2016年10月30日日曜日

飛鳥時代の再現料理、食の移り変わり

「食」の移り変わり

縄文時代

日本には四季の移り変わりがあるので,山,川,海でとれる食べ物も季節に応じて変わった。自然のめぐみにたよった人々は,その中で,くらしのくふうをした。

縄文土器の発明により人々の食生活は大きく変わった。食べ物をにたりするばかりでなく,保存することも可能になり,いろいろくふうした料理が食べられるようになった。

弥生時代


人々は竪穴(たてあな)住居の中で,魚や貝,しかやいのししの肉は焼き,生野菜,木の実などはそのまま,米は弥生土器で煮(に)て食べた。
 
米を主食とし、肉や魚、野菜、木の実などを副食とする食事が一般的になります食べ物は直接手を使って食べた。米づくりが始まったおかげで,食生活は安定していった。

米、くだもの、野菜、肉、魚、海草など季節のものを食べていました。当時の食事を、いいだこ、かぶ、青菜、鮎、干し柿、梅干し、小エビ、赤米、ハマグリを使って再現したものです。

飛鳥時代

下級役人の食事
 
主食は玄米(げんまい)で,副食はいわしのにつけ,かぶのすの物,みそ汁,きゅうりの塩づけ,そしてお酒(にごり酒)と調味料としての塩がある。はしはまだ使われていなかった。当時は一日二食であった。

庶民の食事

都での仕事に地方からかり出されてきた庶民たちの食事は,玄米(げんまい)に塩,わかめやその他の海草の汁(しる),そしてゆでた青菜や山菜程度のものだった。
仏教の影響で、動物の肉を食べることがたびたび禁止されました。

奈良時代

貴族の食事
 
皇族(こうぞく)や貴族のふだんの食事は漆(うるし)ぬりの食器を使用した。はしやさじも漆ぬりである。ふだんの食事ではあっても,全国各地から都に届いためずらしい材料が調理されて出された。たけのこ,なの花,ふきなどの野菜から,えび,さけ,たこ,かきなどの魚貝,きゅうりやなすのつけ物,かもの肉の汁(しる),ごはんなどぜいたくであった。なかでも,牛乳から作られた蘇(そ)はチーズのようで,たいへんぜいたくな食べ物であった。

庶民の食事

庶民(しょみん)や下級の役人の食事は,貴族に比べ,そまつで,主食の米と,青菜(あおな)の汁(しる),そして塩を,土器の器に盛り,木製のはしで食べた。

平安時代

貴族の食事
 
強飯(玄米を蒸した物)と魚貝類や野菜などに、塩や醤醢<ひしお>(味噌・醤油の先祖)などをつけて自分の好みで味つけをして食べたようです。出されたものに,はしを少しつけて食べ,あとはかたづけてしまう習慣だった。食品の種類も多くなりたいへん豪華になりましたが、魚貝類や肉類の多くは遠方から京都・奈良に届けるため、ひものなどに加工してあり、新鮮なものはあまり食べられなかったようです。

鎌倉時代

武士の食事

質素を尊び,いざ出陣にそなえる武士の食事は,玄米の飯と焼き魚や芋類、うめぼしなど3種類くらいのおかずに、調味料をそえただけという質素なものでした。


鎌倉時代には中国から禅宗という仏教とともに精進料理が伝えられた。動物や魚の肉をやめて,野菜などを使った。

室町時代

武士の食事
 
武士は,質素だが栄養のあるものを食べていた。主食は玄米をかために煮たおかゆ。おかずはあじの焼いたもの。煮なすや野菜の煮物。大根の漬物と梅干。味つけに醤(ひしお)や塩をつけて食べた。

庶民の食事

これは,職人のふだんの夕食を想像してつくったものである。麦と米を混ぜたごはん,焼きはぜ,ささげの塩づけ,しじみとせりのすまし汁がある。

安土桃山時代

南蛮(なんばん)風の食事
  
南蛮人(なんばんじん)との貿易を進めた西日本の大名は,ワインをビードロのグラスで飲み,牛肉のステーキや豚肉のシチュー,たいのてんぷら,さらに,がんもどきやかまぼこなど,加工食品も食べるようになった。
しかし、庶民の口には、入らなかった。

カボチャ、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ、スイカ、コショウ、てんぷら、ぶどう酒、カステラ、コンペイトウ、ビスケット、ボーロ、パン、サトウキビなどは、この頃にヨーロッパから伝わった。

江戸時代

大名の食事
  
これは大名の夕食。一の膳(ぜん)には鯛(たい)の塩焼きとはまぐりのすまし汁(じる),清酒。二の膳には,きすの煮物(にもの),野菜の煮物,ぜんまいの煮つけ,漬物(つけもの)とかぶのみそ汁(しる),そして白米のご飯。ごうかな食事であった。
初期は質素でしたが次第に絢爛豪華となっていきました。

町人の食事
  
町人の夕食は質素(しっそ)だった。だいこんのみそ汁と野菜の煮(に)つけの一汁一菜(いちじゅういっさい)。それに,たくわん,白米と麦を混ぜたご飯がふつうであった。
食事をする時,箱膳(はこぜん)を使用した。食べ終わると自分が使った食器やはしを,そのままお湯で洗い,箱膳にしまっていた。仕事に早くつくための心がまえである。

江戸のファーストフード
  
江戸や大阪などでは,庶民が手軽に食べられるような,てんぷら,うなぎの蒲焼(かばやき),二八(にはち)そばなどの料理屋台(やたい)が現れた。
 
東京湾でとれたこはだを使った寿司や瀬戸内海でとれたたいを使った押し寿司(おしずし),そのほか,いなりずし,とうふにみそをぬった田楽なども屋台で売られた。寿司やてんぷらは庶民の食べ物だった。
   
江戸の町には,6000もの食べ物屋があった。その中に,これまで高級なお菓子として武士が食べていたせんべいやおこし,まんじゅうや大福を売る店も現れた。江戸時代は,お菓子も庶民が食べられるようになった。

11月初め、恒例の小野妹子祭りがおこなわれた。
9年前の小野妹子1400年祭には、この地域で活動している料理の会メンバー
も加わり、飛鳥時代の食事を再現したそうだ。中々の出来だということで、
写真をみせてもらった。
当時は、1日2食であったが、地元の食材を利用して今の郷土料理
に引き継がれている料理もあった。湖魚や春の旬菜など、長期保存の工夫もして料理
を美味しくしていたのであろう。この写真を見ていると、なるほど感が強まり、
料理の会のメンバーとこの料理の創作料理人のの方にあらためて感謝。

1.貴族の食事
①タニシの蒸したもの
②アユの煮つけ
③香モノ ナスの一夜漬け
④茹でわかめ
⑤大根(蕪)煮物
⑥調味料としての酢
⑦にごり酒
⑧強飯風白米
⑨調味料としての塩盛
⑩調味料としての味噌
⑪フナのどろんこ焼き
⑫デザート  梅の実 クルミ ビワ 枝豆
⑬チアユまたはヤマメの焼き物

貴族のふだんの食事は漆(うるし)ぬりの食器を使用した。
はしやさじも漆ぬりである。牛乳から作られた蘇(そ)はチーズのようで
たいへんぜいたくな食べ物であった。


写真はその再現料理です。



2。官人の食事
①栗、桃、枝豆
②アユ煮 大根芋
③白米
④蕪の酢つけ
⑤漬物(瓜、ナス)
⑥調味料としてのみそ
⑦アユ汁
⑧壺入りのにごり酒
写真はその再現料理です。


3.庶民の食事
①漬物(瓜、きゅうり、わらび)
②青葉汁  大根芋、春菊(セリ、ナズナ、ハコベ)
③玄米
④調味料としての荒塩

土器の器に盛り,木製のはしで食べた。
写真はその再現料理です。
庶民たちの食事は,玄米(げんまい)に塩,わかめやその他の海草の汁(しる),ゆでた青菜
や山菜程度のものだった、という。


食材について
・生姜や茗荷、ノビルはこの時代では、香辛野菜として、料理の香りづけや醤油漬けにして
香りを味わった。
特にノビルは、若葉を茹でて醤酢を和えたり、魚の膾なますに和えたり、吸い物の具にした。
鯛の膾に蒜ひるを和えたものもある。

・ニラの塩漬け
昔は、1年間の保存が難しいこともあり、漬物や魚介類は干しものとして収穫期に
1年間の保存を考えた。塩漬け、味噌漬け、粕漬けなど長年にわたり受け継がれてきた
保存食の工夫は今でも郷土料理に活かされている。

・蕪かぶらや大根も多く使われた。
大根を煮物や塩漬け、吸い物の具にしていた。また、大根を細切りにして干して置き
酢醤油で食べた。

古代では、主食に限らず、漬物や魚介類の干しものなど、冷凍技術のない時代であり、
1年間の食料を如何に確保するかに知恵を絞ったのであろう。それが、この里の味噌漬けや
塩漬け、粕漬けなどとして長く受け継がれてきた。湖魚でもその代表がフナ寿司、ナレ寿司
であった。




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