが出ていたが、30年ほど前によく読んだ記憶が蘇った。
「企業のために働く事で個人にはどんな幸せがあるのだろう」。
今はこの疑問が当時よりもはるかに大きな比重となって各人に覆いかぶさって
いるように思える。もっとも、私自身は「自分の仕事を徹底的にしていけば、
自ずと自分も家族も幸せになる」と極めて単純な想いで日々を過ごしていたが
世界は夫々の節目を見せながら進んできたことも事実の様である。
最近出た本に「1979年」がある。
本書は、アメリカのジャーナリスト、クリスチャン・カリル氏の著作であり、
「1979年」をめぐる物語である。この年、遠く離れた場所で無関係に生じた
ようにみえる様々な出来事が、実は21世紀の現代に大きな影響を与えている
こと、現在の世界情勢や世界が抱える問題は1979年に端を発していることを
ジャーナリストならではの視点で生き生きと描き出している。
1979年を振り返ってみると、1月には米中の国交が樹立、2月にはホメイニー
が亡命先のフランスからイランに帰国、4月にイスラム共和国の樹立が宣言された。
現在の混迷として、イスラム教はその後の世界に大きな影響を及ぼしている。
5月には、イギリスでサッチャーが首相に就任、新自由主義的経済政策を推進した。
6月にはヨハネ・パウロ二世が祖国ポーランドを訪問。この訪問は東欧の人々に大きな
影響を与え、非暴力の抵抗運動はやがて共産主義体制の崩壊へつながるが、その
反動に揺れる昨今のウクライナ含めた中欧の動きがある。12月にはアフガニスタン
でソ連の軍事介入によるクーデターが勃発、アフガン紛争の始まりである。
中国ではこの年、鄧小平が経済改革に着手し、7月には経済特区が設置され、
今の中国躍進の起点となった。
つまり1979年は、社会主義の終焉、市場経済の台頭、宗教の政治化が始まった年
だった。またこの年にはエズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン
アメリカへの教訓」が刊行された。日本企業の目覚ましい成功の分析を通して、
アメリカの読者に教訓を与えたいと考えていた、と著者自身が言っている。
ただ、日本には誤ったシグナルを与えたような気もするが。
現時点からこの本のように過去のポイントを読み解くのも重要な事かもしれない。
そして、今手元にある10年程度の間をおきながら発刊された以下の3冊の本を
読むとその時代の背景も垣間見え、中々面白い。
1970年代の日本は、高度経済成長が一段落し、オイルショックにより高度成長は
終焉を迎え低成長時代に移行するが、渋谷パルコの開店があり、日本における若者
文化の歴史が大きく変化し、「新宿から渋谷、または渋谷区全体へ」と移り
変わっていく。個人的にも、渋谷で休みには良くウロウロとしていた時代でもある。
さらに、1980年代は市場に金があまり、バブルの時代となった。
1)「大国の興亡」から思う。
「大国の興亡」は1987年に刊行された歴史家ポール・ケネディの著作である。
本書の主題は、1500年から1980年代までの大国の政治的・経済的台頭、およびその
衰退の理由を探求することにある。1980年代、双子の赤字を抱え、西欧や日本との
経済摩擦に苦しみ、国際政治における支配的地位が揺らぎだしていたアメリカ合衆国
についても詳細に論じている。
大国の強さが他国との比較によってのみ的確に図ることができると論じて、ケネディは
大国の台頭が利用可能な資源および経済的耐久性に強く相関していること、そして軍
事的な過剰拡大とそれに付随する経済的衰退が、手持ちの資源以上に安全保障上の必要
性や野心を抱く大国が直面する一貫した脅威であるという命題を提示した。
この本のテーマは、国際関係(特に外交と軍事)について著者の理論に基づいて歴史的
な戦争と時代時代の覇権国家(あるいは大国)について分析を行うということ
にあった。
何かこれからの日本自身と日本と中国の関係を暗示するような点もある。
2)「文明の衝突」から思う。
サミュエル・P・ハンチントンが1996年に出した。
ハンチントンは、トインビーを参照しながら文明を以下のように分けた。
① 西洋文明(アメリカ+西洋+オーストラリア)
② イスラム文明(中東+北アフリカ)
③ 中国文明
④ 日本文明
⑤ インド文明⑥ ラテンアメリカ文明(西洋文明と近い)
⑦ アフリカ文明
そして、冷戦後世界にとって脅威となるのは、人口を急激に増加させながら、過激なイ
スラーム原理主義を信奉するイスラーム文明と、経済成長著しい中国文明であり、アメ
リカはこの二つの文明に対抗するために、分裂傾向のアメリカとヨーロッパ関係を一層
強化し、日本文明などと結ぶ必要があると考えた。そして、今後の戦争は文明の
断層(フォルトライン)で起きるだろうとし、たとえ文明間の小競り合いであっても中
級国、大国が文明の観点から参戦することを余儀なくされ、最悪、第三次世界大戦のよ
うなこともあり得るとしている。
イスラム国を実例として、イスラム文明との小競り合いが更に大きくなるのか、中国と
日本の関係など興味深い課題提起がある。
3)「フラットな世界」から思う。
1990年代後半からのインターネットの進化を踏まえて、トーマス・フリードマン
が2005年に発刊している。そしてこの世界は更に深化している。
グローバリゼーションが広まり、世界がフラット化しつつある要素には、次の
10項目があると言っている。
①ベルリンの壁の崩壊とウィンドウズ
1990年のウィンドウズ3・0でアップル・IBM・ウィンドウ
ズ革命がおこった。「これで文字・音楽・数字データ・地図・写真・音声・映像が
すべてデジタル表示できるようになった。そのうち誰もがたいした費用をかけずに
デジタル・コンテンツを作り出すことになる。
②インターネットの普及と接続の自由
世界は本気でフラット化に向かった。
③ワークフロー・ソフトウェアと共同作業の実現
ここに「標準化」(スタンダード)という共有を求める価値観が生まれた。
④アップローディングとコミュニティ現出
アップローディングのしくみは、コミュニティを創りだし、「リナックス」
「ブログ」「ウィキペディア」「ポッドキャスティング」「ユーチューブ」
などが輩出した。
⑤アウトソーシングによる技術転移
フラット化された世界の技術はアウトソーシングの先に新たな技術と市場を
つくっていく。
⑥オフショアリングがおこった
⑦サプライチェーンが一変する
フラットな世界ではサプライチェーンが競争力と利益の根幹になっていくことを劇的に
示した企業が出てきた。
⑧インソーシングで世界が同期化する
⑨グーグルによるインフォーミング
グーグルが世界の知識を平等化した。
そこにはグーゴル(10の100乗)な数の人間がかかわれるようになった。
グーグルは、アップローディング、アウトソーシング、インソーシング、
サプライチェーン、オフショアリングのすべての個人化を可能にした。
これによって、「自分で自分に情報を教える」というインフォーミング
が可能になった。これにより、世界はますますフラット化する。
⑩情報のステロイドホルモン化
「デジタル」と「ワイヤレス」と「モバイル」と「ヴァーチャル」と
「パーソナル」が掛け算されると、強力な情報のステロイドホルモン化がおこる。
更に、これらの要素を最適な形で有効に活用するには、以下の3つの集束
が必要となる。
1)グローバルなプラットホームが形成され、共同作業が可能となる。
これらを上手くこなす仕組み、
フラットな世界への接続可能なインフラ、
プラットホームを活用できる教育体制、
プラットホームの利点欠点を活かせる統治体制、
を構築できた国が先進的な活動と富、権力を得ることが出来る。
2)水平化を推進する力
水平な共同作業や価値創出のプロセスに慣れている多様な人材が必要である。
3)新たなるメンバーの参加
中国やロシアなど政治、経済などの壁により、参加できなかった30億人
以上のメンバーの参加が可能となった。
面白いのは、これらが実行されることにより、世界レベルでの変革となるが、
その基本は、「共産党宣言」に指摘されてぃることである。
「昔ながらの古めかしい固定観念や意見を拠り所にしている一定不変の凍り
ついた関係は一掃され、新たに形作られる物もすべて固まる前に時代遅れになる。
固体は溶けて消滅し、神聖は汚され、人間はついに、人生や他者との関係の実相
を、理性的な五感で受け止めざるを得なくなる。、、、、、そうした産業を駆逐
した新しい産業の導入が、全ての文明国の死活を左右する。、、、、、、、
どの国もブルジョアの生産方式に合わさざるを得ない。一言で言うなら、
ブルジョアは、世界を自分の姿そのままに作り変える。」
特に、注意すべきは、教育と競争への考慮が必要と言っている。
①世間が「学ぶ方法を学ぶという能力」について、もっと注目しなければならない。
②ナビゲーションのスキルを教える方法について、もっと深く考える必要がある。
③フラット化する世界では、IQではなくて好奇心(CQ)と熱意(PQ)が
要求される。
④バリューチェーンとサプライチェーンにおける有能な合成役(シンセサイザー)が登
場すべきである。
⑤これらを総じて、離れた点と離れた面を結びつける能力を教える学校が必要である。
フリードマンの指摘は更に深化して社会、政治、経済まで大きく変わりつつある。
その深化する速度も年々加速化しているようにも思える。
「歌に観る時代変化」
「企み」の仕事術という本を読んだ。阿久悠が書いている。
カラオケが好きでもないので、歌謡曲はあまり歌わないが、まだ、サラリーマンの
頃は、付き合いもあり、歌ったものである。
しかし、それほど上手くもなく、好きでもないので、ある基準が個人的にはあった。
「歌詞」が自分の人生観、思いにあっているものに限った。例えば、テレサテンの
「香港」であり、小椋圭の「山河」、谷村新司の「昴」であった。
このヒットメーカーの本を読んでいると、日頃感じている歌の考え方に賛同する点が
かなりあることが分かる。
「僕が作詞家として仕事をしていた60年代の後半から80年代の中盤くらいまでは
歌謡曲の中に時代の空気がしっかりと組み込まれていた。どの歌もその背景には
時代の気配を強烈に発散していた。その時々の社会の出来事や個人の思い出が
連動していて、曲を聴いたとき、この歌が出たときに自分はどこで何をしていたか
瞬時に蘇らせる力があった。
それが今の曲はどうだろう。
流行っている歌の歌詞をじっくり聴いてみる。ところが、歌詞の中に時代が見えてくる
ことはほとんどない。歌を作る作家たちが部屋の中に閉じこもっていて、窓から
外を見ていないのだと僕は思う。外の空気や温度を感じていないのではないかとも
思う」。
全く同感である。しかも、10数年ぶりかで日本レコード大賞を見たが、まさに
そのような歌が堂々の賞をもらっている。時代は変わったのか。
しかも、音楽を聴くにしても、ヘッドフォンで一人称の世界に埋もれ、情報を
見るにしても、スマホ、タブレットともに、これも個人の世界である。
時代は変わるもの。インターネットの拡大によるディジタル世界の深化は、
この行動を更に増長させるであろう。よく言われるが、既にインターネット
による生活が当たり前になっているディジタルネイティブな若い世代では、人間的
要素の強いアナログ的な行動や感情は削げ落とされている。言葉は人を動かしうる
ものであるとの意識は薄い。
更に阿久は言う「曲作りがサウンド優先になって、伝わるための言葉を大切に
しないことから、字数が合わないまま、言葉がこぼれてしまったり、フレージング
が違ってきたりすることがしばしば起きる。そうして、言葉一つ一つからメッセージ
の内容が確実に伝わってこない歌が量産されているのが最近の音楽事情ではないか。」
昨日のNHK紅白歌合戦でも、この指摘に納得できる歌のオンパレード。
ただのお祭り騒ぎとしては、歌を聞いた後の余韻はいらないのかもしれない。
しかし、特に若い人の歌は、心に残る歌詞がないのも確かである。
私が単に老いて、五感が鈍くなったからなのか、時代が変えさせているのか。
ここに、小椋圭の「山河」を思い出す。
この歌詞の如く、まだ志賀に残る風情、想いをそのままにしたい、と思うし、
自分の人生を振り返ることにもなる。歌とはそう言うものではないのだろうか。
ーーーーーー
人は皆 山河に生まれ、抱かれ、挑み、
人は皆 山河を信じ、和み、愛す、
そこに生命をつなぎ、生命を刻む
そして終わりには 山河に還る。
顧みて、恥じることない足跡を山に残しただろうか
永遠の水面の光増す夢を河に浮かべただろうか
愛する人の瞳に愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。美しいかと。
歳月は 心に積まれ 山と映り
歳月は心に流れ 河を描く
そこに 積まれる時と、流れる時と、
人は誰もが 山河を宿す。
ふと想う、悔いひとつなく悦びの山を 築けたろうか
くしゃくしゃに嬉し泣きするかげりない河を抱けたろうか
愛する人の瞳に愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。
顧みて、恥じることない 足跡を山に残しただろうか
永遠の 水面の光 増す夢を河に浮かべただろうか
愛する人の瞳に愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。美しいかと。
---------
また、沢田研二が歌った「時の過ぎ行くままに」では、チョット耳の痛い話もある。
「ベビーブームで生まれた団塊の世代の人口が一番多い。学生時代に「世界
同時革命」などのスローガンを掲げて社会の矛盾を突いていた人が、社会に出た
とたん、直行でマイホーム型人間になってしまったように見える。結局、
「革命だ、革命だ」と大騒ぎした人たちが、会社のため、家族のためにと
人一倍身を削って働くことになった。
世界革命と叫んで闘争したあの騒ぎは何処へ行ってしまったのか。あの男たちの
気概は何処へ行ってしまったのか。あの静まり方は大騒ぎした後にむなしさが
残るような感じに似ている。
----
あなたはすっかり 疲れてしまい
生きていることさえ いやだと泣いた
壊れたピアノで 思い出の歌
片手で弾いては ためいきついた
時の過ぎ行くままに この身をまかせ
男と女が ただよいながら
、、、、、
----------」。
このような想いがあることは知らなかった。
しかし、あらためてこの歌詞を見ると納得感がある。
ふと、浮かぶ谷村新司の「昴」も自分にとっては、時代変化への想いが
見える歌でもある。
-------
目を閉じて何も見えず
哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より
他に見えるものはなし
目を開けて見れば、やはり目の前に見えるものは、茫洋たる荒野の風景のみ…。
ああ 砕け散る 宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
人はいかなる星のもとに生まれ育ち、どのような定めのもとで生きていき、
そしていかなる星のもとへと帰っていくのでしょうか。
呼吸をすれば胸の中
凩は吠き続ける
されど我が胸は熱く
夢を追い続けるなり
-------
我々の時代は、日本は豊かになれたという実感と現実味があった。
そのような熱きエネルギーを浴びながら、日々の行動が生活をより豊かにし、楽しみ
が周辺から湧き上がる空気があった。成熟化した現在にはない日々の手ごたえ感
が満ちていた。
阿久悠は、その情景を歌と言う手法で体言化しているのかもしれない
「社会を知る。過去、現在、未来」
社会変化が著しい昨今である。
しかし、我々はともすると、日常の忙しさにかまけて目の前の、見えるものに
しか興味を示さない事が少なくない。
喜び、熱意、歓喜、快楽といった感情は現在の行動の中で感じられるであろうが、
楽観、希望、信念などは未来を意識しておく必要がある。また、充足感、安堵感、
達成感、誇りなどは過去の事象から多く得られるものであろう。歳を重ねると、
過去を顧みたときの達成感や充足感が強く感じられるのではないだろうか。
最近、ちょっと面白いサイトを見つけた。
現在の問題認識と過去の状況を共有しようとしている。
ちょっと考えるべきたび企画のサイトが以下にある。
http://ridilover.jp/
このサイトの趣旨は、
さまざまな場所で問題が解決せず、人々を苦しめ続けている原因のひとつに
「構造的な社会への無関心」 があります。リディラバは、その無関心を
生み出す構造を解消するために、「社会問題を知ることのできるツアー」
を立ち上げました。
このツアーに参加すれば、社会問題の現場に自ら訪れることができ、
そして、そこで知ったことを、私たちの提供するメディアで発表することができます。
さまざまな問題を知り、そして、それを発信できる場ができたことにより、
社会問題に対するアクションを起こすことはより簡単になりました。
リディラバでは、これからも、もっと気軽に、社会に存在する課題に
「情報を知ることができ」 「現場に訪れることができ」 「解決方法を考えられる」
環境をつくり、社会問題に対して興味を持ってもらえる社会を実現します。
メディアで報道される社会的な課題を含む情報は、わずかなものであろう。
日頃感じている社会的な矛盾や課題を自分なりにアプローチしていく事は、
我々自身のためでもある。
さらに、リディラバが運営している投稿サイトにTRAPRO(トラプロ)がある。
その中から、過去の社会事情について、
「1980年代の新聞を読むと意外とおもしろい。ここでは1980年代の新聞
記事を引用して紹介していきます。
ー働き過ぎ・遊び過ぎ ? 睡眠不足増えるー
日本人は宵っぱりで、成人の3人に1人が睡眠不足。
NHKの世論調査部が昭和35年から5年に1回実施している「国民生活時間調査」
の昭和60年度の調査結果が、2月28日まとまった。
それによると、夜ふかしをする人が前回調査より増え、平均睡眠時間は平日で前回
より9分短い7時間43分とのこと。
(読売新聞:1986年3月1日)
【意見・感想】
7時間43分と聞くとたくさん寝てるという印象を感じてしまいます。
実際、2010年のNHKの調査では平均睡眠時間は7時間14分となっており、
25年でさらに30分近く短くなっているそうです。
昨今では短眠法が注目されたりと睡眠時間を削ってやりたいことをやるという
志向が増えていたり、睡眠は習慣であり長短は関係ないという意見もあったり
しますが、この短眠傾向が良からぬ結果を招くのではないかと懸念しています。
ー親子の同居志向強まるー
親子は、同居か、同居しない場合も近くに住みたいと考える人が親子とも
約8割を占め、しかも子の若い世代ほどそう望んでいることが、3月29日、
経済企画庁がまとめた「長寿社会へ向けての生活選択」調査で明らかになった。
(読売新聞・朝日新聞:1986年3月21日)
【意見・感想】
1986年に同居志向が強まっていたというのは驚きである。
しかし現実には、1986年以降三世代世帯は減少傾向にある。
(参考:年々増える核家族と一人身世帯…種類別世帯数の推移をグラフ化してみる
http://www.garbagenews.net/archives/1344618.html)
2012年現在、同居志向の人はどれくらいいるのだろうか。
ー新人類は”フリーアルバイター”志向ー
フリーアルバイターということばをよく見かけるようになった。学校を
卒業しても会社に入らなかったり、入ってもすぐに退社して、アルバイトで
生活している若者たちが、自分たちのことをそう呼び出したのが始まりらしい。
(読売新聞:1987年11月7日)
【意見・感想】
フリーター(=フリーアルバイター)という言葉は20年ですっかり定着しましたね。
この時代は自己選択でフリーターを選ぶことが多かったらしく、現代においてもその印
象でフリーターも捉えられてしまっている部分はあるのではないかと思います。
ー生活に満足68%。総理府世論調査ー
生活への「満足度」「充実度」「中流意識」のすべてで、女性が男性を上回って
いることが、総理府が11月2日発表した「国民生活に関する世論調査」で分かった。
(読売新聞・東京新聞:1987年11月3日)
【意見・感想】
タイトルを見ると、当時の生活満足度の高さがうかがえる。
(別団体調査になるが、2007年の調査では満足度は46.2%となっている。
http://www.research.nttnavi.co.jp/304z/701koufuku.html)
ー生きがい新旧格差ー
20歳代の社員ほど、家族を犠牲にして仕事に打ち込むことに否定的であり、
生きがいを仕事以外に求める人が3分の1を占めている。
日本能率協会が11月24日発表した「生活意識多様化調査」で20歳代と
40歳代の「新・旧対比」がはっきりした。
(朝日新聞:1987年11月25日)
【意見・感想】
1987年の20歳代というと、2012年現在40歳代だと思うが、実感値
として家族を犠牲にして仕事に打ち込む40代が多い印象を受ける。
それは立場によるものもあるかもしれないが、例えば「残業後に会社チーム
で飲み会に行く」「会社のゴルフ大会に精を出す」など、生きがいを仕事
に求める人が多いのではないだろうか。
近年取られるアンケートでも20代の仕事離れが進んでいるという話題
がたびたび取り上げられるが、20年後には立派に仕事人間になっていると
思うので、あまり問題視する必要性はないのかもしれない。
約30年前の社会事情だが、現状はどのように変わっているのだろうか?
温故知新と言うように、古き時代から現在とそして未来を見直すのも、
自分にとっても中々に参考となるのでは。
未来についてでは、
PEST分析と言う手法で将来の「25のきざし」についてまとめた
サイトがある。
<a href="http://www.hitachi.co.jp/rd/design/25future/">http://www.hitachi.co.jp/rd/design/25future/</a>
「25のきざし」は、PEST(P:政治/E:経済/S:社会/T:技術)の視点
で2005年から2030年までに起こり得るであろう事象を分析し、
未来洞察を行ったもの。
さらにその過程の中で、社会システムの要件を生活者視点で捉えなおし、
あるべき将来像の仮説“ビジョン”を描出している。
混沌の時代、情熱を傾けられ、自身が最大限に活きるリソースを見つけ
なければならない。
そして次に、自身のリソースを、どのように社会に貢献し、価値を提供
できるかを考え、それに沿って、自らを積極的にデザインする。
そうすることによって現状に安住することなく、常に変化する環境に
あわせて新たな課題を持ち、主体的に活動することが出来るのでは
ないだろうか。
「昨今の不安な世情、「文明の衝突」他から思う」
昨今のイスラム原理主義を中心としたテロの頻繁な発生や中国の海洋進出に
伴う周辺国との小競り合い、EU内での分裂的な動き、などを垣間見ていると
ふと、久しぶりに「文明の衝突」を手にしたくなった。
この本は、サミュエル・P・ハンチントンが1993年に出した。
ハンチントンは、トインビーを参照しながら文明を以下のように分け、その間に
起こる争いが世界の今後を決定していくと言う。
すなわち、冷戦の終結に伴い、従来のイデオロギーの争いや経済上の争いに
代わり、文明の対立が主要な要因になっていく。
今後の世界は、西洋文明(ヨーロッパ文明と北米文明という二つ
の下位文明によって形成されているとされる)、儒教文明(中華文明)、
日本文明、イスラム文明、ヒンズー文明、スラブ文明、ラテンアメリカ文明
という7つ、あるいは,それにアフリカ文明を加えて8つの主要な文明の関係
によって規定されてゆく。
各国は、次第に、文明ごとの地域経済ブロックを形成してゆく。
① 西洋文明(アメリカ+西欧+オーストラリア)
② イスラム文明(中東+北アフリカ)
③ 中華文明
④ 日本文明
⑤ インド文明
⑥ ラテンアメリカ文明(西洋文明と近い)
⑦スラブ文明
⑧ アフリカ文明
そして、冷戦後世界にとって脅威となるのは、人口を急激に増加させながら、過激な
イスラーム原理主義を信奉するイスラーム文明と、経済成長著しい中国中華文明で
あり、アメリカはこの二つの文明に対抗するために、分裂傾向のアメリカとヨーロッパ
関係を一層強化し、日本文明などと結ぶ必要があると考えた。
そして、今後の戦争は文明の断層(フォルトライン)で起きるだろうとし、たとえ
文明間の小競り合いであっても中級国、大国が文明の観点から参戦することを余儀
なくされ、アメリカと中国の争いまでも言及している。
今後の世界は、「西洋対非西洋」、西洋の力と価値観に対する非西洋の反応を軸とし
て展開し、紛争の中核は、西洋対イスラム、儒教諸国との間で起こるという。
90年代は、西洋文明がその強さを謳歌していた時代であり、西洋の軍事力は比類
なき力を備え、経済面でも西洋諸国に挑戦できる国家は存しないと思われていた。
発表当初は様々な議論を生み、かなりの批判されているにもかかわらず、最近の
ハンチントンの提起が、本来の戦略論の意図を超え、参照され続けているのは、
冷戦後の世界においての「文明の衝突」というパラダイムの変更の提起がある種の
現実性を帯びてきているからであろう。それが、冒頭の最近の動きであり、特に
象徴するのがイスラム過激派による「西洋文明」への挑戦と中国の世界覇権
への動きであろう。
ハンチントンは、短期的に欧米諸国は、ヨーロッパと北米間の協調と統合を促進し、
西洋文明に近いところに位置する東ヨーロッパやラテンアメリカを西洋社会に
組み込んでいくべきと言う。さらに、ロシアや日本との協調関係を維持し、儒教、
イスラム国家の軍備拡大を抑制し、西洋の軍事力削減のペースを緩慢なものとする
ことが必要と言う。長期的には、非西洋文明諸国は近代化を実現したいと考えて
いるが、経済、軍事力が西洋的なものであり、その近代化を進めれば進めるほど
彼らに対する西洋の影響は増大してゆくこととなり、西洋諸国は非西洋諸国との
融合を心がけていかなければならず、西洋諸国は、他の文明に対して自らの利益を
確保するのに必要とされる経済、軍事力を今後も維持してゆく必要がある。
さらには、西洋文明はその絶頂期にあるが、そうであるがゆえに非西洋諸国に
おいては、自らの文明への回帰運動が起きている。西洋文明は、自らを
「どのような人間にもあてはまる普遍的な文明である」と考えたがるが、
普遍的な文明という考え方そのものが西洋的な思考であり、実際には、個人主義、
自由主義、立憲主義、人権、平等、自由、法の支配、民主主義、政教の分離と
いった西洋の概念が他の文明圏で広く受け入れられているわけではない。
西洋がこうした概念を広めようと努力すれば、多くの国は、反発を起こし、
固有な文化への認識の強化を高めるだけである。そのため、今後当面の間、
普遍的な文明は登場せず、むしろ多様な文明によって世界は規定されてゆく。
われわれに必要なのは、彼らと共存するすべをともに学ぶことである、
と考えている。
これ読んでいるとその発表後20年の世界の歩みと照らし合わせて見ても、色々と
考えさせられ、中々に興味を誘われる。
多分、この本を戦略論的な提起として読まむべきものであって、これを文明論××
として読むと過去に起きた多くの指摘に戸惑いを感じるであろう。
例えば、ヨーロッパとスラブは同じキリスト教なのにどうして別の文明にされている
のかとか日本はどうして儒教文明に入らないのかとか様々な疑問が出てくる。むしろ、
ハンチントンの想いが浮かれている西洋諸国(特にアメリカ)への警鐘と思えば、割合
すっきりと読めるのでは。
更に言えば、2000年初頭から拡大し始めたインターネットの影響を抜きにしては
これからの変化を正しく見ることは出来ない。それを概括的に見る点では、
「フラットな世界」は中々に面白い。
1990年代後半からのインターネットの進化を踏まえて、トーマス・フリードマン
が2005年に発刊している。そしてこの世界は更に深化している。
グローバリゼーションが広まり、世界がフラット化しつつある要素には、次の
10項目があると言っている。
①ベルリンの壁の崩壊とウィンドウズ
1990年のウィンドウズ3・0でアップル・IBM・ウィンドウ
ズ革命がおこった。「これで文字・音楽・数字データ・地図・写真・音声・映像が
すべてデジタル表示できるようになった。そのうち誰もがたいした費用をかけずに
デジタル・コンテンツを作り出すことになる。
②インターネットの普及と接続の自由
世界は本気でフラット化に向かった。
③ワークフロー・ソフトウェアと共同作業の実現
ここに「標準化」(スタンダード)という共有を求める価値観が生まれた。
④アップローディングとコミュニティ現出
アップローディングのしくみは、コミュニティを創りだし、「リナックス」
「ブログ」「ウィキペディア」「ポッドキャスティング」「ユーチューブ」
などが輩出した。
⑤アウトソーシングによる技術転移
フラット化された世界の技術はアウトソーシングの先に新たな技術と市場を
つくっていく。
⑥オフショアリングがおこった
⑦サプライチェーンが一変する
フラットな世界ではサプライチェーンが競争力と利益の根幹になっていくことを劇的に
示した企業が出てきた。
⑧インソーシングで世界が同期化する
⑨グーグルによるインフォーミング
グーグルが世界の知識を平等化した。
そこにはグーゴル(10の100乗)な数の人間がかかわれるようになった。
グーグルは、アップローディング、アウトソーシング、インソーシング、
サプライチェーン、オフショアリングのすべての個人化を可能にした。
これによって、「自分で自分に情報を教える」というインフォーミング
が可能になった。これにより、世界はますますフラット化する。
グーグルは更に先の変化に対応しようとしている。
⑩情報のステロイドホルモン化
「デジタル」と「ワイヤレス」と「モバイル」と「ヴァーチャル」と
「パーソナル」が掛け算されると、強力な情報のステロイドホルモン化がおこる。
更に、これらの要素を最適な形で有効に活用するには、以下の3つの集束
が必要となる。
1)グローバルなプラットホームが形成され、共同作業が可能となる。
これらを上手くこなす仕組み、
フラットな世界への接続可能なインフラ、
プラットホームを活用できる教育体制、
プラットホームの利点欠点を活かせる統治体制、
を構築できた国が先進的な活動と富、権力を得ることが出来る。
2)水平化を推進する力
水平な共同作業や価値創出のプロセスに慣れている多様な人材が必要である。
3)新たなるメンバーの参加
中国やロシアなど政治、経済などの壁により、参加できなかった30億人
以上のメンバーの参加が可能となった。
面白いのは、これらが実行されることにより、世界レベルでの変革となるが、
その基本は、「共産党宣言」に指摘されていることである。
「昔ながらの古めかしい固定観念や意見を拠り所にしている一定不変の凍り
ついた関係は一掃され、新たに形作られる物もすべて固まる前に時代遅れになる。
固体は溶けて消滅し、神聖は汚され、人間はついに、人生や他者との関係の実相
を、理性的な五感で受け止めざるを得なくなる。、、、、、そうした産業を駆逐
した新しい産業の導入が、全ての文明国の死活を左右する。、、、、、、、
どの国もブルジョアの生産方式に合わさざるを得ない。一言で言うなら、
ブルジョアは、世界を自分の姿そのままに作り変える。」
フリードマンの指摘は更に深化して社会、政治、経済まで大きく変わりつつある。
その深化する速度も年々加速化しているようにも思える。
これにハンチントンの想いを照らし合わせてみると、この道には素人である私にも、
面白く見えてくるのでは、そんな思いがする。
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