日本の美しい四季を和菓子で表現してくれる京都の老舗和菓子屋
優雅な姿と上品な味わいを生んだ京菓子には、京都の風物や歴史、文化が息づいています。洗練の道を一歩ずつ千年もの間歩み続けてきたからこそ、京都の老舗が手がける和菓子は最上の美を秘めているのです。
1 亀屋伊織
1600年代初め 京都府・烏丸御池
茶会に出される干菓子のみをつくり続けて400年
表千家・裏千家・武者小路(むしゃこうじ)千家、三千家のお家元御用達。京の町を襲った度重なる大火で、亀屋伊織の歴史を示す古い記録はすべて焼失しましたが、口伝では、徳川3代将軍家光公に「木の葉(このは)」という菓子を献上したときに、御所百官名(ひゃっかんな)のひとつ「伊織」の名を賜ったとのこと。
主人の山田和市さんは「干菓子がうつわに勝つようではいけません」と言います。茶の湯の精神に叶うかどうか、ただそれ一点だけを肝に命じて相変わりませずの干菓子づくりに励んでいます。桐箪笥は100年以上前のもの(右)
主人の山田和市さんは「干菓子がうつわに勝つようではいけません」と言います。茶の湯の精神に叶うかどうか、ただそれ一点だけを肝に命じて相変わりませずの干菓子づくりに励んでいます。桐箪笥は100年以上前のもの(右)
亀屋伊織(かめやいおり)
2 末富
創業1893年 京都府・五条烏丸
タイマイ羹(左)、葛焼き(右)
タイマイ羹(左)、葛焼き(右)
伝統と革新によって茶人たちが絶大な信頼を寄せる
「末富のご主人に相談したら、なんとかしてくれる」。歴史の古い京都で、たくさんの茶人から最も頼りにされるのが、地下鉄五条駅近くに店を構える末富です。3代目主人の山口富蔵(とみぞう)さんは、NHKでの出演や各方面での講演などで、京菓子の広報活動にも努めてきました。それは山口さんの博識ぶりを見込んでの依頼です。研究熱心な山口さんは、若いころに和菓子の基本を徹底的に学び、それをベースに新しい京菓子の創作に取り組んできました。
「目の肥えた京都人は、奇をてらっただけの菓子には見向きもしない。古典の意匠もきちんと頭に叩き込んだ上で、品のある新しいデザインを提案しないといけません」と山口さん。末富は、老舗の「亀末廣(かめすえひろ)」で修業した初代が明治26(1893)年に暖簾分けを許され、「亀屋末富」を創業。現在の当主の時代になって、創造的な茶の湯菓子を手がけるようになったといいます。写真左の「タイマイ羹(かん)」は、琥珀と呼ばれる錦玉(きんぎょく)の寒天に大徳寺納豆(だいとくじなっとう)を散らしたもの。海亀の甲羅を模した美しさもさることながら、甘味と塩気のバランスが絶妙な逸品で、この美意識の高さには敬服せずにはいられません。
写真右は夏の定番「葛焼き(くずやき)」。シンプル極まるものだからこそ「本物の吉野葛の味わいをじっくり楽しんでほしいですね」とのこと。池田遙邨(ようそん)が描く大和絵の包装紙も抒情性に富んだ京都らしいもの。末富ブルーと呼ばれる澄んだ色彩感覚によって、包装紙からも末富に通底する美意識が伝わります。
3 塩芳軒
創業1882年 京都府・西陣
笹のつゆ
笹のつゆ
厳選素材で丹精込めてつくられる雅の和菓子
古式ゆかしい長暖簾を掲げる塩芳軒は、とりわけ老舗の風格がただようお店。初代当主は高家由次郎(こうけよしじろう)。明治15(1882)年、菓祖・林浄因(りんじょういん)の流れを汲む塩路軒から別家(暖簾分け)し、創業したと伝えられています。林浄因は、初めて中国から日本に饅頭を紹介した人物。その後、明治29(1896)年に元聚楽第(じゅらくだい)の一角である西陣に移転し、大正初期ころに現在の場所に店を構えました。
塩芳軒の生菓子は、高雅な気品に加え、全体バランスのよさが特徴。茶人たちに批評され、淘汰されてきた意匠には、揺るぎない強さがあります。小さな形にほどよく四季の風情を詰め込む。その表現がいかにむずかしいことか。塩芳軒は時代ごとに伝統を見つめ直し、時代の風を取り入れながら、あらたなる和菓子づくりに取り組んでいるのです。その元になっているのは、お客様との対話。時代に流されず、顔の見える関係を大切にする老舗です。
塩芳軒の生菓子は、高雅な気品に加え、全体バランスのよさが特徴。茶人たちに批評され、淘汰されてきた意匠には、揺るぎない強さがあります。小さな形にほどよく四季の風情を詰め込む。その表現がいかにむずかしいことか。塩芳軒は時代ごとに伝統を見つめ直し、時代の風を取り入れながら、あらたなる和菓子づくりに取り組んでいるのです。その元になっているのは、お客様との対話。時代に流されず、顔の見える関係を大切にする老舗です。
4 鍵善良房
創業1700年代前半 京都府・祇園
甘露竹
甘露竹
「くずきり」も有名。京都人が愛する祇園の名店
創業当時から祇園の花街(かがい)で、お茶屋や料亭、南座などの御用を賜ってきました。もとの屋号は「鍵屋良房(かぎやよしふさ)」。代々当主の名前に「善」の字が入っていたため「鍵屋の善さん」から「鍵善」と呼ばれるようになったそう。12代目主人が木工芸の人間国宝・黒田辰秋(くろだたつあき)と親しく、黒田が手がけた店の内装や大飾棚も有名です。写真の甘露竹(かんろたけ)は季節限定の水羊羹。瑞々しい青竹は夏の手土産にも最適です。
5 川端道喜
創業1503年 京都府・北山
川端道喜の水仙粽・羊羹粽 吉野葛をねり、笹の葉で包んで井草で手巻きした粽2種。要予約。
川端道喜の水仙粽・羊羹粽 吉野葛をねり、笹の葉で包んで井草で手巻きした粽2種。要予約。
朝廷への献上菓子をつくった名門
応仁の乱以後、京都が戦乱で荒れ果てていた時代。財政難に苦しんだ朝廷に毎朝、塩餡で包んだ餅を献上したという道喜。東京遷都までの約350年間、ずっと続けられていたそうです。創業当時からの名物が「御粽司(おんちまきつかさ)」を代表する水仙粽と羊羹粽。京都御所には今も専用の道喜門が残されていて、宮中とのゆかりが深い道喜は、老舗の中でも特別な存在です。
川端道喜(かわばたどうき)
6 亀末廣
創業1804年 京都府・烏丸御池
亀末廣の乞巧奠・星のたむけ 6月末までに予約。7月6日、7日(年により変動)に受け取る。7種類杉盆入り
亀末廣の乞巧奠・星のたむけ 6月末までに予約。7月6日、7日(年により変動)に受け取る。7種類杉盆入り
200年変わらぬ格式ある菓子舗
初代は伏見醍醐(ふしみだいご)の釜師だったという亀屋源助(げんすけ)。こちらも御所や二条城にも菓子を納めた老舗のひとつで、特別注文の菓子は、そのたびごとに新しい木型がつくられたとか。1回だけ使って用済みとなった干菓子の木型を集めて額に仕立てたという亀末廣の看板は、格式と伝統を表しています。左ページの「星のたむけ」は、宮中の乞巧奠(きっこうでん)の供饌(ぐせん)をヒントに意匠化された、七夕限定の美しい和菓子です。
亀末廣(かめすえひろ)
7 柏屋光貞
創業1806年 京都府・東山安井
柏屋光貞の行者餅 宵山の1日だけ販売。7月1日〜10日予約。7月16日に受け取る。3個入り
柏屋光貞の行者餅 宵山の1日だけ販売。7月1日〜10日予約。7月16日に受け取る。3個入り
年に一度、祇園祭宵山だけの「行者餅」
祇園祭宵山(7月16日)の一日限り「行者餅」(ぎょうじゃもち)を売り出す柏屋光貞。京都に疫病が流行っていた文化3(1806)年、聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)の山伏として大峰山(おおみねさん)で修行中だった柏屋の祖先4代目利兵衛(りへえ)が、夢のお告げによって、山鉾(やまほこ)に献じたという無病息災を願う霊菓。祭礼と暮らしが密接に関わる京都ならではの行事菓子です。節分にだけ売り出される「法螺貝餅(ほらがいもち)」も厄除けの菓子。
柏屋光貞(かしわやみつさだ)
8 本家玉壽軒
創業1865年 京都府・西陣
本家玉壽軒の紫野 和三盆を使った落雁で、甘味と大徳寺納豆の両方の風味が楽しめる。1箱15個入り
本家玉壽軒の紫野 和三盆を使った落雁で、甘味と大徳寺納豆の両方の風味が楽しめる。1箱15個入り
京菓子文化を育てた寺院の御用達
京都の菓子舗はまた、寺社とともに伝統を守ってきました。本家玉壽軒は、その昔、井筒屋嘉兵衛(かへえ)という名で呉服屋のかたわら和菓子を手がけてきましたが、明治ごろに菓子に専念。屋号は妙心寺(みょうしんじ)の初代管長が名付けたそう。創業当時からの妙心寺や大徳寺をはじめ、現在は南禅寺(なんぜんじ)、龍安寺(りょうあんじ)、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)など、格調高い菓子づくりで多数の御用を務めています。
9 鶴屋吉信
創業1803年 京都府・西陣
鶴屋吉信の御所氷室 この美しい涼菓は、5月〜8月末ごろまでの限定販売。28枚杉盆入り
鶴屋吉信の御所氷室 この美しい涼菓は、5月〜8月末ごろまでの限定販売。28枚杉盆入り
京都所司代(しょしだい)に認可された「上菓子屋」
初代鶴屋伊兵衛により創業。京都所司代に認可された「上菓子屋仲間」に所属する菓子司として、御所や宮家、茶道家元、寺社の御用達として人気を博してきました。吉信の吉は「吉兆」、信は「信用」を意味し、菓子づくりにおける理念を表現。「御所氷室(ごしょひむろ)」は氷を模した純白のすり琥珀に、丹波大納言小豆(たんばだいなごんあずき)を散らした、気品あふれる干菓子。本店とウェブショップのみの扱いです。
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