1.製鉄の起源を探る意味:製鉄の起源と日本文明の起源
日本の古代文明の有り様は、謎のままで明らかになっていない。その国の歴史が未だかつて明らかになっていないのは、世界中でも日本だけの特殊な事態である。民族の歴史が不明であるという事は、その民族の本当の意味でのアイデンティティが未確立であることを意味している。そのため、その民族は国際社会では確固とした行動をとれないばかりか、国内的には不測の事態に対応できない構造を形作る。
一般に人類の歴史の発展過程は、多くの場合サイエンスとテクノロジーの発展過程と対応している。私は、「火を使って自然物を加工する」科学技術の獲得をもって、文明の端緒と考えている。
日本の古代文明は、この火を使って自然物を加工する科学技術を、人類社会で最初に手に入れた文明である。1万6千年前から弥生時代まで、約1万4千年間も作り続けられた縄文式土器がそうである。
また、日本古代文明の特殊性は、青銅器と鉄器が弥生時代から並立して存在していることである。人類史の中では、鉄器時代は青銅器時代の後にやってくる。なぜなら、これはサイエンスとテクノロジーの発展過程の問題であり、科学技術的には青銅器の後にしか鉄器は存在できなかったからである。
したがって、日本古代文明の様相を探り、その謎を解き明かすには、本来文明の発展過程に対応しているサイエンスとテクノロジーの傾向を分析する必要に迫られる。
結局、製鉄の起源を探る意味は、製鉄の起源から日本古代文明の起源を解き明かす役割と可能性をいうのである。
2.人類の製鉄の起源の概略:中国の鉄の起源と発展過程
人類社会で製鉄技術を最も早く獲得し見事に実用化したのは、中国の古代文明だと考えられており、現在これが定説となっている。この節では、まず中国の鉄の起源とその発展過程を整理することにより、人類の製鉄の起源の概略を示したい。中国の研究者によると、中国では紀元前14世紀の隕鉄が見つかっており、これはヒッタイトの紀元前12世紀を上回るという。製鉄技術の古さを言わんとしているが、恒常的な製鉄は、紀元前7世紀頃から始まったと考えられている。
古代中国の製鉄は「個体直接還元法」=「塊煉法」が使われた「低温製鉄法」である。この原理は・・・富鉄鋼(赤鉄鋼もしくは磁鉄鉱)と木炭を原料として、椀型の炉に入れて通風し、1000度近くまで熱して、鉄を固体の状態で還元する技術で、職人は、炉の中から、半熔解状態の海綿状の塊をとりだして鍛造し、性質を改善し器に鍛え上げていた。・・・と分析されている。この製法は、中国を除くと14世紀後半まで、世界中で続けられていた普遍的な製鉄技術である。
その後、中国では紀元前5世紀に、銑鉄と可鍛鋳鉄の発明があり、中国が世界で初めて銑鉄を作る技術を獲得した。この作り方は、高い炉を造り、送風の強化によって炉内温度を上げ(1146度C~1380度Cが予測される)原料の鉱石を溶かしたと考えられている。
紀元前3世紀に個体脱炭鉄(脱炭法の開発)=白銑鉄を酸化させて脱炭し、その後さらに銑鉄版を脱炭し鉄鋼を作り、次に再加熱鋳造し、各種の器物を製作する技術を開発している。
紀元前2世紀に、炒鋼技術が発明された。これは、融化した銑鉄に送風し、1150度~1200度に熱したままでかき混ぜて酸素を送り込んで炭素を取り除く方法である。
紀元後2世紀には、ドロドロに溶かした液体の銑鉄と錬鉄を混ぜ合わせて侵炭して鋼にする技術を発明した。(炭素濃度をコントロールする技術)
中国は、永い間これらの製鉄技術の国外流出を防いでいたが、製鉄資源の枯渇とともに東南アジアやシルクロードを逆送し、やがてヨーロッパにも伝わっていった。スウェーデンで発見されたヨーロッパで最も古い製鉄炉は、中国の炉の形をしている。
この概略をさらに暦年的に整理すると以下のようになる。
・紀元前5世紀に、銑鉄と可鍛鋳鉄が発明された。
・紀元前3世紀に、固体脱炭鋼が発明された。
・紀元前2世紀に、炒鋼技術が発明された。
・紀元後2世紀頃、製鋼技術が発明された。
最後の紀元2世紀後の技術が、現在の溶鉱炉による製鉄技術として、世界中に普遍化している。
3.サイエンスとテクノロジーの発展過程:科学的法則性
ここで重要な問題は、これらのサイエンスとテクノロジーの発展過程が、どのような様相の中で起こったかを分析することである。これらの科学技術の発展過程、いわゆるなぜ中国で最初に銑鉄技術が出来上がったのかという原因について考えられる要因は、以下の要素と順番に整理できる。
①長期にわたる豊富な製陶技術があったこと。
中国では新石器時代から製陶技術が発祥したと考えられている。煙突と煙道が設けられているものは、最大1280度の高温環境を作れたと考えられている。
②青銅鋳造技術が高度に発達していたこと。
紀元前14世紀頃(商・周)時代には、すでに大型の青銅器が作られている。稀少で高価な銅や錫にかわって、安価な鉄を使う技術的基礎が作られた。
③これらを技術的基礎に白銑鉄の発明と鋳鉄のもろさを改良する焼き鈍しの技術を生み出した。銑鉄の広範な使用が始まった結果、白銑鉄、脱炭鋳鉄、可鍛鋳鉄の生産が大量に可能になった。
つまり、鉄器の制作技術の前段には、青銅器の制作技術があり、さらにその前段には陶器の制作技術があったことが分かるのである。これは、サイエンスとテクノロジーの発展過程における科学的法則性に一致する状況で、下位の技術から上位の技術へと、順番に科学が発展していることが系統的に示されている。
前にも述べたが、人類社会全般には、青銅器時代から鉄器時代がやってくるのはこの科学的法則性に基づいている。にもかかわらず、日本の場合だけ弥生時代から青銅器と鉄器が並立していることは、人類社会全般のサイエンスとテクノロジーの発展過程における科学的法則性に反する事態が起こった可能性を示唆している。
4.日本の製鉄起源をどう求めるのか:古代文明の様相を探る
それでは、日本の場合、製鉄起源をどう求めればよいのか。あるいは、製鉄技術の面から、日本の古代文明の発祥の様相をどう分析すればよいのかの問題提起を行いたい。現在、蓋然性が伴うと考えられる要素を以下に示した。しかし、これは全く順不同であり、優先順位をつけたものではない。
○弥生時代から製鉄が始まった(青銅器の技術とともに輸入された)
前項で整理したように、日本の鉄器は弥生時代から確認されている。しかし青銅器と鉄器が並立していることにより、一般的な科学的法則性に反する事態となっている。したがって、もともと製鉄技術を持っていなかった日本古代文明に、中国の2つの技術(鉄器と青銅器)が伝わり、日本でも製鉄が広まった。この時、同時に2つの技術が伝わったので、日本の場合は段階的な発展過程を経ず、青銅器と鉄器が並立することになった。
○世界中の文明と同様に、日本にも古代鉄の製法があった
古代中国の製鉄は「個体直接還元法」=「塊煉法」が使われた「低温製鉄法」である。この技術は、赤鉄鋼もしくは磁鉄鉱と木炭を原料として、椀型の炉で通風し、1000度近くまで熱して、鉄を固体の状態で還元する技術なので、日本の古代文明でも十分に可能である。世界中では、14世紀後半まで続けられていた普遍的な製鉄技術であるから、日本にもこの「低温製鉄法」が存在し製鉄を行っていた。
○縄文式土器の製造技術の上に、世界最古の製鉄技術が存在していた
日本文明が世界最古で人類初である可能性は、縄文式土器の制作による。この土器は1万6千年前から作られていたので、中国の製陶技術より桁違いに古い時代から、日本には「製陶技術」が存在していた事になる。中国での製鉄技術の段階的な発展過程から考えれば、それより古い時代から「火を使って自然物を加工する」科学技術を持っていた日本古代文明の方が、中国より早く製鉄技術を獲得していたのではないか。
これ以外にも、製鉄の起源を巡る仮説はたてられるかも知れない。だが、いくつかの論点は整理することが出来る。
①まず、いずれの場合も、原材料(鉄資源と燃料・木炭等)無しには、語れないであろう。どの製鉄方法(仮説)をとるにしても、大量の原材料が必要になる。万物の全ての事象には、必ず原因があって結果が存在する以上、鉄器の制作には、莫大な原材料の議論が前提になると考える。
②現実的には考古学的発掘成果から「鉄器」や「制作跡」が出土することが望ましい。しかし、数千年や数万年単位の古代遺跡からの鉄資源の報告は確認出来ていない。また出たとしても、現在大陸や半島から持ち込んだとの理解(定説)があるため、検証の対象から外されている可能性がある。
③神話や伝承や地域に残されている言い伝えを検証の対象とすること。これまで、この分野はほとんど研究されてこなかったといっても過言ではない。特に戦後は架空の話しとしてすっかり捨て去られてきた。しかし、日本人はもともと文字を持たずに古くから口伝えによって物事を伝えてきたので、神話や伝承にこそ史実が含まれている可能性がある。最善の資料は「金屋子神話」である。したがい、この分野からのアプローチは欠かせないであろう。
以上、古代製鉄の起源を探るための概略をまとめた。製鉄の起源を探る意味は、製鉄の起源から、結局は、日本古代文明の起源を解き明かすことが出来ないであろうかという命題である。
サイエンスとテクノロジーの発展過程は、ほぼ絶対に文明の発展過程と何らかの形でリンクしている。しかし、日本の古記録である古事記や日本書紀及び風土記には、このサイエンスとテクノロジーの記録だけが書かれていないという、極めて不思議な出来事がある。
この問題も含めて、製鉄の起源と日本古代文明の起源を解き明かすことができれば、日本国家最大の課題であり、民族的問題の解決に道がつくであろう。
島根県立大学北東アジア地域研究センター市民研究員
山陰古代史研究会設立準備委員会代表
古代史研究家 田中 文也
山陰古代史研究会設立準備委員会代表
古代史研究家 田中 文也