2016年7月5日火曜日

格差の世界


進む格差社会を考える。老人格差、グローバル格差、ピケティの課題。

「国民総中流時代」というのが、昔あったような気がする。
既に、死語になった。厚生労働省の賃金統計のデータでも、
明確に出ている。
格差は、確実に進んでいるが、それは日本だけに限った話ではない。

1)進む格差
最近の年収300万円以下サラリーマンの割合の推移では、年度を
経るごとにその割合はどんどん増加している。
2002年には年収300万円以下の割合は34%ほどだったが、最近
では40%を超えるところまで増加している。
多分に、多くの人が感じていることであろう。
約4割弱近くの人口が年収300万円以下となっている。

その最も大きな理由は、こういった下流の人たちには格差社会
を生き残る知恵というものが無いために、以前にも、書いた
「機械との競争」に追いつけない人であり、急激に変化する
社会を認識できていない人かもしれない。
更に、団塊の世代の人の所得分布でも、団塊の世代はすでに
高齢であり、年功序列によって比較的高い賃金を得ているはず
の世代のはずだが、実際は、20%以上の人が年収300万円以下
であり、中には年収150万円以下の ”高齢ワーキングプア”
の人も10%いる。日本の高度経済成長期を謳歌し富を蓄えて
きたはずの団塊の世代にも、これほどの貧困層が存在している。
しかし、年収300万円以下の人が20%もいる一方で、年収700~
1000万円の人たちも同じぐらいの割合が存在している。
特に年収1000万円以上の人も10%以上いる。
本来は年収が高くなるにつれてその割合も減っていくものだが、
この世代はどうやら違う様である。
年収が低いところと年収が高いところに偏っている。
つまり団塊の世代は他の世代よりも同年代の格差が非常に大きい。
これは平成不況によるリストラなどで一気に貧困層に落ちて
しまった人と、既得権益を守りきった人の差が大きいと
考えられている。

厚生労働省の平成19年度の 「賃金構造基本統計調査」 による
年収200万未満の労働者を年代別データでは、日本では
年収200万未満の労働者をワーキングプアとみなしているので、
ワーキングプアは全ての年代で30%以上を超えており、年収200万
未満の労働者が1,000万人以上いることが分かる。
そして特にワーキングプアが多い年代が、20~24歳の若年層と
50歳以上の中高年である。
特に40代からはどんどんワーキングプアが増加していき、60歳以上
では、グンと増えている。高齢になればなるほど所得格差が拡大
していることからも、高齢になるほど低所得である高齢ワーキングプア
が増えている。
これは、少し前に放送されたNHKの高齢者のワーキングプアの
放送からも、覗える。

2)世界的な所得格差への懸念増大
最近、ピケティの本が多くの人に読まれているとのこと。
ピケティの本は現代の多くの人が関心を寄せる所得分配の問題に正面
から取り組んでいる。この本は、多くのデータから次のように要約できる。
第1に、程度の差こそあれ、世界中で所得と富の分配の不平等化
が進んでいる。
第2は、その原因は経済成長率と資本の収益率を比較したときに、
後者が前者を上回るところにある。経済全体のパイの大きさが拡大
する分よりも、資本が拡大するので資本の取り分が増えている。
確かに、1914年から1945年にかけて一時的に大戦と大恐慌と税制の変化
で大幅に平等化が進行し、所得分配の不平等化の進展に歯止めがかかった
ことがあった。しかし、最近では資本の収益率が経済成長率を上回る
ことによる所得格差拡大の力、「資本主義の根本矛盾」とピケティ
は呼ぶ、が回復してきており、将来もこのままの事態が続く。
第3に、所得分配の不平等化を是正するために各国政府はグローバル
資産税を課すべきである。その資産税は累進税であり、たとえば
最低年0.1%から始まり、50万ユーロを超えると2%という税率
が考えられる。
マルクスの直面した状況は、産業革命後、まさに所得分配の不平等化
が進展した時代だった。激動のこの時代を要約するのは、
1832年の政治改革で財産のある人々まで参政権は拡大したものの、
社会の大多数を占める人々はまだ排除されていた。これは貧困と
格差による彼らの不満と不安を増徴する言葉であった。
同様のことが、現状、更に進みつつある。

2)グローバル化と格差
グローバル化が進むと、市場は不均衡になる。
そこには3つの理由がある。
まずは、グローバル市場では、利益は等しく分けられない。
結局、人的資源、資金、企業家精神が大きいほど優位である。
こういった市場で利益を得る人には教育が大切であることが
分かっており、特に90年代以降は、教育を受けた人の価値
は世界中で上がってきている。市場の拡大とネット技術の
発達などにより、人材を求めるときに、人数よりも能力の
高さ・スキルの必要が高まっている。
この結果、国内で格差が生まれており、中国とインドは
よい例であろう。能力のある人材の流出も始まり、国家間でも格差
が広がり始めます。国によってはグローバル化のために、良く
ない方向に向かっていることもある。マリ、ウガンダ、ベネズエラ
などの国では、石油、コーヒー豆、綿花など一次産品の輸出
に依存して、経済を貿易に頼っているが、輸出品の値段が
下がっているために、成長につなげられない。グローバル経済では、
教育が大切なので、しっかりとした施設が必要となる。

グローバル化が不公平をもたらす2つ目の理由は、世界市場が
完全市場から程遠いということ。たとえば、公害を引き起こした
国がその代償を支払わないのは市場の失敗であり、温室効果ガス
をたくさん排出するアメリカはその責任を貧しい国に課している。
タイ、韓国、ロシア、ブラジル、アルゼンチンでの90年代の
金融危機は、先進国が政策を間違ったのがそもそもの原因でもある。
例えば、先進国の公債費はGDP比2-3%ですが、後進国は
10-40%で、そして高金利により投資、雇用を縮小させ、
財政的に教育や健康に投ずる余裕を奪い、失業保険などの
セーフティネットも貧弱になって行く。

最後の理由として、世界市場では、貿易、移住、知的財産などは
自然と先進国の力を反映するので、経済格差が広がる。
裕福な国の農業補助金と途上国を差別する関税を減らす争いは、
良い例であるが、TPPなどで、どこまでお互いの利益が獲得
できるかが見えてこない。

しかし、トーマス・フリードマンが「フラット化する世界」でも、
指摘している様に、フラット化がいくら進んでも政府の役割は
残っていること、各国の事情によってグローバル化への独自の
活かし方があること(メキシコ、アイルランド、中国の例が
あがっている)、企業がフラット化によって変えるべきなのは
「自分たちよりも顧客のほうが知恵がある」と思うべきだ
ということ、結局はグローカリューションはグローカリゼーション
(グローバル=ローカル=個人レベル)でもあること、
それ故、最も発揮されるべきは、個人レベルでのイマジネーション
と言っている。
世界は、大きく変わりつつあるが、未だフラット化していない世界
もある。
自身の新しい世界への関わりの強さが強いほど、格差縮小には
必要である。

格差論争 ピケティ教授が語る
2014年10月17日 13時10分
飯田香織デスク
格差は拡大しているのか。どこまでの格差なら許容できるのか。そんな世界的な論争の
きっかけとなった本が「21世紀の資本論」です。
著者は、フランスのパリ経済学校のトマ・ピケティ教授(43)。アメリカでは
ことし春の発売以降、半年で50万部のベストセラーとなり、多くの言語に翻訳
されています。“ピケティ旋風”の裏にあるのは何か、経済部・飯田香織デスクの解説
です。
1)300年のデータで実証
「21世紀の資本論」は英語版で685ページにも及ぶ、漬け物石のような分厚い
本です。特徴をひと言で言えば、何となくみんなが思っていることを「実証」
しようとしたことです。
ピケティ教授は、20か国以上の税金のデータを、国によっては300年前まで
さかのぼって集め、「所得」と「資産」を分析。日本については明治時代から
調べています。
その結果、▽資産を持つ者がさらに資産を蓄積していく傾向がある、
▽格差は世襲を通じて拡大する、と指摘しました。

2)ピケティ教授は、NHKとのインタビューの中で、次のように語っています。

Q:
「21世紀の資本論」で伝えたかったことは何ですか?

ピケティ教授:
欧米や日本などでは、暮らしは楽にならないのに、金持ちばかりがいい思いを
していると感じている人が増えています。多くの人が今の資本主義の姿に
疑問を持つようになっているのです。 私は、誰のもとにお金が集まってきたのか、
歴史をさかのぼって明らかにしたいと思ってきました。
所得税制度が作られたのは、フランスなど欧州各国やアメリカでは1900年
前後です。日本ではもう少し早く始まりましたね。相続や資産に関するデータ
については、イギリスやフランスでは18世紀にまでさかのぼることができます。
無味乾燥なデータが、実は、私たちの暮らしそのものを表しています。

Q:
調べた結果、何が分かりましたか?

ピケティ教授:
とりわけヨーロッパや日本では今、20世紀初頭のころと同じくらいにまで格差
が広がっています。格差のレベルは、100年前の第1次世界大戦より以前
の水準まで逆戻りしています。

Q:
資本主義が問題なのですか?

ピケティ教授:
資本主義を否定しているわけではありません。格差そのものが問題だと言うつもり
もありません。経済成長のためには、ある程度の格差は必要です。
ただ、限度があります。格差が行きすぎると、共同体が維持できず、社会が成り
立たなくなるおそれがあるのです。どの段階から行きすぎた格差かは、決まった
数式があるわけではありません。
だからこそ過去のデータを掘り起こして検証するしかないのです。

3)水はしたたり落ちなかった

富裕層と一般の人の間には、はじめは大きな格差があっても、経済成長による
賃金の上昇などを通じて、上から下に水がしたたり落ちるように富が広がり、
格差は徐々に縮小していくと言われてきました。
しかし、ピケティ教授は、20か国以上のデータを分析した結果、日本を
含めたすべての国で、そうではなかったと指摘。例外は、皮肉にも2つの
世界大戦の時期で、このころだけは格差は縮小したとピケティ教授は言います。

4)なぜ格差は広がったのか。

富を手に入れる方法を単純化すると、
▽一般の人のように、働いて賃金やボーナスを受け取る方法と、
▽資産家のように、金融資産の利子や株式の配当などを受け取る方法があります。

ピケティ教授は、富裕層の資産が増えるスピードが一般の人の賃金などが増える
スピードを上回っていることが問題の根源だと強調。つまり、働いて稼ぐよりも
相続や結婚などを通じてお金を受け取るほうが手っ取り早いというのです。
そして、
▽資産を持つ者がさらに資産を蓄積していく傾向がある、
▽格差は世襲を通じて拡大すると結論づけました。

分厚い経済専門書がいったいなぜここまで幅広く受け入れられたのか。ピケティ教授
は大きな背景として、次のように述べています。

今、世界では、排外的な動きや極右の動きが広がっています。この裏には、
格差問題を簡単に解決できず、それにみなが気づいていることがあります。
国内で平和的に解決できないと、国どうしの緊張、世界レベルの紛争に
つながってしまいます。
こうした不安に加えて、私は、富裕層の側にも、このまま格差が拡大して
分厚い中間層がなくなると、ビジネスが成り立たなくなるという警戒感
があることも背景にあると思います。これは、アメリカの企業経営者や
政府関係者と話していて、特に感じることです。

具体的に見ていきましょう。米国の上位10%の所得階層が国全体の所得に
占める割合を見ると、1910年には約50%でした。その比率は次第に減少し、
第二次世界大戦後は30%程度にまで下がります。ところが2010年には、
再び50%ほどへと大きく上昇しています。

富の不平等についてはどうでしょうか。1910年には、上位10%の富裕層が
国全体の富の80%を占めていました。大戦後にその比率は60%程度にまで
減少しますが、2010年には再び上昇して70%近くになっています。

こうした不平等拡大の背景には、資本対所得比の上昇があります。これは、
国内総生産(GDP)に対して国民全体が持っている資本蓄積(総資産)の割合です。
1910年には、資本対所得比は約700%の高い水準でした。それが戦後、戦災
による設備や家屋、インフラの損耗などもあり、200%程度にまで下がります。
それが2010年には500~600%へと増加しているのです。

資本対所得比が上昇しているということは、蓄積された資本が投資などでうまく
回れば、資本所得(企業収益、配当、賃貸料、利息、資産売却益など)が
増えるということを意味します。つまり、富を持つ者はそれだけ大きな所得
を得て、ます資本収益率と経済成長率の乖離を指摘
ピケティは資本対所得比の上昇についてさらに経済理論的に深掘りして、
資本主義の基本特性として、資本収益率(r)と経済成長率(g)の乖離を実証的
に明らかにしています。資本収益率とは、投下した資本がどれだけの利益を
上げているかを示します。経済成長率はGDPがどれだけ増えているかです。

歴史的に見ると、戦後の一時期を除いて、資本収益率は経済成長率を上回って
いるというのがピケティの注目すべき指摘です。つまり、「r>g」という不等式
が基本的に成り立つということです。

gの増加は中間層や貧困層を含めた国民全体を潤しますが、rの増加は富裕層
に恩恵が集中します。gよりもrが大きい期間が長くなればなるほど、貧富の
格差は広がり、富が集中化していく。これがベルエポックと「第2のベル
エポック」における格差拡大の真相ということになります。

その意味で、rとgが逆転した1914~70年の約60年は画期的でした。戦後の
人口増加や雇用増に直結する技術革新によりgが上昇したことで、不平等
が是正されていきました。とりわけ第2次世界大戦後の30年間は「栄光の30年」
だったと言えま目に見えない形で「世襲の復活」が進行
では、どうして1980年代に「栄光の30年」は終わりを迎え、現在は再び
資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回るようになったのでしょうか。
その一因として、ピケティはロボットやITの活用を挙げています。
ロボットやITの発達により人間は仕事を奪われ、賃金も増えず、消費も
増えないため、GDP成長(g)も抑えられていきます。一方で資本はロボット
やITによって労働コストなどを抑制し、資本収益率(r)を回復しているのです。

そのうえでピケティは、世襲の復活について警鐘を鳴らしています。
「第2のベルエポック」で大きな資産を築いた富裕層がその資産を子孫に
継承することで、100年ぶりに世襲による階級が復活しつつある。
しかもそれは、巧妙かつ目に見えない形で進行しているといいます。

5)低成長、人口減少の日本

ピケティ教授は、日本についても語っています。低成長、人口減少が続くと、
格差が拡大しやすくなると警鐘を鳴らしました。
日本は見事に逆戻りしています。1950年から1980年にかけて目覚
ましい経済成長を遂げましたが、今の成長率は低く、人口は減少しています。
成長率が低い国は、経済全体のパイが拡大しないため、相続で得た資産が
大きな意味を持ちます。単純に言うと、昔のように子どもが10人いれば、
資産は10人で分けるので、1人当たりにするとさほど大きな額になりません。
しかし、1人っ子の場合、富をそのまま相続することになります。
一方、資産相続とは縁がなく、働くことで収入を得て生活する一般の人たちは、
賃金が上がりづらいことから富を手にすることがいっそう難しくなっています。
その結果、格差が拡大しやすいのです。

6)では、どうする?

それでは、いったいどう対応すればよいのか。

この論争で賛否が激しく分かれているのが「解決策」です。ピケティ教授は、
富裕層に対する課税強化を訴えています。
格差を縮小するには、累進課税が重要で、富裕層に対する所得税、相続税の
引き上げが欠かせません。国境を越えて資金が簡単に動かせる今、課税逃れを
防ぐために、国際的に協調してお金の流れを明らかにするなど、透明性のある
金融システムを作ることが必要です。
これには、世界中の富裕層などから猛烈な反発が起きました。稼いでも
その多くを税金として納めるとなると、新しいアイデアやビジネスを生み出す
意欲がそがれて、経済全体が停滞してしまう、というのです。
富裕層の富の拡大を抑えるのではなく、最低賃金を引き上げたり教育の機会を
充実させたりして、一般の人の収入を底上げするべきだという意見も出ています。

7)広がる論争

この格差の問題、最近、国際会議でも大きなテーマになっています。また、
この夏以降、アメリカの大手金融機関や格付け会社が相次いで「行きすぎた格差
がアメリカ経済を弱くする」などと指摘。資本主義をいわば象徴する組織
の報告書に、正直驚きました。
世界の議論は、格差のあるなしではなく、「格差は拡大している」というのを
前提にして、いかに是正していくかという、新しい段階に入ったと私自身は
感じています。日本を含めた各国で、どう議論が深まっていくのか、
注目して見ていきたいと思います。

ーーーーーーー
格差について
第9回 世界的格差拡大でマルクスとエンゲルスは復活するか?

早稲田大学政治経済学術院教授 若田部昌澄〔Wakatabe Masazumi〕

『21世紀の資本論』

 フランスのパリ・スクール・オブ・エコノミクスの教授トマ・ピケティが書いた『21
世紀の資本論』(Piketty 2014)が英語圏で大変な話題になっている。刊行と同時にベ
ストセラーになり、ポール・クルーグマン、『フィナンシャル・タイムズ』紙の名コラ
ムニストであるマーティン・ウルフら著名人がこぞって書評を寄せている。内容に賛否
はあれども、議論の構図を変えた力作でありこの問題を論じるには不可欠の著作、とい
うのがクルーグマンの評価だ。他方、否定側の反応も強烈である。『ウォール・ストリ
ート・ジャーナル』紙は本書をイデオロギーの産物と断じているし、英『エコノミスト
』誌は、分析には学ぶべきところがあるものの、政策提言は社会主義的とする。

 フランス語で出版されたときにはほとんど話題にならなかった本が、英訳された途端
に大ベストセラーになるのは現代におけるグローバル化と英語のソフトパワーを見せつ
ける。もっともグローバル化は非英語圏の人間に国際的な活躍の場を提供しているとも
いえる。

 背景には世界的な所得格差への懸念増大がある。ピュー研究所が2013年に世界39か国
を対象に実施した世論調査によると先進国、途上国に限らず7割以上の人々が、ここ5年
間で格差は拡大し、現在の仕組みは富裕層を優遇していると考えている
(http://www.pewglobal.org/2013/ 05/28/world-worried-about-inequality/)。
英語圏での最近の所
得分配の不平等化の進展は良く知られている(図1)。

図1 英語圏での所得分配の不平等,1910年から2010年



出所:Piketty 2014, p.316

 国民総所得に占める上位1%の急上昇しているのは所得上位1%どころか0.1%である
。投資顧問会社ブラックストーンの共同創業者CEOのスティーブン・シュウォーツマン
は、2007年2月13日、60歳の誕生日を祝うのに300万ドル(現行為替レートで約3億円)
を費やした。そのうち100万ドルは、ロック歌手ロッド・スチュワートによる30分の演
奏へのギャラだった(フリーランド2013、65頁)。

 ピケティの本は現代の多くの人が関心を寄せる所得分配の問題に正面から取り組んだ
意欲作だ。この本の主張は次のように要約できる。第1に、程度の差こそあれ、世界中
で所得と富の分配の不平等化が進んでいる。第2に、その原因は経済成長率と資本の収
益率を比較したときに、後者が前者を上回るところにある。経済全体のパイの大きさが
拡大する分よりも、資本が拡大するので資本の取り分が増えている。確かに、1914年か
ら1945年にかけて一時的に大戦と大恐慌と税制の変化で大幅に平等化が進行し、所得分
配の不平等化の進展に歯止めがかかったことがあった。しかし、最近では資本の収益率
が経済成長率を上回ることによる所得格差拡大の力――「資本主義の根本矛盾」とピケ
ティは呼ぶ――が回復してきており、将来もこのままの事態が続く。第3に、所得分配
の不平等化を是正するために各国政府はグローバル資産税を課すべきである。その資産
税は累進税であり、たとえば最低年0.1%から始まり、50万ユーロを超えると2%という
税率が考えられる。

 実に野心的である。とはいえ、彼は何か独自の経済学を樹立しようというわけではな
く、使っている分析概念はあくまで主流派の経済学のそれだ。しかも実証を重んじる最
近の経済学の研究潮流に則って、独自の統計データの収集と分析に徹している。タイミ
ングといい、トピックといい、確かに印象的ではある。

19世紀の『資本論』の背景

 ところで「資本主義の根本矛盾」という言葉は、題名ともどもマルクスの『資本論』
(1867年)を思わせる。そもそも22歳で経済学博士号を取得した後マサチューセッツ工
科大学で職を得て前途洋々と思われたにもかかわらず、技術的な経済学に飽き足らず「
大きな問題」に取り組み始めたピケティは、本書でもバルザックやジェーン・オーステ
ィンといった小説家、そして過去の経済学者にも多数言及している。序論ではリカード
ウと合わせてマルクスを引用し、かなり詳細に論じ、また批判もしてもいる。たとえば
、マルクスの統計データ分析は系統的ではなく、当時多少なりとも利用可能であった萌
芽的な国民所得統計を利用しなかったと指摘している(Piketty 2014, pp.229?3?0)
。

 マルクスの直面した状況は、産業革命後、まさに所得分配の不平等化が進展した時代
だった。激動のこの時代を要約するのは、「イングランドの状態問題(The Condition 
of England Question)」という言葉である。これは、文芸評論家トマス・カーライル
(Thomas Carlyle, 1795?1881)が1839年に用いた言葉である。国の大多数の状態は国
そのものの状態を示す。政治家たちはカナダ問題やらアイルランド問題について語るけ
れど、本当に語るべきはイングランドの状態問題である、と(Carlyle 1840, 5)。183
2年の政治改革で財産のある人々まで参政権は拡大したものの、社会の大多数を占める
人々はまだ排除されていた。これは貧困と格差による彼らの不満と不安を要約する言葉
であった。

 社会を鋭く観察する小説家たちも、所得・富の格差と貧困問題に切り込んでいる。エ
リザベス・ギャスケル(Elizabeth Gaskell, 1810?1865)は詩の形で『貧民の情景』
(1837年)を著し、小説『メアリー・バートン』(1848年)の主人公の父親は富裕層と
貧民の関係に疑問を抱く労働組合の活動家、参政権の労働者層への拡大を要求した人民
憲章(People’s Charter)を求めるチャーチストとして描かれている。

 ギャスケルの得意としたもう1つのジャンルに幽霊物語があった。その出版を手助け
したチャールズ・ディケンズ(Charles Dickens, 1812?1870)は、1843年、彼の小説
の中でも最も著名な『クリスマス・キャロル』を書いている。これは幽霊物語と産業社
会批判を組み合わせたともいえる。

 後に首相になる下院議員ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1804?1
881)も1845年、『シビル、あるいは二つの国民』という小説を書いている。それと同
年に出版されたのが、マルクスの同志フリートリッヒ・エンゲルス(Friedrich Engels
, 1820?95)の『イギリスにおける労働者階級の状態』である(Engles 1845.慣例で
イギリスと訳されているが、エンゲルスの対象はイングランドである)。副題には「筆
者自身の観察と信頼すべき資料に基づく」とある。父親がマンチェスターで綿業に携わ
る経営者である彼は父親の工場で働いたことがある。彼はそこで知り合った女工の1人
と結婚し、後に父親の仕事を継ぐことになる。

 当時のイングランドでは、1人当たりの国民総生産は上昇しながらも、実質賃金の上
昇は停滞するという状態が続いていた。ある研究者はこれを「エンゲルスの休止」と呼
んでいる(Allen 2009:図2参照)。

図2 エンゲルスの休止



出所:Allen 2009

 彼の本領は、ジャーナリストのルポルタージュを思わせる迫力ある実態描写にある。
当時のマンチェスターこそは産業革命の中心地であり、『メアリー・バートン』の舞台
でもある。エンゲルスは、底辺にいる労働者階級の現状をひたすら描写していく。長時
間労働、健康を害する過酷な労働環境、家庭の崩壊、そしてすでに周期的に起き始めて
いた恐慌による失業の恐怖。だが、産業革命がもたらした変化を全面的な悪として、過
去への郷愁をかきたてるカーライルとは異なり、エンゲルスは変化に望ましい面も見出
す。産業革命前の生活は「ロマンティックで居心地はよいが、人間には値しない生活か
ら脱出することも、けっしてなかったであろう」。産業革命は人間を完全な機械にする
が、まさにそうすることによって「彼らに対して、物事を考え、人間的地位を求めるよ
うにうながしたのであった」(Engels 1845, S. 14; 邦訳上、30頁)。

 ではどうすればよいのか。カーライルの答えは、指導者による労働の軍隊的組織化だ
った。エンゲルスの答えは革命である。「現在すでに個別的かつ間接的におこなわれて
いる富者に対する貧者の戦いはイングランドで、一般的、全面的かつ直接的にもおこな
われるであろう。もはや平和的な解決には遅すぎる。諸階級はますます分裂の度合いを
鋭くし、抵抗の精神はますます労働者を貫徹し、憤慨は高まり、個々のゲリラ戦は集中
して、より重大な戦闘とデモンストレーションになる。それはほんのちょっとしたきっ
かけで、すぐに雪崩がおきる。そのときには、もちろん、『戦いを宮殿に、平和を小屋
に!』と鬨の声が全土に鳴りひびくであろう。だがそのときには、富者がもっと用心を
しようにも、すでに遅すぎるであろう」(Engels 1845, S. 354, ; 邦訳下、250―1頁
)。この最後の言葉は、同志カール・マルクスとの共著、『共産党宣言』(1848年)を
ほうふつとさせる。

エンゲルスの予言は実現するのか?

 ピケティの議論は、資本の収益率が経済成長率を上回っていることに依存している。
タイラー・コーエン(ジョージ・メイソン大学教授)が指摘するように、何が資本なの
かは曖昧だ(Cowen 2014)。現在はただ国債を保有しているだけで財産が増えるわけで
はない。仮に株式などに投資するとしたらそれなりの才覚が必要とされる。つまり努力
の結果得られた財産なのかもしれない。また、グローバル資産税の前提は、短期的には
才能のある人に課税しても労働供給は少なくならないということだ(実証的にはこれは
正しい)。だが、長期的にはどうだろうか。

 エンゲルスの同時代に、「イングランドの状態問題」を見据えながら、もう1つ別の
道を模索した人物がいる。ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806?18
73)は、『共産党宣言』と同じ年に出版された『経済学原理』(Mill 1848)で「道徳
的見地や社会的見地から考察した労働者たちの状態ということは、近来は以前に比べて
はるかに多く思索と討議の対象となってきた」(Mill 1848/1965, II, p.759; 邦訳4、
113頁)という。ミルが引き受けた課題は、ここまで市場経済が達成してきたものを最
大限に生かし、自由と創意工夫と私有財産制度とを最大限に尊重しながら、富と所得の
格差といった市場経済が作り出す問題を解決していくことであった(坂本2014、237―8
頁)。貧富の格差への対応は必要である。しかし、それはまず、カーライルのように支
配・従属関係を復活させるものであってはならない。また再分配は必要としても、努力
の結果得られた財産には適用されるべきではない。累進所得税は勤勉と節約への課税で
あるとミルは考えていた。もちろん、努力もし、才能もあったのに、機会に恵まれない
ために失敗する人がいるのは事実だが、「もしもこのような機会の不平等を軽減するた
めにある優秀な政府が教育および立法によってなしうるであろうすべての事がなされた
ならば、その上でもなお国民自身の稼得した収入から生ずる財産の差異が不平不満の因
となるということは、正しいことではありえないであろう」(Mill 1848/1965, II, p.
811; 邦訳5、36頁)。

 ただし相続税には累進税を適用すべきとミルは考えた。「ある一定の金額を超える相
続財産および遺贈は、課税の対象として非常に適切なものであり、これらのものからの
政府の収入は、贈与あるいは財産の隠匿による、十分に防止することが不可能であるよ
うな脱税を発生せしめることなしに、大きなものとなしうるだけ、大きくすべきである
と考える」(Mill 1848/1965, II, p.823; 邦訳5、37頁)。

 「イングランドの状態問題」は、貧困と格差の同居であった。しかし、きわめて皮肉
なことにエンゲルスが書いた1840年代中葉、あるいはマルクスが書いた1860年代中葉か
ら、事態は変化し始める。1840年代中葉から、経済成長にもかかわらず停滞していた実
質賃金が上昇し始め、「エンゲルスの休止」は終わり、また1860年代ごろから所得分配
の不平等度を示すジニ係数も下がり始めた。市場経済は経済成長を可能にし、貧困は徐
々に解決されていった。

 それから時代は変わり、貧困というよりは格差が問題になっている。格差が問題だと
して、その是正をいかに行うべきか。税制だけでなく、ミルが指摘したように教育と立
法による機会の不平等格差も重要だ。問題が復帰した現在、過去の議論を再訪する余地
はある。

【参考文献】

坂本達哉(2014)、『社会思想の歴史――マキアヴェリからロールズまで』名古屋大学
出版会。

フリーランド、クリスティア(2013)、『グローバル・スーパーリッチ――超格差の時
代』早川書房。

Allen, Robert C. (2009), “Engels’ Pause: Technical Change, Capital Accumul
ation, and Inequality in the British Industrial Revolution,” Explorations in 
Economic History, Vol.46, Issue 1, pp.418?435.

Carlyle, Thomas (1840), Chartism, London: John Fraser.

Cowen, Tyler (2014), “Capital Punishmen: Why a Global Tax on Wealth Won’t 
End Inequality,” Foreign Affairs, May/June, 158?164.

Engles, Friedrich (1845), Die Lage der arbeitenden Klasse in England. Nach e
igner Anschauung und authentischen Quellen, Leipzig: Otto Wigand. (一條和生・
杉山忠平訳『イギリスにおける労働者階級の状態19世紀のロンドンとマンチェスター』
岩波文庫、1990年)

Mill, John Stuart Mill (1848), Principles of Political Economy In Collected 
Works of John Stuart Mill, Toronto: University of Toronto Press, Vol.II?III.
(末永茂喜訳『経済学原理』岩波文庫、1959?1963年)

Piketty, Thomas (2014), Capital in the Twenty?First Century, Cambridge: The
 Belknap Press of Harvard University Press.





格差社会の登場は、1998年と言うが、
http://finalrich.com/sos/sos-economy-first1998.html

貧困と格差についての厚生省の報告あり。
PDFで、デスクトップ。

中「あえて言いますよ。これから日本は物凄い格差社会になりますよ。今の格差は既得
権益者がでっちあげた格差論で深刻な格差社会ではないんですよ。大竹さんや私の世代
は物凄い介護難民が出てきて貧しい若者が増える。いよいよ本格的な格差社会になりま
す。
グローバルは止められません。グローバルを止めるのは豊かになりつつある中国やイン
ドネシアの人にお前たちに豊かになるなと言ってることに等しいんですよ。そんな権利
は日本にもアメリカにもないんですよ。」


「迷走する資本主義」
ダニエル・コーエンの「迷走する資本主義」を読んでいて、ポスト産業社会の分析も非
常に面白いのだが、随所に、母国フランスの文明文化批評が展開されていて、その中で
、フランスが、益々格差社会が拡大して行く様子について書いているので、一つの文明
国の世界的傾向として、考えてみたいと思った。

   話の発端は、ヨーロッパの社会的連帯について、国によって自由に対する考え方
が違っていると言う問題意識から、個人主義的なイギリスの自由、共同体モデルのドイ
ツの自由に対して、フランスの自由人は、法的なものではなく、殆ど心理的な意味にお
いて他人に従属していない人をさし、これまで両立することができなかった聖職者価値
観と貴族的価値観の二つの価値観のシステムから生じる矛盾の狭間に依拠していると言
う指摘からである。
   教会は、神の前では全員平等だと普遍的な価値観を説くが、貴族は、神が与えた
自分たちの高貴な身分や行動を褒め称えるのだから、二つは相容れず、偽善に陥るだけ
なのだが、このアンビバレンスが引き伸ばされたことによって、フランス革命が、貴族
制度を廃止して特権階級を葬り去った直後に、エコール・ポリテクニーク(理工科大学
校 俗にポリテク)やエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)など名門
グランゼコールを創設し、独自の新貴族階級を生み出したのである。


グローバル化と格差
グローバル化が進むと、市場は不均衡になります。そこには3つの理由があります。
始めに、グローバル市場では、利益は等しく分けられません。結局、人的資源、資金、
企業家精神の保有者が報われます。こういった市場で利益を得る人には教育が大切であ
ることが分かっています。特に90年代以降は、教育を受けた人の価値は世界中で上が
ってきています。

市場の拡大とネット技術の発達などにより、人材を求めるときに、人数よりも能力の高
さ・スキルの必要が高まっています。この結果、国内で格差が生まれています。中国と
インドはよい例です。能力のある人材の流出も始まり、国家間でも格差が広がり始めま
す。

国によってはグローバル化のために、良くない方向に向かっていることもあります。マ
リ、ウガンダ、ベネズエラなどの国では、石油、コーヒー豆、綿花など一次産品の輸出
に依存しています。経済を貿易に頼っています。しかし、輸出品の値段が下がっている
ために、成長につなげられません。多角化を果たすための投資資金の獲得ができません
。グローバル経済では、教育が大切なので、しっかりとした施設が必要となります。

グローバル化が不公平をもたらす2つ目の理由は、世界市場が完全市場から程遠いとい
うことです。たとえば、公害を引き起こした国がその代償を支払わないのは市場の失敗
です。温室効果ガスをたくさん排出するアメリカはその責任を貧しい国に課しています
。タイ、韓国、ロシア、ブラジル、アルゼンチンでの90年代の金融危機は、先進国が
政策を間違ったのが問題です。全ての市場を停滞させるパニックは収まっても、その影
響は国内に残ります。子どもが学校を辞めたり、借金に苦しみ国が機能しなくなったり
します(先進国の公債費はGDP比2-3%ですが、後進国は10-40%です。そし
て高金利により投資、雇用を縮小させ、財政的に教育や健康に投ずる余裕を奪い、失業
保険などのセーフティネットも貧弱になります)。

最後の理由として、世界市場では、貿易、移住、知的財産などは自然と先進国の力を反
映するので、経済格差が広がるのです。裕福な国の農業補助金と途上国を差別する関税
を減らす争いは、良い例です。ただこれは陰謀ではなく、ヨーロッパ、アメリカ、日本
の国内の政策が、西アフリカの綿花の市場などをまったく見ていないのです。多国間の
ルールを作ろうにも実施は困難です。アメリカなどの市場から排除されないようにと恐
れて、持っている権利を行使することをしない場合も。最近の安い薬を生産する権利を
獲得できたのは良いことですが。

グローバル政治
世界の安全、安定、共存、社会のためにできることは何でしょう。グローバル市場が、
お金のある人につられているが、格差をなくすためにも途上国のために、教育の機会を
増やしたり、インフラの整備をしたりしなければなりません。これは、ミレニアム目標
にも定めてあることです。グローバル市場は不完全なので、調整をはかって、ルールを
決めなければなりません。それは、環境(京都議定書など)を守ったり、世界的な経済
危機に備えたり、不正な競争制限をなくしていかなければなりません。裕福な国の意見
だけでなく、多国間での枠組みを作って、貧しい国でも表に出やすいようにするために
もっと創造的にならなければなりません。

ドーハ多国間ラウンドを完了させる必要があるし、新たなグローバル組織(例えば、国
連ベース・移民管理局)を考える必要もあるだろう。

一言で言えば、富と福祉、グローバル経済に対して、力強く、良い枠組みや組織につい
ての創造的思考が必要です。しかし、アイディアそういった組織を作るには、私たちは
不十分で弱い政治であるのも確かです。21世紀の目標は、政治組織やルール、習慣を
見直し強くすることです。そこには、それまで解けなかったようなグローバル市場の不
公平な問題、格差に対処していかなければなりません。
ーーーーーーーーーー
若者の働き方
若者の働き方電通
www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015090-0813.pdf


若者の働き方に変化~「好きを仕事に」という呪縛
『NPOジャーナル14号』/(特活)関西国際交流団体協議会発行

景気の回復や団塊世代の大量退職で企業の採用意欲は高まり、就職戦線に明るい兆しが
見られる。しかしせっかく企業に就職しても入社3年以内に、大卒者の 35%、高卒者の
5割以上がやめてしまうというのが現状である。(厚生労働省調べ 2001年就職者)若
い世代の仕事意識や働き方は、終身雇用が前提の上の世代とは大きく違ってきている。

「もっと自分に合う仕事があるはず」自分探しを続けるサラリーマン
10代後半から20代の若者に将来について聞くと「ものづくりがしたい」と職人を目指す
人、独立・起業に憧れる人、「社会に役に立つ仕事を」とNPOへの就職を望む人など「
やりたいことを仕事にしたい」という人が多い。上の世代は、食べるために働くのが当
然だったが、今の若者は「好きなことを仕事に」とライフスタイルと仕事が一致した生
き方を望んでいる。
サラリーマンの仕事意識や働き方にも変化がみられる。当研究所のワークスタイル調査
(対象は20~30代前半の社会人男性約80名/2003年~2004 年)で若い世代のサラリー
マン達に話をきくと「想像していた仕事と違う」「自分のやりたい仕事と違う」と、今
の仕事に漠然とした不満をもつ人が少なくない。大手IT企業の男性は「今の仕事は自分
に合わない。やりたいことがみつかればすぐに転職したい。でもそれがみつからない」
と悶々とした日々を過ごしていた。希望と違う会社や仕事だけれど、フリーターになり
たくないので「とりあえず就職した」という声が多く聞かれた。
彼らの多くは「好きを仕事に」を実現している同世代を横目に「もっと自分に合う仕事
があるはず」という思いを描きながら、日々の仕事に疲れ、一歩も踏み出せないでいる
。将来を聞くと「転職するなら30歳まで」と30歳を区切りに考えそれまでを猶予期間と
捉えている。社会経済生産性本部の新入社員を対象にした調査(2005年)で「フリータ
ーになる可能性がある」と答えた人は29.2%。正社員として就職しても「やりたいこと
をみつけたい」と自分探しを続ける若者が増えている。

成長実感がほしい若者達
同調査では、研究職やデザイナーなど専門職のサラリーマンにも話しを聞いたのだが、
好きなこと、自分の興味のあることを仕事にしている人が多く、仕事に対する満足度は
高い。「商品のデザインをして市場で評価されるとうれしい」(30代 家電メーカ-)
というようにアウトプットが具体的なので、手ごたえを感じやすいというのがやりがい
に繋がっている。 
一般職のサラリーマンの間でもスペシャリスト志向が強まっている。「役職についたが
スキルがないのはいや。社内職人を目指し専門性を高めたい」(30代 航空会社)とい
うように管理職を目標にするよりも、総務や経理、人事など特定の分野でその道のプロ
を目指す若いサラリーマンが増えている。彼らの言う「社内職人」とは仕事のスキルも
こだわりもあり、社内で一目おかれる存在ということなのだろう。とはいえ、社内での
業務に精通しているという限定的な“職人” である。中には仕事への思い入れという
よりは、転職やリストラのリスクヘッジ的な意味合いが感じられる人もいる。 
一方、多数派ではないけれどどこに行っても通用するスキルを身につけたいとい考える
前向きなサラリーマンもいる。「今の会社でまだまだ勉強するべきことがある。実力を
つけて、いずれやりたい仕事ができる会社に転職するつもり」(30代 広告代理店)と
いうように会社は自分自身の能力を高め、スキルアップする舞台だと考えている。
リクルートワークスの調査(2004年)によれば、社会人1~3年目の7割が「転職を意識
している」と答えている。理由を聞くと「成長実感がもてない」という答えが勤務条件
や賃金に対する不満よりも上位にあがる。「仕事を通じた成長」を多くの若者が望んで
いる。

やりたい仕事は見つけるのではなく、出会うもの
豊かな社会に育った彼等は、役職や給料がインセンティブにはならない。仕事にやりが
いを求めるのは良いのだが、「好きを仕事に」という生き方にこだわるあまりに、動き
出せなくなっている若者も多い。
やりたいことを仕事にしたいのも、社内職人を目指すのも、仕事を通じて成長したいの
も、仕事の中に自分らしさを求め、仕事での自己実現を目指すからだろう。
しかし仕事の中の自分らしさとはどんな仕事をするかではなく、どういう働き方をする
かが問題なのだ。職人、NPOで働く人、サラリーマンと仕事は違っても基本は同じであ
る。与えられた仕事であっても、仕事ときちんと向き合うことで、その人なりの工夫が
できるだろうし、その結果「その人だからこそ意味がある」仕事になる。周囲とコミュ
ニケーションを深めることで、仕事の幅が広がり、面白さを見出すこともできる。やり
たい仕事というのは、仕事をやっていく中で出会うものなのだろう。

若い世代とともにこれからの働き方を考える
当研究所では、今年1月よりインターンシップ事業等を行うNPO法人ETIC.と共同で「WOR
K-LIFE INNOVATORS'」(http://worklife.etic.or.jp)プロジェクトをスタートした。
若者自身が「働く」というテーマに取り組み、新しい働き方や職場のあり方を提案して
いくことを目指し、勉強会、座談会の実施、コミュニティづくりやフォーラムの開催等
を行っている。
我々自身、NPOと共同事業を行う中で、さまざまな気づきや発見がある。異文化、異世
代が出会うことで相乗効果が生まれることを期待している。このプロジェクトを通じて
、若い人達とともにこれからの仕事や働き方について考えたい。
仕事や働き方は若い世代だけの問題ではない。大人達ももう一度、自分自身の働き方や
社会のあり方を見直す時代にきているのではないだろうか。

(清木 環)


[無頼になりたい!?]対談 上野千鶴子さん×古市憲寿さん
 ◆「失敗できる社会」必要 元東大教授 上野千鶴子さん/弱まる規範 選択肢多く
 社会学者 古市憲寿さん
 組織に縛られ、窮屈な思いをすることも多い現代社会。そんな世の中に対し、元東大
教授の社会学者・上野千鶴子さん(64)は、フェミニズムの旗手として長年精力的な
言論戦を挑んできた。上野ゼミに出入りしていた社会学者・古市憲寿さん(27)も、
東大大学院に在籍しつつ、ベンチャー企業で執行役として働く若手の論客だ。はた目に
は自由に生きているように見える“師弟”2人に「無頼論」を展開してもらった。
 ■希少な安全・安心
 ??無頼と聞くと、どんな連想をしますか。
 古市 そもそも日常で、無頼という言葉を使います? 文字では見ても、言葉として
話すことも聞いたこともない。
 上野 そうきますか……東大の大学院生の教養はこの程度なのね。じゃあ、オダサク
って分からない?
 古市 オダサク?
 上野 織田作之助の略で、「無頼派」作家の代表。無頼派というのは、真人間の暮ら
しができない生活破綻者である一群の私小説家のこと。ウィキペディア(注1)風に言
うと(笑)。
 古市 ただ、無頼は「頼らない」とも読める。無頼を「何かに頼らないこと」とする
と、最近、そういう生き方への憧れは若者を含めすごく広がっている気はします。既存
の企業などに頼らず、もっと自由に生きてもいいのでは、と。ここ10年ぐらい、会社
に勤めず、独力でスキルアップするような働き方はある種のブームです。
 上野 ただ、無頼というのは、いわば無保険・無保障人生。簡単に勧められない。
 古市 たしかに、専門的な能力がなければ「無頼」はうまくいかないと思います。そ
して一つの組織に属していれば安定という時代でもない。僕自身も友人と会社を経営し
ながら、趣味のように大学院に通っています。ただ、企業にしがみついて生きようとい
う人も依然多い。
 上野 安全と安心が希少になってきたから、よけいに何かにしがみつきたいのでしょ
う。「就活」や「婚活」に必死になるのが、その表れでしょうね。
 古市 たしかに、新入社員のアンケートでも、定年まで同じ会社にいたいという人が
最近増えていますし、専業主婦志向も強まっていますね。
 上野 一方で、労働市場で最も割を食った非正規労働の中高年既婚女性たちは、19
90年代後半からどんどん起業しています。背景には、NPO法ができて任意団体が作
りやすくなったこと、介護保険法(注2)で助け合いボランティアがビジネスになった
ことがある。起業は若者だけの動きじゃない。
 古市 労働市場で一人前として働けないから、自分たちで、ということですね。起業
といえばITにばかり注目が集まるけど、裏側にはこうした女性たちがいるのですね。
 上野 資本力のない女と若者は労働集約型か知識集約型の産業で起業するしかない。
この20年、グローバル競争に勝ち抜くという口実で政官財や労働界が労働の規制緩和
にゴーサインを出しました。その結果、格差社会でワーキングプアが男性にも大量に生
まれた。日本では移民の代わりに、女性と若者が使い捨ての低賃金労働力になってきた
。フリーターが「不利だー」になったのね。起業は労働市場で相対的に不利な人たちの
選択肢。
 古市 自由になる代わりに、格差がどんどん広がっていく気がします。そこでは無頼
が、政策決定者側にとっても都合のいいキーワードになっている。今後、みんなが何も
のにも頼れない「無頼」にならざるを得ないのでしょうか。
 上野 もちろん全人生を会社に預けるような働き方をする人たちも、一部に残るでし
ょう。でも、会社ごと心中することになるかもね。
 ■収入源の分散 
 ??「何かに頼らない生き方」を選択するというより、いや応なく「何にも頼れない
社会」になりつつある。私たちはどう生きればいいのでしょう。
 上野 収入源を一つに頼らず、できるだけ分散することが大事。アイデンティティー
も一つである必要がない。カネになることをどこかでやっておかないと、カネにならな
いことを楽しめない。例えば、学問は「知的なベンチャー」だから、当たるかどうか分
からない。大学院生は昔から塾を経営したり、稼ぎのある女性と結婚したりしてリスク
を回避してきた。私も非常勤講師を続けながら、シンクタンクの研究員や塾の講師をず
っと続けてきました。大学教師を辞めなかったのは、イヤな仕事を断る自由のため。
 古市 自由に生きるためには、どこかでベースみたいなものがないと難しいというこ
とですね。
 上野 脱サラした人たちを見てきたけど、イヤな仕事を断れなくなったり仕事の質を
保つのが難しい。だから、「フリーになりたい」という転職相談には反対してきた。「
会社は無能なあなたを守ってくれる。荒野で一生戦うエネルギーと能力があるか」って
。
 古市 フリーとは定義上「自由」であるはずなのに、不安定だからこそ何かに従わな
きゃいけない。一方で、今の日本では、特に男性サラリーマンは全人生を会社にささげ
ることが求められ、働き方が自由に選べない。それがジレンマですね。
 上野 昔の日本は違った。土地の気候風土に合わせて稲作、裏作、機織り、季節労働
と多様な活動を組み合わせて生計を立てるのが「百姓(ひゃくせい)」だと言ったのは
中世史家の網野善彦さん。百姓は「種々の姓」のことだから。だからゴー・バック・ト
ゥ・ザ百姓ライフ、よ。
 古市 たしかに高度成長期までは、自営でいくつかの仕事をやりながら、家族みんな
で働くのが当たり前でした。逆に、男性正社員が一人で家計を支え、専業主婦が家庭を
預かるというモデルは、たかだか40年の歴史しかない。その時期でも、終身雇用の企
業で働けたのは同年代の男性の2?3割。女性はその恩恵にほとんどあずかれなかった
。
 ??良い意味での無頼を貫くには、これからどうすればいいのでしょう。
 古市 高度成長期のモデルを当たり前と思わず、それ以外の選択肢を考えればいい。
しかし、現実社会の変化に対応した制度がないのが問題だと思います。
 上野 そのとおりね。若者も高齢者も「おひとりさま」で生きる社会になっていくの
だから、税制や社会保障制度を世帯単位から個人単位に変えるのが基本。それなのに制
度が現実の変化に追いつかず、国はいまだに「標準世帯」(注3)を単位にしている。
正規と非正規の賃金格差もなくすべき。ひとつの職場に人生を預けるのじゃなくて、多
様な働き方を自由に選べるようになればいい。
 古市 僕が留学した北欧って、貯金をしなくてもいい国なんですよね。一方、日本で
は、評論家の樋口恵子さんとお会いした時、80歳なのに「まだ老後が心配」とおっし
ゃっていました……。
 上野 日本の老後にはまだまだ安心が足りないから、お年寄りがお金をため込んで使
わず、子どもがそれを当てにするんです。ただ、国民年金、健康保険、介護保険は日本
が世界に誇るべき制度なのだから、絶対に持続可能な制度にしなければ。セーフティー
ネットがあるからこそ無頼でいられる。個人が自分で保障しなくても、安心して失敗で
きる社会にならないと、チャレンジする人も増えません。
 古市 それが本当の「無頼社会」ですね。今は「正社員、専業主婦にならなきゃ」と
いう規範自体はだいぶ弱まったと思います。できることが増え、自由な時代になった。
もっと前向きに、シンプルに無頼を楽しめる社会になればいいと思います。
 
 ◆息苦しい 一つの世界 
 収入面でも精神面でも、自由に生きる2人の言葉には、大きくうなずかされた。上野
氏も古市氏も、そのために陰で相当の努力を積み重ねているのだと感じた。そして、多
くの人が自由に生きることを可能にするためには、やはり社会制度や雇用慣行の変革が
どうしても必要なのだろう。
 同時に感じたのは、一つの世界しかもてないことの息苦しさ。この国で大きな問題で
あり続けるいじめや自殺などの病理も、日本人が閉じられた世界で生きがちなところに
原因があるように思えてならない。
 教室や会社以外に楽しみや逃げ場があれば、悩みも少しは軽減されるはず。一つの世
界にとらわれて追いつめられるような人が、今年は少しでも減ってほしい。(文化部 
小林佑基)
 
 注1 ウィキメディア財団が運営するインターネット百科事典。誰でも無料で編集で
きる。2001年に英語版が始まり、今は200以上の言語版がある。
 注2 介護が必要となった高齢者への在宅サービス、施設サービスの提供を、保険料
と公費で行う公的介護保険について定めた法律。2000年施行。
 注3 高度成長期に一般的だった、夫婦に子ども2人の世帯。国の制度や施策の多く
が、標準世帯を一生活単位と想定して構築されてきた。
  
 ◇うえの・ちづこ 1948年、富山県生まれ。日本の女性学、ジェンダー研究のパ
イオニア。近年は介護・ケア領域へと研究範囲を広げている。2011年、東大教授を
退職。NPO法人「ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」理事長。『近
代家族の成立と終焉』でサントリー学芸賞。近刊に『みんな「おひとりさま」』『生き
延びるための思想』、共著の『快楽上等!』など。
 ◇ふるいち・のりとし 1985年、東京都生まれ。東大大学院博士課程在籍。慶応
大訪問研究員(上席)。若者とコミュニティーについて研究するかたわら、有限会社ゼ
ントではマーケティング、IT戦略立案などにかかわる。著書に『希望難民ご一行様』
『絶望の国の幸福な若者たち』『僕たちの前途』など。NHK「NEWS WEB24
」にもナビゲーターとして出演している。
ーーーーーーーーーーー
不満、不安な若者は何を思う(ある青年の想いをみる)ブログ向け
少し前に放送された、NHKスペシャル「ワーキングプア」 
働いても働いても豊かになれない」を見ながら、私はなんとなく
違和感を覚えていた。番組では、働いてもそれに見合った給料が
得られず、生活もままならない人たちが、ワーキングプアとして
紹介されていた。最近でも、高齢者を対象にした同様の主旨の
番組もあった。
地方から東京に出てきて仕事を探すが、派遣でさまざまな会社
をたらい回しにされたうえに、ホームレスとなってしまった30代の若者。
会社をリストラされ、一家を養うためにバイトをいくつもかけ持ち
している元サラリーマン。イチゴの栽培が赤字で、家族全員の収入
を合算してなんとか生活する農家。そして、一時は人を雇うほどの
町一番の仕立屋だったが、今では小さな直しの仕事しかなくなって
しまった職人。年金は妻の入院費に消え、生活保護を受けようにも、
「妻の葬儀代に」と手をつけないでいる100万円の貯金の存在が、
生活保護を受給するにあたっての障害になっているという。

一生懸命まじめに働いても、生活が成り立たない社会が正しい状態では
ないことは明らかだ。普通の人が普通に働けば、普通に生活できる社会を
構築するべきだ。などと、ごく当たり前でなんの面白みもない想いが
わき上がってきてものだが、事態は、更に悪くなっているのが、実情である。
最近は、「格差の広がり」として、再びその議論が活発化しつつある。
最も、事態はワーキングプアの時よりも、ドンドン進んでいるだけで、
それを我々が知らないだけ、なのかもしれないが。

既に、格差については、以前の記事にも、その現状と原因らしきものについて
書いているので、そちらを再読してもらうとして、ここでは、
フリーターとしての自身の想いと不満を明確に書き綴った
朝日新聞社 「論座 2007年1月号」の赤木智弘氏の掲載文をジックリ
読んでもらいたい。
これは、赤木氏という特異な人の言葉ではない。既に、4割以上の人が
非正規の勤めをしている現状では、ある意味、普通の状態とも言える。
  
「ポストバブル世代に押しつけられる不利益
思えば私たちは、このような論理に打ちのめされ続けてきた。バブルがはじけた
直後の日本社会は、企業も労働者もその影響からどのように逃れるかばかり
を考えていた。会社は安直に人件費の削減を画策し、労働組合はベア要求を
やめてリストラの阻止を最優先とした。そうした両者の思惑は、新規労働者の
採用を極力少なくするという結論で一致した。企業は新卒採用を減らし、
新しい事業についても極力人員を正社員として採用しないように、派遣社員
やパート、アルバイトでまかなった。結局、社会はリストラにおびえる中高年
に同情を寄せる一方で、就職がかなわず、低賃金労働に押し込められた
フリーターのことなど見向きもしなかった。最初から就職していないの
だから、その状態のままであることは問題と考えられなかったのだ。
それから十数年たった今でも、事態はなんら変わっていない。経団連のまとめ
による「2006年春季労使交渉・労使協議に関するトップ・マネジメント
のアンケート調査結果」によると、フリーターを正規従業員として積極的に
採用しようと考える企業はわずかに1・6%にすぎない。世間はさんざん
「フリーターやニートは働こうとしない」などと言うが、この結果を見れば、
「企業の側がフリーターやニートを働かせようとしない」のが我々の苦境の
原因であると考えるほかはない。ちなみに、64・0%の企業が「経験・能力
次第で採用」としているが、そもそも不況という社会の一方的な都合によって、
就職という職業訓練の機会を奪われたのがフリーターなのだから、実質的
には「採用しない」と意味は同じだ。その一方で、職業訓練の機会と賃金
を十分に与えられた高齢者に対しては97・3%の企業がなんらかの継続雇用
制度を導入するとしており、その偏りは明白である。
企業の人件費に限りがある以上、高齢者の再雇用は、我々のような仕事に
ありつけない若者がまたもや就業機会から排除されることを意味する。
しかし、それを問題視する声はまったく聞かれない。これも同じく、経済
成長世代の就業状態をキープし、ポストバブル世代の無職状態をキープする
考え方だ。このような不平等が、また繰り返されようとしている。この繰り
返しを断ち切るために必要なことは、現状のみを見るのではなく、過去に
遡って、ポストバブル世代に押しつけられた不利益を是正することだろう。
近視眼的で情緒的なだけの弱者救済策は、経済成長世代とポストバブル
世代間の格差を押し広げるだけである。

「31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい
屈辱である。
ニュースを見ると「フリーターがGDPを押し下げている」などと直接的な
批判を向けられることがある。「子どもの安全・安心のために街頭にカメラ
を設置して不審者を監視する」とアナウンサーが読み上げるのを聞いて、
「ああ、不審者ってのは、平日の昼間に外をうろついている、俺みたいな
オッサンのことか」と打ちのめされることもある。
しかし、世間は平和だ。
北朝鮮の核の脅威程度のことはあっても、ほとんどの人は「明日、核戦争が
始まるかもしれない」などとは考えていないし、会社員のほとんどが「明日、
リストラされるかもしれない」とおびえているわけでもない。平和という
言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活が
まったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で
何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」という
ことになる。ならば、私から見た「平和な社会」というのはロクなもの
じゃない。夜遅くにバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらず
に働いて、明け方に家に帰ってきて、テレビをつけて酒を飲みながらネット
サーフィンして、昼頃に寝て、夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト
先に行く。この繰り返し。月給は10万円強。北関東の実家で暮らしている
ので生活はなんとかなる。だが、本当は実家などで暮らしたくない。
両親とはソリが合わないし、車がないとまともに生活できないような土地柄
も嫌いだ。ここにいると、まるで軟禁されているような気分になってくる。
できるなら東京の安いアパートでも借りて一人暮らしをしたい。
しかし、今の経済状況ではかなわない。30代の男が、自分の生活する場所
すら自分で決められない。しかも、この情けない状況すらいつまで続くか
分からない。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障はないのだ。
「就職して働けばいいではないか」と、世間は言うが、その足がかりは
いったいどこにあるのか。大学を卒業したらそのまま正社員になることが
「真っ当な人の道」であるかのように言われる現代社会では、まともな
就職先は新卒のエントリーシートしか受け付けてくれない。
ハローワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した
職業とはほど遠いものばかりだ。安倍政権は「再チャレンジ」などと言うが、
我々が欲しいのは安定した職であって、チャレンジなどというギャンブル
の機会ではない。そして何よりもキツイのは、そうした私たちの苦境を、
世間がまったく理解してくれないことだ。「仕事が大変だ」という愚痴
にはあっさりと首を縦に振る世間が、「マトモな仕事につけなくて大変だ」
という愚痴には「それは努力が足りないからだ」と嘲笑を浴びせる。
何をしていいか分からないのに、何かをしなければならないという
プレッシャーばかり与えられるが、もがいたからといって事態が好転する
可能性は低い。そんな状況で希望を持って生きられる人間などいない。
バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポスト
バブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていくこと
になるだろう。一方、経済成長著しい時代に生きた世代(以下、経済成長
世代)の多くは、我々にバブルの後始末を押しつけ、これからもぬくぬく
と生きていくのだろう。なるほど、これが「平和な社会」か、と嫌みの
ひとつも言いたくなってくる。
、、、、、、、
私たちだって右肩上がりの時代ならば「今はフリーターでも、いつか
正社員になって妻や子どもを養う」という夢ぐらいは持てたのかもしれない。
だが、給料が増えず、平和なままの流動性なき今の日本では、我々は
いつまでたっても貧困から抜け出すことはできない。
我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。
それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを
押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けば
このような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を
生み出してくれるかもしれない何か――。
その可能性のひとつが、戦争である。、、、、、」
(赤木智弘)
朝日新聞社 「論座 2007年1月号」」

多分、赤木氏や多くの人が望む20数年前の元気な余裕のある社会が、日本に
再現することはない。各個人としての雇用状況は、さらに悪化するであろう。
グローバル化の進展、ITによる機械との競争激化など、旧来の世界とは、
大きく変わってきていることの認識が必要である。
でも、政府含め、昔頑張ってきた人々には、それを解決する方向と手法が
分からない。何しろ、「ガンバリズム」で、好くなると心のそこで信じて
いる人が多いのだから。
これからは、ITへのスキル強化など、自身の総合的な社会対応力を
上げる必要がある。しかし、多くの若者は、それを理解をしようとも
しない。

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