仏像として、私が強く意識したのは、十一面観音像であった。 遠い昔、人々は自然に畏敬し白く美しくそびえたつ富士山や白山、数百年の巨木、 三輪山や厳島の巨岩に神を見ていた。神道や多くの原始宗教と言われるものの 成り立ちは数知れない。そして、仏教という新たな外来の神とともにやってきた 仏像に同じ思いを重ねたのであろう。 彼は、目の前に慄然と立つ三メートルほどの像に取り込まれていた。ほの暗い 光の中で見下ろすように立つ像が灯の中にゆらりと動く。伏し目がちの眼にのびやかな 鼻と少し厚めの唇がふくよかな頬の曲線の中にある。人型として対峙する体は 大地に強く立ち、四方にまろやかな空気を発している、そんな気がした。 三輪山の巨岩、道行く中で接してきた巨木と何が違うのだ。そんな考えが彼を 支配していた。 多分、この像は一つの実態なのであろうが、見る人、拝む人によって形が違う のであろう。今横でしきりと念仏を唱えながら拝む老婆、静かに手を合わせ じっと仏像に見入る若者、その想いと眼前の姿について彼らに問いたい、なぜ、 どのような、と。 神道紹介の中に次のような一文がある。 多分それは、日本書紀による「欽明天皇13年に百済の聖明王は「釈迦仏の 金銅像一躯経論若干巻」を贈ったとされることがその始まりなのであろう。 欽明天皇は歓喜し、 「西蕃のたてまつれる仏の相貌端厳にして、またら未だかって有らず。 うやまうべきや否や」と問うた。 ここでは、仏を「蕃神(あだしくにのかみ)」と呼び、仏は新来の神の1つであって、 従来からの在地神と質的に相違するものと考えなかった。 また、天皇が仏法に心を動かされたのは、仏像の端厳とした輝きのためであり、 教えの内容にではない。 その心持は今の我々と大きな違いはないのでは、と思う。天皇は、その形に衝動 を受けたのだ。決して経文などの書物に触発されたのではないのだ。 我々も、十一面観音像を仰ぎ見るときの心根は他の多くの仏像を見るときのそれと 違いはない。人の形だが、人ではない、遠い昔に祖先が見た安寧と優雅さを感じる。 和辻氏も、その著の中で以下のような想いを述べている。 「衆生を度脱し、衆生に無畏を施す。 かくのごとき菩薩は、如何なる形貌を備えていなくてはならないか。 まず、第一にそれは、人間離れした超人的な威厳を持っていなければならない。 と同時に、もっとも人間らしい優しさや美しさを持っていなく絵ならぬ。 それは、根本においては、人ではない。しかし、人体を借りて現れることで、 人体を神的な清浄と美とに高めるのである」。 さらに深く見るには、和辻哲郎の「日本精神史研究」が参考となる。 上代における日本人は、ただ単純に、神秘なる力の根源としての仏像を礼拝し、 現世の幸福を満たすものとしての意識程度であるが、現世を否定せずして、 しかもより高き完全な世界を憧れる事が、彼らの理想であった。 現世は、不完全との認識を持っているが、憧憬するのは、常世の世界 であり、死なき世界である。 この時代において、仏教が伝わり、今までの「木や石の代わり」に今や 人の姿をした、美しい、神々しい、意味深い「仏」がもたらされる。 魔力的な儀礼に代わりに今やこの「仏」に対する帰依が求められる。 一切の美的魅力がここでは、宗教的な力に形を変えるのである。 さらに、最初に来た仏教が修行や哲理を説くようなものではなく、 むしろ、釈迦崇拝、薬師崇拝、観音崇拝の如く、現世の利益のための 願いを主としたことが幸いであった。 また、このような意識は、単に、芸術に関してのみではなく、 日本人の内的生活、思想の進展、政治の発達にも、大きな要素 となって行く。生活文化にも、同様のことが言える。 「古寺巡礼」を見れば、そこに彼が見た聖林寺十一面観音の姿とその感動が伝わってく る。 「切れの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼、ふくよかな唇、鋭くない鼻、 全てわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、 また超人を現す特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには、神々しい威厳 と人間のものならぬ美しさが現されている。薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、 人のこころと運命を見通す観自在のまなこである。、、、、、、 この顔を受けて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。、、、 四肢のしなやかさは、柔らかい衣の皺にも腕や手の円さにも十分現されていながら、 しかも、その底に強靭な意思のひらめきを持っている。 殊に、この重々しかるべき五体は、重力の法則を超越するかのようにいかにも 軽やかな、浮現せる如き趣を見せている。 これらのことがすべて気高さの印象の素因なのである」と。 さらに仏像の姿に言及している。 仏像においては、「仏」という理念の人体化を意味している。 その大きなポイントは、嬰児と物菩薩像との眼の作りである。 それは恐らく、嬰児の持つ眼の清浄さ、初々しい端正さが多くの 人々を魅了しているからであろう。 ただ、時代により、その特徴は少しづつ変化する。推古の頬は、 明らかに意味ある表情を含んだ、肉のしまった成長した大人の 顔である。しかし、白鳳時代では、このような表情は全然現れて おらず、成長した人の頬としては空虚であり、嬰児としての 柔らかい頬の円さをもっている。 しかし、我々は、仏像や菩薩像において、嬰児の再現をみるのではない。 作家が捉えたのは、嬰児そのものの美しさではなくして、 嬰児に現れた人体の美しさである。宇宙の根本原理、その神聖さ、 清浄さ、など総じて、嬰児の持たざる内容をここに現そうとしている のである。作家が表現しようとする仏菩薩像は、経典の説くところ のその理念である。 その円光の中に5百の化仏あり、一々の化仏に5百の化菩薩あり、 無量の諸天を従者とす、、、、ほとんど視覚の能力を超えたものである。 ・百済観音について 漢の様式の特有を中から動かして仏教美術の創作物に趣かせたものは、漢人固有 の情熱でも思想でもなかった。、、、、、、 抽象的な天が具体的な仏に変化する。その驚異を我々は、百済観音から感受する のである。 人体の美しさ、慈悲の心の貴さ、それを嬰児の如く新鮮な感動によって迎えた過渡期の 人々は、人の姿における超人的存在の表現をようやく理解し得るに至った。 神秘的なものをかくおのれに近いものとして感じることは、彼らにとって、世界の光景 が一変するほどの出来事であった。 ・薬師寺聖観音について 美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。、、、、、、 つややか肌がふっくりと盛り上がっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。 衣文につつまれた清らか下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を 表現したものである。しかも、それは、人体の写実的な確かさに感服したが、 、、、、、、、、 もとよりこの写実は、近代的な個性を重んじる写生とはおなじではない。 一個人を写さずして人間そのものを写すのである。 「十一面観音信仰が庶民の中に大きく根を張って行ったのは、経典が挙げている数々の 利益によるものであろうが、しかし、そうした利益とは別に、その信仰が今日まで長く 続きえたのは、頭上に十一面を戴いているその力強い姿ではないか。利益に与ろうと、 与るまいと、人々は十一面観音を尊信し、その前に額ずかずにはいられなかった。そう いう魅力を、例外なく十一面観音像は持っておられるし、宗教心と芸術精神が一緒にな って生み出した不思議なものかもしれん。美しいものだと言われれば美しいと思い、尊 いものだといわれれば、なるほど尊いものだと思うほか仕方のないもの」 和邇が初めて十一面観音に出会った時の、あの美しいと思った感覚がするりと 心に宿った。だが、小浜で出会った観音像を見たときの気持ちと大分違う、それが老師 の言われる言葉で心にしみた。 「十一面観音の持つ姿態の美しさを単に美しいと言うだけでなく、他のもので理解しよ うと言う気持が生まれるように思う。そうでなかったら頭上の十一の仏面が異様なもの としてでなく、力強く、美しく、見えるのは、自分がおそらく救われなければならぬ人 間として、十一面観音の前に立っていたからなのでしょう」 「十一面観音信仰は古い時代からのもので、日本でも八世紀初めの頃からこの観音像 は盛んに造られはじめている。この頃から十一面観音信仰はその時代の人々の生活 のなかに根を張り出しているのである。この観音信仰の典拠になっているものは、 仏説十一面観世音神呪経とか十一面神呪経とか言われるものであって、この経典に この観音を信仰する者にもたらせられる利益の数々が挙げられている。それによると 現世においては病気から免れるし、財宝には恵まれるし、火難、水難はもちろんの こと、人の恨みも避けることができる。まだ利益はたくさんある。来世では地獄に 堕ちることはなく、永遠の生命を保てる無量寿国荷生まれることが出来るのである。 また、こうした利益を並べ立てている経典は、十一面観音像がどのようなもので なければならぬかという容儀上の規定も記している。まず十一面観音たるには、 頭上に三つの菩薩面、三つの賑面、三つの菩薩狗牙出面、一つの大笑面、一つの仏面、 全部で十一面を戴かねばならぬことを説いている。静まり返っている面もあれば、 憤怒の形相もの凄い面もある。また悪を折伏して大笑いしている面もある。 いずれにしても、これらの十一面は、人間の災厄に対して、観音が色々な形に おいて、測り知るべからざる大きい救いの力を発揮する事を表現しているもの であろう。 観音が具えている大きな力を、そのような形において示しているのである。 十一面観音信仰が庶民の中に大きく根を張って行ったのは、経典が挙げている数々の 利益によるものであるに違いないが、しかし、そうした利益とは別に、その信仰が 今日まで長く続きえたのは、頭上に十一面を戴いているその力強い姿ではないかと、 加山には思われる。利益に与ろうと、与るまいと、人々は十一面観音を尊信し、 その前に額ずかずにはいられなかったのであろう。そういう魅力を、例外なく 十一面観音像は持っている。 それは例外なく、宗教心と芸術精神が一緒になって生み出した不思議なものであった。 美しいものだと言われれば美しいと思い、尊いものだといわれれば、なるほど 尊いものだと思う意外仕方のないものであった。十一面観音の持つ姿態の美しさを 単に美しいと言うだけでなく、他のもので理解しようと言う気持が生まれたように 思う。そうでなかったら頭上の十一の仏面は、加山には異様なもの以外の 何者でもなかったはずである。それが異様なものとしてでなく、力強く、美しく、 見えたのは、自分がおそらく救われなければならぬ人間として、十一面観音 の前に立っていたからであろうと思う。救われねばならぬ人間として、救う ことを己に課した十一面観音像の前に、架山は立っていたのである。」 3)白洲正子の「十一面観音巡礼」より この本のあとがきは、中々に面白い。 「私にとって、十一面観音は、昔からもっとも魅力ある存在であったが、 怖ろしくて、近づけない気がしていたからである。巡礼ならどんな無智 なものにでも出来る。手ぶらで歩けるということは、私の気持をほぐし、 その上好きな観音様にお目にかかれると言うことが、楽しみになった。 が、はじめてみると、中々そうは行かない。回を重ねるにしたがい、 初めの予感が当たっていたことを、思い知らされる始末となった。私は 薄氷を踏む思いで、巡礼を続けたが、変幻自在な観世音に幻惑され、 結果として、知れば知るほど、理解を拒絶するものであることをさとる だけであった。 私の巡礼は、最後に聖林寺へ戻るところで終わっているが、再び拝む天平の 十一面観音は、はるかに遠く高いところから、「それみたことか」というように 見えた。私はそういうものが観音の慈悲だと信じた。もともと理解しようと したのが間違いだったのである。もろもろの十一面観音が放つ、めくるめく ような多彩な光は、一つの白光の還元し、私の肉体を貫く。そして、私は思う。 見れば目が潰れると信じた昔の人々のほうが、はるかに観音の身近に 参じていたのだと。」 白洲氏は、十一面観音を求めて、滋賀や福井、岐阜、奈良などと様々な 地域を巡り歩いている。旅行で近くに行ったときには、是非これを片手に ちょっとでも立ち寄ってみるのも楽しいもの。 最後に再び、井上靖の「星と祭」の渡岸寺の十一面観音の記述を味わって もらいたい。 「渡岸寺と言うのは字の名前でして、渡岸寺と言う寺があるわけではない。 昔は渡岸寺と言う大きな寺があったそうだが、今は向源寺の管理となっています。 、、、 堂内はがらんとしていた。外陣は三十五、六畳の広さで、畳が敷かれ、 内陣の方も同じぐらいの広さで、この方はもちろん板敷きである。 その内陣の正面に大きな黒塗りの須弥壇が据えられ、その上に三体の 仏像が置かれている。中央正面が十一面観音、その両側に大日如来と 阿弥陀如来の坐像。二つの大きな如来像の間にすっくりと細身の十一面観音 が立っている感じである。体躯ががっちりした如来坐像の頭はいずれも 十一面観音の腰あたりで、そのために観音様はひどく長身に見える。 架山は初め黒檀か何かで作られた観音様ではないかと思った。 肌は黒々とした光沢を持っているように見えた。そして、また、 仏像と言うより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻ででもあるように 見えた。もちろんこうしたことは、最初眼を当てた時の印象である。 仏像といった抹香臭い感じはみじんもなく,新しい感覚で処理された近代 彫刻がそこに置かれてあるような奇妙な思いに打たれたのである。 架山はこれまでに奈良の寺で、幾つかの観音様なるものの像に お目にかかっているが、それらから受けるものと、いま眼の前に 立っている長身の十一面観音から受けるものとは、どこか違っている と思った。一体どこが違っているのか、すぐには判らなかったが、やがて、 「宝冠ですな、これは、みごとな宝冠ですな」 思わず、そんな言葉が、加山の口から飛び出した。 丈高い十一個の仏面を頭に戴いているところは、まさに宝冠でも戴いている 様に見える。いずれの仏面も高々と植えつけられてあり、大きな冠を 形成している。、、、、、 十一の仏面で飾られた王冠と言う以外、言いようが無いではないかと思った。 しかも、飛び切り上等な、超一級の王冠である。ヨーロッパの各地の博物館で 金の透かし彫りの王冠や、あらゆる宝石で眩く飾られた宝冠を見ているが、 それらは到底いま眼の前に現れている十一観音の冠には及ばないと思う。 衆生のあらゆる苦痛を救う超自然の力を持つ十一の仏の面で飾られているのである。 、、、、 大きな王冠を支えるにはよほど顔も、首も、胴も、足もしっかりしていなければ ならないが、胴のくびれなどひとにぎりしかないと思われる細身でありながら、 ぴくりともしていないのは見事である。しかも、腰をかすかに捻り、左足は 軽く前に踏み出そうとでもしているかのようで、余裕綽々たるものがある。 大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。 観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽たるものがあって、 凛としてあたり払っている感じである。金箔はすっかり剥げ落ちて、ところどころ その名残を見せているだけで、ほとんど地の漆が黒色を呈している。 「お丈のほどは六尺五寸」 「一本彫りの観音様でございます。火をくぐったり、土の中に埋められたりして 容易ならぬ過去をお持ちでございますが、到底そのようにはお見受けできません。 ただお美しく、立派で、おごそかでございます」 たしかに秀麗であり、卓抜であり、森厳であった。腰をわずかに捻っているところ、 胸部の肉つきのゆたかなところなどは官能的でさえあるあるが、仏様のことであるから 性ではないのであろう。左手は宝瓶を持ち、右手は自然に下に垂れて、掌を こちらに開いている。指と指とが少しづつ間隔を見せているのも美しい。 その垂れている右手はひどく長いが、少しも不自然には見えない。両腕夫々に 天衣が軽やかにかかっている。」 |
0 件のコメント:
コメントを投稿