豊かさが示すところは時代によって変わる。まだ20年ほど前、「豊かさ=幸せ」 という社会意識と構図もあったが、それも変わった。 いま、価値を持ち始めているのは、人とのゆるやかなつながりや安心感など、貨幣的 価値に還元できないものがその地位を徐々に上げているように見える。 そして、これまでとは異なるライフスタイル、価値観、仕事、帰属意識が生み出され つつある。都市と農村里山のフラット化、新たなスタイルの自営業、進化する 都市のものづくり、地域産業の活性化、クラウドファンディングに代表される様な インターネットを介した新しい仲間、パートナの緩やかな関係拡大など、 多種多様な動きがある。 1.人の希薄さは地方ほど感じる 「日本救う若者のローカル志向」『毎日新聞』2013年12月9日夕刊に 面白い記事があった。 「大学生たちに、「地元と聞いて思い出すものは何ですか?」という アンケートをとったときに返ってくる答えは、「イオン」「ミスド(ミスタードーナツ )」「マック」「ロイホ(ロイヤルホスト)」などである。この答えは驚きである。 なぜなら、これらのものに、地元的な固有性はいささかもないからである。 むしろ、これらは、それぞれの地方に固有な特殊性が、とりわけ希薄なもの ばかりである。ミスドもマックも、日本中、どこにでもある(場合によっては、 世界中にある)。とすると、若者たちは、「地元がいい」と言いつつ、特に地元に もどらなくてもいくらでも見つかるような場所や施設を思い浮かべていることになる。 それならば、彼らは、地元の何に魅力を感じているのか。かつてだったら、 田舎に回帰する者たちは、その地域に根ざした共同性や人間関係に愛着を もっていた。しかし、阿部の調査は、ここでも、過去のイメージがあてはまらないこと を示している。その調査によると、地方にいる若者たちの圧倒的な多数がつまり 調査対象となった若者のおよそ4分の3が「地域の人間関係は希薄である」 と答えている。他の人間関係については、希薄だと答えている者の率は、はるかに 低いので(満足していない者の比率は、家族関係に関しては、およそ5分の1、 友人関係については1割未満しかいない)、彼ら は、地域の人間関係に対して、ことのほか背を向けている、ということになる。地域の 共同性が好きでもないのに、わざわざ地方にとどまっているのだ(ついでに指摘してお けば、本書の後半に、2012年におこなわれた、東日本大震災で被災した3県の調査 が紹介されており、それによると、「近所の人」が頼りになったと答える人の率が最も 低いのは、人口10万代の地方中小都市で、通念に反して、大都市の方が「近所の人」 への信頼度が高い)。 地元のイメージが託されているものは、どこにでもある施設で、地元の地縁共同体に も参加意識をもてないのだとすると、若者たちはなぜ地元を志向するのだろうか。 阿部が調査をもとに結論していることは、わりと穏当なものである。すなわち、 1990年代以降のモータライゼーションが生み出した、大型ショッピングモール が立ち並ぶ郊外が、地方の若者たちにとって「ほどほどの楽しみ」を与えてくれる ためだ、と。要するに、駐車場が完備した、国道沿いのイオンモールで遊べば、 そこそこ満足できる、というわけだ。地方都市は、余暇の楽しみのための場所がない 田舎と刺激が強すぎる大都市との中間にある「ほどほどパラダイス」になっている、 というのが、本書の前半の「現代篇」の最も重要な主張である。さらに、あまり明示的 に は語られていないことを付け加えておけば、そのほどほどパラダイスで鍵となっている 人間関係は同級生の関係であろう。 確かにいまだ多い地方での人間関係の複雑さは、若い人やほかの地域から移ってきた人 には中々理解できない。また地域のある程度高齢の人間も自分たちと違う世界の人間 とそれに交わるような空気は中々にない。今、メディアなどで紹介されている地域も それらをうまく乗り越えた1人か2人の先駆者がいる地域のようである。そのような 先駆者に魅力を感じさせる曖昧な地域は中々にその広がりを持つことは 難しいのであろう。 ローカル志向が強まっているという流れの中では、地域の経済といえどもその風景、 風土、文化さらに景観に加え、そこに住む人々とのかかわりも考えた総合的な アプローチが重要となって来るのかもしれない。 さらに、それは単に内なる視点だけでは構築されず、外部者からの意味づけがあって 意味を持ち、生活者の視点だけでなく、旅行者的な外部の視点で地域を捉える ことも重要になってくる野だろう。 2.街の顔は誰が作るのか 人も街もそれぞれに顔というものがある、と考えていた。わずか数日の訪問でも、 それを感じる。例えば、古くから大陸の文化や京都の結びつきの中でそれなりの 文化を育んできた敦賀や小浜、郡上八幡などは時代の香りを街並みや人の活動に 残している。 昔よく歩いた近江八幡や堅田の街もそうだった。黒板塀から松が数本 通り過ぎる人を眺めるかのように顔を出し、その松を目で追っていくと、 大きな瓦屋根が日に映え、二階の障子の白さがその下で輝やいている。さらに歩くと 細い石畳の道が苔むした河岸に沿って先まで伸びていた。その道沿いには、 蔵であろうか白壁におおわれた家並みが続いている。少しづつその顔は違った かもしれないが、似たような風情がどこにも漂っていた。そしてそれに何か心に安らぎ を覚える自分がいた。 さらに路地へと入り込むとその街の様子がさらに深く垣間見られる。郡上八幡では、 共同洗い場で井戸端会議に花を咲かしているおばさんたちにあった。小浜では、 お寺の白壁が絶えず目の前にあった。多治見では、足の向く方へ歩いて、路地の 分れる角へ来ると、「ぬけられます」という立て板があるのだが、一様の家造りと 一様の路地なので、自分の歩いた道はどの路地であったのか、どこも小さな開戸傍に 千本格子の窓が適度の高さにあけてあり、見分けがつかなくなってくる。 白壁ややや薄灰色と化した板塀、路地に残る石畳、小さな祠など大阪や東京などの 単なる住い化し、コンクリートの陰翳のない建物が主人公の街とは大分違う。 それは近代化、西洋化という波に飲まれ、先進という名の下で、無秩序に発達して きた町並みには見られない人の息遣いがある。 特に路地には、千本格子や竹囲い、障子、屋根に至るまで日々変わる陰翳が支配し、 人はその情景の中でゆったりと動いているようだ。 それぞれの建物が光をありのままに捉え、白と黒に明確に切り取られ、さらに 原色の色使いがそれに補足している現代の街並みには疲れさえ覚える。 多分、これは石造りの街並みでもそうなのかもしれない。 スペインやポルトガルで見た石造りの家並み、石畳、どれもがあの強烈な日差し の中でも人々に優しさを与えていた。私の好きな街並みもそうであった。 街の顔にアクセントをもたらす自然の要素も生きている。白川郷や五箇荘の茅葺き の家並みも自然に対抗するための人々の長年の智慧から生まれたのであろうが、 そこには自然との共生という優しさも加わっているはずであろう。郡上八幡から 続く幾多の街並みも、その街並みには水という要素も大きくかかわり、さらにその 優しさを倍加しているようでもあった。 人が街の顔を作り、それが人を作っていく。それは大型のショッピングモールや マック、ミスドの店を作ればできるというものではないはずだ。 街の顔はやはり人が作っているのであろう。だが、それには多くの時間と絶え間ない 努力が必要だ。 地域活性化には「あるもの探し」や「ばかもの、よそもの、わかもの」が必要と 言われているが、周辺や訪問した地域での気付きとしては、 ①「お年寄りをお年寄りとして扱わない」、というのがあり、現役バリバリで やっているお年寄りが多くいるところは地域全体元気。 ②一人一人が役割をもっているところは、何かがおきても続けられる。 逆に、何かの歯車としてやっている人たちというのは何かあると弱い。 指導的な人と支援する人の関係が重要である。 ③自分たちで文化を生み出し、守り、それを観に来る人たちが沢山いて、 そういう人たちから収入を得る、そのお金で程よく文化を守る、というかたち。 徳島県上勝町や長野県小布施などは良いサイクルを創っている。 ④「あなたはこういう役割を担っている人です。」という、場があって コミュ二ティがあって、集まって、リーダーがいて、話すきっかけがあればいい。 情報のやりとりがなくなっているというところは過疎化もするし、コミュ二ティが 小さくなって行くような気がする。 ⑤地域関係者でのネットワーク作り 農家民宿、農業体験を実施するNPO法人、老人会、自治会等とも連携し て目標を共有化して行く。農業者を主役とした魅力ある地域づくり・交流事 業(グリーンツーリズム等)を推進し、その効果を農業者自身が実感し始める。 ⑥捨てられたもの、無くなりそうな物などまずは、身近にあるものを キチンと見直す。これには、多様な人の視点を入れることが重要。 3.地域の頑張り 幾つかの頑張っている地域の事例を見てみる。 1)頑張っている自治組織 川根振興協議会は、地域の諸問題を住民の手で解決しようと1971年に設立された 自治組織で、川根(旧・川根村)は、19の集落におよそ260戸、人口600人ほどの地域。 川根村は1956年(昭和の大合併)に高宮町へ、さらに2004年(平成の大合併) に安芸高田市へと合併されてた。最初の合併後、役場、学校、病院、商店街 などが次々と消えていき、2000人いた人口は3分の1に。過疎化、高齢化が 深刻となっていた。 大きな転機となったのは1972年、広島を襲った集中豪雨がもたらした大水害で、 川根地区は孤立し、大きな被害を被る。この時、「もう行政には頼れない、自分たちで できることは自分たちでやらねば」という危機感と自治意識を強く持ち、災害復興 だけではなく、産業、福祉、教育などあらゆる分野で自治活動を進めていく。 例えば、この川根地区に万屋(よろずや)という店があります。万屋は、住民の 共同出資によって誕生した「共同売店」。7年前、農協の合併に伴う合理化で、高田郡 農協は川根地区にあった農協売店の閉鎖を決定した。地域に一つしかない売店が なくなるというのは大変なこと。特に、お年寄り、車に乗れない人、立場の弱い人は、 その地域では誰かの助けなしには生きていけないということになる。 関係者は閉鎖の話を聞いてすぐ「どうしても廃止するなら、その施設をくれ」と言い、 そして地域の人たちに出資を呼びかけた。1戸1000円の出資に260戸の全戸が応じて、 農協は「万屋」として、またガソリンスタンドは「油屋」という、地域による 「直営売店」に生まれ変った。 2)Iターンの島 島根県から、フェリーで約2時間半。お世辞にもアクセスがいいとはいえない隠岐島諸 島の一つ、海士あま町は1島1町の島だ。その便の悪さにも関わらず、ここ11年間で人 口約2,400人(2014年10月現在)の2割に当たるIターン者数を誇るという脅威の島。 3)ITベンチャーの街 徳島県神山町の“創造的過疎”アプローチでなぜベンチャーやクリエイターが集まるの か、徳島市内から車で約40分、人口約6000人の徳島県神山町。今この町に、IT系の ベンチャー企業やクリエイター達が続々と集結しているという。過疎化が進む神山町 が取り組んだのは、観光資源などの「モノ」に頼って観光客を一時的に呼び込むこと ではなく、「人」を核にした持続可能な地域づくりだ。 4)移住者が地域を活性化 最近、若い独身の移住者に加え、家族単位で移住をする人が多いとのこと。 田園回帰が広まりつつある。これは、田舎暮らしがいいというだけではなく、 経済的にもメリットがあることが分かって来たため。例えば、鳥取での試算では 7年後には、東京で頑張るよりも、貯蓄額が多くなるとのこと。子供の養育にいい、 新鮮な空気の中で生活できるなどの数字化が難しいメリットを事例調査などで定量化し 、 その費用換算をすると、月4万円以上鳥取の暮らしはよくなるとの試算が出ている。 最近のインターネットの普及により場所を選ばない職種も多くなり、それが後押しも している。地域でも、就業、起業、継業のいずれも可能となる時代である。 この背景を活かして、島根県大前町では移住1%戦略を開始した。若い人が人口の 1%移住してきてくれれば、将来は人口の増加となり、10年後には高齢化率も 下がるという。 これからは県単位や市単位ではなくコミュニティ単位でその地域の総合戦略を 立てるべきなのであろう。「地域みがき」が多くの移住者を呼び込む力となる。 5)行政の考えが通じるか 今CCRCという生涯活躍の街づくりを進めている行政がある。 これは、アメリカの富裕層向けに介護から様々な施設利用による老後の 豊かな生活をめざした町づくりであったが、日本では、年金生活者を 中心とした街づくりの考えになっている。 基本的にアメリカでの対応と日本での事情の違いを考慮する必要が あるようだが、失敗の事例では、何度となく失敗をしている箱ものつくり が主であり、運営会社の倒産とか含め、また失敗のじれいになるのでは、 という流れもある。 そのよい例が高齢者への「地方に住みたいか」のアンケート結果である。 男性の63、女性の71%がわざわざ住み慣れた土地から移る必要があるのか、 の疑問を呈している。 しかし、高齢者だけでは限界があると、若者を呼び込んでお互いの良いところを 活用しようとしている事例もある。福岡や朝倉市では、当初1000人の 予定が200人程度しか集まらず、失敗の事例であったが、若い夫婦向けに 空き家を安く売り、若い人を増やしことで、上手く回り始めた。 北九州では、空き家をきれいに整備し、新しい建物を造らずに高齢者向けの 住まいとした。 いずれにしろ、インフラや家をうまく整備しても、そこに住む人たちを その地域でうまく活かし、そのつながりが出てこないと1項の調査のような結果に 終わるのであろう。
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