20年ほど前から仕事とは別に地域の活性化を目指してNPO立ち上げや コミュニティビジネス、市民センターの支援など若い人やシニアなどとの 関係があり、いわゆる会社人、社会人とは違う付き合いもあった。その中、 年を経るに従い、若い人や介護支援をしている人たちの切実な悩みや苦労に 接する機会も増えてきた。NHK他メディアなどが特集するテーマも「格差、 ワーキングプア、さらに老々介護」などのテーマも増えているようだ。 30年ほど前であろうか、「国民総中流時代」というのが、あった。 だが、それはすでに死語となり、以前に話題となった「下流社会」になっている、 そう思うはざるを得ないようだ。 しかし、環境がそうは進んでも、良き時代に思いをはせるのは人間の常だ。 この社会の激変に対しても私も含め、特に50代以上は、まだ高い年収を得て、 楽しい人生を過ごしたいとという夢想の世界に生きている。 10年ほど前に「年収300万円時代を生き抜く経済学」という本があり、個人的 には、情けない貧乏根性者の話と思ったものだが、さらにその実態は進んでいるのか、 年収200万円時代という話も出ている。この本のテーマを真剣に受け取る時期に 来ている、そう思う。 1.進む格差の実態 最近の年収300万円以下サラリーマンの割合の推移では、年度を 経るごとにその割合はどんどん増加している。 2002年には年収300万円以下の割合は34%ほどだったが、最近 では40%を超えるところまで増加している。多分に多くの人がそれを感じている ことであろう。その理由には、いくつかしかも複雑に絡み合った形で20年 以上静かに進んできた、そんな感じがする。 グローバル化という世界的な流れの中での日本社会の変化、以前にも書いたが 「機械との競争」の中で、IT化などの急激に変化する社会に意識も技術も適応 できないなどもその1つであろう。 更には、団塊の世代の所得分布でも、団塊の世代はすでに高齢であり、年功序列 の恩恵を受けて、比較的高い賃金を得てきたはずの世代のはずだが、実際は、 20%以上の人が年収300万円以下であり、中には年収150万円以下の 「高齢ワーキングプア」の人も10%いるという状況がある。日本の高度経済成長期 を謳歌し富を蓄えてきたはずの団塊の世代にも、これほどの貧困層が存在している。 しかし、年収300万円以下の人が20%もいる一方で、年収700~1000万円 の人たちも同じぐらいの割合が存在しているし、年収1000万円以上の人が 10%以上いる。本来は年収が高くなるにつれてその割合も減っていくものだが、 この世代はどうやら違う様であり、年収が低いところと年収が高いところに 偏っている。 つまり団塊の世代は他の世代よりも同年代の格差が非常に大きいと言わざるを得ない。 これは平成不況によるリストラなどで一気に貧困層に落ちてしまった人と、既得権益 を守りきった人の差が大きいと言われてはいるが。 厚生労働省の平成19年度の 「賃金構造基本統計調査」 によると、年収200万 未満の労働者を年代別データでは、日本では年収200万未満の労働者をワーキング プアとみなしているので、ワーキングプアが全ての年代で30%以上を超えており、 年収200万未満の労働者が1000万人以上いることが分かる。 そして特にワーキングプアが多い年代が、20から24歳の若年層と50歳以上 の中高年である。 特に40代からはどんどんワーキングプアが増加していき、60歳以上では、グンと 増えている。高齢になればなるほど所得格差が拡大していることからも、高齢に なるほど低所得である高齢ワーキングプアが増えている。 格差社会の登場は、1998年と言うが、以下のサイトのデータも参考になるのでは。 http://finalrich.com/sos/sos-economy-first1998.html 「日本は高度経済成長期において国民全体が豊かになっていたために、所得格差など を大きく感じない1億総中流の昭和時代がありました。しかし現在は「勝ち組」 「負け組」といった表現がされ、世代を超えて格差が固定されるなど、格差が広がって いることを大きく感じる時代になっています。 もちろん格差はもともとあったのですが、では一体いつごろから、これほど深刻な 格差社会の拡大が始まったのでしょうか? ある専門家は日本のバブルが崩壊した1990年と言う人もいますし、1993年の食糧危機か らだという人もいます。もちろん日本が格差社会になった原因のひとつにこれらは含ま れるでしょう。しかしそれらの要因が浸透して日本が格差社会になり始め、格差拡大が 如実に現れた時期があります。それのターニングポイントが1998年です。それを証明す るデータをいくつかご紹介しましょう」 2.世界的な所得格差の状況 少し前にピケティの本が多くの人に読まれていた。 ピケティの本は現代の多くの人が関心を寄せる所得分配の問題に正面から取り組んで いる。 この本は、多くのデータから次のように要約できる。 1)ピケティのポイント 第1に、程度の差こそあれ、世界中で所得と富の分配の不平等化が進んでいる。 第2は、その原因は経済成長率と資本の収益率を比較したときに、後者が前者を上回る ところにある。経済全体のパイの大きさが拡大する分よりも、資本が拡大するので 資本の取り分が増えている。確かに、19144年から1945年にかけて一時的に 大戦と大恐慌と税制の変化で大幅に平等化が進行し、所得分配の不平等化の進展に 歯止めがかかったことがあった。しかし、最近では資本の収益率が経済成長率を 上回ることによる所得格差拡大の力、「資本主義の根本矛盾」とピケティは呼ぶ、 が回復してきており、将来もこのままの事態が続く。 第3に、所得分配の不平等化を是正するために各国政府はグローバル資産税を課す べきである。その資産税は累進税であり、たとえば最低年0.1%から始まり、 50万ユーロを超えると2%という税率が考えられる。 マルクスの直面した状況は、産業革命後、まさに所得分配の不平等化が進展した時代 だった。激動のこの時代を要約するのは、1832年の政治改革で財産のある人々 まで参政権は拡大したものの、社会の大多数を占める人々はまだ排除されていた。 これは貧困と格差による彼らの不満と不安を増徴する言葉であった。 同様のことが、現状、更に進みつつある。 2)グローバル化と格差については、 グローバル化が進むと、市場は不均衡になる。 そこには3つの理由がある。 まずは、グローバル市場では、利益は等しく分けられない。結局、人的資源、資金、 企業家精神が大きいほど優位である。こういった市場で利益を得る人には教育が 大切であることが分かっており、特に90年代以降は、教育を受けた人の価値 は世界中で上がってきている。市場の拡大とネット技術の発達などにより、人材を 求めるときに、人数よりも能力の高さ・スキルの必要が高まっている。 グローバル経済では、教育が大切なので、しっかりとした施設が必要となる。 グローバル化が不公平をもたらす2つ目の理由は、世界市場が完全市場から程遠い ということ。たとえば、公害を引き起こした国がその代償を支払わないのは市場 の失敗であり、温室効果ガスをたくさん排出するアメリカはその責任を貧しい国 に課している。タイ、韓国、ロシア、ブラジル、アルゼンチンでの90年代の 金融危機は、先進国が政策を間違ったのがそもそもの原因でもある。 例えば、先進国の公債費はGDP比2-3%ですが、後進国は10-40%で、 そして高金利により投資、雇用を縮小させ、財政的に教育や健康に投ずる余裕を奪い、 失業保険などのセーフティネットも貧弱になって行く。 最後の理由として、世界市場では、貿易、移住、知的財産などは自然と先進国の力を 反映するので、経済格差が広がる。 裕福な国の農業補助金と途上国を差別する関税を減らす争いは、良い例であるが、 TPPなどで、どこまでお互いの利益が獲得できるかが見えてこない。 いずれにしろ、20年前とは大きく違ってきているのが、国内だけの視点では格差の 本質を見極められないということであろう。だが、個人としてもやれることはある。 格差の拡大の理由にもあるように、個人としての能力アップ、スキルアップを積極的に 行うことであるかもしれない。だが、それが単に「お金が多くもらえて幸せを感じる」 だけであるならば、過去の高度成長時代の人と同じである。今求められているのは、 社会や組織への個人の意識変化ではないのだろうか。 3.あるフリーターの話 赤木智弘氏が「朝日新聞社 「論座 2007年1月号」」に書いた文章の一部を 掲載するが、読むと格差の実態とそこにいる人の思いが伝わってくる。 「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。 平和とはいったい、なんなのだろう? 最近、そんなことを考えることが多くなった。 夜勤明けの日曜日の朝、家に帰って寝る前に近所のショッピングセンター に出かけると、私と同年代とおぼしきお父さんが、妻と子どもを連れて、 仲良さそうにショッピングを楽しんでいる。男も30歳を過ぎると、怒濤の 結婚ラッシュが始まるようで、かつての友人たちも次々に結婚を決めている。 一方、私はといえば、結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら 養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、 自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱である。 ニュースを見ると「フリーターがGDPを押し下げている」などと直接的な 批判を向けられることがある。「子どもの安全・安心のために街頭にカメラ を設置して不審者を監視する」とアナウンサーが読み上げるのを聞いて、 「ああ、不審者ってのは、平日の昼間に外をうろついている、俺みたいな オッサンのことか」と打ちのめされることもある。 、、、、、 夜遅くにバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらず に働いて、明け方に家に帰ってきて、テレビをつけて酒を飲みながらネット サーフィンして、昼頃に寝て、夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト 先に行く。この繰り返し。月給は10万円強。北関東の実家で暮らしている ので生活はなんとかなる。だが、本当は実家などで暮らしたくない。 両親とはソリが合わないし、車がないとまともに生活できないような土地柄 も嫌いだ。ここにいると、まるで軟禁されているような気分になってくる。 できるなら東京の安いアパートでも借りて一人暮らしをしたい。 しかし、今の経済状況ではかなわない。30代の男が、自分の生活する場所 すら自分で決められない。しかも、この情けない状況すらいつまで続くか 分からない。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障はないのだ。 「就職して働けばいいではないか」と、世間は言うが、その足がかりは いったいどこにあるのか。大学を卒業したらそのまま正社員になることが 「真っ当な人の道」であるかのように言われる現代社会では、まともな 就職先は新卒のエントリーシートしか受け付けてくれない。 ハローワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した 職業とはほど遠いものばかりだ。安倍政権は「再チャレンジ」などと言うが、 我々が欲しいのは安定した職であって、チャレンジなどというギャンブル の機会ではない。そして何よりもキツイのは、そうした私たちの苦境を、 世間がまったく理解してくれないことだ。「仕事が大変だ」という愚痴 にはあっさりと首を縦に振る世間が、「マトモな仕事につけなくて大変だ」 という愚痴には「それは努力が足りないからだ」と嘲笑を浴びせる。 何をしていいか分からないのに、何かをしなければならないという プレッシャーばかり与えられるが、もがいたからといって事態が好転する 可能性は低い。そんな状況で希望を持って生きられる人間などいない。 バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポスト バブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていくこと になるだろう。 、、、、、、 さらに彼の思いは綴られているが、一度全文を読んでもらいたいもの。 いずれにしろ、格差の拡大はさらに広がるのであろう。それは戦後70年の 社会体制や規範を全く変えるようなことがなければ、現状維持継続の上に 立つ改修では、無理なのではと思う。 個人の生活としても赤木氏のいう社会がもっと広がっていくのであろう。 その実情を認識し、仕事や働き方について若い世代だけではなく、もう一度、 この年金生活者も含め、自分自身の働き方や社会のあり方を見直す時代にきている。
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