2017年6月18日日曜日

石峰寺

京都・深草にひっそりと佇(たたず)む「石峰寺」は、江戸時代前期に明から渡来し、日本に黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた隠元(いんげん)の孫弟子に当たる千呆禅師(せんがいぜんじ)によって、宝永年間(1704〜1711)に創建された禅宗寺院である。
石峰寺は、由緒正しき禅寺として名高いだけでなく、1791(寛政3)年、75歳となっていた天才絵師・伊藤若冲がこの地に庵を結び、晩年の作画活動を行ったことでもよく知られている。
若冲に所縁(しょえん)の地は、錦小路や代表作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」を寄進したことで知られる相国寺など、京都にいくつか存在している。しかし、この寺が若冲ファンにとって特別な場所となっているのは、彼が下絵を描き、亡くなるまでの晩年を費やして石工たちに彫らせた、五百羅漢(ごひゃくらかん)の石像群が今も訪れる人々を待ち構えているかにほかならない。
本堂裏手の竹林に群立する五百羅漢の石像は、釈迦の誕生からはじまり、托鉢(たくはつ)、涅槃(ねはん)、賽(さい)の河原などの名場面を再現したものとなっており、そのどれもが表情や姿勢を異にしているのが興味深い。当初は1000体以上もあったという石像は、現在、530体余が残るのみだが、豊かな表情を見せる仔細(しさい)なつくり込みには、若冲の繊細な感性が垣間見えるようで必見である。
本堂の南には若冲の墓も現存し、命日に当たる9月10日には毎年、若冲忌の法要が営まれ、若冲作の掛け軸が一般に公開されている。

石峰寺

住所/京都市伏見区深草石峰寺山町26 地図
TEL/075-641-0792
拝観時間/9時~17時
(10月~2月は16時まで)
無休

2017年6月17日土曜日

柳川の民宿

柳川藩の城址を幾筋もの水路でいまだ護る、水辺の景色が美しい町、福岡県柳川。筑後川がたどり着く有明海に抱かれたこの土地でのお目当ては、日本一の干潟がもたらす独特な恵みです。
「今や希少となってしまった、有明海の干潟がもたらす独特な幸を食べていただきたいんです。柳川でしか食べられないものを味わっていただきたいという思いで、懸命にやっています」

そう話すのは、高度成長期の昭和40年代に、女性のための民宿からはじまった旅館「阿久根(あくね)」の女将、阿久根芳子さん。ご主人と長男の3人で、客室3つの旅館と食事処を切り盛りしています。
メカジャ、ワケノシンノス、ワラスボ、サブロゲ…。聞いただけではどんなものか想像がつかないこれらは、貝類やイソギンチャク、小さいけれど怪獣のような歯をもつ魚など、どれも干満差が最大6mという有明の干潟がもたらす珍味。ムツゴロウしかり、一見グロテスクに映るかもしれませんが、食べてみると実に美味なのです。粕漬けにしたり煮しめたり、焼いたり揚げたり酢でしめたり、もちろんお造りでもと、阿久根夫妻のもてなしには限りがありません。

修繕を重ねながら、ていねいに使われてきた痕跡が気持ちいい築200年の古民家の料理宿。重曹泉のお湯にゆっくり浸かれば、熟眠の夜が待っています。

晩餐は、はじめてづくしの珍味。翌朝のご飯がまた美味しいこと

ムツゴロウの煮びたし、ウナギのとろろ蒸し、ワケノシンノスの醤油煮。4種類の海藻でつくるところ天は、阿久根自慢の合わせ酢で。

柳川・阿久根のお湯ガイド

お風呂に使っているのは、地下水を沸かしたお湯。肌あたりがやわらかく湯冷めしにくい重曹泉(炭酸水素塩泉)で、皮膚疾患や火傷にいいとされる美肌の湯。ヒノキの香りがすがすがしいお風呂は、最近新しくしたばかり。

阿久根はここにあります!

西鉄天神大牟田線「西鉄柳川駅」より徒歩約8分(「西鉄福岡(天神)駅」から「西鉄柳川駅」まで約50分)

2017年6月13日火曜日

書について

白い紙に残る墨の濃淡はときに力強く、ときにたおやかに躍動しているかのような「書」。書いてあることや作者を気にすることなく、素直に向き合ってみると、日本の「書」はモノクロームの中に多彩な美が秘められていることに気がつきます。今回はそんな「書」の歴史を紐解いていきましょう。-2014年和樂5月号より-

日本の歴史は、書の歴史そのもの

今から3000年よりはるか昔、殷(いん)時代の中国で漢字の祖となつ甲骨(こうこつ)文字が生まれました。漢字はその後、篆書(てんしょ)、隷書(れいしょ)といった書体を経て、4世紀の東晋時代、書聖と呼ばれた王羲之(おうぎし)によって草書や行書が完成。さらに、7世紀の唐時代には王羲之にならって欧陽詢(おうようじゅん)が楷書を極めます。

王羲之『定武蘭亭序』(ていぶらんていじょ)
日本への漢字の伝来は弥生時代で、古墳から出土した銅貨の篆書文字(てんしょもじ)にその跡が認められますが、その後の飛鳥時代にもたらされた仏教の写経によって書は盛んに行われるようになります。

ですが、単に漢字を書くだけでなく、より美しい書体を追求するようになっていた中国の「書」が本格的にもたらされたのは奈良時代になってからのことです。

唐の新しい文化の吸収に夢中になっていたこの時代の書をリードしていたのは、みずから遣唐使として唐に渡った空海(くうかい)や橘逸勢(たちばなのはやなり)、そして空海のよき理解者であった嵯峨天皇。流行の先端を行く唐様を能(よ)くした3人の能書家は後に三筆(さんぴつ)と称されるようになりました。

空海『風信帖』(ふうしんじょう)
平安時代中期になると遣唐使は廃止され、中国文化を日本独自に発展させた国風文化が隆盛を迎えます。それまで漢字のみだった文章には、漢字を音で表す万葉仮名が用いられ、万葉仮名をより一層簡略化した平仮名や片仮名の文字がつくられます。これらの文章の誕生とともに宮廷を中心とした国風文化は最盛期を迎えるのです。以前の唐様に対して和様(わよう)と呼ばれたのがこの時代の書。その担い手が、三蹟(さんせき)と呼ばれる小野道風(おののみちかぜ)、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)、藤原行成(ふじわらのゆきなり)でした。
武士が支配する鎌倉時代になると、宋(そう)時代の中国で成立した禅宗が最新文化としてもてはやされます。書においても和様の対極をなす質実剛健な禅様である墨跡(ぼくせき)が好まれるようになり、武士の世であることが書にも表れるようになります。

仙厓『◯△□』(まるさんかくしかく)
江戸時代を迎えると、平穏な世を謳歌(おうか)する待ち人文化の隆盛とともに書は多様化。寺子屋では宸翰様を受け継ぐ御家流(おいれりゅう)が教えられるようになり、武家から庶民まで書が広がります。また、禅僧の墨跡や知識人が用いた唐様など、書は文化の爛熟(らんじゅく)とともにそれぞれに発展を見せたのです。

良寛『天地二大字』(てんちにだいじ)
そして明治時代に文明開化を迎えた日本は、西欧の文化を貧欲に取り入れます。そんな風潮の中で、書にも新たな息吹が生まれます。それは、これまで門戸を閉ざしていた中国との交流が自由になり、原点回帰によって生まれたもの。明治の書家は中国へ渡り、これまで目にすることができなかった篆書や隷書、王羲之などの古い書を改めて学び直し、後世に残る書法を編み出していきました。

榊莫山『女Ⅰ』
このようにして書は、日本の歴史と密接にかかわりながら、今日まで伝えられてきたのです。

石川九楊『般若心経』(はんにゃしんぎょう)

『書』特設美術館!

●空海『風信帖』
国宝 紙本墨書 平安時代 28.8×157.9㎝ 東寺(教王護国寺)蔵
●小野道風『継色紙』
重要文化財 紙本墨書 平安時代中期 右13.4×13.3㎝/左13.5×13.0㎝ 五島美術館蔵
●『平家納経 薬王菩薩本事品』
国宝 紙本着色 全33巻 平安時代後期 26.0×376.1㎝ 厳島神社蔵
●仙厓『◯△□』
紙本墨書 江戸時代 28.4×48.1㎝ 出光美術館蔵
●榊莫山『女Ⅰ』
紙本墨書 平成5年 41.0×54.3㎝ 三重県立美術館蔵
●石川九楊『般若心経』
紙本墨書 平成25年 48.0×63.0㎝

2017年6月12日月曜日

京都和菓子

優雅な姿と上品な味わいを生んだ京菓子には、京都の風物や歴史、文化が息づいています。洗練の道を一歩ずつ千年もの間歩み続けてきたからこそ、京都の老舗が手がける和菓子は最上の美を秘めているのです。

1,亀屋伊織 

1600年代初め 京都府・烏丸御池

茶会に出される干菓子のみをつくり続けて400年

表千家・裏千家・武者小路(むしゃこうじ)千家、三千家のお家元御用達。京の町を襲った度重なる大火で、亀屋伊織の歴史を示す古い記録はすべて焼失しましたが、口伝では、徳川3代将軍家光公に「木の葉(このは)」という菓子を献上したときに、御所百官名(ひゃっかんな)のひとつ「伊織」の名を賜ったとのこと。
 
主人の山田和市さんは「干菓子がうつわに勝つようではいけません」と言います。茶の湯の精神に叶うかどうか、ただそれ一点だけを肝に命じて〝相変わりませず〟の干菓子づくりに励んでいます。桐箪笥は100年以上前のもの(右)

亀屋伊織(かめやいおり)

住所/京都府京都市中京区二条通新町東入ル 地図
TEL/075-231-6473
営業時間/9時〜17時
定休日/日曜・祝日定休
備考/要予約・発送不可

2,末富

創業1893年 京都府・五条烏丸
タイマイ羹(左)、葛焼き(右)

伝統と革新によって茶人たちが絶大な信頼を寄せる

「末富のご主人に相談したら、なんとかしてくれる」。歴史の古い京都で、たくさんの茶人から最も頼りにされるのが、地下鉄五条駅近くに店を構える末富です。3代目主人の山口富蔵(とみぞう)さんは、NHKでの出演や各方面での講演などで、京菓子の広報活動にも努めてきました。それは山口さんの博識ぶりを見込んでの依頼です。研究熱心な山口さんは、若いころに和菓子の基本を徹底的に学び、それをベースに新しい京菓子の創作に取り組んできました。
「目の肥えた京都人は、奇をてらっただけの菓子には見向きもしない。古典の意匠もきちんと頭に叩き込んだ上で、品のある新しいデザインを提案しないといけません」と山口さん。末富は、老舗の「亀末廣(かめすえひろ)」で修業した初代が明治26(1893)年に暖簾(のれん)分けを許され、「亀屋末富」を創業。現在の当主の時代になって、創造的な茶の湯菓子を手がけるようになったといいます。写真左の「タイマイ羹(かん)」は、琥珀(こはく)と呼ばれる錦玉(きんぎょく)の寒天に大徳寺納豆(だいとくじなっとう)を散らしたもの。海亀の甲羅を模した美しさもさることながら、甘味と塩気のバランスが絶妙な逸品で、この美意識の高さには敬服せずにはいられません。
写真右は夏の定番「葛焼き(くずやき)」。シンプル極まるものだからこそ「本物の吉野葛の味わいをじっくり楽しんでほしいですね」とのこと。池田遙邨(ようそん)が描く大和絵の包装紙も抒情性に富んだ京都らしいもの。〝末富ブルー〟と呼ばれる澄んだ色彩感覚によって、包装紙からも末富に通底する美意識が伝わります。

末富(すえとみ)

住所/京都府京都市下京区松原通室町東入ル 地図
TEL/075-351-0808
営業時間/9時~17時
定休日/日曜・祝日

3,塩芳軒

創業1882年 京都府・西陣
笹のつゆ

厳選素材で丹精込めてつくられる雅の和菓子

古式ゆかしい長暖簾を掲げる塩芳軒は、とりわけ老舗の風格がただようお店。初代当主は高家由次郎(こうけよしじろう)。明治15(1882)年、菓祖・林浄因(りんじょういん)の流れを汲む塩路軒から別家(暖簾分け)し、創業したと伝えられています。林浄因は、初めて中国から日本に饅頭を紹介した人物。その後、明治29(1896)年に元聚楽第(じゅらくだい)の一角である西陣に移転し、大正初期ころに現在の場所に店を構えました。
 
塩芳軒の生菓子は、高雅な気品に加え、全体バランスのよさが特徴。茶人たちに批評され、淘汰されてきた意匠には、揺るぎない強さがあります。小さな形にほどよく四季の風情を詰め込む。その表現がいかにむずかしいことか。塩芳軒は時代ごとに伝統を見つめ直し、時代の風を取り入れながら、あらたなる和菓子づくりに取り組んでいるのです。その元になっているのは、お客様との対話。時代に流されず、顔の見える関係を大切にする老舗です。

塩芳軒(しおよしけん)

住所/京都府京都市上京区黒門通中立売上ル飛弾殿町180 地図
TEL/075-441-0803
営業時間/9時~17時30分
定休日/日曜・祝日・第3水曜

4,鍵善良房

創業1700年代前半 京都府・祇園
甘露竹

「くずきり」も有名。京都人が愛する祇園の名店

創業当時から祇園の花街(かがい)で、お茶屋や料亭、南座などの御用を賜ってきました。もとの屋号は「鍵屋良房(かぎやよしふさ)」。代々当主の名前に「善」の字が入っていたため「鍵屋の善さん」から「鍵善」と呼ばれるようになったそう。12代目主人が木工芸の人間国宝・黒田辰秋(くろだたつあき)と親しく、黒田が手がけた店の内装や大飾棚も有名です。写真の甘露竹(かんろたけ)は季節限定の水羊羹。瑞々しい青竹は夏の手土産にも最適です。

鍵善良房(かぎぜんよしふさ)

住所/京都府京都市東山区祇園町北側264四条本店 地図
TEL/075-561-1818
営業時間/9時~18時(喫茶9時30分〜17時45分L.O)
定休日/月曜

5,川端道喜

創業1503年 京都府・北山
川端道喜の水仙粽・羊羹粽 吉野葛をねり、笹の葉で包んで井草で手巻きした粽2種。要予約。

朝廷への献上菓子をつくった名門

応仁の乱以後、京都が戦乱で荒れ果てていた時代。財政難に苦しんだ朝廷に毎朝、塩餡で包んだ餅を献上したという道喜。東京遷都までの約350年間、ずっと続けられていたそうです。創業当時からの名物が「御粽司(おんちまきつかさ)」を代表する水仙粽と羊羹粽。京都御所には今も専用の道喜門が残されていて、宮中とのゆかりが深い道喜は、老舗の中でも特別な存在です。

川端道喜(かわばたどうき)

住所/京都府京都市左京区下鴨南野々神町2-12 地図
TEL/075-781-8117
営業時間/9時30分~17時30分
定休日/水曜

6,亀末廣

創業1804年 京都府・烏丸御池
亀末廣の乞巧奠・星のたむけ 6月末までに予約。7月6日、7日(年により変動)に受け取る。7種類杉盆入り

200年変わらぬ格式ある菓子舗

初代は伏見醍醐(ふしみだいご)の釜師だったという亀屋源助(げんすけ)。こちらも御所や二条城にも菓子を納めた老舗のひとつで、特別注文の菓子は、そのたびごとに新しい木型がつくられたとか。1回だけ使って用済みとなった干菓子の木型を集めて額に仕立てたという亀末廣の看板は、格式と伝統を表しています。左ページの「星のたむけ」は、宮中の乞巧奠(きっこうでん)の供饌(ぐせん)をヒントに意匠化された、七夕限定の美しい和菓子です。

亀末廣(かめすえひろ)

住所/京都府京都市中京区姉小路車屋町東入ル車屋町251 地図
TEL/075-221-5110
営業時間/8時30分~18時
定休日/日曜・祝日

7,柏屋光貞

創業1806年 京都府・東山安井
柏屋光貞の行者餅 宵山の1日だけ販売。7月1日〜10日予約。7月16日に受け取る。3個入り

年に一度、祇園祭宵山だけの「行者餅」

祇園祭宵山(7月16日)の一日限り「行者餅」(ぎょうじゃもち)を売り出す柏屋光貞。京都に疫病が流行っていた文化3(1806)年、聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)の山伏として大峰山(おおみねさん)で修行中だった柏屋の祖先4代目利兵衛(りへえ)が、夢のお告げによって、山鉾(やまほこ)に献じたという無病息災を願う霊菓。祭礼と暮らしが密接に関わる京都ならではの行事菓子です。節分にだけ売り出される「法螺貝餅(ほらがいもち)」も厄除けの菓子。

柏屋光貞(かしわやみつさだ)

住所/京都府京都市東山区東大路松原上ル4丁目毘沙門町33-2 地図
TEL/075-561-2263
営業時間/10時~188時
定休日/日曜・祝日

8,本家玉壽軒

創業1865年 京都府・西陣
本家玉壽軒の紫野 和三盆を使った落雁で、甘味と大徳寺納豆の両方の風味が楽しめる。1箱15個入り

京菓子文化を育てた寺院の御用達

京都の菓子舗はまた、寺社とともに伝統を守ってきました。本家玉壽軒は、その昔、井筒屋嘉兵衛(かへえ)という名で呉服屋のかたわら和菓子を手がけてきましたが、明治ごろに菓子に専念。屋号は妙心寺(みょうしんじ)の初代管長が名付けたそう。創業当時からの妙心寺や大徳寺をはじめ、現在は南禅寺(なんぜんじ)、龍安寺(りょうあんじ)、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)など、格調高い菓子づくりで多数の御用を務めています。

本家玉壽軒(ほんけたまじゅけん)

住所/京都府京都市上京区今出川通大宮東入ル元伊佐町262 地図
TEL/075-441-0319
営業時間/8時30分~17時
定休日/日曜・水曜

9,鶴屋吉信

創業1803年 京都府・西陣
鶴屋吉信の御所氷室 この美しい涼菓は、5月〜8月末ごろまでの限定販売。28枚杉盆入り

京都所司代(しょしだい)に認可された「上菓子屋」

初代鶴屋伊兵衛により創業。京都所司代に認可された「上菓子屋仲間」に所属する菓子司として、御所や宮家、茶道家元、寺社の御用達として人気を博してきました。吉信の吉は「吉兆」、信は「信用」を意味し、菓子づくりにおける理念を表現。「御所氷室(ごしょひむろ)」は氷を模した純白のすり琥珀に、丹波大納言小豆(たんばだいなごんあずき)を散らした、気品あふれる干菓子。本店とウェブショップのみの扱いです。

鶴屋吉信(つるやよしのぶ)

住所/京都府京都市上京区今出川通堀川西入ル京都本店 地図
TEL/075-441-0105
営業時間/9時~18時(喫茶17時300分L.O)
定休日/無休

能歌舞伎文楽

「私たちが現在観ることのできる能の様式は、江戸時代にはほぼ完成されていました。そのころにようやく文楽や歌舞伎が生まれたと考えていいでしょう」と歌舞伎を中心に日本の近世・近代の芸能を研究する矢内賢二さん。一般的には、歌舞伎の俗っぽさは格式ある能への反発から生まれた、という見方もありますが?「その考えは正しくないですね。むしろ初期の歌舞伎は狂言の演目を取り込んでやっていたぐらいで、能楽に大きく影響されていました。能楽の“いいとこ取り”をしながら歌舞伎は発展してきたと考えたほうがいい。文楽の母胎である浄瑠璃も、最近の研究では、竹本義太夫よりひとつ前の世代の語り手は謡曲を手本にしていたとの見方があります。つまるところ、江戸期まで日本で確立された舞台芸能はほとんど能楽しかなかったわけですから」
文楽、歌舞伎は後発組ならではの強みで、大衆に受けるために貪欲に演目や舞台装置を考案。江戸期に熱狂的な隆盛を迎えたこともあり、今では広く知られる存在に。「能は創成された当時から、ずっと時の権力者の保護を受けていたことも、ほかのふたつの芸能の発展の仕方と大きく異なるところです。興行を成り立たせるために、大衆の意見を取り入れるといった必要性が能にはなかった。能においてのみ一貫して、確立された様式が今日まで続いているのはそんな背景もあるのです」-2014年和樂6月号より-
写真提供/(左)平成中村座ニューヨーク公演実行委員会(右)小田原文化財団

能

奈良時代、大陸から伝来した民間芸能「散楽」がルーツ

●確立された年/1300年代半ばごろ
●確立された地/奈良
●大成者/観阿弥
●演者の基本構成/役は主役のシテ、シテの相手方のワキに大きく分かれ、そこに演奏担当の囃子方が加わる。演目により狂言方が入ることも。合唱の地謡、舞台進行を助ける後見も含め舞台上にいる人物は全員が能の演者。
●現在の状況/シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方すべて分業の世襲制。さまざまな役を担うシテ方が圧倒的に人数が多く、観世・宝生・金春・金剛・喜多の五流派がある。

文楽

「語り物」の浄瑠璃と人形芝居が江戸期に一体化

●確立された年/貞享元(1684)年
●確立された地/大坂
●大成者/竹本義太夫
●演者の基本構成/「語り」を担当する太夫と三味線で演じられる浄瑠璃。この演奏に合わせて人形遣いが人形を操り人形浄瑠璃に。19世紀に活躍した興行師・植村文楽軒の名にちなみ、文楽が人形浄瑠璃の代名詞となる。
●現在の状況/太夫・三味線・人形それぞれに江戸期から続く家系はあるが、厳密な世襲制はない。現在、国立文楽劇場研修生の卒業生の多くが文楽の技芸員として活躍。

歌舞伎

阿国のかぶき踊りを経て個人の役者が芸を確立

●確立された年/元禄年間(1688~1704年)前後
●確立された地/上方・江戸
●大成者/坂田藤十郎、市川團十郎など
●演者の基本構成/大きく分けると成人男性「立役」と男性が女性を演じる「女形」の二役。物語により敵役や若衆方などさまざまな役柄に分かれて演じられる。演じ分けに歌舞伎独自の化粧が効果を発揮。
●現在の状況/上方の坂田藤十郎、江戸の初代市川團十郎など歌舞伎創始期から続く役者名を名跡と呼ぶ。名跡を襲名することで芸を継ぐ形式が今日まで続く。

解説/矢内賢二

(やないけんじ)
日本芸術文化振興会(国立劇場)勤務、京都造形芸術大学講師・准教授を経て現職に。著書に『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』などがある。

2017年6月11日日曜日

ホタル狩り

どんより曇った梅雨の夜、甘い水を求めて草から草へと飛び回る蛍たち。その幻想的な光景を楽しむのが「蛍狩り」です。「狩る」といってもホタルを捕まえることではありません。「狩る」という言葉には、動物を捕まえるという意味のほかに、「紅葉狩り」などと同じく季節の風物を楽しむ、鑑賞するという意味があります。


■蛍はなぜ光るの?
 蛍.pngのサムネイル画像
ホタルの成虫は、腹部後方に発光器があり、発光物質が光ることで光が発生します。
この光は、蛍のラブコール。オスは光を発しながら飛び回り、メスは草や木の葉の上で弱く光ります。お互いを見つけて両方が強く光れば婚約成立です。
実は、蛍の成虫期間は約1~2週間。この間、エサを食べずに夜露だけで過ごしてパートナーを探します。そして、繁殖が終わると死んでしまいます。
また、蛍でも発光しない種類もあります。


■日本の蛍
日本には40種類以上の蛍がいるといわれますが、代表的な蛍はこの3種類です。

・源氏蛍(ゲンジボタル)
pixta源氏蛍.jpg
5月下旬~6月下旬頃成虫になります。体長12~18mm。本州、九州、四国に棲息。
約2~4秒間、黄色に大きく光ります。

・姫蛍(ヒメホタル)
pixta姫蛍.jpg
5月下旬~7月下旬頃成虫になります。体長6~9mm。青森から九州に棲息。
桃色に一瞬光ります。

・平家蛍(ヘイケボタル)
pixta平家蛍.jpg
6月下旬~8月に成虫になります。体長7~10mm。北海道から九州にかけて棲息。
黄色に光ります。


■「蛍狩り」を楽しむには

★ホタルが好むのはこんな場所
きれいで流れがゆるやかな川や水田などの水際の草むら。
水温は15~20度くらい。
エサになるカワニナがいるところ。

★ホタルが好むのはこんな天気
気温は20℃以上で生暖かく、曇って風のない夜。どんより曇った梅雨の夜は蛍狩りに最適です。雨が降っていたり、風邪が強い日や冷え込む日は、蛍はあまり飛びません。

★ホタルが飛び回る時間
日没1~2時間後がピーク。夜の7時半位から9時頃までがおすすめのタイミングです。

★「蛍狩り」のマナー
蛍はとてもデリケートないきものなので、脅かすと、次の年には来なくなってしまうかもしれません。「蛍狩り」のマナーを守って楽しみましょう。
① 蛍は捕らない、殺さない。
② ゴミは持ち帰る。川も汚さない。
③ 草むらには立ち入らない。
③ 偽物の光を点滅させない。カメラのフラッシュもダメ。
さらに、夜道が危ない場合もあるので注意しましょう。
小さい子どもがいる場合は、野生の蛍ではなく、設備の整った蛍園で鑑賞すると安心です。


■蛍の名所
環境の変化により一時激減した蛍ですが、蛍の飛ぶ清流を取り戻そうという動きが、各地で起こっています。行政などの保護により、再び蛍の姿が復活しつつあります。
「蛍狩り」の時期は地域によってさまざまですので、あらかじめ調べてから出かけてみてはいかがでしょう。

・宮城県登米市東和町 鱒渕川(ますぶちがわ)
数万匹の源氏蛍が国の天然記念物に指定されています。
・長野県辰野町 松尾峡(まつおきょう)
明治時代から蛍の名所として有名。町ぐるみで保護しています。
・東京都世田谷区 岡本民家園
農家の生活を再現した民家園の中に蛍園があります。
・滋賀県山東町 天野川
町内全域で見られる。発光の大きな源氏蛍で、国の天然記念物に指定されています。
・京都府京都市
「哲学の道」をはじめ、名所が点在しています。