2016年8月30日火曜日

山の音

鎌倉のこのやや侘しさを伴う街並みを歩いていると、昔読んだ川端康成の「山の音」
を思い出す。これは老境を迎えた男の性を描いたものだ。老いていく肉体とその意
に反して若い息子の嫁に対する性的な渇望が徐々にそして巧みに描かれている。
ひまわりの花を見た時の主人公の思いでは、
「そして力があふれている。花は人間の頭の鉢廻りより大きい。それの秩序整然
とした量感に、信吾は人間の脳を、とっさに連想したのだろう。
また、盛んな自然力の量感に、信吾はふと巨大な男性のしるしを思った。
この芯の円盤で、雄しべと雌しべが、どうなっているのか知らないが、
信吾は男を感じた。
夏の日も暮れて夕凪だった。しべの円盤の周りの花弁が、女性であるかの
ように黄色に見える」
さらに老いていく自分を感じるとき、
「老眼で情けないのは、食い物の良く見えないことだね。出された料理ががね。
細かくてややこしいものだと、なになのかちょっと見分けがつかない時がある。
老眼になりはじめはね、飯の茶碗をこう持ち上げると、飯粒がぼうとやけてきて、
1粒1粒が見えなくなる。実に味気なかったね。
どうも気味が悪い。人間の首みたいで」。
いずれも老いゆく自分を感じた時の心根が同機している。さらに、年を経て
詠んだ時に読んだこの一節はすごく感じるものがあった。
「真上から目を近づヶていくと、少女のようになめらかな肌が、信吾の老眼に
ほうっと和らぐにつれて人肌の温かみを持ち、面は生きてほほえんだ。
「ああ」と信吾は息を飲んだ。三四寸の近く顔を寄せて、生きた女がほほえんでいる。
美しく清らかな微笑みだ。
目と口が実に生きた。うつろな目の穴に黒い瞳がはいった。茜色の唇が可憐に
濡れて見えた。信吾は息をつめて、息が触れそうになると、黒目勝ちの瞳が
下から浮き上がって、下唇の肉がふくらんだ。信吾は危く接吻しかかった。
深い息を吐いて、顔を離した。
離れると嘘のようだ。しばらく荒い息呼吸をしていた。
信吾はむっつりして慈童の面を袋に入れた。赤地の金襴の袋だ。
喝食の袋は康子に渡した。
古風な色の口紅が唇の縁から中に薄れていく、その慈童の下唇の奥まで、信吾
は見たと感じた。口は軽く開き、下唇には歯並びがない。雪の上の花のつぼみ
のような唇だ。触れるほど、顔を重ねてみるなど、能面にはあるまじい邪道だ。
信吾自身が天の邪恋というようなときめきを感じたからだ。しかも人間の女よりも
なまめかし買ったのは、自分の老眼のせいもあるかと笑おうとした」。


細君の遺書
松島の夢
10
月の夜が深いように思われる。深さが横向けに遠くへ感じられるのだ。
8月の10日前だが、虫が鳴いている。
木の葉から木の葉へ夜露の落ちるらしい音も聞こえる。
そうして、ふと信吾に山の音が聞こえた。
風はない。月は満月に近く明るいが、しめっぽい夜気で、小山の上を
描く木々の輪郭はぼやけている。しかし風に動いてはいない。
信吾のいる廊下の下のシダの葉も動いていない。
鎌倉のいわゆる谷の奥で、波が聞こえる夜もあるから、信吾は海の音かと
疑ったが、やはり山の音だった。
遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力があった。自分の
あたまのなかに聞こえるようでもあるので、信吾は耳鳴りかと思って、
頭を振ってみた。
音はやんだ。
音がやんだ後で、信吾は初めて恐怖におそわれた。死期を告知された
のではないかと寒気がした。
風の音か、海の音か、耳鳴りかと、信吾は冷静に考えたつもりだったが、
そんな音などしなかったのではないかと思われた。
しかし、確かに山の音は聞こえていた。
魔が通りかかって山を鳴らしていったかのようであった。
急な勾配なのが水気を含んだ夜色のために、山の前面は暗い壁のように立って見えた。
信吾の家の庭におさまるほどの小山だから、壁といっても、卵形を半分に
切って立てたように見えた。
頂上の木々の間から、星がいくつか透けて見えた。

31
そういったとき、ひまわりの花の、大きく重みのある力が、信吾に強く感じられた。
花の構造が秩序整然としているのも感じられた。
花弁は輪冠の縁飾りのようで、円盤の大部分は芯である。張りつめて盛り上がる
ように、しべが群がっている。しかも、芯と芯とのあいだに争いの色はなく、
整って静かである。
そして力があふれている。花は人間の頭の鉢廻りより大きい。それの秩序整然
とした量感に、信吾は人間の脳を、とっさに連想したのだろう。
また、盛んな自然力の量感に、信吾はふと巨大な男性のしるしを思った。
この芯の円盤で、雄しべと雌しべが、どうなっているのか知らないが、
信吾は男を感じた。
夏の日も暮れて夕凪だった。しべの円盤の周りの花弁が、女性であるかの
ように黄色に見える。


あの花のように頭がきれいにならんかね。さっき電車の中でも、頭だけ洗濯か
修繕かにだせんものかしらと考えたんだよ。
そう、今日も会社で客と会って、煙草を1口吸って灰皿におく、また火をつけて
灰皿におく、気が付いてみると、同じように長い煙草が、3本並んで煙を
出しているのさ。
わたしは恥ずかしかったね。
脳の洗濯を、電車の中で、空想していたのは事実だが、信吾はきれいに洗われる
脳よりも、むしろぐっすり寝ている胴の方を空想していた。首をはずしてもらった
胴の眠りの方が、気持ちよさそうだ。
今日は明け方、2度夢をみて、2度とも夢に死人が出た。

93
今は60代の連中が、大学の同期だというだけで、書生言葉でしゃべり散らしている
のも、信吾には老醜の一種と思えた。学生時代の渾名や愛称で呼び合ったりする。
お互いに若いころを知られているのは、親しみさ懐かしさばかりではなく、
苔むした自己主義の甲羅がそれをいやがりもした。前に死んだ烏山を笑い話
にした水田の死も笑い話にされた。
鈴本は葬式のときも極楽往生をしつこく言った男だが、信吾はこの男の望み通りに
そういう死にざまを想像すると、身震いしそうで、しかし、年寄じゃそれも
みっともないといった。

95
能面は、そうやって、やや高めに手を伸ばしてみるんだそうだ。我々の老眼の距離が、
むしろいいわけさ。そうして、麺は少し伏目に、曇らせて、、、
面を伏目にうつむかせるのを曇らすといって、表情が憂愁を帯び、上目に仰向かせる
のを照らすといって、表情が明朗に見えるなどと、説明した。左右に動かすのは
使うとか切るとかいうそうだ。
慈童の方は、妖精だそうで、、永遠の少年の象徴何だろう。
慈童の前髪はお河童の禿型だった。

99
老眼で情けないのは、食い物の良く見えないことだね。出された料理ががね。
細かくてややこしいものだと、なになのかちょっと見分けがつかない時がある。老眼に
なりはじめはね、飯の茶碗をこう持ち上げると、飯粒がぼうとやけてきて、
1粒1粒が見えなくなる。実に味気なかったね。
どうも気味が悪い。人間の首みたいで。

101
真上から目を近づヶていくと、少女のようになめらかな肌が、信吾の老眼に
ほうっと和らぐにつれて人肌の温かみを持ち、面は生きてほほえんだ。
「ああ」と信吾は息を飲んだ。三四寸の近く顔を寄せて、生きた女がほほえんでいる。
美しく清らかな微笑みだ。
目と口が実に生きた。うつろな目の穴に黒い瞳がはいった。茜色の唇が可憐に
濡れて見えた。信吾は息をつめて、息が触れそうになると、黒目勝ちの瞳が
下から浮き上がって、下唇の肉がふくらんだ。信吾は危く接吻しかかった。
深い息を吐いて、顔を離した。
離れると嘘のようだ。しばらく荒い息呼吸をしていた。
信吾はむっつりして慈童の面を袋に入れた。赤地の金襴の袋だ。
喝食の袋は康子に渡した。
古風な色の口紅が唇の縁から中に薄れていく、その慈童の下唇の奥まで、信吾
は見たと感じた。口は軽く開き、下唇には歯並びがない。雪の上の花のつぼみ
のような唇だ。触れるほど、顔を重ねてみるなど、能面にはあるまじい邪道だ。
信吾自身が天の邪恋というようなときめきを感じたからだ。しかも人間の女よりも
なまめかし買ったのは、自分の老眼のせいもあるかと笑おうとした。

126
北本は毎日鏡の前にしゃがんでいる。昨日抜いたと思うところが、あくる日には
また白毛になっている。ほんとうはもう抜けきれないほど多かったんだろうね。
日を追うて、北本の鏡の前にいる時間が長くなった。姿が見えないと思うと、
鏡の前で抜いている。鏡のところをちょっと離れても、そわそわしてすぐに
戻っていく。抜きとおしだ。
それでよく頭の毛がなくならなかったね。と信吾は笑いかかった。
いや笑い事じゃないよ、そうなんだよ、頭の毛が1本もなくなっちゃんだ。
信吾はいよいよ笑った。
それが嘘じゃないんだから、と友人は信吾と顔を見合わせて、
白毛を抜いているうちに北本の頭は白くなっていくんだ。1本の白毛を抜くと、
その隣の黒い毛が23本、すうっと白くなるという風でね。北本は白毛を
抜きながら、よけい白毛になる自分を、鏡の中に見据えているわけだ。
なんともいえない目つきでね。頭の毛が目立って薄くなってきた。
抜くときにね?黒い毛を抜くと困るから、1本ずつ丹念に抜いて、抜くのは痛くない。
しかし、そこまで抜いた後は、頭の皮がひきつるようで、毛で頭に触ったら
いたいだろうという、医者の話だ。血は出ないが、毛のなくなった頭が
紅く地ばれしていた。とうとう精神病院へ入れられたんだ。わずかに残っていた
毛も、北本は病院で抜いちゃったそうだ。気味が悪いだろう。
恐ろしい妄執だね。老いぼれたくない、若返りたい。気が違ったから白毛を
抜きだしたか、白毛を抜きすぎたから気が違ったか、ちょっとわからないが。
でも、よくなったんだろう。
良くなった。奇跡が起こったんだぜ。丸裸の頭に、黒々した毛が、ふさふさと
生えてきたんだぜ。
きちがいにはねんれいはないさ。われわれも気が違ったら、おおいに若返る
かもしれないよ。
そして友人は信吾の頭を見た。
僕などは絶望だが、君などは有望だ。
友人はだいぶ禿げ上がっていた。

144
修一は切ない愛情と悲哀とをこめて、菊子を呼んでいるようだ。身も世もあらぬ
声のようだ。ひどい痛みか苦しみかのとき、あるいは生命の危険におびえた時、
幼い声が母を呼び求める、うめき声のようだ。罪の底から呼んでいるようでもある。
修一はいたいたしい裸の心で、菊子にあまえている。妻に聞こえないと思って、
酔いに紛れて、甘え声を出しているのかもしれない。菊子を拝んでいるようなものだ。
「菊子う、菊子う」
信吾は修一のかなしみが伝わってきた。自分はあんなに絶望的な愛情をこめて
妻の名を呼んだことが、一度だってあっただろうか。、、、、

心に浮かぶことを、うっかりつぶやく癖も、信吾の年のせいだった。
「夫婦の沼さ」とつぶやいたのは、夫婦が2人きりでお互いの悪行に堪えて、
沼を深めていくというほどの意味だった。
妻の自覚とは、夫の悪行に真向かうことからだろう。


165
「ただ生きているだけで、世間から忘れ去られた、みじめな姿を想像すると、
そんなになるまで生きていたくないと思います。高木子爵の心境もよくわかります。
人間はみなに愛されている
うちに消えるのが一番良いと思います。家の人たちの深い愛情に包まれ、たくさんの友
人
同輩、後輩の友情に抱かれて、立ち去るべきだと思いました。-
これが養子夫婦あててで、孫にはー日本の独立の日は近くなったが、前途は暗澹たる
ものだ。戦争の惨禍におびえた若い学生が、平和を望むなら、ガンジイのような
無抵抗主義に徹底しなければだめだ。自分の信ずる正しい道に進み、指導する
には、余りに年を取りすぎ、力が足りなくなった。、、、
「細君の遺書はなかったのか」
「細君って、おばあさんのですか」
「決まっているじゃないか。2人で死にでたんだから、細君の遺書もあっても
いいはずだ。お前だって、なにか言い残したいことがあって、書置きするだろう」
「私はいりませんよ」と康子はあっさりといった。
「男も女も書置きするのは、若い人の心中ですよ。夫婦なら、大抵夫が書けば、
それでいいし、私などが今さら何を言い残すことがあります」
「私1人死ぬときは別ですよ」
「1人で死ぬときはうらみつらみが山ほどあるわけだな」
「あってもないようなものですよ。もうこのとしになっては」
「死のうと考えもしないし、死にそうもない婆さん、のんきな声だね」、、、、
夫婦で自殺するのに、夫が遺書を書いて、妻は書かない。妻は夫に
代わりをさせるか、兼ねさせるというのだろうか。
長年連れ添うと、一心同体になるのか、老いた妻は個性も遺書も失ってしまうのか。

169
信吾は庭に咲き溢れた桜を見ていた。
その桜の大木の根方に、八つ手がしげっていた。信吾は八つ手が嫌いで、桜の咲く
ころまでに八つ手をきれいに切り払うつもりだったが、この3月は雪が
多かったりするうちに花を見た。3年ほど前に、一度切り払って、かえって
はびこったままだ。
根を掘り起こしてしまえばいいと、その時に思ったものだが、やはりそうして
おけばよかった。信吾は八つ手の葉の厚い青がなおいやだった。この八つ手の
群れさえなければ、桜の太い幹は一本立ち、その枝はあたりに伸びを
さえぎるものもなく、先が垂れるほど四方に広がるのだった。しかし八つ手が
あっても、ひろがっていた。
そして、よくこれだけの花をつけたと思うほどの花だった。
昼過ぎの日を受けて、桜の花は空に大きく浮いていた。色も形も悪くないが、
空間に満ちた感じだ。今が盛りで、散るものとは思えない。
しかし、ひとひら二ひらづつ、絶え間なく散っていて、下には落花がたまっていた。
「若い人が殺したり死んだりという記事は、あれ、また、と思うだけですが、
年寄のことが出ていると、こたえますね」と康子は言った。
「みなに愛されているうちに消えたい」、老人夫婦の記事を2度も3度も
読み返しているらしい。
「先達ても、61のおじいさんが、小児麻痺の17の男の子を病院にいれるつもりで、
栃木から出てきて、その子を負んぶして、東京見物をさせましたが、どうしても
病院へ行くのはいやだとごねられて、手拭で首を絞殺したというのが、新聞に
出ていたでしょう」
信吾は生返事をしながら、自分は青森県の少女たちの堕胎記事を心にとどめ、
夢にまで見たことを思い出した。
老いた女の妻とは、なんという違いだろう。

183
「桔梗の花より小さいと思うが、どうだ」
「小さいと思いますわ」
「はじめ黒いように見えるが、黒ではないし、濃い紫のようで紫でないし、濃い
臙脂も入っているようだな。明日、昼間、よく見てみよう」
花の大きさは、開いて、一寸に足りないようで、七八分だろう。花弁は六つ、雌しべの
先は三つまたにわかれ、雄しべは四五本だった。葉は茎の一寸おきくらいに
幾段かに四方へひろがっている。百合の葉の小さい形で、一寸か一寸五分の
長さだろう。
とうとう信吾は花を嗅いでみて、
「いやな女の、生臭い匂いだな」と、うっかり言った。
みだらな匂いという意味ではなかったが、菊子はまぶたを薄く赤らめて、うつむいた。
、、、
慈童の面を手にとって、
「これは妖精でね、永遠のしょうねんなんだそうだ」、、、、、
これを買ってきたとき、信吾は茜色の可憐な唇に、危うく接吻しかかって、天の
邪恋というようなときめきを感じたものだ。
「埋もれ木なれども、心の花のまだあれば、、、」
そんな言葉も謡にあったようだ。
艶かしい少年の面をつけた顔を、菊子がいろいろに動かすのを、信吾は見て
いられなかった。
菊子の顔が小さいので、あごのさきもほとんど面にかくれていたが、その見えるか
見えないかの顎から喉へ、涙が流れて伝わった。涙は二筋になり、三筋になり、
流れ続けた。

221
芝生のなかにひときわ高い木が合って、信吾はその樹にひかれて行った。
その大樹を見上げて近づいているうちに、聳え立つ緑の品格と量感とが
信吾に大きく伝わってきて、自分と菊子の鬱悶を自然が洗ってくれる。
それは百合の木だった。近づくと3本で1つの姿を作っているのが知れた。
花が百合に似て、またチューリップに似ているので、チューリップ・ツリー
ともいうと、説明書きが立っていた。北アメリカの原産、成長が早く、この木の
樹齢はおおよそ50年、
「ほう、これで50年か。私より若いね。」と信吾は驚いて見上げた。
広い葉の枝が2人を抱き隠すようにひろがっていた。

239
信吾は尖り気味の垂れ乳を触っていた。乳房は柔らかいままだった。張ってこない
のは、女が信吾の手に応える気もないのだ。何だ、つまらない。乳房に触れているのに
、
信吾は女が誰かわからなかった。わからないというよりも、誰かと考えも
しなかったのだ。女の顔も体もなく、ただ2つの乳房だけが宙に浮いている
ようなものだ。そこで、初めて、誰かと思うと、女は修一の友達の妹になった。
しかし、信吾は良心も刺激も、起きなかった。その娘だという印象も微弱だった。
やはり姿はぼやけていた。乳房は未産婦だが、未通と芯がは思っていなかった。
純潔の後を夢に見て、信吾ははっとした。
「なんだつまらない」というのは、森鴎外の死ぬときの言葉だったと、信吾は気が付い
た。
いつか新聞でみたようだ。
しかし、いやな夢から覚めるなり、鴎外の死ぬときの言葉をまず思い出して、
じぶんのゆめのなかの言葉と結びつけたのは、信吾の自己遁辞であろう。
夢の信吾は愛も喜びもなかった。みだらな夢のみだらな思いさえなかった。まったく、
なんだ、つまらない、であった。そして味気ない寝覚めだ。
信吾は夢で娘を犯したのではなく、おかしかけたのかもしれない。しかし、
感動か恐怖かにわなわないで犯したのであれば、覚めた後にも、まだしも悪の生命が
通うというものだ。信吾は近年自分が見たみだらな夢を思い出してみると、
たいてい相手はいわゆる下品な女だ。今夜の娘もそうだった。夢にまで姦淫の
道徳的呵責を恐れているのではなかろうか。、、、、
それがたとい菊子であろうと、修一の友達の妹であろうと、みだらな夢にみだらな
心のゆらめきもなかったのは、なんとしてもなさけないことに思えてきた。
どんな姦淫よりも、これは醜悪だ。老醜というモノであろうか。
信吾は戦争の間に、女とのことがなくなった。、、、
自分たちの年齢では、そういう老人が多いのか、信吾は友人たちにたずねたくもあるが
、
意気地なしを笑われるだけかもしれない。
夢で菊子を愛したっていいではないか。夢にまで、なにをおそれ、なにをはばかるのだ
ろう。
うつつでだって、密かに菊子を愛していたっていいでhないか。信吾はそう思いなおそ
うと
してみた。
しかし、また、「老いが恋忘れんとすればしぐれかな」と蕪村の句が浮かんできて、
信吾の思いは寂れるばかりだ。


294
「はてな」
結びかけたのを一旦ほどいて、また結ぼうとしたが、結べなかった。
ネクタイの両端を引っ張って胸の前に持ち上げると、それをながめながら小首を
かしげた。
「どうなさいましたの」
上着を着せかける用意をして、信吾の斜め後ろにたっていた菊子は、前に回った。
「ネクタイが結べない。結び方を忘れちゃった。おかしいね」
信吾はぎこちない手つきで、ゆっくりネクタイを指に巻き、片方を通そうとしたが、
変な具合にもつれて団子になった。おかしいと言いたげな仕草のはずだが、
信吾の眼の色は暗い恐怖と絶望にかげっていると、菊子をおどろかせたらしく、
「お父様」と呼んだ。、、、、、
40年会社勤めに毎日結び慣れたネクタイが、どうして今朝突然結べなくなったのか。
結び方などことさら考えなくとも、手が自然に動いてくれたはずだ。
結ぶともなく結べるはずだ。信吾は不意に自己の喪失か脱落がきたのかと
無気味だった。
、、、、
康子はどうにか結んでいるらしい。
信吾は仰向かせられて、後頭部を圧迫していたせいか、ふうと気が遠くなりかけた
途端に、金色の雪煙がまぶた一杯に輝いた。大きい雪崩の雪煙が夕日を受けたのだ。
どうと音も聞こえたようだ。
脳溢血でもおこしたのか、と信吾は驚いて眼を開いた。

この小説は、ある家族の日常を、家長である主人公の男の目を通して描いたものである 。男は、妻と息子夫婦と暮らしている。男は妻に対しては殆ど人間的な感情を持ってい ないが、息子の妻、つまり嫁に対しては異常な執着を感じている。その執着とは性的な ものだということがやがて少しずつ明らかにされてくる。つまりこの小説の基本プロッ トは、息子の妻に横恋慕する父親のいぎたない性的願望の物語なのである。といっても 劇的な展開があるわけではなく、性的願望は男の心中に抑圧された感情として描かれる ばかりだから、物語と言うよりは叙述といったほうが相応しいかもしれない。語られる 事柄は背徳的なことばかりだから、これは背徳的な叙述だということになろう。 背徳的というわけは、単にこの男が息子の妻に横恋慕することだけではない。息子には 妻の他に女がいて、その女が妊娠したとき、男は女のもとに押しかけて堕胎するように とほのめかす。その時の男の気持ちには、この女に対するいたわりは微塵もない。ただ 自分が厄介な事態に巻き込まれることを恐れるだけである。ということは、人間的な感 情に欠けていると言わざるを得ない。その点でもこの男は背徳的なのである。 男が背徳的なら、その息子の方はもっと背徳的である。この息子は父親の{おそらく経 営している}会社に勤めていることになっている。それだけでも、子の息子が十分に自 立していないことを感じさせるが、妻の他に女を持ちながら、その女ともずるずるべっ たりで、責任ある男としての行動ができない。その結果、その女からも馬鹿にされるし 、妻には愛想をつかされる。妻は、夫に女がいる間は子を産むわけにはいかないといっ て、妊娠した子を自分の判断だけで堕胎してしまうのである。 こういえば息子の妻は意思の強い女のように思われるが、そうではない。彼女も自立し た人間ではないのだ。その証拠に、夫婦関係を立ちなおすためにも夫婦だけで暮らした らと進められると、夫と二人だけで暮らすのが恐ろしいという。この女性は、一人の男 と結婚したというよりは、その男の家に嫁入りしたという感覚であり、嫁として舅に可 愛がってもらうことに問題を感ぜず、むしろそれが心地よいと感じる。そうした彼女の 姿勢がまた、舅の性的な感情をそそのかすことにもつながるわけである。 男には実の娘がいるが、これもまた自立していない人間である。どういうわけか知らぬ が、二人の子供を連れて嫁ぎ先を飛び出してきて、親の家に住みつくようになる。いわ ゆる出戻りだ。男はそのことを迷惑に感じるが、かといって娘夫婦の関係をどうしよう というわけでもなく、ずるずると日を過ごすだけである。そのうちに、娘の夫が情婦と 自殺未遂を図ったという記事が新聞に出る。そこで災いの及ぶのを恐れ、そそくさと離 婚の手続きをする。彼女らが何故別居し、また何故彼女の夫が情夫と共に自殺しようと 思ったか、それを知ったうえで事態を改善しようという気遣いは見せない。ただただ災 いが我が身に及ぶことを恐れているだけだ。つまりこうした場面でも、この男は利己心 の塊として、人間的な感情に欠けたものとして描かれている。 こんなわけで、この小説に出てくる人間は、主人公の男も含めて皆人間的な感情に欠け た木偶の坊のようなものたちばかりである。その木偶の坊たちを、これまた木偶の坊の 男の目に映るように描いていくわけだから、この小説には救いがない。唯一救いがある とすれば、それは息子が妊娠させた女だろう。この女は、息子の父親が押しかけてきて 自分に堕胎を迫った時に、敢然としてそれに抵抗した。そして、自分は自分の意思で子 どもを産むのだから、誰にもそれを邪魔することはできないと言って、男の意思を打ち 砕く。そのやり取りの場面が、この小説の中で最も輝いている部分である。つまり、男 とは違う価値観を持った女に、自由にものをいわせることによって、そこに複眼的な視 線が生じる。その複眼的な視線が、主人公である男の視点を相対化させて、この部分に 物語としての広がりとふくらみと深さを与えているように見させるのだ。 このようにこの小説は、内容には救いがないが、筆の冴えは際物といえる。文章に無駄 なところがひとつもない。しかもそれらの文章は、一つ一つが尖った切っ先のように冴 えわたっている。この小説は川端の作品としては非常に長く、物語性にも乏しいのだが 、それでいて読者を飽きさせることがない。文章の力が人を引きずっていくためだろう 。 山の音のあらすじ  東京で会社社長をする尾形信吾(62)は、妻・保子(63)、長男・修一とその妻・菊 子(20を出たばかり)と、鎌倉の家に暮らしている。信吾は、青年のころに夢見た保子 の姉の面影をいまでも求めている。修一は、信吾の会社で働き、保子と菊子は家にいる 。8人兄弟の末っ子という菊子は、信吾になじみ、信吾も菊子をかわいがっている。結 婚して2年にならない修一の浮気を知った信吾は、会社秘書の谷崎英子に案内してもら って、浮気相手の家に行ってみたりする。信吾は、戦争で変わってしまったという修一 をどこかさめた目で見ており、修一も表面上は信吾の面目を立てているが、信吾には心 を開かない。信吾は、修一が浮気を始めてから、かえって盛んになった修一と菊子の夜 の営みの声を聞いていたりする。  鎌倉の家に、嫁に出ていた修一の姉・房子(30)が3歳の里子、赤子の国子をつれて 戻ってきた。房子の夫・相原は麻薬の密売に手を出して身を崩していたというが、信吾 は、下っ端として使われただけだろうなどと、どこか感情が欠落したようなことを口に し、ときに苛立ちながらも、何もせずになりゆきを見ている。信吾は自分にしか興味が なく、自分に都合のいい菊子はかわいがるが、家族の面倒を見たり、問題を解決したり することはない。  それでも信吾は、修一と菊子を別居させようと考え、電車の中で、菊子に「別居して みる気はないかね」と意向を聞いた。菊子は、訴えるような声で、信吾といっしょにい たいと答え、涙を浮かべた。死んだ同級生が所有していた能面を譲り受けていた信吾は 、家で、菊子に能面をつけさせた。能面をつけた菊子のあごから、涙が流れ続けた。信 吾が、修一と離婚したらお茶の先生になろうなどと考えたのだろう? と聞くと、能面 をつけた菊子はうなずき、「別れても、お父さまのところにいて、お茶でもしてゆきた いと思いますわ。」と告げた。  菊子に子どもができたが、修一が浮気をしている状態では産めないと、菊子は信吾に はだまって中絶をした。いっぽう、修一の浮気相手である絹子が妊娠した。修一は、中 絶をせまり、ときに絹子を殴ったり、階段を引きずり下ろしたりしたが、絹子は、修一 の子どもではないと主張し、また、産むと言い張って、沼津へ行った。  10月の朝、信吾は、ふいに40年間つけているネクタイを結ぶことができなくなった。 恐怖と絶望に襲われた。信吾は、保子に結んでもらったが、大学を出て初めて背広を着 た時、保子の姉にネクタイを結んでもらったことを思い出した。「信州のもみじも、も うきれいだろうな。」と修一に告げる信吾は、故郷の山のもみじよりも、保子の姉が死 んだ時に仏間にあった大きな盆栽のもみじの紅葉を思い出した。修一は「菊子だって、 自由ですよ」と告げる。信吾は、家族に、皆で信州へ行こうと告げる。修一も、房子も 、留守番をすると申し出た。食事のあと、信吾は菊子を呼んだが、洗い物の音で声が届 かないようだった。 山の音の読書感想文  『山の音』は、ほんとうに美しい小説だと感じます。信吾自身は、保子の姉に象徴さ れる自分一人だけの内面世界を持っていて、それを誰にも共有させようとしません。共 有させようとしないといいますか、誰かと何かを共有するという発想を持っていないの だと思いました。また、誰も制止したり、矯正したりする人がいない家長という立場に あるため、自分勝手とは違うのですが、自分の内面世界だけを見つめていてもそれで通 ってしまうわけで、他人から見たら、ある意味、何を考えているのかわからないところ もある、得体の知れない存在に写るかもしれないと思いました。しかし、そんな信吾を 、菊子はこの上なく慕っています。  結末近くで、信吾が「菊子、別居しなさい。」と告げる場面がありました。菊子は、 修一が怖いと言います。修一は菊子に暴力をふるうことはないようで、夜の生活も充実 しており、戦争で性格が変わり、さめたり、しゃにかまえたりしているところがありま す。しかし、菊子が怖いと言った理由は、修一が菊子に何かを訴えかけようとするから かもしれないと思いました。菊子は、修一にはわからないところがあると言います。信 吾は、修一から、菊子は自由だと自分の口から言ってほしいと頼まれていたことを告げ ます。菊子は、修一からそのようなことは言われたことがなく、はじめは、きょとんと していました。  しかし、信吾は「うん、わたしもね、自分の女房が自由とはどういうことだと、修一 に反問したんだが……。よく考えてみると、菊子はわたしからもっと自由になれ、わた しも菊子をもっと自由にしてやれという意味もあるのかもしれないんだ。」と告げます 。菊子は、「私は自由でしょうか。」と涙ぐみました。  従順で幼い菊子が信吾を慕う様子がほんとうに愛くるしいので、この場面は、心に染 みました。川端康成は、女性の自立とか、自由とか、自我とか、人生とか、そういった ことを訴えたり、キャラクターに託したり、ストーリーを展開させたりしたわけではな く、また、いい悪いやどうあるべきかの価値判断を挟むことなく、ただ、川端自身が見 ていた内面の「まなざし」を通して信吾や菊子を描き、それが結果として、ある時代の 日本や日本人の姿を描いてしまっているのかもしれないと思いました。  また、新潮文庫収録の山本健吾の解説にあった、信吾が信州行きを提案したのは「も ちろん、故郷の紅葉のもとに、菊子を立たせてみたいのである。そのことから私は、『 源氏物語』に書かれざる「雲隠」の巻があるように、『山の音』にも書かれざる「紅葉 見」の巻があることを、想像した」という文には、はっとしました。  『山の音』を読んで一番に感じたことは、小説は、書かれていることよりも、書かれ ていないことのほうに、味わいがあるのかもしれないということでした。

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