2016年10月13日木曜日

御上神社(みかみじんじゃ)ずいき祭が行われています。ずいき(芋の茎)で作った神輿を  御上神社に奉納する祭です。

御上神社 北野天満宮 若宮殿相撲御神事
            ずいき神輿 芝原式 宮座 祭祀組織 など
 


                      ずいき祭
zuikimap.gif
1.はじめに   野洲市に御上神社(みかみじんじゃ)という古い神社があります。  ここでは毎年ずいき祭が行われています。ずいき(芋の茎)で作った神輿を  御上神社に奉納する祭です。   京都の北野天満宮でもずいき祭が行われています。   ふたつのずいき祭を見学しましたので、先ずは御上神社、次に北野天満宮  のずいき祭をご紹介します。 2.御上神社   御上神社は近江富士(三上山)の麓にあります。 zuikimap (2).jpg   大津方面から近江八幡方面に向かって国  道8号線を走るとき、野洲川を渡ると一つ  目の信号の左前方です。   健脚の人なら野洲駅から徒歩40分位か  と思います。   御上神社Aと三上山Cとの間には、昭和  の悠紀斉田Bがあり、毎年お田植祭が行わ  れます。   近くには天保一揆の義民碑Dもあります。 ←御上神社付近の地図   ずいき祭は御上神社周辺の地区の人たちによって実行されています。   御上神社の祭神は天之御影神(あまのみかげのかみ:天照大御神の孫)だ  そうです。近くの三上山を神体山としています。   三上山は標高432メートルで、全山青々と茂る赤松に覆われており、近  江富士、御上山、百足山などと称されてきました。 20101104mikami (8).jpg ←三上山を背にした御上神社の森  ↓鳥居(北側の入り口) 20061009zuiki (10).jpg   国道8号線沿いの駐車場脇の鳥居から入ることもできますが、元々の入り  口は北側の鳥居でした。   北側の鳥居を潜って左回りの参道を進むと二つ目の鳥居があります。 20061009zuiki (11).jpg ←左回りの参道  ↓二つ目の鳥居 20061009zuiki (9).jpg   二つ目の鳥居を潜って直進し、突き当りを左折すると、正面に楼門があり  ます。 20101104mikami (2).jpg ←楼門  ↓ 20101104mikami (7).jpg   楼門を潜ると、拝殿と本殿が見えます。本殿も拝殿も入母屋造です。 20101104mikami (6).jpg ←拝殿  ↓本殿 20101104mikami (5).jpg   本殿の向かって左に摂社の若宮神社があります。  ずいき祭は若宮神社の祭りです。(摂社:祭神と縁故の深い神を祀る神社) 20101104mikami (3).jpg20101104mikami (2).jpg  ↑若宮神社(本殿に向かって左)  ↑御上神社本殿     御上神社の由緒としては、考霊天皇6年(紀元前284年)に祭神の天之  御影神(天照大御神の孫)が三上山に降臨されたので三上山が神体山として  祀られ、元正天皇養老2年(718年)に現在地に本宮が造営された由です。   本殿は鎌倉時代に建立されたようです。  本殿は国宝、国指定の重要文化財としては若宮神社、楼門、その他があり、  県指定の重要文化財として相撲人形などがあります。 20061009zuiki (4).jpg ←古い神輿  ↓木造の相撲人形 20100622mikami.jpg   かつて御上神社は神仏習合で栄えたようです。  写真を割愛しましたが、本殿の柱を受ける束石(礎石)に蓮の花のような模  様が刻まれている、こともそのなごりのひとつです。   およそ20年位前に、神社保有の品の中から大変美しい「絹本着色曼荼羅」  2幅(胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅)が見つかりました。   氏子さんたちが千数百万円もの費用を負担して修復したそうです。 20100622mikami (1).jpg ←金剛界曼荼羅    ↓大日如来(曼荼羅の一部)   20100622mikami (2).jpg 3.御上神社のずいき祭   御上神社のずいき祭は、現在は10月の第2日曜日に行われています。  ずいき祭は神輿を奉納するだけでなく、その前後にも行事があります。   ・(5日前)甘酒神事  御上神社に酒、甘酒、めずし、青菜漬などを献               饌(=おそなえ)する   ・(3日前)湯立て式  神社の宮水で湯を沸かし、頭人(とうにん:祭               の責任者)の屋敷を神職が清める   ・(2日前)ずいき刈り 芋茎を刈り取って神輿作りの準備をする   ・(1日前)お菓子盛り ずいき神輿を作る   ・(1日前)頭渡し   翌年の頭人を確認する (夜無言で行う)   ・(当日) ずいき祭  5基の神輿を拝殿に据えて祭儀を行う   ・(当日) 芝原式   楼門前で夜行う祭儀   本稿では、ずいき神輿作り以降の行事の一部をご紹介します。  ところで、ずいき祭とは一連の行事全体を指している、と一般には受け止め  られているかも知れません。厳密には、ずいき神輿を奉納する儀式がずいき  祭であって、ずいき祭を含む神事全体の正式名称は「若宮殿相撲御神事」と  言うのだそうです。 4.神輿作り   ずいき神輿の製作現場を見学させていただきました。  ずいきの栽培(400株位)、神輿作りに必要な用具・材料の準備などは、  祭の当番である頭人(とうにん)が手配するそうです。神輿作りはもともと  は頭人宅で行われましたが、最近は集会所が使われているようです。 20091010zuiki (1).jpg ←集会所  ↓完成近い神輿 20091010zuiki (2).jpg   作り方をごくかいつまんで言えば、  ・竹で型を作り⇒・ずいきの胴(四方の側壁)を取り付け⇒・ずいきの屋根  を付け⇒・飾り棚を付け⇒・飾り付けをする という要領です。   ずいきは竹串で一体化され、竹型には細いツルで結わえ付けられます。 20091010zuiki (3).jpg ←お祝いに駆け付けた人 (祝いの歌を三味線に合わせて)  ↓別の集会所での神輿作り 20091010zuiki (4).jpg 5.ずいき祭   三上地区では宮座という祭祀組織があります。  5つの宮座(長之家、東上座、東下座、西上座、西下座)には公文(くもん)  という世話役がおり、その年度の祭の当番である頭人(とうにん)、次年度  の介頭(すけとう)などの役が決められるようです。各座の頭人から神輿が  (計5基)奉納されます。   この宮座の制度は、天文10年(1541年)以前から今日まで維持され  ていることが記録(三上若宮殿相撲神事帳)で確認されているそうです。   平成17年(2005年)2月21日に、宮座によるずいき祭が国の重要  無形民俗文化財に指定されています。 20061009zuiki (6).jpg ←参道から運ばれる神輿  ↓ 20061009zuiki (7).jpg     朝10時頃、各座の神輿が奉納されます。  神輿は紋服の稚児を先頭に参道を通って運ばれ、5基の神輿が楼門前に勢揃  いしました。 20061009zuiki (26).jpg ←楼門前に集合  ↓(屋根の上に榊と御幣、鶏頭) 20061009zuiki (27).jpg   その後神輿が拝殿に運び込まれ、神職と、頭人と思しき人が入場しました。 20061009zuiki (17).jpg ←楼門を入る神職  ↓楼門を入った先 20061009zuiki (18).jpg 20061009zuiki (12).jpg ←拝殿周辺  ↓ 20061009zuiki (14).jpg   神輿の胴部4面には、中央に飾り棚が設けられています。 20061009zuiki (28).jpg ←拝殿内に整列した神輿  ↓ 20061009zuiki (13).jpg 20061009zuiki (30).jpg ←相撲猿の人形が置かれた飾り棚  ↓ 20061009zuiki (31).jpg 6.芝原式   ずいき祭当日の夜、御上神社の楼門前で芝原式が行われます。     楼門の手前にかがり火が焚かれ、楼門に向けてコの字型に敷かれた薦(こ  も)の上に公文、神職、各座の頭人などが着座します。楼門正面に向かって  中央に惣公文(全体の統括者)、右に神職、左に長之家頭人、左右の座には  それぞれ東と西の公文、頭人などの関係者が座ります。 20081013shibahara (1).jpg ←コの字型に着座  ↓ 20081013shibahara (2).jpg   この儀式は終始無言で行われます。  式の内容はおよそ次の通りです。  1.各座の頭人からの書付を惣公文が改める。    書付には、頭人、介頭人(次年度の頭人)、其介頭人(次次年度の頭人)    の名前が記されています。神事を永く継続させる工夫なのでしょう。  2.花びら餅を配る。    頭人から供えられた大小の花びら餅を、裃を着た裸足の定使(じょうつ    かい:神社の使い:宮仕とも呼ばれる)が公文に配る。  3.定使が鉾を突く。    猿田彦の面を被り、鉾で公文を突き、鼻くそを放つ仕草をする。  4.各座で杯を交わす。    肴として、めずし、青菜漬、するめ、鮒ずしなどが供される。 20081013shibahara (3).jpg 20081013shibahara (6).jpg  5.子供相撲が奉納される。    6~7歳位の子供と中学生位のこどもが化粧回しをつけて相撲をとるが、    組み合うだけで勝負はつけない。 20081013shibahara (7).jpg 20081013shibahara (8).jpg    式は午後7時から1時間ほどで終了します。  この芝原式は、一般にはあまり知られていないようですが、「若宮殿相撲御  神事」の核心のようです。   芝原式の名前の由来は分かりませんが、原っぱでの儀式というほどの意味  ではないか、と推測しています。   ずいき祭に登場する食べ物として、「めずし」があります。  「めずし」とは「たでずし」のことで、全国的には馴染みのない三上地区特  有のちらし寿司です。乾燥させた「たで(蓼)」草の葉を揉んで粉末にし、  ちりめんじゃこ、酢、砂糖を混ぜたすし飯に振りかけたものです。たでの辛  味が食欲をそそってくれます。なお、青菜漬は大根の間引菜の一夜漬けです。   庶民的な食品を使うのは、祭礼に参加し易くする工夫だったのでしょう。 7.北野天満宮のずいき祭   京都市の北西に北野天満宮があります。  祭神は菅原道真です。道真は政争に敗れて大宰府に配流され、恨みをのんだ  まま亡くなりました(903年:延喜3年2月25日)。その後、京の都は  落雷や火災などの天変地異に見舞われましたが、これは道真の霊魂の祟りだ  と恐れられ、その霊魂を鎮めるために北野天満宮が設けられたそうです。  (創建は947年:天暦元年)。     なお、北野天満宮の案内資料には「瑞饋祭」と記されていますが、本稿で  は「ずいき祭」と表記させていただきます。 zuikimap (3).jpg   ずいき祭は10月1日~5日の5日間行わ  れます。  1日:神幸祭(しんこうさい)     (鳳輦(ほうれん)で御霊を本社から     御旅所に移す。鳳輦とずいき神輿は4     日まで御旅所に安置される)  2日:献茶祭(御旅所)  3日:甲御供奉饌(御旅所)  4日:還幸祭(かんこうさい)     (還幸祭巡行、ずいき神輿巡行)  5日:后宴祭(ごえんさい)   北野天満宮のずいき祭は、明治時代に現在の形になったそうですが、原型  は室町時代に始まったようです。一般にはずいき祭と呼ばれていますが、天  満宮の神幸祭と西ノ京を中心とする氏子によるずいき神輿の祭が(明治時代  に)合体したものだそうです。 20081004kitanozuiki (1).jpg ←北野天満宮  ↓御羽車を引く牛 20081004kitanozuiki (10).jpg   北野天満宮から徒歩15分位下った所に御旅所があります。  私はずいき神輿巡行の10月4日に見学しました。 20081004kitanozuiki (6).jpg ←御旅所  ↓神官の儀式  20081004kitanozuiki (5).jpg   御旅所には2基のずいき神輿が奉納されています。  江戸時代には8基ほどが各町から出ていたそうですが、今日ではずいき神輿  保存会による西ノ京の2基だけとなっているそうです。   ここのずいき神輿は屋根だけがずいきで葺かれています。  神輿の各部はすき間もなく穀物や蔬菜・湯葉・麩などの乾物類で覆われてい  ます。神輿の四面には、謡曲や昔話から採った人物の造り物などが取り付け  られています。 20081004kitanozuiki (3).jpg ←豪華な装飾のずいき神輿  ↓ 20081004kitanozuiki (4).jpg      緻密な装飾は、さすがは京の職人技が反映されたものと感心させられます。 20081004kitanozuiki (15).jpg ←繊細な装飾  ↓巡行の開始前 20081004kitanozuiki (7).jpg   10月4日には、還幸祭巡行とずいき神輿巡行があります。  両巡行は天満宮の南側の地域を巡りますが、経路は違います。   還幸祭巡行は、御霊を御旅所から天満宮本社へ御返しするものです。  太鼓、山、鉾、御羽車、鳳輦、旗、神職、など50近い役が連なります。 20081004kitanozuiki (11).jpg ←獅子が先頭の還幸祭巡行  ↓牛に引かれる御羽車 20081004kitanozuiki (12).jpg   ずいき神輿は車に乗せて引かれました。  神輿を引いているのは西ノ京のずいき神輿保存会の人たちだろうと思います。 20081004kitanozuiki (13).jpg ←ずいき神輿の巡行  ↓ 20081004kitanozuiki (14).jpg 8.おわりに   ずいき祭は、芋を使って五穀豊穣を願う祭祀だろうと思われます。  稲の豊作を願う祭祀は沢山ありますが、芋の豊作を願う祭は比較的少ないよ  うです。しかし、稲作が普及するまで主食の座を占めていたのは芋類だった  のではないかと思われます。また米が主食の座を占めても、芋類は副食また  は非常食として貴重な存在だったのでしょう。   その感謝の念がずいき祭に表れているのかも知れません。    芋にまつわる祭として、日野町中山の芋くらべ祭があります。  芋くらべ祭は、地元の人たちが行う実に素朴な祭祀と言えます。芋への感謝  が底流にあるのではないかと思います。   三上地区のずいき祭も地元の人々の生活に根差した素朴な祭です。この地  域も高齢化が進んでいるようですが、伝統ある祭祀の継続をお祈りする次第  です。   なお、滋賀県の国指定重要無形民俗文化財は次の3件です。  ・長浜曳山祭の曳山行事(1979年2月3日指定)  ・近江中山の芋競べ祭り(1991年2月21日指定)  ・三上のずいき祭   (2005年2月21日指定)   3件のうち2件が芋にまつわる祭です。   ちなみに、国指定の重要無形民俗文化財は(2010年3月11日現在)  全国で266件あります。このうち、「田植え」または「田の神」など稲作  に関すると思われるものは15件ほどあったのに対し、「芋」または「ずい  き」に関するものは、滋賀県以外では千葉県の「茂名の里芋祭」(2005  年2月21日指定)だけでした。(指定名称だけを見た判定なので正確さに  欠けますが、おおよその傾向は示されていると思われます)                 (散策:三上‐2006年10月9日他                     北野‐2008年10月4日 )                 (脱稿:2011年2月1日)  ご参考:既報の関連記事      ・芋くらべ祭 -- 天下の奇祭      ・お田植え祭 -- 悠紀斉田での祭      ・河原祭   -- 取水祈願、豊作祈願       ・妓王井川  -- 平清盛が開削した水路       ・近江天保一揆-- 三上地区が舞台となった一揆      ・三上山縁起 -- 三上山のさまざまな景色      ・祇園祭   -- 疫病災難除け

2016年10月10日月曜日

きりこについて

99
猫には、笑うと言う機能がないのだ。
びっしり生え揃った歯を見せて笑う人間のことを、猫たちは軽蔑していた。
しかし、きりこだけは別だった。きりこが笑うと、あの歯、難解で冒険心を
あおられるそれが見える。猫たちはそれが見たくて、度々A棟の周りに
集まったものだ。

101
男の子の、「自分より能力のある女性を避けたがる」傾向は、多分にある。
大人になっても、それは変わらない。自分より給料の多い女、自分より頭の
いい女、自分より人望のある女、を、男は避けたがる。自分が惨めになる
からか、女には尊敬される自分でいたいからか、とにかく人間の男のそんな
こだわりは、猫にとっては、干からびたミミズの死骸を弄ぶことより、
つまらない。
雄猫が雌猫を選ぶ基準は、尻の匂いがいい具合か、それだけだ。
どんなに嫌われ者の雄猫であろうと、自分より体躯の大きい雌猫であろうと、
ふと嗅いだ尻の匂い、それが自分の棟を打ったら、そこから恋が始まる。
残念ながら、その恋は性交した段階で、あっさり終わってしまうが、元田さん
のように「ほら、そういうところが鬼畜なのだ」などと言ってはいけない。
私に言わせれば、人間の男も、そうだ。男が恋に落ちているのは、性交
するまでだ。一度でも二度でも、性交した後は、恋を続けることに力を注ぐ。
そうしないと女に鬼畜と言われるからだ。本当は、避妊具のない、たった
一度の性交で、十分だ。その後は、また違う女とそれを励み、一人でも多く、
自分の遺伝子を残したい。のだが、現実が、社会が、そうさせてくれない。
干からびたミミズの死骸よりも、つまらない倫理を持っている人間の男だが
本能を隠し続けなければいけないという、その一点においては、同情に値する。

109
猫は、誰にも見られずに一人で死ぬと、というが、そうではない。
仲間の猫が死んだ時には、皆で葬式を行う。ただ人間の想像するそれとは違う。
猫には笑う機能がないのと同様、泣く機能もない。ただ、死んだ猫の周りに
座り、その猫が腐り、蟻や蝿などの虫に食べられ、土に還っていく様子をじっと
見守るのである。百六年生きたおぼんさんの死も、特別なものではなかった。
彼女の体はすぐに臭くなったし、蛆がわき、けがぼろぼろになり、いつしか
骨だけになって、土になった。周りで見守る猫たちは、順番でその役にあたるが、
ラムセスは望んで、毎日おぼんさんの死体が腐っていく様子を見続けた。
そして、すっかりその体がなくなってしまった後は、おぼんさんが枕に
していたまたたびをしがんで、ぷりんぷりんに良い気分になった。
おぼんさんは、魂になってさまよわない。星になったりしないし、
千の風にもならない。そんなことを、ラムセスは知っている。
おぼんさんは、ただ、死んだのだ。

114
猫たちは、何も魚だけが好物なわけではない、というのを、きりこは知った。
魚嫌いな猫もいるし、菜食主義者の猫もいる。甘いものに眼がない者や、炭酸が
好き、などという変わり者もいるのだ。きりこは、その日残してしまった
食べ物を、これらの猫にやることで、それぞれの猫の好みが分かって来るように
なった。
こんにゃくに大喜びしたのは、三毛猫のムーア、野良猫だ。金時豆を丁寧に
一粒づつ食べていたのは、B棟の村井さんが飼っているキジ虎のはにわ、
おでんのダイコンを取り合っていたのは、茶トラのハヤブサと、C棟の
誰かが飼っている白猫、この子は言葉が話せないので、名前がわからない。
もちろん魚が好きな猫が数匹いて、自分のことを人間だと思っているキジ虎の
みつおと、自分の肛門を舐め過ぎて舌の病気になってしまった黒白ぶちのアリス、
元田さんに尻尾を掴まれて振り回されてから、人間不信になってしまった
黒猫のモリ。黒と茶色のまだら猫のシンは、魚の骨だけを好んで食べる。

123
猫にとって、眠り続ける事は、睡眠障害などではない。それどころか、猫にとって、
眠る事は、とても、とても高尚なことなのである。眠る事は、ある種の訓練で
ある。では、なにを訓練しているのか。
猫は、夢を見る訓練をしている。
ともすれば、夢と現実の世界を、寝ながらにして行き来する訓練を、して
いるのである。それは非常に困難で、尊いものであった。なぜ尊いものである
かを、誰も知らなかったが。
とにかく猫たちは皆、眠ること、それも夢を見る眠りにつくことを、強烈に
望んだ。秋刀魚の夢、雌猫の夢、サンフランシスコの夢、下駄の裏側の夢、
夢となのつくものなら何でも良かったが、最も尊ばれ、困難とされるのが、
今より後に起きることの夢、つまり予知夢であった。
四丁目の生意気なブルドッグがいつ死ぬのか、2丁目のおかしな宗教家が
我々を攻撃するのをいつやめられるのか、そしていつ、世界中の人間が
我々の前にひれ伏すのか、などの、未来の夢を見るため、猫たちは日夜
眠ることに、励んでいるのだ。
大作家が書く不朽の名作を書く前から知っている猫たち、宇宙の秘密を
天才と呼ばれる誰かが解く前に知っている猫たち、であったが、
それはただ分かっている、というだけだった。ざらざらした鼻の辺りで
薄くて丈夫な耳の辺りで、滑らかに動く首の尾後ろの辺りで、彼らは
いつでも分かっていたが、分かっていたことは、いつだって後で、
または知る瞬間に、分かった。、、、
出来事が起こった後で、分かっていたというのはずるい、後出しだ、
などと言うのは人間の愚かな論理である。とにかく、知った後で、猫は
分かっていたと思うのだ。それだけだ。そこに偽りはない。猫は絶対に
嘘をつかない。分かっていたのだが、分かっていたことを、事前に
知る、と言うことに意義があった。それも、夢で現実を知る、ということに、
彼らは特別な意味を与えていた。
今のところ、この近隣の猫が見られる予知夢は、自分が死ぬ夢だけである
という。

204
では、死期を覚れる猫は、どういう猫か。何千回も何万回も、死を繰り返して
きた猫である。猫は生まれ変わる。それも必ず、猫として生まれてくる。
他の動物、例えば、人間から、猫に生まれ変わりたいという願うものは多いが、
それはとても困難なことで、しかし、一度猫として生まれたからには、来世も、
その次も、ずっと猫として生きていける。事故にあったもの、急な病気に
冒されたもの、成長できずに死んだ者も、次は必ず、健康で聡明で、
とてもしなやかな猫として、生まれてくるのだ。
何度も猫としてのせいを繰り返してきた猫は、生まれてきたときから、
あることを知るようになる。
自分は、死ぬまで生きるだけの存在である、ということ。
猫たちは死を見据えて、生きている。そしていつしか、自分の死期を知るようになる。
大抵の猫は、自分が死ぬ、その瞬間になって初めて、「ああ、死ぬことは
分かっていたと思うのだが、稀に、ずいぶん前から、自分がどのように、
いつ死ぬかをはっきり知ることが出来る猫がいる。おぼんさんがそうであった。
彼女は、自分が死ぬ、予知夢を見たことを喜び、町中を練り歩いたものだった。
百年以上生きたおぼんさんでさえ、二日後の死を予見できたのに過ぎなかったのに、
私は、14日後の死を知ることが出来た。これは、大変名誉なことであるし、
死を決めている何ものかに、感謝しなければならない。
私は、与えられた14日もの長い間、今までの自分の生きてきた歴史と、そして、
私を見つけ、一緒に暮らしたきりこのことを、記録しておこうと思った。
いささか歴史の記述がきりこに偏りすぎているのは、猫の謙虚さとシャイネス、
そして猫のことをあまりに詳しく知らしめることの野暮さを、避ける
ためのものである。
猫は、にんげんいとっていつまでも、神秘の動物で有らねばならない。
彼女は、私が言ったことを、ひとつ、一つ、カマキリが獲物を狙うような熱心さで
聞いた。

208
我々のような動物をあつかったことわざや感じが人間界には多いが、あれは
我々にとっては、納得できないものが多い。
例えば、猫に関してであるが、おぼんさんや長老たちの言った「猫の額のような」
や「猫の手も借りたい」「猫に小判」も、もう一度猫の額をしっかり観察
してほしいし、猫の手は、忙しい時でなくとも、マッサージやジャンプに
力を発揮するのだし、中にはキラキラしたものが好きな者もいるので、
一度猫の前に小判を置いてほしい。
「ねこばばする」というのも、はなはだ失礼な話である。猫が糞をひた後、
その糞を土で隠すことから、モノを取って隠すことを言う、などと説明が
されているが、猫が糞を隠すのは、最低のエチケットであるし、清潔な者の
なせる業なので、ねこばばする、の意味を、「整頓する」や「きれいにする」
といったものにかえてはいかがか。
「猫をかぶる」「借りてきた猫」などもそうだ。

2016年10月9日日曜日

第4次産業革命

政府は週明けにも成長戦略「日本再興戦略2016」や「ニッポン一億総活躍プラン」など政策パッケージを閣議決定する。主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)で「世界経済の持続的な成長」について共同歩調を取ることで合意し、日本経済がその先頭に立って世界の安定的な成長をけん引していく心構えを示すものだ。安倍晋三内閣は、2020年頃に名目国内総生産(GDP)を現在の約500兆円から600兆円に引き上げる目標を掲げており、その実現に向けた具体的な取り組みが始まる。
成長戦略の柱は「第4次産業革命」。AIやIoTを活用することで産業構造の大転換を図る。この「変革」を本気でやろうとすれば、経済産業省の役割の大転換も不可欠となる。 (写真:ロイター/アフロ)

あなたの仕事がなくなる?

 今回の成長戦略の柱は「第4次産業革命」である。ドイツ政府が産官学の結集でモノづくりの高度化を目指すとして2012年から打ち出している「Industry 4.0」を日本語にしたもの。一般にはなかなか浸透しないが、要はAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)を活用することで、産業構造を大きく転換しようという取り組みである。
 そのベースになる報告書が経産省の産業構造審議会の「中間整理」として4月27日に公表されている。「『新産業構造ビジョン』~第4次産業革命をリードする日本の戦略~」と題されたもので、AIやIoT、ビッグデータがどう産業構造に変化をもたらすかを示している。
 中でも衝撃的なのが、「産業構造・就業構造の試算」として2030年の「仕事」の増減を大胆に予測していることだ。ここに来て急速に進化している人口知能によって、従来は生身の人間が行っていた仕事がロボットなどに置き換えられていくことが現実味を帯びて来ている。日本の動労人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能になるという調査結果を野村総合研究所が昨年12月に発表、大きな話題になった。

「変革」を行えば、574万人分の仕事を創出

 数年前から「あなたの仕事がなくなる」といった研究が出されていたが、一般にはあまり関心を持たれなかった。ところが、コンピューターが囲碁のプロ棋士を破ったり、スムーズな二足歩行をするロボットが登場するなど、人工知能の進化が鮮明になったことで、一気に現実味を帯びてきた。
 経産省の試算では、人工知能やロボットによって放っておけば735万人の雇用が減るとしたのである。職業の種類別にも試算しており、「製造・調達」で262万人、「バックオフィス」で145万人、経営や商品企画などの「上流工程」で136万人の仕事が奪われるとしている。2016年3月段階での就業者数は6339万人だから、1割以上の仕事が無くなるとしたのである。

これはあくまでも「現状放置」が前提の試算だ。むしろAIやロボットを積極的に活用することで、人々の「働き方」を変えて行けば、新しい仕事も生まれて来る。報告書では様々な「変革」を行うことで、失われる仕事を735万人から161万人に減らすことが可能だとしている。
 そのための「具体的戦略」として、「報告書」は以下の7点を掲げている。これまで言われてきた取り組みを網羅的に包含している部分が多いが、関心のある方は報告書をご覧いただきたい。
  (1)データ利活用促進に向けた環境整備
  (2)人材育成・獲得、雇用システムの柔軟性向上
  (3)イノベーション・技術開発の加速化( 「Society 5.0」 )
  (4)ファイナンス機能の強化
  (5)産業構造・就業構造転換の円滑化
  (6)第4次産業革命の中小企業、地域経済への波及
  (7)第4次産業革命に向けた経済社会システムの高度化
 つまり、人工知能やIoT、ロボットなどを積極的に活用して、上記の7分野で「変革」を行っていけば、574万人分の仕事を生み出すことが可能だとしているのである。

構造転換が求める雇用のシフト

■職業別の従業員数の変化(伸び率) ※2015年度と2030年度の比較
変革により新しい仕事が生まれ多くの雇用を創出する業種がある一方、製造業などでは失われる仕事が多い見通しだ。日本全体で大幅な産業構造や働き方の転換が必要になる (出典:経済産業省「『新産業構造ビジョン』~第4次産業革命をリードする日本の戦略~」の45ページから)
 過去の産業革命をみても、この点はうなずける。産業革命で「機械」が誕生した際、人間の仕事を奪うとして機械を破壊する運動が広がった。だが、その後の歴史が示しているのは、機械の誕生によって新しい仕事がどんどん生まれたという事実だ。第二次世界大戦後に進んだ「自動化」や「無人化」でも似たような反応があったが、結果的には様々な別の仕事が生まれてきた。報告書はそれを前提に、積極的に産業構造の転換や働き方の転換を行い、人工知能やロボットによって生産性を高め、一人ひとりの取り分(報酬)を増やしていくことが可能だとしているのだ。
 ここで注目すべき点がある。「変革」を進めることで従業者数が大きく増える部門がある一方で、逆に従業者数の減少幅が大きくなる部門を想定していることだ。端的なのが、「製造・調達」部門である。現状を放置すれば262万人の減少になると試算しているが、変革した場合には減少数は297万人へと拡大するとしているのである。
 つまり、人口知能やロボットによって、「製造・調達」部門の仕事をむしろ積極的に削減し、それを他の部門に振り替えていくべきだ、としているわけだ。
 放っておけば減るが、変革によって増やせる仕事として、「営業販売」などを挙げている。これまで通りの営業職はどんどん不要になるが、「高度なコンサルティング機能が競争力の源泉となる商品・サービス等の営業販売に係る仕事」は増加するとしている。現状放置では62万人が減少するが、変革すれば114万人の仕事が増える。
 また、サービス職でも「人が直接対応することが質・価値の向上につながる高付加価値なサービスに係る仕事」は増えるとしている。ここでも6万人の減少が179万人の増加に転換させられるとしている。
 つまり、「人しかできない事」「人がやって高い料金を得られる事」に思い切って人材をシフトしていこうということである。

この「変革」を本気でやろうとすれば、日本のこれまでの産業政策を大きく変えることになる。逆に言えば、経済産業省が自らの役割を大転換しない限り、この変革はうまくいかない、ということだ。
 どういう事か。
 これまでの産業政策の基本は「日本のモノづくりを守る事」「製造業を育成する事」にあった。円高になれば、日本国内での工場立地を守るために助成金を出し、製造業を国内に残すことに軸足を置いてきた。
 経済産業省の部局は製造業の業界別の縦割りで課室を設け、それぞれの業界団体の要望を受け入れて政策を実施してきた。自動車課長なら日本の自動車産業を国内に残すために自動車業界のためになる政策を作るといった具合である。
 そうした企業や業界団体へ役人OBの天下りという「利権」と結びつき、「業界全体のため」にならない政策には本気で取り組まない体質が出来上がっている。ひと昔前は、いかに現役時代に業界に恩を売っておくかどうかで、退職後の生活が左右されるといった事を公言する経産官僚もいた。
 これまでも産業構造審議会では日本の産業構造の転換などを求める報告書をまとめてきたが、業界護送船団の経産省の体制が色濃い中では、現実には構造転換を進めることは難しかった。本気で「第4次産業革命」を実現しようとすれば、まずは経産省の「変革」が前提になるのだ。
 報告書の作成にも関わった経産省の幹部は「われわれの産業政策も大転換するという事だ」としたうえで、こう語る。

産業界はもはや一枚岩ではなくなった

 「例えば規制緩和をする場合でも、何が必要か企業ごとに変わってきた。業界内で利害が一致しなくなってきた」
 つまり、企業によって人工知能やロボットへの取り組み姿勢に大きな変化が出る中で、業界が一枚岩ではなくなったということだ。経産省内では業界縦割りの組織の抜本的な見直しに向けた検討も始まろうとしている、という。「業界」を前提とした産業政策との決別に動こうとしているのだ。
 実はそうした経産省の「変革」には企業で始まった大きな変化のうねりがある。これまで「製造業」に固執してきた企業の中にも変化が起きているというのだ。
 別の経産省幹部は「あのトヨタが本気になった」と語る。ほんの数年前まで、モノづくりにこだわり、自動車の無人走行などに拒絶反応を示していた業界トップが、人を運ぶシステムや人工知能の研究開発に猛烈なシフトをし始めたというのだ。

20年後のトヨタは業態転換しているかもしれない

 実際トヨタはシリコンバレーに人工知能の研究所を新設、旧来の「自動車製造業」の枠にとらわれない領域に踏み出した。また、「ライドシェア」の配車システム大手である米ウーバー・テクノロジーとの提携にも踏み切った。もしかすると20年後のトヨタは自動車製造で利益を上げる会社ではなくなっている可能性が出てきたのだ。
 そうは言っても、本当に業界に寄り添ってきた経産省が変わり、実際の産業政策が大転換できるかどうかは微妙だ。旧来型の仕事の仕方を見直し、これまでの利権構造を打破することが求められるからだ。もし経産省の幹部官僚たちが本気だと言うのならば、まずはこれまでの産業政策を真摯に検証すべきだろう。
 国内の工場立地を守るため家電業界に助成金をばらまいたことが、結果的には企業を弱めることになったのではないか。シャープや東芝の崩壊はこれまでの産業政策の帰結だったのではないか。過去の反省なくして新しいものは生まれない。まずは経産省を「変革」するために検証委員会を立ち上げるべきだろう。