2016年5月25日水曜日

柔らかい個人主義から

30年前の本から思う,柔らかな個人主義の誕生
 
この本は、1984年に刊行され、60年代と70年代についての分析が中心であり、
著者の「消費」の定義の仕方など、現在でも十分に通用する内容ではあるが、
個人的には組織の中で一途に仕事に打ち込んでいた自分にとっては、これからの社会
への自分個人の関わり方の示唆として読み取ったものだ。しかし、30年ぶりに
読み返せば、あの時、これらの内容をもう少し深く実践の想いで読めば、少し違う
今の自分が存在した、かもしれない。

池田内閣の所得倍増計画の下で高度経済成長を目指していた60年代の日本社会が、
その目的を遂げた後、どのように変化していったのか。70年代に突入して増加し
始めた余暇の時間が、それまで集団の中における一定の役割によって分断されていた
個人の時間を再統一する道を開いた。つまり、学生時代は勉学を、就職してからは
勤労を、という決められた役割分担の時間が減少したことにより、余暇を通じて
本来の自分自身の生活を取り戻す可能性が開けたということである。
こうした余暇の増加、購買の欲望の増加とモノの消耗の非効率化の結果、個人は
大衆の動向を気にかけるようになる。
以前は明確な目的を持って行動できた(と思っていたが)人間は、70年代において
行動の拠り所を失う不安を感じ始める。こうして、人は、自分の行動において他人
からの評価に沿うための一定のしなやかさを持ち、しかも自分が他人とは違った存在
だと主張するための有機的な一貫性を持つことが必要とされる。

それを「柔らかい個人主義の誕生」と考える。今読み返しても、その言葉を
なぞっても、決してその古さを失っていない。
だが、
個人とは、けっして荒野に孤独を守る存在でもなく、強く自己の同一性に固執する
ものでもなくて、むしろ、多様な他人に触れながら、多様化していく自己を統一
する能力だといえよう。皮肉なことに、日本は60年代に最大限国力を拡大し、
まさにそのことゆえに、70年代にはいると国家として華麗に動く余地を失う
ことになった。そして、そのことの最大の意味は、国家が国民にとって面白い
存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたえ個人の人生を励ましてくれる
劇的な存在ではなくなった、といふことであった。
いわば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもない人
(ノーボディー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、
それがひとしく尊重され、しかし、ひとなみにしか扱はれない「誰でもよい人
(エニボディー)」に変った、といへるだらう。、、、、
これにたいして、いまや多くの人々が自分を「誰かである人(サムボディー)」
として主張し、それがまた現実に応へられる場所を備へた社会がうまれつつある、
といへる。確実なことは、、、、、、ひとびとは「誰かである人」として生きる
ために、広い社会のもっと多元的な場所を求め始める、ということであろう。
それは、しばしば文化サービスが商品として売買される場所でもあらうし、
また、個人が相互にサービスを提供しあう、一種のサロンやボランティア活動の
集団でもあるだらう。当然ながら、多数の人間がなま身のサービスを求めると
すれば、その提供者もまた多数が必要とされることになるのであって、結局、
今後の社会にはさまざまなかたちの相互サービス、あるいは、サービスの交換
のシステムが開発されねばなるまい。

インターネットが普及し本格化したのは、2010年ごろからだ。そして、社会
の動きは彼の指摘するような形で進み、さらに深化している。今読んでも、この
指摘に全然古さのないことにただ感心するのみだ。「誰かである人
(サムボディー)」として、自己の存在を誰かに確認しようとし、その欲求を
更に高めている。さらに彼は、言う。

もし、このやうな場所が人生のなかでより重い意味を持ち、現実にひとびとが
それにより深くかかわることになるとすれば、期待されることは、一般に人間関係
における表現というものの価値が見なほされる、といふことである。
すなわち、人間の自己とは与へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に
表現されたときに初めて存在する、といふ考へ方が社会の常識となるにほかならない。
そしてまた、そういふ常識に立って、多くのひとびとが表現のための訓練を身に
つければ、それはおそらく、従来の家庭や職場への帰属関係をも変化させることであら
う。これで、われわれが予兆を見つつある変化は、ひと言でいえば、より柔らかで、
小規模な単位からなる組織の台頭であり、いいかえれば、抽象的な組織のシステム
よりも、個人の顔の見える人間関係が重視される社会の到来である。
そして、将来、より多くの人々がこの柔らかな集団に帰属し、具体的な隣人の顔を
見ながら生き始めた時、われわれは初めて、産業化時代の社会とは歴然と違う社会
に住むことになろう。

この30数年前に語られた言葉がインターネットの深化に伴い、現在起きている
ことであり、それに対する個人の生きる指標でもあるようだ。この老いた人間にも
わかる。巷ではバブルの崩壊が囁かれる様になっていたし、どこかで、「己の
幸せは何」という気持が漠然と働いていたのであろう。その中で、個人の
意識変化とそれを起点とした社会の構造、意識の変化が如実になっても来ていた。
この本では、消費の視点を重視し、その変化を見ているが、結果的には社会構造
そのものの変化を指摘した。眼前の忙しさにかまけている中にも、世の中の変化
は多方面で迫ってきていた。週休一日が半ドンを入れての週休二日になり、働く
事への後ろめたさが漂いはじめていた。そして60歳定年制が同じ頃話題となった。
社会とは不思議なものだ。この60歳定年が、私が55歳になる頃また55歳へ
と戻ってくるのだ。12年ほど前の年寄り不要論に振り回されて会社の中で右往
左往する自分たちの姿を思い出すにつけ、苦い思い出が走馬灯のように私を
駆け巡る。
さらには、派遣の女性社員が私の周りにも増えてきた。彼女らの不満
や相談に乗る時間も増えてきた。我々の時代、終身雇用が当たり前だと思って
いたが、それが砂浜が侵食されるように徐々にその姿が変わってきた。
派遣社員の増加となり、職場の雰囲気も変わってきた。ワーキングプア、この
存在し得なかった言葉が当たり前の時代になっている現実は夢の世界なので
あろうか。働く事でその成果が年々見えていた時代、今思えば、なんと幸せな
時代を過ごせたのであろうか、これは老人の郷愁なのだろうか。
だが、「誰かである人(サムボディー)」として個の主張はより広く表現できる
ようにはなったが、何故か、個の存在がだんだん薄くなっている、そんな気持ち
が次第に強くなっている。
 
 
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柔らかい個人主義データ
 
・1970年代は時代を飾るはなばなしい標語もなく、時代全体の記念碑となるやうな祝祭
もなく終始する10年となった。たしかに、新しい十年を予告する標語として「猛烈から
ビューティフルへ」といふ流行語が聞かれたことはあったが、この感覚的なスローガン
はかへって時代のつかみにくさを物語ってゐた、といへる。

・さうした複雑な変化のなかで、いま振り返ってもっともわかりやすいのは、たぶん、
国民の意識に落す国家のイメージの縮小、といふことであらう。現実の政治制度として
の国家は、もちろん、今日もその役割をいささかも失ってはゐないが、個人にとってそ
れが存在するといふ感触の強さは、70年代を通じて急速に減少し始めたといへる。

・皮肉なことに、日本は60年代に最大限国力を拡大し、まさにそのことゆえに、70年代
にはいると国家として華麗に動く余地を失ふことになった。そして、そのことの最大の
意味は、国家が国民にとって面白い存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたへ、個
人の人生を励ましてくれる劇的な存在ではなくなった、といふことであった。

・労働省の「労働時間制度調査結果概要」によれば、1970年に、集久一に知性の職場が
全体の71.4パーセントを占めていたのにたいし、十年後の1980年には、それが23.7パー
セントに激減している。

・いはば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもない人(ノーボディ
ー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、それがひとしなみに尊重
され、しかし、ひとしなみにしか扱はれない「誰でもよい人(エニボディー)」に変っ
た、といへるだらう。(中略)これにたいして、いまや多くの人々が自分を「誰かであ
る人(サムボディー)」として主張し、それがまた現実に応へられる場所を備へた社会
がうまれつつある、といへる。

・確実なことは(中略)ひとびとは「誰かである人」として生きるために、広い社会の
もっと多元的な場所を求め始める、といふことであらう。それは、しばしば文化サーヴ
ィスが商品として売買される場所でもあらうし、また、個人が相互にサーヴィスを提供
しあふ、一種のサロンやヴォランティア活動の集団でもあるだらう。当然ながら、多数
の人間がなま身のサーヴィスを求めるとすれば、その提供者もまた多数が必要とされる
ことになるのであって、結局、今後の社会にはさまざまなかたちの相互サーヴィス、あ
るいは、サーヴィスの交換のシステムが開発されねばなるまい。

・もし、このやうな場所が人生のなかでより重い意味を持ち、現実にひとびとがそれに
より深くかかはることになるとすれば、期待されることは、一般に人間関係における表
現といふものの価値が見なほされる、といふことである。すなはち、人間の自己とは与
へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在す
る、といふ考へ方が社会の常識となるにほかならない。そしてまた、さういふ常識に立
って、多くのひとびとが表現のための訓練を身につければ、それはおそらく、従来の家
庭や職場への帰属関係をも変化させることであらう。

・だが、これよりももっと大きな変化は、豊かな社会の実現が人間の基礎的な欲望を満
足させるとともに、結果として、消費者自身にも自分が何かを求めながら、正確には何
を欲しているかわからない、といふ心理状況をつくりだしたことであらう。

・ここれで、われわれが予兆を見つつある変化は、ひと言でいへば、より柔らかで、小
規模な単位からなる組織の台頭であり、いひかへれば、抽象的な組織のシステムよりも
、個人の顔の見える人間関係が重視される社会の到来である。そして、将来、より多く
の人々がこの柔らかな集団に帰属し、具体的な隣人の顔を見ながら生き始めた時、われ
われは初めて、産業か時代の社会とは歴然と違ふ社会に住むことにならう。

・カルヴィニストにとって、信仰のもっとも重要な中心はこの「合理的なシステム」で
あって、それに完全に身を委ね、いはば神の機械の部分品になりきることが、宗教的な
つつしみの表現だったといへる。そして、その「合理的なシステム」の具体的な現われ
が、ほかならぬ人間の職業の組織であり、したがって、真の信仰はそれぞれの職業に献
身することにある、といふことになる。そのさい、神の富を増やすことは美徳であるか
ら、蓄財そのものはもちろん許されることにあんり、ただそれを快楽のために消費する
ことだけが罪悪視された。

・17世紀のプロテスタントが行ったことは一種の逆説であり、神を極端にまで絶対化す
ることによって、逆に世俗の活動を正当化するといふ手品であった。

・けだし、個人とは、けっして荒野に孤独を守る存在でもなく、強く自己の同一性に固
執するものでもなくて、むしろ、多様な他人に触れながら、多様化していく自己を統一
する能力だといへよう。

は、まさにいま訪れている段階だと思います。これを30年前に書くとは、すごい人って
いるんですねぇ…。 いやはや、見事な予言書ですね。「より柔らかで、小規模な単位
からなる組織の台頭であり、いひかへれば、抽象的な組織のシステムよりも、個人の顔
の見える人間関係が重視される社会」というのは、まさにいま訪れている段階だと思い
ます。これを30年前に書くとは、すごい人っているんですねぇ…。
来年で80歳になる方ですが、まだ作品は書き続けておられます。色々読みあさってみよ
うと思います。





第二章「顔の見える大衆社会」の予兆
ここではこの時代が示す特色の社会学的な意味づけをしているそうだ。
ざっくり言うと産業化社会から情報化社会への変遷。
この時代を表すキャッチが
「モーレツからビューティフルへ」だそうだ。
量的拡大からゆとりへ。
十数年前に聞いたような話だ。
一言で情報化と言っても、
人間があつかう情報には
「プログラム的な情報」と「非プログラム的な情報」があり、
60年代から70年代は前者から後者へ比重が変化したと言える。
前者は明確な目的遂行のための手段と方法を効率化したもの。
言い換えれば、一つの商品製造のための効率的な方法。
それに対し、
後者は明確な目的がなく目的自体を求めるもの。
商品作りの方法ではなく、時代と人が求める物を探り出す。
これを「情報」という単語で表すのはどうかと思うが。
日本が得意としていた物創りでも、
こんな意識転換が図られた時代。
この変化によって人間の相互関係にも変質がきたされる。
それが、新しい個人主義だという。

余談だが、
産業化社会を創ったのは禁欲的なプロテスタントだという
ウェーバーの
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は興味深い。

二章の「時代が示す特色」の
美学的な説明にあててるそうである。
あとがきでは
「社交が成立する必然性を消費の本質から説明する」
と要約されてる。
この要約を詳細に正確に知りたいなら、
本著を読むことをオススメする。

第二章までで
産業社会から消費社会に移行した経緯が
つらつらと述べられており、
第三章では、
その消費社会の中で人びとが形成した自我について興味深い記述がある。

「他人をうちに含んだ自我」
「自我の成立そのものが他人の存在を必要とする」(以上158頁抜粋)
言われてみればその通りで、
自我を自覚するためには
自分以外の他人が必要。

この自我は
物質的欲望と精神的欲望の拮抗で成立する。
簡単に言うと、
自分の好きな物を持っているだけでは、
人は完全には満たされない。
自分が持っている物が如何に素晴らしいか、
同じ価値観を共有する他人に、
自分が所有する物の価値を認めさせ、
さらにそれを所有する自分を認めさせる。
所有という急ぎの欲望の次に、
その満足を確認という作業で引き延ばす欲望を満たす。
そこまでしてようやく、自我確立だそうだ。

(以外抜粋)
個々の人間が
欲望の十分な満足を味はふとき、
彼はつねに自分の内部に
ひとりの「他人」を生み出し、
その目に眺められることによって
満足を確実なものにしてゐる、
と説明することができる。
いふまでもなく、
この「他人」は
われわれの自我の一部なのであって、
当然、それは
威圧したり競争する相手ではなく、
われわれが
全面的な信頼を寄せることのできる相手である。
(以上159~160頁)

ここ、興味深い。
自分で自分を認めてこそ、
自我の確立と言ってる。
つまり、
他者と比較して満足を得ているうちは、
本当の自我は確立してないってことか。

しかも、
自分で自分を認める作業は
孤独で不安な作業だから、
消費することで成り立つ自我には、
どうしても自分の外に他人が必要だ。
消費社会とは、
他人ともたれ合う必要のある社会
なのかもしれない。
それが「消費の社交性」なのか。
だから人は酒宴や喫茶などの、
共同の場で物を消費することを好む。
「共同作業による生産とは違って、
共同の消費には
なんらの合理的な利点もないばかりか、
むしろ、
純粋な物質的快楽を味はふうへでは
妨げとなる」(161頁)
この奇妙な行動は、
消費行動を一定のリズムに保つためらしい。
人はこうでもしないと
自分でリズムを保つことが出来ないのか、
それとも、
これが社会に必要なのか。
必要なのだとすれば、
それは定期的に消費をさせるためのリズムか。

世界はたくさんの波紋に満ちており、
その波の余波をくらって動いてる。
消費のためのリズムの波は、
何が何のために起こしているのか。
消費する上では、
考えておくといいかもしれない。

「不安の徴候としての自己顕示欲」
(以外抜粋)
自我の内部の「他人」は、じつは
自分自身を十分に知らない存在なのであり、
消費をどのように楽しみ、
どの程度に楽しめばよいかについて、
ひとりでは確信を持ちえない存在だといへよう。
この点でも、
人間の自我についての西洋的な通年は不正確なのであって、
少なくとも欲望の満足にかかはるかぎり、
自我は最初から他人と共存し、
その賛同を得てはじめて
自分自身を知りうる存在だ、
と見るべきであらう。
(162頁抜粋)

この後、
「大衆の変質」「硬い自我の個人主義」
「柔らかい自我の個人主義」と続き、
「『無常』の時代の消費」で終わる。
産業社会から消費社会への変質に伴い、
均質的であった大衆が消費という個を求めてそれを失い、
それに反する個人主義の孤立するエリート精神も揺らぐ時代を迎えた。
それは変化する自己の不安を生み、
新しい自我の意味を捉え直す必要に迫られた。
でも、
その自我が何を求めているのか分からなかった。

山崎氏はもちろん書いてないが、
分からないまま、あの95年を迎え、
日本は大きな震災をいくつか経験し、
物と消費、そして情報と消費について、
考え直す機会を何度も与えられて
今にいたっていると私は考える。

では、どういう変化が望ましいか。
1984年の山崎氏は、
「まだかつてのサロンのような社交の場を持たず」
「個人が一つの安定した行動の作法を作るには、
 あまりにも激しい風俗の変化の波に洗はれてゐる。」
と書いた。
2013年の今はどうだろう。
サロンかどうかは知らないが社交の場は存在し、
その中で新しい文化が生まれてる。
そして、
社会の状況がどうであれ、
自分の信念の元に行動する個人も存在する。
いやいや。
これは今に限ったことではない。
そんな集団・個人はずっと存在していたんだ。
ただ、
それを大衆というその他大勢が
視界に入れていたかどうかということ。

すごく勉強になったこの本。
結局、
いつの時代も人間は変わらないんだな。



1984年に刊行された本書であり、60年代と70年代についての分析が中心であるが、著者
の「消費」の定義の仕方など、現在でも十分に通用する内容が多々ある。池田内閣の所
得倍増計画の下で高度経済成長を目指していた60年代の日本社会が、その目的を遂げた
後、どのように変化していったのか。70年代に突入して増加し始めた余暇の時間が、そ
れまで集団の中における一定の役割によって分断されていた個人の時間を再統一する道
を開いた。つまり、学生時代は勉学を、就職してからは勤労を、という決められた役割
分担の時間が減少したことにより、余暇を通じて本来の自分自身の生活を取り戻す可能
性が開けたということである。著者も引用している森鴎外の言葉が印象的だった。

一体日本人は生きるといふことを知つてゐるだらうか。小学校の門を潜つてからといふ
ものは、一しょう懸命に此学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると
思ふのである。学校といふものを離れて職業にあり附くと、その職業を成し遂げてしま
はうとする。その先きには生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないの
である。(『青年』)

また、60年代以降に生じてきた、商品のデザインに対する関心の急速な高まりは、購買
における物質的な欲望よりも、精神的な欲望を消費者に引き起こした。例えば、肌を覆
うためのTシャツ買い物をするとき、Tシャツの素材の価値は百円程度であるが、そのデ
ザインに消費者は何千円ものお金を投じる。このデザインに対する精神的欲望が欲する
モノは、「何か美しいもの」という漠然としたイメージでしかなく、それがどんな色と
形からなっているかを明言することはできない。したがって、現代の購買行動は、「商
品との対話を通じた一種の自己探求の行動に変った」と筆者は主張するのである。つま
り、自分の美しいという基準を充たす商品を目の前にして初めて私達の精神的欲望が欲
するモノが具体化されるため、購買活動の中で多種多様な商品を通じて自分自身の欲望
を精査するしかない。この購買活動の変化は、欲求の自由を個人に与える一方で、その
方向と適切さに対する自信を失わせることになる。

そして、著者の優れた分析眼の最たるものに、「消費」という言葉の定義がある。一般
に認識されている「消費」の意味とは、「生産」の対極にあり、物質の価値を消耗させ
ていく行為という程度ではないだろうか。しかしながら、ものの消耗として理解するか
ぎりにおいて、「消費」と「生産」が本質的に同義であると著者は説く。つまり、「消
費」するという行為は、同時に何かを「生産」している。食物を消費して明日の労働力
を、紙を消費して普遍なる知識を、森林を消費して電力や住居を、といった具合に、「
消費」は同時に物質的・非物質的なモノを生産する。こうした「消費」と「生産」の関
係性に加えて、「消費」という行為が、物質的欲望を最大効率的に満たそうとするので
はなく、物質的欲望を直接に満たすこと自体を引き伸ばしているという事実を挙げる。
例えば、食事においても、人は一片の牛肉を食すにあたって、目の前の牛肉にすぐさま
かぶりつくのではなく、時間をかけて調理し、綺麗な器に飾り付け、厳かな手つきで口
に運ぶ。こうした時間を消費する過程は、食欲を純粋に満たす上で非効率であるのは明
らかだ。以上の事実から、著者は、「消費」を「ものの消耗と再生をその仮りの目的と
しながら、じつは、充実した時間の消耗こそを真の目的とする行動だ」と定義し、「生
産」を「過程よりは目的実現を重視し、時間の消耗を節約して、最大限のものの消耗と
再生をめざす行動」と定義するのである。そして、この「充実した時間の消耗」という
モノの消耗における非効率性は、70年代以降の社会に見られる購買活動において、物質
的な価値よりもデザインに大金をはたくという非効率性に通じるのである。


こうした余暇の増加、購買の欲望の自由化とモノの消耗の非効率化の結果、個人は大衆
の動向を気にかけるようになる。以前は明確な目的を持って行動できた人間は、70年代
において行動の拠り所を失う不安に耐え切れず、周囲の目を気にし出すのである。こう
して、人は、自分の行動において他人からの評価に沿うための一定のしなやかさを持ち
、しかし、同時に自分自身を他人とは違った存在だと主張するための有機的な一貫性を
守ることが要求される。それが「柔らかい個人主義の誕生」なのである

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