P47 しばらく二人はじっと対座していた。 女が立ち上がった。 物静かに廊下の闇に消えた。 ややあって、女が茶碗を捧げて、微風にその長い袂をゆらめかせて、還って来た。 男の前に茶をすすめる。 作法通りに薄茶をすすめてから、もとのところに坐った。 男が何かを言っている。男はなかなか茶を喫しない。 その時間が異様に長くて、異様に緊張しているのが感じられる。 女は深くうなだれている。 信じがたいことが起こったのはその後である。 女は姿勢を正したまま、俄かに襟元をくつろげた。 私の耳には固い帯裏から引き抜かれる絹の音がほとんど聞こえた。 白い胸があらわれた。私は息を飲んだ。女は白い豊かな乳房の片方を、あらわに 自分の手で引き出した。 士官は深い暗い色の茶碗を捧げもって、女の前に膝行した。 女は乳房を両手で揉むようにした。私はそれを見たとは言わないが、 暗い茶碗の内側に泡立っている鶯色の茶の中へ、白いあたたかい乳がほとばしり、 滴りを残して納まる様、静寂な茶の表がこの白い乳に濁って泡立つ様を、眼前に 見るようにありありと感じたのである。 男は茶碗をかかげ、その不思議な茶を飲み干した。女の白い胸もとはかくされた。 私たち二人は、背筋を強ばらしてこれに見入った。あとから順を追って考えると、 それは士官の子を孕んだ女と、出陣する士官との、別れの儀式であったか とも思われる。 しかしその時の感動は、どんな解釈をも拒んだ。あまり見詰めすぎたので、 いつのまにかその男女が座敷から姿を消し、あとにはひろい絨毯だけが 残されていることに、気がつくには暇がかかった。 P51 父の二つの掌が、背後から伸びてきて、目隠しをしたのである。 今もその掌の記憶は活きている。たとえようもない広大な掌。 背後から回されてきて、私の見ていた地獄を、忽ちにしてその眼から覆い隠した 掌。他界の掌。愛か、慈悲か、屈辱からかは知らないが、私の接していた 怖ろしい世界を、即座に中断して、闇の中に葬ってしまった掌。私はその掌の 中でかるくうなずいた。諒解と合意が、私の小さな顔のうなずきから、 すぐに察せられて、父の掌は外された。 そして、私は、掌の命ずるまま、掌の外されたのちも、不眠の朝が明けて、 瞼がまばゆい外光に透かされるまで、頑なに眼を閉じ続けた。 P54 母は日に焼けた顔に、小さなずるそうな落ち窪んだ目を持っていた。 唇だけは別の生き物のように赤くつやつやしており、田舎の人の頑丈な 硬い大柄な歯が並んでいた。都会の女なら厚化粧をしておかしくない 年であった。できるだけ醜くしているような母の顔が、どこか 淀みのように肉感を残しているのが、私には敏感にわかり、それを憎んだ。 、、、 納戸はすでに暗い。私の耳元に口を寄せたので、この「慈母」の汗の匂い が私のまわりに漂った。そのときの母が笑っていたのを私は憶えている。 遠い授乳の記憶、浅黒い乳房の思い出、そういう心象が、いかにも不快に 私の内を駆け巡った。卑しい野心の点火には、何か肉体的な強制力の ようなものがあって、それが私を怖れさせたのだと思われる。母のちぢれた 後れ毛が私の頬に触ったとき、薄暮の中庭の苔生した蹲の上に、私は 一羽の蜻蛉が羽を休めているのを見た。夕空はその小さな円形の水の上に 堕ちていた。物音はどこにもなく、鹿苑寺はそのとき無人の寺のように思われた。 P82 本館は古い沈鬱な赤煉瓦の二階建てである。玄関の屋根の頂に、青銅の櫓が そそり立っているが、鐘楼にしては鐘が見えず、時計台にしては時計がない。 そこでこの櫓は、か細い避雷針の下に、むなしい方形の窓で青空を 切り抜いているのである。 玄関のわきには、樹齢の高い菩提樹があって、その荘厳な葉叢むらは、日が当たると 赤銅色に照り映える。校舎は本館から建て増しに建て増しを重ね、何の秩序もなく つながっているが、多くは古い木造の平屋で、この学校では土足が禁じられているので 棟と棟とは、壊れかかった簾の子を際限もなくつらねた渡り廊下で連絡されている。 簾の子は思い出したように、壊れた部分だけが修理されている。そこで、 棟から棟へ渡ると、もっとも新しい木の色から。もっとも古い木の色に至るまでの 各種の濃淡のモザイクが、足の下に踏まれた。 P84 フレイムに塗られた青いペンキは、剥げて、毛羽立って、枯れた造花の様に捲きちじれ て いた。側らには、二三段の盆栽の棚があり、瓦礫の山があり、ヒヤシンスや桜草の 花圃もあった。クローバの草地は座るのに良かった。光はその柔らかな葉に吸われ、 こまかい影も湛えられて、そこら一帯が、地面から軽く漂っているように見えた。 座っている柏木は、歩いている時と違って、人と変わらぬ学生であった。のみならず、 枯れの蒼ざめた顔には、一種嶮しい美しさがあった。肉体上の不具者は美貌の女と 同じ不敵な美しさを持っている。不具者も、美貌の女も、見られることに疲れて、 見られる存在であることに飽き果てて、追い詰められて、存在そのもので見返している 。 見たほうが勝ちなのだ。弁当を食べている柏木は伏目でいたが、私には彼の目が 自分の周りの世界を見尽くしている事が感じられた。 彼は光の中に自足していた。この印象が私を打った。春の光や花々の中で、私の 感じる気恥ずかしさやうしろめたさを、彼の持っていないことが、その姿を見ても わかった。彼は主張している影、というよりは、存在している影そのものだった。 日光は彼の硬い皮膚から染み入らないのにちがいなかった。 音楽は夢に似ている。と同時に、夢とは反対のもの、一段と確かな覚醒の状態 にも似ている。音楽はそのどちらだろうと私は考えた。 P145 私は蜂の眼になって見ようとした。菊は一点の曇りもない黄色の端正な花弁を 広げていた。それは正に小さな金閣のように美しく、金閣のように完全だったが、 決して金閣に変貌することはなく、夏菊の花の一輪にとどまっていた。そうだ、 それは確乎たる菊、1個の花、何ら形而上的なものの暗示を含まぬ一つの形態に とどまっていた。それはこのように存在の節度を保つことにより、溢れるばかりの 魅惑を放ち、蜜蜂の欲望に相応しいものになっていた。形のない、飛翔し、流れ、 力動する欲望の前にこうして対象としての形態に身を潜めて息づいていることは、 何と言う神秘だろう。形態は徐々に希薄となり、破られそうになり、おののき 震えている。 それもそのはず、菊の端正な形態は、蜜蜂の欲望をなぞって作られたもので、 その美しさ自体が、予感に向って花開いたものなのだから、今こそは、生の 中で形態の意味がかがやく瞬間なのだ。形こそは、形のない流動する生の鋳型 であり、同時に、形のない生の飛翔は、この世のあらゆる形態の鋳型なのだ。 蜜蜂はかくて花の奥深く突き進み、花粉にまみれ、酩酊に身を沈めた。 蜜蜂を迎え入れた夏菊の花が、それ自身、黄色い豪奢な鎧を着けた蜂のように なって、今にも茎を離れて飛び立とうとするかのように、はげしく身を ゆすぶるのを私は見た。 私はほとんど光と、光の下に行われているこの営みとに眩暈を感じた。 ふとして、又、蜂の目を離れて私の眼に還ったとき、これを眺めている 私の目が、丁度金閣の目の位置にあるのを思った。それはこうである。 私が蜂の目である事をやめて私の目に還ったように、生が私に迫ってくる 刹那、私は私の目であることをやめて、金閣の目を我が物にしてしまう。 そのとき正に、私と生との間に金閣が現れるのだ、と。 私は私の目に還った。蜂と夏菊とは茫漠たる物の世界に、ただいわば 「配列されている」にとどまった。蜜蜂の飛翔や花の揺動は、風のそよぎ と何ら変わりがなかった。この静止した凍った世界ではすべてが同格であり、 あれほど魅惑を放っていた形態は死に絶えた。菊はその形態よってではなく、 我々が漠然と呼んでいる「菊」という名によって、約束によって美しいに すぎなかった。私は蜂でなかったから菊に誘われもせず、私は菊でなかったから 蜂に慕われるもしなかった。あらゆる形態と生の流動との、あのような 親和は消えた。世界は相対性の中へ打ち棄てられ、時間だけが動いていたのである。 P174 由良川は終りに近づくほどに、幾つかのうらさびしい洲を露わにした。 川水は確実に海へ近づき、潮に犯されているのだが、水の面はますます沈静に 何の兆しも浮かべていなかった。失神したままで死んでいく人のように。 河口は意外に狭い。そこに溶け合い、犯しあっている海は、空の暗い雲 の堆積に紛れ入り、不明瞭に横たわっているだけである。 私が海を触知するには、野や田畑を渡ってくる烈風に向って、なおしばらく 歩かなければならなかった。風が北の海をくまなく描いた。 こんなに厳しい風が、人の気配もない野の上に、このように浪費される のは、海のためだった。それはいわばこの地方の冬を覆っている気体の海、 命令的な支配的な見えざる海なのである。 河口のむこうに幾重にも畳まれていた波が、徐々に灰色の海面のひろがり を示した。山高帽のような形をした島が、河口の正面に浮かんできた。 それは河口から八里の冠島で、天然記念物の大みずなぎ鳥の生息地である。 、、、、 烈風は冷たく、手袋をしていない手はほとんど凍えていたが、何程の ことはなかった。 それは正しく裏日本の海だった。私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、 私のあらゆる醜さと力の源泉だった。海は荒れていた。波は次々とひまなく 押し寄せ、今来る波と次の波との間に、なめらかな灰色の深淵をのぞかせた。 暗い沖の空に累々と重なる雲は、重たさと繊細さを併せていた。というのは、 境界のない重たい雲の累積が、この上もなく軽やかな冷たい羽毛のような 笹縁に続き、その中央にあるかなきかのほの青い空を囲んでいたりした。 鉛色の海はまた、黒紫色の岬の山々を控えていた。全てのものに動揺と 不動と、たえず動いている暗い力と、鉱物のように凝結した感じとがあった。 P202 典座との境に立つ煤で黒光りのする柱には、あらかた変色したお札が貼られている。 火の用心 私の心に、この護符が封じ込めている囚われの火の蒼ざめた姿が見えた。 かっては華やいでいたものが、古い護符のうしろに、白くほのかに病み衰えている のが見えた。火の幻にこのごろの私が、肉欲を感じるようになっていたと言ったら、 人は信じるだろうか?私の生きる意志がすべて火に懸かっていたのであれば、肉欲も それに向うのが自然ではなかろうか?そして私のその欲望が、火のたよやかな 姿態を形作り、焔は黒光りのする柱を透かして、私に見られていることを意識して、 やさしく身づくろいをする様に思われた。 |
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