最近のキーワード
・スーパー資本主義 従来の資本主義からより効率と旧世界で幅を広げていた資産、体制
が駆逐される。
・AI さらに知能化し、多くのデータを活用してさらに精度の高い予測行動をとる。
・シェアエコノミー 物の共有化がさらに進み、所有からサービスへの顧客行動の変化
この本を読むと次の言葉を思い出す。
目的論的思考
古代世界では、目的論的な考え方が現在より優勢であった。
プラトンとアリストテレスは、炎が立ち上るのは本来の場所である
空に届こうとするからであり、石が落ちるのは還るべき場所である
地面に近づこうとするとするからだと考えた。自然には意味のある秩序が
あるとみられていた。自然を理解し、その中に占める人間の居場所を理解するのは、
自然の目的と本質的意味を把握することだった。
近代科学の誕生とともに、自然を意味のある秩序とみる見方は影を潜めた。代わって、
自然はメカニズムとして理解されるようになり、物理的法則に支配されると
見られるようになった。自然現象を目的、手段、最終結果と関連付けて解釈するのは
無智のゆえの擬人化した見方とされるようになった。だが、そうした変化にも関わらず
世界を目的論的秩序と目的を持つ相対と見たがる傾向は完全になくなったわけ
ではない。そうした見方は、とりわけ、世界をそのように見ないよう教育される
べき子供たちに、根強く残っている。
この劇的な時間の速さと我々が生まれ持った時間というモノに対する考え方
を意識せざるを得ない。
「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全なが
らもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳がある
のとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその
心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
気にかかるフレーズだ。
この言葉をさらに突き詰めていくと、「時間系列が曖昧になった人間にとって
自己の存在はありうるのだろうか」という疑問も出てくる。
たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、「寝た
ときの今」と「起きたときの今」を「配列」してできた認識である。
換言すれば「昨日寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした
「物語」を産むことで時間を感じ、また自己存在を認識することになる。
これは正法眼蔵の有事の巻にも通ずるのでは、と思う。
「時は即ち存在であり、存在はみな時である。
今という時の一日について考えよ。三頭八ひの阿修羅像はそのまま現在の時である。
阿修羅の姿はそのまま時であるから今という眼前の一日と全く同じである。一日
二十四時間が長いか短いか広いか狭いか、きっぱり量りもせずに、人はこれを一日
と言っている。日常の一日が朝に来て、夜になれば去るはっきりしたものであるから
人はこれに疑いを持たず、しかし疑いを持たないからと言って知っている
わけではない。
このように、人は見当がつかない諸所の物事にいちいち疑いを持つとは限らないから、
また疑いというものは対象を定まった像に結ぶことがないことによって「疑い」
であるから、本来はっきりとわからない状態の「疑う前」と疑いを持った今の
「疑い」とは必ずしも一致することがない。知っているようで実は知らない
ということも、定まらないままの形相としてやはり時であるほかはない。
客観的存在も客観的時間も存在せず、世界は吾有時(わがうじ)そのものであると禅
師は云う。「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有
時なり」
全世界のネットユーザーは32億人に達し、日本でも1億人以上が使っており、60兆を超
えるページがあって増え続け、それが数時間でも止まったら世界中がマヒしてしまうほ
どの存在になった。そしてこれから、ネットをベースとしたAIやIoT(モノのインター
ネット)、ビッグデータ、VR、ロボットといったさまざまな次世代テクノロジーが本格
化することで、われわれの仕事がコンピューターに置き換えられ、ネットが人間総体の
能力を上回ってしまうと主張するシンギュラリティーという言葉も話題になっている。
デジタル時代は、それ以前の工業時代に比べて時間の経過が何倍も早くなり、ドッグイ
ヤーと呼ばれて物事の変化が激しくなってきた。その起点を探ろうと遡ると、30年前の
80年代の世界的な通信自由化の時代に行き着く。それまでは企業を中心に「電子計算機
」と呼ばれる大型コンピューターが使われていたが、オンライン利用はまだ一般的では
なく、通信速度も電話回線を使った300bps程度で、いまの100万分の1のレベルでしかな
かった。しかし徐々に安価で高速な回線が整備され、パソコンが登場することで初めて
一般人がコンピューターに触れる環境ができ始めた。パソコンとモデムを使って電話回
線でコミュニケーションができるパソコン通信というサービスが始まり、誰もが初めて
メールを使ったりチャットをしたり、掲示板で論議できる環境が出現した。
本書でも述べられているように、それは非常に大きなパラダイム転換であり、
コンピューターが計算のためというより人と人をつなぐ道具であることが認識される
ようになった瞬間だった。
ビジネス思考の共通項を考えていくことへのガイダンスだ。
本書の原題はThe Inevitableで、不可避という意味だ。何が不可避なのか? それはデ
ジタル化したテクノロジーが持つ本質的な力の起こす変化だ。それは水が川上から川下
に流れるように、太陽が東から出て西に沈むように、この世界に普遍的な理でもある。
彼はそれを12の力もしくは傾向に分けて、それぞれの力を順に説明していく。
「各章に1つの単語を当てはめたが、それらは単独で働く動詞ではない。
どちらかというと、互いがかなり重なり合い、相互依存しながら互いを加速
させていく。1つの単語についてはなすときに、同時にほかの単語について
話さないわけにはいかない。シェリングが増えることで不ローイングが増え、
かつそれに依存することになる。コグニファイングにはトラッキング必要になる。
スクリーニングはインタラクティングと分けられない。ここに挙げた動詞たちは
リミキシングされ、すべての動きはビカミングというプロセスの変形だ。
それはあらゆる動きの統一された場となるのだ」と彼は言う。
各章の表題は動詞の現在進行形で表記されており、動詞化する世界がまさにプロセス
として動いている姿を捉えようとしている。これらはデジタル世界の持つ根源的な
性格を捉え、法則として読み解く重要なキーワードとなる。
彼もはじめにで、言っている。
ネット化したデジタル世界は名詞(結果)ではなく動詞(プロセス)として生成し
(第1章 BECOMING)、世界中が利用して人工知能(AI)を強化することでそれが
電気のようなサービス価値を生じ(第2章 COGNIFYING)、自由にコピーを繰り返し
流れ(第3章 FLOWING)、本などに固定されることなく流動化して画面で読まれる
ようになり(第4章 SCREENING)、すべての製品がサービス化してリアルタイムに
アクセスされ(第5章 ACCESSING)、シェアされることで所有という概念が時代
遅れになり(第6章 SHARING)、コンテンツが増え過ぎてフィルターしないと
見つからなくなり(第7章 FILTERING)、サービス化した従来の産業やコンテンツ
が自由にリミックスして新しい形となり(第8章 REMIXING)、VRのような機能
によって高いプレゼンスとインタラクションを実現して効果的に扱えるようになり
(第9章 INTERACTING)、そうしたすべてを追跡する機能がサービスを向上させ
ライフログ化を促し(第10 章 TRACKING)、問題を解決する以上に新たな良い
疑問を生み出し(第11章 QUESTIONING)、そしてついにはすべてが統合され
彼がホロス(holos)と呼ぶ次のデジタル環境(未来の〈インターネット〉)へと
進化していく(第12章 BEGINNING)という展開だ。
邦題は『〈インターネット〉の次に来るもの』とした。デジタル・テクノロジーの持つ
力の不可避な方向性とは、まさに現在われわれが(仮に)〈インターネット〉と呼んで
いるものの未来を示すものだからだ。しかし、われわれは現在、デジタル世界の水にど
っぷりと浸かった魚のように、このデジタル環境が何であるかについて深く考えられな
いでいる。著者は未来予測をするというより、むしろ過去30年の経験を反省して距離を
置くことで、〈インターネット〉という名前に象徴されるデジタル革命の本質を読み解
こうとしているのだ。
40
つまりこういうことだ。いまここですぐに、2016年から始めるのがベストだと
いうことだ。
歴史上、何かを発明するのに、こんな良いときはない。いままでこれほどのチャンスや
色々な始まりや、低い障壁や、リスクと利得の格差や、収益の高さや成長が見込める
タイミングはなかった。今この瞬間に始めるべきだ。いまこそが、未来の人々が
振り返って「あのころに生きていれば」という時なのだ。
過去の30年ですばらしいスタート地点が創られ、真に優れたものを作り出す強固な
プラットフォームとなった。しかしこれから来るものは、それとは別の、それを超える
もっと違うものだ。われわれが作るものは、恒常的に、休むことなく別のものに
なっていくものだ。それに最高にカッコいいものはまだ発明されていない。
43
人工的な思考は、本書に描くほかのあらゆる破壊的な変革を加速させる、未来の力の
源になる。コングにファイしていくことは確実に不可避だといえる。
例えば、ここの読者や視聴者が広告にどれだけ注目したかの総量をその個人の社会的な
影響力とかけあわせ、1ドル当たりの注目度や影響力を最適化することも可能となる。
65
人間がまるでできないことをこなすためのものだろう。
もっとも重要な思考マシンは、人間の方がより速くよりよく考えられるようなことを
扱うのではなく、人間が考えもつかないことを扱うモノだろう。
、、、
AIの到来による最大の恩恵はそれが人間性を定義することを手助けしてくれる
ことだ。
わらわれは、自分が何者であるかを知るためにAIが必要なのだ。
68
信じがたいことかもしれないが、今世紀が終わるまでに今存在する職業の
70パーセントがオートメーションに置き換えられるだろう。ロボット化は
不可避であり、労働の配置転換は時間の問題なのだ。そこでは人工的な認知、
安価なセンサー、機械学習、偏在するスマート機能が中心に躍り出る。
広範に及ぶこのオートメーションは肉体労働から知識労働まで、すべての
仕事に及ぶだろう。
89
工業化の時代に企業は、効率と生産性を上げることで自分たちの時間を最大限活用して
いた。今日ではそれでは不十分だ。今や組織は顧客や市民の時間を節約しないといけない。
つまりリアルタイムでやり取りできるように最大限努力しなくてはならないのだ。
リアルタイムとは人間の時間だ。
101
重要なのは、コピーの数自体ではなく、1つのコピーがほかのメディアによって
リンクされ、注釈を付され、タグ付けされ、ハイライトにされ、ブックマークされ、
翻訳され、活性化されたその数だ。作品がコピーされることよりも、どれだけ多く
その作品を思い起こし、注釈を付与し、パーソナライズし、編集し、認証し、
表示し、マークをつけ、転送し、関わっていくかに価値が移っている。
重要なのは、その作品がどれだけうまく「流れとなっていく」かなのだ。
111
我々はこの流れを開始したばかりだ。デジタルメディアのいくつかでは流動化の
4つの段階がすでにはじまっているが、ほとんどにおいては我々はまだ最初
の段階にいる。まだ液化していない日常の仕事やインフラは山ほどあるが、
いずれは液化し、流動化していく。非物質化と脱中心化へと向かう着実で
巨大な傾向が意味するのは、さらなる流れは不可避だということだ。
126
本当にすごいのは、次の段階で本の中のそれぞれの言葉が相互にリンクされ、クラスター化
され、引用され、抽出され、索引をつけられ、分析され、注を加えられ、かって
なかったほど深く文化に織り込まれていくことだ。電子本や電子テキスト
の作る世界では、すべてのビットがお互いに情報を伝え、すべてのページが
他のすべてのページを読んでいる。
139
もっと重要なことは、スクリーンも我々を注視することだ。覗き込むと姿が映る
井戸のように、スクリーンは我々自身を探すために見つめる鏡のような存在になる。
顔ではなく、自己像を探すのだ。、、、常時自分をトラッキングする結果、
それは生活に関する完璧な記憶となり、どんな本でも提供できないほどの、
想像もつかなかった客観的で量的な自己像となる。スクリーンは我々の
アイデンティティの一部になるのだ。
146
ネットフリックスは世界最大の映像提供会社だが、映画を所有することなく、観客に
それを見せている。スポティファイは最大の音楽ストリーミング会社だが、音楽は
何も所有していないのに、どんな曲でも聴かせてくれる。
所有することは昔ほど重要ではなくなっている。その一方でアクセスすることは、
かってないほど重要になってきている。
、、、、
車がデジタル化されると、交換されたり、シェアされたりするようになり、デジタル
メディアと同じようにソーシャルにやり取りされるようになる。家庭やオフィス
にある物体に知能を与えてスマートにすればするほど、どんどんそれは社会資産化
していく。それらの持つ性質をシェアすることで、自分自身がそれらをシェアしている
気になっていくのだ。
「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用」への転換は、これまでのやり方を
ひっくり返す。所有することは手軽で気まぐれだ。もし何かもっと良いものが
出てきたら、買い替えればよい。一方で、サービスの場合は、問題解決などで
作り手と消費者の間で常に会話しつづけなければならない。継続的な関係になる。
あるサービスにアクセスすることはその顧客にとって物を買ったとき以上の
深いかかわりとなる。
172
分散化したアクセスへと容赦なく進んでいくその最後のステップとしてクラウド
同士を融合したインタークラウドに向かっていくのと同時に、われわれは完全に
脱中央集権化したP2Pのアクセスにも向かっていく。
189
集産主義について
テクノロジー版社会主義を、自由市場的な個人主義か、あるいは中央集権的な
権威主義かとゼロサムのどちらかで考えるよりも、テクノロジーによる共有は
新しい政治のOSであり、個人と集団の両方を同時に向上させるのだと考える
こともできるはずだ。どこにも明文化されていないが誰もが直感的に理解している
シェアリングテクノロジーのゴールとは個人の自律性と集団が生み出す力を
同時に最大化することだ。つまり、デジタルによる共有は、昔ながらの常識
とはかなりかけ離れた、第3の方法だとみなすことが出来る。、、、
新しいOSに当たるものは、私有財産を認めない古典的な共産主義の中央集権的な
計画でもなければ、純粋な自由主義の自己中心的なカオスでもない。
そうではなく、分散化した人々の協調によって、純粋な共産主義や資本主義では
できない新たなクリエイションと問題解決のためのデザイン領域が出来つつある
ということだ。
「シェア」はデジタル社会主義では最も穏やかな形式だが、シェアすることはより
高いレベルでの共同作業の基盤となるものだ。それはネットワークそのものの
基本要素でもある。
213
群衆の手でどんな素晴らしいことができるのか、われわれはやっと探求しはじめた
ばかりなのだ。クラウドソーシングでアイデアの資金を調達し、組織化し、製造するやり方
は200万通りあるに違いない。想像もしなかったことを想像もしなかった方法で
シェアする方法はさらに100万通りあるはずである。これから30年を考えると
最大の富の源泉、そして最も面白い文化的イノベーションはこの方向の延長線上にある。
234
人間の眼からみれば、フィルターはコンテンツに注目している。しかし逆にコンテンツ
側から見ると、フィルターは人間の注意に注目している。
潤沢な世界において、唯一の希少性は人間の注目性にある、とも言われている。
、、、
これから20年は、もっと質の高い注目性を大規模に増やしていくためのフィルタリング
テクノロジーを利用することがゴールであり、チャンスにもあんるだろう。
現在のインターネットでは、何兆時間もの品質の低いコモディティー化した注目に
よって経済のほとんどが支えられている。1つ1つの時間当たりの価値は高くなくても
それが大量に集まれば山を動かすのだ。コモディティー化した注目は風や海のようなもので
拡散したその力を捕まえるには大きな道具がなくてはならない。
グーグルやフェイスブックの成功の秘訣はコモディティー化した注目をフィルタリング
する巨大なインフラにある。そこで使われるAIは最適な広告を、最適な時間に、
最適な場所で、最適な頻度で提供し、最適な方法で反応するように動いている。
254
テクノロジーがわれわれを画一化してコモディティー化するという恐れは間違っている。
パーソナライズがすすめば進むほどフィルターはその個性を認識しやすくなり、より働きやすくなる。
現代の経済はその中心部分で個別化と差異化の力が働いている。それはフィルターと
テクノロジーによってさらに増強されるだろう。
大規模なフィルタリングを使うことで自分が誰であるかが形造られていき、自分自身という
人間をパーソナライズしていくのだ。
256
すべての新しいテクノロジーは、既存のテクノロジーの組み合わせから生まれるといわれている。
現代のテクノロジーは再編成されリミックスされた、かっての原始的なテクノロジー
が組み合わさったものなのだ。何百もの簡単なテクノロジーを何十万もの、もっと複雑な
テクノロジーと組み合わせれば、新しいテクノロジーの可能性は無数に生まれてくる。
それらすべてリミックスなのだ。経済成長やテクノロジーの成長に関していえることは、
デジタルの成長にもあてはまる。われわれはいま、生産的なリミックスの時代にいる。
可能な組み合わせの数は幾何級数的に増え、文化と経済を拡大していく。
275
われわれの法体系のほとんどはまだ農耕時代の原理原則で動いており、所有物には実体が
あることが前提となっている。つまりデジタル時代に追いついていないのだ。
それは努力が足りないのではなく、所有することが以前ほど重要でなくなった時代に、
所有がどう機能するかを明確にできていないせいだ。、、、
グローバル経済全体がアトムから手に触れられないビットへと移行している。
所有からアクセスへと移っている。コピーの価値からネットワークの価値へと傾いている。
つねに留まることなく増加していくリミックスの世界へと不可避的に向かっていく。
法律はゆっくりとだが、それを追いかけていくだろう。
299
これからの10年でインタラクションできるものはますます増え続けるだろう。
その動きは3つに牽引されていく。
・より多くの感覚が増える。新しいセンサーや感覚ツールが増える
・親密さを増す。腕時計よりもはるかに小さくなった様々なツールがより身近に増える。
・没入感を増す。VRやARの進化で第二の肌感覚となる。
319
クラウドの拡大でいつでもどこでもつながることにより、セルフトラッキングが拡大する。
健康状態や日常生活の状況など個人の行動パターンからより最適な生活が行える。
それはライフストリームと呼ばれ、個人の蓄積されたすべての行動情報から過去の
状況や未来の行動予測ができるようになる。そのサイバーな人生のすべてがまさに
眼の前にある。
340
インターネット世界で最大最速のトラッキングマシンで、それに触れたものはなんでも
トラッキングされる。インタネットはすべてのものをトラッキングsっ従っているのだ。
、、、この星で最も速く増殖しているのは、我々が生み出す情報の総量だ。それは何よりも早く
広がってきたし、今も拡大し続けている。
2人の経済学者が世界中で生み出された情報量を計算してみたところ、年66パーセント
の割合でその総量が増え、新しい情報が生み出されていた。年66パーセントというのは
18ヶ月ごとに2倍になることで、ムーアの法則と同じだ。、、、、、
集められる情報の総量が毎年ごとに増えているのは、その情報自体に対する情報を
生み出しているからだ。それは、メタ情報と呼ばれる。われわれが集めるどんなデジタル
情報も、それについての別の情報を生み出しているからだ。さらに、メタ情報は
他のビット情報とリンクされることでその価値を増し、新しい富の源泉となる。
382
社会は厳格な階層構造から分散化した流動性へと向かっている。手に触れられるプロダクトから
触れられないものになっていく。固定されたメディアからぐちゃぐちゃにリミックス
されたメディアになっていく。保存から流れに変わる。価値を生み出す原動力は
「答えの確かさ」から「質問の不確かさ」へと移行している。
答えを出すテクノロジーはずっと必要不可欠なままであり、すぐに得られ、信頼出来て
ほぼ無料になる。しかし、質問を生み出すことを助けるテクノロジーは、もっと
価値のあるものになる。質問を生み出すものは、われわれ人類が絶え間なく探検する
新しい領域、新しい産業、新しいブランドや新しい可能性、新しい大陸を生み出す
原動力なのだときちんと理解されるようになるだろう。
387
友人のために何かを投稿したりするのは時間の無駄だとも割れているが、われわれが
クリックするたびにホロスの知性の中にあるノードを強化する。つまりシステムを使うことで
プログラミングしているのだ。人間は毎日1000億回もウェブをクリックしているが、
それはわれわれが重要だと思ったことをホロスに教えているのだ。言葉と言葉を
リンクで結ぶたびごとにこの複雑な装置にアイデアを教えているのだ。
これは我々の人生が乗っかっている新しいプラットホームだ。それは世界的な規模で
常に動いている。このままのペースでテクノロジーの普及が進めば、私の見積もりでは
2025年までには、この惑星に住むすべての住人すべて、つまり100パーセント
がこのプラットホームにほとんど無料となった何らかのデバイスを使ってアクセス
するようになるだろう。、、、
われわれは始まっていくプロセスの中にいて、その非連続性のまさにエッジにいる。
新しい領域では、中央集権的な権威や画一性といった古い文化は縮小し、シェアし、
アクセスし、トラッキングするという新しい文化的な力が、様々な組織や個人の生活
を支配するようになる。シェアしていくことは、いまでもやりすぎだと思う人もいるが
まだ始まったばかりだ。所有からアクセスへのシフトは、まだほとんど始まってもいない。
流れていくこともストリーミングも、ぼつぼつと始まりだした程度だ。こうした機能は
今生まれたばかりの高品質のコグニファイングによって加速され、やがて現在最も
スマートに見えるモノさえ愚かに見えてしまうだろう。どれもまだ最終形ではない。
こうした移行は、なっていくプロセスの第一歩をふみだしたにすぎない。
つまり「始まっていく」のだ。
http://bizzine.jp/article/detail/1733
ニューヨーク・タイムズはAP通信社に続いて、6月1日からインターネットの表記につい
て、「Internet」を「internet」に変えると宣言した。ただ単に、最初の文字を大文字
から小文字に変えるという話だが、つまりこれはインターネットが人名や会社名などを
指す固有名詞ではなく、一般名詞になったということを公式に認めたことになる。APの
編集者トーマス・ケント氏も「われわれの見解では、いまではそれは電気や電話のよう
にまったく一般的なものだから」とその理由を述べている。日本語では文字の大きさで
名詞の種類を区別はしないが、インターネットがあまりに当たり前の存在になってきた
ので、いまでは「ネット」と縮めた表記が頻繁に使われて、それで話が通じるようにな
ってきた。
インターネットが一般紙に最初に大きく取り上げられたのは、1988年の11月2日に「イ
ンターネット・ワーム」事件が起きたときだった。コーネル大学の大学院生ロバート・
モリスが自己増殖するプログラムをネットに撒いて実験したところ、プログラムのコピ
ーで一杯になって動かなくなり、「研究者の(特殊な)ネットワークにつながるコンピ
ューターの1割に当たる6000台が停止した」とニューヨーク・タイムズ紙の1面で報じら
れたのだ。
当時のインターネットはまだ、69年に国防総省の高等研究計画局(ARPA)の資金で実験
が始まったときの名称のまま「ARPAネット」と呼ばれていたが、ARPA以外のネットワー
クが徐々にできて相互につながるようになってきたことから、ネットワークとネットワ
ークをつなぐという意味で、「インター」という文字を冠した「インターネットワーキ
ング」という言葉が使われ始めたばかりだった。
しかし、コンピューターのネットワークというのはまだ特殊な専門家が扱うもので、新
聞を読んだ多くの人は、なぜそんな事件が新聞の1面を飾るのかまるで理解できなかっ
たに違いない。全部で6万台ものコンピューターがつながる不可解な存在だが、国防総
省の息もかかっているし、ひょっとしたら核戦争につながるような大事件なのかもしれ
ないと感じた人もいた。しかし現在はインターネットにつながるコンピューターが10億
を超えている。当時まだインターネットは揺籃期にあったのだ。
「(われわれがなじみのインターネットは)創造されてからまだ8000日も経っていない
」と本書の著者ケヴィン・ケリーは言う。ティム・バーナーズ=リーがウェブを発明し
てから、誰もが簡単にネットサーフィンできるようになり、さらにメールし、検索し、
ショッピングし、日々の出来事をソーシャルメディアにアップできるようになったが、
それは95年にウィンドウズ95が登場してネットブームが起きてから、たったの20年ほど
の期間でしかない。
最初はどうやったら使えるのかも分からず、ほとんどの人は「モデム」とか「プロバイ
ダー」という言葉の意味も分からず、「申し込みたいので、インターネットという会社
の連絡先を教えてください」という問い合わせが新聞社にも寄せられた。当初はパソコ
ンやキーボードが使えないと始めることはできず、モデムなどをつないで通信ソフトを
細かく設定しなくてはならず、電話のダイヤルアップで利用するしかなく、ちょっと使
うと毎月何万円もかかったため、新しもの好きやオタクのメディアと思われていた。ま
だ現在と比べるとオモチャのようなレベルで、ソフトも少なくセキュリティーは問題だ
らけで、ビジネスや公共のサービスには危なくて使えないとされていたが、いまでは誰
もがネットを大して意識することもなくスマホを使って日々の生活の中で使っている。
全世界のネットユーザーは32億人に達し、日本でも1億人以上が使っており、60兆を超
えるページがあって増え続け、それが数時間でも止まったら世界中がマヒしてしまうほ
どの存在になった。そしてこれから、ネットをベースとしたAIやIoT(モノのインター
ネット)、ビッグデータ、VR、ロボットといったさまざまな次世代テクノロジーが本格
化することで、われわれの仕事がコンピューターに置き換えられ、ネットが人間総体の
能力を上回ってしまうと主張するシンギュラリティーという言葉も話題になっている。
デジタル時代は、それ以前の工業時代に比べて時間の経過が何倍も早くなり、ドッグイ
ヤーと呼ばれて物事の変化が激しくなってきた。その起点を探ろうと遡ると、30年前の
80年代の世界的な通信自由化の時代に行き着く。それまでは企業を中心に「電子計算機
」と呼ばれる大型コンピューターが使われていたが、オンライン利用はまだ一般的では
なく、通信速度も電話回線を使った300bps程度で、いまの100万分の1のレベルでしかな
かった。
しかし徐々に安価で高速な回線が整備され、パソコンが登場することで初めて一般人が
コンピューターに触れる環境ができ始めた。パソコンとモデムを使って電話回線でコミ
ュニケーションができるパソコン通信というサービスが始まり、誰もが初めてメールを
使ったりチャットをしたり、掲示板で論議できる環境が出現した。本書でも述べられて
いるように、それは非常に大きなパラダイム転換であり、コンピューターが計算のため
というより人と人をつなぐ道具であることが認識されるようになった瞬間だった。
もともと若い頃にはヒッピーでアジアをカメラマンとして何年もさまよい、コンピュー
ターやハイテクを国家の手先として嫌悪していた著者はこの頃、60年代のカウンターカ
ルチャーの急先鋒だったホール・アース運動で有名なスチュアート・ブランドと仕事を
始めることで、WELLというパソコン通信サービスに関わるようになり、初めてテクノロ
ジーが人間の役に立つと感じるようになった。
そしてそれからのパソコン革命を実際に経験し、90年代にはデジタル・カルチャー誌ワ
イアードの創刊編集長となり、ドッグイヤーで進むテクノロジーの進化に日々現場で立
ち会うことになる。そして最初に、その大きな変化をまずOut of Control(『「複雑系
」を超えて』アスキー)にまとめ、流動化したデジタル・テクノロジーが作り出す複雑
でカオス的な世界を描き、次にその影響で変化するニューエコノミーを題材にしたNew
Rules for the New Economy(『ニューエコノミー勝者の条件』ダイヤモンド)をビジ
ネス界に送り、さらには本格化し始めたインターネットの形作るデジタル世界の本当の
意味を求めて、宇宙の始まりから未来までをカバーする壮大な理論を構築したWhat Tec
hnology Wants(『テクニウム』みすず書房)を世に問うた。
前著の『テクニウム』では、テクノロジーを自己組織化する情報世界の基本原理と捉え
て、壮大かつ深遠な宇宙観にまで論を進めた。テクノロジーを単なる人間の人工的な方
便と考えるのではなく、生命世界の上位概念として宇宙の普遍的な要素とまで言い切っ
た彼の論に、戸惑いを覚えた読者もいたかもしれない。
しかし今回書かれた本書は、われわれの身近なデジタル・テクノロジーとの付き合い方
を個別のサービスなどを例に説いた、もっと親しみやすい内容だ。テクニウムという広
く深い概念にまで行き着いた彼は、そこから再度現実に目を向け、日々進化するテクノ
ロジーについてその意味を問い、どう付き合うべきかを具体的に考えた。
邦題は『〈インターネット〉の次に来るもの』とした。デジタル・テクノロジーの持つ
力の不可避な方向性とは、まさに現在われわれが(仮に)〈インターネット〉と呼んで
いるものの未来を示すものだからだ。しかし、われわれは現在、デジタル世界の水にど
っぷりと浸かった魚のように、このデジタル環境が何であるかについて深く考えられな
いでいる。著者は未来予測をするというより、むしろ過去30年の経験を反省して距離を
置くことで、〈インターネット〉という名前に象徴されるデジタル革命の本質を読み解
こうとしているのだ。
ワイアードの初代編集長でありながら、当初ネットは超多チャンネルのテレビになると
信じたり、商売には使えないし、ウィキペディアなどのアマチュアが書く百科事典は成
立しないと考えたりした失敗談を織り込み、われわれがネット出現時にいかにその本質
を見誤っていたかを鋭く説く。確かに30年前には海のモノとも山のモノとも分からない
〈インターネット〉が、メディアを大きく変え、政治経済や社会全体のありとあらゆる
基盤を変えてしまうことなど誰も想像できていなかった。そう考えるなら今後30年経っ
たとき、ドッグイヤーで進化した〈インターネット〉の姿をどう考えればいいのか?
われわれが過去30年を振り返って、現在との差異を理解することで、未来の生じるかも
しれない新たな変化(差異)について思い巡らすことができるのではないか。
前作の『テクニウム』で、デジタル世界を最も深く理解するビジョナリーとしての評価
を確立した著者が、その後の新たなアイデアを自身のブログやニューヨーク・タイムズ
などの大手のメディアに発表し、それを基に続編を書くことを公言していたので、われ
われはずっと注目してきた。そして昨年に草稿ができた段階で、英語版に先行して中国
語版が出され、発売前に15万部の予約が入るほどの人気を博した。
また今年6月の発売に先行して、テキサス州オースチンで毎年3月に開催されているい
ま最もホットな音楽、映画やデジタルメディアの祭典SXSWでは、ケヴィン・ケリーが本
書について語るセッションが設けられ、主催者の一人で有名なSF作家ブルース・スター
リングのセッション参加者を大幅に上回る観客が詰めかけ会場から溢れた。本書は発売
と同時に、ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルのベストセラー
の上位にランクインし、夏休み読書特集にも一押しの本として紹介されている。
本書に書かれている展望は、今後の問題点もカバーしているものの、未来についてかな
り楽観的な見方をしている。これからのネットが開く世界は前向きな話ばかりではなく
、ウィキリークスや炎上事件などに象徴される旧体制や社会との確執や、プライバシー
、セキュリティーなどの新たな問題の火種も含んでいる。欧米では、ネット社会の未来
について、世界中の利用者のデータや仕事を収奪する新たな植民地主義だと懸念する声
も聞かれる。デジタルの可能性に期待を寄せるアメリカの読者の中にも、いくぶん戸惑
う意見があることも確かだ。しかしケヴィン・ケリーは長年の経験から、悪いことより
良いことが僅かに上回っており、こうした世界を理解することでより良く未来に対処で
きると信じている。
物事を遠くから観察するだけでその善悪を断罪したり抗ったりするのではなく、まず虚
心坦懐にその姿を受け入れて理解することこそ、問題に立ち向かう最良の生き方である
ことを彼は理解している。東洋を深く愛する彼だからこそ持てる視点であり、それはま
るで禅の高僧の言葉のようだ。
有名なパーソナル・コンピューターの命名者でもあるアラン・ケイが言ったように、「
未来は予測するものではなく発明するもの」であるなら、本書が述べるように「最高に
カッコいいものはまだ発明されていない。今日こそが本当に、広く開かれたフロンティ
アなのだ。……人間の歴史の中で、これほど始めるのに最高のときはない」と考えるこ
とで、われわれは誰もが同じスタート地点に立って、この混迷した時代にきちんと前を
向いて未来を変えていくことができるのではないだろうかと思う。
ーーー
私たちはテクノロジーの進化によって、最新のものを追いかけるようになります。
これにクレームを言うことは簡単ですが、著者のケヴィンは
新しいものが私たちに進化をもたらしていると以下のように書いています。
しかし私は、テクノロジーがもたらす終わりなき不満足を祝福する。われわれは祖先と
違ってただひたすら生き延びることだけに満足することはない。これまでもずっと、驚
くほど熱心に自分でかゆい箇所を作ってはそれを掻いてきたように、以前にはなかった
欲望を生み出してきた。この不満足こそ、われわれの創造性や成長のきっかけとなった
のだ。
私たちは変化することで、成長してきたのです。
昨日とは違った便利な生活を実現するという欲望こそが
私たちのクリエイティブマインドを刺激してくれるのです。
われわれは心に渇望感を持たない限り、自分や集団の自我を拡張することができない。
だからテクノロジーによって自分の境界を拡張し、アイデンティティーを収容する器を
拡げ続けている。それは痛みを伴うかもしれない。もちろん、激怒する人々もいるだろ
う。すぐにも時代遅れになりそうな機器を紹介する深夜の広告情報番組やウェブページ
にテクノロジーの高揚感はほとんどないが、進歩への道は平凡で退屈な日々の繰り返し
なのだ。もしもっと良い未来を目指すなら、こうした居心地の悪さを受け入れて対処し
なければならない。
居心地のよい世界は楽に生きられますが、ここには進化はありません。
このコンフォートゾーンにはチャンスはないと考え、変化の道を選ばなければならない
のです。
進化をしてきたから、私たちは類人猿ではなくなったと考え
未来を創り出す気概を忘れてはいけないのです。
その際のキーワードになるのが、プロセスとユートピアの造語のプロトピアです。
ケヴィンは、日々良くなっていくプロトピアの世界を目指すべきだと指摘しています。
現代のユートピアは日々の進化の中にあるかもしれません。
プロセス(未来へとなっていく=ビカミング)を受け入れることが大事なのです。
今現れつつある変化を受け入れることが、未来を作り出していくのです。
今日は一つ目の法則の「ビカミング」を紹介しましたが
何回かに分けて、本書の書評を書いていきます。
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インターネットの次に来るもの
コピーが当たり前になった社会で価値を生むもの
作田 祥介さん
青山ブックセンター本店
ビジネス書担当
作田:
本書には、「インターネットは世界最大のコピーマシン」と書かれています。コンテン
ツがどんどん無料化されていったときに、なにに価値が発生するのか。その答えとして
「即時性」「パーソナライズ」「解釈」「信頼性」「アクセス可能性」「実体化」「支
援者」「発見可能性」という方向性が示されており、コンテンツ産業の一員として勉強
になりました
服部:
「コピー」というのは、出版社や書店にとっては許せないことです。しかし、これから
価値が高まるのは、人々の「アテンション」(注目)ですから、視点を読者側に切り替
えてコンテンツを作っていかなければならない。そういう意味では、新聞社も出版社も
、まったく違うビジネスモデルを考えていく必要があるかもしれません。今の産業にと
っては、なかなか受け入れがたい変化でしょう。しかし、私たちが当たり前だと信じて
いる常識は「時代の産物」であって、これからの社会では通用しない可能性があるんで
す。
宮崎:
実際に、いろいろな常識が変わり始めています。
服部:
私たちは、「いい会社に入って、お金をいっぱいもらって、大きい家に住んで、高価な
車に乗る」といったことが幸せだと教えられてきたわけですが、今はそれがカッコ悪い
わけです。ネットを使ってシェアすれば、わざわざ物を所有する必要はないし、物を溜
め込むのは環境にも悪い。サービスが洗練されていけば、メンテナンスの必要もなくな
ります。今までと逆の見方をすることで、新しい価値が生み出されていくのが現代なの
です。根本的な視点の転換は、すべてに影響を与えていきます。根本的に基盤を変える
と、その上に乗っかっている政治や文化、経済、生活などの「当たり前」が一変してし
まうのです。
「人工知能」は「人工異星人」になる?
宮崎:
私が衝撃的だったのは、「AIは科学について人間の科学者と違う視点で考えるようにな
るはずだから、人間も科学に対して違った考え方をするように迫られる」という箇所で
す。もしかしたら、人間は「生物学的な進化では獲得できない新しい種類の知能を発明
するために存在している」のかもしれない、と。ちょっと怖いですが、ワクワクもしま
す。長生きをすれば、「新しい種類の知能」が存在する世界を目撃できるかもしれませ
ん。
松島:
AIが人間を凌駕する「シンギュラリティ」(技術的特異点)を考えるうえで、ケリー氏
はAA(Artificial Alien:人工異星人)という考え方を提唱しました。私は2007年に、
『シンギュラリティは近い ── 人類が生命を超越するとき』(レイ・カーツワイル著
)という本を手がけたのですが、その当時はシンギュラリティという考え方を、ほとん
どの日本人が知りませんでした。しかし、肯定的にせよ、否定的にせよ、この数年で社
会が受け入れ始めたように肌で感じています。昔の人に「自分がいる場所が地図上に表
示できるようになる」と言っても誰も信じないと思いますが、実際には実現し、我々は
当然のように使っています。そう考えると技術的進化の指数級数的な変化が起こり、気
づいたときには社会のあり方が変わっている可能性がある。
宮崎:
ただし、ケリー氏は必ずその世界がディストピアになると描いてはいませんよね。
松島:
はい。人間と補完関係を築く可能性もあるとしています。強いシンギュラリティ、弱い
シンギュラリティがあるとして、人類はどこに向かっていくのかを考えるのは面白い。
おっしゃるとおり、生きているうちにその行く末を見届けることができるかもしれませ
ん。
服部:
未来学者のハーマン・カーンは、「think about unthinkable」という言葉を遺してい
ます。考えられないことを、どのように考えるか。つまり、「なにが本当に気づいてい
ないことなのか」に気づかなければいけないのだ、と。我々にとっては、とても難しい
ことです。それに気づくには、なにも知らない子ども、もしくは異星人から「王様は裸
だ」指摘してもらわなければいけないのかもしれない。自分たちの意識の限界の外から
、「私には、君たちはこう見えている」とAAに言ってもらう未来が実現するかもしれま
せん。
「この星」という枠組みで物事を考えられない日本人
宮崎:
最後に、本書をどのように読んでほしいか。読者にメッセージをお願いします。
服部 桂(はっとり けい)さん
元 朝日新聞社記者
服部:
「わからないことを増やす」ことは、特に日本企業では悪いこととされがちですが、人
類が進化するにつれて、「疑問」の数は増えていきました。ケヴィンは「本当に重要な
疑問はまだ誰も発していない」と言っています。本題で使った、カッコ付きの〈インタ
ーネット〉は、我々がまだ名付け得ないものです。それがどのようなものになるのか。
この本をよりよい疑問を生む装置だと考えてもらい、考え抜いてほしいと思っています
。
松島:
足腰の強い長い思考を促すのが、書籍というメディアの役目です。人類が「火」という
テクノロジーを手に入れたことにより、途方もない変化が起こりました。天敵から身を
守ったり、調理したりするだけではなく、あらゆる部分に火がもたらしたイノベーショ
ンは波及しているわけです。それくらいの畏怖を持って、現在に起こっていることが人
類の文明をどう変えていくのかを考えなければいけない。それが本書のメッセージです
。
作田:
本書では、「この星」という言葉が使われています。この星の中で、どのようにテクノ
ロジーが変化し、どのような流れが生じているのか。「この星」という視座で書かれた
ビジネス書は、日本にはあまり見受けられません。そうしたスケール感の大きい枠組み
で物事を考えている人とそうではない人との差は、今後開いていく気がしました。デジ
タルに興味がある人だけではなく、すべてのビジネスパーソンに読んでもらいたいです
。
松島:
翻訳書を手がける者として、日本語で書かれていることと、世界で起こっていることの
断絶には常々、危機感を覚えています。「人類が」「この星が」といった言葉が、すら
っと出てくるかこないかだけで、その人の見ている世界観がまったく違ってきてしまう
。作田さんのおっしゃるとおり、「この星」というスケールで書かれた日本語の書籍は
、あまりありません。テクノロジーによって世界の人々がどんどんつながり、地球はま
すます狭くなってきています。私が思うのは、仮に自動翻訳のような形で言語のシンギ
ュラリティが起こったときにこそ、実は一番の格差が生じてしまうのではないかという
こと。そうならないために、大きなパースペクティブで考える基礎体力を日本人はつけ
ておかなければならないと考えています。
宮崎:
インターネットやデジタルに関する本であると同時に、ある種の思想書でもあるという
ことですね。本書を読んで「潮の流れ」をつかむ力をつけることが重要だと思いました
。 本