5.猫の客(平出隆)
この本は、隣の猫との交流を描いたものであるが、その詩的な文章が好きだ。
まず、以下のような文章から始まる。
「はじめは、ちぎれ雲が浮かんでいるように見えた。浮かんで、それから風
に少しばかり、右左と吹かれているようでもあった。
台所の隅の小窓は、丈の高い溝板塀に、人の通れぬほどの近さで接していた。
その曇りガラスを中から見れば、映写室ほの暗いスクリーンのようだった。
板塀に小さな節穴があいているらしい。粗末なスクリーンには、幅3メートル
ほどの小路をおいて北向こうにある生垣の緑が、いつもぼんやりと映っていた。
狭い小路を人が通ると、窓一杯にその姿が像を結ぶ。暗箱と同じ原理だろう。
暗い室内から見ていると、晴れた日はことに鮮やかに、通り過ぎる人が倒立して
見えた。そればかりか、過ぎていく像は、実際に歩いていく向きとは逆の方へ
過ぎていった。通過者が穴にもっとも近づいたとき、逆立ちしたその姿は窓を
あふれるほどにも大きくふくれあがり、過ぎると、特別な光学的現象のように、
あっという間にはかなく消えた」。
そして、以下のようにチビとの交流が始まる。
「その子猫チビがあらわれ、借りている離れの家へはじめて入って来たときの光景は、
くりかえし思い出される。
広やかな庭から形ばかり仕切られえた小庭に面して、洗濯機を置く狭い土間があった。
ある明るい午後、その開き戸のわずかな隙間をいつかしら抜けてきて、白く輝く
四つの跡に半ば日曝しのすのこをことと踏んで、行儀のよい好奇心を全身に
みせながら、貧しい部屋のうちを静かに見渡していた。
黒二毛というのか、焦げ茶というより墨の混じった泥のような色の、年寄った野良猫も
敷地内に出没していた。
家の中をそろそろと歩く。物と物のあいだへ、真白い毛並みに灰墨の玉模様の浮く
柔らかい身を、しばしが潜らせた」。
さすがに、チビの以下のような行動をとれる猫は我が家にはいない。それは、高齢化が
なせることか、元々我が家の猫たちが鈍いのか、そんな場面を我々が知らないのか。
しかし、時折、バッタやスズメ、トカゲ、大きいものではネズミが、我が家に
捨て置かれていることもある。戦利品として我々に見せているのだ、妻の弁だが。
「防犯のために点している玄関の常夜燈と離れの住居からくる明るみとのほかは、
月の光がようやく、物の文目あやめをつけさせていた。仄暗い屋敷の中で、
小さな白い玉が跳ねて、硬い音を立てた。それを追う小さな生き物も、月光を
まとって、白い珠のようになった。
昼は昼で、チビは梅の花びらを背につけたりしながら、ハナアブを叩き、トカゲを
嗅ぎ、精気と混沌の兆しをはじめた庭で遊び続けた。突然の木登りは、稲妻に
化けた様であった。稲妻はたいがい上から下へ走るものだが、この稲妻は
下から上へも走ったわけである。チビが電撃的な動きで柿の木に登るのを、
件のノートの中で、稲妻の切尖のようにと妻は描き止め、また、雷鳴を
起こす手伝いをするように、とも言い換えたりした。、、、、
登りきった柿の木の梢で、風はあらゆる変化を鋭く窺がいながら次の瞬間に
対して身構えている姿は、天からも地からも離れて、あらぬ隙間へ突き出よう
とする姿である。
猫は飼い主にだけ心を許す、だから一番可憐な姿は、飼い主の前にだけ曝す
ものだ、と聞いた。猫を所有する事をことを知らないまま、飼っている状態だけ
を擬似的に味わっている夫婦は、チビの一番甘えきった姿というものを、
見せてもらっていないはずだった。
ところが、そのためにかえって、チビは飼い主さえ知らない、媚びることの
ない無垢と言う、野生の姿を示してくれている。チビから受ける神秘的な
感じの由来は、簡単に暴いてしまえばそんなことではないか、と思ったものだ。
すなわちその最たる姿が、稲妻捕りと呼ばれるものだった」。
残りの猫についても少し紹介しておこう。
ナナは、我が家の最古参である。主人がナナと初対面したのは、ま
だ京都に住んでいた時、この滋賀へ来る少し前であった。
その声はどこからか、主人を呼ぶかのようにひそやかに聞こえてきた。
三番目の息子の部屋でそれは聞こえていた。小さく片隅に置かれた段ボールからだ。
そっとその段ボールを開けてみると、そこに小さな生命体がいた。生まれたばかりの小
猫であった。目が見えないのか、薄茶色の体を段ボールのあちこちにぶつけながらしか
し、生きるという行動を必死にとっているようであった。二、三日前草むらにいたのを
連れ帰ってきたという。その日から、家族の一員となった。
京都では、柴犬のグンが唯一の動物であったが、初めての猫族の登場であり、
その後の猫族到来の第一歩でもあった。主人もママも子猫の時は、その排泄を
するため、刺激を与えないとダメということを初めて知った。水を含んだ綿で
お尻などにとんとんと刺激するのである。これを息子たちが交互にやっていた。
滋賀に来るとすぐに、トトというきれいな三毛猫が家族となったが、同じ雌
同士からかナナのその後の性格や行動を決めた。やや緑がかった目と薄茶色の
細身の体は、人間的には美人になるのであろう。
途中一か月もの行方不明の事件もあったが、今は十七歳の毛並も衰えたその身を主人や
ママの横で、過ごしている。その短気さと気の強さは変わらないまま。
ママの言う、一番猫らしい猫、即ちその好物は魚であり、他の四人のドライフードや缶
詰好みとは大いに違う。
6.猫 柳田國男ほかの短編集より
猫島として有名なのが、ここにも紹介のある田代島、現在150匹ほどいると言う。
他には、高松の男木島、岡山の真鍋島、愛媛の青島など多数ある。また、福井の
御誕生寺は猫寺として有名であり、住職のおかげで数十匹の猫が世話になっている
という。
「猫の島
陸前田代島の猫の話では、これは古くから言われていた事らしいが、
田代は猫の島だから犬を入れない。また、色々の猫の怪談が特に、
この島のみに信じられる事になったのかの原因を逆に訪ねる必要がある。
犬を上陸させてはならぬという戒めは伊豆の式根島にもあったと聞いている。
他には、安芸の厳島の別島に黒髪と言う所あり、そのかみ明神のましませし
所にて、今に社頭鳥居など残りてあり。この島に犬無し。犬の吠ゆる声を
憎ませたまう故といえりとある。
犬と猫との仲の悪いことは、日本では殊に評判が高く、枕草子にもすでに
その一つの記録があるが、そればかりでは犬を憎むという島が、即ち
猫の島に変ずる理由には成りかねぬように疑う人もあるいは無いとはいえぬ。
しかし人をそのような空想に導く事情は、私達から見ればまだ此れ以外
にもあったのである。多くの家畜の中では、猫ばかり毎々主人に背いて
自分らの社会を作って住むと言うことが、第1には昔話の昔からの話題で
あった。九州では阿蘇郡の猫岳を始めとし、東北は南部鹿角郡の猫山の
話まで、いい具合に散布して全国に行われているのは、旅人が道に迷う
て猫の国に入り込み、おそろしい目にあって戻って来たと言う奇話であった。
猫岳では猫が人間の女のような姿をして、多勢集まって大きな屋敷に
住み、あべこべに人を風呂の中に入れて猫にする。気付いて逃げて
出る所を後から追いかけて、桶の湯をざぶりとかけたらそこだけに
猫の毛が生えてきたと言う話もあって、支那で有名な板橋の三娘子、または
今昔物語の四国辺地を通る僧、知らぬところに行きて馬に打なさるるはなし、
さては泉鏡花の高野聖の如き、我々がよく言う旅人馬の昔話を、改造した
ものとも考えられぬことはないが、それには見られない特徴もまたある。
中国方面では折々採取される例では、この猫の国の沢山の女たちの中に、
1人だけ片目の潰れた女がいたが、その女の言うにはここにいると危ないから
逃げなさいと教えてくれた猫もいた。
能登半島のはるか沖に、猫の島と言う島があることは、やはり今昔物語の中に、
二度まで記してあるが、此れは鮑の貝の甚だしく捕れる処というのみで、
島の名の起こりは一言も説明せられていない。もやは尋ねてみる方法は
ないかもしれないが、あるいはずっと以前に猫だけが集まって住む島が
あるように、想像していた名残ではないかと思っている。それから今一つ
常陸の猫島は筑波山の西麓で、是は島でも何でもない平野の村であるが、
奇妙に安倍清明の物語の中に入って、早くからその名を知られていた。
土地にも色々と清明の遺跡があって、全ては陰陽師の居住する村であった
ことだけは考えられるが、やはり猫島の地名の由来を明らかにすることが
出来ない。
猫が人間を離れて猫だけで一つの島を占拠するということは、現実には
有りうべきことではない。彼らには舟も無くまた希望も計画も無いからである。
しかし島人には現代に入って後まで、鼠の大群が島に押し渡って、土民の
食物を奪いつくし、暴威をふるった物凄い経験を重ねているために、
猫にも時合ってそういう歴史があったように、想像することが出来たものらしい。
八犬伝に出てくる赤岩一角、上州庚申山の猫の怪という類の話は、いくら例が
あっても要するに空想の踏襲に過ぎない。猫岳猫山の昔話とても、昔々
だからそんな事もあったろうという程度にしか、之を承認するものはもう
無いのである。ところが少なくとも島地だけでは、今でもまだ若干の形跡が
現実に住民の目に触れているのである。猫ならそれくらいなことはするかも
しれない。猫の島というのが何処かの海上に、あるというのも嘘でなかろうと、
思うような心当たりは島にはある。南島雑話は今から百年あまり前の、
奄美大島の滞在記録であるが、そのなかには次のような1条がある。
曰く又ここに一つの奇事あり、雄猫は成長すれば全ての山に入りて山中
猫多きものという。其猫雌猫を恋するときは里の出で、徘徊す伝伝とあって、
それでも山に入ったまま出てこぬ雄猫も多いので、この島の雌猫は往々にして
子を産まぬものがあるという。山に入って行くのが、悉く雄のみだという
観察は、必ずしも正確を期せられない。男性に限ってそんな思い切ったこと
をするよいうのは、或いは人間からの類推であって、実際は山でも時々
は配偶が得られ、従ってまた反映もしたのではないかと思う。
隠岐は島後でも島前の島々でも、飼い猫の山に入ってしまうことを説く
者が今も多いが、愛媛では雌雄の習慣の差はないようである。猫の屋外
の食料は動物ばかりで、家でもらうものよりはたしかに養分が豊かである。
それ故に家々の猫が之をはじめると見る見る太り、そうして段々と
寄り付かなくなってくるのである。面白い事にはこの島には狐狸がいらぬ
ためか、彼らのすることは全てこの猫がしている。寂しい山道や森の陰には
必ず著名な猫が住んで関所を設けている。魚売りが脅かされて籠の荷をしてやられ、
または祝宴の帰りの酔うた客人が夜道を引き回されて包みや蝋燭を奪われた
と言うだけでなく、化けた騙した相撲を挑んだと言う類の他の地方では河童や
芝天狗のしそうな悪戯までを、壱岐では悉く猫がする様になっている。人が
そういう特殊の名誉を、次々に山中の猫に付与したのでなかったら、彼ら独自の
力では是まで進化しそうもない。即ち陸前田代島の怪談なども、単に我々の
統御に服せざる猫がいるという風説から成長した事が類推せられて来るのである。」
いずれにしろ。昔から猫たちも頑張って国造り?をしている。
そんな思いで見たいもの。
また、犬との違いにも触れられている。
「犬と猫との違いはこういうところにあるかと思う。犬には折々は乞食を主人と
頼むものもいるが、猫のほうがよほど美味い物をくれないとふいと出て行って
戻ってこない。東京の真ん中でも空き地へ出てバッタを押さえたり、トカゲを
咥えて来て食っているのがいる。あら気味が悪いと言ったところで、もともと
鼠を給料のつもりで、飼っているような主人である。あまり美食させると鼠を
捕らなくなるからいけないなど、気まづいことを考えている主人である。
いづくんぞ知らん猫たちの腹では、へんこの家には鼠が多いから居てやるんだと、
つぶやいているかも知れぬのである。
そう言う中でも、いやに長火鉢の傍などを好み、尾を立て咽喉を鳴らして媚びを
売ろうとするものと、子供でもくるとつい立ち退いて、半日一夜ごこへ行ったか
何を食っているかもわからぬ者とがある。これは勿論気力の差、もしくは
依頼心のていどでもあろうが、1つには、又各自の経験の多少にも由ることで、
田舎は大抵の街の真ん中よりも、その経験をする機会が多かったわけである。
娘や少年の前に出たがらぬ者を、関東の村々では天井猫といい、あるいは
ツシ猫など戯れて呼ぶ例も多いが、これは猫たちが屋根裏に隠れて何をしているか
を、考えない人々の誤った警鐘である。」
7.ノラや
「ノラや」は、内田百閒の飼い猫ノラの失踪とその後飼われた猫クルツに関する文章を
あつめた作品集。昭和32年3月、ノラがふらっと家を出たまま帰ってこなくなった。
その後の百閒の悲しみようは大変なもので、毎日めそめそと泣き暮らし、風呂のふた
の上に寝ていた猫を思い出すからといって風呂にも入らなかった。
猫探しの情熱も並々ならぬものがあり、新聞広告や折込チラシによってくり返し情報
提供を求め、ノラに似た猫がいるとの知らせのたび奥さんらが近所を駆け回った。
ときには、埋められた猫の死体を掘り返すことまでさせている。
「クルは毎晩家内の寝床に抱かれて寝た。寝るときは枕をするのが好きらしい
ので家内が小さな猫の枕をこしらえてやった。ずっとその枕で寝ていたが、
この頃になってから枕ではなく、家内の腕に抱かれて寝るくせになった。
あとから考えると、何と無く段々人にすりついていたがる様になったらしい。
そうしておとなしく寝ていれば良いが、自分が寝るだけ寝て目を覚ますと、
一人で起きているのは淋しいのだろう。夜中でも、夜明け前でもお構いなく、
いろんな事をして寝ている家内を起こす。人の顔のそばに自分の顔をくつつけて
ニヤアニヤア鳴いたり、濡れた冷たい鼻の先を頬に擦り付けたり、それでも
起きないと障子の桟に攀じ登って、障子の紙を破いたり、箪笥棚の上に
置いてあるドイツ土産のシュタイフの小鹿をひっくり返したり、あらん限り
のいたづらをする。家内がいくら叱っても怒っても利き目はない。
猫の目的は、自分独りで起きているのはいやだから、人が寝ているのが気に
入らないのだから、寝ている家内を起こすことにある。
だから家内が根負けしてそこにおきればおとなしくなる。起きたのを見届けて
それで気がすむと今度は寝床の足下のほうに回り、らくらくとくつろいだ恰好に
なって、又ぐうすら寝込んでしまう。
我が儘で自分勝手で、始末が悪い。
しかしそうやって、何と言うこと無く人にまつわり付いていようとする猫の気持
が可愛いくない事はない。」
このような情景は我が家でも同じだ。特にナナは歳が経るにつれて、ますます妻の
ベッドで寝るようになった。
「行くのか」と云つて家内が起ち上がらうとすると、先に立つてもう出口の土間に降り
て待つてゐる。家内は戸を開けてやる前に土間からノラを抱き上げ(…)洗面所の前の
木戸の所からノラがいつも伝ふ屏の上に乗せてやらうとしたら、ノラはもどかしがつて
、家内の手をすり抜けて下へ降りた。さうして垣根をくぐり木賊の繁みの中を抜けて向
うへ行つてしまつたのだと云ふ。(「ノラや」三月二十九日金曜日)」
このような日記を書き綴っているが、さすが我が家の猫で行方不明者はいない。
もっとも、食事だけに来る猫は数年すると、次の新しい猫に代替わりするが。
8.猫町 萩原朔太郎
さすが、彼の視点はほかの猫の小説とは違う。ちょっとこのような文は描けない。
「町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々
が歩いていた。どこかで遠く、胡弓こきゅうをこするような低い音が、悲しく連続して
聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこか
で一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であ
った。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体
が混乱の中に陥入おちいってしまう。
私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死にもがいている人
のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の
密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪ゆがんで、病気のように瘠やせ
細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏
の脚みたいに、へんに骨ばって畸形に見えた。
「今だ!」
と恐怖に胸を動悸どうきしながら、思わず私が叫んだ時、或る小さな、黒い、鼠ねず
みのような動物が、街の真中を走って行った。私の眼には、それが実によくはっきりと
映像された。何かしら、そこには或る異常な、唐突な、全体の調和を破るような印象が
感じられた。
瞬間。万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事かわからなかった。
だが次の瞬間には、何人なんぴとにも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が
現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。
猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、
髭ひげの生はえた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた
。
戦慄せんりつから、私は殆ほとんど息が止まり、正に昏倒するところであった。
これは人間の住む世界でなくて、猫ばかり住んでる町ではないのか。一体どうした
と言うのだろう。こんな現象が信じられるものか。たしかに今、私の頭脳はどうかして
いる。自分は幻影を見ているのだ。さもなければ狂気したのだ。私自身の宇宙が、意識
のバランスを失って崩壊したのだ。
私は自分が怖こわくなった。或る恐ろしい最後の破滅が、すぐ近い所まで、自分に迫
って来るのを強く感じた。戦慄が闇を走った。だが次の瞬間、私は意識を回復した。
静かに心を落付おちつけながら、私は今一度目をひらいて、事実の真相を眺め返し
た。その時もはや、あの不可解な猫の姿は、私の視覚から消えてしまった。町には何の
異常もなく、窓はがらんとして口を開あけていた。往来には何事もなく、退屈の道路が
白っちゃけてた。猫のようなものの姿は、どこにも影さえ見えなかった。そしてすっか
り情態が一変していた。町には平凡な商家が並び、どこの田舎にも見かけるような、疲
れた埃っぽい人たちが、白昼の乾かわいた街を歩いていた。あの蠱惑的な不思議な町
はどこかまるで消えてしまって、骨牌カルタの裏を返したように、すっかり別
の世界が現れていた。此所に現実している物は、普通の平凡な田舎町。しかも私のよく
知っている、いつものU町の姿ではないか。、、、、」
9.そのほか
他にも猫の登場する小説を何冊か読んだが、どうも私にはしっくりいかない。
だが、これは少し参考になった。
ポール・ギャリコの「猫語の教科書」である。
「人間ってどう言う生き物?」では、
私の家のご主人が、奥さんにどなったり、机をバンとたたいたり、
または、ガミガミと言ったからといって、奥さんとの仲が悪い
わけではありません。こういうことは、男性にとってただの習慣の
ようなもの。男たちは、怒鳴ったり、文句をいったり、いばったり、
命令したりするけれど、女性たちは放っておきます。、、、、、
女性は多くの点で私たち猫に似ています。、、、、
猫が「人間の家を乗っ取る方法」では、
私たち猫が人間の家に入り込む時に、使うのに、これほどぴったりの
言葉(乗っ取る)がほかにあるかしら。だって、たった一晩で、
何かもが変っわちゃうんですもの。その家もそれまでの習慣も、
もはや人間の自由ではなくなり、以後人間は、猫のために生きるのです。
我が家はすでに、乗っ取られている様だ。
最後に、ハナコについて少し書いておく。
ハナコは、野良猫として雄のノロと行動していたが、ある日我が家の
庭に紛れ込んできた。、、、、、
主人が手に何かを持って奥から出てきた。
なんと、手には、猫用の缶詰と水がある。
それを、そーと縁側に置くと、すーと姿を消した。
まあ、食べたければ、食べなさい、と言った風情である。
ノロとハナコにとって、凄く長い時間を感じた。
数歩先には、上等な食事が二人を手招きしている。
早く食べに来いよ!!と言っている様だ。
「ノロさん、どうしよう?おなか減ったし、食べまへん!」
「チョット、待て。どうも話が上手すぎるわ。俺たちを捕まえる
罠かもしれへん」
「でも、優しそうな人だったみたいやよ?」
「人間なんて、うわべだけで判断しちゃあかんよ。俺の経験では、
ニコニコしている人間ほど、危険な人間はいいひん。昔、俺の仲間も
その手で、何人にも捕まって何処かに連れて行かれたんや。」
「へえ、怖いやね」
そこへ、かの主人が、顔を出した。
「お前たち、食べないのか?別に毒なんか入ってないよ」
と言って、こちらに、手招きしている。
勿論、猫語と人間語では、十分に分かっているとは、言えないが、
何もしないから、早く食べろ!と言っているのは、二人も
理解できた。
「しゃあない、まず、俺が行くから、様子を見て、お前も来いや」
ノロは。歩伏前進の姿勢で、缶詰のところへ向かう。
そして、猛烈に食べ始めたのである。
ハナコも、慌てて後に続いた。
ああ、何日かぶりの満足な食事であろうか。この匂いと喉越し
に消えていく香ばしい魚の感触。
満腹感が二人を支配していた。
アノ劇的な日から数日が過ぎた。
しかし、暫くは、ノロはアノ家に近付かなかった。
ノロの長年の野良猫としての経験から、人間への恐怖感と猜疑心
がそうさせたのかも知れない。
ハナコは、少し違った。
アノ食事の魅力が、ノロと居ても思い出される。恐さよりも、食事への
魅力が、絶えず、ハナコの頭の中で、唸りを上げている。
ある日、ハナコは、一人で、あの魅力に満ちた家の庭に忍び込んだ。
そして、その日も、たまたま顔を出した主人とその主人のママがいた。
「ママ、チョット来てみて、例の猫が来てるぜ!」の声に合わして出てきた
ママと呼ばれる人に初対面もした。
暫くして、ノンビリと庭先に居るハナコを見る様になった。
無事、家猫になった。
もっともこれにはもう一つの経緯がある。
この家にハナコが来たとき、かなりの太めのお腹をしていた。
これを見たママがさっそく栗田先生のところへハナコを連れて行って
手術をしようとしたが、その時、栗田さんの一言。
手術をするなら、家猫として飼ってください、と。
いま主人の足元には、その時とはかなりスマートになり、べったりと
床に腹ばいのハナコがいる。
4つの足をのばしきってその茶と黒、白の斑模様をまるで虎の敷き皮
のごとく見せている。
チャトは昨年転生した(死んだ)、残った猫たちもすでに高齢化の
歳である。いつまでこの生活が続くのであろうか。
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