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日本一の猫好き作家だった大仏次郎
2013/02/18 19:53:59
横浜市英町に生まれた大仏次郎、生地に近い港の見える丘公園に大仏次郎記念館が
あり、行ってまいりました。
坂を登り、フランス山の風車を見て更に進むと、港の見える丘公園です。
その一角に大仏次郎記念館があり、煉瓦色の外観とアーチが、クラシックな雰囲気を漂
わせています。
まず目に付いたのは、「私の一代の傑作」と述べている「スイッチョねこ」の絵本です
。ウマオイを食べてしまった子猫の面白いお話しでした。
また「猫のいる日々」は大正12年から昭和47年までに猫に関して新聞や雑誌に投稿され
た作者のエッセイが60編余り収められています。生涯に500匹以上のネコを飼ったそう
ですから、並の猫好きではありません。最初は猫嫌いだった夫人も、猫の世話をするう
ち、大仏氏以上の猫好きになってしまったそうです。
猫好きを知って、人が家に猫を捨てていき、ふえて困った大仏次郎は15匹を超えぬよ
うにすると決め、あるとき言い渡します。
<「猫が十五匹以上になったら、おれはこの家を猫にゆずって、別居する」>
ところが、ある日<念のために数えてみたら十六匹いたことがあったので、女房を呼び
出した。「おい、一匹多いぞ。おれは家を出るぞ」と言ったら、「それはお客様です。
御飯を食べたら、帰ることになっています。」>
大仏家では猫は一列に並んで行儀良く食事をしていたようです。
本棚にも猫の置物が飾られていました。
展示されていた猫の置物のコレクションの一部です。
いつも猫と猫の置物に囲まれて創作していた大仏次郎、彼以上の猫好き作家はいなかっ
たのではないでしょうか。
猫をテーマとしているが、その時代の情勢も含め、幅広い情景が
上手く描かれている。
自身の文書力を高めるために、有効な毎日数ページの中から、
1フレーズ記録していく。
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(黒猫の説明)
彼は、純粋な黒猫である。微かに午を過ぎたる太陽は、透明なる光線を
彼の皮膚の上に投げかけて、きらきらする柔毛の間より目に見えぬ炎でも
燃え出ずる様に思えた。彼は猫中の大王とも言うべきほどの偉大なる体格を
有している。吾輩の倍は確かにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇心の心に
前後を忘れて彼の前に佇立して余念もなく眺めていると、静かなる小春の風が
杉垣の上から梧桐の枝を軽く誘ってバラバラと二、三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。
大王はくわとその真丸の目を開いた。今でも、記憶している。その目は、
人間の珍重する琥珀と言うものよりも遥かに美しく輝いていた。彼は身動き
もしない。双眸の奥から射るごとき光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて、
おめえは、一体何だと言った、大王にしては少々言葉が卑しいと思ったが、
何しろその声の底に犬も挫しぐべき力が凝っているので吾輩は少なからず
恐れを抱いた。ただし、挨拶をしないと剣呑だと思ったから「吾輩は猫である
名前はまだない」
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(猫は夫々違うものとの説明)
元来人間が何ぞと言うと猫猫と、こともなげに軽侮の口調をもって吾輩を
評価する癖があるは甚だよくない。人間の糟から牛と馬が出来て、牛と馬の
糞から猫が製造された如く考えるのは、自分の無知に心付かんで高慢な
顔をする教師などには有り勝ちな事でもあろうが、はたから見て余りみっとも
いいものじゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便に出来ぬ。よそ目には、
一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、
猫社会に這入ってみると中々複雑なもので十人十色という人間の言葉は
そのままに応用ができるのである。
目付きでも、鼻付きでも、毛並みでも、足並みでも、皆違う。鬚の貼り具合
から耳のたち按配、しっぽの垂れ加減に至るまで同じものは1つもない。
器量、不器量、好き嫌い粋無粋の数を尽くして千差万別と言っても
差し支えない位である。そのように判然たる区別が存しているにも
関わらず、人間の目は、只向上とか何とかいって、空ばかり見ている
ものだから、吾等の性質は無論相貌の末を識別する事すら出来きぬのは
気の毒だ。
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(人間の心理を書く)
人間の心理ほど解し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、
浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰労を求めつつあるのか、
ちっとも分からない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交じりたいのか、
下らぬことに癇癪をおこしているのか、物外に超然としているだかさっぱり
見当が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ
寝る。怒る時は一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などと言う
無用なものは決してつけない。、、、、吾等猫続に至ると行住坐臥、行し送尿
悉く真正の日記であるから別段そんな面倒な手数をして、己の真面目を保存する
には及ばぬと思う。、、、、
人間の日記の本色はこういう辺に存するかも知れない。
先達ては、朝飯を廃すると胃がよくなると言うたから止めてみたが、、、、、
これからは毎晩二三杯づつ飲むことにしよう。
これも決して長く続くことはあるまい。主人の心は吾輩の目玉のように間断なく
変化している。何をやっても永続のしない男である。その上日記の上で胃病を
こんなに心配している癖に、表向きは大いに痩せ我慢するから可笑しい。
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(猫の醜態が詳細に書かれている)
今朝見たとおりの餅が、今朝見たとおりの色で椀のそこに膠着している。
白状するが、もちと言うものはいままで一片も口に入れた事はない。見ると
うまそうでにもあるし、また少し気味が悪くもある。前足で上にかかっている
菜っ葉を掻き寄せる。爪をみると餅の上皮が引きかかってねばねばする。
嗅いで見ると釜の底の飯を御鉢へ移す時のような匂いがする。
食べようか止めようかな、とあたりを見回す。、、、、、
もう一片噛み直そうとすると動きが取れない。餅は魔物だなと感付いた時には
遅かった。沼にでも落ちた人が足を抜こうと焦る度にぶくぶく沈むように
噛めば噛むほど口が重くなる。歯が動かなくなる。、、、、、、
そんな呪いで魔は落ちない。辛抱が肝心だと思って左右代わる代わるに
動かしてみたが、やはり依然として歯は餅の中にぶら下がっている。ええ
面倒だと両足一度に使う。すると、不思議なことにこのときだけは後足
2本で立つことが出来た。なんだか猫でないような感じがする。、、、、
台所中あちらこちらと飛んで廻る。我ながら良くこんな器用に立っていられる
物だと思う。第3の真理がばくちに現前する。
危うき臨めば平常なしあたわざるところのものを為し能う。これを天佑という」
幸い天佑を受けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、なんだか足音がして
来るような気配である。、、、、、、
吾輩が「凡ての安楽は困苦を通過せざるべからず」という真理を経験して、
けろけろとあたりを見回した時には、家人はすでに奥座敷に這入ってしまっておった。
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(三毛猫の説明)
三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。吾輩は猫には相違ないがものの情けは
ひと通り心得ている。うちで主人の苦い顔を見たり、御さんの剣突を食って気分が
すぐれん時には必ずこの異性の朋友の許を訪問して色々な話をする。すると、
いつの間にか心が晴れ晴れして今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生まれ変わった
様な心持になる。女性の影響と言うものは実に莫大なものだ。杉垣の隙間から、
いるかと思い見渡すと、三毛子は正月だから首輪のあたらしいのをして行儀よく縁側に
座っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を
尽くしている。
尻尾の曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振る景色なども
到底形容できん。
ことによく陽の当たる所に暖かそうに、品よく控えているものだから、
身体は静粛端正の態度を有するにも関わらず、ビロウドを欺くほどの滑らかな満身の
毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動する如く思われる。吾輩はしばらく
恍惚として眺めていたが、やがて我に返ると同時に、低い声で「三毛さん三毛さん」
と言いながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と縁を降りる。赤い首輪につけた
鈴がちゃらちゃらと鳴る。
、、、、吾輩も先生と言われて満更悪い心持ちもしないから、はいはいと
返事をしている。
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(他の人からの評価を)
「ええあの表通りの教師のとこにいる薄汚い雄猫でございますよ」
教師と言うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」
「ええ顔を洗う度に鵞鳥が絞め殺されるような声を出す人でござんす」
鵞鳥が絞め殺されるような声は上手い形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で、
嗽をやる時、楊枝で咽喉を突っついて妙な声を無遠慮に出す癖がある。
期限の悪いときにはやけにがあがあやる、機嫌の良い時は元気づいてなおがあがあ
やる。つまり機嫌のいいときも悪いときも休みなく勢いよくがあがあやる。
、、、、、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾輩猫などには到底創造
もつかん。それもまず良いとして「薄汚い猫」とは随分酷評をやるものだと
なお耳を立て後を聞く。
「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつのお陰に相違
ございませんもの、きっと仇をとってやります」
飛んだ冤罪を蒙ったものだ。
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(休養の必要性を説く)
吾輩は又少々休養を要する。主人と多々良君がどんなマネをして、、、
その間は休養せねばならん。
休養は万物のびん天から要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき
義務を有して蠢動するものは、生息の義務を果たすために休養を得ねばならん。
もし神ありて汝は働くために生まれたり寝るために生まれタルに非ずと言わば
吾輩はこれに応えて言わん、吾輩は仰せの如く働くために生まれたり故に働くために
休養を乞うと。主人の如く機械に吹き込んだまでの木強漢ですら、時々は、日曜
以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩如き
者はたとえ猫といえども主人以上に休養を要するは勿論のことである。
只さっき吾輩を目して休養以外に何らの能もない贅物の如くに罵ったのは少々
気がかりである。とかく物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に
何らの活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉らんのは厄介である。
何でも尻でも端折って、汗でも出さないと働いていない様に考えている。
達磨と言う坊さんは足の腐るまで座禅をして済ましていたというが、たとえ
壁の隙間から蔦が這いこんで大師の眼孔を塞ぐまで動かないにしろ、寝ている
んでも死んでいるでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖などと乙な
理屈を考え込んでいる。
儒家にも静座の工夫と言うのがあるそうが。これだって一室の中に閉居して安閑と
イザリの修行をするのではない。脳中の活力は人一倍盛んに燃えている。只外見上は
至極沈静端粛の態であるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠を以って昏睡仮死の
庸人とみなして無用の長物とか穀潰しとか入らざる誹謗の声を立てるのである。
これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生まれついたもので、
しかもかの多々良君の如きは、形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、、、、、
千金の子は堂睡に座せずとの諺もある事なれば、好んで超邁を宗して、徒に吾輩の
身の危険を求むるは単に自己の災いなるのみならず、又大いに天意に背く訳である。
猛虎も動物園に入れば、糞豚の隣に居を占め、鴻雁も鳥屋に生け捕られるれば、
雛鶏(すうけい)と俎板を同じうす。庸人と相互するには以上は下がって庸猫
と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠を捕らざるべからず。吾輩は
とうとう鼠を捕ることと決めた。
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(鼠との格闘場面の詳細な記述)
夜はまだ浅い鼠は中々出そうにない。
吾輩は大戦の前に一と休養を要する。、、、、、、
戸棚の中でことことと音がしだす。小皿のふちを足で押さえて、中を荒らしているらし
い。
ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。中々出てくる景色がない。皿の音は
やがて止んだが今度はどんぶりか何かに掛かったらしい。重い音が時々五と語とする。
しかも戸を隔てて直ぐ向こう側でやっている。、、、、、、、
今度はへっついの影で吾輩のほう貝がことりとなる。敵はこの方面にもきたなと、
そーと忍び足で近寄ると手桶の間から尻尾がちらりと見えたぎり流しの下へ
隠れてしまった。
しばらくすると風呂場でうがい茶碗がカナダライにかちりと当たる。今度は後ろだと
振り向く途端に、五寸近くある大きな奴がひらりと歯磨きの袋を落として縁の下に
駆け込む。逃がすものかと続いて飛び降りたらもう影も姿も見えぬ。、、、、、、
吾輩が風呂場へ戻ると敵は戸棚から駆け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上がり、
台所の真ん中に頑張っていると三方面ともども少しづつ騒ぎ立てる。小癪と言おうか、
卑怯と言おうか到底彼らは君子の敵ではない、吾輩は一五六回はあちら、こちらと
気を使い心を使わして奔走努力してみたが、一度も成功しない。、、、、、、、
戸棚の口から弾丸の如く飛び出したものが避くる間もあらばこそ、風を切って吾輩の
左の耳へ喰いつく。これに続く黒い影は後ろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾
へぶら下がる。瞬く間の出来事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳ね上がる。
満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。耳に食い下がったのは中心を
失ってだらりと吾が横顔に懸かる。
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(主人の評価を長々とやる、これにより、主人の性格が判る)
迷亭が帰ってからそこそこに晩飯を済まして、また書斎へ引き上げた主人は再び
拱手して下のように考え始めた。
「自分が感服して、大いに見習おうとしていた八木君も迷亭の話によると、別段
見習うには及ばない人間のようである。のみならず、彼の唱導するところの説は、
なんだか非常識で、迷亭のいうとおり多少楓天的系統に属してもおりそうだ。
況や彼はれっきとした二人の気狂いの子分を有している。甚だ危険である。、、、、
回気相求め、同類相集まるというから気狂いの説に感服する以上は、少なくとも
その文章言辞に同情を表す以上は、自分もまた気狂いに縁の近いものであるだろう。
脳漿一せきの科学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して
言辞と化する辺には不思議にも中庸を失した点が多い。舌上に竜泉なく、
液下に清風生ぜざるも、歯根に狂臭あり、筋頭に興味あるを奈何せん。、、、、
以上は主人が当夜頚桂なる孤燈の下で沈思熟慮した時の心的作用を有りのままに
描き出したものである。彼の頭脳の不透明なることはここにも著しく現われている。
遂に何らの結論に達せずやめてしまった。何事によらず彼は徹底的に考える
脳力のない男である。彼の結論の茫漠として、彼の鼻腔から放出する朝陽の如く、
補足し難きは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。
吾輩は猫である。猫のくせにどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと
疑うものがあるかもしれないが、この位は猫にとって何でもない。吾輩は
これで読唇術を心得ている。いつ心得たなんて、そんな余計な事は聞かんでいい。
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(吾輩の食事)
吾輩は主人と違って、元来が早起きだから、この時既に空腹になって参った。
到底うちのものさえ膳に向かぬ先から、猫の身分を以って朝飯にありつける
訳のものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙のたった汁のにおい
が鮑貝の中から、うまそうに立ち上がっておりはすまいかと思うと、じっと
していられなくなる。はかないことをはかないと知りながら頼みにするときは、
只その頼みだけを頭の中に描いて、動かずに落ち着いているほうが得策であるが、
さてそうは行かぬもので、心の願いと実際が、合うか合わぬか是非とも試験
したくなる。試験してみれば、必ず失望するに決まっていることですら、最後の
失望を自ら事実の上に受け取るまでは承知できんものである。吾輩は堪らくなって
台所へ這い出した。まずへっついの影にある鮑貝の中をのぞいてみると案に違わず
、夕べ嘗め尽くしたまま、劇然として、怪しき光りが引き窓を洩れる初秋
の日影に輝いている。御三は既に炊き立ての飯を御鉢に移して、今や七輪にかけた
鍋の中をかき混ぜつつある。釜の周辺には沸きあがって流れ出した米の汁がかさかさに
幾筋となくこびりついて、あるものは吉野紙を貼り付けた如くに見える。、、、、、
いくら居候の身分だってひもじいに変わりはない。と考え定めた吾輩はにゅあにゅあと
甘える如く、訴えるが如く、あるいは、また怨ずるが如く泣いてみた。御三は、一向
顧みる景色がない。
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呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこかに悲しい音がする。悟った
様でも独君の足はやはり地面の外は踏まぬ。気楽かもしれないが迷亭君の世の中は
絵に描いた世の中ではない。寒月訓は珠磨りをやめてとうとう御国から奥さんを連れて
きた。
これが順当だ。ただし順当が永く続くと定めし退屈だろう。唐風君も、いま10年
したら、無闇に新体詩を捧げることの非を悟るだろう。三平君に至っては、水に住む人
か、
山に住む人かちと鑑定が難しい。生涯シャンパンをご馳走して得意と思うことが
出来れば、結構だ。鈴木の藤さんはどこまでも転がっていく。転がれば、泥がつく。
泥がついても転がれぬものよりも幅が利く。猫と生まれた人の世に住むことはや
2年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、
先だって、カーナルという見ず知らずの同族が突然大気炎を上げたので、ちょっと
吃驚した。よくよく聞いてみたら、実は百年前に死んだのだが、不図した好奇心
からわざと幽霊になって吾輩を脅かすために遠い冥土から出張したのだそうだ。
この猫は母と対面するとき、挨拶の印として一匹の肴を咥えて出たところ、
途中でとうとう我慢が仕切れなくなって、自分で食べてしまったと言うほどの
不幸者だけあって、才気も中々人間に負けぬほどで、あるときなどは詩を作って
主人を驚かしたこともあるそうだ。
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人間は、服装で持っているのだ。18世紀の頃大英帝国バスの温泉場でボー
ナッシュが厳重な規制を制定した時などは浴場内で男女とも肩から足まで
着物で隠したくらいである。今を去ること60年前これも大英帝国のさる都で
図案学校を設立したことがある。図案学校のことであるから、裸体画、裸体像
の模写、模型を買い込んで、此処彼処に陳列したのは良かったが、いざ開校式
をする段になって当局者を初め職員が大困惑をしたことがある。開校式を
やるとすれば、市の淑女を招待せねばならん、ところが当時の貴婦人方の
考えによると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないかと
思っていた。人間として着物をつけないのは、像の鼻なきが如く、学校の
生徒なきが如く、兵隊の勇気がなきが如く全くその本体を失している。いやしくも、
本体を失している以上は人間として通用しない、獣類である。、、、、
例の獣類の人間に悉く着物を着せた。かようにして、漸くの事、滞りなく
式を済ませたという話がある。その位衣服は人間にとって大切なものである。
人間が衣服か、衣服が人間かと言う位重要な条件である。人間の歴史は
肉の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したい位である。
だから衣服を着けない人間をみると人間らしい感じがしない。まるで化け物に
邂逅した様だ。化け物でも全体が申し合わせて化け物になれば、所謂化け物は
消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大いに困惑する事に
なるばかりだ。その昔自然は人間を平等なるものに製造して世の中に放り出した。
だからどんな人間でも生まれるときには必ず赤裸である。もし人間の本性が
平等に安んじるものならば、よろしくこの赤裸のままで成長して然るべきであろう。
然るに赤裸の1人が言うには、こう誰も彼も同じでは勉強する甲斐がない。
骨をおった結果が見えぬ。どうかして、おれは俺だ誰が見ても俺だと言う所が
目につく様にしたい。それについては何か人が見てあっと魂げるものを身体に
つけてみたい。なにか工夫はあるまいかと10年間暫く猿股を発明してすぐ様
これを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが
今日の車夫の先祖である。、、、、猿股期、羽織期の後に来るのが袴期である。
その由来を衒い、新を争って、ついには燕の尾をかたどった奇形まで出現した
が、強いてその由来を案ずると、何も無理やりに、出鱈目に、偶然に、漫然に
持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の疑って様々
の新型となったもので、俺は手前じゃないぞと振れて歩く代わりに被って
いるのである。
大仏次郎
僕が死ぬ時も、この可憐な動物は僕の傍にいるに違いない。
お医者さんが来る。家族や親類が集まる。その時こやつは、
どうも、見慣れない人間が出入りして家の中がうるさくて迷惑だ
と言うように、どこか静かな隅か、日当たりの良いところを避け、
毛をふかふかと、丸くなって1日寝ているだろう。、、、、、
その時に手伝いに来ている者の誰かが、「この猫はあんなに可愛がって
貰ったのに、少しは氷をかく手伝いでもおしよ」と、この永年の
主人の死に冷淡なエゴイストを非難するのだ。悪くすると、猫は蹴飛ばされる。
僕同様に猫を愛する事を知っている妻は、そんなことを言うはずはないし、
する筈もない。また僕は、もう口が利けなくなっているわけだが、これを
聞いて、つまらない無理な事を言う人間だと、ひそかに腹を立てるだろう。
それは僕には、眼が見えなくなっていても、卓の蔭に白いバッタのように
蹲ったり、散らばった本の中を埃をいとって神経的に歩いているこの気取り屋
動物の静かな姿や美しい動作を思い浮かべている事が、どんな心に楽しくて、
臨終の不幸な魂を安めることかわからないからだ。
来世と言うものがあるかどうか、僕は未だにこれを知らない。仮にもそれが
あるならば、そこにもこの地球のように猫がいてくれなくては困ると思うのである。
いないと分かったら、僕の遺言のうち一番重要なくだりは、厳密に自分の
著作を排斥して、好むところの本と猫とを、僕の棺に入れるように要求する
に違いない。猫は僕の趣味ではない。いつの間にか生活になくてはならない
優しい伴侶になっているのだ。猫は冷淡で薄情だとされる。猫の性質が
正直すぎるからだなのだ。猫は決して自分の心に染まぬ事をしない。
そのために孤独になりながら強く自分を守っている。用がなければ媚びもせず、
我が儘に黙り込んでいる。
ポール・モランと言う人がある雑誌に書いている。
「猫が誤解させられるのは、猫のほうで理解を軽蔑しているからです。
猫が謎のように見えるのも、沈黙が表現する力を感じられない人に限って
いるようです。
全くほかの生物に猫の表情ぐらい雄弁なのは、ないのです。目にしても、
もっと、無限でニュアンスに富んだ目は、私の知っている範囲では人間で
たった一人、グレタ・ガルボがいるだけです。
メンフィスの都では、女も猫に似ているほど美人だとされたんです。
僕もその時分に生まれていればほんとうに良かったと思いますよ。今でも僕は、
鼻が短くて、猫のような目を持った女が一番好きなんです。」
柳里恭の雑誌に書いた1文が功利的で散文的な日本人の伝統的な目であろう。
「猫を飼うものの多くは猫をやしなうことを知らず。飯を与えるに鰹節を
入れ肉味を加う。猫は常に厚味を食とするときは鼠をとらず。猫は麦を
たきて味噌汁をかけ与えるべし。その他の食を与えるべからず。常に肉食に
ならはすれば肉なき時は必ず他の家にいたりて魚肉を盗めり。人を養うも
またまたしかり。」
(猫になった体験?)
来世は猫だ。と考え始める。俄かに私はペンを置き、身体の細い猫になって
軽く椅子から飛び降りる。煙草の煙のこもった部屋の空気が重くなったから、
ながながと伸びをして、ドアを抜けて真夜半のホテルの長い廊下に出てくる。
人なんかいないのだ。終夜灯が薄暗くともり、並んだ客室の閉ざした戸口の前に
客の靴が磨いておいてあるだけだ。、、、、、
夜番の足音が通るのを聞いている内に、埃の匂いのする奥の方から仲間の猫が
青い目を光らせて出てくる。私たちは警戒しながら近寄り、鼻をうごめかして
嗅ぎ寄ってから、お互い他意のない事を確かめる。
(猫の色々)
きもの猫 「日本では、着物を着た女の形の斑点が背中にある猫が生まれると、その猫
に
飼い主の祖父か大叔母の霊がこもっているものと信じて、寺へやり、大切に育てる。」
ペルシャ猫 「一番豪奢な感じを抱かせ、毛のふさふさと長い猫」
シャム猫 「カットグラスの焦げ茶色で染められてシックである。フランス人
の好みに合うが、生まれたときにはクリーム色だが、育つにつれて尻尾や耳、鼻面
がこげ茶色色となり、チャイニーズ・ブリュウの目の色と実に見事な色の調和を
見せる」
雑巾猫 「どう見ても薄汚くて可愛くない、人にはもらってもらえないような
つぎはぎだらけの毛並み」
隅の隠居 「猫は二つの耳が薄く鋭く、ピンと立っていてこそ猫らしく見えるが、
外耳炎を患って、耳が縮んでしまっている。更には、皮膚炎を患ってつやつやした
黒い毛が抜け落ち、禿だらけになっている。しかし、他の猫と違い人に媚びず
超然と毎日を過ごしている。心に染まぬ事や気に入らない事には、決して妥協しない」
通い猫 「何処かの家猫であろうが、食事の時だけ、顔を出す。」
子猫で鈴をつけて、よく庭に遊びに来るのがあった。時間が来ると、いつの間にか
帰ったと見えて姿を隠し、また明日、やってくる。かわいらしい。
どこからか遊びに来るのかと思って、ある日、
「君はどこのねこですか」
と、荷札に書いてつけてやった。三日ほどたって、遊びに来ているのを見ると、
まだ札を下げているから、可哀相にと思って、取ってやると、思いきや、
ちゃんと返事が書いてあった。
「かどの湯屋の玉です。どうぞ、よろしく」
君子の交わり、いや、この世に生きる人間の作法、かくありたい。
私はインテリ家庭の人道主義を信用しない。猫を捨てるなら、こそこそ
しないで名前を名乗る勇気を持ちなさい。
近所に植木や花物を売る店が出来て、駅へ出るのに前を通るので、つい欲しくなって
家へ届けさせる。淡い緋色の山茶花を数株求めて、駅から電話で植える場所を
家人に指定した。狭い庭の事である。もう植える場所がありませんから買わないで
下さいといわれた。人間でなく、猫が遊び場がなくなると苦情を言ったらやめようと
答えた。そのあとで、また花の色の気に入ったのがあったから届けさせたら、猫が全員
で反対しているといわれた。嘘である。
幾株かの山茶花が。冬だというのに、揃って今はなざかりで、小さい庭を明るく
している。
椿も好きで、白玉椿、光悦椿、からはじめて黒椿まで持っているが、椿の華は
霜に弱く、純白のものなど一夜で痛められて、なさけない姿になる。一々霜よけ
してやるわけにもいかない。山茶花はそれに比べると強く、散りつくしてもう
終わったと思っていると、また、小さい蕾を持って沢山に咲く。かれんである。
白い花に紅を少し差したようなのは、古い時代の日本娘のようにつつましく感じられて
私は好きである。現代の若い女性を感じさせる山茶花はない。人間のほうが花より
あくどく装飾過剰である。家から通りにである露地の一軒に、このはなが咲くのを
美しいと年々に思って眺めている。白一色の八重のものも、冬の厳しさに
つりあって見事である。この白い花の木の三百年以上の樹齢を持った大きいのが、
京都の詩仙堂の庭にある。これだけ大きい山茶花の気をほかで見たことがない。
この木の花の咲いたときに行くと、白川砂を敷いた地面にこの花びらが一面に
散っている。黙って座っていると白い花びらが宙を軽くこぼれてくる。
猫をヨーロッパの都会人文化人の一部では、客間の虎と形容して賛美した。
銀灰色で、毛のふさふさしたチンチラ猫など、サロンの絹椅子に、ながながと
寝そべって、青い瞳を燐光のように光らしているのを見たら、豪奢な姿が
独りいて虎のようにおごそかで立派であろう。近頃は日本でも、贅沢な品種の
シャムネコ、ペルシャ猫など飼う人が増えたようであるが、それでも犬の
愛好者に比べては少ない。猫は犬よりも気位が高く、孤独で、人を拒絶する
気質があるから、理解の良い飼い主にめぐり合うことが少ない。猫のほうでも、
別にその事を歎いてはいない。何もパリやロンドンの猫のように、世紀末的な
客間のアクセサリーになる必要を感じない。私をそっとして、ほっといて
下さい、と言うのが元来、猫の本音なのである。
おしなべて、日本の猫は、都会的社交的であるよりも、田舎猫で、住む家に
付属して、箱入り娘の気質で余り外に出たがらない。外国種のシャムネコなどは、
その正反対で、家につかず、人に、特にその中の誰か一人に馴染んで、他の
家人さえ無視する性質があるが、日本の猫は、家猫と言われるぐらいに、
人間よりも家になついている。だから、引越しの多い都会人の生活には向かず、
猫らしい猫は、田舎の家に住み着いたものが見かけられる。
猫が家についている性格は、飼い主が引越しをして、よそに移ったときに現われる。
、、、日本の猫は客間の虎にならなかった。始終、炬燵の上か、飼い主の膝の上、
または大根や干し柿をつるしている農家の日溜りのひさしの上に、左甚五郎
の眠り猫のようにまるく蹲っている。無類の怠け者が別に客間の虎となり
都会的になろうとは努力しなかったのである。
歌川国芳
猫の浮世絵
www.huffingtonpost.jp/2015/03/09/lolcats-of-japanese-woodprints_n_6828900.html
http://www.japansociety.org/page/programs/gallery/life-of-cats
猫が丸窓から見える浅草の街を見ている。
歌川広重『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』
無類の猫好きとしても知られ、常に数匹、時に十数匹の猫を飼い、懐に猫を抱いて作画
していたと伝えられる。
内弟子の芳宗によると、亡くなった猫はすぐに回向院に葬られ、家には猫の仏壇があり
、死んだ猫の戒名が書いた位牌が飾られ、猫の過去帳まであったという。門弟たちは相
当迷惑したらしいが、それだけに猫の仕草に対する観察眼は鋭く、猫を擬人化した作品
も多い。特に斑猫を好んだらしく、絵に登場する頻度も高い。
出典
歌川国芳 - Wikipedia
国芳の猫への愛があふれる浮世絵
鼠よけの猫 (1830年ごろ)
出典
yajifun.blogspot.jp
鼠よけの猫 (1830年ごろ)
"此圖ハ猫の絵に妙を得し一勇齋の寫真(しやううつし)の圖にして これを家内に張お
く時にハ鼠もこれをミれバおのづとおそれをなし次第にすくなくなりて出る事なし た
とへ出るともいたづらをけつしてせず 誠に妙なる圖なり 福川堂 記"
」というまじない絵。
金魚づくし 百物語(1839年頃)
出典
bakumatsu.org
金魚づくし 百物語(1839年頃)
『金魚づくし』シリーズ全8枚のうちの一枚。
百物語といえば100話目が終わって100本目のろうそくが消えると化け物が現れるのです
が、金魚の世界では化け物ならぬ化け猫が現れたもよう。
腰を抜かす金魚、逃げようとする金魚、果敢にも浮き草の刀で立ち向かおうとする金魚
…と、金魚たちのリアクションが素晴らしすぎます。お気に入り詳細を見る
流行猫の狂言づくし(1839年ごろ)
出典
kiritz.jp
流行猫の狂言づくし(1839年ごろ)
忠臣蔵など当時流行していた歌舞伎狂言の演目を、猫を登場人物に見立てて描いたもの
です。
を登場人物に見立てて描いたものです。
猫のけいこ(1841年)
出典
bakumatsu.org
猫のけいこ(1841年)
江戸時代後期に男性たちの間で流行したお稽古事「浄瑠璃」を猫で描いた団扇絵。なん
と、女のネコ師匠とネコ弟子2匹の着物の柄が猫の大好物となっている。
ネコ師匠の着物の柄は、鈴に小判、猫の足跡、目刺し。手前のネコ弟子はフカヒレ、奥
のネコ弟子はタコの柄
「これを貼っておけば、鼠は恐れをなして出てこなくなる」というまじない絵。
流行猫の曲鞠 (1841年)
お座敷遊び図。
客・芸者・幇間の三者の表情やしぐさが楽しい。お気に入り詳細を見る
猫のおどり (1841年)
出典
www.konekono-heya.com
猫のおどり (1841年)
3匹の猫が踊っている姿を描いたうちわ絵です。
的な意味がこめられています
猫身八毛意 (1842年)
出典
waretadataruwosiru.txt-nifty.com
猫身八毛意 (1842年)
「近江八景」(おうみはっけい)をパロディ化したうちわ絵の一つです。
八景には「八毛意」という字が当てられ、図柄にはそれぞれ違った毛色の八匹の猫が登
場します。
いしやまのあきのつき→ぶちなまのあじのすき(生の鯵をほおばるブチ猫)
せたのせきしょう→へたなちくしょう(ネズミを取り逃がしてくやしがる)
あわづのせいらん→なまずにじょうだん(ナマズに冗談を言っている)
やばせのきはん→赤毛のじまん(浴衣をはだけて赤毛を自慢する)
みいのばんしょう→三毛のばんしょう(盤将棋を楽しむ三毛猫2匹)
かたたのらくがん→またたびらくがん(またたび入りの落雁)
てくる猫の姿があります。画像は捜索中です。
東海道五十三対 岡部 (1845年ごろ)
出典
www.konekono-heya.com
東海道五十三対 岡部 (1845年ごろ)
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)を題材とした、全55枚からなるシリ
ーズのうちの一枚です。
元になった歌舞伎狂言は不明ですが、化け猫が登場することで有名な「独道中五十三駅
」(ひとりたびごじゅうさんつぎ)系統の演目をモチーフにしていると考えられます。
す。
流行猫の戯 「道行 猫柳婬月影」 (1847年)
出典
ja.ukiyo-e.org
流行猫の戯 「道行 猫柳婬月影」 (1847年)
歌舞伎をパロディ化した全五図からなる大判錦絵です。
共作者の山東京山は江戸時代後期の戯作者であり、90歳で亡くなるまで積極的に執筆活
動を行ったことで有名です。また「京山猫好き故、三匹養う」と記されており、国芳に
負けず劣らずの猫好きだったことが伺えます。
*****
道行 猫柳婬月影(ねこやなぎさかりのつきかげ)
「梅柳對相傘」(うめあなぎついのあいがさ)のパロディ。
遊女である傾城松山と町人・久兵衛の道行を猫に見立てています。着物の柄は小判、内
に着た長じゅばんは鈴と首紐、そして左下の花をよくよく見ると、花弁が貝で葉っぱは
アジの開きという具合に、隅々まで猫尽くしとなっています。
たものだという説の方が有力です。
猫飼好五十三疋 上 (1848年ごろ)
出典
blog.goo.ne.jp
猫飼好五十三疋 上 (1848年ごろ)
東海道五十三次の宿場名を猫の生態の地口(語呂合わせ)で表現したシリーズ。
例:日本橋→二本だし(2本の鰹節)、大磯→おもいぞ(たこをくわえた猫)など。
たこをくわえた猫)など。
猫飼好五十三疋 中 (1848年ごろ)
出典
www.pinterest.com
猫飼好五十三疋 中 (1848年ごろ)
例:見付→ねつき(丸まって眠る猫)、荒井→あらい(顔を洗う猫)お気に入り詳細を
見る
猫飼好五十三疋 下 (1848年ごろ)
出典
tamagoxgohan.seesaa.net
猫飼好五十三疋 下 (1848年ごろ)
例:四日市→よったぶち(ぶち猫が集まっている)、草津→こたつ(コタツの上で丸ま
る猫)
たとえ尽の内 左図(1852年ごろ)
猫も食わない:食べ物がとてもまずい
猫が顔を洗うと雨が降る:「顔を洗うと客が来る」との説も
猫と庄屋に取らぬはない:出されたものは必ずとる
猫に紙袋:事態が後退すること
す。
浮世四十八癖 はなしをききたがるくせ
出典
morimiya.net
浮世四十八癖 はなしをききたがるくせ
女が夢中な表情を浮かべて「へヱとんだねヱ へヱさようふかねヱ」と、絵の枠の外に
いる人の話に耳を傾けています。
その横には、白と茶の二毛猫が、所在なさそうに舌を出して体をなめています。
動物にはない、話を聞きたがる癖が人にあるということを、この猫との対比のなかで表
現しているのでしょう。
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猫の六毛撰
出典
blog.typograffit.com
猫の六毛撰
うちわ絵
六歌仙のパロディ作品。
猫には面白い名前がついている。
右から、「みけんぽっち」は喜撰法師、「大どらの黒斑」は大伴黒主、「今夜はやすむ
ね」は文屋康秀、「ちょうちょうてんごう」は僧正遍昭、「あまの子もち」は小野小町
、「むぎわらにじゃれ白」は在原業平である。お気に入り詳細を見る
そめいろづくし
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atokore.com
そめいろづくし
うちわ絵。
動物が染色をしています。
ねこしぼり(絞り)、狐こん、熊くろ、鼠ねづいろ、たぬきちゃいろなど洒落ています
。
猫町 萩原朔太郎
旅への誘いざないが、次第に私の空想ロマンから消えて行った。
昔はただそれの表象、汽車や、汽船や、見知らぬ他国の町々やを、イメージする
だけでも心が躍おどった。
しかるに過去の経験は、旅が単なる「同一空間における同一事物の移動」
にすぎないことを教えてくれた。何処どこへ行って見ても、同じような人間ばかり
住んでおり、同じような村や町やで、同じような単調な生活を繰り返している。
田舎いなかのどこの小さな町でも、商人は店先で算盤そろばんを弾はじきながら、
終日白っぽい往来を見て暮しているし、官吏は役所の中で煙草タバコを吸い、
昼飯の菜のことなど考えながら、来る日も来る日も同じように、味気ない単調な日
を暮しながら、次第に年老いて行く人生を眺ながめている。
旅への誘いは、私の疲労した心の影に、とある空地あきちに生はえた青桐あおぎり
みたいな、無限の退屈した風景を映像させ、どこでも同一性の法則が反覆している、
人間生活への味気ない嫌厭けんえんを感じさせるばかりになった。
私はもはや、どんな旅にも興味とロマンスをなくしてしまった。
久しい以前から、私は私自身の独特な方法による、不思議な旅行ばかりを続けて
いた。その私の旅行というのは、人が時空と因果の外に飛翔し得る唯一の瞬間、
即すなわちあの夢と現実との境界線を巧みに利用し、主観の構成する自由な
世界に遊ぶのである。と言ってしまえば、もはやこの上、私の秘密について多く
語る必要はないであろう。
ただ私の場合は、用具や設備に面倒な手間がかかり、かつ日本で入手の困難な阿
片あへんの代りに、簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカインの類を多く用いた
ということだけを附記しておこう。そうした麻酔によるエクスタシイの夢の中で、
私の旅行した国々のことについては、此所ここに詳しく述べる余裕がない。
だがたいていの場合、私は蛙かえるどもの群がってる沼沢地方や、極地に近く、
ペンギン鳥のいる沿海地方などを彷徊ほうかいした。
それらの夢の景色の中では、すべての色彩が鮮あざやかな原色をして、海も、
空も、硝子ガラスのように透明な真青まっさおだった。
醒さめての後にも、私はそのヴィジョンを記憶しており、しばしば現実の世界
の中で、異様の錯覚を起したりした。
薬物によるこうした旅行は、だが私の健康をひどく害した。私は日々に憔悴
し、血色が悪くなり、皮膚が老衰に澱よどんでしまった。私は自分の養生
に注意し始めた。そして運動のための散歩の途中で、或ある日偶然、私の風変り
な旅行癖を満足させ得る、一つの新しい方法を発見した。
私は医師の指定してくれた注意によって、毎日家から四、五十町(三十分
から一時間位)の附近を散歩していた。その日もやはり何時いつも通りに、
ふだんの散歩区域を歩いていた。私の通る道筋は、いつも同じように
決まっていた。だがその日に限って、ふと知らない横丁を通り抜けた。
そしてすっかり道をまちがえ、方角を解わからなくしてしまった。元来私は、
磁石の方角を直覚する感官機能に、何かの著るしい欠陥をもった人間である。
そのため道のおぼえが悪く、少し慣れない土地へ行くと、すぐ迷児まいごに
なってしまった。その上私には、道を歩きながら瞑想めいそうに耽ふける
癖が途中で知人に挨拶あいさつされても、少しも知らずにいる私は、時々自分
の家のすぐ近所で迷児になり、人に道をきいて笑われたりする。
かつて私は、長く住んでいた家の廻まわりを、塀へいに添うて何十回もぐるぐる
と廻り歩いたことがあった。方向観念の錯誤から、すぐ目の前にある門の
入口が、どうしても見つからなかったのである。家人は私が、まさしく
狐きつねに化かされたのだと言った。狐に化かされるという状態は、
つまり心理学者のいう三半規管の疾病であるのだろう。なぜなら学者の説
によれば、方角を知覚する特殊の機能は、耳の中にある三半規管の作用だ
と言うことだから。
余事はとにかく、私は道に迷って困惑しながら、当推量あてずいりょうで
見当をつけ、家の方へ帰ろうとして道を急いだ。そして樹木の多い郊外の
屋敷町を、幾度かぐるぐる廻ったあとで、ふと或る賑にぎやかな往来へ出た。
それは全く、私の知らない何所どこかの美しい町であった。
街路は清潔に掃除そうじされて、鋪石ほせきがしっとりと露に濡ぬれていた。
どの商店も小綺麗こぎれいにさっぱりして、磨みがいた硝子の飾窓かざり
まどには、様々の珍しい商品が並んでいた。珈琲コーヒー店の軒には花樹が茂り、
町に日蔭のある情趣を添えていた。四つ辻の赤いポストも美しく、煙草屋
の店にいる娘さえも、杏あんずのように明るくて可憐かれんであった。
かつて私は、こんな情趣の深い町を見たことがなかった。一体こんな町が、
東京の何所にあったのだろう。私は地理を忘れてしまった。しかし時間の計算から、
それが私の家の近所であること、徒歩で半時間位しか離れていないいつもの
私の散歩区域、もしくはそのすぐ近い範囲にあることだけは、確実に疑いなく
解っていた。しかもそんな近いところに、今まで少しも人に知れずに、
どうしてこんな町があったのだろう?
私は夢を見ているような気がした。それが現実の町ではなくって、幻燈の幕
に映った影絵の町のように思われた。だがその瞬間に、私の記憶と常識が
回復した。気が付いて見れば、それは私のよく知っている、近所の詰らない、
ありふれた郊外の町なのである。いつものように、四ツ辻にポストが立って、
煙草屋には胃病の娘が坐すわっている。そして店々の飾窓には、いつもの
流行おくれの商品が、埃ほこりっぽく欠伸あくびをして並んでいるし、
珈琲店の軒には、田舎らしく造花のアーチが飾られている。何もかも、
すべて私が知っている通りの、いつもの退屈な町にすぎない。一瞬間の中うちに、
すっかり印象が変ってしまった。そしてこの魔法のような不思議の変化は、
単に私が道に迷って、方位を錯覚したことにだけ原因している。いつも町の
南はずれにあるポストが、反対の入口である北に見えた。いつもは左側に
ある街路の町家が、逆に右側の方へ
移ってしまった。そしてただこの変化が、すべての町を珍しく新しい物に見せたのだっ
た。
その時私は、未知の錯覚した町の中で、或る商店の看板を眺めていた。その全く同じ
看板の絵を、かつて何所かで見たことがあると思った。そして記憶が回復された一瞬時
に、すべての方角が逆転した。すぐ今まで、左側にあった往来が右側になり、北に向っ
て歩いた自分が、南に向って歩いていることを発見した。その瞬間、磁石の針がくるり
と廻って、東西南北の空間地位が、すっかり逆に変ってしまった。
同時に、すべての宇宙が変化し、現象する町の情趣が、全く別の物になってしまった。
つまり前に見た不思議の町は、磁石を反対に裏返した、宇宙の逆空間に実在
したのであった。
この偶然の発見から、私は故意に方位を錯覚させて、しばしばこのミステリイの空間
を旅行し廻った。特にまたこの旅行は、前に述べたような欠陥によって、私の目的に都
合がよかった。だが普通の健全な方角知覚を持ってる人でも、時にはやはり私
と同じく、こうした特殊の空間を、経験によって見たであろう。
たとえば諸君は、夜おそく家に帰る汽車に乗ってる。始め停車場を出発した時、
汽車はレールを真直に、東から西へ向って走っている。
だがしばらくする中うちに、諸君はうたた寝の夢から醒さめる。そして汽車の進行する
方角が、いつのまにか反対になり、西から東へと、逆に走ってることに気が付いて
くる。諸君の理性は、決してそんなはずがないと思う。しかも知覚上の事実として、
汽車はたしかに反対に、諸君の目的地から遠ざかって行く。そうした時、試み
に窓から外を眺めて見給みたまえ。いつも見慣れた途中の駅や風景やが、すっかり
珍しく変ってしまって、記憶の一片さえも浮ばないほど、全く別のちがった世界
に見えるだろう。だが最後に到着し、いつものプラットホームに降りた時、
始めて諸君は夢から醒め、現実の正しい方位を認識する。そして一旦いったん
それが解れば、始めに見た異常の景色や事物やは、何でもない平常通りの、
見慣れた詰らない物に変ってしまう。つまり一つの同じ景色を、始めに諸君は
裏側から見、後には平常の習慣通り、再度正面から見たのである。
このように一つの物が、視線の方角を換えることで、二つの別々の面を持ってること。
同じ一つの現象が、その隠された「秘密の裏側」を持っているということほど、メタフ
ィジックの神秘を包んだ問題はない。私は昔子供の時、壁にかけた額の絵を見て、いつ
も熱心に考え続けた。いったいこの額の景色の裏側には、どんな世界が秘密に隠されて
いるのだろうと。私は幾度か額をはずし、油絵の裏側を覗のぞいたりした。そしてこの
子供の疑問は、大人になった今日でも、長く私の解きがたい謎なぞになってる。
次に語る一つの話も、こうした私の謎に対して、或る解答を暗示する鍵かぎになって
る。読者にしてもし、私の不思議な物語からして、事物と現象の背後に隠れているとこ
ろの、或る第四次元の世界――景色の裏側の実在性――を仮想し得るとせば、この物語
の一切は真実レアールである。だが諸君にして、もしそれを仮想し得ないとするならば
、私の現実に経験した次の事実も、所詮しょせんはモルヒネ中毒に中枢を冒された一詩
人の、取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう。とにかく私は、勇気を
奮って書いて見よう。ただ小説家でない私は、脚色や趣向によって、読者を興がらせる
術すべを知らない。私の為なし得ることは、ただ自分の経験した事実だけを、報告の記
事に書くだけである。
その頃私は、北越地方のKという温泉に滞留していた。九月も末に近く、彼岸を過ぎた
山の中では、もうすっかり秋の季節になっていた。都会から来た避暑客は、既に皆帰っ
てしまって、後あとには少しばかりの湯治客が、静かに病を養っているの
であった。秋の日影は次第に深く、旅館の侘わびしい中庭には、木々の落葉が散らばっ
ていた。私はフランネルの着物を着て、ひとりで裏山などを散歩しながら、所在のない
日々の日課をすごしていた。
私のいる温泉地から、少しばかり離れた所に、三つの小さな町があった、いずれも町
というよりは、村というほどの小さな部落であったけれども、その中の一つは相当に小
ぢんまりした田舎町で、一通りの日常品も売っているし、都会風の飲食店なども少しは
あった。温泉地からそれらの町へは、いずれも直通の道路があって、毎日定期の乗合馬
車往復していた。特にその繁華なU町へは、小さな軽便鉄道が布設されていた。
私はしばしばその鉄道で、町へ出かけて行って買物をしたり、時にはまた、女の
いる店で酒を飲んだりした。だが私の実の楽しみは、軽便鉄道に乗ること
の途中にあった。その玩具おもちゃのような可愛い汽車は、落葉樹の林や、谷間の見え
る山峡やまかいやを、うねうねと曲りながら走って行った。
或る日私は、軽便鉄道を途中で下車し、徒歩でU町の方へ歩いて行った。それは見晴
しの好よい峠の山道を、ひとりでゆっくり歩きたかったからであった。道は軌道レール
に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土あかつち
の肌はだが光り、伐きられた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、こ
の地方の山中に伝説している、古い口碑のことを考えていた。概して文化の程度
が低く、原始民族のタブーと迷信に包まれているこの地方には、実際色々な伝説
や口碑があり、今でもなお多数の人々は、真面目まじめに信じているのである、
現に私の宿の女中や、近所の村から湯治に来ている人たちは、一種の恐怖と嫌悪の
感情とで、私に様々のことを話してくれた。彼らの語るところによれば、或る
部落の住民は犬神に憑つかれており、或る部落の住民は猫神に憑かれている。
犬神に憑かれたものは肉ばかりを食い、猫神に憑かれたものは魚ばかり食って
生活している。
そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避け
て忌いみ嫌きらった。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜やみよを選んで祭
礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀まれに見て来た
人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解ら
ぬ莫大ばくだいの財産を隠している。等々。
こうした話を聞かせた後で、人々はまた追加して言った。現にこの種の部落の一つは
、つい最近まで、この温泉場の附近にあった。今ではさすがに解消して、住民は何所ど
こかへ散ってしまったけれども、おそらくやはり、何所かで秘密の集団生活を続けてい
るにちがいない。その疑いない証拠として、現に彼らのオクラ(魔神の正体)を見たと
いう人があると。こうした人々の談話の中には、農民一流の頑迷さが主張づけ
られていた。否でも応でも、彼らは自己の迷信的恐怖と実在性とを、私に強制しよ
うとするのであった。だが私は、別のちがった興味でもって、人々の話を面白く傾聴し
ていた。日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、おそらく風俗習慣を異にした外国
の移住民や帰化人やを、先祖の氏神にもつ者の子孫であろう。あるいは多分、もっと確
実な推測として、切支丹キリシタン宗徒の隠れた集合的部落であったのだろう。
しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。ホレーシオが言うように、
理智は何事をも知りはしない。理智はすべてを常識化し、神話に通俗の
解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者
は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜かぶとを脱いでる。詩人の直覚する
超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。
こうした思惟に耽けりながら、私はひとり秋の山道を歩いていた。その細い山
道は、経路に沿うて林の奥へ消えて行った。目的地への道標として、私が唯一のたより
にしていた汽車の軌道レールは、もはや何所にも見えなくなった。
私は道をなくしたのだ。
「迷い子!」 瞑想から醒めた時に、私の心に浮んだのは、この心細い言葉であった。
私は急に不安になり、道を探そうとしてあわて出した。私は後へ引返して、
逆に最初の道へ戻もどろうとした。そして一層地理を失い、多岐に別れた迷路
の中へ、ぬきさしならず入ってしまった。山は次第に深くなり、小径は荊棘の
中に消えてしまった。空むなしい時間が経過して行き、一人の樵夫にも
逢あわなかった。私はだんだん不安になり、犬のように焦燥しながら、道を
嗅かぎ出そうとして歩き廻った。そして最後に、漸く人馬の足跡の
はっきりついた、一つの細い山道を発見した。私はその足跡に注意しながら、次第
に麓ふもとの方へ下って行った。どっちの麓に降りようとも、人家のある
所へ着きさえすれば、とにかく安心ができるのである。
幾時間かの後、私は麓へ到着した。そして全く、思いがけない意外の
人間世界を発見した。そこには貧しい農家の代りに、繁華な美しい町があった。
かつて私の或る知人が、シベリヤ鉄道の旅行について話したことは、あの満目
荒寥たる無人の曠野を、汽車で幾日も幾日も走った後、漸く停車した沿線の
一小駅が、世にも賑にぎわしく繁華な都会に見えるということだった。
私の場合の印象もまた、おそらくはそれに類した驚きだった。麓の低い平地
へかけて、無数の建築の家屋が並び、塔や高楼が日に輝やいていた。
こんな辺鄙へんぴな山の中に、こんな立派な都会が存在しようとは、
容易に信じられないほどであった。
私は幻燈を見るような思いをしながら、次第に町の方へ近付いて行った。
そしてとうとう、自分でその幻燈の中へ這入はいって行った。私は町の
或る狭い横丁から、胎内めぐりのような路みちを通って、繁華な大通りの
中央へ出た。そこで目に映じた市街の印象は、非常に特殊な珍しいものであった。
すべての軒並の商店や建築物は、美術的に変った風情で意匠され、かつ
町全体としての集合美を構成していた。しかもそれは意識的にしたのでなく、
偶然の結果からして、年代の錆さびがついて出来てるのだった。
それは古雅で奥床おくゆかしく、町の古い過去の歴史と、住民の長い記憶
を物語っていた。町幅は概して狭く、大通でさえも、漸く二、三間位であった。
その他の小路は、軒と軒との間にはさまれていて、狭く入混いりこんだ
路地になってた。
それは迷路のように曲折しながら、石畳のある坂を下に降りたり、二階の
張り出した出窓の影で、暗く隧道トンネルになった路をくぐったりした。
南国の町のように、所々に茂った花樹が生はえ、その附近には井戸があった。
至るところに日影が深く、町全体が青樹の蔭のようにしっとりしていた。
娼家らしい家が並んで、中庭のある奥の方から、閑雅な音楽の音が聴き
こえて来た。大通の街路の方には、硝子窓のある洋風の家が多かった。
理髪店の軒先には、紅白の丸い棒が突き出してあり、ペンキの看板に
Barbershop と書いてあった。旅館もあるし、洗濯屋もあった。
町の四辻に写真屋があり、その気象台のような硝子の家屋に、秋の日の
青空が侘わびしげに映っていた。時計屋の店先には、眼鏡をかけた主人
が坐って、黙って熱心に仕事をしていた。
街まちは人出で賑やかに雑鬧していた。そのくせ少しも物音がなく、
閑雅にひっそりと静まりかえって、深い眠りのような影を曳ひいてた。
それは歩行する人以外に、物音のする車馬の類が、一つも通行しない
ためであった。だがそればかりでなく、群集そのものがまた静かであった。
男も女も、皆上品で慎み深く、典雅でおっとりとした様子をしていた。
特に女性は美しく、淑しとやかな上にコケチッシュであった。店で
買物をしている人たちも、往来で立話をしている人たちも、皆が行儀よく諧調
のとれた低い静かな声で話をしていた。それらの話や会話は、耳の聴覚
で聞くよりは、何かの或る柔らかい触覚で、手触てざわりに意味を探る
というような趣きだった。
とりわけ女の人の声には、どこか皮膚の表面を撫なでるような、甘美でうっとりとした
魅力があった。すべての物象と人物とが、影のように往来していた。
私が始めて気付いたことは、こうした町全体のアトモスフィアが、非常に繊細な注意
によって、人為的に構成されていることだった。単に建物ばかりでなく、町の気分を構
成するところの全神経が、或る重要な美学的意匠にのみ集中されていた。空気のいささ
かな動揺にも、対比、均斉きんせい、調和、平衡等の美的法則を破らないよう、注意が
隅々すみずみまで行き渡っていた。しかもその美的法則の構成には、非常に複雑な微分
数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、非常に緊張して戦おののいていた。
例たとえばちょっとした調子はずれの高い言葉も、調和を破るために禁じられる。
道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも
、
着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、
デリケートな注意をせねばならない。町全体が一つの薄い玻璃はりで構成されてる、
危険な毀こわれやすい建物みたいであった、ちょっとしたバランスを失っても、
家全体が崩壊して、硝子が粉々に砕けてしまう。それの安定を保つためには、
微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、それの対比と
均斉とで、辛かろうじて支ささえているのであった。
しかも恐ろしいことには、それがこの町の構造されてる、真の現実的な事実であった。
一つの不注意な失策も、彼らの崩壊と死滅を意味する。町全体の神経は、そのこと
の危懼きぐと恐怖で張りきっていた。美学的に見えた町の意匠は、
単なる趣味のための意匠でなく、もっと恐ろしい切実の問題を隠していたのだ。
始めてこのことに気が付いてから、私は急に不安になり、周囲の充電した空気の中で、
神経の張りきっている苦痛を感じた。町の特殊な美しさも、静かな夢のような閑寂さも
、かえってひっそりと気味が悪く、何かの恐ろしい秘密の中で、暗号を交かわしている
ように感じられた。何事かわからない、或る漠然とした一つの予感が、青ざめ
た恐怖の色で、忙がしく私の心の中を馳かけ廻った。すべての感覚が解放され、物の微
細な色、匂におい、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気に
は、死屍のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩たかまって行った。此所ここに
現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る!
起きるにちがいない!
町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々
が歩いていた。どこかで遠く、胡弓こきゅうをこするような低い音が、悲しく連続して
聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこか
で一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であ
った。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体
が混乱の中に陥入おちいってしまう。
私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死にもがいている人
のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の
密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪ゆがんで、病気のように瘠やせ
細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏
の脚みたいに、へんに骨ばって畸形に見えた。
「今だ!」
と恐怖に胸を動悸どうきしながら、思わず私が叫んだ時、或る小さな、黒い、鼠ねず
みのような動物が、街の真中を走って行った。私の眼には、それが実によくはっきりと
映像された。何かしら、そこには或る異常な、唐突な、全体の調和を破るような印象が
感じられた。
瞬間。万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事かわからなかった。
だが次の瞬間には、何人なんぴとにも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が
現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。
猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭
ひげ
の生はえた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。
戦慄せんりつから、私は殆ほとんど息が止まり、正に昏倒するところであった。
これは人間の住む世界でなくて、猫ばかり住んでる町ではないのか。一体どうした
と言うのだろう。こんな現象が信じられるものか。たしかに今、私の頭脳はどうかして
いる。自分は幻影を見ているのだ。さもなければ狂気したのだ。私自身の宇宙が、意識
のバランスを失って崩壊したのだ。
私は自分が怖こわくなった。或る恐ろしい最後の破滅が、すぐ近い所まで、自分に迫
って来るのを強く感じた。戦慄が闇を走った。だが次の瞬間、私は意識を回復した。
静かに心を落付おちつけながら、私は今一度目をひらいて、事実の真相を眺め返し
た。その時もはや、あの不可解な猫の姿は、私の視覚から消えてしまった。町には何の
異常もなく、窓はがらんとして口を開あけていた。往来には何事もなく、退屈の道路が
白っちゃけてた。猫のようなものの姿は、どこにも影さえ見えなかった。そしてすっか
り情態が一変していた。町には平凡な商家が並び、どこの田舎にも見かけるような、疲
れた埃っぽい人たちが、白昼の乾かわいた街を歩いていた。あの蠱惑的な不思議な町
はどこかまるで消えてしまって、骨牌カルタの裏を返したように、すっかり別
の世界が現れていた。此所に現実している物は、普通の平凡な田舎町。しかも私のよく
知っている、いつものU町の姿ではないか。そこにはいつもの理髪店が、客の来ない椅
子いすを並べて、白昼の往来を眺めているし、さびれた町の左側には、売れない時計屋
が欠伸あくびをして、いつものように戸を閉しめている。すべては私が知ってる通りの
、いつもの通りに変化のない、田舎の単調な町である。
意識が此所まではっきりした時、私は一切のことを了解した。愚かにも私は、また例
の知覚の疾病「三半規管の喪失」にかかったのである。山で道を迷った時から、私はも
はや方位の観念を失喪していた。私は反対の方へ降りたつもりで、逆にまたU町へ戻っ
て来たのだ。しかもいつも下車する停車場とは、全くちがった方角から、町の中心へ迷
い込んだ。そこで私はすべての印象を反対に、磁石のあべこべの地位で眺め、上下四方
前後左右の逆転した、第四次元の別の宇宙(景色の裏側)を見たのであった。つまり通
俗の常識で解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」のであった。
私の物語は此所で終る。だが私の不思議な疑問は、此所から新しく始まって来る。支
那の哲人荘子そうしは、かつて夢に胡蝶こちょうとなり、醒めて自ら怪しみ言った。夢
の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるかと。この一つの古い謎は、千古にわた
ってだれも解けない。錯覚された宇宙は、狐に化かされた人が見るのか。理智の常識す
る目が見るのか。そもそも形而上けいじじょうの実在世界は、景色の裏側にあるのか表
にあるのか。だれもまた、おそらくこの謎を解答できない。だがしかし、今もなお私の
記憶に残っているものは、あの不可思議な人外の町。窓にも、軒にも、往来にも、猫の
姿がありありと映像していた、あの奇怪な猫町の光景である。私の生きた知覚は、既に
十数年を経た今日でさえも、なおその恐ろしい印象を再現して、まざまざとすぐ眼の前
に、はっきり見ることができるのである。
人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の
幻影だと言う。だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路
に群集している町を見たのである。理窟りくつや議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所
かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない。あらゆ
る多くの人々の、あらゆる嘲笑ちょうしょうの前に立って、私は今もなお固く心に信じ
ている。あの裏日本の伝説が口碑こうひしている特殊な部落。猫の精霊ばかりの住んで
る町が、確かに宇宙の或る何所かに、必らず実在しているにちがいないということを。
底本:「猫町他十七篇」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年5月16日第1刷発行
きりこについて
猫には、笑うと言う機能がないのだ。 びっしり生え揃った歯を見せて笑う人間のことを、猫たちは軽蔑していた。 しかし、きりこだけは別だった。きりこが笑うと、あの歯、難解で冒険心を あおられるそれが見える。猫たちはそれが見たくて、度々A棟の周りに 集まったものだ。 男の子の、「自分より能力のある女性を避けたがる」傾向は、多分にある。 大人になっても、それは変わらない。自分より給料の多い女、自分より頭の いい女、自分より人望のある女、を、男は避けたがる。自分が惨めになる からか、女には尊敬される自分でいたいからか、とにかく人間の男のそんな こだわりは、猫にとっては、干からびたミミズの死骸を弄ぶことより、 つまらない。 雄猫が雌猫を選ぶ基準は、尻の匂いがいい具合か、それだけだ。 どんなに嫌われ者の雄猫であろうと、自分より体躯の大きい雌猫であろうと、 ふと嗅いだ尻の匂い、それが自分の棟を打ったら、そこから恋が始まる。 残念ながら、その恋は性交した段階で、あっさり終わってしまうが、元田さん のように「ほら、そういうところが鬼畜なのだ」などと言ってはいけない。 私に言わせれば、人間の男も、そうだ。男が恋に落ちているのは、性交 するまでだ。一度でも二度でも、性交した後は、恋を続けることに力を注ぐ。 そうしないと女に鬼畜と言われるからだ。本当は、避妊具のない、たった 一度の性交で、十分だ。その後は、また違う女とそれを励み、一人でも多く、 自分の遺伝子を残したい。のだが、現実が、社会が、そうさせてくれない。 干からびたミミズの死骸よりも、つまらない倫理を持っている人間の男だが 本能を隠し続けなければいけないという、その一点においては、同情に値する。 猫は、誰にも見られずに一人で死ぬと、というが、そうではない。 仲間の猫が死んだ時には、皆で葬式を行う。ただ人間の想像するそれとは違う。 猫には笑う機能がないのと同様、泣く機能もない。ただ、死んだ猫の周りに 座り、その猫が腐り、蟻や蝿などの虫に食べられ、土に還っていく様子をじっと 見守るのである。百六年生きたおぼんさんの死も、特別なものではなかった。 彼女の体はすぐに臭くなったし、蛆がわき、けがぼろぼろになり、いつしか 骨だけになって、土になった。周りで見守る猫たちは、順番でその役にあたるが、 ラムセスは望んで、毎日おぼんさんの死体が腐っていく様子を見続けた。 そして、すっかりその体がなくなってしまった後は、おぼんさんが枕に していたまたたびをしがんで、ぷりんぷりんに良い気分になった。 おぼんさんは、魂になってさまよわない。星になったりしないし、 千の風にもならない。そんなことを、ラムセスは知っている。 おぼんさんは、ただ、死んだのだ。 猫たちは、何も魚だけが好物なわけではない、というのを、きりこは知った。 魚嫌いな猫もいるし、菜食主義者の猫もいる。甘いものに眼がない者や、炭酸が 好き、などという変わり者もいるのだ。きりこは、その日残してしまった 食べ物を、これらの猫にやることで、それぞれの猫の好みが分かって来るように なった。 こんにゃくに大喜びしたのは、三毛猫のムーア、野良猫だ。金時豆を丁寧に 一粒づつ食べていたのは、B棟の村井さんが飼っているキジ虎のはにわ、 おでんのダイコンを取り合っていたのは、茶トラのハヤブサと、C棟の 誰かが飼っている白猫、この子は言葉が話せないので、名前がわからない。 もちろん魚が好きな猫が数匹いて、自分のことを人間だと思っているキジ虎の みつおと、自分の肛門を舐め過ぎて舌の病気になってしまった黒白ぶちのアリス、 元田さんに尻尾を掴まれて振り回されてから、人間不信になってしまった 黒猫のモリ。黒と茶色のまだら猫のシンは、魚の骨だけを好んで食べる。 猫にとって、眠り続ける事は、睡眠障害などではない。それどころか、猫にとって、 眠る事は、とても、とても高尚なことなのである。眠る事は、ある種の訓練で ある。では、なにを訓練しているのか。 猫は、夢を見る訓練をしている。 ともすれば、夢と現実の世界を、寝ながらにして行き来する訓練を、して いるのである。それは非常に困難で、尊いものであった。なぜ尊いものである かを、誰も知らなかったが。 とにかく猫たちは皆、眠ること、それも夢を見る眠りにつくことを、強烈に 望んだ。秋刀魚の夢、雌猫の夢、サンフランシスコの夢、下駄の裏側の夢、 夢となのつくものなら何でも良かったが、最も尊ばれ、困難とされるのが、 今より後に起きることの夢、つまり予知夢であった。 四丁目の生意気なブルドッグがいつ死ぬのか、2丁目のおかしな宗教家が 我々を攻撃するのをいつやめられるのか、そしていつ、世界中の人間が 我々の前にひれ伏すのか、などの、未来の夢を見るため、猫たちは日夜 眠ることに、励んでいるのだ。 大作家が書く不朽の名作を書く前から知っている猫たち、宇宙の秘密を 天才と呼ばれる誰かが解く前に知っている猫たち、であったが、 それはただ分かっている、というだけだった。ざらざらした鼻の辺りで 薄くて丈夫な耳の辺りで、滑らかに動く首の尾後ろの辺りで、彼らは いつでも分かっていたが、分かっていたことは、いつだって後で、 または知る瞬間に、分かった。、、、 出来事が起こった後で、分かっていたというのはずるい、後出しだ、 などと言うのは人間の愚かな論理である。とにかく、知った後で、猫は 分かっていたと思うのだ。それだけだ。そこに偽りはない。猫は絶対に 嘘をつかない。分かっていたのだが、分かっていたことを、事前に 知る、と言うことに意義があった。それも、夢で現実を知る、ということに、 彼らは特別な意味を与えていた。 今のところ、この近隣の猫が見られる予知夢は、自分が死ぬ夢だけである という。
「猫」より柳田國男ほか
P48 猫は左手と右手を交互に蛇の頭を叩いている。猫と言うやつは、左利きも 右利きも区別がないようである。左手で叩くときも右手で叩く時も、蛇の 鎌首をもたげている頭上を正確に打った。蛇は打たれるたびに鎌首を下げていって、 その首を枯れ葉の上に置いた。すると猫は、片手を上げたまま前後左右を 見回した。仔猫に蛇を見せたいのか、それとも、よその猫か犬の来るのを 警戒するためなのだろうか。きょろきょろと辺りを見回した。その隙に 蛇がさっと猫を目がけて首を伸ばした。猫は、まだきょろきょろしながら、 ちょっと手を引くだけでうまく蛇の牙を避けた。蛇は鎌首を上げて、続けざまに 猫の手を襲った。しかし猫はちょっと手を引っ込めるだけである。蛇の体勢で どこまで頭が伸びるか猫は正確に知っているに違いない。必要以上には避けない で、蛇の口とほとんどすれすれの程度まで手を引っ込める。 この闘争は同じやり方で繰り返された。蛇は叩かれる度に首を垂れるが、 逃げようとはしない。猫は相手を叩くが、相手が首を垂れると落ち着き なさそうに前後左右を見回している。いずれ猫は油断して噛み付かれる かもしれない。私はそれが気になるので、鳶口を持って蛇の頭を抑えた。 その瞬間、猫が蛇の首に飛びついた。蛇は首のところから皮を鞘に 剥がれほとんど全身、赤身の裸になっていた。これが、一瞬の出来事であった。 私は猫に何の合図もしないで鳶口を使ったが、猫は前もって私と打ち合わせて いたかのように振舞ったのである。電光石火と言う形容が当たっている。 蛇の剥げた皮は、裏返しの短い筒になって、その母体の赤肌の胴の末に つながっていた。尻尾の細い先だけが河の筒尻からすこしのぞき、蛇の 舌のように震えていた。猫はそれを嬉しがって仰向けにひっくり返し、 後足で蛇の震える尻尾をからかった。蛇は頭の部分だけ皮を残した 無残な姿に変じ、かなり弱っていたが心底から腹を立てているようであった。 赤肌の鎌首をもたげて猫に噛み付こうとした。猫は遊びふざけている 脚を素早く引っ込めた。蛇は孤立無援ながら急に立ち直って、鎌首を 高く上げて猫の足を覗った。猫は起き上がって、前足で前後左右に蛇の 頭を叩いた。これが正攻法と思われる。もう辺りを見回す事は抜きにして 蛇が鎌首をもたげる力がなくなるまで叩きつけ、蛇の首に噛み付いた。 止めを刺すと言ったところだろう。 P80 ボっコチャンの御供え 拾われたボッコちゃんはぐんぐん大きくなって、ほっそりした品のあるエジプト猫 を思わせる。子犬のように私たちの後をつけて、何でも自分が監督しなければ 進行しないという気構えを見せている。花が好きで、頭をもぎ取って私の 机に持って来てくれる。褒めて、お礼を言うと股飛んで行き、もってくる。 春から秋に掛けてあらゆる昆虫を捕まえて献納するので、これには私も困った。 蛙やトカゲになると、私は慌てて救ってやる。近所の百姓がボッコちゃんの 選択振りをみて、これはムコだといった。猫と言うのが4種類あって、虫 を捕るのが、ムコ、蛇など爬虫類専門がヘコ、鳥類がトコ、鼠を捕るのが猫なの だと説明してくれた。 虫だけではない。ボッコちゃんはサービス精神に燃えているのか、いろいろのものを 拾ってくる。ある日窓の外で盛んに私を呼んでいるので開けて見ると、何か黒い物 を咥えている。私の前に恭恭しく置くので良く見ると、焼き芋のしっぽであった。 今日でも私は毎日ボッコチャンからの御供えを貰っている。 朝早く真っ白な仔猫が庭で鳴いている。金銀の眼で、尾の先が鉤型に曲がっている。 金眼銀眼さんは全快した。眼には険があり、応挙や春草の猫を思わせるから、猫界 では日本式美人といったらよいのであろう。猫の名も玉とかミーというのは猫に 対する関心と愛情が薄い様に思われるので、何か特徴的な名を与えようとするが、 相手はさっぱり反応を示さない。ある日シロと呼んだら、すぐに返事した。薄情な もとの飼い主が白いからシロと呼んだのであろう。仕方ないからチーロと命名した。 勝気で、自分のいいだしたことは誰が何といってもひかない。協力とか妥協とかは 考えられないらしい。ボッコが温厚で、譲歩するから何とかやっているが、 二人一緒においてよいものかどうか私は考えさせられた。しかし、私たちに対して 愛情をもっているし、苦労しただけあってとかくひがむ癖がある。いくら食べさせても 太らない。強情のくせに、なにかおずおずして遠慮深い。ある日、私はチーロ を抱いて、籍を入れて家之子にするから安心しなさい、といってきかせた。 すると、その翌日から急に横柄になって、ボッコの食事までたべてしまうよう になった。 手術をというのであるが、私は欧米人の人たちのように人間の便宜のために動物を 中性にするのを好まない。性格があいまいになって、面白くないし、それに 近くには、病院もない。そんな中、春が来て、ボッコちゃんもチーロも青春期が 近づき、隣のミー公や数軒先のペルシャの血が少しは入っているトロイ公などが、 家の庭をうろつく様になった。ミー公はボッコと同じ赤虎で、トロイは背が 赤虎で、おなかが白い。見ているとトロイは盛んにボッコに媚びを呈し、ミー公は チーロと頬擦りしている。やがて、3月中旬にはお目出度の徴候が現われ、 4月29日天長節にボッコが産気づき赤虎の子を二人生んだ。さらに、チーロの お産が始まり、今年の天長節は、3重のお目出度となった。 猫のお産は、物置とか天井裏となっているが、私の経験では、人間の生活に 深く食いって可愛がられて要る猫は、人間を産婆と心得ているようだ。 おなかを撫ぜろ、それ腰を押さえろ、どなられたりしておろおろするだけである。 チーロはお産と同時に強烈な母性愛が生まれて、自分の子だけでなく、 ボッコのまで引き受けて、良心的に世話しているが、元来呑気なボッコは、2日目 あたりから遊びに出て、相変わらず花をちぎったり、虫を追い回している。 世の中に仔猫ほど可愛いものはない。天国では誰も歳をとらないというから 死んだら、私は仔猫の天国に行きたいと思っている。 そろそろ秋風が立ちそめるころ、ミー公がしげしげ訪問する様になった。 ある日、白いじんじゃの花の香りを背伸びしてかいでいるボッコのお腹が 膨らんでいるのに気付いた。私はがっかりしてきつい声で「ボッコ、困ったね」 と言った。すると、ボッコはさも赤面したように恥ずかしそうな愛嬌を顔 いっぱいに見せて、ちょっと佇んだが、直ぐに長い尻尾を真っ直ぐ立てて、 嬌態を作ってゆっくりと私のほうへ歩いてきた。 仕方がない。生きてる間は猫に仕え、死んだら猫の王国で、厚生大臣に してもらおうと考えている。 P164 猫の島 陸前田代島の猫の話では、これは古くから言われていた事らしいが、 田代は猫の島だから犬を入れない。また、色々の猫の怪談が特に、 この島のみに信じられる事になったのかの原因を逆に訪ねる必要がある。 犬を上陸させてはならぬという戒めは伊豆の式根島にもあったと聞いている。 他には、安芸の厳島の別島に黒髪と言う所あり、そのかみ明神のましませし 所にて、今に社頭鳥居など残りてあり。この島に犬無し。犬の吠ゆる声を 憎ませたまう故といえりとある。 犬と猫との仲の悪いことは、日本では殊に評判が高く、枕草子にもすでに その一つの記録があるが、そればかりでは犬を憎むという島が、即ち 猫の島に変ずる理由には成りかねぬように疑う人もあるいは無いとはいえぬ。 しかし人をそのような空想に導く事情は、私達から見ればまだ此れ以外 にもあったのである。多くの家畜の中では、猫ばかり毎々主人に背いて 自分らの社会を作って住むと言うことが、第1には昔話の昔からの話題で あった。九州では阿蘇郡の猫岳を始めとし、東北は南部鹿角郡の猫山の 話まで、いい具合に散布して全国に行われているのは、旅人が道に迷う て猫の国に入り込み、おそろしい目にあって戻って来たと言う奇話であった。 猫岳では猫が人間の女のような姿をして、多勢集まって大きな屋敷に 住み、あべこべに人を風呂の中に入れて猫にする。気付いて逃げて 出る所を後から追いかけて、桶の湯をざぶりとかけたらそこだけに 猫の毛が生えてきたと言う話もあって、支那で有名な板橋の三娘子、または 今昔物語の四国辺地を通る僧、知らぬところに行きて馬に打なさるるはなし、 さては泉鏡花の高野聖の如き、我々がよく言う旅人馬の昔話を、改造した ものとも考えられぬことはないが、それには見られない特徴もまたある。 中国方面では折々採取される例では、この猫の国の沢山の女たちの中に、 1人だけ片目の潰れた女がいたが、その女の言うにはここにいると危ないから 逃げなさいと教えてくれた猫もいた。 能登半島のはるか沖に、猫の島と言う島があることは、やはり今昔物語の中に、 二度まで記してあるが、此れは鮑の貝の甚だしく捕れる処というのみで、 島の名の起こりは一言も説明せられていない。もやは尋ねてみる方法は ないかもしれないが、あるいはずっと以前に猫だけが集まって住む島が あるように、想像していた名残ではないかと思っている。それから今一つ 常陸の猫島は筑波山の西麓で、是は島でも何でもない平野の村であるが、 奇妙に安倍清明の物語の中に入って、早くからその名を知られていた。 土地にも色々と清明の遺跡があって、全ては陰陽師の居住する村であった ことだけは考えられるが、やはり猫島の地名の由来を明らかにすることが 出来ない。 猫が人間を離れて猫だけで一つの島を占拠するということは、現実には 有りうべきことではない。彼らには舟も無くまた希望も計画も無いからである。 しかし島人には現代に入って後まで、鼠の大群が島に押し渡って、土民の 食物を奪いつくし、暴威をふるった物凄い経験を重ねているために、 猫にも時合ってそういう歴史があったように、想像することが出来たものらしい。 八犬伝に出てくる赤岩一角、上州庚申山の猫の怪という類の話は、いくら例が あっても要するに空想の踏襲に過ぎない。猫岳猫山の昔話とても、昔々 だからそんな事もあったろうという程度にしか、之を承認するものはもう 無いのである。ところが少なくとも島地だけでは、今でもまだ若干の形跡が 現実に住民の目に触れているのである。猫ならそれくらいなことはするかも しれない。猫の島というのが何処かの海上に、あるというのも嘘でなかろうと、 思うような心当たりは島にはある。南島雑話は今から百年あまり前の、 奄美大島の滞在記録であるが、そのなかには次のような1条がある。 曰く又ここに一つの奇事あり、雄猫は成長すれば全ての山に入りて山中 猫多きものという。其猫雌猫を恋するときは里の出で、徘徊す伝伝とあって、 それでも山に入ったまま出てこぬ雄猫も多いので、この島の雌猫は往々にして 子を産まぬものがあるという。山に入って行くのが、悉く雄のみだという 観察は、必ずしも正確を期せられない。男性に限ってそんな思い切ったこと をするよいうのは、或いは人間からの類推であって、実際は山でも時々 は配偶が得られ、従ってまた反映もしたのではないかと思う。 隠岐は島後でも島前の島々でも、飼い猫の山に入ってしまうことを説く 者が今も多いが、愛媛では雌雄の習慣の差はないようである。猫の屋外 の食料は動物ばかりで、家でもらうものよりはたしかに養分が豊かである。 それ故に家々の猫が之をはじめると見る見る太り、そうして段々と 寄り付かなくなってくるのである。面白い事にはこの島には狐狸がいらぬ ためか、彼らのすることは全てこの猫がしている。寂しい山道や森の陰には 必ず著名な猫が住んで関所を設けている。魚売りが脅かされて籠の荷をしてやられ、 または祝宴の帰りの酔うた客人が夜道を引き回されて包みや蝋燭を奪われた と言うだけでなく、化けた騙した相撲を挑んだと言う類の他の地方では河童や 芝天狗のしそうな悪戯までを、壱岐では悉く猫がする様になっている。人が そういう特殊の名誉を、次々に山中の猫に付与したのでなかったら、彼ら独自の 力では是まで進化しそうもない。即ち陸前田代島の怪談なども、単に我々の 統御に服せざる猫がいるという風説から成長した事が類推せられて来るのである。 犬と猫との違いはこういうところにあるかと思う。犬には折々は乞食を主人と 頼むものもいるが、猫のほうがよほど美味い物をくれないとふいと出て行って 戻ってこない。東京の真ん中でも空き地へ出てバッタを押さえたり、トカゲを 咥えて来て食っているのがいる。あら気味が悪いと言ったところで、もともと 鼠を給料のつもりで、飼っているような主人である。あまり美食させると鼠を 捕らなくなるからいけないなど、気まづいことを考えている主人である。 いづくんぞ知らん猫たちの腹では、へんこの家には鼠が多いから居てやるんだと、 つぶやいているかも知れぬのである。 そう言う中でも、いやに長火鉢の傍などを好み、尾を立て咽喉を鳴らして媚びを 売ろうとするものと、子供でもくるとつい立ち退いて、半日一夜ごこへ行ったか 何を食っているかもわからぬ者とがある。これは勿論気力の差、もしくは 依頼心のていどでもあろうが、1つには、又各自の経験の多少にも由ることで、 田舎は大抵の街の真ん中よりも、その経験をする機会が多かったわけである。 娘や少年の前に出たがらぬ者を、関東の村々では天井猫といい、あるいは ツシ猫など戯れて呼ぶ例も多いが、これは猫たちが屋根裏に隠れて何をしているか を、考えない人々の誤った警鐘である。 猫と正造、谷崎潤一郎
ぜんたい欧州種の猫は、肩の線が日本のの猫のように怒っていないので、
撫で肩の美人を見るようなすっきりとした、粋な感じがするのである。顔も 日本種の猫だと一般に寸が長くて、目の下辺りに窪みがあったり、頬の骨が 飛び出ていたりするけど、リリーの顔は丈が短く詰まっていて、ちょうど 蛤をさかさまにした形のカッキリとした輪郭の中に、すぐれて大きな美しい 金眼と神経質にヒクヒク蠢く鼻がついていた。だが、正造がこの仔猫に 惹きつけられたのは、そういう毛並みや顔立ちや体つきのためではなかった。 もしも、外見だけなら正造だってもっと美しいペルシャ猫だのシャムネコ だのを知っているが、でもこのリリーは性質が実に愛らしかった。この家に 連れてきたときはまだ本当に小さくて、掌の上へ乗るほどであったが、その お転婆でやんちゃなことは、とんと七つか八つの少女、悪戯盛りの小学校 十二年生ぐらいの女の子と言う感じだった。そして彼女は今よりもずっと 身軽で、食事の時に食物をつまんで頭の上に翳していやると、三四尺の高さまで 跳び上がったので、座っていては直ぐに跳び付かれてしまうから、しばしば 食事の最中に立ち上がらなければならなかった。彼はその時分からあの曲芸を 仕込んだのであるが、箸の先につまんだものを三尺、四尺と言う風に、 跳び付く毎にだんだん高くしていくと、しまいには着物の膝に跳び付いて、 胸から肩へとすばしっこく這い上がって、鼠が梁を渡るように、箸の先まで 腕を渡って行ったりした。ある時などは見せのカーテンに跳び付いて、天井まで くるくると這い上がって、端からはしへ渡っていって、またカーテンに 掴まって降りてくる。そんな動作を水車の様に繰り返した。それに、そういう 幼いときから非常に表情が鮮やかで、眼や、口元や、小鼻の運動や、息遣い などで心持の変化を表す事は、人間と少しも変わらなかった。なかんずく そのぱっちりとした大きな眼球は、いつも生き生きとよくよく動いて 甘える時、いたずらをするとき、物に狙いをつける時、どんな時でも愛くるしさを 失わなかったが、一番可笑しかったのは怒るときで、小さな身体をしているくせに やはり猫並みに背を丸くして毛を逆立て、尻尾をピンと跳ね上げながら、足を 踏ん張ってぐっと睨む恰好といったら子供が大人の真似をしているようで、 誰でも微笑んでしまうのであった。 差し向かいになると、呼びもしないのに自分の方から膝に乗って来て、 お世辞を使った。彼女はよく、額を正造の顔に当てて、頭ぐるみぐいぐいと 押して来た。 そうしながら、あのザラザラした舌の先で、頬だの、顎だの、鼻の頭だの、 所構わず舐めまわした。そういえば、猫は2人きりになると接吻したり、顔を 摺り寄せたり、全く人間と同じ様な仕方で愛情を示すものだ。また、夜は必ず 正造の傍に寝て、朝になると起こしてくれたが、 それも顔中を舐めて起こすのである。寒い時分には、掛け布団の襟をくぐって、 枕の方から潜り込んできたり、布団をもくもくとあげてビロードのような柔らかい 毛を足下から入れてくるのであったが、寝勝手のよい隙間を見出すまでは、懐の中に 這い入ってみたり、またぐらの方に入ってみたり、背中の方に回ってみたりして、 ようようある場所に落ち着いても、具合が悪いと又直ぐ姿勢や位置を変えた。 結局彼女は、正造の腕へ頭を乗せ、胸の辺りに顔を着けて、向かい合って寝るのが 一番都合が良いらしかったが、もし正造が少しでも身動きをすると、勝手が 違ってくると見えて、その都度身体をもぐもぐさせたり、又別の隙間を探したりした。 だから正造は、彼女に這い入って来られると、一方の腕を枕に貸してやったまま、 なるべく身体を動かさないように行儀よく寝ていなければならなかった。 そんな場合に、彼はもう一方の手で、猫の一番喜ぶ場所、あの顎の部分を撫でて やると、直ぐにリリーはゴロゴロと言い出した。そして彼の指に噛み付いたり、 爪で引っ掻いたり涎を垂らしたりしたが、それは彼女が興奮した時のしぐさなのであっ た。 ここ2、3年めっきり歳を取り出して、身体のこなしや、目の表情や、毛の色艶などに 老衰のさまがありありと見えていたのである。全く、それもそのはずで、正造が彼女を リヤカーに乗せて此処へ連れてきたときは、彼自身がまだ二十歳の青年だったのに、 もう来年は三十に手が届くのである。まして、猫の寿命からいえば、10年という 歳月は多分人間の五六十年に当たるであろう。それを思えば、もうひと頃の元気 がないのも道理であるとは言うものの、カーテンの天辺に登っていって綱渡りの ような軽業をした仔猫の動作が、つい昨日の事のように眼に残っている正造は、 腰のあたりがげっそりと痩せて、俯き加減に首をチョコチョコ振りながら歩く 今日この頃のリリーを見ると諸行無常の理を手近に示された心地がして、いうに 言われず悲しくなって来るのであった。 彼女がいかに衰えたかをと言う事を証明する事実はいくらでもあるが、たとえば 跳び上がり方が下手になったのもその一つの例なのである。仔猫の時分には、実際 正造の身の丈ぐらいまでは鮮やかに跳んで、過たずに餌を捉えた。また必ずしも 食事の時に限らないで、いつ、どんな物を見せびらかしても、直ぐに跳び上がった。 ところが歳を取るに度に跳び上がる回数が少なくなり、高さが低くなって行っても、 もう近頃では、空腹な時に何か食物を見せられると、それが自分の好物であるか 否かを確かめた上で、始めて跳び上がるのであるが、それでも頭上一尺ぐらいの低さに しなければ駄目なのである。、、、、、、 それだけの気力がないときは、ただ食べたそうに鼻をヒクヒクさせながら、あの特有の 哀れっぽい眼で彼の顔を見上げるのである。「もし、どうか私を可哀相だと思って ください。実はお腹がたまらないほど減っているので、あの餌に跳び付きたい のですが、何を言うにもこの歳になって、とても昔のようなマネは 出来なくなりました。 もし、お願いです。そんな罪なことをしないで、早くあれを投げて下さい。」と、 主人の弱気な性質をすっかり飲み込んでいるかのように、眼に物をいわせて訴える のだが、品子が悲しそうな眼つきをしてもそんなに胸を打たれないのに、どういう ものかリリーの眼つきには不思議な傷ましさを覚えるのであった。 仔猫の時にはあんなに快活に、愛くるしかった彼女の眼がいつからそう言う 悲しげな色を浮かべるようになったかと言うと、それがやっぱりあの初産の時 からなのである。,,, あの時から彼女の眼差しに哀愁の影が宿り始めて、そののち老衰が加わるほど だんだん濃くなって来たのである。それで正造は、時々リリーの眼を見つめながら 利巧だといっても小さい獣に過ぎないものが、どうしてこんなに意味ありげな 眼をしているのか、何かほんとうに悲しい事を考えているのだろうかと、思う 折があった。前に飼っていた三毛だのクロだのは、もっと馬鹿だったせいかもしれぬ が、こんな悲しい眼をしたことは一度もない。そうかといって、リリーは格別 陰鬱な性質だというのでもない。幼い頃は至ってお転婆だったのだし、親猫に なってからだって、相当に喧嘩も強かったし、活発に暴れる方であった。 ただ正造に甘えかかったり、退屈そうな顔をして日向ぼっこなどをしているときに、 その眼が深い憂いに充ちて、涙さえ浮かめているかのように、潤いを帯びてくる ことがあった。 尤も、それも、その時分にはなまめかしさの感じのほうが強かったのだが、 年を取るに従って、ぱっちりしていた瞳も曇り、眼の縁には目やにがが溜まって、 見るもとげとげしい、露わな哀愁を示す様になったのである。で、これは事によると、 彼女の本来の眼つきではなくて、その生い立ちや環境の空気が感化を与えた のかもしれない、人間だって苦労すると顔や性質が変わるのだから、猫でも そのくらいのことがないとは言えぬ、 と、そう考えると尚更正造はリリーに済まない気がするのである。 やがてリリーは部屋の隅っこの方へ行って、壁にぴたりと寄り添うてうずくまった まま、身動き一つしないようになってしまった。それは全く、畜生ながら逃げる 道のない事を悟って、観念の眼を閉じたとでも言うのであろうか。人間だったら、 大きな悲しみに鎖された余り、あらゆる希望を擲って、死を覚悟したというところ であろうか。品子は薄気味悪くなって、生きているかどうかだけを確かめるために、 そっと傍によって行って、抱き起こして見、突き動かして見ると、何をされても 抵抗しない代わりに、まるで鮑の身のように身体中を引き締めて、硬くなっている 様が指先に感じられる。
ノラや
『ノラや』は、内田百閒の飼い猫ノラの失踪とその後飼われた猫クルツに関する文章を
あつめた作品集。昭和32年3月、ノラがふらっと家を出たまま帰ってこなくなった。そ の後の百閒の悲しみようは大変なもので、毎日めそめそと泣き暮らし、風呂のふたの上 に寝ていた猫を思い出すからといって風呂にも入らなかった。奥さんからの知らせで駆 けつけた平山三郎は「どうしてこういう事態になったのかわからぬが、とにかくこれは 本物で、もっと真剣にならなければ」(文庫解説)と思ったことを回想している。 猫探しの情熱も並々ならぬものがあり、新聞広告や折込チラシによってくり返し情報 提供を求め、ノラに似た猫がいるとの知らせのたび奥さんらが近所を駆け回った。とき には、埋められた猫の死体を掘り返すことまでさせている。 寝るだけ寝ると起きて欠伸をする。私もよく欠伸をするが、猫のほうがもっとする。 細い貧弱な舌を人前に出して、無遠慮に口を開ける。その間前脚で口を押さえるという 様な作法は知らない。欠伸はするけれど、涎は垂らさないようで、犬や人間の子供 よりはお行儀がいいかもしれない。しかし人が何かを食べている口許を見ると、 うるさくねだって、にやあにやあ言う。そういうときは辛子、酢の物、沢庵、七味、 山椒などを鼻の先へ持って行って、こすりつけてやると迷惑そうな顔をして横を 向いてしまう。またたびはまだ買ってやらないが、そのうちに取り寄せて饗応 しようと思う。 クルは毎晩家内の寝床に抱かれて寝た。寝るときは枕をするのが好きらしいので 家内が小さな猫の枕をこしらえてやった。ずっとその枕で寝ていたが、この頃に なってから枕ではなく、家内の腕に抱かれて寝るくせになった。 あとから考えると、何と無く段々人にすりついていたがる様になったらしい。 そうしておとなしく寝ていれば良いが、自分が寝るだけ寝て目を覚ますと、一人で 起きているのは淋しいのだろう。夜中でも、夜明け前でもお構いなく、いろんな 事をして寝ている家内を起こす。人の顔のそばに自分の顔をくつつけてニヤアニヤア 鳴いたり、濡れた冷たい鼻の先を頬に擦り付けたり、それでも起きないと障子の桟に 攀じ登って、障子の紙を破いたり、箪笥棚の上に置いてあるドイツ土産のシュタイフ の小鹿をひっくり返したり、あらん限りのいたづらをする。家内がいくら叱っても 怒っても利き目はない。猫の目的は、自分独りで起きているのはいやだから、 人が寝ているのが気に入らないのだから、寝ている家内を起こすことにある。 だから家内が根負けしてそこにおきればおとなしくなる。起きたのを見届けて それで気がすむと今度は寝床の足下のほうに回り、らくらくとくつろいだ恰好に なって、又ぐうすら寝込んでしまう。 我が儘で自分勝手で、始末が悪い。 しかしそうやって、何と言うこと無く人にまつわり付いていようとする猫の気持 が可愛いくない事はない。 「行くのか」と云つて家内が起ち上がらうとすると、先に立つてもう出口の土間に降り て待つてゐる。家内は戸を開けてやる前に土間からノラを抱き上げ(…)洗面所の前の 木戸の所からノラがいつも伝ふ屏の上に乗せてやらうとしたら、ノラはもどかしがつて 、家内の手をすり抜けて下へ降りた。さうして垣根をくぐり木賊の繁みの中を抜けて向 うへ行つてしまつたのだと云ふ。(「ノラや」三月二十九日金曜日) 百閒はノラが出て行ったときの様子をこのように書いている。「木賊の繁みを抜けて 行つてしまった」というフレーズは、百閒がノラの失踪を回想するとき必ず出てくるも のだ。「木賊の繁みを抜けて」という言葉は、何度も繰り返されることによって、単な る事実以上の意味を持つように思えてくる。 百閒は、幼少時の岡山や師・夏目漱石など、いまここにないものを描いてきた。猫も また、その失踪によって「いまここにないもの」のリストに加えられる。ノラ失踪前に 書かれたのは「彼ハ猫デアル」一篇にすぎない。百閒の最初の作品集『冥途』の表題作 は、土手にある小屋掛けの一ぜんめし屋で亡き父の声を聞く。「私」は泣きながら「お 父様」と叫びはするが、父に会うことはできない。死者の息づかいを身近に感じながら 、そこへ行くことはできない。百閒にできるのは、回想しつつ待つことだけである。 ところが、ノラはなにくわぬ顔で「木賊の繁みを抜けて」行ってしまった。それが百 閒の心の「もつと奥の何かにさはつた」(「泣き虫」)にちがいない。「泣き虫の源は 遠い」という百閒は、また今度もそこへ行くことができないという思いで泣いていたの ではないだろうか。 そこに現れたのがノラにそっくりな子猫クルツ(またはクル)である。ノラ同様、ク ルツもまた偶然百閒の家に迷い込んだ野良猫である。これもまた初めから飼うつもりだ ったのではなく、いつの間にか居ついてしまったようだ。「クルはノラの伝言(ことづ け)をもたらしだのだと私は思う」(「ネコロマンチシズム」)。クルのことを書くと きしばしば百閒が使うフレーズだ。伝言の内容に言及されるとこはないが、そんな風に 思うことでクルの向こうにノラを見ている。クルは百閒家に六年飼われて、病死してい る。 「クルはゐますね」 「ゐるよ」 家内が云ふには、どこかから帰つてきてどろどろに汚れたきたない毛のまま、布団の 足許のところで寝てゐたクルが、いきなり起きて飛びついて来た。きたないではないか と云つても構はず家内の胸にしがみついた。(「カーテル・クルツ補遺」) クルは亡くなったあともこんな風にときどき現れては悪さをしたようだ。あとにも先 にも百閒がこんなにはっきりと死者との再会を描いているのは、これきりである。「一 昨年の夏、私共の手許で病死した猫が、死に切れないで迷つて来た、などど、そんな風 にはだれも感じてゐない。/さうではなく、ただうちへ帰りたくなつたのだらう。クル が帰りたくなつたのは自然で、当り前のことである」(「クルの通ひ路」) ちゃんと会えていたんだな。鏡花のようにおおげさに幽霊が出るようなことはなくて も、猫となら会えるんだという思いが押し寄せてきた。絶筆となった作品が「猫が口を 利いた」(『日没閉門』所収)というのも偶然というには出来すぎている。 『ノラや』はノラ失踪後の日々の記録として読めるだけではない。猫をどう読むかとい う解釈の試みでもある。百閒が果たそうとして果たすことができなかった、失われたも のとの再会、死者に会うということが唯一行われている作品、それが『ノラや』なので ある。
猫の客(平出隆)
はじめは、ちぎれ雲が浮かんでいるように見えた。浮かんで、それから風に少し
ばかり、右左と吹かれているようでもあった。 台所の隅の小窓は、丈の高い溝板塀に、人の通れぬほどの近さで接していた。 その曇りガラスを中から見れば、映写室ほの暗いスクリーンのようだった。 板塀に小さな節穴があいているらしい。粗末なスクリーンには、幅3メートル ほどの小路をおいて北向こうにある生垣の緑が、いつもぼんやりと映っていた。 狭い小路を人が通ると、窓一杯にその姿が像を結ぶ。暗箱と同じ原理だろう。 暗い室内から見ていると、晴れた日はことに鮮やかに、通り過ぎる人が倒立して 見えた。そればかりか、過ぎていく像は、実際に歩いていく向きとは逆の方へ 過ぎていった。通過者が穴にもっとも近づいたとき、逆立ちしたその姿は窓を あふれるほどにも大きくふくれあがり、過ぎると、特別な光学的現象のように、 あっという間にはかなく消えた。 チビは腰を落としてじっとそれを目で追う。やがて全身を低い姿勢に緊張させると 四肢をそろえてわずかに後方に身を退き、ばねをため込む様に丸く収縮する。 そこから、猛烈な勢いで地を蹴るや、白い小さな玉に敢然と飛びかかる。そうして、 両の前脚のあいだの宙にいつか玉を数往復させるほど打ち合わせながら、 こちらの脚の間を走り抜ける。 てんでんの性格は、こんな超絶技巧の途中にも、突然としてあらわれた。ピンポン玉 を見捨て、身を鋭角に翻したかと思うと、次の瞬間には置き石の影に潜むヒキガエル の頭に小さな掌を載せている。と、また次の瞬間には反対へ飛んで、片方の前脚から 突っ込むように草叢に滑り込み、白いおなかを見せたまま、小さくひくつきながら こちらを見ている。かと思うと、もう遊び相手には見向きもせずに、物干し竿に揺れる 下着の袖口を垂直とびでつかんでから、母屋の庭へと木戸を抜けていったりする。 引越しして半年の、1987年の早春のある日、アルミサッシュの窓を大きく 開けると、南から風が雪崩れてきた。流しの窓はもちろんのこと、二つの部屋の 東側のガラス障子それに食堂の出窓やトイレの窓まで次々に開け放っていくと、 家の中はたちまちに、風をはらむ祠となって荒れ始めた。雲が速く走る物干し場 の方へ呆然とした目を向けていると、細腕の二本からみあう恰好で宿り木が、 折れて落ちてきた。見上げると、隣家から蔽いかかる大きな欅けやきが、幹と枝 ばかりの全身をはげしく風に洗わせていた。 斜めの大きな天窓からは、日光の幾条かが射しては消え、その間合いに混じるように 梅の蕾も吹き込んできた。とばされた小机の上の紙の類は、落ちたところからまた、 意思あるもののように舞い立とうとしていた。 その子猫チビがあらわれ、借りている離れの家へはじめて入って来たときの光景は、 くりかえし思い出される。 広やかな庭から形ばかり仕切られえた小庭に面して、洗濯機を置く狭い土間があった。 ある明るい午後、その開き戸のわずかな隙間をいつかしら抜けてきて、白く輝く 四つの跡に半ば日曝しのすのこをことと踏んで、行儀のよい好奇心を全身に みせながら、貧しい部屋のうちを静かに見渡していた。 黒二毛というのか、焦げ茶というより墨の混じった泥のような色の、年寄った野良猫も 敷地内に出没していた。 家の中をそろそろと歩く。物と物のあいだへ、真白い毛並みに灰墨の玉模様の浮く 柔らかい身を、しばしが潜らせた。 疲れが濃くなって非常時に入ると、しかし決まって机が二つ面している南の窓越しに 濡れ縁に乗ってから窓の桟に両の前脚をかけてこちらを覗く、小さな仄白い影 が見えた。 そこで窓を開け、冬の暁に連れられてきた来客を迎え入れると、家内の気配は ひといきに蘇った。元日にはそれが初礼者となった。年賀によその家々を回り歩く 者を礼者という。めずらしくもこの礼者は、窓から入ってきてしかもひとことの 祝詞も述べなかったが、きちんと両手をそろえる挨拶は知っているようだ。 卵をもった初夏のものが、とりわけ美味として珍重される。 チビはそのまるごとの姿を見るや、いきなり興奮が極まった。焼き魚や刺身を もらうときとは、すっかり様子が変わっている。だが、妻はいつものように 声を掛けながら、手に取ったそれを指で一毟りをして、傍らに来ているチビ の口許に差し出した。チビは背中に背鰭ひれをこしらえたように総毛立っていた。 尾は狸のそれのように膨張しきっている。またたく間に平らげてしまうと、 その味覚のせいか舌触りや咽喉越しのせいか、重ねて別種の興奮が来たようである。 妻がもうひと毟りむしりした。チビが襲うように食べた。それから少し間を 置いて、もうひと毟りした。チビがまた一瞬のうちに平らげてしまうと、口中で 赤い舌が炎のように裏返るのが、向き合った席から見えた。 さらにもうひと毟りするまでの間を、チビはこらえきれなかった。まどろっこしい というのか、全身いっぱいでじりじりとしてみせ、目は夜叉のように切れ長となり、 卓袱台にかけていた前脚には、みるみる鉤かぎ型の爪があらわになった。 狩猟に動いたチビの牙が、シャコを遠ざけようとした妻の掌に深々と食い込んでいた。 チビは、人間には素気ないくせに、東隣の家からこの庭に入ってくると、身も心も 一変したように緑のひろがりの隅々に鼻を突き入れ、目を凝らし、前脚を差し入れ、 ときには躍りかかり、埒をなくしたように全速力で駆け巡っていた。それは お婆さんたちがいなくなって燈籠に灯も点らなくなった日々の、深夜にも未明にも つづいた。 チビにとって、そこは森の様であっただろう。一緒に逍遥にしていると、ある瞬間 場所のすべてに感応したというように全身に波を起こし、一体をむやみに疾走 してから立ち木の高いところへと上り詰めて、さらにどこかへ逃れでようとするように 中空に身を曝し、打ち震える、そんな動きの全過程をみることがあった。 防犯のために点している玄関の常夜燈と離れの住居からくる明るみとのほかは、 月の光がようやく、物の文目あやめをつけさせていた。仄暗い屋敷の中で、 小さな白い玉が跳ねて、硬い音を立てた。それを追う小さな生き物も、月光を まとって、白い珠のようになった。 昼は昼で、チビは梅の花びらを背につけたりしながら、ハナアブを叩き、トカゲを 嗅ぎ、精気と混沌の兆しをはじめた庭で遊び続けた。突然の木登りは、稲妻に 化けた様であった。稲妻はたいがい上から下へ走るものだが、この稲妻は 下から上へも走ったわけである。チビが電撃的な動きで柿の木に登るのを、 件のノートの中で、稲妻の切尖のようにと妻は描き止め、また、雷鳴を 起こす手伝いをするように、とも言い換えたりした。、、、、 登りきった柿の木の梢で、風はあらゆる変化を鋭く窺がいながら次の瞬間に 対して身構えている姿は、天からも地からも離れて、あらぬ隙間へ突き出よう とする姿である。 猫は飼い主にだけ心を許す、だから一番可憐な姿は、飼い主の前にだけ曝す ものだ、と聞いた。猫を所有する事をことを知らないまま、飼っている状態だけ を擬似的に味わっている夫婦は、チビの一番甘えきった姿というものを、 見せてもらっていないはずだった。 ところが、そのためにかえって、チビは飼い主さえ知らない、媚びることの ない無垢と言う、野生の姿を示してくれている。チビから受ける神秘的な 感じの由来は、簡単に暴いてしまえばそんなことではないか、と思ったものだ。 すなわちその最たる姿が、稲妻捕りと呼ばれるものだった。 7月半ばに梅雨があけると、庭の池のほとりの日当たりのいい岩に、1匹の シオカラトンボの蒼い姿態があらわれていた、ホースの水で作る空中の弧に ついついと口付けしてきたあの1匹の、遺した息子と言うことになるのだろうか。 あの親しかった雄のシオカラトンボは、八月の終りとともに見えなくなった。 お爺さんとお婆さんが離れていった庭から、翅のある友もその妻も消えてゆくのを、 しばらくは惜しんだものだった。だがその同じ彼が、この夏の光とともに 蘇って来た気がした。するとその消失とにせの蘇生とのあいだに、取り返せなく 消えていった者たちのことが、かえってありありと思い返された。 七月も終りの、陽射しの強い午後、庭に出るとまず、池に迫り出すその岩に目をやった 。 シオカラトンボはいなかった。そんなとき以前していたように、軽く二回、 手を拍った。すると、どこからか大気をかすかに震わせて、涼しい影が飛行して来た。 水のアーチをつくると喜んだようにあたりを飛びめぐってから近づいてくるところなど 、 あのシオカラトンボと変わりがない。張り巡らされた蜘蛛の糸を巧に避けながら、 廃れていくばかりの庭を隅々まで、彼も豪勢に住みなしているらしい。ふと思い立って 、 水栓を締めた。水流を作ることをやめて、左手の人差し指を宙に突き出してみた。する と 彼は、中空に大きな一巡りの呼吸を入れた。それから速やかに接近してきて、 眼の前で小さく別の旋回を見せたかと思うと、人差し指の指す方向に向いて、 その指に止まった。喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、 長い時間だった。ひとけの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている 庭の中央で、指先にしばし、大きな2個の複眼と透き通った4枚の翅を載せていた。 わずかな身じろぎが伝わって彼は中に舞い上がったが、また直ぐに戻ってきて止まった 。 それから再び静かな時間が過ぎた。 それから、ぐったりしているミンミンゼミを掴んで掌に載せた。もう駄目かと思って いたら、ミンミンゼミは緑の斑紋をもつ翅からちょっと音を立ててよろよろと 飛び立ち、いったん地面に落ちそうになりながら、また持ち直した恰好で翅を 打ち震わせ、高く、西側の塀を越えて飛んで行った。 ただし、チビがどこまでも人の世を突き抜けて天にも地にもいないような神秘的な 感じを持っていたのに対してお姉ちゃんという子猫には、柔らかい、平穏で 地上的なものがあった。それに体型が少し洋梨形に丸みを帯びていて、尻尾は 短く、アニメーションから抜け出してきたような親しみやすさがある。 猫そのほかの本
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