2016年3月27日日曜日

名こそ惜しけれ

司馬遼太郎が、日本人の心の原点は、坂東武士の土着の倫理
「名こそ惜しけれ」という。
これに共感する気持ちは高い。さらに、和辻哲郎の日本倫理思想史でも、
それは明確に言われている。
「武士的社会と呼んでよいような特殊な社会が形成せられたのは、班田制度の衰退、
荘園の勃興と密接に連関した、数世紀にわたる事件である」。

新田開墾の活発化により荘園として各地に私有する土地が増えて行った。
これにより、その私領を守るための新たな武士という勢力が発達していく。
これを組織的にまとめて行ったのが、坂東武士の長となる鎌倉幕府であった。
幕府の基本は、武将と家人の主従関係をより強め、それを全国的な規模へと
広げたことにある。このように武士的社会と呼んでよいような特殊な社会が
形成せられたのは、班田制度の衰退、荘園の勃興と密接に連関した、数世紀
にわたる事件である。その過程の中で、「坂東武士の習」と呼ばれる「主に
対する献身を核とする強力な主従関係」が構築されていった。
「武者の習」は、眼中に国家なく家族なく、ただ主従関係においてのみ献身を
要求する道徳である。
例えば、大場と北条氏の武士の忠義についての口論では、
「しかるに北条はこれを反駁していった。

欲は身を失うと言えり。まさなき大場が詞哉。
一旦の恩に耽りて重代の主を捨てんとや。
弓矢取身は言ば一つもたやすからず。
生ても死ても名こそ惜けれ。

この北条の言葉に、敵も味方も「道理」を認めて、一度にどっと笑ったという。
討論は大場の負けになったのである。もとよりこの描写は作者の責任に属する
ものであって、歴史的な真偽は保障の限りでないが、しかし少なくとも
作者にとっては、恩を領地の給与と同視することは、単なる「欲」に
過ぎなかった。当時の武士たちの常識は、かかる考え方を恥ずべきものとした。
重代の主君は、領地の給与という如き「一旦の恩」を超えて献身を要求しうる
権威なのである。そうなると、主君の恩はその実質を離れても存続する
ものになる。主従関係は領地関係を離れても存続しうる。恩賞は主君の
家人に対する「情」の表現であって、家人の献身的奉仕に対する代償なのではない。
恩賞を与えることのできなくなった主君でも、家人を「たのむ」という信頼の
態度においてその情を持ち続けた。この情に対応するのが家人の献身の情
であった。だから献身の情は「欲」を離れている。主君のための自己放擲が、
それ自身において貴いと感ぜられたのである。

以上の如くわれわれは、「武士の習」の核心が無我の実現にあることを
主張する。無我の実現であったからこそ、武士たちは、そこに「永代の面目」
という如き深い価値観を持つことが出来たのである。
武士たちはみづからの生活の中からこの自覚に達したのであった。
武士の習の中核が無我の実現に存するとすれば、武士に期待される行為の
仕方が一般に自己放擲の精神によって貫かれていることは当然であろう。
この精神に仏教との結びつきによって一層強められたと思われる。
「武士というものは僧などの仏の戒を守るなる如くに有るが本にて有べき也」
という頼朝の言葉は、端的にこの事態を言い表している。、、、、、

してみれば武士たちは、その主君に忠実でありさえすれば他の所行はいかに
乱暴でもよい、というわけではなかった。自己放擲の覚悟が常住坐臥に現れて
いなくてはならなかった。武士の行為の仕方として、武勇、信義、礼節、
廉恥、質素、などが重んじられて来たのは、その故であろう。、、、
武士の習は、武士階級が政権を握るにしたがって、法的にも表現せられている。
御成敗式目あるいは貞永式目がそれである。
もっともこの式目は、武士の主従関係そのものを法的に表現したものではない。
主従関係はもともと情誼社会的な関係として成立したものであって、法律的
関係ではなかった。式目は第一に、幕府がその家人を統制し、武士の間の
秩序を保つために、最小限度の違法行為とその刑罰を規定しているのであって、
家人の行為の仕方を全般的に規定しているのではない。第二にそれは「御成敗」
の式目という名が示しているように、裁判の規準を与えた法典である。
制定の目的は裁判の公平を期するにあった」。

更には、以下のようなことも注目される。
「この時代の倫理思想を示す著作としては、なお「十訓抄」を顧みて置かなくては
ならない。この書は、今昔物語、宇治拾遺物語の系統をひく説話集であって、
同じ流れの古今著聞集とはほぼ製作時期をおなじくするものであるが、しかし
他の著作と著しく異なっている点は、明らかに教訓を標榜し、少年のための
修身書たろうとしていることである。尤もこの傾向は本来存してはいた。
十箇条の教訓を掲げて数多くの説話を分類集録したものである。、、、、、
十訓の第一は、「可施人恵事」と題されている。人恵は仁恵の意味であるから、
人間の行為の最も根本的な仕方だといってよかろう。そう見れば、「人恵を
施すべきこと」が、「心ばせ振舞を定べし」と言い換えられている所以も
理解することが出来る。
、、、、、、
十訓の第二、「可離驕慢事」、第三、「不侮人倫事」、第四、「可誡人上事」
などがそれである。作者は驕慢の意義を説明して、おのれを高く評価し他の
人を見下すこと、おのれの考を最も好しとして他を用いぬこと、おのれの主人
妻子を最上と思うこと、その他、尚古癖、通人癖などをあげている。
それは一言でいえば自負心のことであろう。これを離れなくては仁を行うこと
が出来ないのみか、次々に他の悪徳を引き寄せてくる。まず問題になるのは、
人倫、即ち仲間の人々に対する侮蔑である。心に侮蔑があれば、「いふまじき
言をもいひ、すさまじきわざをもふるまう」に至り、逆に人から嫌われ軽しめ
られるであろう。だから侮蔑心を固く警戒し、人倫を尊ぶ謙遜な心持にならなくては
ならない」。

武士階級が力を持つに従い、これらの倫理的な考え方は、広く民衆も含め、
広がっていったのではないだろうか。これが、我々にも基本的な心根として、
今も受け継がれているように思う。

戦国時代にも以下のような道徳的な教えは広く伝わってきた。
・早雲寺殿二一箇条 これは法律というより道徳訓である。
・朝倉敏景一七箇条
・甲陽軍鑑 信玄家法などからなる法律的規定である。
などの事例もあるようだ。
更には、これらの流れの執着として、徳川家康の儒教の奨励がある。
元は、武士の生業について定められたのでろうが、彼らの行動や日常のつながりから
一般民衆まで、その心根は影響していったのでは、と思う。
その証がいまでも、我々にはなぜか親しみをもってこの言葉が心に刺さるのでは
ないのだろうか。

その証左の1つとして、
「士道の考えが優勢になったといっても、それは主として知識層の間でのこと
であって、広範な層に染み込んでいる献身の道徳の伝統を打破し去ることは
できなかった。
この伝統は義経記、曽我物語において活発に生き続けさらに舞本や浄瑠璃など
を通じて一般の民衆にも染み込んで行った。そうしてそれらはそのままに江戸
時代に流れ込み武士の間にも、民衆の間にも、きわめて優勢な思想として
残っていたのである。
だから献身の道徳としての武士の道が、江戸時代初期における常識となっていた
ことは、否定しがたい事実である。、、、、、、、
家康の文化政策によって振興された儒学でさえ、主として民間で発達したものである。
1つの時代の意識形態は支配階級によって作り出される、という命題は、ここに
通用しない」とある。

しかしながら、千年以上の時間経過はその変遷を強く迫ってもいる。
「日本の200年」でゴードン氏は、以下のように言っている。
「戦後の復興から予想だにしなかった豊かさに至るこの歴史は、軌跡と模範の
物語だったのか、脅威的なグローバルな怪物の登場の物語だったのか、それとも
徳の喪失と伝統的価値観の風化に関する悲話だったのか。これらの見方
すべてが、日本国内で、そして世界中で表明された。そのすべての見方の背後に
横たわっているのは、日本を、非常に違った、さらには独特な違いを持った場所と
みなす、誤った考え方である。日本が味わってきた様々な経験は、たしかに
興味深いがさほど例外的ではない、ととらえるべきであろう。日本の経験は
近代性と豊かさとの取組みという、ますますグローバル化しつつあるテーマの、
他とはちょっと趣を異にする一つの具体的な表われだったのである」。
彼は、ここで「徳の喪失と伝統的価値観の風化に関する悲話」と言っているが、
我々が、「名こそ惜しけれ」と言われたときの想いがそれぞれに共感を与える
のは、まだまだ心根として生きているのである。

例えば、日本人の心根が上手く調和しながら、より未来へと引き継流れていく
事の事例には、西村茂樹の書いた「日本道徳論」についての一節を見るとなんとなく
理解できるのではないだろうか。
「その第1段には、「道徳学は現今日本において何ほど大切なる者なるか」と題し、
維新後の日本における道徳的標準の亡失を論じている。江戸時代の日本は儒道を
道徳の標準としていたが、維新の際これを廃棄し、代わりに神儒混淆の教えを
立てようとしたが、いずれも現今の「人智開達の度」に伴いうるものではない。
これが道徳論を書かせたという。
道徳学実施の仕組みとその条目の大意は、全く西洋哲学の法に従うべきとしている。
そのため、具体的な実施のための協会設立を提唱し、5つの具体的な事業を考えた。
第1は、「亡論を破す」であり、第2は「旧俗を矯正す」であり様々な悪習を
正すこと、第3は「防護の法を立つ」、第4は「善事を励む」、第5は「国民の
品性を作る」とし、町村における相互扶助の組織から、一身、家族、社会、
国民の立場における様々な道徳的心がけに至るまで継続的な努力を続けた。
儒教と西洋哲学との精粋をとり、両者の一致するところに道徳学の基礎を求めた
活動は成果を上げた。

教育勅語はこれら多くの人の活動を基盤として発布されたが、道徳のことに関して、
何か非常に権威ある教えへ、自由に批議するすることのできない教えとして、
国民に与えられた。こういう勅語を出しうる天皇は、憲法の規定した国の元首
としての天皇ではなく、国民の尊崇の対象としての天皇ではなくてはならない。
これは国民の全体性の表現者としての天皇であって、神話の時代には「日の御子」
として表象された。その伝統が、はるかに開花した後代においても、なお
感情の上に活きているのである。
勅語の第1段においては水戸学風の国体の考を掲げ、第2段において当時の
道徳的常識を反映した教えを説き、第3段においてこの教えが日本の伝統に
合するとともに普遍的に通用しうることを主張したものである」。

武士社会が土地の私有という大きな変革を転機として徐々にその新しい
倫理観を育んで行ったという過程を見ると、今世界的に起こっているフラット化
という変化が日本人の倫理観をも変革していくのではないか、という危惧が
生まれる。
1つ面白く思えるのは、今物的面で起こっている世界レベルでの変革が、
その基本は、1848年の「共産党宣言」に指摘されていることである。
因みに、この時期、日本は江戸時代末期であり、20年後には明治になる。
ヨーロッパを中心に革命や社会変化が急激になっていたが、日本はまだ、
長く続いた武士の社会であった。

「昔ながらの古めかしい固定観念や意見を拠り所にしている一定不変の凍り
ついた関係は一掃され、新たに形作られる物もすべて固まる前に時代遅れになる。
固体は溶けて消滅し、神聖は汚され、人間はついに、人生や他者との関係の実相
を、理性的な五感で受け止めざるを得なくなる。生産物を売るための市場を絶えず
拡大する必要性に迫られて、ブルジョアは地球上をせわしなく駆け巡る。あらゆる
場所で家庭を作り、定住し、つながりを結ぶ。ブルジョアの世界市場開拓によって、
生産物と各国での消費には、全世界共通の特徴が備わる。反動主義者は無念
だろうが、それは、産業の拠って立つ国家の基盤から生じたものである。
古くから確立していたその国に固有の産業は、とうに滅ぼされたか、あるいは
徐々に滅ぼされようとしている。

そうした産業を駆逐した新しい産業の導入が、すべての文明国の死活を左右する。
新しい産業では、国産の原料ではなく、遠隔地の原料を加工する。生産物は国内で
消費されるのではなく、地球のあらゆる場所で消費される。昔は様々な欲求を
国内生産だけで充たしていたが、いまは遠い国や地方の生産物によって欲求を
満たすことが求められる。かっては地方や国が閉じこもって自給自足していたが、
いまはあらゆる方面と交流し、世界各国が相互に依存している。物質ばかりでなく
知的生産物の面でも同じである。1つの国の知的創造が、共通の財産になる。
国家が偏向したり、狭い考えを持つことは、いよいよ難しくなり、無数の国や
地方の文芸から、1つの世界文芸が生まれる。

生産のためのあらゆる道具が急速に改良され、交通手段が飛躍的に便利になると、
ブルジョアはきわめて未開に近い国までひっくるめて、あらゆる国を文明社会
に取り込もうとする。商品価格の安さは、万里の長城をも打ち壊すことのできる
巨大な大砲に匹敵する威力がある。外国人を毛嫌いしている非文明人
すら降伏するだろう。絶滅を避けようとするなら、どの国もブルジョアの
生産方式に合わさざるを得ない。一言で言うなら、ブルジョアは、世界を
自分の姿そのままに作り変える。」

さらに、この宣言では「ブルジョワジは、人口、生産手段、財産の分散した
状態をだんだん廃止していきます。人口を密集させ、生産手段を集中し、
財産を少数の手に集めてしまいました。このことの必然的結果は政治的
中央集権でした。ばらばらの利害、法律、政府、課税制度をもつ独立した、
ないしゆるく結び付いた地方は、集まって一つの政府、一つの法体系、
一つの国民的階級利害、一つの国境、一つの関税をもつ一つの国民
となったのです」
というように、フラット化が進むことにより、世界が全くの1つになる、
という姿も暗示しているのではなかろうか。それはこの日本人の持つ
「名こそ惜しけれ」という心根も変えていくのでは、そんな不安が
ふつふつと湧いてくる。

しかし、その一方である研究所が30000人を対象にした日本人の価値観の
調査の中で、「伝統」という因子分析では、
・人を立てる控えめな態度や精神性が大事だ
・いつも他人に礼儀正しく接するべきだ
・誰も見ていないときも、いつもルールに従うべきだ
・これまでの慣習に従うことが大事だ
という結果を得ているという。まだ「名こそ惜しけれ」の価値観、倫理観は
生きている、そんな思いも持っている。

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