2016年3月30日水曜日

日本の民俗、芳賀日出男

誰しもある時ふと、「もし生まれ変わることが出来たら、、」とかなわぬ
思いを抱くことがある。現代人ばかりでなく、死からの再生は神話の時代から
永遠の人類の願いであった。冬至の太陽も、夜空の月も、稲の一粒の種まで
も自然はよみがえるではないか。人生儀礼にも、よみがえりの願望の中から
生まれてきた行事や祭が少なくない。
満60歳を迎えた者は生まれたときの干支に再びめぐりあうので還暦と言う。
60歳の定年を迎えた人が「第二の人生」の旅立ちと言われるのもそこに
人生のよみがえりの想いがうかがわれる。稲作民俗は毎年一粒の種籾から
芽生える稲によみがえりを感じてきた。人もまた祭りや郷土芸能の中で
よみがえるのだ。愛知県の豊根村では、大神楽を復活させた。その中の
「浄土入りから生まれ清まり」までは、まさに死から生へのよみがえりの
行事である。福島県東和町では、二十歳までの若者が権立と呼ばれる
木の幹を削ったものを担いで山の岩の割れ目に飛び込みそこをくぐり
抜ける、母親の胎内くぐりの儀礼がある。また、郷土芸能には、それを
苦難のすえに祭りの日に成し遂げることで強い成人に生まれ変わる、ような
意味合いがあった。更に、我々は民俗宗教として人生儀礼を人生の中に
取り入れている。結婚式は神社で行い、お寺で仏式の葬式をする人が
ほとんどである。また、正月は初詣で始まり、四季それぞれに祭りや様々な
行事がある。その根底には、自然にも神が宿り、死後も霊魂となり、
先祖の守護を行うと信じ、それらのための儀式を営む。正月には神棚を
整え、盆には盆だなをこしらえ、先祖の霊を招き、送り火や燈籠流しで
先祖を再び送り返す。祭りを行うときには、聖なる場所を清め、五穀、餅、
神酒、塩、野菜、魚などで、神の降臨を待つ。祭主の祝詞により神は
祭りの挨拶を受け、願いを聞く。そして神は人々に生きるエネルギーを
与える。それは神と人の共食いであり、芸能である。
我々の生活はケの日常が続くと、活力が失せ、怠惰になる。非日常のハレ
の機会の祭日に神と交歓し、活力を得て、日常生活に戻るのである。

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