2016年3月28日月曜日

情報化社会での個人の在り方

インターネットの拡大により個人、団体、企業との関わりは大きく変わってきた。
特に消費社会での様々な評価サイトや個人レベルでの評価の重み、など日本でも
10年ほど前から顕著になっている。facebookや幾つかのコミュニティサイトが
社会の基盤のかなりの部分を占め、個人と企業とのつながりもインターネット上での
膨大なデータから更に強まっている。2005年ぐらいから拡大始めた「人を中心
とするインターネット」は人がインターネット上で様々な活動を行う事が主であった。
人の表現力やコミュニケーション力を充実させる事は一定の収束に向い、今は
「データ」と「モノ」がソーシャルネットの上でつながり、IoTと呼ばれるが、
現在の人が中心のネットと合わせて混在し、よりつながりの深まった世界と
なっている。

そのような複雑高度につながった状況でも、重要な動きの1つがマッシブと言う概念
と言われている。膨大な数の人々が同時にリアルでコミュニケーションし、そのために
最適なインターフェイスを提供する事がよりネット世界での満足度をあげるポイント
となっていく。マッシブは、「膨大な数の個体が凝縮した群体」であり、従来の
均一的なマスとは大きく異なり、個体と群体の間にも様々なつながりが出来る。
それは、スマホの拡大普及によって従来の交換体形とは異なる経済の体形が可能
となるとともに、個人の行動変化も 受け身ではなく、能動的、多面的に情報を
集めて理解し、行動することが必要となるはずである。

・少し前の日経BPのレポートでもIT技術を上手く活用すれば、違う広がりもある
はずとの指摘をしている。
1)人のつながりの拡大
働き方の改革に関して日本で主に議論されるのは人の流動化だが、1人が一組織に
長期間所属する「正社員」があるべき姿で、その機会を全員に与えようとすると
なかなか解を見出せない。長期間雇用されるかわりに様々な仕事をする正社員と
パートタイマーやアルバイト以外にも、色々な働き方がある。企業に所属するが、
仕事の内容、労働時間、勤務場所などについて取り決めてから働くやり方もあれば、
専門能力や人脈を活かした「1人企業」(個人事業主)として働く道もある。
1人が一組織だけではなく、複数の企業やチームあるいはNPO(非営利組織)
に参加して仕事をする「双職」もある。
個人と仕事のつながりは今後増えていくと予想される。

日本の「個人と仕事のつながりの総数」を推定したところ、現在の「7181万」
が5年後にほぼ2倍、「1億2700万」に増える結果になった。日本の就業者数
6246万人を上回っているのは、すでに複数の働く場を持っている人がいるためだ。
つながりの総数は次のように算出した。調査回答者に「今、働く場をいくつか
持っているか「5年の間に、いくつにしたいか」を聞き、各世代ごとに働く場の
数の平均値を求めた。各平均値を世代別の人口に乗じて、世代別のつながり数とし、
これらの合計を総数とした。
つながりの増加は日本経済を活性化する。企業や組織は新たにつながる人の知見を
活用し、組織間の壁を越えて新しい取り組み(イノベーション)を始められる。
さらに組織につながっていなかった女性やベテラン(高齢者)は働きたい時に
その力を発揮できるようになる。

2)ICT活用手段としてのクラウド利用が増える? 
個人と仕事のつながりが増えるにあたっては、情報通信技術(ICT)が貢献する。
モバイル機器さえあれば、インターネットにつなぐだけで仕事に役立つサービスを
利用できる環境がすでに整っている。
チームで取り組んでいる仕事の進捗や成果物の状況をメンバー同士が把握できる
ようにするサービスや、販売管理や顧客管理といった業務処理サービスを提供する
クラウドが用意されている。
仕事を支えるクラウドの認知や利用率はまだ低いが、使いたいという意欲はあり、
クラウド利用はこれからが本番と言える。
クラウドの利点は事前に用意されたサービスをすぐ使えること。必要なサービスがなけ
れば自分で開発し、それを新たなクラウドにして他者に提供し、職場を増やす「贈職」
もできる。
サービスを実現しているのはアプリケーション・ソフト(アプリ)である。「クラウド
を使ってアプリを開発してみたいと思うか」という質問に対し、「すでに試みている」
(1・1%)、「ぜひやってみたい」(6・5%)、「どちらかというとやって
みたい」(26%)という回答があり、合計すると3分の1が前向きであった。

・この進歩の加速度的な速さに圧倒されるだけでは、何も解決にならない。自身の立ち
位置を再度キチンと見ることも要請されている。情報化、インターネットの拡大は余り
自分に関係ないと思っている方もまだまだ少なくない。
しかし、エリック・ブリニョルフソン氏共著の「機械との競争」はそうではないことを
示している。米国のデータとそこからの視点ではあるが、日本でもすでに起きている
ことと思って欲しい。

「機械との競争」より
「なぜ米国ではそんなにたくさんの人が職を失っているのか。そしてなぜ所得
の中間値が1997年よりも低くなったのか」という問いから始まった。
イノベーションが進み生産性が向上したのに、なぜ賃金は低く、雇用は
少なくなったのか?
「デジタル技術の加速」のためである。それは生産性の向上をもたらしたが、
ついていけない人々を振り落としてしまった。ある人たちは多くのものを得て、
別の人たちは少ないものしか得られずに終わる。それが過去15年に起きたこと。
国全体の富は増えたが、多くの人にとって分け前は減った。残りは上位1%が
取っていったから。
考えなくてはならないのは、技術は常に雇用を破壊するということ。
そして常に雇用を創出する。問題はそのバランスであるが、その後、技術
による雇用破壊は雇用創出より速く進んだ。それがこの10年の現象という。
かつては生産性の伸びと同じように雇用も伸びてきたが、97年頃から
雇用が置いていかれるようになった。

その主因は、「デジタル技術の加速」にある。
デジタル技術には3つの側面がある。
①指数関数的に発展するということ。人類の歴史に登場したどんな技術よりも
速く進化します。蒸気機関よりも電気よりも速い。ご存じの「ムーアの法則」
では、コンピューターの性能は18カ月で2倍になります。それは指数関数的な
スピード。人々はそれに追いついていけなくなっている。
②デジタル技術は以前の技術よりも、より多くの人に影響を与えるということ。
今日、コンピューターの発展は、ほとんどの働き手に影響を与える。米国では
全労働者の業務のうち約65%が(コンピューターを使った)情報処理に関わるもの。
事務職、マネジャー、あるいは学校の先生、ジャーナリストやライターなど、
幅広い仕事がそれに含まれる。過去よりも多くの人が影響を受ける。
③ひとたび何かが発明されると、ほとんどコストなしでコピーができる。
そしてそのコピーを即座に世界のどこへでも送り、何百万人という人が同じもの
を手にすることができる。高いお金をかけて工場を建設しなければならない製造業
などとは全然違う。過去200年とは全く異なる影響を雇用にもたらす。

雇用は中国に移ったのではない。ロボットに移った
製造業は米国では縮小してきました。それはまた別の重要な論点を生む。製造業
における米国の雇用縮小の背景として、生産拠点の海外移転や中国の台頭が
挙げられてきた。
しかし、調査の結果、分かったのは、中国では製造業で働く人が97年に比べ
2000万人以上少なくなっているということ。雇用が米国から中国に移った
のではない。米国と中国からロボットに雇用が移ったというのが正しい。
「デジタル革命」や「機械との競争」は、生産の海外移転よりももっと重要
な論点のはず。
テクノロジーと経済は非常に速く変化している。もし我々が何もしなければ、
危機に陥り、多くの人が仕事を失うことになる。しかし、うまく対応できたら、
つまり技術の利点を取り入れることができたら、すべての人にとってチャンス
を生み出せる。
日本の雇用状況や経済状況を見る上においても、示唆のあるデータや
コメントがある。

・これからは今まで以上に個人の意識アップが求められる。
先ずは、自身の受身的な対応から一歩先に進むこと、情報の意図を読み説き、疑問を
持つ能力が必要となってくる。
情報には、環境管理型権力という人を無意識のうちに動かしていく力がある。
身近な例で言うと、人の動かし方のことであり、一方的に命令するのではなく、
なんとなく誘導していき、本人は楽しく生きているつもりでも、実はある目的を持った
力によって巧妙に操作・支配されている社会のこと。すなわち、社会を生きる人間に
どれほどの主体性、自分でものごとを決定する力があるのだろうか、ということを
考えるきっかけであり、情報技術はこのような力がとても強いということを深く考える
ことでもある。インターネットに接続して何かをしている時には、常に何らかの
意図的な力を受けていると考えてもいい。何気なく電車やヒマな時間に眺めている
SNSのタイムラインやニュースメディアのヘッドラインにどのような種類の情報
が流れてくるのかは目に見えないアルゴリズムが決めているし、画面内での情報
提示の仕方などのユーザー体験のデザインによっても、次にどのような情報を見よう
とするかということに働きかけることができる。
さらに、今後はIOT技術などによって、現実空間もアルゴリズムと常時接続して
いき、日常生活全てが問題そのものになっていく。
発信者の情報を表面的に肯定したり否定するばかりではなく、その背景の意図をきちん
と読みとる能力、疑問を持つ能力、批評精神が弱まれば、単純な考え方や応答の仕方
しかできなくなってしまう。個人的には疑問を持つこと、新しい問いを生むことが
このような事態に対して対応できることになる。
スマホのアプリやサービスを電話のような使い方をしているのをよく見かけるが、
そこには人間としての主体的な行動が余りかんじられない。単に来た情報を消費して
いるだけであり、受身の行動が目立つ。

「クラウド化する世界」で著者のニコラス・カー氏は、「インターネットは、情報収集
からコミュ二ティ作りに至るまで、あらゆることを簡単な処理に変えて、大抵の事は、
リンクをクリックするだけで表明出来る様になった。そうした処理は、1個1個は
単純でも、全体としては、極めて複雑だ。我々は、1日に何百何千回というクリックを
意図的に、あるいは衝動的に行っているが、そのクリックの度に自分自身の
アイデンティティや影響力を形成し、コミュ二ティを構築しているのだ。
我々がオンラインでより多くの時間を過ごし、より多くのことを実行するにつれて、
そのクリックの複合が、経済、文化、及び社会を形作ることになるだろう。」
と述べている。
ぜひ、彼の言う「自分自身のアイデンティティや影響力を形成し、コミュ二ティを
構築しているのだ。」になって欲しいものだ。

柳田國男にとっての旅

柳田國男にとっての旅

しかし、柳田にとって旅とは、一体何であったのだろう。柳田は「旅は本を読むのと同
じである」(『青年と学問』)といっている。
旅はその土地のことばや考え、心持ちなどを知ることであり、文字以外の記録から
過去を知ることであるともいっている。『青年と学問』におさめられた講演のなかで
柳田は、人の文章(文字)や語り(無文字)から真に必要なものを読み取る能力
を鍛えろと、青年たちに訴えている。人の一生はしれ
ている。その限りある時間を有益に使えといっている。ただ、がむしゃらに本を読んで
も、旅をしても、志が低く、選択を誤れば、無益になってしまうといっている。 

柳田は見ること、聞くこと、読むことを同一線上でとらえているのである。
それらを媒介しているのはことばであろう。ことばを媒介としてあらゆる事象を
読み取ろうとする。本を読むように風景を見、人と語る。

実際、各地の地名や方言にも若い頃から特別な関心を示していた。柳田にとって
見ること、聞くことは、読むことなのだ。そして学問のためにも、それらを
ことばに置き換え、文字に表現することに、柳田は非常な執着を持っていた。
日本人自らが自分自身を知るという、最終的に自己を対象化できるのは、
ことば以外にあり得ないと考えていた。
だからこそ、旅は本を読むのと同じであるといったのであろう。 

膨大な柳田の読書暦や旅行暦は、恐らく少年時代の読書体験、それに移住を
余儀なくされた漂白体験から培われている。文字と無文字の両方に価値を
おき、そこから得た発見、衝撃を、柳田は人一倍強い感受性で受け止めている。
私はその感受性の根に、無名の人々の哀しさを見つめる柳田の目を感じる
のである。その哀しさへの共感が、柳田の内部から抑えがたい渇望と
なって発酵していったのであろう。 

哀しさへの共感といっても、実は旅そのものが柳田のいうように「憂いもの
辛いもの」であった。「タビという日本語はあるいはタマワルと語源が
一つで、人の給与をあてにしてあるく点が、物貰いなどと一つであったの
ではないかと思われる。……すなわち旅はういものつらいものであった」
(定本第二十五巻「青年と学問」110頁)。
 漂白と定住、逃散と定着、村を追い出される者、出ていく者、あるいは
諸国を歩く遊行僧、旅芸人、木地師など、移動を余儀なくされる者の
心持が、すなわち「タビ」であったという。

旅の語源は「賜ぶ」「給べ」といわれる。「他火」もそうだろうか。
移動する者にとって、食う物が無くなった時、他人の火(「他火」)で
作られた食べ物を、物乞い(「給べ」)しなければならなかった。
他人の家の火を借りて一夜をしのぎ、食い物を恵んでもらうことで、
生をつないでいたのである。ここから、また「食べる」も派生しただろ
う。時代によっては餓死、野垂れ死が、日常茶飯事の情景であった
かもしれない。「タビータマワル」なしには生きることの困難な状況
があったことは疑いない。

「タビ」は、すなわち生きることと直結していたのである。
 移動者ばかりでなく、ある程度蓄えのある定住者にとっても、旅人の
心情は他人事ではなかったはずである。自然災害や戦乱、圧政、
いつ何時自らも旅人になるともしれなかった。それゆえ、行き倒れた者
を雨ざらし野ざらしにしないという村人たちの暗黙の了解があった
かもしれない。見ず知らずの者に屋根を与え、火を囲み、事情や他国
の話を聞くなかで、タビが新たな関係を生んでいく。
そこにはまた別な光も差し込まなかったか。場を共有することで心
が和み、人と人との温かな交流が芽生える。一宿一飯の恩義だけでなく、
「タビ」を介して、確かに「情」が内部から醸成されてくる。 

人の哀しさと優しさの根源に、「タビ」を置くことはできないか。
日本人が南方からの移住者であったとすれば、「タビ」から派生した
哀しさと優しさの痕跡を、わたしたちは心のどこかに秘めているのでは
ないだろうか。柳田はそのことに気づいていたかもしれない。

人生は旅だといい、死に装束も旅姿である。「タビ」は、わたしたち
のこころのなかを貫いているのである。 

晩年、柳田は「日本人の結合力というものは、孤立の淋しさからきている」
として、この人の情(友だち)や、結びつき(群れ)の研究の必要性
を説いていた(『柳田國男対談集』筑摩書房169、191頁)。
わたしたちはその問題提起のなかに、昨今の不登校や引きこもりとの
関連性ないし解決の糸口を見出すことはできないだろうか。

当時、柳田が個人主義を基礎とする自然主義文学や大正デモクラシーとは
距離をおいていたとしても不思議ではない。農政官僚として全国を渡り歩き、
つぶさに各地の生活や苦しさを見るにつけ、都会の進歩的文化人らに
よって鼓舞される西洋直輸入の思想が、いかに根付かないかを直感していた
のかもしれない。「孤立の淋しさ」と「日本人の結合力」をパラレルに
論じる視点は、そこには見出し得なかったということだろう。
自ずと別の道を探り続けていくことになる。 

ところで、実際の柳田の旅はどのようなものであったのだろう。大正10年
前後の柳田の写真を見ると、羽織袴に白足袋、草履か下駄履き、山高帽に
黒のマント、口髭をはやして端正な顔立ちである。大嘗祭に参列した時
の姿をみるとまさに貴族のひとりである。
恐らく旅といっても、柳田の場合、付き人を雇った馬上の人であり、表面
は水戸黄門張りの贅沢な旅といった印象を免れない。役人時代も中央
官僚として全国を講演して回っているが、地元の官吏からお伺いを立てられ、
夜は宴席が設けられといった旅であっただろう。
辞めた後もかつてとそれほど違いはないように思われる。
 だとしたら、一体何が、柳田と他の旅行者、あるいは他の調査者とを区分け
する要素になるだろうか。
柳田の旅に伴った松本信広は、「先生にまことに感服したのは、どんな階級
の人々とめぐりあわれても、巧みに彼等の側に立ち、その境遇に理解を持って
話を切りだされ、彼等の意見を聞きだされる手際のよさであった。
……先生が日本の辺土を歩かれながら絶えずそこにすむ人間をみつめ、その
生きる悲しい努力に同情を注がれていたこと、そういう態度が先生の一生を
貫いて築かれた民俗学の礎石であった。」(定本第二巻栞「東北の旅」)
と回顧している。 
立場や姿かたちの違いを、いとも簡単に乗り越えることのできる何かを柳田
は持っている。相手への同情と共感、話者を見極める感性、話術の巧みさ、
相づちと質問の的確性、そんなものだろうか。それらは徹底して人間を
見つめ、人間を問うことなしには得られない性質のものである。
文学が生きている。そのための訓練や努力、工夫なども、恐らく普段から
重ねたであろう。実際、柳田は着る服を替えてみたり、相手によって話題
の矛先を変えたりしている。それらの様子はいろんな旅行記からもうかがえる。
もちろん、柳田が自らの立場や身分を逆に利用したこともあったであろう。
各地の人士や伝承者を探すには、その方が都合のよかった場合もありえる
からである。 
私もかつてフィールドワークを行ったことがあるが、調査する者とされる者
との溝を埋めるのは並大抵ではなかった。夜這い(性)の話が聞けるよう
になったら成功だと先輩から教えられたことがあったが、調査項目を埋める
のに精一杯であった。知りたいことを相手から聞き出す技術が、いかに
難しいことであるか。調査する者の問題意識や、豊富な知識(読書体験)、
相手に対する興味や共感だけでなく、人の心をつかむ対話術などがおおいに
関係してくるだろう。それらの才能に柳田は恵まれていたという外にない。

『北国紀行』に集録されている「旅行の話」のなかでも、柳田は旅の心構え
や聞き取りの仕方について細かく触れている。民俗調査をする者にとって、
この著作はいわば必読書であろう。ここでは別の「清光館哀史」から、
その柳田のテクニックの一端を垣間見せる例をとりあげてみたい。

「何とかしてこの人たちと話しをしてみたら、今少しは昔の事がわかる
だろうかと思って、口実をこしらえて自分は彼らに近よった。
……私はまた娘たちに踊の話をした。今でもこの村ではよく踊るかね。
今は踊らない。盆になれば踊る。こんな軽い翻弄をあえてして、また脇
にいる者と顔を見合わせてくつくつと笑っている。あの歌は何という
のだろう。何べん聴いていても私にはどうしてもわからなかったと、
半分独り言のようにいって、海の方を向いて少し待っていると、
ふんといっただけでその問いには答えずにやがて年がさのひとりが
鼻唄のようにして、次のような文句を歌ってくれた。」
(定本第二巻「清光館哀史」109頁) 

この「清光館哀史」は、柳田の文章のなかでは最もよく知られた紀行文
のひとつであろう。

恐らく日本紀行文学の白眉に上げられる。寂しい寒村の宿屋「清光館」
の没落の跡を、そこで唄われていた盆唄を手がかりに、詩情豊かに
綴っている。これを読むと、やはり柳田とても無口な村人たちから
いかに聞き出すか、いろいろな苦労や工夫をしている様子がよくわかる。
都会人といったいでたちが、浜辺で作業をしている女たちの注意を
引いていることも意識している。それゆえ、独り言や海を見つめる
といった演技力、待つことの忍耐力などが必要になってくるのだ。
やっと聴きだした歌の文句の解釈は、まさに詩人としての柳田の
真骨頂を示している。柳田の根にある哀愁と、それを共にする村人
たちへの共感も浮き彫りにされているが、ここでは触れないでおこう。

その事例文、
「ひじりの家」は延岡野田の稲荷山に住む山伏を尋ねた時の話し
であるが、崩れゆく修験者の生涯を描いた叙情的な文章となっている。
柳田はその山伏とは初対面であった。津軽のひじりから聞いたという
その稲荷山に住む法師に会って、柳田は一体何を確かめようとして
いたのだろうか。沖縄への旅の途中であったとはいえ、それは初め
から計画されていた訪問であったかのように思える。
「ひじりの家」を読むと、どうしても偶然とは思えない何か意図的な
ものが感じられるからである。
「その一文から、
日向路の五日はいつもよい月夜であった。最初の晩は土々呂の海浜
の松の蔭を、白い細かな砂をきしりつつ、延岡へと車を走らせた。
次の朝早天に出てみたら、薄雪ほどの霜が降っていた。車の犬が叢
を踏むと、それが煙のように散るのである。山の紅葉は若い櫨の木
ばかりだが、新年も近いのにまだ鮮やかに残っている。
処々の橋のたもと、または藪の片端などに、榎であろうか今散ります
とでもいうように、忽然として青い葉をこぼしはじめ、見ているうち
に散ってしまう木がある。」

夜が冴えれば冴えるほど、翌朝の寒さは厳しい。翌朝、宿を出た柳田は、
そのシンとする寒さの中を野田へ向けて車を走らせた。柳沢町か南町
あたりに宿をとつたとすれば、そこから野田の稲荷山に行くには野地
経由が近い。北詰を通って桜小路に入る。ふと見上げると城山の斜面に
幾本かの若い櫨の木が見えたのだろう。「新年も近いのにまだ鮮やかに」
燃えていた。亀井神社の脇を過ぎ、野田口に出ると、中州に冬の田園
風景が広がる。遠くに岡富、古川あたりの冬枯れの景色も目に映った
かもしれない。
しかし、「処々の橋のたもと」とか、「藪の片端など」とは一体.どの
辺りであろうか。野地経由ではこれといった橋は見当たらない。
あるいは大貫経由で行ったのだろうか。大貫経由だと大瀬川に沿って
幾本かの小川が流れ込み、目立たぬ橋がところどころにかけてあった
かもしれない。ただ、「橋のたもと」、「藪の片端」、「榎」など
という言葉は、いずれも村境のイメージでもある。神聖な場所、
ないしは神聖な木である。野地経由で行ったとすれば、平野に出てから
後の畦道は曲がりくねった評判の悪路である。雨が降ればぬかり、
乾けば凸凹道である。車夫も往生したに違いない。都会風の神士
がこんな田舎まで来ることはめったになかっただろうからである。

風景を見る眼
『海南小記』では、この「ひじりの家」に続いてさらに日向路を南下し、
飫肥を訪れた時のことを「水煙る川のほとり」として書いている。
「その一文、
飫肥の町へは十二年ぶりに入ってきた。町にはまだ貂、狐、猿、羚羊
などの皮をぶらさげて売っている。やがて海に入る静かな川の音、
板橋を渡る在所の馬のとどろきまで、以前も聞いたような気がして
なつかしい。城跡の木立の松杉は、伐ってまた栽えた付近の山よりは
大いに古く、かつて穴生役の技芸をつくしたかと思う石垣の石の色
には、歴史の書よりもさらに透徹した、懐古の味わいを漂わせているが、
今の小学校の巨大な建物に、引っかかっているものは振徳堂の額だけで、
百数十年の学徒の労作や蒐集などは、もう偶然の訪問者などには、
ちょっと見られぬような所に蔵してあるらしい。」


私の知る限り、平部峽南の身の上を、このように公に取り上げたのは
柳田が初めてである。戦後では野口逸三郎氏が峽南文庫の序文に
その辺りの事情をいくらか詳しく書いているだけである。
柳田は峽南の身の上に痛みを馳せながらも、ここでも、それらが
忘れ去られることは仕方のないことなのだといっている。
そして平和の基礎や未来のためには、忘却が必要だと繰り返し言っている。
「その一文、
山が近いからか、またはこのころの季節のためか。今朝も大いに立って
いた水煙が、晩かたにも酒谷川の流れをおおうている。宿の欄干に
出て立つと、河原には薄々と月がさして、もう物を洗う人の影はない。
前に来て泊まった家も板橋の近くであったが、二階はなくて門の脇
にたしか柳が一本あった。名を忘れたばかりに誰に聞いてももう分
からなくなった。あの時夜ふけまで来て話した郡長の田内氏を
はじめ、わずか十二年の間に死ぬ人は死に、去る人は遠く去って
しまった。そうして自分もまた偶然に、今一度過ぎて行くのみ
である。未来にも仕事がある。強いてはっきりとこのような昔を、
思い出そうとするにはおよばぬのかも知れぬ。」


柳田國男の代表作は、「東野物語」であるが、「雪国の春」には、
各紀行文の中に、参考とすべき文や旅への想い、気付きが多々ある。

個人的にも、原点回帰での参考になると思っている。

1)雪国の春より
かねて風土の住民の上に働いていた作用の、たまたま双方向に共通なる
者が多かった結果、いわば、未見の友の如くに、やすやすと来たり近づく
ことが出来たと見るのほか、通例の文化模倣の法則ばかりでは、実は
その理由を説明することが難しいのである。
、、、、、、、
その上に双方とも、春が厭きるほどに永かった。世界のいずれの方面を
探してみても、アジア東海の周辺のように、冬と夏とを前後ろに押し広げて
ゆるゆると温和の気候を楽しみうる陸地は、多くあるまい。これはもとより
北東の日本半分においては、味わいあたわざる経験であったが、花の林を
逍遥して花を待つ心持、または、微風に面して落花の行方を思うような境涯は
昨日も今日も一つ調子の、長閑な春の日の久しく続く国に住む人だけには、十分
感じえられた。夢の胡蝶の面白い想像が、奇抜な哲学を裏付けた如く、嵐も
雲もない昼の日陰の中に座して、なんをしようかと思うような寂寞が、
いつとはなくいわゆる春愁の詩となった。

------
風土と気候とがかほどまでに、一国の学問芸術を」左右するであろうかを
いぶかる者は、おそらく日本文献のはなはだ片寄った成長に、まだ、
心づいておらぬ人たちである。、、、、、、、
いま1つ根本にさかのぼると、あるいはこのような柔らかな自然の間に
ことに安堵して住み着きやすい性質の種族であったからということに
なるのかもしれないが、いかなる血筋の人類でも、こういう良い土地に来て
喜んで永く留まらぬものはおるまい。いわば、この風土と同化してしまい、
もはや、この次の新しい天地から、何か別様の清くすぐれた生活を、
見つけ出すとする力が衰えたのである。

------
P19
ようやくに迎ええたる若春の喜びは、南の人のすぐれたる空想をさえも
超越する。例えば、奥羽の所々の田舎では、碧く輝いた大空の下に、
風は柔らかく水の流れは音高く、家にはじっとしておられぬような日
が少し続くと、ありとあらゆる庭の木が一斉に花を開き、その花盛りが
一どきに押し寄せてくる。春の労作はこの快い天地の中で始まるので、
袖を垂れて遊ぶような日とては一日もなく、惜しいと感歎している閑もない
うちに艶麗な野山の姿は次第にしだいに成長して、白くどんよりした
薄霞の中に、桑は伸び麦は熟していき、やがて閑古鳥がしきりに啼いて
水田苗代の支度を急がせる。

-------
東北の風光のうつくしいのは誰に聞いても紅葉の秋だという。それから
後の冬木立の山野もよし、はるは四峰の雪白水が満ち溢れて、蛙の啼く頃
の若緑も、長く待っただけに、人の心をとろかすようにあるらしい。
それが再び次の秋に移っていくまでの数週間は、土地の人々には休憩であり
昼寝であって、必ずしもこれを省みるに足らぬのか知らぬが、生憎
そのときばかりが旅行者の季節である。、、、、、
静かに見ておりたいものには、少しくあの色彩が単調であり、また無情で
あるように感じないわけにはいかぬ。
あれはおそらく日の光の効果か、または気中の水分の加減であろう。
今一段と高い緯度に進むと、しだいにこの色が白々と、幾分軽く
頼りなくなるように思うことは北ヨーロッパを歩いた人の、誰でも
容易に経験するところである。

-------
風景は画巻や額のようにいつでも同じ顔はしておらぬ。まず第一に時代が
これを変化させる。我々の一生涯でも行き合わせた季節、雨雪の彩色は
勿論として、空に動く雲の量、風の方向などはことごとくその姿を左右する。
事によるとこれに面した旅人の心持、例えば、昨晩の眠りと夢、胃腸の加減まで
が美しさに影響するかも知れぬ。つまりは個々の瞬間の遭遇であって、
それだからまた生活と交渉することの濃やかなのである。、、、、、、
いかにも狭い主観の、断独的個人的の記述であることは、既に心づいた
者が多いのであるが、名ある古人を思慕することが、無名の山川を愛する
情より勝っている国柄では、」風景の遇不遇ということに大きな意味を持つ。
水陸大小の交通路はもとより、絵葉書も案内記も心を含ませて、今古若干の
文人足跡ばかりを追従させ、わけもない風景の流行を作ってしまった。

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1丈あまりの水底は、一面の草原で、絶えずなびている植物の間から、
いろいろの小石の光っているのが、あたかも花などの如く見えていた。
佐渡の島の東北端、鷲崎という静かな峪も、水澄んで様々の藻が茂っていた。
越後などから燃料の雑木を積みに小さな船ばかりが入ってきて繁っているが、
晴れた秋の朝の船出などに、差し込む日の光をもって、描かれる風情は、
棹や櫓で掻乱するに忍びないような見事さであったろうと思われる。
夕陽に遠く現れる東上総の磯の石畳は、ひじきの薄緑が地の色をなし、
その隙隙にトサカの幽かな紫を交えている。南の島に行くに随って、
隠れ岩にはしだいに花やかな彩色を加えるようだが、鷲崎の湊のあたりには
冷たい潮が通うためか、藻の緑はことに深く、かつ葉の広い北海
の種類が多かった。、、、、、いずれも自然の聚楽をなして、この郊外
秋の野のごとく入り乱れてはいなかった。畠ならば三反、五反の広さが
一面に紅か黄か、それぞれ一種一色の花をもって覆われた光景は、
例えば、れんげ草の田のようであった。無始の自然がこのように播き
かつ育てるのである。

-------
全体にこの木の多くあるところは、里や林をややはなれた、寂寞たる砂原
が多かった。風に吹き溜められた高山の這松帯の如く、人の足も立たぬように
密生している。由利郡の海岸では、防風林用の松林に隙間から、紅の花
ちらちらとみえたこともあったが、普通は、孤立して自分の枝は無意味な
茨であるためにせっかく鮮明なる花の色も、傍の緑の葉と相通じるような
風情がない。

-------
P93
要するに日本人の考え方を1種の明治式に統一せんとするが非なる如く
海山の景色を型に嵌めて、片寄った鑑賞を強いるのはよろしくない。
何でもこれは自由なる感動に放任して、心に適し時代に相応した新たな
美しさを発見せしむに限ると思う。島こそ小さいが日本の天然は、色彩
豊かにして最も変化に富んでいる。狭隘な都会人の芸術観をもって指導
しようとすれば、その結果は選を洩れたる地方の生活を無聊にするのみ
ならず、かねては不必要に我々の祖先の国土を愛した心持を不明なら
しめる。いわゆる雅俗の弁の如きは、いわば、同胞を離間する悪戯
であった。
意味なき因習や法則を捨てたら、今はまだ海山の隠れた美しさが、蘇る
望みがある。つとめて旅行の手続きを平易ならしむるとともに、若くして
真率なる旅人をして、いま少し自然を読む術を解せしめたい。人の国土
に対する営みも本来は咲き水の流るると同じく、おのずから向かうべき
一節の路があった。、、、、、緑一様なる内海の島々を切り開いて、
水を湛え田を作り蓮華草を播き、菜種、麦などを畠に作れば、山の土
は顕れて松の間からツツジが紅く、その麦やがて色づく時は、明るい
枇杷色が潮に映じて揺曳する。ひばりやキジが林の外に遊び、海
を隔てて船中の人が、その声を聞くようにな日が多くなる。
-------

つまりはただ1つの尊き神、1つの天に近き高峰に対して、周囲の麓の
里に住むものが等しく熱烈なる信仰を寄せていて、最初からこれを
ある中心に統一することが困難なる形勢にあったのである。加賀の白山
なども事情はすこぶるこれに近く、出羽では、羽黒の三山のごときも、
この混乱のためついにみずからその歴史を述べることさえ出来ぬようになった。
しかもその闘争に参与した家々は、敵も味方も公平一様に衰えつくし
いまはかえって不純なる原始信仰が、放任の結果として再び平民の
間に復活することになったのである。
-------

山が霞んで遠景の隠れる点では、あるいは秋の中ごろに劣るという人もあろうが、
その代わりには峰の桜がある。黒木に映ずる柔らかな若葉の色がある。
全体にこの地の人々は、まだ山の花を愛する慣習がないとみえて、あれだけの
樹林と村居と比べては、見渡したところ天然の彩色が少し寂しいと思った。
今あるさくらなどもかって山詣での最も盛んな時代に、植えておいたらしい
数株の老木のみである。、、、、、、
山の斜面はほぼ正東に向いている。最初は前に立つ寒風山に隔てられて、
ただ想像するだけの八郎潟が、登るにつれて少しづつその両肩の上に光ってくる。
それが半腹を過ぎるとほとんど全部、寒風の峰を覆うように見えるのであるが、
その見晴らしの最も優れた地点で路を曲げ、曲がり角にはチャント桜があるのは、
疑うところもなく心あっての設けであった。以前この辺まで一帯の林であった
ころには、かんらず、木の花の陰に息を入れて振りかえってはじめて三方の海を
眺めた事と思う。
本山の若葉山の姿やはりこのあたりから見るのが良いように思った。
細やかに観察したならば、美しい理由と言うともいうべきものが分かるであろう。
山の傾斜と直立する常盤木との角度、これに対する展望者の位置等が、
あたかもころあいになっているのではないか。画を描く人たちに考えて
もらいたいと思った。
その上に昔もこの通りであったととも言われぬが明るい新樹の緑色に混じった
杉の樹の数と高さが、わざわざ人が計画したもののように好く調和している。
自分などの信仰では、山の自然に任せておけば、永くこの状態は保ちえられると
思っている。北海の水蒸気はいつでも春の常盤木を紺青ににし、これを取り囲む
色々の雑木に、花なき寂しさを補わしめるような複雑な光の濃淡を
与えるであろう。そうすれば、旅人は、単によきときに遅れることなく、
静かに昔の山桜の陰に立って、鑑賞しておりさえすればよいのであって、
自然の画巻きは季節がこれを広げて見せてくれるようになっているのだ。
--------

新たに世の中に認められんとする風景はそんなものであってはならぬ。
海が荒れるから今日は引き返そうというような不自由きわまる鑑賞法に
この壮大な天然を放擲しておいてはいけない。出来るだけ色々な変化が
みられるようにする必要がある。
ゆえに男鹿を愛する人々の将来の案内書には、第一著に旅人の選択しうる
ような幾つかの路順日取りを立てて、ほぼその道中の難易を説明すべきである。
、、、、、、、、
自分など見たところでは、男鹿の美しさは水と日の光の変化に存する。
すなわち、静かに止まって眺めているのによい風景である。
仮に温泉などは小規模で、また快活でないとしても、あの広大なる
高原は宝物である。、、、、、、、、

近世の紀行文学の1つのコツは、いかに世に知られた路傍の好風景
でも、これをさも新発見の如く吹聴して、国中の最も無職なる者
もしくは、多少の反感を抱くものに対するような態度をもって、記述と
解説の丁寧さを極めることがあるらしい。

(義経記成長の時代より)
あらゆる我々の苑の花が、土に根ざして咲き栄えるように、一国の
文学にも正しく数千年の成長はあったが、文字と言うものから文学を
引き離して見ること事のできぬものには、その進化の路を考えることが
自由でなかった。ことに見もせぬ西洋のきれぎれの作品を人が辛苦して
鑑賞せんとする如く、都市の塵煙の中から出現したものでなければ、
文学として愛しかつあこがれるに足らぬと考えてでもいるらしい
地方の諸君には、今はほとんど目隠しと同様の拘束があるのである、
速くそういう薄暗い時代が去ってしまえばよいと思う。
文学と文字とこの2つのものの混同は、昔からあった。
たいていの国では、文字とという語から絶縁した文学という語はない。
古事記、書紀には、神代以来の尊い物語の色々が伝わってくる。
それらがわが国に発生した全部ではないにしろ、文学以前の文学
というものがあると同時に、文字以外の文学と言うものも、
また少なくとも上代には盛んであって、文字の教育の普及と
ともに、段々と区域を縮小してきたことも推測出来る。そうして、
内外の2種の間には、各時代を通じて不断の脈絡系統こそあったが、
雅俗貴賎違うがごとき類の差別は、本来葉少しもありえなかった。、
 
 
柳田國男 「清光館哀史」 青森 秋田 岩手 山形 宮城 福島

柳田國男 「清光館哀史」  (『文芸春秋』 大正15年9月号 のちに『雪国の春』
に所収)

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あんまりくたびれた、もう泊まろうではないかと、小子内(おこない)の漁村にただ一
軒ある宿屋の、清光館と称しながら、西の丘に面してわずかに四枚の障子を立てた二階
に上がり込むと、はたして古くかつ黒い家だったが、若い亭主と母と女房の親切は、予
想以上であった。まず、息を切らせてふきそうじをしてくれる。今夜は初めて還る仏様
もあるらしいのに、しきりにわれわれに食わす魚のないことばかり嘆息している。そう
気をもまれてはかえって困ると言って、ごろりといろりの方を枕に、ひじを曲げて寝こ
ろぶと、外はこうもりも飛ばない静かなたそがれである。

小川が一筋あって板橋がかかっている。その板橋をカラカラと鳴らして、子どもたちが
おいおい渡って行く。小子内では踊りはどうかね。はあ、いまに踊ります。去年よりは
はずむそうで、と言っているうちに橋向こうから、東京などの普請場で聞くような女の
声が、しだいに高く響いて来る。月がところどころの板屋に照っている。雲の少しある
晩だ。

五十軒ばかりの村だというが、道の端には十二、三戸しか見えぬ。橋から一町も行かぬ
間に、大塚かと思うような孤立した砂山に突きあたり、左へ曲がって八木の港へ越える
坂になる。曲がり角の右手に共同の井戸があり、その前の街道で踊っているのである。
太鼓も笛もない。寂しい踊りだなと思って見たが、ほぼこれが総勢であったろう。あと
から来て加わる者が、ほんのふたりか三人ずつで、少し長く立って見ている者は、踊り
の輪の中からだれかが手を出して、ひょいと列の中にひっぱりこんでしまう。次の一巡
りの時には、もう、その子も一心に踊っている。

この辺では、踊るのは女ばかりで、男は見物の役である。それも出かせぎからまだもど
らぬのか、見せたいだろうに腕組みでもして見入っている者は、われわれを加えても二
十人とはなかった。小さいのをおぶったもう爺が、井戸のわきから、もっと歌えなどと
わめいている。どの村でも理想的の鑑賞家は、踊りの輪の中心にはいって見るものだが
、それが小子内では十二、三までの男の子だけで、同じ年ごろの小娘なら、皆、列に加
わってせっせと踊っている。この地方では、稚児輪みたような髪が学校の娘の髪だ。そ
れがじょうずに拍子を合わせていると、踊らぬばあさんたちが、うしろから首をつかま
えて、どこの子だかと顔を見たりなんぞする。

われわれには、どうせだれだかわからぬが、本踊り子の一様に白い手ぬぐいで顔を隠し
ているのが、やはり大きな興味であった。これが流行か、帯もたびもそろいのまっ白で
、ほんの二、三人のほかは皆、新しいげただ。前掛けは昔からの紺無地だが、ことし初
めてこれに金紙で、家の紋や船印をはりつけることにしたという。奨励の趣旨が徹底し
たものか、近所近郷の金紙が品切れになって、それでもまだ候補生までには行き渡らぬ
ために、かわいい憤愚がみなぎっているという話だ。月がさすと、こんな装飾がみな光
ったりかげったり、ほんとうに盆は月送りではだめだと思った。一つの楽器もなくとも
踊りは目の音楽である。まわりが閑静なだけにすぐにそろって、そうしてしゅんで
くる。

それに、あの大きな女の声のよいことはどうだ。自分でも確信があるのだぜ。ひとりだ
け、見たまえ、手ぬぐいなしのぞうりだ。なんて歌うのか文句を聞いて行こうと、そこ
らじゅうの見物と対談してみたが、いずれも笑っていて教えてくれぬ。なかには、知り
ませんと言って立ちのく青年もあった。けっきょく手帳をむなしくしてもどって寝たが
、なんでもごく短い発句ほどなのが三通りあって、それを高く低くくりかえして、夜半
までも歌うらしかった。

翌朝五時に障子をあけて見ると、ひとりの娘が、踊りは絵でも見たことがないような様
子をして水をくみに通る。隣の細君は腰にかごをさげて、しきりにいんげん豆をむしっ
ている。あの細君もきっと踊ったろう、まさかあれは踊らなかったろうと、争ってみて
も夢のようだ。出立の際に昨夜の踊り場を通ってみると、存外な石高道でおまけに少し
坂だが、掃いたよりもきれいに、やや楕円形の輪の跡が残っている。今夜は満月だ。ま
た、いっしょうけんめいに踊ることであろう。

八木から一里余りで鹿糠の宿へ来ると、ここでも浜へ下る辻のところに、小判なりの大
遺跡がある。夜明け近くまで踊ったように宿のかみさんは言うが、どの娘の顔にも少し
の疲れも見えぬのはきついものであった。それから川尻・角浜と来て、馬の食べつくし
た広い芝原の中を、くねり流れる小さな谷地川が、九戸・三戸二郡の郡境であった。青
森県の月夜では、わたしはまた別様の踊りに出会った。


おとうさん。今まで旅行のうちで、一番わるかつた宿屋はどこ。さうさな。別に悪いと
いふわけでも無いが、九戸の小子内の清光館などは、可なり小さくて黒かつたね。

斯んな何でも無い問答をしながら、うかうかと三四日、汽車の旅を続けて居るうちに、
鮫の港に軍艦が入つて来て、混雑して居るので泊るのがいやになつたといふ、殆と偶然
に近い事情から何といふこと無しに陸中八木の終点駅まで来てしまつた。駅を出てすぐ
前の僅かな岡を一つ越えて見ると、その南の阪の下が正にその小子内の村であつた。

ちやうど六年前の旧暦盆の月夜に、大きな波の昔を聴きながら、この淋しい村の盆踊を
見て居た時は、又いつ来ることかと思ふやうであつたが、今度は心も無く知らぬ間に来
てしまつた。あんまり懐かしい。ちよつとあの橋の袂まで行つて見よう。

実は羽越線の吹浦象潟のあたりから、雄物川の平野に出て来るまでの間、浜にハマナス
の木が頻りに目についた。花はもう末に近かつたが、実が丹色に熟して何とも言へぬ程
美しい。同行者の多数は、途中下車でもしたい様な顔付をして居るので、今にどこかの
海岸で、沢山にある処へ連れて行つて上げようと、つい此辺まで来ることになつたので
ある。

久慈の砂鉄が大都会での問題になつてからは、小さな八木の停車場も何物かの中心らし
く、例へば乗合自動車の発著所、水色に塗り立てたカフェなどが出来たけれども、之に
由つて隣の小子内が受けた影響は、街道の砂利が厚くなつて、馬が困る位なものであつ
た。成程、あの共同井があつて其脇の曲り角に、夜どほし踊り抜いた小判なりの足跡の
輪が、はつきり残つて居たのもこゝであつた。来て御覧、あの家がさうだよと言つて、
指をさして見せようと思ふと、もう清光館はそこには無かつた。

まちがへたくとも間違へやうも無い、五戸か六戸の家のかたまりである。この板橋から
は三四十間通りを隔てた向ひは小質店のこの瓦葺きで、あの朝は未明に若い女房が起き
出して、踊りましたといふ顔もせずに、畠の隠元豆か何かを摘んで居た。東はやゝ高み
に草屋があつて海を遮り、南も小さな砂山で、月などゝは丸で縁も無いのに、何で又清
光館といふやうな、気楽な名を付けてもらつたのかと、松本佐々木の二人の同行者と、
笑つて顔を見合せたことも覚えて居る。


盆の十五日で精霊様のござる晩だ。活きた御客などは誰だつて泊めたくない。定めし家
の者ばかりでごろりとして居たかつたらうのに、それでも黙つて庭へ飛び下りて、先づ
亭主が雑巾がけを始めてくれた。三十少し余の小造りな男だつたやうに思ふ。門口で足
を洗つて中へ入ると、二階へ上れといふ。豆ランプは有れども無きが如く、冬のまゝ囲
炉裏のふちに置いてあつた。それへ十能に山盛りの火を持つて来てついだ。今日は汗ま
みれなのに疎ましいとは思つたが他には明るい場処も無いので、三人ながら其周囲に集
まり、何だかもう忘れた食物で夕飯を済ませた。

其うちに月が往来から橋の附近に照り、そろそろ踊を催す人声足音が聞えて来るので、
自分たちも外に出て、ちやうど此辺に立つて見物をしたのであつた。

其家がもう影も形も無く、石垣ばかりになつて居るのである。石垣の蔭には若千の古材
木がごちやこちやと寄せかけてある。真黒けに煤けて居るのを見ると、多分我々三人の
、遺跡の破片であらう。幾らあればかりの小家でも、よくまあ建つて居たなと思ふほど
の小さな地面で、片隅には二三本の玉蜀黍が秋風にそよぎ、残りも畠となつて一面の南
瓜の花盛りである。

何をして居るのか不審して、村の人がそちこちから、何気無い様子をして吟味にやつて
来る。浦島の子の昔の心持の、至つて小さいやうなものが、腹の底から込上げて来て、
一人ならば泣きたいやうであつた。


何を聞いて見てもたゞ丁寧なばかりで、少しも問ふことの答のやうでは無かつた。併し
多勢の言ふことを綜合して見ると、つまり清光館は没落したのである。月日不詳の大暴
風雨の日に村から沖に出て居て還らなかつた船がある。それに此宿の小造りな亭主も乗
つて居たのである。女房は今久慈の町に往つて、何とかいふ家に奉公をして居る。二人
とかある子供を傍に置いて育てることも出来ないのは可愛さうなものだといふ。

其子供は少しの因縁から引取つてくれた人があつて、此近くにも居りさうなことをいふ
が、どんな児であつたか自分には記憶が無い。恐らく六年前のあの晩には、早くから踊
場の方へ行つて居て、私たちは逢はずにしまつたのであらう。それよりも一言も物を言
はずに別れたが、何だか人のよさそうな女であつた婆さまはどうしたか。こんな悲しい
日に出会はぬ前に、盆に来る人になつてしまつて居たかどうか。それを話してくれる者
すら、もう此多勢の中にも居らぬのである。


此晩私は八木の宿に還つて来て、巴里に居る松本君へ葉書を書いた。この小さな漁村の
六年間の変化を、何か我々の伝記の一部分の様にも感じたからである。仮に我々が引続
いてこの近くに居たところで、やはり率然として同様の事件は発生したであらうし、又
丸々縁が切れて遠くに離れて居ても、どんな出来事でも現はれ得るのである。が斯うし
て二度やつて来て見るとあんまり永い忘却、或は天涯万里の漂遊が、何か一つの原因で
あつた様な感じもする。それはそれで是非が無いとしても、又運命の神様も御多忙であ
らうのに、此の如き微々たる片隅の生存まで、一々点検して与ふべきものを与へ、もし
くはあればかりの猫の額から、元あつたものを悉く取除いて、南瓜の花などを咲かせよ
うとなされる。だから誤解の癖ある人々が之を評して、不当に運命の悪戯などゝ謂ふの
である。


村の人との話はもう済んでしまつたから、連れの者のさしまねく儘に、私はきよとんと
して砂浜に出て見た。そこには此頃盛んにとれる小魚の煮干が一面に乾してあつて、驚
く程よくにほつて居た。その沢山の筵の一番端に、十五六人の娘の群が寝転んで、我々
を見て黙つて興奮して居る。白い頬冠りの手拭が一様に此方を向いて、勿体無いと思ふ
ばかり、注意力を我々に集めて居た。何とかして此人たちと話をして見たら、今少しは
昔の事がわかるだらうかと思つて、口実をこしらへて自分は彼等に近よつた。

ハマナスの実は村の境の岡に登ると、もう幾らでも熟して居るとのことであつた。土地
の語では是をヘエダマと謂ふさうで、子供などは放つて遊ぶらしいが、わぎわざそんな
物を捜しに遠方から、汽車に乗つて来たのが馬鹿げて居ると見えて、ああヘエダマかと
謂つて、互ひに顔を見合せて居た。

此節は色々の旅人が往来して、彼等をからかつて通るやうな場合が多くなつた爲でもあ
らうか。うつかり真に受けまいとする用心が、さういふ微笑の蔭にも潜んで居た。全体
にも表情にも、前に私たちが感じて還つたやうなしほらしさが、今日はもう見出され得
なかつた。

一つにはあの時は月夜の力であつたかも知れぬ。或は女ばかりで踊る此辺の盆踊が、特
に昔からあゝいふ感じを抱かしめるやうに、仕組まれてあつたのかも知れない。六年前
といふと此中の年がさの娘が、まだ踊の見習ひをする時代であつたらう。今年は年が好
いから踊をはずませようといふので、若い衆たちが町へ出て金紙銀紙を買つて来て、そ
れを細かく剪つて貼つてやりましたから、綺麗な踊り前掛が出来ました。それが行渡ら
ぬと言つて、小娘たちが不平を言つて居りますと、清光館の亭主が笑ひながら話して居
たが、あの時の不平組も段々に発達して、もう踊の名人になつて多分此中に
居るだらう。

成程相撲取りの化粧まはし見たやうな前掛であつた。それが僅かな身動きのたびに、き
らきらと月に光つたのが今でも目に残つて居る。物腰から察すればもう嫁だらうと思ふ
年頃の者までが、人の顔も見ず笑ひもせず、伏し目がちに静かに踊つて居た。さうして
やゝ間を置いて、細々とした声で歌ひ出すのであつた。たしかに歌は一つ文句ばかりで
、それを何遍でも繰返すらしいが、妙に物遠くて如何に聴き耳を峙てゝも意味が取れぬ
。好奇心の余りに踊の輪の外をぐるぐるあるいて、そこいらに立つて見て居る青年に聞
かうとしても、笑つて知らぬといふ者もあれば、ついと暗い方へ退いてしまふ者もあつ
て、到頭手帳を取ることも出来なかつたのが久しい後までの気がゝりであつた。


今日は一つ愈々此序を以て確かめて置くべしと、私は又娘たちに踊の話をした。今でも
此村ではよく踊るかね。今は踊らない。盆になれば踊る。こんな軽い翻弄を敢てして、
又脇に居る者と顔を見合せてくつくつと笑つて居る。

あの歌は何といふのだらう。何遍聴いて居ても私にはどうしても分らなかつたと、半分
独り言のやうに謂つて、海の方を向いて少し待つて居ると、ふんと謂つたゞけで其問に
は答へずにやがて年がさの一人が鼻唄のやうにして、次のやうな文句を歌つてくれた。

 
なにヤとやれ
なにヤとなされのう

あゝやつぱり私の想像して居た如く、古くから伝はつて居るあの歌を、此浜でも盆の月
夜になる毎に、歌ひつゝ踊つて居たのであつた。

古い爲か、はた余りに簡単な爲か、土地に生れた人でも此意味が解らぬといふことで、
現に県庁の福士さんなども、何とか調べる道が無いかといつて書いて見せられた。どう
考へて見たところが、是ばかりの短かい詩形に、さうむつかしい情緒が盛られようわけ
が無い。要するに何なりともせよかし、何うなりとなさるがよいと、男に向つて呼びか
けた恋の歌である。

但し大昔も筑波山のかがひを見て、旅の文人などが想像したやうに、此日に限つて羞や
批判の煩はしい世間から、遁れて快楽すべしといふだけの、浅はかな歓喜ばかりでもな
かつた。忘れても忘れきれない常の日のさまざまの実験、遣瀬無い生存の痛苦、どんな
に働いてもなほ迫つて来る災厄、如何に愛しても忽ち催す別離、斯ういふ数限りも無い
明朝の不安があればこそ

   はアどしよそいな

と謂つて見ても、

   あア何でもせい

と歌つて見ても、依然として踊の歌の調は悲しいのであつた。



一たび「しよんがえ」の流行節が、海行く若者の歌の囃しとなつてから、三百年の月日
は永かつた。如何なる離れ島の月夜の浜でも、燈火花の如く風清き高楼の欄干にもたれ
ても、之を聴く者は一人として憂へざるは無かつたのである。さうして他には新たに心
を慰める方法を見出し得ない故に、手を把つて酒杯を交へ、相誘うて恋に命を忘れよう
としたのである。

痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども
、色々として我々が尋ねて見たけれども、黙つて笑ふばかりでどうしても此歌を教へて
はくれなかつたのだ。通りすがりの一夜の旅の者には、仮令話して聴かせても此心持は
解らぬといふことを、知つて居たのでは無いまでも感じて居たのである。

松尾芭蕉と旅

松尾芭蕉は、旅の人である。
東北を中心に、関西までその足を進めている。
しかも、一鉢一杖、一所不在、正に世捨て人のなりわいの
如くであったとのこと。
松尾芭蕉が、このような長旅と困難なことを実行したのか?
彼にとって、旅とはその人生にどんな意味を持つのか?
私自身の旅への強い想いもあり、「おくのほそ道」「野ざらし紀行」
等からその一端を掴みたい。

1)「おくのほそ道」より
まずは、
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也。
船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ゆる
者は、日々旅して、旅を棲とす。古人も多く旅に死せるあり。
予も、いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思い
やまず、海浜をさすらいて、、、、」。

この旅に出る根本動悸について書き出している。

松尾芭蕉の旅の哲学がそこにある。
旅の中に、生涯を送り、旅に死ぬことは、宇宙の根本原理に
基づく最も純粋な生き方であり、最も純粋なことばである詩は、
最も、純粋な生き方の中から生まれる。多くの風雅な先人たち
は、いずれその生を旅の途中に終えている。
旅は、また、松尾芭蕉にとって、自身の哲学の実践と同時に、
のれがたい宿命でもあった。
「予も、いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思い
やまず、海浜をさすらいて、、、、」とあるが、旅にとり付かれた
己の人生に対する自嘲の念でもある。


また、唐津順三も、「日本の心」での指摘では、
「竿の小文(おいのこぶみ)」「幻住庵記」にある「この一筋」、
様々な人生経路や彷徨の後、「終に無能無才にしてこの一筋に
つながる」として選び取った俳諧の画風に己が生きる道を
見出しながらも、その己における在り方には、まだ不安定ものがあった。
「野ざらし」以後の「旅」の理念、日本の伝統的詩精神を
極めて、「旅」こそ詩人の在り方と心に誓い、一鉢一杖、一所不在、
尊敬する西行の庵生活すらなお束の間の一所定住ではないかと
思いつめた旅人芭蕉にも、ふいと心をかすめる片雲があった,
はずである。
野ざらしを心にして旅に出て以来、殊に大垣を経て名古屋に入るとき、
己が破れ笠、よれよれの紙衣を見て、「侘つくしたる侘人、われさえ
哀れに覚えける」と言って、「狂句木枯らしの身は竹斎に似たるかな」
の字余りの句を得て以来、芭蕉は、つねにおのが「狂気の世界」を
見出したという自信を持った。

松尾芭蕉としての気概がここにある。

2)「野ざらし紀行」より、
貞享元年(1684)8月、松尾芭蕉は初めての旅に出る。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」
と詠んで、西行を胸に秘め、東海道の西の歌枕をたずねた。
「野ざらしを」の句は最初の芭蕉秀句であろう。
「野ざらし」とは骸骨である。骸(むくろ)である。
「しむ身」は季語「身にしむ」を入れ替えて動かしたもので、
それを「心に風のしむ身かな」と詠んで、心敬の「冷え寂び」
に一歩近づく風情とした。
「野ざらしを心に」「心に風の」「風のしむ身かな」という
ふうに、句意と言葉と律動がぴったりとつながっている。
この発句で、松尾芭蕉は自分がはっきりと位をとったことが見えたに
ちがいない。
「野ざらし紀行」は9カ月にわたった。伊勢参宮ののちいったん伊賀
上野に寄って、それから大和・当麻寺・吉野をまわり、さらに京都・
近江路から美濃大垣・桑名・熱田と来て、また伊賀上野で越年し、
そこから奈良・大津・木曽路をへて江戸に戻っている。
この旅で松尾芭蕉はついに「風雅の技法」を身につけた。
まるで魔法のように身につけた。
例えば、
道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
秋風や薮も畠も不破の関
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
春なれや名もなき山の薄霞
水とりや氷の僧の沓(くつ)の音
山路来てなにやらゆかしすみれ草
辛崎の松は花より朧にて
海くれて鴨のこゑほのかに白し

とくに「道のべの木槿は馬にくはれけり」「明ぼのやしら
魚しろきこと一寸」
「辛崎の松は花より朧にて」「海くれて鴨のこゑほのかに白し」
の句は、これまでの芭蕉秀句選抜では、つねに上位にあげられる名作だ。
そういう句が9カ月の旅のなかで、一気に噴き出たのである。
しかし、ここで注目しなければならないのは、これらの句は、
それぞれ存分な推敲の果てに得た句であったという。
例えば、劇的な例もある。有名な「山路来てなにやらゆかしすみれ草」。
これを初案・後案・成案の順に見ていくと、
(初)何とはなしに なにやら床し すみれ草
(後)何となく 何やら床し すみれ草
(成)山路来てなにやらゆかしすみれ草<

このあとの「笈の小文」の旅が約半年、更科紀行が足掛け3カ月、
奥の細道が半年を超えた。芭蕉はそのたびに充実していった。
いや、頂点にのぼりつめていく。
これは高悟帰俗というものだ。「高く悟りて俗に帰るべし」。
それから半年もたたぬうちに、芭蕉は奥の細道の旅に出る。これはそうとうの
速断である。速いだけでなく、何かを十全に覚悟もしている。
 
野ざらし紀行
http://koten.kaisetsuvoice.com/Nozarashi/11Nara.html


一番気になるのは、
松尾芭蕉が、このような長旅と困難なことを実行したのか?
彼にとって、旅とはその人生にどんな意味を持つのか?
これは、以下にる唐木順三の指摘が納得できる。

旅した地域が東北中心でもあり、原点回帰の場所選定には、少し少ないが、
「野ざらし」紀行ほかでも、関西に出向いている。また、その最終の地は、
大垣でもある。
これから旅する私にとっても、彼の想いと行動は、極めて有益と思う。

まずは、その序文にヒントありか?
芭蕉の著作中で最も著名なおくの細道
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。

しかし、唐津順三の指摘は、
「竿の小文(おいのこぶみ)」「幻住庵記」にある「この一筋」、様々な人生経路や彷
徨の後、
「終に無能無才にしてこの一筋につながる」として選び取った俳諧の画風に
己が生きる道を見出しながらも、その己における在り方には、まだ不安定な
ものがあった。「野ざらし」以後の「旅」の理念、日本の伝統的詩精神を
極めて、「旅」こそ詩人の在り方と心に誓い、一鉢一杖、一所不在、尊敬
する西行の庵生活すらなお束の間の一所定住ではないかと思いつめた旅人
芭蕉にも、ふいと心をかすめる片雲があった。
野ざらしを心にして旅に出て以来、殊に大垣を経て名古屋に入るとき、
己が破れ笠、よれよれの紙衣を見て、「侘つくしたる侘人、われさえ
哀れに覚えける」と言って、「狂句木枯らしの身は竹斎に似たるかな」
の字余りの句を得て以来、芭蕉は、つねにおのが「狂気の世界」を
見出したという自信を持った。



こうして貞享元年(1684)8月、芭蕉は初めての旅に出る。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」と詠んで、能因・西行を胸に秘め、
東海道の西の歌枕をたずねた。
 この「野ざらしを」の句は最初の芭蕉秀句であろう。これも、いよいよ
「和」の位をとった。『野ざらし紀行』(甲子吟行)では「貞享甲子秋八月、
江上の破屋を立ちいづるほど、風の声そぞろ寒げ也」と綴って、この句
を添えている。 どこか思いつめたものがある。
「野ざらし」とは骸骨である。骸(むくろ)である。
「しむ身」は季語「身にしむ」を入れ替えて動かしたもので、それを
「心に風のしむ身かな」と詠んで、心敬の「冷え寂び」に一歩近づく風情とした。
のちに加藤楸邨が「かなしび」をめがけたことがあったものだが、そういう
感覚に近い。 この句はよほどの自信作であったろう。
「野ざらしを心に」「心に風の」「風のしむ身かな」というふうに、句意と
言葉と律動がぴったりとつながっている。
 しかも、そこに「野ざらし」というマイナスのオブジェがはたらいた。
マイナスがはたらいたということは、定家や西行の方法を俳諧にできそう
になってきたということである。
 この句において、芭蕉は自分がはっきりと位をとったことが見えたに
ちがいない。けっして奢ることのない人ではあったけれど、おそらくこの
「負の自信」ともいうべきは、芭蕉をいよいよ駆動させたはずである。



舟で雄島へ向かう芭蕉と曾良 蕪村筆「奥の細道画巻」より 「発句の事は行きて帰る
心の味はひなり」

 野ざらし紀行は9カ月にわたった。伊勢参宮ののちいったん伊賀上野に寄って、それ
から大和・当麻寺・吉野をまわり、さらに京都・近江路から美濃大垣・桑名・熱田と来
て、また伊賀上野で越年し、そこから奈良・大津・木曽路をへて江戸に戻っている。
 ここで芭蕉はついに「風雅の技法」を身につけた。まるで魔法のように身につけた。
たとえば――。

道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
秋風や薮も畠も不破の関
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
春なれや名もなき山の薄霞
水とりや氷の僧の沓(くつ)の音
山路来てなにやらゆかしすみれ草
辛崎の松は花より朧にて
海くれて鴨のこゑほのかに白し

 これらの句には、突然に芭蕉が凛然と屹立しているといってよい。
その変貌は驚くば
かりだ。とくに「道のべの木槿は馬にくはれけり」「明ぼのやしら
魚しろきこと一寸」
「辛崎の松は花より朧にて」「海くれて鴨のこゑほのかに白し」
の句は、これまでの芭蕉秀句選抜では、つねに上位にあげられる名作だ。
 そういう句が9カ月の旅のなかで、一気に噴き出たのである。
「野ざらしを」の句のリーディング・フレーズはみごとに役割を
はたしたのだ。
しかし、ここで注目しなければならないことがある。それは、
これらの句は、それぞれ存分な推敲の果てに得た句であったと
いうことだ。いよいよ今夜の本題に入ることになるが、芭蕉はこの旅
で推敲編集の佳境に一気に入っていったのだ。
どういう推敲だったかというと、たとえば「道のべの木槿は馬
にくはれけり」は、最初は「道野辺の木槿は馬の喰ひけり」や
「道野辺の木槿は馬に喰れたり」だった。また、「明ぼのやしら
魚しろきこと一寸」は「雪薄し白魚しろき事一寸」だったのである。
「雪薄し白魚しろき」では、重畳になる。つまらない。そこで、
白魚から薄雪を去らせて、白さを冴えさせる。芭蕉は推敲のなかで、
こうした編集技法を次々に発見していったのだった。
 もっと劇的な例がある。有名な「山路来てなにやらゆかしすみれ草」。
これを初案・後案・成案の順に見てもらいたい。
(初)何とはなしに なにやら床し すみれ草
(後)何となく 何やら床し すみれ草
(成)山路来てなにやらゆかしすみれ草<

初案と後案の句は、どうしようもないほどの体たらくになっている。
「何とはなしになにやら床し」では、俳諧にさえなってはいない。
これなら今日ですら俳句を齧った者なら、ごく初歩のころに作る
句であろう。 むろん芭蕉としては、道端の菫があまりに可憐で
ゆかしいことを、ただそれだけをなんとかしたかったのである。
『野ざらし紀行』によると、伏見から大津に至った道すがらのことだった。
けれどもその場では言葉を探しきれなかった。それでともかくは
書き留めておいたのだろう。
そこでのちに訂正を入れた。それが「山路来て」という上五の導入
である。これで「なにやらゆかし」が山路にふわっと溶けた。
芭蕉の歩く姿がふわっと浮上した。そして、そのぶん、路傍の一点
の菫色(きんしょく)があっというまに深まったのだ。こうした
推敲編集のこと、このあとでも紹介したい。

「品川を踏み出したらば、大津まで滞りなく歩め」

ところで、なぜ芭蕉は9カ月ものあいだを旅の途上においたのか。
やっと江戸に出てきて、漢詩を離れたばかりなのである。いくら西行
の風雅に気がついたとはいえ、この9カ月は長い。
 しかし、ぼくはしばしば思ってきたのだが、この時間の採り方が
つねに芭蕉をつくっているのではないかということである。
このあとの「笈の小文」の旅が約半年、更科紀行が足掛け3カ月、
奥の細道が半年を超えた。芭蕉はそのたびに充実していった。
いや、頂点にのぼりつめていく。
どうも、ここには決断的算定ともいうべきものがある。自身に課す
習練のパフォーマンスが星座が形をなしていくように、勘定できている。
俳諧をめぐるエディトリアル・エクササイズというものが見えている。
そのパフォーマンスがどうしたら自分の目に、耳に、口に、手について、
その後に化学反応のような「俳句という言葉」に昇華していくかが、
見えている。、、、、、、、
いったい芭蕉はこのような推敲をしつづけることによって、何に近づき
たかったのか。
発句を自立させ、俳諧を一句の俳句として高みに達するようにすること
とは、何だったのか。
それを感じること、また、それを感じさせることが、まさに芭蕉が
追求したことだった。
これは高悟帰俗というものだ。「高く悟りて俗に帰るべし」。
このことはまた、まさに芭蕉を読む日本人が総じて感得すべきことでも
あろう。ぼくははっきりとそう言いたい。
 しかしながらそれをさて、「わび」「さび」というか、「ほそみ」
「かろみ」というかどうかは、まだ芭蕉も自覚していない。
 けれども芭蕉は、もはや「姿」は「形」がつくるもので、「形」は
「誰やら」がつくるものであり、「誰やら」は「今朝」が育むもので
あることであって、それが「春の姿」という面影であるということを、
アルベルト・ジャコメッティとまったく同様の確信をもって、その心
の中央に楔のごとく打ちこんだのであった。

「格に入り、格に出てはじめて、自在を得べし」

貞享の句は芭蕉の前期と後期を分けた。その貞享5年は元禄元年にあたっている。
芭蕉は45歳になっていた。
笈の小文の旅をそのまま更科紀行にのばした芭蕉が、岐阜・鳴海・熱田をへて
8月に更科の月見をしたのちに、江戸の芭蕉庵(この芭蕉庵は火災ののちに
2度目に組んだもの)に戻ってきて、後の月見を開いたのは9月のことである。

それから半年もたたぬうちに、芭蕉は奥の細道の旅に出る。これはそうとうの
速断である。速いだけでなく、何かを十全に覚悟もしている。
あらかじめ芭蕉庵を平右衛門なる人物に譲っているし、「菰かぶるべき心がけ
にて御座候」と言って、乞食(こつじき)行脚を心に期していたふしもある。
そうなのだ。ぼくはこの紀行はまさに乞食行だと思っているのである。

なぜそう思ったのか、ずいぶん以前に『笈の小文』を読んだときのこと
になるのだが、芭蕉が伊勢に参宮したおりに「増賀の信をかなしむ」と
前書きして、「裸にはまだきさらぎの嵐かな」と詠んだことが、心に響いたのだ。


①松尾芭蕉の足跡に付いて、大垣市のマップ
http://gifustory.seesaa.net/article/394108061.html
関連サイト
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic37.html
②野ざらし紀行について
http://www.bashouan.com/Database/Kikou/Nozarashikikou.htm
伊勢から東海を巡る旅であり,今回の原点回帰には、関係がある。

1684年(40歳)、前の年に郷里・伊賀で母が他界したことを受け、墓参りを旅の目的に
、奈良、京都、名古屋、木曽などを半年間巡る。この旅の紀行文は、出発時に詠んだ「
野ざらしを心に風のしむ身かな」の句から『野ざらし紀行』と呼ばれる。

●『野ざらし紀行』から

「野ざらしを心に風の沁む身かな」“行き倒れて骨を野辺に晒す覚悟をしての旅だが、
風の冷たさがこたえるこの身だなぁ”
「馬に寝て残夢月遠し茶の煙」“馬上でウトウトし夢見から覚めると、月が遠くに沈み
かけ、里ではお茶を炊く煙が上がっているよ”
「僧朝顔幾死返る法の松」“朝顔が何度も死と生を繰り返すように僧は入替わるが、仏
法は千年生きる松のように変わらない”
「命二つの中に生きたる桜かな」“お互いに今までよく生きてきたものだ。2人の生命
の証のように、満開の桜が咲き香っているよ”※滋賀・水口の満開の桜の下で20年ぶり
に同郷の旧友・服部土芳と再会した時の句。
「手にとらば消ん涙ぞ熱き秋の霜」“母の遺髪は白髪だった。手に取れば秋の霜のよう
に熱い涙で消えてしまいそうだ”
「死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮」“死にもせずこの旅が終わろうとしている。そんな秋
の夕暮れだ”

※1686年(42歳)頃の句
「古池や蛙(かわず)飛込む水の音」(『蛙合』)※この有名な句は直筆の短冊が現存
している。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」“名月に誘われ池のほとりを恍惚と歩き、気が付け
ば夜更けになっていた”(『孤松』)
「物いへば唇さむし秋の風」(『芭蕉庵小文庫』)

1688年(44歳)、前年の暮れに父母の墓参で伊賀へ帰省し、年が明けて高野山、吉野・
西行庵、奈良、神戸方面(須磨・明石)を旅行。この紀行は『笈(おい)の小文(こぶ
み)』に記された。

「若葉して御目の雫拭はばや」“若葉で鑑真和尚の盲いたお目の涙を拭ってさしあげた
い”(『笈の小文』)※奈良・唐招提寺で鑑真和尚像を見て。今、この木像は国宝にな
っている。300年前に芭蕉が感動したものを、21世紀の僕らも見入っている…なんかク
ラッとくる。

同年秋には長野県に向かい、こちらは『更科(さらしな)紀行』となった。旅に明け暮
れ、風雅に興じる日々を重ねてゆく芭蕉。だが何か納得がいかなかった。旅が楽すぎる
のだ。訪問先では土地の弟子が待ち構えていて最大限のもてなしをしてくれる。過去の
偉大な詩人達は、こんなぬくぬくとした旅で詩心を育んだのではない。もっと自然と向
き合い魂を晒す本当の旅をしなくては…。

1689年3月27日(45歳)、前年は旅尽くしであったのに、年頭から心がうずき始める。
“ちぎれ雲が風に吹かれて漂う光景に惹かれて旅心を抑えきれず”“東北を旅したいと
いう思いが心をかき乱し、何も手がつかない状態”“旅行用の股引(ももひき)を修繕
し、笠ヒモを付け替え、足を健脚にするツボに灸をすえている始末”“話に聞きながら
まだ未踏の土地を旅して無事に帰れたなら詩人として最高の幸せなのだが…”。彼は「
芭蕉庵」を売り払うなど旅の資金を捻出し、万葉集や古今集といった古典に詠まれた歌
枕(名所)を巡礼する目的で、弟子の曾良(そら、5歳年下で博学)を供に江戸を発っ
た。この『おくのほそ道』の旅は、福島県白河市(白河関)、宮城、岩手、山形、北陸
地方を巡って岐阜・大垣に至るという、行程約2400km、7ヶ月間の大旅行となった。知
人が殆どいない東北地方の長期旅行は、最初から多大な困難が予想されており、「道路
に死なん、これ天の命なり」(たとえ旅路の途中で死んでも天命であり悔いはない)と
覚悟を誓っての旅立ちだった。

7月15日、金沢。芭蕉は当地に住む愛弟子の一笑との再会を楽しみにしていたが、彼は
前年冬に36歳で他界していた。「塚も動けわが泣く声は秋の風」“墓よ動いてくれ、こ
の寂しき秋風は私の泣く声だ”。芭蕉は血涙慟哭する。

7月下旬、多太神社(石川県小松市)。源平時代に付近の合戦で討ち取られた老将・斎
藤実盛(木曽義仲の恩人)の兜を前に一句「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
」。※きりぎりすは今のコオロギ。

8月上旬、山中温泉を過ぎたあたりで曾良は腹の病気になり、伊勢長島の親類の家で療
養することになった。3月末からずっと一緒に旅をしてきた曾良がいなくなり、とても
寂しい芭蕉。しかし旅はまだ続く。加賀市の外れにある全昌寺に泊まり、福井に入る計
画を立てる。翌朝旅立つ為に堂を降りると、背後から若い僧侶達が紙や硯(すずり)を
抱えて、必死で追いかけてきた。“「ぜひとも一句を!ぜひとも!」こちらも慌てて一
句をしたためた”。

8月14日、敦賀(福井県)。この夜の月は実に美しかった。近くの神社を散歩すると、
松の木々の間から月光が射し込み、白砂が一面に霜を敷いたように輝いていた。宿に戻
って“明日の十五夜もこうだろうか”と亭主に尋ねると“北陸の天気は変わりやすく明
晩のことも分からぬのです”との返事。翌日は亭主の予想通り雨降りだった。「名月や
北国日和(ほっこくびより)定めなき」。

おくの細道より 敦賀
「その夜、月殊に晴れたり、「明日の夜もかくあるべきにや」といえば、「越路の習い

なお明夜の陰晴はかりがたし」と、あるじに酒勧められて、気比の明神に夜参す。仲哀
天皇の御廟なり。社頭神さびて、松の木の間に月の漏り入りたる、御前の白砂、霜を
敷けるがごとし、往昔、遊行二世の上人、大願発起のことありて、自ら葦を刈り、土石
を荷い、泥汀をかわかせて、参詣往来の煩いなし、古例今に絶えず、神前に真砂を荷い
たまう。「これを遊行の砂持ちと申し侍る」と、亭主の語りける。
 月清し遊行の持てる砂の上
15日、亭主のことばにたがわず雨降る。
 名月や北国日和定めなき


8月末、行程の最終目的地、岐阜大垣に到着。病気が治った曾良が迎えてくれた。“久
しぶりに会う親しい人たちが昼も夜も訪ねてきて、まるで私が生き返った死者の様に、
その無事を喜びねぎらってくれた”。

9月6日、伊勢に向かう為に大垣を出発。新たな旅の始まりだ。※ここで『おくのほそ
道』は終わっている。紀行文のラストが川舟に乗り込む芭蕉の後ろ姿。旅をこよなく愛
する、芭蕉の生き様を象徴した終わり方だ。

■原点回帰の近くを読んだ俳句は、

越後 出雲崎[編集]7月4日 出雲崎(いずもざき)での句。

荒海や 佐渡によこたふ 天の河

市振の関[編集]7月13日 親不知(おやしらず)の難所を越えて市振(いちぶり)の宿
に泊まる。

一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月

越中 那古の浦[編集]7月14日 数しらぬ川を渡り終えて。

わせの香や 分入(わけいる)右は 有磯海(ありそうみ)

金沢[編集]7月15日(陽暦では8月29日)から24日 城下の名士達が幾度も句会を設ける
。蕉門の早世を知る[2]。江戸を発って以来、ほぼ四ヶ月。曾良は体調勝れず。急遽、
立花北枝が供となる。

塚も動け 我泣聲(わがなくこえ)は 秋の風

秋すゝし 手毎(てごと)にむけや 瓜天茄(うりなすび)

  当地を後にしつつ途中の吟
あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風

小松[編集]7月25日から27日 山中温泉から戻り8月6日から7日 懇願され滞在長引くも
安宅の関記述なし。

しほらしき 名や小松吹 萩すゝき

加賀 片山津[編集]7月26日 『平家物語』(巻第七)や『源平盛衰記』も伝える篠原
の戦い(篠原合戦)、斎藤実盛を偲ぶ。小松にて吟。

むざんやな 甲の下の きりぎりす

山中温泉[編集]7月27日から8月5日 大垣を目前に安堵したか八泊後、和泉屋に宿する


山中や 菊はたおらぬ 湯の匂

「曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云う所にゆかりあれば、先立ちて行に」

行行(ゆきゆき)て たふれ伏(ふす)とも 萩の原  曾良

「と書き置たり。」

今日よりや 書付消さん 笠の露

小松 那谷寺[編集]8月5日 小松へ戻る道中参詣、奇岩遊仙境を臨み。

石山の 石より白し 秋の風

大聖寺 熊谷山全昌寺[編集]8月7日 前夜曾良も泊まる。
和泉屋の菩提寺、一宿の礼、庭掃き。

庭掃(にわはき)て 出(いで)ばや寺に 散柳(ちるやなぎ)

終宵(よもすがら) 秋風聞や うらの山 曾良

福井あわら市 吉崎[編集]8月9日 「この一首にて数景尽たり」
 蓮如ゆかり吉崎御坊の地。

終宵(よもすがら) 嵐に波を 運ばせて 月を垂れたる 汐越の松  西行 [3]

敦賀[編集]8月14日、敦賀に到着。晩は、気比の明神社に夜参する。仲哀天皇の御廟也

美しい月夜であった。北国の日和あいにくで名月見れず。

月清し 遊行のもてる 砂の上

ふるき名の 角鹿(つぬが)や恋し 秋の月

月清し 遊行(ゆうぎょう)が持てる 砂の上

名月や 北国日和(ほっこびより) 定(さだめ)なき

大垣[編集]8月21日頃、大垣に到着。門人たちが集い労わる。
9月6日 芭蕉は「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」出発する。 結びの句

蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ行く 秋ぞ

■野ざらし紀行より、

大和から山城を経て、近江路に入り、美濃に至る。今須・山中を過ぎたところに、
いにしえの常磐御前の墓がある。伊勢の荒木田守武が句に詠んだ「義朝殿に
似たる秋風」の句の、義朝と秋風とは、どこがどう似ているのだろうか。
私は私なりに次の一句を吟じて、
_義朝の心に似たり秋の風  枯葉を払いながら、もの淋しく吹き荒(すさ)ぶ
「秋風」は、頼りとした譜代の家来に殺された義朝の、哀れの情念と通じる
ものがあることだよ。
 不 破  不破の関跡で一句詠んで
_秋風や藪も畠も不破の関  秋風寄せる中山道から不破に掛かると、
「不破」を冠して手堅く守った関所も、今は、跡形もなく、その身を、
藪や畠に委ねるばかりの有様となっていた。
大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出る時、野ざらし
を心に思ひて旅立ければ、   大垣に泊まった夜は、朋友の木因の家を宿
にした。武蔵野を出る時、野ざらしも覚悟し、「野ざらしを心に風のしむ身かな」
を矢立て初にしての旅だったので、
_死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮  どうやら、道中、死にもせず大垣の友の家
にたどり着いたと、感慨も一入(ひとしお)で迎えた秋の夕暮れであるよ。
 
野ざらし紀行 九  
  桑名、熱田、名古屋  
 桑名本当寺にて  桑名本当寺(本統寺)にて
_冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす  千鳥を聞きながら、雪中に牡丹とは、
なかなか見られない光景であるよ。今の今まで、牡丹とくればほととぎす、
と思っていたのに。
草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに浜のかたに出て、  旅寝にあきて、
まだほの暗いうちに浜辺に出かけて行って、
_明ぼのや白魚白きこと一寸  白みはじめた伊勢の浜辺に、幼い白魚が
一寸ほどの生涯を終えて、白く横たえているのは、神々(こうごう)しくも、
美しくも見えるものであるよ。
  熱田に詣  熱田神宮に参拝する
社頭大いに破れ、築地は倒れて叢に隠る。かしこに縄を張りて小社の跡をしるし、
爰に石を据ゑて其神と名のる。蓬・忍、心のままに生たるぞ、中々にめでたき
よりも心とどまりける。
  社殿の周囲はたいそう荒廃し、築地は倒れてくさむらに隠れる有様である。
あちらに縄を張って末社の跡地をしるし、こちらには石をすえてその神に
見立てている。よもぎや、しのぶ草が、自由に広がり生えているのが、
かえって、りっぱな佇まいであるよりも、心がひきつけられる。
_しのぶさへ枯て餅買ふやどり哉
 [熱田で]  熱田神宮に参拝したのだが、荒廃をつくして、むかしを想う
よすがの、しのぶ草まで枯れていたよ。帰りに、茶店に立ち寄って、時の移りを
儚く想いながら餅を食べたことである。
 名古屋に入(いる)道の程風吟す  名古屋に入る道すがら、句を詠んで
_狂句木枯の身は竹斎に似たる哉[資料]
 [名古屋で]  木枯らしに吹かれ、あちらへこちらへと、狂句を吟じながら
漂泊を続ける私の身の上は、かの竹斎と似ていることであるよ。
_草枕犬も時雨るか夜の声
 [名古屋で]  時雨の夜の静けさを破って、犬の声が聞こえてくる。
あの犬も、仮寝のあわれを嘆いているのだろうか。
  雪見に歩きて  雪見に歩いて
_市人(いちびと)よ此笠売らう雪の傘
 [名古屋で]  わたしのこの破れ笠も、雪をかぶるとなかなか趣が
あってよいものです。町の人、よろしかったら、わたしと旅寝
を共にしてきたこの笠を売りますよ。
  旅人を見る  旅人を見る
_馬をさへながむ(詠)る雪の朝哉
 [名古屋に入る前に、熱田で]  一面の新雪に朝日がきらめいて、
あまりに美しいものだから、通りがかりの旅人、そして馬さえも、
この景色の中に詠み入れてしまうしまことだ。
  海辺に日暮して  海辺に日が暮れて 
_海暮れて鴨の声ほのかに白し
 [名古屋からの帰りに、熱田で]  宵やみの海辺に淋しくたたずんで
いると、さざなみの音のかなたより、夜の入りから取り残されたように、
鴨の鳴き声がほの白く聞こえてくるよ。

【参考資料】 芭蕉が熱田で詠んだ句(作句順に表示)
(1)「野ざらし紀行」で取り上げていないが、芭蕉は、熱田到着の日、
止宿した桐葉亭における句会で、次の発句を詠んでいる。
連衆は、芭蕉、桐葉、東藤、叩端、如行、工山。芭蕉は、共に旅した
草鞋と笠を海に捨てんとまで叙し、桐葉に深い信頼を表意した。
  旅亭桐葉の主、志浅からざりければ、しばらく留まらむとせしほどに
  此海に草鞋捨てん笠時雨    芭蕉翁
   剥くも侘しき波のから蠣   桐葉 (以下略)
  (六吟表六句歌仙。東藤編「熱田皺筥物語」<元禄八年跋>)
(2)次は、(1)の翌日、閑水亭で巻いた四吟一巡歌仙の発句。
連衆は、芭蕉、閑水、東藤、桐葉。「熱田皺筥物語」に、本歌仙が、
(1)の翌日に巻かれたとして「次の日」の注を記す。
  馬をさへ詠る雪の朝かな    翁
   木の葉に炭を吹おこす鉢   閑水 (以下略)
  (四吟一巡歌仙。「熱田皺筥物語」)
(3)熱田神宮に参詣して詠んだ発句で、これに、桐葉が脇句を付けている。
   熱田に詣
  しのぶさへ枯て餅買ふやどり哉 翁
   皺び付したる根深大根    桐葉
  (発句・脇。「熱田皺筥物語」)
(4)本句は、名古屋からの帰りに熱田に立ち寄り、芭蕉、桐葉、東藤、
工山を連衆として巻かれた四吟歌仙の発句。闌更編「俳諧蓬莱島」
(安永四年刊)に、「貞享元年朧月十九日」と付記されている。
   尾張の国熱田にまかりける比、人々師走の海見んとて船さしけるに
  海暮れて鴨の声ほのかに白し  翁
   串に鯨を炙(あぶ)る盃    東藤 (以下略)
  (貞享元年十二月十九日。四吟歌仙。「熱田皺筥物語」)

しかしいま、あらためてふりかえってみると、芭蕉が成し遂げたことは、
やっぱり貫之(512)、定家(017)、世阿弥(118)、宗祇、契沖に続く
日本語計画の大きな大きな切り出しだったというふうに、見えている。
この切り出しには、発句の自立といった様式的なことも、いわゆる「さび」
「しをり」「ほそみ」「かろみ」の発見ということも、高悟帰俗や高低
自在といった編集哲学も、みんな含まれる。

では、なぜ芭蕉がそれをできたのかといえば、あの、時代の裂け目を象
(かたど)る江戸の俳諧群という団子レースから、芭蕉が透体脱落した
からである。さっと抜け出たからである。
 それは貫之が六歌仙から抜け出し、世阿弥が大和四座から抜け出した
のに似て、その表意の意識はまことに高速で、その達意の覚悟はすこぶる
周到だった。

荘子は、千里の旅をする者は、三ヶ月も前から食料を用意すると言っているが、わたし
は道中食を持たずに、ただ「夜更けの月明かりのもと、俗世間を離れ仙境に入る」とい
う古人の言葉をよりどころとして、貞享元年の秋八月、いよいよ隅田川のあばら屋を旅
立つ。荒れ野を通り抜けていく風の音を聞くと、つい、薄ら寒い思いに駈られることで
ある。
_野ざらしを心に風のしむ身かな   道々行き倒れ、頭骨を野辺にさらそうともと、覚
悟しての旅ではあるが、風の冷たさが、むやみにこたえる我が身であるよ。
_秋十年却て江戸を指故郷  江戸住まいもかれこれ十年になる。故郷に向かう旅ながら
、かえって江戸が恋しくなってしまうとは。
関越ゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。  箱根の関所を越える日は雨降りで、山はみ
な雲に隠れてしまっている。
_霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き  今日は霧が深くかかって、草庵から幾たびもながめ
たあの富士山が見られない。けれども、こうして霧の中に聳える富士を思い描くという
のも一興であるよ。
何某千里と云けるは、此度道の助けとなりて、万いたはり、心を尽し侍る。常に莫逆の
交深く、朋友信有哉、此人。  何某千里という人が、この度、道中の助けとなってくれ
て、あれこれといたわり、真心を尽くしてくれている。わたしとはふだんから交わりが
深い人で、友に対して信義を守ってくれる方ですよ、この人は。
 深川や芭蕉を富士に預行  千里  とうとう、深川が遠くに思われるところまでやっ
て来たなあ。芭蕉庵での翁の生活を、みんな霊峰富士に預かってもらって、旅を続ける
ことにしよう。
[語 釈]

千里に旅立て、路粮を包まず
荘子の逍遥遊篇に「適千里者三月聚糧」がある。千里二適(ゆ)ク者ハ三月糧(かて)ヲ聚
(あつ)ム。
「路粮(路糧)」は道中の食料。
三更月下無何に入
中国の禅僧広聞の句に「路不齋粮笑復歌、三更月下入無何」(江湖風月集)がある。路粮
(かて)ヲ齋(つつ)マズ笑ツテ復(ま)タ歌フ。三更月下無何二入ル。

「三更」は、日没から日出までを五等分した中の三つ目の時刻を指す。午後十一時ごろ
から午前三時ごろ。「無何」は、「無何有(むかう)」と同義。自然のままで何のこしら
えもしないこと。
甲子
こうし、かっし。十干(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)と十二支(子、丑、
寅、卯、・・・)とを組合せた干支(えと)の第一番目。貞享甲子は貞享元年。貞享二年
の干支は乙丑。
野ざらし
髑髏(どくろ)、しゃれこうべ。
莫逆
ばくげき、ばくぎゃく。極めて親密な間柄。
朋友信有哉
ほうゆうしんあるかな。
「論語」の「学而」に「曽子曰、吾日三省吾身、為人謀而不忠乎、與朋友交而不信乎」
がある。曽子曰ク、吾レ日二三タビ吾身ヲ省ル、人ノ為二謀(はか)リテ忠ナラザルカ。
朋友ト交ワリテ信ナラザルカ。

孟子の説いた五倫にも。「父子親有、君臣義有、夫婦別有、長幼序有、朋友信有」。父
子親(しん)アリ、君臣義アリ、夫婦別アリ、長幼序アリ、朋友信アリ。


「鎖(じょう)明けて月さしいれよ浮御堂(堅田)」

「やすやすと出でていざよう月の雲(堅田)」

「病雁の夜寒(よさむ)に落ちて旅寝かな(堅田本福寺)」

「海士(あま)の屋は小海老にまじるいとどかな(堅田漁港)」

「朝茶飲む僧静かなり菊の花(堅田祥瑞寺)」

「比良三上雪さしわたせ鷺(さぎ)の橋(本堅田浮御堂)」

「海晴れて比叡(ひえ)降り残す五月かな(新唐崎公園)」

三島由紀夫「豊饒の海」メモ



(一)春の雪

松枝公爵家は渋谷の郊外の高台にあり、14万坪の広大な敷地に和風の母屋と壮麗な洋館
を持っていた。松枝家の嫡男清顕は、綾倉伯爵家の令嬢聡子と幼馴染であった。綾倉家
は麻布の旧武家屋敷に住んでいた。あるとき、聡子に宮家との縁談話が持ち上がり、そ
れをきっかけに、満18歳の清顕と20歳の聡子は道ならぬ恋に落ちる。侍女の蓼科の手引
きで逢瀬を重ねるが、聡子が身ごもってしまい、奈良の月修院(天理の北、桜井線帯解
駅近くとの設定)の門跡のもとに身を寄せ、出家する。清顕は真冬の寒さの中、月修院
をたずねるが、聡子に会えるはずもなく、風邪で高熱を出して、友人の本多に連れられ
て帰京し、「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」と言い残して、
この世を去る。
この物語をはじめから終わりまで見守るのが、清顕の友人の本多繁邦である。月修院の
根本教義は唯識であるが、その根幹をなすのは阿頼耶(アーラヤ)識である。法曹を目
指す本多は、なぜか唯識の教義に強く引かれるのであった。
飯沼茂之は書生として松枝家に寄食している。彼の息子の飯沼勲は第2巻の主人公にな
る定めである。
清顕らはタイ王室のクリッサダ王子とジャオ・ピー王子と親交を深めていた。清顕と本
多、そしてタイの二人の王子は、松枝家の鎌倉の別荘に海水浴に行く。そこで本多は、
清顕の左のわき腹に、小さな三つの黒子があることに目をとめた。本多は、王子たちか
ら、輪廻転生の物語についての話を聞く。月光姫ジン・ジャンは、クリッサダ王子の妹
であり、ジャオ・ピー王子の恋人であったが、ある日突然、王大后から、月光姫が死ん
だ、との手紙が舞い込む。同じ名前の、次の月光姫が、第3巻の主人公となる。

一見女らしくない勇気を以って、不吉な犬の屍を指摘した聡子は、持ち前のその甘くて
張りのある声音といい、物事の軽重をわきまえた適度な朗らかさといい、正しく
その率直さのうちに、手ごたえある優雅さを示していた。それは硝子の容器のなかの
果物のような、新鮮で生きた優雅であるだけに、清は自分の躊躇のを恥じ、聡子の
教育者的な力を怖れた。、、、、
おそらく犬は、すでに傷ついたか病んだかして、水源で水を呑もうとして落ち、その
溺れた骸が流されて、滝口の岩に堰かれたのであろう。本多は聡子の勇気に感動して
いたが、同時に、仄かな雲の漂う滝口の空の澄みやかさ、水の清冽なしぶきを浴びて
宙に懸かっている真っ黒な犬の屍、そのつやつやと濡れた毛、ひらいた口の牙の純白
と赤黒い口腔のすべてを、すぐ間近に見るような気がしていた。、、
人々はこういう尊い方の存在が、みるみる不吉を清めて、小さくても暗い出来事を、
大きな光明の空に融かしこんでくださるように感じた。


もしここで彼が胸襟を披けば、本多はずかずかと彼の心の中へ踏み入ってくることは
しれており、誰であれそんな振る舞いを許せない清は、たちまちこのたった一人の
友をも失うことになるであろう。本多も、しかし、この時にすぐに清の心の動き
を理会した。彼と友人であり続けようとすれば、粗雑な友情を節約せねばならぬ
ということ。その塗り立ての壁にうっかり手をついて、手形を残すような事を
すべきでないということ。
場合によったら、友の死苦をさえ看過せねばならぬということ。とりわけそれが、
隠すことによって優雅になりえている特別な死苦ならば。


月はあきらかで、風が木々の梢に吠えていた。父は後からついてくる執事の山田の
幽霊のような姿に、一切注意を払わなかったが、清は気になって一度だけ振り向いた。
寒空にインパネスも着ず、常のような紋付袴の白い手袋に紫の袱紗包みを捧げ持って、
山田は,足が悪いので、そうろうとして来る。眼鏡が月に光って、霜の様である。
終日ほとんど言葉を交わさないこの忠実無類の男が、体の中にどんな錆びた感情の
発条をたくさん溜め込んでいるか、清は知らない。しかしいつも快活で人間的な
父侯爵よりも、この冷たい無関心な息子の方が、はるかに他人の中に感情の
存在を認めがちだったのである。
梟が鳴き、松の梢のざわめきが、多少酒にほてった清の耳朶に、あの戦死者の
弔祭の写真の、悲壮な葉叢を風になびかせている木々のざわめきを伝えた。

彼女は斜めに顔を伏せていたので、彼は直ぐ眼下に、自分の膝の上に、傷つき
やすい潤んだ小さな黒い滴のように留まっている彼女のみひらいた目を見る
ことが出来た。それはひどく軽く、かりそめにそこに停まった蝶のようだった。
長い睫の目ばたきは蝶の様に羽ばたき、その瞳は翅の不思議な斑紋。
あんなに誠実の無い、あんなに無関心な、あんなに今にも飛立ってゆきそうな、
不安で、浮動的で、水準器の気泡のように、傾斜から平衡まで、放心から
集中まで、とめどなくゆききする目を、繁は見たことが無い。それは決して
媚びではない。さっき笑って喋っていたときよりも、眼差しはずっと孤独になり、
彼女のとりとめのない内部の煌めきの移り行きを、無意味なほど正確に
写し出しているとしか見えなかった。
そしてそこに拡がる迷惑なほどの甘さと薫りも、決してことさらな
媚びではなかった。


水が馴染んだ水路へ戻るように、またしても彼の心は、苦しみを愛し始めていた。
彼のはなはだわがままで、同時に厳格な夢想癖は、逢いたくても逢えないという
事情のないことにむしろ苛立ち、飯沼のお節介な手引きを憎んだ。彼らの働きは
清の感情の純真さ敵であった。こんな身を噛む苦痛と想像力の苦痛を、清は
すべて自分の純潔から紡ぎ出すほかはないことに気づいて、ほこりを傷つけられた。
恋の苦悩は多彩な織物であるべきだったが、彼の小さな家内工場には、
一色の純潔の糸しかなかったのだ。


何とこの女たちは、笑いさざめき、楽しげで、自分たちの肉の丁度頃合の熱さの
風呂にたっぷりとひたっていることだろう。仕方話の指の立て方、白いなめらかな
咽喉もとに小さな金細工の蝶番でもはまっていそうな、その一定のところで
止まるうなずき方、人の揶揄を受け流すときの、一瞬の戯れの怒りを目元に刻み
ながら、口は微笑を絶やさないその表情、急に真顔になって客のお談義をきくときの
その身の入れ方、一寸髪へ手をやるときのやるせなげな刹那の放心、そういう
様々な姿態のうちに、清がしらずしらず比べているのは、芸者たちの頻繁な流し目
と、聡子のあの独特な流し目との違いであった。この女たちの流し目はいかにも
敏活で愉しげだったが、流し目だけが独立して、うるさい羽虫のような飛び回り
すぎるきらいがあった。それは決して聡子のそれのような、優雅な律動の裡うち
に包まれてはいなかった。


四月は晴れの日がまことに少なく、暗い空の下で、日増しに春が薄れ、夏が兆し
ていた。門構えばかりが立派な武家屋敷の、質素なつくりの部屋の肘掛窓から
手入れのとどかぬひろい庭を眺めていると。椿もすでに花が落ちて、その黒い
固い葉叢から新芽がせり出し、柘榴も、神経質な棘立ったこまかい枝葉の尖端に
ほの赤い眼を突き出しているのに気づいた。新芽はみな直立し、そのために
庭全体が、爪先たって背伸びしているように見える。庭が幾分か高くなったのだ。



そのとき雲一つない空の何処かから轟くような声がする。
「偶然は死んだ。偶然と言うものはないのだ。意志よ、これからお前は永久に
自己弁護を失うだろう」
その声を聞くと同時に、意志の体が崩れ始め溶けはじめる。肉が腐れて落ち、
みるみる骨が露わになり、透明が奨液が流れ出し、その骨さえ柔らかく
溶けはじめる。意志はしっかりと両足で大地を踏みしめているけれど、
そんな努力はなにもならないのだ。
白光に充たされた空が、怖ろしい音を立てて裂け、必然の神がその裂け目から
顔をのぞけるのは、正にこの時なんだ。
俺はどうしてもそんな風に、必然の神の顔を、見るも怖ろしい、忌まわしい
ものにしか思い描くことが出来ない。それはきっと俺の意志的性格の弱み
なんだ。しかし偶然が1つも無いとすれば、意志も無意味になり、歴史は
因果律の大きな隠見する鎖に生えた鉄錆びにすぎなくなり、歴史に関与するものは、
ただ1つ、輝かしい、永遠不変の美しい粒子のような無意志の作用になり、
人間存在の意味はそこしかなくなるはずだ。


その窓からよほど首をさしのべなければ、九段目の滝が滝壺に落ちる辺りが
見えないほどに、窓辺の欅けやき若葉の繁りは深くなっていた。池もまた、
岸ちかいかなりの部分が薄緑のじゅん菜の葉におおわれ、河骨こうほねの黄の花は
まだ目につかないが、大広間の前の八橋風の石橋のひまひまに、花菖蒲が紫や白の
花盛りを、その鋭い緑の剣のような葉の叢生から浮き上がらせていた。
窓框かまちにとまっていたのが、ゆっくりと室内へ這い上がって来ようとしている
一疋の玉虫に清は目をとめた。
緑と金に光る楕円の甲冑に、あざやかな紫紅の二条を走らせた玉虫は、触覚を
ゆるゆると動かして、糸鋸のような肢をすこしづつ前へ移し、その全身に凝らした
沈静な光彩を、時間のとめどもない流れの裡うちに、滑稽なほど重々しく保っていた。
見ているうちに清の心はその玉虫の中へ深くとらえられた。虫がこうして燦然
たる姿を、ほんの少しづつ清のほうへ近づけてくる、その全く意味のない移行は、
彼に、瞬間ごとに容赦なく現実の局面を変えていく時間と言うものを、どうやって
美しく燦然とやりすごすかという訓えを垂れているように思えた。
彼自身の感情の鎧はどうだろうか?
それはこの甲虫の鎧ほどに、自然の美麗な光彩を放って、しかも重々しく、あらゆる
外界に抗うほどの力があるだろうか?清はそのとき、ほとんど、周囲の木々の茂りも
青空も、雲も、棟棟の甍も、すべてのものがこの甲虫をめぐって仕え、玉虫が今、
世界の中心、世界の核をなしているような感じを抱いた。


深夜の浜には人影ひとつなかったが、たかだかとみよしをかかげた漁船が砂に
落としている黒い影は、あたりが眩いだけに頼もしく思われた。船の上は月を
浴びて、船板も白骨のようである。そこへ手をさしのべると、手が月光に
透くかのようだ。海風の涼しさに、二人はすぐに船蔭で肌を合わせた。
聡子はめったに着ない洋服の輝くばかりの白さを憎み、自分の肌の白さも忘れて、
すこしも早くその白を脱ぎ捨てて病みに身を隠したいと望んでいた。誰も
見ていないはずなのに、海に千々に乱れる月影は百万の目のようだった。聡子は
そらにかかる雲を眺め、その雲の端に懸かって危なくまたたいている星を眺めた。
清の小さな固い乳首が、自分の乳首に触れて、なぶりあって、ついには自分の
乳首を、乳房の豊溢ほういつの中へ押しつぶすのを聡子は感じていた。それには
唇の触れ合いよりももっと愛しい、何か自分が養っている小動物の戯れの触れ合い
のような、意識の一歩退いた甘さがあった。肉体の外れ、肉体の端で起こっている
その思いもかけない親交の感覚は、目を閉じている聡子に、雲の外れにかかっている
星のきらめきを思いださせた。そこからあの深い海のような喜びまでは、もう一路
だった。ひたすら闇に溶け入ろうとしている聡子は、その闇がただ、漁船の
侍らしている蔭にすぎないと思うとき、恐怖にかられた。それは堅固な建物や
岩山の影ではなくて、やがて海へ出てゆく筈のもの、かりそめの蔭にすぎなかった。
船が陸にあることは現実ではなく、その確乎たる蔭も幻に似ていた。彼女は今にも、
そのかなり老いた大ぶりの漁船が、砂の上を音もなく滑り出して、海へ逃れていく
様な危惧を抱いた。その船の影を追うには、その影の中にいつまでもいるためには、
自分が海にならなくてはならない。そこで聡子は、重い充溢のなかで海になった。

こうして金砂子に小松を配した美しい料紙の上に、おそれげもなく、墨を豊かに
含ませた筆の穂先を落としたときのことを想起すると、それにつれて、一切の
情景が切実に浮かんだ。聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしていた。
かがみ込んで巻物を書いている時、熱心の余り、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい
黒髪にもかまわず、そのちいさな細い指をしっかりと筆にからませいたが、
その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、下唇をむざんに
噛み締めた小さく光る怜悧な前歯、幼女ながらすでにくっきりと通った鼻筋などを、
清は飽かずに眺めていたものだ。それから憂わしい暗い墨の匂い、紙を走る
筆がかすれるときの笹の葉裏を通う風のようなその音、硯の海と岡という
不思議な名称、波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、
墨の金箔が剥がれて散らばったのが、月影の散光のように見える永遠の夜の海。


しかもそれはカサネの色目に言う白藤の着物を着た豪奢な狩りの獲物で
あるばかりではなく、禁忌としての、絶対不可能としての、絶対の拒否
としての、無双の美しさを湛えていた。聡子は正にこうあらねばならなかった。
そしてそのような形を、たえず裏切り続けて彼を脅かして来たのは、
聡子自身だったのだ。見るがいい。彼女はなろうと思えばこれほど神聖な
美しい禁忌になれというのに、自ら好んで、いつも相手をいたわりながら
軽んずる、いつわりの姉の役目を演じ続けていたのだ。
清が遊び女の快楽の手ほどきを頑なにしりぞけたのは、以前からそんな聡子の
うちに、丁度繭を透かしてほの青い蛹の成育を見守るように、彼女の存在
のもっとも神聖な核を、透視し、かつ、予感していたからにちがいない。
それとこそ清の純潔は結びつかねばならず、その時こそ、彼のおぼめく
悲しみに閉ざされた世界も破れ、誰も見たことのないような完全無欠な曙
が漲るはずだった。

小さな漆の蓋の外れに、熱い餡が紫がかって、春泥のようにはみ出しているのが
徐々に乾いた。

艶やかに日に照る柿は、一つの小枝にみのった一双の片方が、片方に漆のような
影を宿していた。ある一本ひともとは、枝と言う枝に赤い粒を密集させ、それが
花とちがって、のこる枯葉がかすかにゆらぐほかは風の力を寄せ付けないので、
夥しく空へ撒き散らされた柿の実は、そのまま堅固に鋲留めでもしたように、不動の
青空へ嵌め込まれてしまっていた。
道野辺の草紅葉さえ乏しく、西の大根畑や東の竹藪の青さばかりが目立った。
大根畑のひしめく緑の煩瑣な葉は、日を透かした影を重ねていた。やがて西側に
沼を隔てる茶垣の一連が始まったが、赤い実をつけた美男葛かずらがからまる
垣の上から、大きな沼の澱みが見られた。ここをすぎると、道はたちまち暗み、
立ち並ぶ老杉のかげへ入った。さしもあまねく照っていた日光も、下草の笹に
こぼれるばかりで、そのうちの一本秀でた笹だけが輝いていた。
かすかに冷気が身にしみたので、ショールを肩にかける仕草をした。もう一度
ふりかえった婦人の目はじに、ひるがえるショールの虹が映った。
門内に色づいているこの数本の紅葉は、敢えて艶やかとは言いかねるけれど、
山深く凝った黒ずんだ紅が、何か浄化されきらない罪と言った印象を婦人に与えた。
それが婦人の心に、突然、錐のような不安を刺した。後ろの聡子のことを
考えていたのである。紅葉のうしろのかぼそい松や杉は空をおおうに足らず、
木の間になおひろやかな空の背光を受けた紅葉は、さしのべた枝枝を朝焼け
の雲のように棚引かせていた。枝の下からふりあおぐ空は、黒ずんだ繊細な
もみじ葉が、次か次へと葉端を接して、あたかも臙脂色のレースを透かして
仰ぐ空のようだった。

二組の夫婦は、永い付き合いにも一度も見せなかった裸の顔をさらしていた。
とはいうものの、夫人同士は顔をそむけ合って、自分の良人のほうばかりを
盗み見ている。男同士が相対しているのだが、伯爵のほうはうつむきがちで、
卓布へかけている手も雛の手のように白く小さいのに、侯爵はその裏にしっかり
した精力の裏打ちを欠いているとじゃいいながら、怒った癇筋が眉間に逆立った
大ベシ見の面を思わせる逞しい赤ら顔である。夫人たちの目にも、とても伯爵
のほうに勝ち目が有りそうには思われない。
事実、はじめ怒鳴り散らしていたのは侯爵のほうだったが、怒鳴っているうちに、
さすがに侯爵は、何から何まで強い立場の自分が威丈高になっている間の悪さ
を感じていた。目の間にいる相手ほど、衰えた弱小な敵はいなかった。顔色も
悪く、黄ばんだ象牙を掘り込んだような、薄い稜角の整った顔立ちが、悲しみ
とも困惑るかぬものを浮かべて黙り込んでいる。伏目がちな目は、深い二重瞼が、
1そうその目の陥没と寂寥を際立たせ、侯爵は今更ながらそれを女の眼だと思った。
伯爵の、だるそうな、不本意げな、身を斜交いに椅子に掛けた風情には、侯爵の
血統のどこにも見当たらぬ、あの古いなよやかな優雅が、もっとも傷つけられた
姿でありあり透かして見られた。それは何か、汚れ果てた白い羽の鳥の亡骸の
ようだった。鳴き声は良かったかもしれないが、肉も美味ではなく,所詮
食べられない鳥の。

帯解の町の狭い辻辻をすでに車は抜けて、かなたに霞む山腹の月修寺まで、田畑の
あいだをひたすら行く平坦な野道にかかっていた、稲架はぎの残る刈田にも、
桑畑の枯れた桑の枝にも、またその間の目に滲む緑を敷いた冬菜畑にも、沼の
赤みを帯びた刈れ葦や蒲の穂にも、粉雪は音もなく降っていたが、積もるほど
ではなかった。そして、清の膝の毛布にかかる雪は、目に見えるほどの水滴も
結ばないで消えた。空が水のように白んでくると思うと、そこから希薄な日が
さしてきた。雪はその日ざしの中で、ますます軽く、灰のように漂った。
いたるところに、枯れた芒のぎが微風にそよいでいた。弱日を受けてそのしなだれた
穂の和毛にこげが弱く光った。野の果ての低い山々は霞んでいたが、却って空の遠くに
1箇所澄んだ青があって、遠山の頂きの雪が輝いて見えた。
それは実にしんとした場所だった。車の動揺と重い瞼とが、その景色を歪ませ、
攪拌しているかもしれないけれど、悩みと悲しみの不定形な日々を送って来た
彼は、こんな明晰なものには久しく出会わなかった気がした。しかもそこには
人の影は1つもなかった。、、、、
また少し空が拓けて、薄日の中に雪が舞っていたが、路の傍らの藪の中で雲雀
らしいさえずりが聞こえた。松並木に混じる桜の冬木には青苔が生え、藪に
混じる白梅の1本が華をつけていた。
目を驚かすものは何もないはずなのに、今、車から、綿を踏むような覚束ない足を
地へ踏み出して、熱に犯された目で見回すと、すべてが異様にはかなく澄み切って
毎日見慣れた景色が、今日初めてのような、気味の悪いほど新鮮な姿で立ち現れた。
その間も悪寒はたえず、鋭い銀の矢のように背筋を射た。
道野辺の羊歯、藪柑子の赤い実、風にさやぐ松の葉末、幹は青く照りながら葉は
黄ばんだ竹林、甚だしい芒、その間を氷った轍のある白い道が、ゆくての杉木立ち
の闇へ紛れ入っていた。この、全くの静けさのうちの、隅々まで明晰な、そして
言わん方ない悲愁を帯びた純粋な世界の中心に、その奥の奥の奥に、紛れもなく
聡子の存在が、小さな金無垢の像の様にいきを潜めていた。しかし、これほど
澄み渡った、馴染めのない世界は、果たしてこれが住みなれた「この世」であろうか?


冷え冷えとした部屋は寂としている。雪白の障子は霧のような光りを透かしている。
そのとき本多は、決して襖一重というほどの近さではないが、遠からぬところ、
廊下の片隅か一間を隔てた部屋化と思われる辺りで、幽かに紅梅の花が開くような
忍び笑いを聞いたと思った。しかしすぐそれは思い返されて、若い女の忍び笑い
ときかれたものは、もし本多の耳の迷いでなければ、たしかに孤の春寒の空気を伝わる
忍び泣きに違いないと思われた。強いて抑えた嗚咽の伝わるより早く、弦が断たれた
ように、嗚咽の絶たれた余韻がほの暗く伝わった。そこですべては耳のつかのまの
錯覚であったかのように思われだした。










(三)暁の寺

昭和16年、47歳になった本多は、五井物産の弁護士として、前年にシャムからタイと国
名が変更になった国の首都、バンコックにやってきていた。そこで本多は、タイ王室の
7歳になる月光姫のことを知るが、姫は自分が日本人の生まれ変わりである、といって
いるという。姫に会いに行った本多は、姫が、清顕と本多が松枝邸で月修院門跡と会っ
た年月や、勲が逮捕された年月日を正確に知っていることに驚いた。しかし、池で無邪
気に水浴びをする姫の腋の下には、三つのほくろはなかった。
インドを旅行し、ベナレスとアジャンターを訪れた本多は、日本に帰国しする。戦争が
始まり、空襲で焼け野原になった渋谷の道玄坂の松枝邸を訪れ、蓼科と再開する。聡子
は月修院で元気にしているという。本多はひたすら、唯識論と輪廻転生の研究にいそし
む。
戦争が終わり、58歳になった本多は、昭和27年、御殿場に5,000坪の別荘を手に入れる
。そして、焼け野原の東京で、旧宮家が開いた骨董店で、34年前にシャムの王子ジャオ
・ピーが失った月光姫ジン・ジャンの形見の指輪を発見したのである。そして、2代目
の月光姫は、18歳になり、日本に留学に来ていた。本多は、策を弄して、成長した月光
姫の腋の下のほくろを確認しようとするが、うまくいかない。彼は、姫の腋の下のほく
ろを確認するために、プールまで作ったのであった。そしてついに、姫を、自分の別荘
のパーティーに招くことに成功し、腋の下に、わずかに見える小さな三つの黒子を確認
するが、突然の火事で、別荘は焼け落ち、姫の居所もわからなくなってしまう。
昭和42年、本多は、たまたま、東京の米国大使館の晩餐会で、バンコックのアメリカ文
化センター長をしているという米国籍のタイ人女性に出会った。本多は、彼女こそがジ
ン・ジャンであることを疑わなかった。しかし、彼女の口からは、驚くべき事実が知ら
された。ジン・ジャンは彼女の双子の妹であり、20歳になった春に、庭でコブラにかま
れて命を落とした、というのであった。

(四)天人五衰

本多繁邦は76歳になっていた。妻の梨枝はすでに死に、男やもめになって、一人で旅に
出ることがよくあった。
昭和45年、16歳の安永透は、清水港の船舶の出入りを監視する帝国信号通信社に勤務し
ていた。貨物船の船長をしていた父が海で死に、その後まもなく母が死んでから、貧し
い伯父の家に引き取られた彼は、中学を卒業すると、県の補導訓練所に1年通い、そこ
で三級無線通信士の資格をとって、帝国信号に就職したのである。透は、凍ったように
青白い美しい顔をしていた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。しかし、眺めるこ
との幸福は知っていた。最も美しいのは目だった。睫は長く、冷酷きわまる目が見かけ
はまるで、絶えず夢みているようだった。この孤児は、どんな悪も犯すことのできる自
分の無垢を確信していた。脇腹には3つの黒子が昴の星のように象嵌されている。透は
それを自分があらゆる人間的契機から自由な恩寵を受けていることの、肉体的な証だと
考えていたのである。
ある日、本多は、女友達の慶子に、謡曲羽衣で有名な三保の松原を見たいと言われ、案
内する。天女は漁夫の白龍に衣を奪われ、涙を流し、髪に挿した花もしおれ、「天人の
五衰」の相が現れる、と言う筋書きである。本多は、三保の松原を訪れた帰りに、信号
所を見学し、透の脇腹に三つの黒子が並んでいるのを見て取る。本多は、すぐに、透を
養子にすることを決意する。そしてその晩、慶子に、これまで本多が見てきた、転生の
秘密を語る。「もうこれを知ってしまったら、知ったものは二度と美しくありえないと
言うことだよ。賢者の五衰だ。知っていてなほ美しいなどということは許されない。」
しかし、あの少年は、清顕、勲、ジン・ジャンとは異なっているところがあるように見
えた。あの少年は、知っていてなほかつ美しい。しかも、少年の内面は本多の内面と瓜
二つのように思われる。透は、本多の養子になることを承諾した。
本多は、透に何人もの家庭教師を付け、透は普通より遅れて、17歳で高校に進学した。
高校2年のとき、透に縁談の話が来た。法曹界の実力者の娘で、濱中百子といった。透
は百合子の心を散々もてあそんだ挙句に、破談にさせてしまった。
20歳で東大に入学してから、透は、80歳になった本多に対して逆らうようになった。本
多は、透がジン・ジャンの本物の生まれ変わりで、21歳の誕生日までに死んでくれるこ
とを望んでいた。本多の友人の慶子は、透をパーティーに呼び、その席で、本多が透を
養子にした本当の理由を教える。「あなたを養子にし、理に合わない「神の子」の誇り
を打ち砕き、世間並の教養と幸福の定義を注ぎ込み、どこにでもいる凡庸な青年に叩き
直すことで、あなたを救おうとしたんです。」しかし、「あなたはきっと贋物だわ。」
と言い放つ。
そういわれた透は、本多から、清顕の「夢日記」を借りて読み、12月28日の夜に服毒自
殺を図る。命は取止められたが、完全に失明した。21歳の誕生日を迎えても、透に死ぬ
気配はなかった。
81歳になった本多は、月修院を訪ねることにした。月修院の山門の前に立ち、自分は60
年間、ただここを再訪するためにのみ生きてきたのだという思いが募った。奥の間に通
ずる唐紙が開いたとき、現れたのは、83歳になるはずの聡子であった。その聡子に、清
顕のことを話し始めたとき、返ってきた言葉は「その松枝清顕さんという方は、どうい
うお人やした?」というものであった。「いいえ、本多さん、私は俗世で受けた恩愛は
何一つ忘れはしません。しかし、松枝清顕さんという方は、お名前を聞いたこともあり
ません。そんな方は、もともとあらしやらなかったのとちがいますか?なにやら本多さ
んが、あるように思うておられて、実ははじめから、どこにもおられなんだということ
ではありませんか?」「それなら、勲も、ジン・ジャンもいなかったことになる。ひょ
っとしたら、この私ですらも・・・。」「それも心々ですさかい」
この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は
思った。


(1)奔馬
 もうだいぶ前の1980年代半ばごろになりますが、一時期、イギリスの大学町に長
期間滞在して英語学校に通っていたことがあります。日本人の女の子の友人の一人がア
パート(フラットという)をイギリス人2人のルームメイトと共同で借りていて、それ
ぞれ一部屋ずつ使い、リビングやキッチンは共同、という、日本から見たら、独身の二
十歳そこそこの女の子としては恵まれた住宅事情でした。(しかも、一か月の家賃が当
時の日本円でも1万円ちょっと!) 

 一部屋がだいたい12帖ぶんぐらいの広さはあったので、一応若い女の子3人で借り
ていたことになっていたけれども、他の2人のイギリス人の女の子は、どちらもそれぞ
れ自分の部屋に彼氏が一緒に住んでいました。そのうちの一人は、30歳ぐらいのセカ
ンドシングルの女の子で、彼氏は22歳の失業中の男の子。長距離トラックの運転手を
していたけれども、失業した、ということで、彼女がハンバーガー店で働いて二人の生
活を支えていました。ボブというその彼は、当時の日本人の同じ年頃の失業中の男の子
とは全然違って、別に焦りもせず、ゆうゆう、堂々と、日がな一日テラスでひなたぼっ
こしながら、図書館で借りてきた本を次々に読破していました。 

 ボブはシャイで優しい性格で、眼鏡をかけていて、おとなしい人だったのですが、あ
る日私に、「今、日本の小説を読んでるんだ」と、大きなハードカバーの本を見せてく
れました。その表紙には、『Runnaway horses by Yukio Mishima』 
の文字が・・・「ミシマを知ってるか」と聞くので、「もちろん」と、しばらく不自由
な英語でその話をしていた覚えがあります。 

ボブが読んでいたのは、三島由紀夫『豊穣の海』第二部の『奔馬』でした。四部作の中
でも、やはり、武士道の話や少年やハラキリの話が出てくる、この第二部はこっちの人
たちにはインパクトが強いのかなあ、などと思ったりした私です(むろん一つだけの例
では断定できませんが)。三島の英訳本はその大学町の大きな書店ではよく見かけまし
たが、『仮面の告白』『金閣寺』あたり、能面をカバー写真にして、バックは黒、とい
った装丁を思い出します。 


280
灯火に引き出された百合の一輪は、すでに百合のミイラになっていた。そっと指を
触れなければ、茶褐色になった花弁はたちまち粉になって、まだほのかに青みを
残している茎を離れるに違いない。それはもはや百合とは言えず、百合の残した
記憶、百合の影、不朽のつややかな百合がそこから巣立っていったあとの百合の繭の
ようなものになっている。しかし、依然として、そこには、百合がこの世で百合であっ
た
事の意味が馥郁と匂っている。かってここに注いでいた夏の光りの余燼をまつらわせて
いる。
勲はそっとその花弁に唇を触れた。もし触れることがはっきり唇に感じられたら、
その時は遅い。百合は崩れ去るだろう。唇と百合とが、まるで黎明と尾根とが触れるよ
うに
触れあわねばならない。

43
霊山というその響きに何か違う世界を想像し、車で出かけた。
大神(おおみわ)神社の大鳥居を通り、広大で立派な社殿で拝した。
周囲約十六キロほどの三輪山は、西側の御本社の背後にあたる大宮谷を含む以前の禁足
地のまわりに九十九谷の山すそを広げていた。少し登ると、右方の下草の茂に任せた赤
松の幹は、午後の日を受けてその赤さを一層に輝かしていた。
禁足地であった地は、木々も、羊歯や笹叢も、これらに万遍なく織り込まれた日光も、
すべてが心なしか尊く清らかに見えた。
しかし、自分の足が踏みしめているこの御山自体が、神、あるいは神の御座だと感じる
ことは、素直に受け入れるほどの感情ではなかった。歳は4,5歳上である友人のその
俊足に驚きながらも汗を払う間もなく従っていく人間にとって、午後になってますます
暑さを加えた日差しが憎く思ったが、やがて渓流の傍らの道の涼やかさに一幅の幸せを
感じた。日は避けられたが、道はいよいよ険しくなった。
榊の多い山で、町で見る榊よりもはるかに葉のひろい若木が、そこかしこで黒ずんだ緑
の影に多くの白い花をつけていた。上流へいくほど瀬は早くなり、快いその水音の響き
が一段と高くなり、一陣の滝が現れた。そのあたりは滝を巡って、森がもっとも鬱蒼と
してるところだそうだが、森のいたるところに光がこもっているので、あたかも光の帯
の中にいるようである。頂へ登る道は、ここから先が難所なのであった。
一応道として整備はされているものの、岩や松の根を頼りに道とは言えない道や赤銅色
の崖を伝い、少し平坦な道が続くかと思えば、また更に、午後の日に黒々と照らし出さ
れた崖が現れた。友人は先へ先へと行くが、彼は息が迫り、汗もしとどになるにつれて
、こうした苦行のうちにやがて近づく神秘が用意されているのを感じた。
時折木々の間を縫うように鳥たちがわたり、直径一メートルあまりの赤松や黒松が、静
かに群立っている谷も見えた。蔦や蔓草にからまれて朽ちかけた松が、残らず煉瓦色の
葉に変わっているのも見た。あるいは赤く露地を見せた崖の半ばに立った一本杉に、入
山の信者が何らかの神性を感じて、注連縄を張り巡らし、供え物をしてあるのも見た。
その杉の幹の片面は苔のために青銅色をしていた。御山の頂に近づくにつれて、一本一
草が、たちどころに神性を与えられ、自然に神に化身するかのように見えた。たとえば
、高い椎木の樹冠が、風にあわせ一斉にその浅黄の花を散らしてくるようなときには、
人のいない深山の木の間を縫ってくる花の飛来は、二人に驚きと荘厳さを与えた。
沖津磐座は崖路の上に突然現れた。
難破した巨船の残骸ような、不定形の、あるいは尖り、あるいは裂けた巨石の
群れが張り巡らした注連縄の中に鎮座していた。太古からこの何かあるべき姿
に反した石の群れが、並みの事物の秩序のうちには決して組み込まれない形で、
怖ろしいような純潔さと乱雑さを併せ持ち、生きてきたのである。
石は石と組打ち、組み打ったまま倒れて裂けていた。別の石は、平たんすぎる
斜面を広々とさしのべていた。すべてが神の静かな御座というよりは、戦いの
あと、それよりも信じがたいような恐怖のあとを思わせ、神が一度座られたあとでは、
地上の事物はこんな風に変貌するのではないかと思われた。
日は、石の肌に一重の衣のごとき苔を無残に照らし出し、さすがにここまで来ると風が
活きて、あたりの森はさわやかに騒いでいた。
磐座のすぐ上方にある高宮神社の小詞の簡素なつつましさが、磐座の荒々しい畏怖をな
だめた。合掌造りの屋根の小さな、しかしすこぶる鋭角に見える鰹木は、蒼い松に囲ま
れて、いさぎよく結んで立てた鉢巻のようにその力強さを見せていた。
久々のこういう脚の行使が、それを何とか果たしたという満足が、和邇の心を
解き放って、あたりの松風の音にこもる明るいさわやかな神性のうちに、日ごろの俗世
そのものの行為を排したという満足感に浸るような心境にさせた。
轟々たる青風の合間に、静けさが点滴のように滴ってきて、虻の飛びすぎる羽音が耳だ
ったりする。杉の幾多の槍の穂先に刺された輝かしい空。動く雲。日光の濃淡を透かし
た葉桜の葉叢。彼はわれにもあらず幸福な面持ちになった。
そして、神という意識が初めて彼の心


51
さらに四有輪転しうりんてんの四有とは、中有、生有、本有、死有の四つをさし、
これで有情の輪廻転生の一期が劃されるわけであるが、二つの生の間にしばらく
とどまる果報があって、これを中有といい、中有の期間は短くて七日間、
ながくて七七日間で、次の生に託胎するとしいる。
仏説によれば、中有はただの霊的な存在ではなく、五蘊の肉体を具えていて、
五六歳ぐらいの幼な児の姿をしている。中有はすこぶるすばしこく、目も耳も
はなはだ聡く、どんな遠い物音も聞き、どんな障壁も透かして見て、行きたい
ところへは即座に赴くことができる。人や畜類の目には見えないが、ごく清らかな
天眼通を得たものの目だけには、空中をさまようこれら童子の姿が映ることがある。
透き通った童子たちは、空中をすばやく駆け巡りながら、香を喰ってその命を
保っている。このことから、中有はまた尋香と呼ばれる。
童子は、こうして空中をさすらいながら、未来の父母となるべき男女が、
相交わる姿を見て倒心を起こす。中有の有情が男性であれば、母となるべき女
のしどけない姿に心を惹かれ、父となるべき男の姿に憤りながら、その時父の
漏らした不浄が母胎に入るや否や、それを自分のもののように思い込んで喜び
にかられ、中有たることをやめて、母胎に託生するのである。
その託生する刹那、それが生有である。




256
「輪廻も転生も、言語は同じである。輪廻とは衆生が、冥界即ち六道、地獄、餓鬼、
畜生、修羅、人間、天上、を終わりも知れず、経めぐってゆくことである。
しかし転生の語には、時あって冥界から悟解へ赴くことも含まれるから、そのとき
輪廻はやむであろう。輪廻は必ず転生であるが、転生必ずしも輪廻ともいえない。
それはともかく、仏教では、こういう輪廻の主体はみとめるが、常住不変の中心の
主体というものを認めない。われの存在を否定してしまうから、霊魂の存在をも決して
認めない。ただ認めるのは、輪廻によって生々滅滅して流転する現象法の核、
いわば心識のなかのもっとも微細なものだけである。それが輪廻の主体である。
この世にあるものは、生物といえども中心主体としての霊魂ががなく、無生物
といえども因縁によってできたもので中心主体がないから、万有のいずれにも
固有の実体がないのである。
様態は業である」と。



318
晩秋の朝日は痩せた松の木立から、力のない光の手をさしのべている。尖った石碑、
くすんだ常盤木の間を縫ってくるその光が、新しい御影石の石塔の光沢をうつろ
わせている。そこからすでに聳えて見える松枝家の墓へ行くには、さらに細径を右へ
曲がって、落ち葉や杉苔を踏まねばならない。近隣の小さな墓を大勢の侍臣のように
従えて、松枝家の白い御影石の大鳥居が屹立している。
今ではこういう明治風の「偉大」は、雅致を欠いているように眺められるのも
やむをえない。鳥居をくぐってすぐに目につくのは、中央の一丈半はあろうかと
思われる巨大な一枚岩の顕彰碑で、三条公爵が点学をし、著名な支那人が刻字
をして、、、、
横に墓誌があるが、すべて顕彰碑の巨大さに圧せられて、目につかない。
祖父の巨大な墓は中央にそそりたち、西之屋型の四基の石灯籠が参道を
いかめしく守っている。祖父の墓石のあまりの大きさのために小さく見えるので、
それでも礎から六尺は十分にある。墓自体も水鉢も定紋入りの花活けも、悉く
同じ意匠同じ石材を縮小したに過ぎないのである。
すでに黒ずんだ御影石に、松枝と見事な隷書で刻まれている。花活けに花は
無くて、一対のつややかな樒が挿されている。

88
神官と地域の世話人たちが、静かな仕草で樽と缶を運び出した。神官の白衣、
その黒い冠、その黒い紗の色立ちに、木桶に差し込まれた花々が、冠より高く
そびえてそのゆらぐさま、沖天の光に映える色が美しい。
そして、もっとも高く捧げられた一茎の百合が、青い空の中で一条の線となり、
薄く伸びる天空を切り裂いていた。
笛が漲り、鼓がときめいている。黒ずんだ石垣の前におかれた百合は、たちまち
に紅潮する。神官は、うずくまって百合の茎を分けて酒を杓で汲み、白木の瓶子
へいしを捧げてきてこの酒を受けては、三殿の各々に献ずるさまが、楽の音と
ともに神の宴の賑々しさを更に高めている。それは、御扉の闇のうちに、おぼろげに
立ち上る神の想いを偲ばせた。その間、拝殿では、四人の巫女役の娘たちが伝承の
舞をはじめている。
いずれも美しい乙女で、頭に杉の葉を巻き、黒髪を金の水引で紅白の髪に束ね、浅い
朱色の袴に、銀の稲の葉の紋様の白い紗すずしの衣の裾を引き、襟元は紅白六重ね
に合わせている。
巫女たちは、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから立ち現われ、手に手に
百合の花束を握っている。奏楽の流れに合わせ、巫女たちは四角に相対して踊り
始めたが、高く掲げた百合の花は微妙に揺れ始め、踊りが進むにつれて、百合は
気高く立てられ、横ざまにあしらわれ、集い又、離れて、沖天をよぎるその白い
線は一段と鋭くなって、一種の鋭利な刃のように見えるのだった。
やがて鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実に和やかで優雅に
流れているのに、あたかも巫女の手なある百合だけが残酷に弄ばれているように
見えた。巫女の踊りに合わせてさざ波のような人の声、動きの様々な音が消え去り、
彼女らの動きが高潮に向かうにつれて、静かな水面が訪れていた。
 
3.暁の寺
P43
起こった出来事というものは、それを記憶に移せば、何ら手を加えるまでもなく、
そのまま美しい小さな絵の連鎖となって、いくつかの同じ寸法の、金の煩わしい
装飾を施した額縁に納まるものだ。そこで流れた時間はひたすら一瞬の絵心の
ために結ぼおれ、快活な時間の粒子が、ひときわ泡だって躍動するかと見れば、
それはたとえば、水の底深く下りて行く石段の真珠へ、さしのべた姫の手の
幼いふくらみ、しかもその指、その掌の清潔で細微な皺、頬にふりかかった
断髪のいさぎよい漆黒、その鬱したほど長い睫、黒地に施した螺鈿のように
黒い小さな額にきらめく池水の波紋の反映などの、刹那の絵姿を形作るために
ひたと静まるのだ。時間も泡立ち、ハチの唸りに充ちた日盛りの苑の空気も、
そぞろ歩く一行の感情も泡立っていた。珊瑚のような時間の美しい精髄が
あらわになった。そうだ。その時姫の幼時の曇りのない幸福と、その幸福
の背後に連なる一連の前世の苦悩や流血は、あたかも旅中に見た遠い密林
晴雨のように、一つになっていたのだった。

一旦形式を忘れたしまうと、老いが彼女たちの唯一の儀礼となった。
それは皺だらけの意地の汚い鸚鵡のように、一つ袋へ嘴を寄せ合っては、
椰子種を啄ばむことであり、裾の中へ手を差し入れて痒いところを掻く
ことであり、踊り子をまねてけたたましく笑いながら横歩きをしてみせる
ことであった。褐色の顔に鬘めく白髪が日に燃えて、踊り子のミイラのような
老女が、椰子種に真紅に染まった口を笑ってひらき、横歩きをしながら
横へさしのべた腕の、肱を鋭く立ててみせるときには、その乾いた骨の
あらわれたような肱の鋭角は、まばゆい積雲の立つ青空を背景に、
影絵の一片を切り抜いた。

女官たちが手拍子を打って何かを唱えるたびに、その形が種種に変化した。
姫がちょっと首を傾げると、その時渡った微風に草花が首を傾げ、枝移り
する栗鼠がつと停まって首を傾げるのと、符節を合わしているように思われた。
一変して姫は王子ラーマになった。白地に金の縁取りのあるブラウスの
袖口から浅黒い細い腕が剣をかかげて凛々しく天を指した。その時
山鳩が姫の目交まなかいをかすめ、翼で顔を翳らしたが、姫は微動
もしなかった。姫の背後に聳えているのが、他ならぬ菩提樹である事を
本田は知った。この鬱蒼たる樹には、長い葉柄の先に垂れた広い葉が、
鈴なりに重なって風のうごくたびにさやめいた。その緑の一葉一葉に、
あたかも熱帯の光線を透き込んだかのような黄色い葉脈がいちじるしい。

52
ヴェーダには水浴の恵みについて次のような章句がある。
「水こそ薬なれ。
水は身の病を清め
活力もてこれを充たす。
まことに万病草の水なれば
諸病諸悪を癒すべし」
また
「水は不死の命に充てり。
水は身の護りなり。
水には癒しの霊験あり。
水の威ある力をば
常住忘るることなかれ。
水は心身の薬なれば」
祈りを以て心を清め、水を以て身を浄めるヒンズーの儀礼は、
ここベナレスの数々の水浴階段において極まるのである。

94
本多はこれらの古本から西洋の輪廻転生説について多くを学んだ。


、、、「無我であるのに、なぜ輪廻があるのか?」

105
マヌの法典が告げる輪廻の法は、およそ人の転生を三種に分けて、一切衆生
の肉体を支配する三つの性のうち、よろこばしく、静寂で、また清く
かがやく感情に充たされた智の性は、転生して神となり、企業を好み、
優柔不断、正しからざる仕事に従事し、又つねに感覚的享楽に耽る
無智の性は、人間に生まれ変わり、放逸、無気力、残忍、無信仰、
邪悪な生活を営むタマスの性は、畜生に生まれ変わると説いていた。
畜生に転生する罪は精細に規定され、バラモンの殺害者は、犬、豚、
驢馬、駱駝、牛、山羊、羊、鹿、鳥の胎に入り、バラモンの金を盗んだ
バラモンは、千回、蜘蛛、蛇、蜥蜴および水棲動物の胎に入り、尊者
の臥床を侵したものは、百度、草や灌木および蔓草、又、肉食獣に生まれ変わり
穀物を盗むものは鼠となり、蜜を盗む者は虻となり、牛乳を盗む者は鳥となり、
調味料を盗む者は犬となり、肉を盗む者は禿鷹となり、脂肉を盗む者は鵜
となり、塩を盗む者は蟋蟀となり、絹を盗む者は蝦蛄となり、
、、、、、、、。
 
天人五衰の輪廻転生、曼荼羅の記述あり。
123ページの鼠の自己正当化の自殺。
159ページの蓮の池の描写
197ページの胎蔵界曼荼羅
241ページの山門までの描写

「自分を猫だと信じた鼠の話だ。何故だか知らないが、その鼠は、自分の
本質をよく点検してみて、自分は猫に違いないと確信するようになったんだ。
そこで同類の鼠を見る目も違ってき、あらゆる鼠は自分のえさにすぎない
のだが、ただ猫であることを見破られないために、自分は鼠を喰わずに
いるだけだと信じた。
よほど大きな鼠だったですね。
肉体的に大きかった小さかったということは問題じゃない。信念の問題なんだ。
その鼠は自分が鼠の形をしていることを、猫という観念が被った仮装にすぎないと
と考えた。鼠は思想を信じ、肉体を信じなかった。猫であるという思想を
持つだけで十分で、思想の体現の必要性は感じなかった。そのほうが侮蔑の
たのしみが大きかったからさ。
ところが、ある日のこと、その鼠が本物の猫に出くわしてしまったんだ。
お前を食べるよ、と猫が言った。
いや、私を食べることが出来ない、と鼠が答えた。なぜだ
だって猫が猫を食べることはできないでしょう。それは原理的本能的に
不可能でしょう。
それというのも、私はこう見えても猫なんだから。
それを聞くと猫はひっくり返って笑った。髭を震わせて、前肢で宙を引っ掻いて、
白い和毛に包まれた腹を波打たせて笑った。それから起き上がると、矢庭に
鼠に掴みかかって喰おうとした。鼠は叫んだ。
なぜ私を喰おうとする。
お前は鼠だからだ。
いや、私は猫だ。
そんならそれを証明してみろ。
鼠は傍らに白い洗剤の泡を湧き立たせている洗濯物の盥の中へ、いきなり
身を投げて自殺を遂げた。猫は一寸前肢を浸してなめてみたが、洗剤の味
は最低だったから、浮かんだ鼠の屍はそのままにして立ち去った。
猫の立ち去った理由は分かっている。要するに、喰えたものじゃなかったからだ。
この鼠の自殺が、僕の言う自己正当化の自殺だよ。しかし自殺によって別段、
自分を猫に猫と認識させることに成功したわけじゃなかったし、自殺するとき
の鼠にもそれくらいのことはわかっていたにちがいない。が、鼠は勇敢で
賢明で自尊心に満ちていた。
彼は鼠に二つの属性があることを見抜いていた。一次的にはあらゆる点で肉体的鼠であ
ること、二次的には従って猫にとって喰うに値するものであること、
この二つだ。
この一次的な属性については彼はすぐにあきらめた。思想が肉体を軽視した
報いが来たのだ。しかし二次的な属性については希望があった。第一に、自分が猫の前
で猫に喰われないで死んだということ、第二に、自分を「とても喰えたものじゃない」
存在に仕立てたこと、この二点で、少なくとも彼は、自分を
「鼠ではなかった」と証明することが出来る。「鼠ではなかった」以上、
「猫だった」と証明することはずっと容易になる。なぜなら鼠の形をしている
ものがもし鼠でなかったとなったら、もうほかの何者でもなりうるからだ。
こうして鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。
、、、、、
ところで、鼠の死は世界を震撼させたろうか?と彼はもう透という聴手
の存在も問わず、のめりこむような口調で言った。独り言と思って聴けば
いいのだと透は思った。声はものうい苔だらけの苦悩をのぞかせ、
こんな古沢の声は初めて聴く。「そのために鼠に対する世間の認識は
少しでも革まっただろうか?この世には鼠の形をしていながら実は鼠でない
者がいるという正しい噂は流布されたろうか?猫たちの確信には多少とも
罅が入ったろうか?それとも噂の流布を意識的に妨げるほど、猫は神経質に
なったろうか?
ところが驚くなかれ、猫はなにもしなかったのだ。すぐに忘れてしまって、
顔を洗いはじめ、それから寝転んで、眠りに落ちた。彼は猫であることに
満ちたり、しかも猫であることを意識さえしていなかった。そしてこの完全
だらけた昼寝の怠惰の中で、鼠があれほどまでに熱烈に夢見た他者にらくらく
となった。猫はなんでもありえた、すなわち档案とうあんにより自己満足により
無意識によって、眠っている猫の上には、青空が開け、美しい雲が流れた。
風が猫の香気を世界に伝え、なまぐさい寝息が音楽のように瀰漫した。」


彼は凍ったように青白い美しい顔をしていた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。
しかし眺めることの幸福は知っていた。天ぶの目がそれを教えた。何も創りださないで
ただじっと眺めて、目がこれ以上鮮明になりえず、認識がこれ以上透徹しないという
堺の、見えざる水平線は、見える水平線よりも彼方にあった。しかも目に見え、
認識される範囲には、さまざまな存在が姿を現す。海、船、雲、半島、稲妻、太陽、
月、そして無数の星も。存在と目が出会うことが、すなわち存在と存在が出会うことが
見るということであるなら、それはただ存在同士の合わせ鏡のようなものでは
あるまいか。そうではない。見ることは存在を乗り越え、鳥のように、見ることが
翼になって誰も見たことのない領域まで透を連れて行くはずだ。そこでは美さえも、
引きずり朽され使い古された裳裾のように、ぼろぼろになってしまうはずだ。
永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海というものがあるはずだ。
見て見て見ぬく明晰さの極限に、何も現れないことの確実な領域、そこはまた
確実に濃藍で、物象も認識もともどもに、酢酸に浸された酸化銅のように溶解して、
もはや見ることが認識の足枷を脱して、それ自体で透明になる領域がきっと
あるはずだ。

2052年他から思う

チョット、前から2052年(今後40年のグローバル予測)なる本を
読んでいる。40年前に出た「成長の限界」のバージョンアップ版?である。
「成長の限界」「銃・病原菌・鉄」と並行して読むと中々に、面白い。

1.「2052年」を読む
「2052年」著作の出発点となる問題意識は、ランダースによると、
「成長の限界」による警告にもかかわらず、人類は十分な対応を行わない
まま40年が過ぎた、という点にある、とのこと。

例えば、
「問題の発見と認知」には時間がかかり、「解決策の発見と適用」に時間
がかかる。、、、そのような遅れは、私たちが「オーバーシュート(需要
超過)」と呼ぶ状態を招く。オーバーシュートはしばらくの間なら持続可能
だが、やがて基礎から崩壊し、破綻する」(序文)

「しきりに未来について心配していた10年ほど前、私は、人類が直面
している難問の大半は解決できるが、少なくとも現時点では、人類に何らか
の手立てを講じるつもりはないということを確信した」(1章)

「持続可能性と幸福」実現に向けては、以下の5つの課題、問題をキチンと
精査することが必要とのこと。
・資本主義は終焉するのか?
・経済成長は終わるのか?
・緩やかな民主主義は終わるのか?
・世代間の調和は終わるのか?
・安定した気候は終わるのか?

記述されている40年後の世界については、気候変動、人口と消費、エネルギー
問題、食料事情、社会環境、時代精神など実に膨大な記述がなされている。
それらすべてを要約することは出来ないし、する気もないが、枠組みに
関する最重要なポイントとして、以下の点を理解しておくことは肝要と思う。

①都市化が進み、出生率が急激に低下するなかで、世界の人口は予想より
早く2040年直後にピーク(81億人)となり、その後は減少する。
②経済の成熟、社会不安の高まり、異常気象によるダメージなどから、生産性
の伸びも鈍化する。しかし、生産年齢人口をベースとする粗労働生産性は着実
に伸びる。
③人口増加の鈍化と生産性向上の鈍化から、世界のGDPは予想より低い
成長となる。それでも2050年には現状の2.2倍になる。
③資源枯渇、汚染、気候変動、生態系の損失、不公平といった問題を解決
するために、GDPのより多くの部分を投資に回す必要が生じる。このため
世界の消費は、2045年をピークに減少する。
④資源と気候の問題は、2052年までは壊滅的なものにはならない。
21世紀半ば頃には、歯止めの利かない気候変動に人類は大いに苦しむ
ことになる。しかし、農業技術等の進化により 、食料生産量は増加する。
⑤インターネットの拡大は、「外在化した集合意識」として、大衆の影響
力が大きくなる。また、多様で流動的な環境により、安定した拠り所や
制限もほとんどなく、開放的で、様々な機会に恵まれ、意識も大きく
変わっていく。
⑥米国、米国を除くOECD加盟国(EU、日本、カナダ、その他大半
の先進国)、中国、BRISE(ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ、
その他新興大国10カ国)、残りの地域(所得面で最下層の21億人)
の大枠で分析しているが、予想外の敗者は現在の経済大国、中でも
アメリカ(次世代で1人当たりの消費が停滞する)。勝者は中国となる。
BRISEはまずまずの発展を見せるが、残りの地域は貧しさか
ら抜け出せない。 日本はほとんど考慮外?

中国の多方面にわたる影響の記述が多いことに気付く。「アメリカから中国
への覇権のスムースな移行が可能か?」の記述もあり、東アジアでの日本
の位置付けをもっと真剣に考える時期になりつつある。

2.成長の限界
ローマクラブがMITに研究を委託して1972年に出した報告書「成長の
限界」は、高度成長期に位置していた日本では、大きなショックとなった。
そのポイントは、人口と工業資本がこのまま成長し続けると食糧やエネルギー
その他の資源の不足と環境汚染の深刻化によって、2100年までに破局を
迎えるので、成長を自主的に抑制して「均衡」を目指さないと世界が破滅
する、と言うもの。
「システム・ダイナミクス」とかいう手法で世界システムのモデリングを
行い、人類の文明が今後成長を続けていけるのかどうかをコンピュータで
シミュレーションした。

人類文明をこのまま放っておくと、
①勢いよく成長し続ける。
②負のフィードバックループによる制約が間に合わず、一時的に地球のキャパ
を超えて「成長の行き過ぎ」が生じる。
③負のフィードバックループが本格的に作用し、破局的な痛みを伴って成長
が一気に止まる。
そして、仮定を色々変えてみて、悲観シナリオから楽観シナリオまで何
パターンかシミュレーションしてみても、「成長の限界」は遅くとも2100
年までには訪れると報告書は主張した。

ただし、汚染(たとえば放射性廃棄物の蓄積)の影響は時間的に遅れて現れる
ということと生態系への影響は複雑すぎて計算しづらいという。
「現在の知識で最も欠けているのはモデルの汚染セクターに関する知識
である」(166頁)
「汚染を吸収する地球の能力の限界がわかってないということは、汚染物質の
放出に対して慎重でなければならないことの十分な理由となるであろう」
(66頁)と言うコメントもある。

イギリスの経済学者ロバート・マルサスが18世紀末に記した、あの「人口論」
を想起させる。食料を生産するための耕作地の増加が人口の増加に追い付かず、
人類は飢餓・戦争など悲惨な状況に突き進む、、、、。

「成長の限界」が社会にもたらしたショックは、とりわけ日本において大きい
ものがあった。公表の時点で日本は、いまだ60年代の高度成長の余韻の中に
いた。前年の1971年、ニクソンショックで1ドル360円時代は終焉して
いたが、それはむしろ日本の経済発展の結果を象徴する出来事と受け
止められた。しかし1973年、第一次石油危機が世界を襲う。
資源が有限であるという事実をまざまざと見せつけられた日本では、高度
成長とは異なる新しい道を歩まねばならないことが、人々の実感として
受け止められた。しかし、トイレットペーパーの買占めなど、喉元過ぎれば、、
の例え通り、いまだ、多くの日本人は、成長主義に囚われている様である。

個人的にも、高度成長のあの漲るエネルギーや日々の変化に対して、とても、
現在の凋落しつつある日本を思っても見なかったし、「限界」の言葉さえ、
なかったと記憶している。

3.「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイヤモンド著)
本書は1万3000年の人類の歴史のなかで、いったい何が文明をおかしく
させた主たる要因だったのかということを「文明の利器」と「環境特性」
との関係、および技術や言語の発生と分布と伝播の関係に深く分け入って
徹底精査したことをまとめたものである。

今日の世界現状からのジャレド・ダイアモンドの問題意識は、「現代世界
はなぜこんなにも不均衡になったのか」ということにある。これを言い換える
と、「世界の富や権力はなぜ現在のようなかたちで分配されのたのか」という
問題になる。なぜ、他の文明がイニシアチブをとり、なぜ他のかたちで分配
されなかったのかということでもある。

これまで、文明力の決め手になるものとしては、食料生産力、冶金技術力、
多様な技術的発明力、集権的な組織力、そして文字によるコミニケーション
力などが重視されてきた。ジャレド・ダイアモンドが農業生産力の次に
とりあげるのは、とりわけ「文字の力」や「発明の力」の問題だ。
ここにはすべての記号的な力や技能的な力が含まれる。文字は互いに遠く
離れた世界を知識で結びうる。文字や記号があれば、収穫物の記録も、
技能の伝達も、契約の締結も、裁判の発達も速やかになる。
それがリテラシーというものだし、西側的な意味での情報力や知識力
というものだ。

なぜこんな様に、アルファベットだけが近代社会のリーダーシップを
とったのか。これは結構、異常なことである。なぜなら、ここには
そもそもシュメール楔形文字の系譜もエジプト象形文字の系譜も、漢字
の系譜もマヤ文字の系譜も、入っていない。ましてオガム文字もハングル
文字も仮名文字もないのである。
ギリシア・ローマ系のアルファベットだけがその後の新世界を制したのだ。
何故、このような結果になったのか?

その点、第12章「文字を作った人と借りた人」、第13章「発明は
必要の母である」は面白く読める。
また、第16章「中国はいかにして中国になったのか」、第17章
「太平洋に広がっていった人びと」については、「2052年」
の中国の記述と合わせて、考えるとチョット面白い。
これらを論じて、本書の重大な“折り目”にあたる1500年代に
世界がすっかり入れ替わってしまったことを、第18章「旧世界
と新世界の遭遇」でふたたび強調している。

過去、現在、未来、これらを読むと中々に、面白いのでは?

ハロルドフライの世界

「心の揺れ、その変化」
ーーー
すべてを変えることになるその手紙が届いたのは、ある火曜日のことだった。
ーーーー
ハロルドは、思った。旅は今まさに本当に始まろうとしている。歩いて、
ペリっくに行くと決めた瞬間に始まったと思っていたが、いまそんな事を
思った自分がいかに単純だったかがよく分かる。はじまりは、一度だはなく
二度も三度もありうるし、始まり方もいろいろな事があるものだ。
おれは、自分の弱点に真正面から向き合い、それを克服した、だから、
本当の旅は、いまこの時点から始まるのだ。
朝ごとに、太陽が地平線上に顔を見せやがて、天頂に達し、夕方には
沈んで、一日が別の一日へと道を譲った。
ーーーーー
人々の生活音に充ち満ちた町を歩き、町と町をつなぐ田園の道を歩きながら、
自分の人生のいくつもの瞬間を、いま目の前で起きたばかりの事のように
理解した。時には、自分が現在ではなく、過去も世界に生きていると思う
事さえあった。頭の中でこれまでの人生のさまざまな場面を再現しては、
それを外側の世界に追いやられて手出しの出来ない観客の気分で眺めた。
目の前に、かって、自分自身が犯した過ちや一貫性を欠いた言動、
してはならなかった選択の数々が再現されている。
ーーーーー
(旅する心の変化)
グロスター目指して北上する頃、足取りがいやに軽くなり、日によっては
なんの苦もなく前進できるできることもあった。片足を上げて、次にもう一方の
足を上げる、などと考える必要もなくなった。歩くことは、クウィーニーを
活かし続ける力が自分には備わっているという確信の延長であり、彼の肉体も
いまやその確信の一部だった。近頃では、何も考えなくても丘を登って下ることが
できる。歩くに相応しい身体になりつつあるような気がした。
眼に映るもののほうに余計に心を奪われる日もあった。そんな日は、周りの変化を
表現するに相応しい言葉を見つけたくて、あれこれと思い巡らせた。それでも、
時には、色々な出来事が出会う人々と同じく、ごちゃごちゃになって訳が分からなく
なることがあった。また、時には、自分のことにも、歩くことにも、周りの景色にも、
全く意識が向かない日もあった。そんな日には、何も、少なくとも、言葉として
表現ができるようなことは考えていなかった。ただそこに存在するだけ。
肩に太陽を感じながら、翼を広げて音もなく大空を舞うチョウゲンボウを見守った。


やがて、全てがパタリとやんだ。話しかける事も、わめくことも、ハロルドと
目を合わせることも、新たに生じた沈黙はいぜんのちんもくは互いに相手
を思いやるあまりの沈黙だったが、いまや守るべきものは何もなかった。
モーリーンが胸の思いを口にするまでもなく、彼女の顔を見るだけで、
ハロルドには、彼女との仲を修復できる言葉ひとつ、身振りひとつ無い
ことが察せられた。
ーーーーーー
母親のワンピースが、狭い家のいたるところに、まるで肉体の消えた母親
のように、散乱していた。、、、、、、
ハロルドはワンピースを掻き集めて腕に抱え込み、くしゃくしゃに丸めた。
母親のにおいが鮮明すぎて、彼女が帰ってこないはとうてい信じられなかった。
両肘に思い切り爪を立てて漏れそうになる嗚咽をこらえた。
ーーーー
ハロルドは何も言わなかった。
背筋をぐっとのばしたが、口はポカンと開いているし、顔が漂白でもされた
様に蒼白だった。暫くして、やっとその口から出てきたのは、小さくて
ずっと遠くから聞こえて来る様な声だった。、、、、、
ハロルドは、息苦しさを覚えた。脚か胸のどれかひとつでも、
あるいは、筋肉のひとつでも動かしたりすれば、必死となって抑え付けている
激情が堰を切って溢れ出すのではないかと不安だった。
ーーーーー
思わず知らず他人の目でその足を見てショックを受けた。初めて自分の
足の状態に気づいた時のような衝撃だった。両足とも白くて不健康そのもの
しかも、灰色にかわりはじめている。皮膚に靴下の皺や織り目が食い込み、
いくつもの畝が出来ている。爪先と踵と甲には、靴ずれ。血がにじんで
いるものもあれば、炎症を起こして膿を持っているものもある。
親指の爪は馬のひずめのように硬く、靴に当たる部分はブルーベリー色
に変わっている。
ーーーー
子供時代とさよならできてむしろほっとしたのを憶えている。その後、
ハロルドは父親が一度もしなかったことをした。仕事を見つけ、妻子を
養い、傍観的な立場からだったと言われるかもしれないが、とにかく、
ふたりを愛した。なのに、ときおり、黙りこくって過ごした子供時代
の習慣が家庭生活にも入り込み、カーペットやカーテン、あるいは、
壁紙の裏に潜んでいて、ことあるごとに顔を出していたような気が
することもある。過去は過去だ。子供時代から逃れることは出来ない。
たとえ、ネクタイを締める大人になっても。
ーーーーー
しばらくの間、沈黙の中に彼女の言葉だけが響いていた。ハロルドは、
あらためて人生が一瞬にして変わりうるものであることに気付かされて
胸を衝かれた。ごく日常なこと、自分のパートナーの犬の散歩をしたり、
いつも靴を履いたりと言うごく日常的なことをしていながら、大切なものを
失おうとしていることに気づかない、ということだってありうるのだ。
ーーーーー
ハロルドがいないいま、日々はただ果てしなく流れて明日が今日になり、
きょうが昨日になるだけで、モーリーンはそれをただ無気力に見つめるばかり。
無為に過ぎて行く時間をどう埋めればよいのか分からずにいた。ベッドの
シーツでも剥がそうと決心するのに、そんなことをしても意味がないこと
を思い知らされるばかりだった。
ーーーーー
ハロルドは封筒を手に取った。真実がずしりとした重りとなって体内を
駆け下り、すべてががらがらと崩れ落ちるようなような気がした。いまはもう
耐え難いほど暑いのか凍えるほど寒いのか、それさえも分からない。
今一度、ぎこちない手つきで眼鏡をかけなおしながら、これまで理解出来なかった
ことに、これまでずっと誤解してきたある事に気がついた。何故もっと前に
気付かなかったのだ?子供みたいな字じゃないか。あらためてよく見れば、のたくって
いる
のは彼女が必死で書いた自分の名前じゃないか。
これはクウィにーの字だ。彼女はもうこんな状態になってしまったのだ。
手紙を封筒に戻そうとしたが、てがわなわな震えて上手く入らない。


---------

モーリンがいつもその部屋を綺麗にしているのは、ディビッドの帰りを
待っているからだが、それがいつになるのかけっして分からない。
彼女の一部はいつもそれを待っている。男には母親の気持ちなど分からない。
子供を愛することの痛み、子供がいなくなったあとでさえ、その子を
愛することの痛みなど、分かるはずがない。
ーーーーー
ハラルドの頭は次第に澄み渡り、身体が溶けた。、、、、、、、
けれども、その音はやさしく、あくまでも寛容で、、、モーリンの歌声を
思い出させた。やがて、雨音はやんだが、ハロルドには、むしろそれが寂しかった。
いつしか雨音が彼の知る一部になっていたかのようだった。
いまや彼自身と大地と空の間には、実体のあるものなどなに一つ存在しない
ような気がした。
ーーーーーー

いつしかハラルドは、人々のささやかな営みとそうした営みに付随する孤独さこそが
自分の胸を打ち、優しい気持ちにさせてくれる事を学んでいた。
この世は、片足の前にもう一方の足を置く人々で成り立っている。
そして、ある人の人生が平凡に見えるとしたらそれは、その人が長いこと
そんな風に生きてきたからに過ぎない。
今やハロルドは、人は皆同じであり、同時に唯一無二の存在であるという事実、
そしてそれこそが人間である事のジレンマだという事実をうけいれはじめていた。
ーーーーー
休息を取れず、希望もなくしたいま、ハロルドから眼鏡だけではなくほかにも
いろいろなことがぼろぼろとこぼれはじめていた。
ふと、気付くとディビッドの顔を思い出せなくなっていた。彼の黒い目と
相手をじっと見つめる視線のきつさは浮かんで来るのに、その目に覆いかぶさる
前髪を思い出そうとしても、クウィニーのきつくカールした前髪しか
思いだせなくなっていた。
たとえていえば、頭の中でジグソーパズルを仕上げようとするのに、肝心の
ピースが1枚も見つからない、そんな感じだった。この頭はどうしてここまで
残酷なんだ、とハロルドは思った。時間の観念が完全に消え、食事をしたか
どうかも意識から消えた。忘れたのではない。そんなことはもうどうでもよく
なったのだ。何を見てももはやなんの興味も沸かないし、夫々の違いや名前にも
いっさい関心が持てなくなった。いまや、木は行きずりの沢山あるものの一つにすぎな
い。
頭に浮かぶ言葉は一つきり、自分にこう問いかけるものだけと言うこともある。
お前はなぜ相も変わらず歩き続けているのだ、そんな事をしても何も変わりやしない
のに。
ーーーーー
転換点は、レックスと一緒にスランプトンに出かけた時だった。
あの晩、モーリンはぎこちない手つきで玄関ドアの鍵穴にキーを差し込み
、レックスに声をかけ、そのあと靴を履いたまま階段を上がり、そのまま、
まっすぐにかって夫婦で使っていた寝室に入っていった。
何もかも着たままでベッドに倒れ込み、目を閉じた。
真夜中、自分がどこにいるのか気づいて、小さなパニックの痛みに
襲われたが、やがて痛みは安堵感に変わった。終わった。何が終わったか
正確には分からなかったが、ずしりと重く漠然とした痛みが消えたことだけ
ははっきりしていた。羽毛キルトを引き上げ、ハロルドの枕にしがみついた。
ペアーズの石鹸とハロルドのにおいがした。暫くして眼が覚めたとき、かってと同じ
軽やかさが温水のように全身に広がっていくのがわかった。
それ以降、モーリーんはそれまで使っていた客間から自分の衣類を抱えて運び
出しては、衣装ダンスのハロルドの衣類が掛かっている側とは反対の端に掛けて
行った。
自分に努力目標を課していた。毎日彼がいなくても、一つ新しい事をしようと決めた
のだ。

ーーーーー

もっと別のやり方をすればよかった、と思うことがモーリーんにはいくつもあった。
朝の光を浴びてベッドに横たわったまま、あくびをして伸びをしながら、
両手両足でマットレスの広さを感じた。四隅の人の体温の届かないところまで
触ってみた。暫くして、その手で自分に触れた。頬に触れ、喉に触れた。胸の
輪郭をなぞった。ホロルドの両手が腰を包み、二人の唇が重なるところを
思い描いた。肌はたるみ、指先はもう若い頃のあの敏感さをなくしている。
それでも、心臓はいまも早鐘を打ち、血が騒ぐ。、、、、、
衣装ダンスのドアが僅かに開いていて、ハロルドが置いていったシャツの袖が
見えた。胸をえぐられるようなあのおなじみの痛みが走った。キルトをはねのけ、
気持をほかに向けてくれるものを探した。衣装ダンスの前を通ったときに、
うってつけの仕事が向こうから勝手に姿を見せた。、、、、、、、
ツィードのジャケットが目に留まった。胸をどんと叩かれたような気がした。
何かが胸の内側に閉じ込められているような感じだ。そういえば、ずいぶん長いこと
そのジャケットを見ないようにしてきた。
それをハンガーから外し、身体の前で広げてハロルドの胸の高さに上げてみた。
歳月が後景にしりぞき、自分たち夫婦の姿が浮かび上がってきた。
----------

そのあと、自分のものと彼のものを一着づつペアにした。自分のブラウスの袖口を
彼の青いスーツのポケットに入れた。スカートの裾をズボンの脚に絡めた。
もう1着のドレスを彼の青いカーディガンの腕で包んだ。目には見えない何人もの
モーリーんとハロルドが衣装ダンスの中で、外に踏み出すチャンスを待っている。
それを見て彼女の顔に微笑が広がり、やがて彼女はなみだにくれた。それでも、
タンスの中身はそのままにしておいた。
--------

ハロルドは過去の様々な感情とイメージがざわざわと沸き立つのを感じていた。
どれも、長い年月、胸の奥深くに葬ってきたものばかりであった。
それを抱え、意識しながら生きるのは人間の限度をこえていたからだ。
窓台をつかみ、深呼吸をしたが、空気はあまりにも熱く、安堵感を
もたらしてくれなかった。
ーーーーー
(仲間のケイトとの別れのシーン)
それをきっかけに、二人の腕がそれぞれ相手の身体を抱きしめた。自分が
ハロルドにしがみついているのか、それとも、その逆なのか、ケイトには
良く分からなかった。
巡礼tシャツのなかの彼のからだは、骸骨同然だった。、、、、、、
やがて、ケイトはハロルドの腕から逃れ出て、頬の涙を払った。、、、、
ハロルドはケイトが遠ざかって行くのを待った。
ケイトは5度、6度と振り返っては手を振り、ハロルドは同じところに留まった
まま彼女を見送った。他の人間と歩くのはもううんざりだった。さんざん
彼らの話に耳を傾けていればすむ、どんなに気が楽だろう。にもかかわらず、
しだいに小さくなるケイトの姿を見つめているうちに、彼女の別れのつらさに
襲われて、自分の小さなかけらが死んでいくような気分になった。
ケイトは前方の、木立の途切れるところに達していた。ハロルドが先に
急ごうとしたまさにその時、ケイトの足が止まった。

ーーーーー
ハロルドは時として息子が一人きりと言うのは、堪え難い、と思う事が
あった。もっと子供がいれば、愛することのこの痛みも少しは薄められる
のではないか、と思ったのである。子供が成長すると言うことは、絶え間なく
親を振り払おうとすることでも有る。デビィドが最終的かつ永遠に親を
拒絶した時、ハロルドとモリーンは、それぞれ違う形でそれに対処した。
ーーーーー
ハロルドは、これまでに会い、別れて来た人たちのことを考えた。彼らに、
聞かされた身の上話に驚かされ、心を動かされた。
心の琴線に触れずに触れずに終わった人は、一人もいなかった。
ハロルドは、はやくも、この世には思った以上に愛すべき人々がいることを
知らされていた。私は平凡な男ですよ、ただ通り過ぎるだけの。
群衆の中で目立つ様なタイプではない。人に面倒をかける人間でもない。
ーーーーー
ハロルドは、過去の様々な感情とイメージがざわざわと沸き立つのを感じていた。
どれも、長い年月、胸の奥深くに葬って来たものばかりだった。それを抱え、
意識しながら日々をを生きるのは人間の耐える限度を超えていたからだ。
窓台を掴み、深呼吸をしたが、空気は余りにも熱く、安堵感をもたらしては
くれなかった。
ーーーーー
モーリーンは、何かが崩れてばらばらになるのを感じた。部屋ががたんと
揺れたような気がした。階段を踏み外した時の気分だった。、、、、
モーリーンは、自分の事を、穏やかに、ゆっくりと、娘の目を見ないようにして
話し始めた。娘の目を見なかったのは、ひとつひとつの言葉を、胸の中の、
長年隠し通してきた秘密の場所からひっぱり出すことに神経を集中せねばなら
なかったからだ。
ーーーーー
風雨にさらされて海賊さながらの風貌の男。
赤銅色に焼けてなめし革のように見える肌ともじゃもじゃ頭の
男を見ていると、モーリーン自分は自分の薄っぺらさや脆さ
を思い知らされた。贅肉の削げ落ちたハロルドの生気がモーリーン
をおののかさせた。
ーーーーーー


いつしかハロルドは、人々のささやかな営みとそうした営みに対する
付随する孤独さこそが自分の胸を打ち、優しい気持ちさせてくれる
事を学んでいた。この世は、片足の前にもう一方の足をおく人々で
成り立っている。そして、ある人の人生が平凡に見えるとしたら、
それは、その人が長いことそんなふうに生きてからにすぎない。
いまやハロルドは、人はみな同じであり、同時に唯一無二の存在
であるという事実、そして、それこそが人間であることのジレンマだ
と言う事実を受け入れることが出来るようになっていた。

ーーーーー
衣装だんすのドアがわずかに開いていて、ハロルドが置いて行った
シャツの袖が見えた。胸をえぐられるようなあのおなじみの痛みが走った。
、、、、、、、、
それをハンガーから外し、体の前で広げてハロルドの胸の高さにあげてみた。
20年の歳月が光景に退き、自分たち夫婦の姿が浮かび上がった。
ーーーーー
自分の旅にルールがない事をあらためて自分に言い聞かせた。その昔、
一度か二度、自分は、ちゃんとわかっていると思い込んでいながら、
その実、何もわかっていなかったと言うことがあった。
もしかしたら、この巡礼者たちについても、同じなのではないか?
ひょっとしたら、彼らは、この旅の次の段階で何らかの役割を
演じる事になるのではないか?ときとして、ハロルドは、分からない事が
最大の真理で、人間は、知らないままでいるべき、と思う事があった。



ーーーーー
ハロルドの後について店に入った時に、入ると同時に店内の面積が
さっと広がり、静まり帰ったような気がした。まるで、店そのものが
ハロルドのために空間をつくろうとしているかのようだった。
ーーーーー
2日後、モーリーンは、目覚めて、希望に満ちた明るい空と木の葉
と戯れるそよ風と対面した。洗濯にうってつけの日だ。脚立を持ち出し、
メッシュのカーテンを外した。光と色彩と質感がどっとばかりに室内に
流れ込んだ。長年、カーテンのうしろに閉じ込められていたように、
カーテンは白くなり、その日のうちに乾きあがった。
ーーーーーー
疲労と募る虚しさにさいなまされてハロルドは、いつしか迫りくる夜
の中をぶらぶらと歩き回るようになった。あたりでは、コロオギが鳴き、
星たちが空に小さな穴をうがっていた。それは、ハロルドが自由を感じ、
この世とのつながりを感じる唯一の時だった。過ぎた日々を思い出した。
数時間が過ぎても、もう数日が過ぎたと思えることもあれば、まったく
時間が過ぎていないと思える事もあった。
ーーーーーー
また、夜明けどきに歩くようになったし、時には、夜も歩いたこともある。
胸は新たに生まれた希望でいっぱいだった。家々に明かりが灯る様子や
人々がそれぞれの人生に取り組む様子を見守っている時が、彼にとっては、
さいこうの幸せだった。誰にも気づかれず、知らない人々の知らない人生
をやさしい思いで見守るのは、このうえにない幸せだった。
ーーーーーー

平板でひそやかな思いとして始まったものが、時間と共にしだいに激しい
自責の念へと変わっていった。自分など取るに足りない存在だと思えば
思うほど、ハロルドはますますその思いから逃れられなくなった。おれは一体
何様なのだ、クウぃーにーのところへいこうなんて?
、、、、、、、
ハロルドは、ここまでの自分の旅を思い出した。途中で出会った人たち、
目のした場所、そのしたで眠った空。、、、、、、
なにに、いまはそういう人たちや場所、あるいは空のことを考えても、
もうその中に自分の姿を見つけることが出来ない。、、、、、
まるでいままで通って来た場所のどこにもいなかったようなものだ。
背後を振り返った。早くも彼の痕跡は消えていた。彼の気配は、
どこにも残っていなかった。
木々は身を風にゆだねて、水中で揺らぐ軟体動物の触手さながらに、
えだをしなやかにそよがせている。おれは、人生を台無しにしてしまった。
まともな夫になれなかったし、まともな父親にもなれなかった。
まともな友人にもなれなかった、まともな息子にさえなれなかった。
、、、、そうではなくて、人生をただ通り過ぎて来ただけで、
なんの刻印も残してこなかったせいだ。つまり、おれは無に等しいと言うことだ。


ーーーーー
過去に置いて来たと思っていた悪夢がまた舞い戻り、それから逃れる術が
なかった。目が覚めている時も、眠っている時も、過去を追体験し、
あらためて血の凍る思いにさいなまれた。斧を振り回しながら厚板で
出来た納屋の壁に挑みかかる自分が見えた。頭は、ウィスキーの酔いで
ーーーーー
ぐらぐらと揺れている。無数のガラスのかけらに血の花を咲かせる自分の
ふたつのこぶしが見える。、、、、、
別の時には、モーリーンが自分に背を向け、まばゆい光のポールの中に
消えて行く絵が見えたこともある。過ぎた20年の日々は、
刈り取られてしまった。
ーーーーーー
ハロルドは、鏡の中の、おぼろげにしか覚えていない顔と対面した。
皮膚が黒ずんだ襞となって垂れている。その下にある頭骨を包むには、
皮膚が大き過ぎ、余った部分が下がっているという感じだ。
額と頸骨のあたりに切傷が5つ、6つ。髪の毛とひげは思った以上に
ぼさぼさ、眉毛と鼻孔からは針金のようにごわごわした長い毛が
飛び出している。もの笑の種とはこの事だ。はみ出しものだ。
手紙を出すために家を出た男の面影はどこを探しても見当たらない。
ーーーーー
ハロルドは確信している。クィニーはこれからも先もずっと自分ととも
にあるはずだ。父親も、母親のジェーンもみんなこの先、ずっとともにあるはずだ。
彼らは自分が歩く空気の一部だ。たびの途中で出会った全ての旅人が空気
の一部であった様に。
--------
そして、自分がもう半分ほど忘れてしまった世界のことを考えた。
家の中で、街中で、あるいは、車の中で、人々が日々の営みを
繰り広げる世界。日に三度の食事を取り、夜になったら、
眠り、人と人との付き合いのある世界のことを。
そして、日々が安泰であることを喜び、そんな人々の中から
抜け出せたことにも満足していた。


ーーーー
ハロルドは封筒を手に取った。真実がずしりとした重りとなって
体内を駆け下り、すべてががらがらと崩れ落ちるような気がした。
いまはもう耐え難いほど暑いのか凍えるほど寒いのか、それ
さえもわからない。
ーーーーーー
(心が折れそうな時の表現)
26日目、これ以上歩くのは止めようと決心した。、、、
方角を間違えたのが酷くこたえて、旅を続けることが難しくなった。
、、、、目の届く限り巨大な鉄塔が連なっている。そんな光景を
目にしながら、いまはもうそいういものがある理由に興味が
もてなくなっている。前をみても後ろを見ても、道路はただどこまでも
伸びるばかりで、何の希望も見えない。心の底では、どうせ歩き通せる
わけがないことぐらい分かっているのだ。それでも歩き続けるには、ありったけの
体力と気力を動員しなければならない。なんでこんなに時間を無駄にしてしまった
のだ。行きずりの人と喋ってみたり、過去を思い出してみたり、人生を
考えてみたり、車で行こうと思えばいくらでもいけたではないか。当たり前だ、
デッキシューズなんかで歩きとおせるはずがない。
クぃーにーが生きているはずがない。
いくら生きていなきゃいけないと伝えたからとといって。
来る日も来る日も、空には、低く、白い雲が垂れ込め、時折、太陽が細い銀色
の筋となって差し込むだけだった。そのなかを、下ばかり向いて歩いてきた。
そうすれば、頭のうえで急降下を繰り返す猛禽やあっというまに過ぎていく
車を見ないですむから。はるかな山中にひとり残されたとしても、
これほどの寂しさや心細さを感じることはないだろう。
決断するに際して、ハロルドが考えたのは、自分のことだけではなかった。
モーリーん鋸とも考えた。彼女を思う気持が日ごとに募っていった。
彼女に愛されていないことくらい、とうの昔から分かっている。だからといって、
断りもなしに家を出て、後は野となれ山となれ、などということをしてわけがない。
それでなくとも、彼女にはさんざん悲しい想いをさせてきたのだ。それに
ディビッドのこともある。バースでのあの一件以来、ディビッドとの距離が
とてつもなく大きくなったと感じないわけにはいかない。モーリーんが恋しい、
そしてディビッドが恋しい。

ーーーーーー

ハロルドは長いこと、バース寺院近くのベンチに座ったまま、
どこに行けばいいかと考えていた。ジャケットを脱ぎ、シャツを脱ぎ、
皮膚と筋肉も脱ぎ捨ててしまったような気がした。ごくありふれた
ものを見ても、圧倒されそうな気分だった。とある店の店員が縞模様の
庇を巻き上げ始めた。けたたましいその音が頭に切り込んでくる。人気の
消えた通りを眺めた。誰も知らない、居場所もない。と、その時、道の向こう
側の角から、ディビドが現われた。
ハロルドは立ち上がった。心臓が早鐘を打ち、いまにも口から飛び出しそうだ。
まさか、ディビッドであるはずがない。あいつがバースにいるなんて、そんな
ことはありえない。、、、、、、、
ディビッドがハロルドの目をとらえた。だが、微笑みはなかった。ちらりと
ハロルドに向いた眼は、父親などそこにいないとというような、あるいは
父親は街路の一部で自分のしらないものというような、そんな目だった。
----------

「俺だって、皆とおなじさ。ちっともいい人間時じゃない。
これくらいのことは誰にだって出来る。だけど、人間、余計なものは
要らないんだ。初めはおれもそれが分からなかった。だけど今は分かる。
みんな、自分では必要だと思っているものがあるだろうけど、そんなもの
捨てるべきなんだ、キャッシュカードだとか、携帯電話だとか、
地図だとか、そういうものは要らないんだよ」
ーーーーーーー
疲労と募る空しさにさいなまれて、ハロルドはいつしか迫り来る夜
の中をぶらぶらと歩き回るようになった。あたりではこおろぎが鳴き、
星たちが空に小さな穴をうかがっていた。それはハロルドが自由を感じ、
この世とのつながりを感じる唯一の時だった。
ーーーーー
一度だけ母の目をとらえた時のことを思い出し、体内をうねるような
感情が突き抜けた。母は口紅を塗る手を止めた。おかげで、母の口
は半分がジョーンで、半分が母親のままに見えた。心臓の激しい
鼓動のために震える声で、ハロルドは勇気を振り絞って口を開いた。
「ねぇ、おしえてくれるかな?ぼくってみっともない。」
ーーーーー
ハロルドはケイトが遠ざかっていくのを待った。ケイトは5度、
6度と振り返っては手を振り、ハロルドは同じところに留まったまま
彼女を見送った。、、、、また以前のように自分の言葉だけに耳を
傾けていればすむなら、どんなに気が楽だろう。にもかかわらず、
次第に小さくなるケイトの姿を見ているうちに、彼女との別れの
つらさに襲われて、自分の小さなかけらが死んでいくような
気分になった。
-----

遠くには、地平線をまたいでブラック山脈とモールバン丘陵が
横たわっている。工場の屋根とグロースター大聖堂のぼやけた
輪郭が見える。小さくマッチ箱のように見えるのは、民家と車
にちがいない。あそこにはあまりにもたくさんのものがある。
たくさんの人生が、日常の営みが、苦しみと闘いの営みがある。
だが、人々は、ここからハロルドに見られていることを知らない。
ハロルドは再び、心の奥底から感じた。自分は今このこの目に
映るものの外側にいると同時に内側にもいる、この目に映るものと
つながっていると同時にそういうものを突き抜けようとしている。
歩くとは、じつはそういうことなのだ。
(⇒自分としても良く認識のこと。)
自分は色々なものの一部であると同時にその一部ではないということだ。
この旅を成功させるには、そもそも、最初に自分を駆り立てたあの気持ち
に忠実であり続けなければならない。他の人なら別の方法をとるだろうが、
そんなことはどうでもいい。事実、自分にはこうするしかないないのだから。
あくまでも歩き続けよう。


-----
そらはたとえようのない青さに輝き、それをそこなう雲はひとかけらも見えない。
家々の庭はひとかけらの早くもルピナスやバラ、デルフィニウム、スイカズラの花、
さらには、ライムグリーンの雲を思わせるハゴロモクサで埋め尽くされている。
、、、、どことなく豆の鞘を連想させる。
------
思いがけない事が起きた。しかも、それは彼が旅のあいだに出くわして、
そこに大きな意味を汲みとることになる幾つもの瞬間のひとつだった。
その午後遅く、いきなり雨がやんだ。あまり唐突で、それまで降っていた
ことさえ信じられないくらいのやみ方だった。東の空で、雲ににわかに
亀裂が走り、空の低いところに一本のきらめく銀色の帯が出現した。
ハロルドは思わずその場に立ちつくし、灰色の雲海に二度、三度と亀裂が
走っては、新たな色が現われる様に見とれていた。青、赤みがかった濃い
茶色、黄桃色、緑、そして茜色。やがて、雲はくすんだピンクに染め上げられた。
ひとつひとつの色がきらめき震えつつ滲み出し、鉢合わせしては混ざり合った
かのようだった。ハロルドは動けずにいた。変化の全てを自分の目で見届けたかった。
大地に差す光りは黄金色。その光りを浴びて彼の肌も暖かい。足下では、大地がきしみ

ささやき交わす。空気は緑の匂いがして、始まりの気配に満ちている。柔らかな
霧が立ち上がる。細くたなびく煙の筋に様だ。疲労困憊、足をあげることさえ
つらいのに、旨は希望に満ちている。めまいがするほどの希望に。
自分自身より大きなものに目を向けてそらさずにいれば、きっとベリックまで
歩き通せるはずだ。


ずしりと重い静寂が身体を這い上がった。しばらくそれに逆らってみたが、
やがてたまらず目をつむった。太陽の光りが、まぶたを透かして赤く輝き、
小鳥の歌と通り過ぎる車の音が溶け合ってひとつになった。
音は彼の中に、そして同時に遠くにあった。、、、
「世間の人は歩くなんて単純極まりない事と思うんでしょうね」
と、しばらくしてやっと女性は口を開いた。「片足をもう一方の足の前に置く
だけのことだと。だけど、わたしなんて、本能的なことと思われてることをする
のがどれほど難しいか、いまだに驚かずにいられない」
女性は舌で下唇をしめらせてから、次の言葉が出てくるのを待った。「たべること」
と、ずいぶんたってから又口を開いた。「それも難しい事のひとつね。なかには、
食べる事にどうしようもなくつらい思いをする人もいる。しゃべることもそう。
愛する事も。
そういうのもみんな、ことと次第によってはむずかしいことね」そういって、女性は
庭を、ハロルドではなく、庭を見つめた。


申し分ない春の日だった。空気は柔らかくて甘く、空は高くて鮮烈な蒼さだった。
最後にロード13番地のメッシュカーテンを透かして外をのぞいたときには、
木立ちも生垣もスカイラインを背景に黒々とした骨や棒にしかみえなかった。
ところが、いまこうして外の世界を自分の足で歩いてみると、目の向かうところすべて
、畑も、庭も、野原も、木立ちも、生垣も、すべてに新しい命がはじけている。
頭上では、着生植物の若葉が木の枝にしがみついて天蓋をかたちづくっている。
目の覚めるような黄色の雲はレンギョウの花。地をはっているのは、紫ナズナ。
柳の若芽が銀色の噴水となって震えている。この春最初のジャガイモの芽が大地を
割って顔を出し、グズベリーとスグリの繁みは早くも小さな蕾をつけて、
モーリーンがその昔よくつけていたイヤリングを思い出す。溢れんばかりの
新しい命、ハロルドはそれにめまいさえ覚えた。


「幸運を祈っておくれ」というと、母親は水に飛び込むときのように大きく息を
吸って玄関をでていった。
そのときのことが細部まで鮮明に蘇り、その記憶のほうがいま自分の足下にある
台地よりもリアルに感じられる。母親のムスクの香りが鼻をくすぐる。顔には
たいた白粉が見える。もしあの時母親が頬にキスさせてくれていたら、間違いなく
マシュマロの味がしたはずだ。



「追想の記述」
ハロルドの脳裏に、イーストボーンの休暇村で踊るデビッドの姿が蘇った。
デビッドがツイストコンテストで優勝したあの夜のことが。、、、、
蘇った事は他にもあった。デビッドの学校時代の事。デビッドが自分の部屋に
こもって過ごした時間、親の手助けをいっさい受け付けなかった事。

「自然の情景、風景変化」
エクセタの街はホロルドに不意打ちを食らわせた。彼の中にいつのまにか
出来上がっていたゆったりした体内リズムが、この大都会の凶暴なまでの
激しさを目のあたりして、いまや崩壊の危機に晒されていた。ここに来るまでは、
どこまでも開けた大地と空とが与えてくれる安心感、すべてがあるべきところにあると
いう
安心感に、心地よく浸っていられた。自分自身をたんなるホロルドと言う人間
ではなく、もっと大きな何者かの一部だと思っていられた。なのに、あまりにも
視界の限られたこの街では、何が起きてもおかしくないし、その何かが何であっても、
それに相対する心構えが出来ていないように思えてならなかった。
足の下に、たとえ痕跡でもいいから土がないものかと探してみても、眼に入るのは
敷石とアスファルトばかり。何もかもが彼に警告を発していた。行きかう車も。
ビルも。人並みを押し分け、携帯電話でわめきながら先を急ぐ人も。そんな顔の
ひとつひとつにほほえみかけてみたが、それだけで疲労困憊する有様だった。
あまりにも多くの見知らぬ人々の顔を意識の中に取り込むというのは、ひどく
疲れることだった。
二本の足で、たったひとり土の上を歩いていたときにははっきり分かっていたものが、
品数も、通りの数も、正面がガラス張りのショッピングアウトレットの数も、
何もかもが多すぎるこの街では、何がなんだかわからなくなった。早く広々とした
自然の中に戻りたくてたまらなかった。



ーーーーー
空をべったりと覆う白くて分厚い雲がバースの街を押しひしぎ、命を
搾り取ろうとしているように見える。バーやカフェが舗道にあふれだし、
人々は肌着1つになって飲んだり買い物をしたりしている。だが、
もう何ヶ月も太陽にお目にかかったことのなかった彼らの肌は真っ赤に
染まっている。ハロルドはジャッケットを脱いで腕にかけて置いたが、
シャツの袖で頻繁に汗を拭わねばならなかった。草花の綿毛がそよ吹く風
さえない空気の中に浮いていた。

---------
夜明けの薄明かりの中に踏み出したハロルドは、驚異の念とともに、空が
強烈な色で燃え上がり、やがて、その色をなくして、青一色に変わる様を
見守った。一日の他とはまったく異なる時間の中にいるような、平凡なもの
など何もない時間の中にいるような、そんな気がした。
ーーーーー
トントの郊外にたどり着いた。家と家が軒を接して建ち、アンテナが
林立している。窓に灰色のメッシュカーテンが掛かっている。中には、
金属のシャッターで守られた窓もある。わずかに土の見える庭では、
草花が雨でなぎ倒されている。舗装道路一面に桜の花びらが散り敷き、
濡れた紙でも貼り付けた様に見える。車が瀑音を上げながら走り去り、
耳を聾する。道路は油を引いた様に光っている。
ーーーーーー
部屋はがらんどうで真新しいペンキのにおいがした。壁は殺風景な白、
紫色のベッドカバーと同じ色のカーテン、枕上にはスパンコールを
縫い付けたクッションが三つ。辛い境遇にもかかわらず、マルティーナが
寝具にそこまで気づかいをしていることにハロルドは胸を衝かれた。
窓に目を向けると、階下の窓から見えていた大木の枝と葉が、窓ガラスに
押し付けられてもみくちゃになっていた。
ーーーーー
木々の梢が硬質なうねりを見せる空を背に輝きを放ち、やがて最初の風
に打たれて身を震わせた。木の葉と小枝が宙に舞った。鳥たちが叫びを
あげた。彼方で雨の帆がはためき、ハロルドと丘陵との間に垂れさがった。
ハロルドはジャケットの中に縮こまり、雨の最初数滴をしのいだ。
どこにも隠れ場所はない。雨がジャケットを叩き、首筋を下り、伸縮性
のある糸を織り込んだ袖口を駆け上がる。雨粒が胡椒の実のように身体
を打ち、水溜りで渦を巻き、側溝を走る。
ーーーーー
木立を透かして陽の光が差し込み、風を受けて細かく震える若葉が
アルミフォイルのようにきらめいた。、、、、、、、さしかかると、
民家の屋根が草ぶきに変わり、煉瓦もそれまでの黒色に近い灰色から
温かみのある赤に変わった。コデマリの枝が満開の花を付けて深々と
頭を垂れ、デルフィニウムの若芽が地面をやさしく突き上げている。
、、、、そしてアルムを確認し、美しさに思わず見とれた星型の花が
ヤブイチゲであることを知った。おかげで心が弾み、それから先も
事典と首ッぴきで草花の名前を確かめながら、ソーバ間での4キロ
を歩き通した。、、、、、、、大地は道路の左右で落ち込み、
そのまま視界が開けて彼方の丘稜地へと続いていた。



ーーーーー
照りつける太陽の下を歩き、打ちつける雨の中を、青く冷たい月の下を、
歩いた。だが、いまはもう何処まで歩いて来たかがわからなくなっている。
星たちで息づく硬質な夜空の下に座り、手が紫色に変わっていくのを
見守った。、、、、、、どの筋肉がどの腕を動かすのか思い出せい。
動かせば、どんな役に立つのかのかも思い出せない。
ーーーーーー
15分程歩いては、足を止め、痛む右脚を休めずには、いられなく
なっていた。背中も、腕も、肩も痛みがひどく、他のことは、
ほとんど考えられない。雨は太い針となってハロルドに襲いかかり、
家々の屋根と舗装道路に当って跳ねた。わずか一時間後、足がも
つれて休まずには、いられなくなった。雨が木の葉を打って
わななかせ、空気は柔らかな腐葉土のにおいを運んで来る。
ーーーーー
こうして自分の足で歩いていると、人生はこれまでと全くの違う
ものに見えてくる。土手の隙間からのぞく大地はゆるやかに起伏し、
やがて市松模様の畑地に変わり、それぞれの境界に生け垣や木立
が並んでいる。ハロルドは、おもわず脚を止めて目を凝らした。
緑にもたくさんの色合いがある事を知って、自分の知識の足りなさ
をいまさらのように思い知らされた。限りなく黒いベルベットの
質感の緑色もあれば、黄色に近い緑色もある。遠くで、太陽の光
が通り過ぎる車をとらえた。たぶん、窓にでも当たったのであろう。
反射した光が流れ星のように、震えながら、丘陵地を横切った
。どうしてこれまで一度もこういう事に気付かなかったのだ?
淡い色の、名前も知らない草花が生け垣の根元を埋め尽くしている。
サクラソやスミレも咲いている。
ーーーーー
ハロルドは、視線をそらせ、その視線を空に戻した。半ば目を閉じた
その様子は、その様子は、外界を遮断することでする事で、頭の中で
形を取りつつある真実をもっとはっきりと見ようとしているかのようだった。
ーーーーー
母は、水に飛び込む時の様に大きく息を吸って玄関を出て行った。
その時のことが、細部まで鮮明によみがえり、その記憶のほうが
自分の足下にある大地よりもリアルに感じられる。母親のムスクの香りが
鼻をくすぐる。顔にはたいた白粉が見える。、、、、、
木立を透かして陽の光が差し込み、風を受けて細かく震える若葉が
アルミホイルの様にきらめいた。プラムにさしかかると、民家の屋根が
草ぶきに変わり、煉瓦もそれまでの黒に近い灰色から温かみのある
赤に変わった。コデマリの枝がまんかいの花をつけて深々と頭を垂れ、
デルフォイの若芽が地面をやさしく突き上げている。
ーーーー
雨がやみ、それと同時に自然界に新たな成長の季節が訪れた。
木々や草花はいっせいに華やかな色彩とかおりをまき散らし、トチノキの
枝は小刻みに震えながら、円錐形の花キャンドルを支えていた。
白いヤマニンジンの花笠が道端をびっしりと覆っている。つるバラが
庭塀を這いあがり、深紅のシャクヤクがテッシュペパーのような花弁
開いている。りんごの木は花びらを振り落としはじめ、その後にビーズ
のような小さな実をのぞかせている。
ーーーーー
朝の空は青一色、そこに櫛で梳いたような雲がたなびき、木立の向こうには、
いまなお細い月が消え残っている。ハロルドはまた路上に戻れたことに安堵した。
、、、、、
ハロルドの頭は思考停止状態に陥っていた。けれど、広々と視界の開けた自然
な中に戻ったいま、彼はふたたびある場所と別の場所との中間地点にあって、
頭には、様々な情景がなんの束縛もなく去来している。歩きながら、
20年ものあいだ考えまいとして必死に抑えつけて来た過去のもろもろを
解き放った。おかげで、いま彼の頭の中では過去がけたたましくさえずり
ながら、独特の騒々しいエネルギーで駆け巡って行く。
ーーーーー
きれいに刈り込まれた芝生をあこがれの目で眺め、自分の素足が柔らかな芝に
沈むところを想像した。ベンチが数脚、スプリンターが一基。弓状に
ほとばしる水が鞭となって空気を打ちながら、ときおり陽の光を捉えて
きらめいている。
ーーーーーー
ハロルドの頭は次第しだいに澄み渡り、身体が溶けた。雨が屋根と
防水布を打ち始めた。けれども、その音はやさしく、あくまでも、
寛容で、幼いデビッドを寝かしつけた時のモーリーンの歌声を
思い出させた。やがて、雨音はやんだが、ハロルドには
むしろそれが寂しかった。いつしか雨音が彼の一部になって
いたかのようだった。いまや彼自身と大地との間に実体
あるものなど何一つ存在しないような気がした。
夜明け前に眼が覚めた。片肘をついて起き上がり、防水布
の隙間から新しい日が夜の闇を追いやり、地平線にあくまでも淡い
夜明けの光がしみこんで行く様を眺めた。
鳥たちがいっせいに歌い始めた。かなたの風景が浮かび上がり、
新しい日が自信たっぷりに立ち現れたときのことだった。
空は、灰色からクリーム色に、クリーム色からピーチ色に、
更に、藍色に、そして、青に変化した。霧の柔らかな舌が
谷底を這い、雲の中から丘の頂と人々の家が立ち上がった。
月は早くもおぼろな影になっている。


ーーーーーー
朝ごとに、太陽が地平線上に顔を見せてやがて天頂に達し、
夕方には沈んで、一日が別の一日へと道を譲った。ハロルドは
空と、その下で刻々と変化する大地を見つめて長い時間を
過ごした。峰峰の頂が昇りゆく太陽の光りを背に金色に照り映え、
その輝き映す民家の窓が、一つまた一つと強烈なオレンジ色に
染まって燃え立つように見えた。日暮れ時、木々の影が長くなり、
地面にもう一つの森が、闇で出来た森が、出現しかかったようだ。
早朝の霧について足を進め、乳白色の靄の中からぬっと頭を
突き出す高圧電線用の鉄塔に気付いて思わず顔をほころばせた。
丘の形が柔らかく平らになって、視界が開けた。見渡す限り、
穏やかな緑色が続いていた。どこまでも平らに伸びるサマセット
の湿地を通り抜けた。湿地を走る無数の水路が銀色の針のように
きらめいていた。地平線上にグラストンベリーの丘が鎮座し、
その向こうにメンディップの丘陵地が見えた。
ーーーーーー
夜明け前に目が覚めた。
片肘をついて起き上がり、防水布の隙間から、新しい日が夜
の闇を追いやり、地平線にあくまでも淡い夜明けの光が
しみこんで行く様を眺めた。鳥たちがいっせいに歌い始めた。
かなたの風景が浮かび上がり、新しい日が自信たっぷりに
たち現れた時のことだった。空は灰色から淡黄色に、淡黄色
から黄桃色に、更に、藍色に、そして青色に変化した。
霧の柔らかな舌が谷底を這い、雲の中から丘の頂と人々の家が
立ち上がった。月は早くも朧な影となっている。
ーーーー
これほど美しい5月は初めてだ。
来る日も来る日も、空は例えようのない青さに輝き、それを損なう
雲はひとかけらも見えない。家々の庭は早くもルピナスやバラ、
デルフィニウム、スイカズラの花、さらにライムグリーンの雲を
思わせるハゴロモグサで埋め尽くされている。虫たちが飛び立ち、
宙にとどまり、羽音をたて、空を切って飛び去っていく。
ハロルドはキンポウゲとヒゲナシとフランス菊とシロツメクサと
カラスノエンドウとナデシコの咲き競う野原を通り過ぎた。
生垣をニワトコの花房の甘い香りが包み、野生のクレマチスや
ホップ、ノイバラが絡み付いている。市民菜園もまた芽吹きの
季節を迎えている。レタス、ほうれん草、チャード、ビーツ、
ジャガイモの若芽、そして支柱に絡みついてドーム型に伸びる
えんどう豆が列を成している。


-------
小さな雲の塊があたりにいくつもの陰を落としながら走りすぎていく。
かなたの丘稜地に指す光はすすけている。夕闇のせいではなく、
前方に横たわる拾い空間の正だ。ハロルドは頭の中でイングランドの
最北端でまどろむクウィーニーと、南端の電話ボックスにいる自分、
そして、その中間にあるはずの。彼の知らない、だから、想像するしか
ないたくさんのものを思い描いた。道路、畑、森、荒野そして、
大勢の人間。その全てに出会い、通り過ぎるだろう。ジックリと考える
必要など毛頭ない。理屈をつける必要もない。その決断は思いつくと同時に
やってきた。
---------
アッシュバートンを経て352号線に入り、ヒースフィールドで一夜を過ごした。
途中、やはり歩いて旅する人たちに出会い、自然の美しさや間もなく
やってくる夏のことなど短く言葉を交わしては、お互いの旅の安全を祈り、
それぞれの目的地を目指してまた歩き始めた。曲がりくねった路を行き、
丘稜地の麓を辿りながら、ひたすら前へ前へ足を進めた。
けたたましい羽音もろとも木々のの枝からからすの群れが飛び出し、生け垣
のなかから若い鹿が飛び出してきた。車がどこからともなく轟音をあげて近づいて
きては走り去った。民家の門の内側には犬がいた。
側溝の蓋にはアナグマが数頭、まるで毛皮をかぶせた重しのように座っていた。
満開の花のドレスをつけた桜の木の一本、立ち騒ぐ風を受けて紙吹雪のように
花びらを散らした。
--------
次の日は、自分を叱咤して、夜明けと供に、歩き始め14キロほど稼いだ。
木々の間から、早朝の陽の光が矢となって、振り注いでいた。
なのに、午前をかなり半ばを過ぎるころ、空は頑固なちぎれ雲に覆い
つくされ目を上げるたびに、ちぎれ雲の一つ1つが灰色の山高帽の形を
とり始めた。ユスリカの蚊柱がたった。
キングスブリッジをでてから6日、ロードからおよそ69キロ、ズボン
の腰周りがゆるくなり、額と鼻、耳の皮膚が日に焼けて抜け落ちた。
時計を見たが、その前から時間が分かっていたことに気付いた。
朝と晩、足の指と踝と土踏まずを入念に点検し,皮膚の破れたところ
やすりむけたところを絆創膏と軟膏で手当てした。シーズン最初の
忘れな草の群生が月明かりを浴びて淡く輝いていた。
----------
どこまでも続く灰色のかたまりが空と大地を移動し、雨のカーテンを連れて
きて、周りのすべてから色彩と輪郭を奪っていった。ハロルドは前方を
見つめ、方向感覚を取り戻そうと或いは、これまで大きな喜びであった
雲の切れ目を探そうとしたがいくら眼をこらしても、またもや我が家の
メッシュカーテンを透かして世の中を見ている気分になった。何もかもが
家に居たときと同じだ。ガイドブックを見るのはやめた。ハロルドは、今、
自分の身体と闘い、その闘いに敗れつつある、という思いにさいなまれていた。

-------
東の空で、闇がひび割れ、淡い光の帯が現れたと思うまもなく、帯は空を
昇り、全体に広がり始めた。

---------

家々の窓にバター色の明かりとその中で動き回る人々の様子を見守った。人々は
やがてそれぞれのベッドにもぐりこみ、夢の世界に遊ぶだろう。そんな事を
考えている中にかれはふとある事に思い立った。おれはこんなにも彼らの身を案じ
彼らがとにもかくにも暖かく安全でいることにほっとしている。一方、この俺は
自由に歩き続けている。しょせん、ずっと、こうだったのだ。俺はいつも
人とは少しはなれたところで生きてきたのだ。月がくっきりと姿を見せた。中央に
真ん丸い月が、水の中から現われた銀貨のようにかかっていた。



マルチの笑顔が少しづつ崩れ、その口から今一度笑い声が洩れた。笑うと
彼女の顔が柔和になり、頬にその表情に相応しい朱がさすのがわかった。
後れ毛が一筋、きつく結んだポニーテールから垂れていた。マルチがそれを掻き揚げよ
うと
しないのが、ハロルドには嬉しかった。
それから暫らくの間、ハロルドのまぶたに浮かぶのは、若き日のモーリーンの
顔ばかりであった。彼の顔を見上げる彼女の無防備で屈託の無い顔。
柔らかな唇をなかば開いて、彼の次の言葉を待っている。あの時にはモーリーン
の関心は間違いなく自分に注がれていた。それを思い出したとき、ハロルドの中に
ぞくぞくするような喜が湧きあがった。しかも、その歓びが強烈過ぎて、もっと
いろいろなことを話してマルチに喜んでもらいたいという気になった。なのに、
なにも思いつけなかった。
ハロルドは、今度の旅で出会った人の事を思い出した。みんないささか変わった
ところのある人たちだったが、外見だけで異様だと思える人はいなかった。
あらためて自分の人生を考えれば、外見上は、やはり、ごくありふれた人生と
見えるのかもしれない。ほんとうは、内にとんでもない闇と厄介ごとを
抱えているというのに。
ハロルドは、あらためて人生が一瞬にして変わりうるものであることに
気付かされて胸を衝かれた。ごく日常的なこと、自分のパートナーの犬の
散歩をしたり、いつもの靴を履いたりと言うごく日常的なことをしていながら、
大切なものを失おうとしていることに気づかない、ということだってありうるのだ。


いまはもう見るものさえいないアルバムを引っ張り出した。
緑にこびりついてフェルト状になったほこりをスカートで拭き取った。
こぼれそうになる涙をこらえながら、ページを、1枚1枚、丹念に
見つめた。ほとんどが彼女とデビッドのものだが、そ間にはさまるようにして
何枚かそうでないものが混ざっていた。ハロルドの膝に抱かれた赤ん坊の
デビッド。赤ん坊を見つめる父親、手が両方とも宙に浮いている、触ってはいけない
と自分を戒めているようだ。そして、もう1枚、デビッドを肩車にしたハロルドの
写真がある。首を精一杯伸ばしてデビッドがまっすぐ座っていられるように、
落ちないようにと気を使っているようだ。十代のデビッドとネクタイ姿のハロルド
二人揃って金魚の池をのぞいている。モーリーンは思わず噴出した。二人と来たら
仲の良さそうなふりをしている。わざとそうしていることがばれないようにして、
いつもはそんなそぶりも見せなかったのに。でも、ハロルドは仲のよい父と息子で
ありたかったのだ。デビッドだって、たまにはそうありたかったのだ。モーリーンは
アルバムを膝に広げたまま、虚空を見つめた。その目には、カーテンではなく、
過去だけが映っていた。ふと気付くと、まぶたにまたしてもバンタムでのあの日
が蘇って来た。、、、、、
それから数日間、気分は一層落ち込んだ。一番いい部屋の床じゅうにアルバムが
転がっていた。それを元に戻すと言う作業に向き合う事が出来なかった。朝早く
洗濯機を回しても、洗いあがったものはそのまま1日中ほったらかしにしていた。
食事はチーズとクラッカーですませた。鍋一杯のお湯を沸かす気にさえなれなかったか
らだ。
彼女はいまやたんなる記憶再生装置でしかなかった。


その昔、モーリーンはよくワンピースのボタンホールに花をつけた
小枝や秋の葉を挿していたものだ。あれはたしか結婚直後のことだった。
ワンピースにボタンホールがないときには、耳の上に挿すこともあった。
そんな時には髪に花弁がはらはらとこぼれ落ちたものだ。ちょっと
おかしくないか。もう長いことそんなことを思い出しもしなかったのに。

経営者は腕を組み、それをぶよぶよの三段腹の上に置くと、両足を
広げて、休めの姿勢になった。これからちょっと話しておきたいことがある、
少し長くなるかもしれないからそのつもりで、といわれているような気がした。
話しておきたいことと言うのが、デボンからツィードまでの距離の事
でなければいいが、とハロルドは思った。
「実は、昔、知り合いの娘がいてなあ。可愛い娘だった。ウェルズに住んでいたんだ。
じつは、その娘は俺の初キスの相手で、それ以上のこともちょっことさせて
くれた。なんのことかわかるよな。いま思えば、あの娘はおれのためなら
なんだってする気でいたんだろうな。けど、おれはそれに気付かなかった。
なにせ、頭は仕事の事でいっぱい、出世のことしか考えていなかったんでね。
それからほんの2,3年後だったかな、結婚式によばれて行ってみてはじめて
気がついたんだ。彼女と結婚する男はとんでもない果報者だってことにね」。
わたしはクウぃーに恋したことはない、いまおたくが言ったような意味で
恋したことは一度もないといったほうがいい、とハロルドは思った。
だが、同時に、相手の話の腰を折るのも無作法な気がした。
「心はぼろぼろさ。それ以来、飲み始めた。あとはもうめちゃくちゃだ。
わかるだろ?」。ハロルドはうなずいた。
「結局、ムショ暮らしが6年さ。女房は笑うけど、その俺が近頃じゃ、工作
なんかやってるよ。テーブルに飾るやつをね。ネットで安物の飾りやバスケット
なんか手に入れて作るんだ。実際の話。」と、そこまで言って経営者は指で
耳をほじくった。
「人間、誰にだって過去はある。ああすればよかった、あんなことをしなきゃ
良かった、と思うことがあるものさ。幸運を祈るよ。その女性が見つかると
いいな」経営者は耳から指を引き抜き、顔をしかめてその指をしげしげと
見つめた。
「運がよきゃ、きょうの午後には目的地に着けるだろうよ」。
経営者の誤解を正してみても意味がない。他人にこの旅の本質を、
それどころかツィードの正確な位置さえ理解してもらえるとは思えない。


おまけに、食堂とは名ばかりで、表の道路に面しているが、壁際に
ソファの3点セットが押し付けてあるのと、中央に二人掛けのテーブルが
ひとつあるだけの狭い部屋だ。オレンジ色のシェードをかけたフロアランプで
照らされた室内に、湿気のにおいが漂っている。前面がガラス張りの
キャビネットには、スペイン人形のコレクションと、矢車草のドライフラワー
薄葉紙をひねって作った花のようにかさかさ、が並んでいる。女主人は
テーブルに朝食を出すと、戸口に腕を組んで座ったまま。ハロルドの様子を
見守っていた。


モーリーンがとらえたハロルドの目は、無防備で剥き出しであった。
ハロルドがモーリーンの目を捉えた。これまでの歳月がバラバラと
崩れて消えていった。モーリーんの目には、遠い昔の奔放な若者が
とりつかれたように踊って、彼女の全身の血管を愛の混沌で満たした
若者がよみがえった。
------
モーリーんはしだいしだいに、ドアの上と下からこぼれる光とうつろな
空間を水のように満たすホスピス内の物音を意識し始めた。室内は、
いつしか暗くなり、細部の見分けがつかなくなっている。クウィーニーの
形さえぼやけ始めている。マーリーンはまたあの波のことを、そして
人生は終末があって初めて完結するものであることを思った。

-------

暫くの間、沈黙のなかに彼女の言葉だけが響いていた。ハロルドは、あらためて
人生が一瞬にして変わりうるものであることに気付かされて胸を衝かれた。
ごく日常的なこと、自分のパートナーの犬の散歩をしたり、いつもの靴を
履いたりと言うごく日常的なことをしていながら、大切なものを失おうと
していることに気付かない、と言う事だってありうるのだ。


-------
ハロルドのいないいま、日々はただ果てしなく流れて明日が今日になり、
今日が昨日になるだけで、モーリーんはそれをただ無気力に見つめる
ばかり。無為に過ぎてゆく時間をどう埋めればよいのか分からずにいた。
ベッドのシーツでも、剥がそうと決心するのに、そんなことをしても意味が
ないことを思い知らされるばかりだった。いくら洗濯物の籠を乱暴に床に
置いてみても、あるいは、助けてなんかくれなくてもチャント一人で
やっていけますよ、おあいにくさま、と憎まれ口を叩いてみても、それを
見聞きする者は一人もいないのだから。

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一つの記憶が押し寄せてきた。ハロルドが一番恐れていた記憶の一つが。ふだんは
それをとても上手に抑えつけていられるのに。クウィにーの事を考えようとした。
でも、それ合えも上手く行かない。両肘を突き出して足取りを速め、怒りに任せて
敷石を踏んだ。怒りのあまりの激しさに、息さえすることさえ難しい。だが、
何をしても、20年前のある午後、全てが終わったあの日の午後の記憶から
逃れることは出来なかった。あの木製のドアに伸びる自分の手が見える。
肩にあの日の太陽の温もりを感じる。腐葉土の匂いがする。熱い空気の
匂いがする。あるはずのない沈黙の音が聞こえる。
「やめろ」と叫んで、ハロルドは雨に殴りかかった。
突如、ふくらはぎが破裂した。皮膚の真下の筋肉が切り裂かれたようだ。
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マルチの笑顔が少しづつ崩れ、その口から今一度笑い声が洩れた。
笑うと彼女の顔が柔和になり、頬にその表情に相応しい朱が刺すのが分かった。
後れ毛が一筋、きつく結んだポニーテールから垂れていた。マルチがそれを
掻き上げようとしないのが、ハロルドには、嬉しかった。

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嵐が近づいていた。雲がフードのように大地にかぶり、ブラックダウン
丘稜に不気味に明るい光を投げた。旅に出てはじめて、ハロルドは携帯電話を
持ってこなかったことを後悔した。前方で待っていることに対する
心構えが出来ていないような気がした。モーリーんと話をしたかった。
木々の梢が硬質なうねりを見せる空を背に輝きを放ち、やがて最初の
風にうたれて身を震わせた。木の葉と小枝が宙に舞った。鳥たちが叫びを
上げた。かなたで雨の帆がはためき、ハロルドと丘稜地とのあいだに
垂れ下がった。ハロルドは、ジャケットの中に縮こまり、雨の数滴をしのいだ。
どこにも隠れ場所はない。雨が防水ヒャケッとを叩き、首筋を下り、
伸縮性のある糸を織り込んだ袖口を駆け上がる。雨粒が胡椒の実のように
身体をうち、水溜りで渦を巻き、側溝を走る。しかも、車が
通り過ぎるたびに泥はねとなってハロルドのデッキシューズに襲い掛かる。
1時間過ぎるとハロルドの足は、水そのものになり、濡れた衣服が絶えず
肌をこすってむずがゆさを連れてくる。
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やがて、すべてがぱたりとやんだ。
話しかけることも、わめくことも、ハロルドと眼を合わせることも。新たに生じた
沈黙は、以前のそれとは、違っていた。以前の沈黙は、お互いに相手を思いやる
あまりの沈黙だったが、いまや守るべきものは何もなかった。
モーリーンが胸の想いを口にするまでもなく、彼女の顔を見るだけで、ハロルド
には彼女との仲を修復できる言葉一つ、身振り1つないことが察せられた。
モーリーんはもはやハロルドを責めなかった。


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眠りは浅くとぎれがちだった。何かのパーティに出ている夢を見た。、、、、、、、
肝臓が飛び出しているのに、痛みは全く感じない。感じるのは
むしろパニックににたもの、パニックの苦悶だ。突如として襲いかかった
その苦悶が、額の生え際に刺すような痛みを残していく。誰にも気付かれずに
この肝臓を身体の中に戻すにはどうすればいいだろう?
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(新しい気付きの瞬間)
ハロルドの脳裏に食べ物を運んでくれたあの女性の優しさが、そして、マルチ
の優しさが蘇った。彼女たちは彼が遠慮したにもかかわらず、慰めと休息の場を
提供してくれた。そんな彼女たちの親切を受け入れた時、彼は新しい何かを学んだ。
受け取ることは与えることと同じ様に贈り物だと言う事を。なぜなら、
受け取ることも与えることも、ともに勇気と謙虚さの両方を必要とするからだ。
前々日の夜、例の納屋で寝袋にくるまっていたときに感じた安らぎを思い出した。
そんなことをあれこれと考えながら歩く彼の眼下では、どこまでも続く
大地がはるかな空と溶け合っていた。ふいにハロルドは気付いた。
べりっくにたどり着くには何をすべきかに気付いたのだ。

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A道路を歩き,B道路を歩いた。小道も歩いたし、踏み分け道も歩いた。震えながら
北を指すコンパスの針に従って歩いた。日中の光りを受けて歩く日もあれば、
夜の闇をついて歩く日もあった。いつ歩くかは気分次第。何キロも何キロも歩いた。
くつずれが酷くなった時には、抱くとテープを巻いた。眠くなれば眠り、
また起き上がって歩き始めた。星空の下を歩き、眉月の優しい光りを浴びて歩いた。
木の幹がまるで白骨のように光っていた。風に抗い雨を突いて歩き、陽に焼かれた
空の下を歩いた。生まれてからずっとこうして歩く事を待っていたような気がした。
いつしかどこまで歩いたかが判らなくなっていたが、まだ歩き続けるだけ
は判っていた。ウォルズの蜂蜜色の石がウォリックの赤レンガに変わり、
大地は平らになってイングランドの中部に入った。、、、、、、
「無理に急がない。だらだらもしない。ただ片足をもう一方の足の前に置く
それを繰り返していればいずれベリックにつくと言うのが道理だよ。じつは、
このごろ、人間ってやつは必要以上に座っていることが多すぎると思うように
なってね」ハロルドはそういって微笑んだ。「足があるのはあるくため
じゃないのかね」

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地平線上に青い峰が連なっていた。それを見たハロルドは、何故か無性に登って
みたくなった。東の空たかくに太陽が昇り、取り残された月が雲と見間違えそうな
ほどに淡い色に変わっている。この連中がいなくなってくれればいいのだが、
何かほかに信じるものを見つけてくれればどんなにいいだろう。ハロルドは
首を左右に振り、そんな事を思ったわが身の不実さをこっぴどく叱った。

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歩き始めたばかりのころに出会った人たちのことや、つい最近行きあった人たち
のことも話した。藁葺き屋根の家に住む女性もいれば、車に山羊を乗せた夫婦者
もいた。一日に10キロ近く歩いて泉の水を汲みに行くと話してくれた元歯医者
もいた。
「その人が教えてくれたんだよ、人間は、大地が無料で与えてくれるものを受け取らな
ければ
ならない、とね。それは神への感謝の行為だというんだ。だから、それ以来、
泉を見ると必ず足を止めて水を飲むことにしてるよ」
そういう話をしているときだけ、ハロルドは自分が随分変わった事を意識するの
だった。
フランス菊やコシカ菊、ホソバウンラン、スィートホップの若枝は食べたければ
食べられる事を教えた。ディビッドにしてやれなかったことをなにもかも
いまやウゥルフのためにしてやっているという気がしていた。ウィルフに見せたいこと

教えたやりたいことがいくらでもあった。

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平板でひそやかな思いとしてはじまったものが、じかんとともにしだいに激しい
自責の念へと変わっていった。自分など取るに足りない存在だと思えば思うほど、
ハロルドは益々その想いから逃れなくなった。おれはいったい何様なのだ。
クウィーニーの所へいこうなんて!、、、、、、ハロルドはここまでの自分の
旅のことを思い出した。途中であった人たち、目にした場所、その下で眠った
空。いまのいままで彼はそういうものをお土産のコレクションのように
心に抱いて旅を続けてきた。歩くのがつらくて諦めたくなった時にも、
そのコレクションが足を先に進めてくれた。なのに、いまはそういう
人たちや場所、或いは空のことを考えても、もうその中に自分の姿を
みつけることはできない。、、、、、彼の足跡はいずれ雨で流されてしまう。
まるで今まで通ってきた場所のどこにもいなかったようなものだ。
であった人のだれにも出会わなかったようなものではないか。
背後を振り返った。早くも彼の痕跡は消えていた。彼の気配はどこにも
のこっていなかった。
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ハロルドはもう一度だけ、巨大な腫瘍に視線を向けた。球根のような形を
したてらてら光る塊、そこに細い静脈と紫色の痣が見える。
皮膚が塊を収めているのももう限界とばかりに悲鳴を上げているように
見える。クぃーにーの開いたままの片目が、ハロルドに向きて瞬きをした。
もう片目から、濡れたものが一筋すっと流れて枕に落ちた。
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ぽつんとひとつ、うちひしがれた人影がベンチに座り、吹き付ける風に
背中を丸めて波打ち際を見つめている。生まれてからずっとそうしていた
とでもいうように。空は灰色でどんよりと重い。だから、どこからが空で
どこまでが海かの見分けがつかない。
モーリーンは足を止めた。胸郭の内側で心臓が早鐘を打っている。
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西から北に向けて強風が吹きつけ、雨をつれてきた。寒くてとても眠れたもの
ではなかった。だから、寝袋の中で縮こまったまま、月の面を走るちぎれ雲
を眺めて、ぬくもりを逃がすまいと頑張っていた。寝袋の中では犬が
ぴたりと寄り添っていた。、、、、、、、、
ディビッドが我が身をわざと危険に晒したあの日、まるで父親の凡庸さに
当てつけるかのように冒したあの行為の数々が浮かび上がった。
ハロルドの身体ががたがたと震え始めた。最初は歯の根が合わなくなるぐらい
の震えが、やがて勢いを得たかのように、手も足も腕も脚も、がたがたと
痛みを覚えるほどの激しさで震え始めた。寝袋の外に眼を向けた。何か
慰めになるもの、あるいは、気を紛らわせてくれるものを探したが、以前と
異なり、あたりの田園景色に親しみのある一体感を見出すことはできなかった。

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「お前の言うとおりだよ。あんなの、面白くもなんともなかったのに」と言いながら
ハロルドはハンカチで目元を拭いた。一瞬、正気に戻ったように見えた。
「そこだったんだよ、大事なのは。当たり前のこと言っただけなんだよ。なのに、
あんなにおかしかったのは、きっと俺たちが幸せだったからだ」

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ぽつんとひとつ、うちひしがれた人影がベンチに座り、吹き付ける風に背中を丸めて
波打ち際を見つめている。生まれてからずっとそうしていたとでも言うように。
空は灰色でどんよりと重く、海も灰色でどんよりと重い。だから、どこからが空で
何処までが海かの見わけがつかない。


274
夜明け時、青白い月がしらじら明けの光の中で、いましも太陽にひれ伏そうと
している。ハロルドとウィルは朝霧の中を歩いていた。ピンク色の羽のような
スゲとオオバコの濡れた穂先が、二人の足をひんやりなぶった。草の茎に
露のしずくが宝石となってぶら下がり、刀身状の草の葉のあいだには、ふんわり
したパフのような蜘蛛の巣がかかっている。登る朝日が空の低いところで
まばゆく光り、前方にあるものの形がぼやけて霧の中に溶け込んでいくようだ。
ハロルドは道端の、自分たちの足が踏んでできた平らな跡を指さした。
「あれが君と私だよ」、、、、
ふたりでポプラの根元に腰を下ろし、風を受けてかさこそと鳴る葉擦れの音に
聞き入った。
「震える木といわれているんだよ、ポプラは」とハロルドは言った。
「すぐに見つけられるんだ。震え方がすごくて、とおくからだと細かな光に
包まれているみたいに見えるからね」
歩き始めたばかりのころに出会った人たちのことや、つい最近行き会った人たち
のことも話した。藁葺き屋根の家に住む女性もいれば、車に山羊を乗せた夫婦もいた。
一日に十キロ近く歩いて泉の水を汲みに行くと話してくれた元歯科医もいた・
「その人が教えてくれたんだよ。人間は大地が無料で与えてくれるものを
受け取らなければいけない、とね。それは神への感謝の行為だというんだ。だから、
それ以来、泉を見ると必ず足を止めて水を飲むことにしているよ」