「職人」という言葉は元々、手先の技術でモノ作りをしている人達のことであり、 大工から伝統工芸の職人、さらには、精密機器メーカーの製造現場で活躍する人 も入るのだろう。緻密な作業を妥協せず、辛抱強くやり遂げる人を指すことが多い。 ここでは、伝統工芸を中心とした職人の話としたい。 司馬遼太郎は、この国のかたちの39章でも言っている。 「職人。じつにひびがいい。そういう語感は、じつは日本文化そのものに 根ざしているように思われるのである。、、、、、 室町末期から桃山期にかけて、茶道が隆盛を極めた。とくに利休が出るに およんで、茶の美学だけでなく、茶道具についての好みが頂点に達した。 彼らは絵画など純粋美術を好むだけでなく、無名の職人が作った道具という 工芸に、目の覚めるような美を見出したのである。、、、、、、 多くの職人たちは、そういう無償の名誉を生活の目標としてきた。 「職人を尊ぶ国」 と、日本痛のフランク・ギブニー氏がいったが、日本社会の原型的 な特徴といっていい」。 わたし自身もメーカーにいたわけで、旋盤やその他の機械を巧みに操りそこから 生まれ出てくる製品のすばらしさに感動したこともある。 だが、人肌に近い工芸品は、それ以上の感動を与えてくれる。それは「手仕事」 の素晴らしさが目の前で行われているという思いがあるのだからだろう。 京都でも、そのような伝統工芸の職人グループに関わったこともあった。 だが、そこで感じたのは、採算性やビジネスモデルを無視した孤高の 仕事ぶりだった。それが彼らを全滅へと向かわせているのも事実だった。 しかし、30年ほど前に書かれた柳宗悦の「手仕事の日本」は違う視点も 見させてくれた。 以下に、「手仕事の日本」からの記述を示す。 今でも、充分考えさせられる内容であることが分かると思う。そして、 我々が如何に、自然との協奏の中にいる事を、強く感じさせる。さらには、 その担い手が職人たちであることもあらためて思い出させてくれる。 「あなた方はとくと考えられたことがあるでしょうか、今も日本が素晴らしい 手仕事の国であるという事を。 西洋では、機械の働きがあまりにも盛んで、手仕事の方は衰えてしまいました。 しかし、それに片寄りすぎては色々の害が現われます。それで各国とも手の技を 盛り返そうと努めております。なぜ機械仕事と供に手仕事が必要なので ありましょうか。機械に依らなければ出来ない品物があると供に、機械では、 生まれないものが数々あるわけでありす。全てを機械に任せてしまうと、第一に 国民的な特色あるものが乏しくなってきます。機械は世界のものを共通に してしまう傾きがあります。それに残念なことに、機械は兎も角利益のために 用いられるので、出来る品物が粗末になり勝ちであります。それに人間が 機械に使われてしまうためか、働く人からとかく悦びを奪ってしまいます。 こういうことが禍して、機械製品には良いものが少なくなって来ました。 (現在の高度に精密加工できる工作機械と熟練の技では、この指摘は、必ずしも 正しくはない。しかし、この文意にもあるが、昨今のグローバリぜーションの 拡大で、「国民的な特色が乏しくなる」と言う点を真摯に受け取ると、 日本文化をキチンと承継し、高めていくにはこの指摘は重要である) しかし、残念なことに日本では、かえってそういう手の技が大切なものだと言う 反省が行き渡っていません。それどころか、手仕事などは時代に取り残された ものだという考えが強まってきました。そのため多くの多くは投げやりに してあります。このままですと手仕事は段々衰えて、機械生産のみ盛んに なる時が来るでしょう。しかし、私どもは西洋でなした過失を繰り返したくは ありません。日本の固有の美しさを守るために手仕事の歴史を更に育てる べきだと思います。 今日眺めようというのは、他でもありません。北から中央、さては西や南に かけて、この日本がいまどんな固有の品物を作ったり用いたりしているかという ことであります。これは何より地理と深い関係を持ちます。気候風土と離れて しなものは決して生まれてはこないからです。どの地方にどんなものが あるかという事を考えると、地図がまた新しい意味を現してきます。、、、、 こんなにも様々な気候や風土を持つ国でありますから、植物だとて鳥獣だとて 驚くほどの種類に恵まれています。人間の生活とても様々な変化を示し、 各地の風俗や行事を見ますと、所に応じてどんなに異なるかが見られます。 用いる言葉とて、夫々に特色を示しております。これらのことはやがて各地で 作られる品物が、種類において形において色において、様々な変化を示す 事をかたるでありましょう。いわば、地方色に彩られていないものは ありません。少なくとも日本の本来のものは、それぞれに固有の姿を持って 生まれました。 さてこういうような様々な品物が出来る原因を考えて見ますと、2つの大きな 基礎があることに気付かれます。一つは自然であり、一つは歴史であります。 自然と言うのは、神が仕組む天与のもであり、歴史と言うのは人間が開発した 努力の跡であります。どんなものも自然と人間との交わりから生み出されていきます。 中でも、自然こそは全ての物の基礎であるといわねばなりません。その力は 限りなく大きく終わりなく深いものなのを感じます。昔から自然を崇拝する 宗教が絶えないのは無理もありません。日rんを仰ぐ信仰や山岳を敬う信心は 人間の抱く必然な感情でありました。、、、、、、 前にも述べました通り、寒暖の2つを共に育つこの国は、風土に従って多種多様な 資材に恵まれています。例を植物にとるといたしましょう。柔らかい桐や杉を 始めとして、松や桜やさては、堅い欅、栗、楢。黄色い桑や黒い黒柿、節のある 楓や柾目の檜、それぞれに異なった性質を示してわれわれの用途を待っています。 この恵まれた事情が日本人の木材に対する好みを発達させました。柾目だとか 木目だとか、好みは細かく分かれます。こんなにも木の味に心を寄せる国民は 他にないでしょう。しかしそれは全て日本の地理からくる恩恵なのです。 私たちは日本の文化の大きな基礎が、日本の自然である事をみました。 何者もこの自然を離れて存在することが出来ません」。 あらためて考えるべきことが多様に織り込まれているのではないだろうか。 そして、その体現者である職人の言葉には、含蓄ある、考えさせられる言葉も多い。 永六輔の「職人」という本にも、そのような言葉が散見される。 本にある「職人語録」の内からは、 「ウチナーの人間は、その日が楽しければいいの。明日はもっと楽しくしようとは思 わないのさ。だからヤマトの仕事は合わないの。余計に儲けなくたっていいんだ。向上 心がないのとはちがうのさ。欲がないだけのことさ。」 (沖縄でゆっくりと仕事をする、ある大工さんの言葉。) 「人間、ヒマになると悪口を言うようになります。悪口を言わない程度の忙しさは大 事です。」 「職業に貴賤はないと思うけど、生き方には貴賤がありますねェ。」 「人間、<出世したか><しないか>ではありません。<いやしいか><いやしくな いか>ですね。」 「残らない職人の仕事ってものもあるんですよ。えェ、私の仕事は一つも残ってませ ん。着物のしみ抜きをやってます。着物のしみをきれいに抜いて、仕事の跡が残らない ようにしなきゃ、私の仕事になりません。」・・・政治家等が自分の名・業績を残す為 に、名声を得る為に、あえて無駄な大事業を起こしたり自分の銅像を建てる事とは正反 対に、陰徳を行なう様に名を出さず密かに善い仕事を行なっている職人の言葉。 「怒ってなきゃダメだよ、年寄りは。」 「昔は伜(せがれ)に他人の飯を食わせるということをやったもんです。職人や芸人 なんか、とくにそうやって修業したもんです。ところがマイホーム主義なんていうよう になって、親の手元で修業する例が増えています。つまり、修業が甘くなっているんで す。」 「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になります。」 「職人が愛されるっていうんならいいですよ。でも、職人が尊敬されるように なっちゃァ、オシマイですね。」 (役人等のお上の決める黄綬褒章等についての言葉) 「批評家が偉そうに良し悪しを言いますけど、あれは良し悪しじゃなくて、単なる好 き嫌いを言っているだけです。」 「職人の仕事そのものが名前だと思うんですけどねェ。名前だけをありがたがる人が いるのも、困ったもんですよ。」 「名声とか金は、歩いた後からついてくるものだった。名声と金が欲しくて歩いてい る奴が増えてますねェ。」 「自分の評判なんて気にするんじゃない!気にしたからって、何の得もない。」 なるほど、と思う。 「粋」は「いき」でもあり「すい」でもあります。腕の良さ、技能の良さだけでは 無く、その「粋(いき)」な姿・言葉と同時に、「粋(すい)」な心、純粋な心 を持って働く事から、単なる労働者とは異なった職人の素晴らしさが有る。 江戸時代においての江戸や上方等では、職人たちは大事にされた(それは司馬さんの 言葉にもある)。その名残として、紺屋町・鍛冶屋町・大工町等が現在も地名 として残っている。名古屋の徳川美術館には職人衆を優遇する伝統が残っており、 職人は入館無料という。 そして。その職人たちを活かしてきたのが、日本の文化なのであろう。 江戸時代に諸国を遊行した僧・木喰(もくじき)がつくった仏像に惹かれた柳は、 日本各地を訪ね歩く旅の途で、地方色豊かな工芸品の数々や固有の工芸文化が あることを知ったという。そのころ出会ったのが濱田や河井で、彼らと美について 語らううち、「名も無き民衆が無意識のうちにつくり上げたものにこそ真の美 がある」という民藝の考え方が定まった。その特性を柳は「実用性、無銘性、 複数性、廉価性、地方性、分業性、伝統性、他力性」の言葉で説明した。 再び、柳宗悦の言葉を味わえば、 「寒暖の2つを共に育つこの国は、風土に従って多種多様な 資材に恵まれています。例を植物にとるといたしましょう。柔らかい桐や杉を 始めとして、松や桜やさては、堅い欅、栗、楢。黄色い桑や黒い黒柿、節のある 楓や柾目の檜、それぞれに異なった性質を示してわれわれの用途を待っています。 この恵まれた事情が日本人の木材に対する好みを発達させました。柾目だとか 木目だとか、好みは細かく分かれます。こんなにも木の味に心を寄せる国民は 他にないでしょう。しかしそれは全て日本の地理からくる恩恵なのです。 私たちは日本の文化の大きな基礎が、日本の自然である事をみました。」 ここ数年、伝統工芸品、工芸品への理解が高まり、各地で若い職人と 大学などとのコラボやデザイナーの積極参加で伝統工芸の技や素材を 活用した新しい製品造りが盛んになっている。私の近くでも、京都の 工芸のスキルを織物や木工品に適用して、今までにない形でのものの 提供を図っている人々が多くなっている。日本文化の発信として、国 全体としての取り組みが少しづつ具体的な形になって来たのであろう。 また、民間でも、企業ベースで、地域の工芸技術を活用した様々な 製品が創出されている。これを更に大きなうねりとすることが柳さんたちの 想いを結実することとなろう。それは、また、最近忘れ去れつつある 日本文化の見直しとその原点の認識を更に、多くの人に理解してもらい、 より精細な文化創造物を生み出すことの推進力にもなる。 ーーーーーーーーーーー 山田宗美そうび 鉄板1枚から様々な精巧な動物を作り出す。瓦に止まる鳩、ウサギの置物など。 彼は早世したこともあり、その凄い技が途絶えた。例えば、11センチの ウサギの耳を作ろうとするが、途中で割れてできない。精巧な目の周辺の かたちや肌触り、鉄板1枚から本当にできるの??一言のみだ。 例えば、和辻哲郎は、言う。 「この日本民族気概を観察するについては、まず、我々の親しむべく 愛すべき「自然」の影響が考えられなくてはならない。 我々の祖先は、この島国の気候風土が現在のような状態に確定した 頃から暫時この新状態に適応して、自らの心身状態をも変えて行った に違いない。もし、そうであるならば、我々の考察する時代には、既に、 この風土の自然が彼らの血肉に浸透しきっていたはずである。 温和なこの国土の気候は、彼らの衝動を温和にし彼らの願望を 調和的にならしめたであろう。」と。 そして、美濃和紙や各地の和紙、有田から備前などの焼き物、木曾檜の 木工品など結構好きで、旅したときはその地方の工芸品を見たり、 買ったりしてきたが、それらがその地域の自然と切り離しては、成り立たない、 と言うことをその度に、感じたものである。) しかし、もう1つ他に 大きな基礎をなしているものがあります。それは一国の固有な歴史であります。 歴史とは何なのでしょうか。それはこの地上における人間の生活の出来事であります。 それが積み重なって今日の生活を成しているのであります。、、、、、、 どんなものも歴史のお陰を受けぬものはありません。 天が与えてくれた自然と、人間が育てた歴史と、この二つの大きな力に 支えられて、我々の生活があるのであります。 我々は日本人でありますから、出来るだけ日本的なものを育てるべきだと思います。 丁度シナの国ではシナのものを、インドではインドのものを活かすべきなのと、 同じであります。西洋の模造品や追従品でないもの、すなわち故国の特色あるものを 作り、またそれで、暮らすことに誇りを持たねばなりません。たとえ西洋の 風を加味したものでも、充分日本で咀嚼されたものを尊ばねばなりません。 日本人は日本で生まれた固有のものを主にして暮らすのが至当でありましょう。 故国に見るべきものがないなら致し方ありません。しかし幸いなことに、 まだまだ立派な質を持ったものが各地に色々と残っているのであります。 それを作る工人たちもすくなくありません。技術もまた相当に保たれている のであります。ただ残念なことにまえにも述べたとおり、それらのものの 値打ちを見てくれる人が少なくなったため、日本的なものはかえって等閑に されたままであります。誰からも遅れたものに思われて、細々とその仕事を 続けているような状態であります。それ故今後何かの道でこれを保護しない 限り、取り返しのつかない損失が来ると思われます。それらのものに 再び固有の美しさを認め、伝統の価値を見直し、それらを健全なものに 育てることこそ、今の日本人に課せられた重い使命だと信じます。 威勢の良い、粋な姿・言葉を表現する職人たち。自分の名を売ろうとせず、目立とうと せず謙虚に、小さな町工場や工房、商店等で働き「清貧」を表す職人たち。利益・儲け よりも、誇り・意地・遣り甲斐を優先し大事にする職人たち。目利きを持ち、物事の真 偽や人の才能や能力を見分けて育てる力を持つ職人たち。 本書は、著者自身が以前にある雑誌に連載していた「無名人語録」の中から、職人た ちの言葉の数々を再び取り上げて編集しまとめたものが中心となっています。その江戸 言葉等で語られる職人たちの言葉や、怒ったり叱ったりする職人たちの言葉に触れるだ けでも、その活気や意気の盛んな様子が伝わって来て、私自身がその元気をもらってい る様に感じます。 「職人」と「作家」との違い。また同様に、「芸人」と「芸術家」との違い。消費税 が導入される前までは、「職人」の作るモノには物品税が掛けられていた様で、反対に 「作家」の作るモノには物品税は掛けられなかったとの事。また、一つの名も無き地方 の田舎で作られた小さな「雑器」が、都会の有名な「工芸館」に暫く飾られるだけで、 世間の見る目が変わってしまうとの事。その様に日本では、法律や世間体等によって、 職人が生きにくい様な状態に陥らされています。 職人(や芸人)の世界は徒弟制度であるのだが、最近は労働基準法がそれを認めてい ないせいもあって、本来は弟子が親方に月謝を払うべきところを、修行中の弟子にも月 給を払わなければならないとの事。 最近はテレビ等でもよく職人が人前に出演してその腕前を披露している番組が有りま すが、しかし著者はその様にテレビ等に出て名を売ったり目立ったりする事は、「粋」 では無く「野暮」だと言います。 本来は旅芸人である落語家の噺である落語の主人公は、大抵が職人たちとの事。 著者は、「職人というのは職業じゃなくて、『生き方』(及び考え方)」と言います 。そして、「『人間国宝』と書いてあると、それだけで良く見えちゃうっていうの、あ るじゃないですか。 …(中略)…。むずかしいけれど、自分自身の基準をもたなくちゃ ね。他人があまり評価しないものをいいなと思っちゃう場合もあるし、だれもが認めて いるものを、なんでこれがいいの?ということもあるでしょう。そのとき、自分のほう を大事にする。自分の目に自信を持つ。ときには失敗しますけど、その失敗が月謝にな るんです。……(後略)。」。 本書を読むと、かつて永六輔が尺貫法の存続にあれほどこだわって、おかみを相手に、 まるで綱渡りのような、たぶんに冗談っぽいけど、じつはからだを張った真剣勝負を挑 んだ理由がわかる。 「他人と比較してはいけません。 その人が持ってる能力と、その人がやったことを比較しなきゃいけません。 そうすれば褒めることができます」 「批評家が偉そうに良し悪しを言いますけど、 あれは良し悪しじゃなくて、 単なる好き嫌いを言っているだけです」 「安いから買うという考え方は、買物じゃありません。 必要なものは高くても買うというのが買物です」 無名人語録、対談、講演原稿など、雑然とした軽快な構成のなかに背骨がひとすじ通 っているところが、いかにも永さんらしいスタイル。随所で人生の極意をさらりと語っ て嫌味にならないのはさすがですね。
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