2016年10月2日日曜日

三島由紀夫「豊饒の海」

三島由紀夫「豊饒の海」

(一)春の雪

松枝公爵家は渋谷の郊外の高台にあり、14万坪の広大な敷地に和風の母屋と壮麗な洋館
を持っていた。松枝家の嫡男清顕は、綾倉伯爵家の令嬢聡子と幼馴染であった。綾倉家
は麻布の旧武家屋敷に住んでいた。あるとき、聡子に宮家との縁談話が持ち上がり、そ
れをきっかけに、満18歳の清顕と20歳の聡子は道ならぬ恋に落ちる。侍女の蓼科の手引
きで逢瀬を重ねるが、聡子が身ごもってしまい、奈良の月修院(天理の北、桜井線帯解
駅近くとの設定)の門跡のもとに身を寄せ、出家する。清顕は真冬の寒さの中、月修院
をたずねるが、聡子に会えるはずもなく、風邪で高熱を出して、友人の本多に連れられ
て帰京し、「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」と言い残して、
この世を去る。
この物語をはじめから終わりまで見守るのが、清顕の友人の本多繁邦である。月修院の
根本教義は唯識であるが、その根幹をなすのは阿頼耶(アーラヤ)識である。法曹を目
指す本多は、なぜか唯識の教義に強く引かれるのであった。
飯沼茂之は書生として松枝家に寄食している。彼の息子の飯沼勲は第2巻の主人公にな
る定めである。
清顕らはタイ王室のクリッサダ王子とジャオ・ピー王子と親交を深めていた。清顕と本
多、そしてタイの二人の王子は、松枝家の鎌倉の別荘に海水浴に行く。そこで本多は、
清顕の左のわき腹に、小さな三つの黒子があることに目をとめた。本多は、王子たちか
ら、輪廻転生の物語についての話を聞く。月光姫ジン・ジャンは、クリッサダ王子の妹
であり、ジャオ・ピー王子の恋人であったが、ある日突然、王大后から、月光姫が死ん
だ、との手紙が舞い込む。同じ名前の、次の月光姫が、第3巻の主人公となる。

一見女らしくない勇気を以って、不吉な犬の屍を指摘した聡子は、持ち前のその甘くて
張りのある声音といい、物事の軽重をわきまえた適度な朗らかさといい、正しく
その率直さのうちに、手ごたえある優雅さを示していた。それは硝子の容器のなかの
果物のような、新鮮で生きた優雅であるだけに、清は自分の躊躇のを恥じ、聡子の
教育者的な力を怖れた。、、、、
おそらく犬は、すでに傷ついたか病んだかして、水源で水を呑もうとして落ち、その
溺れた骸が流されて、滝口の岩に堰かれたのであろう。本多は聡子の勇気に感動して
いたが、同時に、仄かな雲の漂う滝口の空の澄みやかさ、水の清冽なしぶきを浴びて
宙に懸かっている真っ黒な犬の屍、そのつやつやと濡れた毛、ひらいた口の牙の純白
と赤黒い口腔のすべてを、すぐ間近に見るような気がしていた。、、
人々はこういう尊い方の存在が、みるみる不吉を清めて、小さくても暗い出来事を、
大きな光明の空に融かしこんでくださるように感じた。


もしここで彼が胸襟を披けば、本多はずかずかと彼の心の中へ踏み入ってくることは
しれており、誰であれそんな振る舞いを許せない清は、たちまちこのたった一人の
友をも失うことになるであろう。本多も、しかし、この時にすぐに清の心の動き
を理会した。彼と友人であり続けようとすれば、粗雑な友情を節約せねばならぬ
ということ。その塗り立ての壁にうっかり手をついて、手形を残すような事を
すべきでないということ。
場合によったら、友の死苦をさえ看過せねばならぬということ。とりわけそれが、
隠すことによって優雅になりえている特別な死苦ならば。


月はあきらかで、風が木々の梢に吠えていた。父は後からついてくる執事の山田の
幽霊のような姿に、一切注意を払わなかったが、清は気になって一度だけ振り向いた。
寒空にインパネスも着ず、常のような紋付袴の白い手袋に紫の袱紗包みを捧げ持って、
山田は,足が悪いので、そうろうとして来る。眼鏡が月に光って、霜の様である。
終日ほとんど言葉を交わさないこの忠実無類の男が、体の中にどんな錆びた感情の
発条をたくさん溜め込んでいるか、清は知らない。しかしいつも快活で人間的な
父侯爵よりも、この冷たい無関心な息子の方が、はるかに他人の中に感情の
存在を認めがちだったのである。
梟が鳴き、松の梢のざわめきが、多少酒にほてった清の耳朶に、あの戦死者の
弔祭の写真の、悲壮な葉叢を風になびかせている木々のざわめきを伝えた。

彼女は斜めに顔を伏せていたので、彼は直ぐ眼下に、自分の膝の上に、傷つき
やすい潤んだ小さな黒い滴のように留まっている彼女のみひらいた目を見る
ことが出来た。それはひどく軽く、かりそめにそこに停まった蝶のようだった。
長い睫の目ばたきは蝶の様に羽ばたき、その瞳は翅の不思議な斑紋。
あんなに誠実の無い、あんなに無関心な、あんなに今にも飛立ってゆきそうな、
不安で、浮動的で、水準器の気泡のように、傾斜から平衡まで、放心から
集中まで、とめどなくゆききする目を、繁は見たことが無い。それは決して
媚びではない。さっき笑って喋っていたときよりも、眼差しはずっと孤独になり、
彼女のとりとめのない内部の煌めきの移り行きを、無意味なほど正確に
写し出しているとしか見えなかった。
そしてそこに拡がる迷惑なほどの甘さと薫りも、決してことさらな
媚びではなかった。


水が馴染んだ水路へ戻るように、またしても彼の心は、苦しみを愛し始めていた。
彼のはなはだわがままで、同時に厳格な夢想癖は、逢いたくても逢えないという
事情のないことにむしろ苛立ち、飯沼のお節介な手引きを憎んだ。彼らの働きは
清の感情の純真さ敵であった。こんな身を噛む苦痛と想像力の苦痛を、清は
すべて自分の純潔から紡ぎ出すほかはないことに気づいて、ほこりを傷つけられた。
恋の苦悩は多彩な織物であるべきだったが、彼の小さな家内工場には、
一色の純潔の糸しかなかったのだ。


何とこの女たちは、笑いさざめき、楽しげで、自分たちの肉の丁度頃合の熱さの
風呂にたっぷりとひたっていることだろう。仕方話の指の立て方、白いなめらかな
咽喉もとに小さな金細工の蝶番でもはまっていそうな、その一定のところで
止まるうなずき方、人の揶揄を受け流すときの、一瞬の戯れの怒りを目元に刻み
ながら、口は微笑を絶やさないその表情、急に真顔になって客のお談義をきくときの
その身の入れ方、一寸髪へ手をやるときのやるせなげな刹那の放心、そういう
様々な姿態のうちに、清がしらずしらず比べているのは、芸者たちの頻繁な流し目
と、聡子のあの独特な流し目との違いであった。この女たちの流し目はいかにも
敏活で愉しげだったが、流し目だけが独立して、うるさい羽虫のような飛び回り
すぎるきらいがあった。それは決して聡子のそれのような、優雅な律動の裡うち
に包まれてはいなかった。


四月は晴れの日がまことに少なく、暗い空の下で、日増しに春が薄れ、夏が兆し
ていた。門構えばかりが立派な武家屋敷の、質素なつくりの部屋の肘掛窓から
手入れのとどかぬひろい庭を眺めていると。椿もすでに花が落ちて、その黒い
固い葉叢から新芽がせり出し、柘榴も、神経質な棘立ったこまかい枝葉の尖端に
ほの赤い眼を突き出しているのに気づいた。新芽はみな直立し、そのために
庭全体が、爪先たって背伸びしているように見える。庭が幾分か高くなったのだ。



そのとき雲一つない空の何処かから轟くような声がする。
「偶然は死んだ。偶然と言うものはないのだ。意志よ、これからお前は永久に
自己弁護を失うだろう」
その声を聞くと同時に、意志の体が崩れ始め溶けはじめる。肉が腐れて落ち、
みるみる骨が露わになり、透明が奨液が流れ出し、その骨さえ柔らかく
溶けはじめる。意志はしっかりと両足で大地を踏みしめているけれど、
そんな努力はなにもならないのだ。
白光に充たされた空が、怖ろしい音を立てて裂け、必然の神がその裂け目から
顔をのぞけるのは、正にこの時なんだ。
俺はどうしてもそんな風に、必然の神の顔を、見るも怖ろしい、忌まわしい
ものにしか思い描くことが出来ない。それはきっと俺の意志的性格の弱み
なんだ。しかし偶然が1つも無いとすれば、意志も無意味になり、歴史は
因果律の大きな隠見する鎖に生えた鉄錆びにすぎなくなり、歴史に関与するものは、
ただ1つ、輝かしい、永遠不変の美しい粒子のような無意志の作用になり、
人間存在の意味はそこしかなくなるはずだ。


その窓からよほど首をさしのべなければ、九段目の滝が滝壺に落ちる辺りが
見えないほどに、窓辺の欅けやき若葉の繁りは深くなっていた。池もまた、
岸ちかいかなりの部分が薄緑のじゅん菜の葉におおわれ、河骨こうほねの黄の花は
まだ目につかないが、大広間の前の八橋風の石橋のひまひまに、花菖蒲が紫や白の
花盛りを、その鋭い緑の剣のような葉の叢生から浮き上がらせていた。
窓框かまちにとまっていたのが、ゆっくりと室内へ這い上がって来ようとしている
一疋の玉虫に清は目をとめた。
緑と金に光る楕円の甲冑に、あざやかな紫紅の二条を走らせた玉虫は、触覚を
ゆるゆると動かして、糸鋸のような肢をすこしづつ前へ移し、その全身に凝らした
沈静な光彩を、時間のとめどもない流れの裡うちに、滑稽なほど重々しく保っていた。
見ているうちに清の心はその玉虫の中へ深くとらえられた。虫がこうして燦然
たる姿を、ほんの少しづつ清のほうへ近づけてくる、その全く意味のない移行は、
彼に、瞬間ごとに容赦なく現実の局面を変えていく時間と言うものを、どうやって
美しく燦然とやりすごすかという訓えを垂れているように思えた。
彼自身の感情の鎧はどうだろうか?
それはこの甲虫の鎧ほどに、自然の美麗な光彩を放って、しかも重々しく、あらゆる
外界に抗うほどの力があるだろうか?清はそのとき、ほとんど、周囲の木々の茂りも
青空も、雲も、棟棟の甍も、すべてのものがこの甲虫をめぐって仕え、玉虫が今、
世界の中心、世界の核をなしているような感じを抱いた。


深夜の浜には人影ひとつなかったが、たかだかとみよしをかかげた漁船が砂に
落としている黒い影は、あたりが眩いだけに頼もしく思われた。船の上は月を
浴びて、船板も白骨のようである。そこへ手をさしのべると、手が月光に
透くかのようだ。海風の涼しさに、二人はすぐに船蔭で肌を合わせた。
聡子はめったに着ない洋服の輝くばかりの白さを憎み、自分の肌の白さも忘れて、
すこしも早くその白を脱ぎ捨てて病みに身を隠したいと望んでいた。誰も
見ていないはずなのに、海に千々に乱れる月影は百万の目のようだった。聡子は
そらにかかる雲を眺め、その雲の端に懸かって危なくまたたいている星を眺めた。
清の小さな固い乳首が、自分の乳首に触れて、なぶりあって、ついには自分の
乳首を、乳房の豊溢ほういつの中へ押しつぶすのを聡子は感じていた。それには
唇の触れ合いよりももっと愛しい、何か自分が養っている小動物の戯れの触れ合い
のような、意識の一歩退いた甘さがあった。肉体の外れ、肉体の端で起こっている
その思いもかけない親交の感覚は、目を閉じている聡子に、雲の外れにかかっている
星のきらめきを思いださせた。そこからあの深い海のような喜びまでは、もう一路
だった。ひたすら闇に溶け入ろうとしている聡子は、その闇がただ、漁船の
侍らしている蔭にすぎないと思うとき、恐怖にかられた。それは堅固な建物や
岩山の影ではなくて、やがて海へ出てゆく筈のもの、かりそめの蔭にすぎなかった。
船が陸にあることは現実ではなく、その確乎たる蔭も幻に似ていた。彼女は今にも、
そのかなり老いた大ぶりの漁船が、砂の上を音もなく滑り出して、海へ逃れていく
様な危惧を抱いた。その船の影を追うには、その影の中にいつまでもいるためには、
自分が海にならなくてはならない。そこで聡子は、重い充溢のなかで海になった。

こうして金砂子に小松を配した美しい料紙の上に、おそれげもなく、墨を豊かに
含ませた筆の穂先を落としたときのことを想起すると、それにつれて、一切の
情景が切実に浮かんだ。聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしていた。
かがみ込んで巻物を書いている時、熱心の余り、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい
黒髪にもかまわず、そのちいさな細い指をしっかりと筆にからませいたが、
その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、下唇をむざんに
噛み締めた小さく光る怜悧な前歯、幼女ながらすでにくっきりと通った鼻筋などを、
清は飽かずに眺めていたものだ。それから憂わしい暗い墨の匂い、紙を走る
筆がかすれるときの笹の葉裏を通う風のようなその音、硯の海と岡という
不思議な名称、波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、
墨の金箔が剥がれて散らばったのが、月影の散光のように見える永遠の夜の海。


しかもそれはカサネの色目に言う白藤の着物を着た豪奢な狩りの獲物で
あるばかりではなく、禁忌としての、絶対不可能としての、絶対の拒否
としての、無双の美しさを湛えていた。聡子は正にこうあらねばならなかった。
そしてそのような形を、たえず裏切り続けて彼を脅かして来たのは、
聡子自身だったのだ。見るがいい。彼女はなろうと思えばこれほど神聖な
美しい禁忌になれというのに、自ら好んで、いつも相手をいたわりながら
軽んずる、いつわりの姉の役目を演じ続けていたのだ。
清が遊び女の快楽の手ほどきを頑なにしりぞけたのは、以前からそんな聡子の
うちに、丁度繭を透かしてほの青い蛹の成育を見守るように、彼女の存在
のもっとも神聖な核を、透視し、かつ、予感していたからにちがいない。
それとこそ清の純潔は結びつかねばならず、その時こそ、彼のおぼめく
悲しみに閉ざされた世界も破れ、誰も見たことのないような完全無欠な曙
が漲るはずだった。

小さな漆の蓋の外れに、熱い餡が紫がかって、春泥のようにはみ出しているのが
徐々に乾いた。

艶やかに日に照る柿は、一つの小枝にみのった一双の片方が、片方に漆のような
影を宿していた。ある一本ひともとは、枝と言う枝に赤い粒を密集させ、それが
花とちがって、のこる枯葉がかすかにゆらぐほかは風の力を寄せ付けないので、
夥しく空へ撒き散らされた柿の実は、そのまま堅固に鋲留めでもしたように、不動の
青空へ嵌め込まれてしまっていた。
道野辺の草紅葉さえ乏しく、西の大根畑や東の竹藪の青さばかりが目立った。
大根畑のひしめく緑の煩瑣な葉は、日を透かした影を重ねていた。やがて西側に
沼を隔てる茶垣の一連が始まったが、赤い実をつけた美男葛かずらがからまる
垣の上から、大きな沼の澱みが見られた。ここをすぎると、道はたちまち暗み、
立ち並ぶ老杉のかげへ入った。さしもあまねく照っていた日光も、下草の笹に
こぼれるばかりで、そのうちの一本秀でた笹だけが輝いていた。
かすかに冷気が身にしみたので、ショールを肩にかける仕草をした。もう一度
ふりかえった婦人の目はじに、ひるがえるショールの虹が映った。
門内に色づいているこの数本の紅葉は、敢えて艶やかとは言いかねるけれど、
山深く凝った黒ずんだ紅が、何か浄化されきらない罪と言った印象を婦人に与えた。
それが婦人の心に、突然、錐のような不安を刺した。後ろの聡子のことを
考えていたのである。紅葉のうしろのかぼそい松や杉は空をおおうに足らず、
木の間になおひろやかな空の背光を受けた紅葉は、さしのべた枝枝を朝焼け
の雲のように棚引かせていた。枝の下からふりあおぐ空は、黒ずんだ繊細な
もみじ葉が、次か次へと葉端を接して、あたかも臙脂色のレースを透かして
仰ぐ空のようだった。

二組の夫婦は、永い付き合いにも一度も見せなかった裸の顔をさらしていた。
とはいうものの、夫人同士は顔をそむけ合って、自分の良人のほうばかりを
盗み見ている。男同士が相対しているのだが、伯爵のほうはうつむきがちで、
卓布へかけている手も雛の手のように白く小さいのに、侯爵はその裏にしっかり
した精力の裏打ちを欠いているとじゃいいながら、怒った癇筋が眉間に逆立った
大ベシ見の面を思わせる逞しい赤ら顔である。夫人たちの目にも、とても伯爵
のほうに勝ち目が有りそうには思われない。
事実、はじめ怒鳴り散らしていたのは侯爵のほうだったが、怒鳴っているうちに、
さすがに侯爵は、何から何まで強い立場の自分が威丈高になっている間の悪さ
を感じていた。目の間にいる相手ほど、衰えた弱小な敵はいなかった。顔色も
悪く、黄ばんだ象牙を掘り込んだような、薄い稜角の整った顔立ちが、悲しみ
とも困惑るかぬものを浮かべて黙り込んでいる。伏目がちな目は、深い二重瞼が、
1そうその目の陥没と寂寥を際立たせ、侯爵は今更ながらそれを女の眼だと思った。
伯爵の、だるそうな、不本意げな、身を斜交いに椅子に掛けた風情には、侯爵の
血統のどこにも見当たらぬ、あの古いなよやかな優雅が、もっとも傷つけられた
姿でありあり透かして見られた。それは何か、汚れ果てた白い羽の鳥の亡骸の
ようだった。鳴き声は良かったかもしれないが、肉も美味ではなく,所詮
食べられない鳥の。

帯解の町の狭い辻辻をすでに車は抜けて、かなたに霞む山腹の月修寺まで、田畑の
あいだをひたすら行く平坦な野道にかかっていた、稲架はぎの残る刈田にも、
桑畑の枯れた桑の枝にも、またその間の目に滲む緑を敷いた冬菜畑にも、沼の
赤みを帯びた刈れ葦や蒲の穂にも、粉雪は音もなく降っていたが、積もるほど
ではなかった。そして、清の膝の毛布にかかる雪は、目に見えるほどの水滴も
結ばないで消えた。空が水のように白んでくると思うと、そこから希薄な日が
さしてきた。雪はその日ざしの中で、ますます軽く、灰のように漂った。
いたるところに、枯れた芒のぎが微風にそよいでいた。弱日を受けてそのしなだれた
穂の和毛にこげが弱く光った。野の果ての低い山々は霞んでいたが、却って空の遠くに
1箇所澄んだ青があって、遠山の頂きの雪が輝いて見えた。
それは実にしんとした場所だった。車の動揺と重い瞼とが、その景色を歪ませ、
攪拌しているかもしれないけれど、悩みと悲しみの不定形な日々を送って来た
彼は、こんな明晰なものには久しく出会わなかった気がした。しかもそこには
人の影は1つもなかった。、、、、
また少し空が拓けて、薄日の中に雪が舞っていたが、路の傍らの藪の中で雲雀
らしいさえずりが聞こえた。松並木に混じる桜の冬木には青苔が生え、藪に
混じる白梅の1本が華をつけていた。
目を驚かすものは何もないはずなのに、今、車から、綿を踏むような覚束ない足を
地へ踏み出して、熱に犯された目で見回すと、すべてが異様にはかなく澄み切って
毎日見慣れた景色が、今日初めてのような、気味の悪いほど新鮮な姿で立ち現れた。
その間も悪寒はたえず、鋭い銀の矢のように背筋を射た。
道野辺の羊歯、藪柑子の赤い実、風にさやぐ松の葉末、幹は青く照りながら葉は
黄ばんだ竹林、甚だしい芒、その間を氷った轍のある白い道が、ゆくての杉木立ち
の闇へ紛れ入っていた。この、全くの静けさのうちの、隅々まで明晰な、そして
言わん方ない悲愁を帯びた純粋な世界の中心に、その奥の奥の奥に、紛れもなく
聡子の存在が、小さな金無垢の像の様にいきを潜めていた。しかし、これほど
澄み渡った、馴染めのない世界は、果たしてこれが住みなれた「この世」であろうか?


冷え冷えとした部屋は寂としている。雪白の障子は霧のような光りを透かしている。
そのとき本多は、決して襖一重というほどの近さではないが、遠からぬところ、
廊下の片隅か一間を隔てた部屋化と思われる辺りで、幽かに紅梅の花が開くような
忍び笑いを聞いたと思った。しかしすぐそれは思い返されて、若い女の忍び笑い
ときかれたものは、もし本多の耳の迷いでなければ、たしかに孤の春寒の空気を伝わる
忍び泣きに違いないと思われた。強いて抑えた嗚咽の伝わるより早く、弦が断たれた
ように、嗚咽の絶たれた余韻がほの暗く伝わった。そこですべては耳のつかのまの
錯覚であったかのように思われだした。

(1)奔馬
 もうだいぶ前の1980年代半ばごろになりますが、一時期、イギリスの大学町に長
期間滞在して英語学校に通っていたことがあります。日本人の女の子の友人の一人がア
パート(フラットという)をイギリス人2人のルームメイトと共同で借りていて、それ
ぞれ一部屋ずつ使い、リビングやキッチンは共同、という、日本から見たら、独身の二
十歳そこそこの女の子としては恵まれた住宅事情でした。(しかも、一か月の家賃が当
時の日本円でも1万円ちょっと!) 

 一部屋がだいたい12帖ぶんぐらいの広さはあったので、一応若い女の子3人で借り
ていたことになっていたけれども、他の2人のイギリス人の女の子は、どちらもそれぞ
れ自分の部屋に彼氏が一緒に住んでいました。そのうちの一人は、30歳ぐらいのセカ
ンドシングルの女の子で、彼氏は22歳の失業中の男の子。長距離トラックの運転手を
していたけれども、失業した、ということで、彼女がハンバーガー店で働いて二人の生
活を支えていました。ボブというその彼は、当時の日本人の同じ年頃の失業中の男の子
とは全然違って、別に焦りもせず、ゆうゆう、堂々と、日がな一日テラスでひなたぼっ
こしながら、図書館で借りてきた本を次々に読破していました。 

 ボブはシャイで優しい性格で、眼鏡をかけていて、おとなしい人だったのですが、あ
る日私に、「今、日本の小説を読んでるんだ」と、大きなハードカバーの本を見せてく
れました。その表紙には、『Runnaway horses by Yukio Mishima』 
の文字が・・・「ミシマを知ってるか」と聞くので、「もちろん」と、しばらく不自由
な英語でその話をしていた覚えがあります。 

ボブが読んでいたのは、三島由紀夫『豊穣の海』第二部の『奔馬』でした。四部作の中
でも、やはり、武士道の話や少年やハラキリの話が出てくる、この第二部はこっちの人
たちにはインパクトが強いのかなあ、などと思ったりした私です(むろん一つだけの例
では断定できませんが)。三島の英訳本はその大学町の大きな書店ではよく見かけまし
たが、『仮面の告白』『金閣寺』あたり、能面をカバー写真にして、バックは黒、とい
った装丁を思い出します。 



43
霊山というその響きに何か違う世界を想像し、車で出かけた。
大神(おおみわ)神社の大鳥居を通り、広大で立派な社殿で拝した。
周囲約十六キロほどの三輪山は、西側の御本社の背後にあたる大宮谷を含む以前の禁足
地のまわりに九十九谷の山すそを広げていた。少し登ると、右方の下草の茂に任せた赤
松の幹は、午後の日を受けてその赤さを一層に輝かしていた。
禁足地であった地は、木々も、羊歯や笹叢も、これらに万遍なく織り込まれた日光も、
すべてが心なしか尊く清らかに見えた。
しかし、自分の足が踏みしめているこの御山自体が、神、あるいは神の御座だと感じる
ことは、素直に受け入れるほどの感情ではなかった。歳は4,5歳上である友人のその
俊足に驚きながらも汗を払う間もなく従っていく人間にとって、午後になってますます
暑さを加えた日差しが憎く思ったが、やがて渓流の傍らの道の涼やかさに一幅の幸せを
感じた。日は避けられたが、道はいよいよ険しくなった。
榊の多い山で、町で見る榊よりもはるかに葉のひろい若木が、そこかしこで黒ずんだ緑
の影に多くの白い花をつけていた。上流へいくほど瀬は早くなり、快いその水音の響き
が一段と高くなり、一陣の滝が現れた。そのあたりは滝を巡って、森がもっとも鬱蒼と
してるところだそうだが、森のいたるところに光がこもっているので、あたかも光の帯
の中にいるようである。頂へ登る道は、ここから先が難所なのであった。
一応道として整備はされているものの、岩や松の根を頼りに道とは言えない道や赤銅色
の崖を伝い、少し平坦な道が続くかと思えば、また更に、午後の日に黒々と照らし出さ
れた崖が現れた。友人は先へ先へと行くが、彼は息が迫り、汗もしとどになるにつれて
、こうした苦行のうちにやがて近づく神秘が用意されているのを感じた。
時折木々の間を縫うように鳥たちがわたり、直径一メートルあまりの赤松や黒松が、静
かに群立っている谷も見えた。蔦や蔓草にからまれて朽ちかけた松が、残らず煉瓦色の
葉に変わっているのも見た。あるいは赤く露地を見せた崖の半ばに立った一本杉に、入
山の信者が何らかの神性を感じて、注連縄を張り巡らし、供え物をしてあるのも見た。
その杉の幹の片面は苔のために青銅色をしていた。御山の頂に近づくにつれて、一本一
草が、たちどころに神性を与えられ、自然に神に化身するかのように見えた。たとえば
、高い椎木の樹冠が、風にあわせ一斉にその浅黄の花を散らしてくるようなときには、
人のいない深山の木の間を縫ってくる花の飛来は、二人に驚きと荘厳さを与えた。
沖津磐座は崖路の上に突然現れた。
難破した巨船の残骸ような、不定形の、あるいは尖り、あるいは裂けた巨石の
群れが張り巡らした注連縄の中に鎮座していた。太古からこの何かあるべき姿
に反した石の群れが、並みの事物の秩序のうちには決して組み込まれない形で、
怖ろしいような純潔さと乱雑さを併せ持ち、生きてきたのである。
石は石と組打ち、組み打ったまま倒れて裂けていた。別の石は、平たんすぎる
斜面を広々とさしのべていた。すべてが神の静かな御座というよりは、戦いの
あと、それよりも信じがたいような恐怖のあとを思わせ、神が一度座られたあとでは、
地上の事物はこんな風に変貌するのではないかと思われた。
日は、石の肌に一重の衣のごとき苔を無残に照らし出し、さすがにここまで来ると風が
活きて、あたりの森はさわやかに騒いでいた。
磐座のすぐ上方にある高宮神社の小詞の簡素なつつましさが、磐座の荒々しい畏怖をな
だめた。合掌造りの屋根の小さな、しかしすこぶる鋭角に見える鰹木は、蒼い松に囲ま
れて、いさぎよく結んで立てた鉢巻のようにその力強さを見せていた。
久々のこういう脚の行使が、それを何とか果たしたという満足が、和邇の心を
解き放って、あたりの松風の音にこもる明るいさわやかな神性のうちに、日ごろの俗世
そのものの行為を排したという満足感に浸るような心境にさせた。
轟々たる青風の合間に、静けさが点滴のように滴ってきて、虻の飛びすぎる羽音が耳だ
ったりする。杉の幾多の槍の穂先に刺された輝かしい空。動く雲。日光の濃淡を透かし
た葉桜の葉叢。彼はわれにもあらず幸福な面持ちになった。
そして、神という意識が初めて彼の心


51
さらに四有輪転しうりんてんの四有とは、中有、生有、本有、死有の四つをさし、
これで有情の輪廻転生の一期が劃されるわけであるが、二つの生の間にしばらく
とどまる果報があって、これを中有といい、中有の期間は短くて七日間、
ながくて七七日間で、次の生に託胎するとしいる。
仏説によれば、中有はただの霊的な存在ではなく、五蘊の肉体を具えていて、
五六歳ぐらいの幼な児の姿をしている。中有はすこぶるすばしこく、目も耳も
はなはだ聡く、どんな遠い物音も聞き、どんな障壁も透かして見て、行きたい
ところへは即座に赴くことができる。人や畜類の目には見えないが、ごく清らかな
天眼通を得たものの目だけには、空中をさまようこれら童子の姿が映ることがある。
透き通った童子たちは、空中をすばやく駆け巡りながら、香を喰ってその命を
保っている。このことから、中有はまた尋香と呼ばれる。
童子は、こうして空中をさすらいながら、未来の父母となるべき男女が、
相交わる姿を見て倒心を起こす。中有の有情が男性であれば、母となるべき女
のしどけない姿に心を惹かれ、父となるべき男の姿に憤りながら、その時父の
漏らした不浄が母胎に入るや否や、それを自分のもののように思い込んで喜び
にかられ、中有たることをやめて、母胎に託生するのである。
その託生する刹那、それが生有である。

88
神官と地域の世話人たちが、静かな仕草で樽と缶を運び出した。神官の白衣、
その黒い冠、その黒い紗の色立ちに、木桶に差し込まれた花々が、冠より高く
そびえてそのゆらぐさま、沖天の光に映える色が美しい。
そして、もっとも高く捧げられた一茎の百合が、青い空の中で一条の線となり、
薄く伸びる天空を切り裂いていた。
笛が漲り、鼓がときめいている。黒ずんだ石垣の前におかれた百合は、たちまち
に紅潮する。神官は、うずくまって百合の茎を分けて酒を杓で汲み、白木の瓶子
へいしを捧げてきてこの酒を受けては、三殿の各々に献ずるさまが、楽の音と
ともに神の宴の賑々しさを更に高めている。それは、御扉の闇のうちに、おぼろげに
立ち上る神の想いを偲ばせた。その間、拝殿では、四人の巫女役の娘たちが伝承の
舞をはじめている。
いずれも美しい乙女で、頭に杉の葉を巻き、黒髪を金の水引で紅白の髪に束ね、浅い
朱色の袴に、銀の稲の葉の紋様の白い紗すずしの衣の裾を引き、襟元は紅白六重ね
に合わせている。
巫女たちは、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから立ち現われ、手に手に
百合の花束を握っている。奏楽の流れに合わせ、巫女たちは四角に相対して踊り
始めたが、高く掲げた百合の花は微妙に揺れ始め、踊りが進むにつれて、百合は
気高く立てられ、横ざまにあしらわれ、集い又、離れて、沖天をよぎるその白い
線は一段と鋭くなって、一種の鋭利な刃のように見えるのだった。
やがて鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実に和やかで優雅に
流れているのに、あたかも巫女の手なある百合だけが残酷に弄ばれているように
見えた。巫女の踊りに合わせてさざ波のような人の声、動きの様々な音が消え去り、
彼女らの動きが高潮に向かうにつれて、静かな水面が訪れていた。



248
自分が感動することなどないと信じ始めていた。
ワキの僧と狂言方の問答が終わって間もなく、橋掛かりからシテとツレとの出になる
が、このとき奏せられるきわめて荘重な「真ノ一声」の囃子は、本来初能物の
前シテとツレの登場の場合に限るのに、初能物でなくてそれがあるのは、「松風」
を以って唯一の例外とする、と同僚は説明した。それだけこの曲は、幽玄の
至極として重んじられて来たものであろう。いずれも白水衣からちらほらと腰巻の
紅がこぼれ出た松風と村雨が、橋掛かりに向かい合って、砂地にしみいる浜の雨の
ようにもの静かに、
「汐汲車わずかなる浮世に廻るはかなさよ」と一声を謡い出したとき、本多は、
能楽堂にしてはややきつい照明に、舞台ノ磨きたてた檜の床板が、あまりなめらかに
輝いて、松羽目の影を落としているのに気を取られていたが、ツレのむしろ浅い
明るい声に、野口兼資の暗く深いもつれるような、途絶えがちの声が連綿して
謡われている、その最後の「はかなさよ」という一句が、明瞭にきこえてきた。
もとより耳は何ものにも妨げられずに聞いていたはずだから、すぐ耳の中で
言葉が前へ手繰られて、
「汐汲車わずかなる浮世に廻るはかなさよ」という、いくらか痩せた、なよやかな
腰つきの、姿のよい詩句が、まとまって頭に浮かんだ。
そのとき本多は、われにもあらず戦慄していた。謡はすぐに二の句に移り、
「波ここもとや須磨の浦、月さえ濡らす袂かな」
で連吟が終わると、
「心づくしの秋風に海は少し遠けれども」
とシテの松風のサシがはじまった。
野口兼資の声には、面こそ美しい若女に装われてあれ、女の色香をおもわすようなもの
は何一つなかった。赤く錆びた鉄を擦るような声である。しかも声が断続して
およそ詞章の優雅をずたずたにするような謡い方であるのに、きくうちに、
いうにいわれぬ優婉な暗い霧が漂い出て、あたかも荒れた殿居の一隅に、調度
の螺鈿が月影を受けているのを見るような心地がする。一種の生理的荒廃の
御簾を透かして、却って剥落した優雅の断片があきらかに窺われるのである。
そして次第に、そういう難声が気にならぬというのではなく、この難声を
とおしてのみ、松風の潮染む悲しみと、幽界の暗い恋慕の迷いが、はじめて
感受されるという気がしだした。
本多には、いつしか目の前に移り行く事象が、現か幻か定めがたくなった。
すでに舞台の磨きたてた檜の床は、波打ち際の水かがみのように、二人の
美しい女の白水衣と腰巻の縫箔のきらめきを映していた。
再び、今謡われているサシの詞章と重複して、最初の一セイノ詩句が執拗に
心を追ってきた。
「汐汲車わずかなる浮世に廻るはかなさよ」
思い出されるのはその一句意味ではなく、橋掛かり相対したシテとツレが
謡い出したときの、完全な静けさに謡の雨が降りそうた瞬間の、故しれぬ
戦慄の意味であるらしかった。
あれは何だろう。あのときたしかに美が歩み出したのだ。浜千鳥のように、
飛翔には馴れても歩行は覚束ない、白い足袋のつま先を、わずかにわれらのいる
現世のほうへ差し出したのだ。
しかしその美は厳密に一回性を持っていた。人はただちにこれを記憶に
とらえて、思い出の中で反芻するほかはない。また、その美は高貴な無効性と
無目的性を保っていた。
そういう本多の傍らを「松風」の能は、つかのまも滞らぬ情念のせせらぎ
のように流れつづけていた。
「かくばかり経がたく見ゆる世の中に、羨ましくも澄む月の出汐をいざや汲もうよ」
舞台の月影の中を、謡いかつ動いているのは、もはや二人の美しい亡霊では
なくて、いうに言われぬもの、たとえば時間の精、情緒の髄、現へはみ出した
夢のしつこい滞留、といったものなのだ。それは目的もなく、意味もなく、
この世に有り得ぬような美の持続を紡いでいる。美のすぐあとに来るものが
又美だなどということが、この世にあろうはずがないではないか。
、、、、

252
本多は、もう百年もたてば、われわれは否応なしに一つの時代思潮の中へ
組み込まれ、遠眺めされた、当時自らもっとも軽んじたものと一緒くたに
されて、そういうものとわずかな共通点だけで概括される、と主張した
覚えがある。、又、歴史と人間の意志との関わり合いの皮肉は、意志を
持ったものがことごとく挫折して、「歴史に関与するものは、ただ一つ、
輝かしい、永遠不変の、美しい粒子のような無意志の作用」だけに
終わるところにある、と熱を込めて論じた記憶がある。、、、、
時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えていく。
何が蝕まれるのだろう。もしそれが外側から蝕まれていくのだとすれば、
もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内奥の核をなしていたのだろうか。
あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積もったに
過ぎないのだろうか。

255
もう1人の若者の顔は、夏の日にきらめく剣道の面金を抜き去って、汗にぬれ
烈しく息づく鼻翼を怒らせ、刃を横に含んだような唇の一線を示して現れた。
本多が光の霧らう舞台の上に見ているものは、もはや美しいシテとツレの、
汐汲みの女たちの姿ではなかった。そこであるいは座り、あるいは立って、
月影の中に異様に優雅な、徒労に充ちた仕事に携わっているのは、時代を隔てた
2人の若者、遠目にはよく似て見えながら、近づいてみればそれぞれの対照的な
風貌が際立った、同じ年恰好の2人の若者だった。1人は竹刀ダコのできた
武骨な指で、1人は白い遊惰な指で、かわるがわる、一心に時の汐を汲み上げていた。
雲間を洩れる月影のように、時あって笛の音が、2人の若者の現身うつそみを貫いた。
2人は紅緞で飾った1尺2寸径の両輪のある汐汲車を、かわるがわる汀みぎわの水鏡
の上に引いていた。しかしそのとき、本多の耳に聞こえてくる言葉は、あの優雅な
やや疲れた
「汐汲車わずかなる浮世に廻るはかなさよ」
の一句ではなかった。突然その詩句は入れ替わって、心地観経の、
「有情輪廻して6道に生ずること、猶、車輪の始終無きが如し」
になったのである。と見る間に、舞台の上の汐汲車の車輪はとめどもなく廻り出した。


256
輪廻も転生も、言語は同じである。輪廻とは衆生が、冥界即ち六道、地獄、餓鬼、
畜生、修羅、人間、天上、を終わりも知れず、経めぐってゆくことである。
しかし転生の語には、時あって冥界から悟解へ赴くことも含まれるから、そのとき
輪廻はやむであろう。輪廻は必ず転生であるが、転生必ずしも輪廻ともいえない。
それはともかく、仏教では、こういう輪廻の主体はみとめるが、常住不変の中心の
主体というものを認めない。われの存在を否定してしまうから、霊魂の存在をも決して
認めない。ただ認めるのは、輪廻によって生々滅滅して流転する現象法の核、
いわば心識のなかのもっとも微細なものだけである。それが輪廻の主体であり、唯識論
にいう阿頼耶識あらやしきである。
この世にあるものは、生物といえども中心主体としての霊魂ががなく、無生物
といえども因縁によってできたもので中心主体がないから、万有のいずれにも
固有の実体がないのである。輪廻の主体が阿頼耶識とすれば、輪廻が動いてゆく
様態は業である。そして学説によっていろいろと分かれて、仏説独特の百千の
異論異説がはじまる。ある説は、阿頼耶識はすでに罪に汚染されているから、
業そのものであると説き、ある説は、阿頼耶識は半ば汚れ半ば無垢であるから、
解脱への橋を蔵していると説く。

、、、、
さるほどに「松風」は進んで。汐汲車の、
「シテ これにも月の入りたるや
 地  嬉しやこれも月あり
 シテ 月は1つ
 地  影は2つ満つ汐の夜の車に月を載せて、憂うしとも思わぬ汐路かなや」
という前半の頂点にさしかかった。
ふたたび舞台の上にいるのは、美しい松風と村雨であり、ワキの僧もまた脇座から
立ち上がり、観客の顔1つ1つも見分けられ、囃子の鼓の1打1打も聞き分けられた。

重苦しい謎になって澱んでいたものが、この瞬間、見事に解けて涼しくなったような
心地がした。魂の白昼が戻ってきた。能舞台はすぐ手の届かんばかりの近くに、
決して触れえない来世のように輝いていた。1つの幻が呈示され、ホンダはそれに感動
した。




280
灯火に引き出された百合の一輪は、すでに百合のミイラになっていた。そっと指を
触れなければ、茶褐色になった花弁はたちまち粉になって、まだほのかに青みを
残している茎を離れるに違いない。それはもはや百合とは言えず、百合の残した
記憶、百合の影、不朽のつややかな百合がそこから巣立っていったあとの百合の繭の
ようなものになっている。しかし、依然として、そこには、百合がこの世で百合
であった事の意味が馥郁と匂っている。かってここに注いでいた夏の光りの余燼
をまつらわせている。
勲はそっとその花弁に唇を触れた。もし触れることがはっきり唇に感じられたら、
その時は遅い。百合は崩れ去るだろう。唇と百合とが、まるで黎明と尾根とが
触れるように触れあわねばならない。


296
杉木立の下まで上る。杉と杉のあいだには、端正な黒い沈黙がきっちりとはまっていた
。
生き物の気配はどこにもない。斜面を歩いて、そこからわずかに明るくなる雑木の
疎林に入った。すると突然、足元から雉が飛び立った。
頭上には黄や赤の入り混じった葉が残光を透かしていた。そこからのぞかれる
憂わしい夕空に、煌めく緑のきわめて重たい冠が一瞬掛かったように、静止して見えた
刹那があった。この放り上げられ冠は、羽ばたきによって解体され、栄光は散乱した。
攪拌する羽ばたきが、空気の重たくなった、母乳のように濃くなり、忽ちも
モチのように翼にまつわりつく力を語っている。鳥は、自分でもわからぬながら、
突然、鳥である意味を失ったのだ。翼のあがき、それを思わぬ方向へ横滑りさせる。
いくら見透かしても見透かせぬあたりで、鳥は急激に落ちた。
勲は雑木林から竹藪のほうへ駆け下りた。竹藪の中には水のような光が漂っていた。
鳥は固く目をつぶっていた。赤い毒キノコのような斑に満ちた羽毛が閉じた眼を囲んで
いる。
ふっくらした金属の光彩、ふくよかな鎧、暗鬱に肥った、夜の虹のような鳥だ。
のけぞった部分の羽毛が疎になって、そこがまた別の光彩をひらいている。
首のあたりは黒に近い葡萄紫の麟毛である。胸から腹にかけて、前垂れのような濃緑の
羽毛が重複して、光をこもらせている。

318
晩秋の朝日は痩せた松の木立から、力のない光の手をさしのべている。尖った石碑、
くすんだ常盤木の間を縫ってくるその光が、新しい御影石の石塔の光沢をうつろ
わせている。そこからすでに聳えて見える松枝家の墓へ行くには、さらに細径を右へ
曲がって、落ち葉や杉苔を踏まねばならない。近隣の小さな墓を大勢の侍臣のように
従えて、松枝家の白い御影石の大鳥居が屹立している。
今ではこういう明治風の「偉大」は、雅致を欠いているように眺められるのも
やむをえない。鳥居をくぐってすぐに目につくのは、中央の一丈半はあろうかと
思われる巨大な一枚岩の顕彰碑で、三条公爵が点学をし、著名な支那人が刻字
をして、、、、
横に墓誌があるが、すべて顕彰碑の巨大さに圧せられて、目につかない。
祖父の巨大な墓は中央にそそりたち、西之屋型の四基の石灯籠が参道を
いかめしく守っている。祖父の墓石のあまりの大きさのために小さく見えるので、
それでも礎から六尺は十分にある。墓自体も水鉢も定紋入りの花活けも、悉く
同じ意匠同じ石材を縮小したに過ぎないのである。
すでに黒ずんだ御影石に、松枝と見事な隷書で刻まれている。花活けに花は
無くて、一対のつややかな樒が挿されている。

408
耳に聞こえるのは、密林の鳥の声、蠅の飛翔、雨のような落ち葉のぞよめきである。
それから白檀のような、一度勲も父が大切にしている白檀の煙草入れの蓋をあけて
嗅いだことがあるから覚えている。物憂い寂莫の、しかし古木の腋臭のような
甘い香りがしていた。ふと勲は梁川の田道で見出した黒い焚火の跡の匂いが
これに似ていたのを思い浮かべた。勲は自分の肉が明確な稜角を欠いたものに
なって、柔らかに揺蕩する肉になったのを感じた。やさしいだるい肉の霧で
内部が充たされ、すべてが曖昧になり、どこを探しても秩序や体系は
見当たらずつまり柱がなかった。かってかれのまわりにきらめき渡って、
絶えず彼を魅了していた光の砕片は消えてしまった。快さと不快、喜びと悲しみが
どちらも石鹸のように肌に滑り、肉がうっとりと肉の風呂に漬かっていた。
風呂は決して織ではなかった。いつ出てもよいのだが、だるい快さのあまり
出られないのだから、永久に漬かっている状態が、すなわち自由だった。
白金の縄のように彼を十重二十重に縛めていたものは溶けてしまった。
どうしてもこうあらねばと信じていたものは、片端から無意味になった。
正義は一匹の蠅のように白粉入れの中へ転がり落ちて噎せ、そのために
命を捧げるべきであったものは、香水を振りかけられてふやけてしまった。
栄光はすべてを生暖かい泥の中に融解した。
きらめく白雪はことごとく融け、自分の体内には春泥がぬるんでいた。
その春泥が徐々に形を成して、子宮になった。自分はやがて生むことを始めるのだ。
と思って勲は慄然とした。自分をいつも行為へ促していたあの激しい焦燥
に満ちた力は、たえず荒野の広がりを暗示している深い呼び声と呼応していた
のであったが、もはやその力も失われ、声も絶えた。、、、、、
香煙が流れてきた。鐘や笛の響きがして、窓外を葬列が通るらしかった。人々の
忍び泣きの声が漏れた。
(三)暁の寺 昭和16年、47歳になった本多は、五井物産の弁護士として、前年にシャムからタイと国 名が変更になった国の首都、バンコックにやってきていた。そこで本多は、タイ王室の 7歳になる月光姫のことを知るが、姫は自分が日本人の生まれ変わりである、といって いるという。姫に会いに行った本多は、姫が、清顕と本多が松枝邸で月修院門跡と会っ た年月や、勲が逮捕された年月日を正確に知っていることに驚いた。しかし、池で無邪 気に水浴びをする姫の腋の下には、三つのほくろはなかった。 インドを旅行し、ベナレスとアジャンターを訪れた本多は、日本に帰国しする。戦争が 始まり、空襲で焼け野原になった渋谷の道玄坂の松枝邸を訪れ、蓼科と再開する。聡子 は月修院で元気にしているという。本多はひたすら、唯識論と輪廻転生の研究にいそし む。 戦争が終わり、58歳になった本多は、昭和27年、御殿場に5,000坪の別荘を手に入れる 。そして、焼け野原の東京で、旧宮家が開いた骨董店で、34年前にシャムの王子ジャオ ・ピーが失った月光姫ジン・ジャンの形見の指輪を発見したのである。そして、2代目 の月光姫は、18歳になり、日本に留学に来ていた。本多は、策を弄して、成長した月光 姫の腋の下のほくろを確認しようとするが、うまくいかない。彼は、姫の腋の下のほく ろを確認するために、プールまで作ったのであった。そしてついに、姫を、自分の別荘 のパーティーに招くことに成功し、腋の下に、わずかに見える小さな三つの黒子を確認 するが、突然の火事で、別荘は焼け落ち、姫の居所もわからなくなってしまう。 昭和42年、本多は、たまたま、東京の米国大使館の晩餐会で、バンコックのアメリカ文 化センター長をしているという米国籍のタイ人女性に出会った。本多は、彼女こそがジ ン・ジャンであることを疑わなかった。しかし、彼女の口からは、驚くべき事実が知ら された。ジン・ジャンは彼女の双子の妹であり、20歳になった春に、庭でコブラにかま れて命を落とした、というのであった。 (四)天人五衰 本多繁邦は76歳になっていた。妻の梨枝はすでに死に、男やもめになって、一人で旅に 出ることがよくあった。 昭和45年、16歳の安永透は、清水港の船舶の出入りを監視する帝国信号通信社に勤務し ていた。貨物船の船長をしていた父が海で死に、その後まもなく母が死んでから、貧し い伯父の家に引き取られた彼は、中学を卒業すると、県の補導訓練所に1年通い、そこ で三級無線通信士の資格をとって、帝国信号に就職したのである。透は、凍ったように 青白い美しい顔をしていた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。しかし、眺めるこ との幸福は知っていた。最も美しいのは目だった。睫は長く、冷酷きわまる目が見かけ はまるで、絶えず夢みているようだった。この孤児は、どんな悪も犯すことのできる自 分の無垢を確信していた。脇腹には3つの黒子が昴の星のように象嵌されている。透は それを自分があらゆる人間的契機から自由な恩寵を受けていることの、肉体的な証だと 考えていたのである。 ある日、本多は、女友達の慶子に、謡曲羽衣で有名な三保の松原を見たいと言われ、案 内する。天女は漁夫の白龍に衣を奪われ、涙を流し、髪に挿した花もしおれ、「天人の 五衰」の相が現れる、と言う筋書きである。本多は、三保の松原を訪れた帰りに、信号 所を見学し、透の脇腹に三つの黒子が並んでいるのを見て取る。本多は、すぐに、透を 養子にすることを決意する。そしてその晩、慶子に、これまで本多が見てきた、転生の 秘密を語る。「もうこれを知ってしまったら、知ったものは二度と美しくありえないと 言うことだよ。賢者の五衰だ。知っていてなほ美しいなどということは許されない。」 しかし、あの少年は、清顕、勲、ジン・ジャンとは異なっているところがあるように見 えた。あの少年は、知っていてなほかつ美しい。しかも、少年の内面は本多の内面と瓜 二つのように思われる。透は、本多の養子になることを承諾した。 本多は、透に何人もの家庭教師を付け、透は普通より遅れて、17歳で高校に進学した。 高校2年のとき、透に縁談の話が来た。法曹界の実力者の娘で、濱中百子といった。透 は百合子の心を散々もてあそんだ挙句に、破談にさせてしまった。 20歳で東大に入学してから、透は、80歳になった本多に対して逆らうようになった。本 多は、透がジン・ジャンの本物の生まれ変わりで、21歳の誕生日までに死んでくれるこ とを望んでいた。本多の友人の慶子は、透をパーティーに呼び、その席で、本多が透を 養子にした本当の理由を教える。「あなたを養子にし、理に合わない「神の子」の誇り を打ち砕き、世間並の教養と幸福の定義を注ぎ込み、どこにでもいる凡庸な青年に叩き 直すことで、あなたを救おうとしたんです。」しかし、「あなたはきっと贋物だわ。」 と言い放つ。 そういわれた透は、本多から、清顕の「夢日記」を借りて読み、12月28日の夜に服毒自 殺を図る。命は取止められたが、完全に失明した。21歳の誕生日を迎えても、透に死ぬ 気配はなかった。 81歳になった本多は、月修院を訪ねることにした。月修院の山門の前に立ち、自分は60 年間、ただここを再訪するためにのみ生きてきたのだという思いが募った。奥の間に通 ずる唐紙が開いたとき、現れたのは、83歳になるはずの聡子であった。その聡子に、清 顕のことを話し始めたとき、返ってきた言葉は「その松枝清顕さんという方は、どうい うお人やした?」というものであった。「いいえ、本多さん、私は俗世で受けた恩愛は 何一つ忘れはしません。しかし、松枝清顕さんという方は、お名前を聞いたこともあり ません。そんな方は、もともとあらしやらなかったのとちがいますか?なにやら本多さ んが、あるように思うておられて、実ははじめから、どこにもおられなんだということ ではありませんか?」「それなら、勲も、ジン・ジャンもいなかったことになる。ひょ っとしたら、この私ですらも・・・。」「それも心々ですさかい」 この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は 思った。



奔馬




天人五衰の輪廻転生、曼荼羅の記述あり。
123ページの鼠の自己正当化の自殺。
159ページの蓮の池の描写
197ページの胎蔵界曼荼羅
241ページの山門までの描写


5
沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる。それでも沖は昨日よりも澄み、伊豆半島の
山々の稜線も辿られる。5月の海はなめらかである。日は強く、雲は微か
空は青い。きわめて低い波も、岸辺では砕ける。砕ける寸前のあの鶯色の
波の腹の色には、あらゆる海藻が持っているいやらしさと似たいやらしさ
がある。5月のうみのふくらみは、しかしたえずいらいらと光の点描を
移しており、繊細な突起に満たされている。3羽の鳥が空の高みを、ずっと
近づきあったかと思うと、また不規則に隔たって飛んでいく。
その接近と離隔には、なにがしかの神秘がある。相手の羽風を感じるほどに
近づきながら、また、その一羽だけついと遠ざかるときの青い距離は、
何を意味するのか。三羽の鳥がそうするように、我々の心の中に時たま
現われる似たような三つの理念も。
午後二時、日は薄い雲の繭に身を隠した。白く光る蚕のように。
丸く大きく広がった濃藍の水平線は、海景にぴっちりはめた蒼黒い鋼の
箍だ。沖に一瞬、一か所だけ、白い翼のように白波が躍り上がって消えた。
あれには何の意味があるのだろう。崇高な気まぐれでなければ、きわめて
重要な合図でなければならないもの。そのどちらでもないということが
ありうることだろうか。潮は少しづつ満ち、波もやや高まり、陸は巧妙
きわまる浸透によって侵されていく。日が雲におおわれたので、海の色は
やや険しい暗い緑になった。その中に、東から西へながながと伸びた
白い筋がある。巨大な中啓のような形をしている。そこでけ、平面が
捻じれている様に見え、捻じれていないかなめに近い部分は、中啓の
黒骨の黒っぽさを以て、濃緑の平面に紛れ入っている。日がふたたび
明らかになった。海は再び白光を滑らかに宿して、南西の風の命ずる
ままに、無数の海驢の背のような波形を、東北へ東北へと移している。
尽きることのないその水の群れの大移動が、何ほども陸に溢れるわけ
ではなく、氾濫は遠い遠い月の力でしっかり制御されている。
雲は鰯雲になって、空の半ばを覆うた。日はその雲の上方に、静かに
破裂している。



行きは海に気をとられていて目にも触れなかったが、帰路は堤防の下
の一輪の昼顔の萎びた淡い紅色もよく目についた。堤防の上の砂地には
夥しい塵芥が海風にさらされていた。コーラの欠けた空き瓶、缶詰、家庭用の
様々な空き缶、永遠不朽のビニール袋、洗剤の箱、沢山の瓦、、、、、、
地上の生活の滓がここまで雪崩れてきて、はじめて「永遠」に直面するのだ。
今まで一度も出会わなかった永遠、すなわち海に。もっとも汚れ錆びれた、
醜い姿でしか、ついに人が死に直面することが出来ないように。
堤の上には乏しい松が、新芽の上に赤いヒトデのような花を開き、帰路の左側
には、寂しい小さな四弁の白い花をつらねた大根畑があり、道の左右を
一列の小松が劃していた。そのほかにはただ一面の苺のビニールハウスで
蒲鉾型のビニール覆いの下には、夥しい石垣苺が葉かげにうなだれ、蠅が
葉辺の鋸の葉を伝わっていた。見渡す限り、この不快な曇った白い蒲鉾形が
ひしめいている中に、さっきは気付かなかった、小体な塔のような建物を
本多は認めた。


「自分を猫だと信じた鼠の話だ。何故だか知らないが、その鼠は、自分の
本質をよく点検してみて、自分は猫に違いないと確信するようになったんだ。
そこで同類の鼠を見る目も違ってき、あらゆる鼠は自分のえさにすぎない
のだが、ただ猫であることを見破られないために、自分は鼠を喰わずに
いるだけだと信じた。
よほど大きな鼠だったですね。
肉体的に大きかった小さかったということは問題じゃない。信念の問題なんだ。
その鼠は自分が鼠の形をしていることを、猫という観念が被った仮装にすぎないと
と考えた。鼠は思想を信じ、肉体を信じなかった。猫であるという思想を
持つだけで十分で、思想の体現の必要性は感じなかった。そのほうが侮蔑の
たのしみが大きかったからさ。
ところが、ある日のこと、その鼠が本物の猫に出くわしてしまったんだ。
お前を食べるよ、と猫が言った。
いや、私を食べることが出来ない、と鼠が答えた。なぜだ
だって猫が猫を食べることはできないでしょう。それは原理的本能的に
不可能でしょう。
それというのも、私はこう見えても猫なんだから。
それを聞くと猫はひっくり返って笑った。髭を震わせて、前肢で宙を引っ掻いて、
白い和毛に包まれた腹を波打たせて笑った。それから起き上がると、矢庭に
鼠に掴みかかって喰おうとした。鼠は叫んだ。
なぜ私を喰おうとする。
お前は鼠だからだ。
いや、私は猫だ。
そんならそれを証明してみろ。
鼠は傍らに白い洗剤の泡を湧き立たせている洗濯物の盥の中へ、いきなり
身を投げて自殺を遂げた。猫は一寸前肢を浸してなめてみたが、洗剤の味
は最低だったから、浮かんだ鼠の屍はそのままにして立ち去った。
猫の立ち去った理由は分かっている。要するに、喰えたものじゃなかったからだ。
この鼠の自殺が、僕の言う自己正当化の自殺だよ。しかし自殺によって別段、
自分を猫に猫と認識させることに成功したわけじゃなかったし、自殺するとき
の鼠にもそれくらいのことはわかっていたにちがいない。が、鼠は勇敢で
賢明で自尊心に満ちていた。
彼は鼠に二つの属性があることを見抜いていた。一次的にはあらゆる点で肉体的鼠であ
ること、二次的には従って猫にとって喰うに値するものであること、
この二つだ。
この一次的な属性については彼はすぐにあきらめた。思想が肉体を軽視した
報いが来たのだ。しかし二次的な属性については希望があった。第一に、自分が猫の前
で猫に喰われないで死んだということ、第二に、自分を「とても喰えたものじゃない」
存在に仕立てたこと、この二点で、少なくとも彼は、自分を
「鼠ではなかった」と証明することが出来る。「鼠ではなかった」以上、
「猫だった」と証明することはずっと容易になる。なぜなら鼠の形をしている
ものがもし鼠でなかったとなったら、もうほかの何者でもなりうるからだ。
こうして鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。
、、、、、
ところで、鼠の死は世界を震撼させたろうか?と彼はもう透という聴手
の存在も問わず、のめりこむような口調で言った。独り言と思って聴けば
いいのだと透は思った。声はものうい苔だらけの苦悩をのぞかせ、
こんな古沢の声は初めて聴く。「そのために鼠に対する世間の認識は
少しでも革まっただろうか?この世には鼠の形をしていながら実は鼠でない
者がいるという正しい噂は流布されたろうか?猫たちの確信には多少とも
罅が入ったろうか?それとも噂の流布を意識的に妨げるほど、猫は神経質に
なったろうか?
ところが驚くなかれ、猫はなにもしなかったのだ。すぐに忘れてしまって、
顔を洗いはじめ、それから寝転んで、眠りに落ちた。彼は猫であることに
満ちたり、しかも猫であることを意識さえしていなかった。そしてこの完全
だらけた昼寝の怠惰の中で、鼠があれほどまでに熱烈に夢見た他者にらくらく
となった。猫はなんでもありえた、すなわち档案とうあんにより自己満足により
無意識によって、眠っている猫の上には、青空が開け、美しい雲が流れた。
風が猫の香気を世界に伝え、なまぐさい寝息が音楽のように瀰漫した。」



しかし眺めることの幸福は知っていた。天ぶの目がそれを教えた。何も創りださないで
ただじっと眺めて、目がこれ以上鮮明になりえず、認識がこれ以上透徹しないという
堺の、見えざる水平線は、見える水平線よりも彼方にあった。しかも目に見え、
認識される範囲には、さまざまな存在が姿を現す。海、船、雲、半島、稲妻、太陽、
月、そして無数の星も。存在と目が出会うことが、すなわち存在と存在が出会うことが
見るということであるなら、それはただ存在同士の合わせ鏡のようなものでは
あるまいか。そうではない。見ることは存在を乗り越え、鳥のように、見ることが
翼になって誰も見たことのない領域まで透を連れて行くはずだ。そこでは美さえも、
引きずり朽され使い古された裳裾のように、ぼろぼろになってしまうはずだ。
永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海というものがあるはずだ。
見て見て見ぬく明晰さの極限に、何も現れないことの確実な領域、そこはまた
確実に濃藍で、物象も認識もともどもに、酢酸に浸された酸化銅のように溶解して、
もはや見ることが認識の足枷を脱して、それ自体で透明になる領域がきっと
あるはずだ。、、、、
この16歳の少年は自分が丸ごとこの世には属していないことを確信していた。
この世には半身しか属していない。後の半身は、あの幽暗な、濃藍の領域に
属していた。したがって、この世で自分を規制しうるどんな法律も規制もない。
ただ自分はこの世の法律に縛られているフリをしていれば、それで十分だ。
天使を縛る法律がどこの国にあるのだろう。だから人生は不思議に容易だった。
人の貧困にも、政治や社会の矛盾にも、少しも心を悩まされなかった。
時折やさしい微笑みをうかべたが、微笑みと同情は無縁だった。微笑みとは、
決して人間を容認しないという最後のしるし、弓なりの唇が放つ見えない吹き矢だ。


107
浪は砕けるとき、水の澱のようなあぶくを背後にすべらせつつ、今まで三角形
の深緑の累積だったものが、いっせいに変貌して、白い不安な乱れに充ちて、伸び上が
り、
膨れ上がってくる。海がそこで乱心するのだ。のび上がったとき、すでに
裾の方ではや砕けている低い波が見られる一方、高い波の腹は、一瞬、
訴えても詮無い悲鳴のような、めちゃくちゃな白い泡の斑を、おびただしい気泡
のようにあらわした、鋭く滑らかな、しかも亀裂だらけの熱い硝子の壁になる。
それが切れ上がって、極みに達するとともに、波の前髪が一斉に美しく梳かれて
前へ垂れ下がり、さらに垂れ下がると、整然と並んだ青黒いうなじを見せ、
この項にこまかく漉き込まれた白い筋がみるみる白一色になって、斬られた首の
ように地に落ちて四散する。
泡の広がりと退去。黒い砂の上を、船虫のように列をなして、一斉に海へ馳せ
かえっていくたくさんの小さな泡沫。
競技を終わった競技者の背中から急速に引いていゆく汗のように、黒い砂利
の間を退いていゆく白い泡沫。
無量の一枚の青い石板のような海水が、波打ち際へきて砕けるときには、何という
繊細な変身を見せることだろう。千々にみだれる細かい波頭と、こまごまと分かれる
白い飛沫は、苦し紛れにかくも夥しい糸を吐く、海の蚕のような性質を
あらわしている。
白い繊細な性質を内に秘めながら、力で圧伏するということは、何という微妙な
悪だろう。、、、、
浜はさびしく、泳ぐひともなく、二三の釣り人を見るだけだ。船が1艘も見えぬ時
の海は、献身からもあたうかぎり遠い。今、駿河湾は、一つの愛もなく陶酔もなく、
完全に醒めきった時間の中に寝そべっている。この怠惰な、この無償の完全性を
やがて白光を放つ剃刀の刃のように滑ってきて、切り裂いてゆく船がなければならぬ。
船はこんな完全性に対する涼しい侮蔑の凶器で、ただ傷口を与えるために、
海の張りつめた薄い皮膚の上を走ってゆくのだ。


288
あたりは蝉の声、きりぎりすの声に充ちている。それほどの静けさに
田を隔てた天理街道の事々しい車の音が織り込まれている。しかし
目前の自動車道路には、見渡す限り車影がなく、路肩にこまかい砂利の影
を並べて、白々と横たわっている。
大和平野の伸びやかさは昔と変わらない。それは人間界そのもののように
平坦だ。かなたには小さく貝殻のような屋根屋根を並べた帯解の町が光り、
薄く煙が立っている。帯解の町、平野のすべての上には、のこりなく
晴れた夏空がひろがり、綿雲はぬめのほつれを引き、彼方霞んだ山々
から伸び上がった幻のような雲が、上端だけは彫塑的な端麗さを帯びて
青空を区切っている。
本多は暑さと疲労に打ちのめされてうずくまった。うずくまったとき、
夏草の禍々しい鋭い葉端の光りに、目を刺されるような気がした。
ふと鼻先をよぎる蠅の羽音を、腐臭を嗅ぎつけられたのではないかと
本多は思った。
門に入って、彼の目に見える限りは元気を装おうと自ら鼓舞して、砂利の多い
凸凹な参道の坂を上っていく間、左方の柿木の幹にはびこった病気のような
苔の鮮明な黄や、右の路傍のほとんど花弁の落ちた禿げ頭の薊の花の
薄紫を、目の角に残すばかりで、喘ぎながら道の曲がりを頼みに歩いた。
道の行く手を遮る木陰の1つ1つが、あらかたで神秘に思われた。
雨になれば川底のようになるであろうその道の雑な起伏が、日の当たる
ところはまるで鉱山の露頭のように輝いて、木陰におおわれた部分は
見るから涼しげにさざめいている。木陰には原因がある。
しかしその原因は果たして樹そのものだろうかと本多は疑った。
幾つめの木陰で休むことができるかと、本多は自分に問い、杖に問うた。
4つ目の木陰が、すでに車のあたりからは窺われない曲がり角に
あって、静かに誘っていた。そこまで来ると崩折れるように、路傍の
栗の根方に腰を下ろした。
歩くうちは忘れていたのが、休むとともに募るのは、汗と蝉の声だった。
杖に額をあてて、額に押し付ける杖頭の銀の痛みで、胃や背にひしめく
痛みを紛らわした。、、、、、
夏の草木の匂いがあたりに充ちた。道の両側に松が多くなり、杖に倚って
見上げる空には、日が強いので、梢の夥しい松笠のその鱗の影も1つ1つ
彫刻的に見えた。やがて左方に、荒れて、蜘蛛の巣や昼顔の蔓のいっぱいからまった
茶畑が現れた。道の行く手を、なおいくつもの木陰が横切っている。
手前のは崩れた簾の影のように透き、遠くのは喪服の帯のように
3,4本黒く能子に横たわっている。




302
一面の芝の庭が、裏山を背景にして、烈しい夏の陽にかがやいている。
芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。
夏というのに紅葉している楓もあって、青葉の中に炎を点じている。
庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子がつつましい。
左方の一角に古い車井戸が見え、また、見るからに日に熱して、腰掛ければ
肌を焼きそうな青緑の陶の椅子が芝生の中程に据えられている。そして裏山の
頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳やかしている。これといって奇巧の
ない、閑雅な、明るく開いた庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを
支配している。このほかには何1つ音とてなく、寂莫を極めている。



暁の寺

P43
起こった出来事というものは、それを記憶に移せば、何ら手を加えるまでもなく、
そのまま美しい小さな絵の連鎖となって、いくつかの同じ寸法の、金の煩わしい
装飾を施した額縁に納まるものだ。そこで流れた時間はひたすら一瞬の絵心の
ために結ぼおれ、快活な時間の粒子が、ひときわ泡だって躍動するかと見れば、
それはたとえば、水の底深く下りて行く石段の真珠へ、さしのべた姫の手の
幼いふくらみ、しかもその指、その掌の清潔で細微な皺、頬にふりかかった
断髪のいさぎよい漆黒、その鬱したほど長い睫、黒地に施した螺鈿のように
黒い小さな額にきらめく池水の波紋の反映などの、刹那の絵姿を形作るために
ひたと静まるのだ。時間も泡立ち、ハチの唸りに充ちた日盛りの苑の空気も、
そぞろ歩く一行の感情も泡立っていた。珊瑚のような時間の美しい精髄が
あらわになった。そうだ。その時姫の幼時の曇りのない幸福と、その幸福
の背後に連なる一連の前世の苦悩や流血は、あたかも旅中に見た遠い密林
晴雨のように、一つになっていたのだった。

一旦形式を忘れたしまうと、老いが彼女たちの唯一の儀礼となった。
それは皺だらけの意地の汚い鸚鵡のように、一つ袋へ嘴を寄せ合っては、
椰子種を啄ばむことであり、裾の中へ手を差し入れて痒いところを掻く
ことであり、踊り子をまねてけたたましく笑いながら横歩きをしてみせる
ことであった。褐色の顔に鬘めく白髪が日に燃えて、踊り子のミイラのような
老女が、椰子種に真紅に染まった口を笑ってひらき、横歩きをしながら
横へさしのべた腕の、肱を鋭く立ててみせるときには、その乾いた骨の
あらわれたような肱の鋭角は、まばゆい積雲の立つ青空を背景に、
影絵の一片を切り抜いた。

女官たちが手拍子を打って何かを唱えるたびに、その形が種種に変化した。
姫がちょっと首を傾げると、その時渡った微風に草花が首を傾げ、枝移り
する栗鼠がつと停まって首を傾げるのと、符節を合わしているように思われた。
一変して姫は王子ラーマになった。白地に金の縁取りのあるブラウスの
袖口から浅黒い細い腕が剣をかかげて凛々しく天を指した。その時
山鳩が姫の目交まなかいをかすめ、翼で顔を翳らしたが、姫は微動
もしなかった。姫の背後に聳えているのが、他ならぬ菩提樹である事を
本田は知った。この鬱蒼たる樹には、長い葉柄の先に垂れた広い葉が、
鈴なりに重なって風のうごくたびにさやめいた。その緑の一葉一葉に、
あたかも熱帯の光線を透き込んだかのような黄色い葉脈がいちじるしい。

52
ヴェーダには水浴の恵みについて次のような章句がある。
「水こそ薬なれ。
水は身の病を清め
活力もてこれを充たす。
まことに万病草の水なれば
諸病諸悪を癒すべし」
また
「水は不死の命に充てり。
水は身の護りなり。
水には癒しの霊験あり。
水の威ある力をば
常住忘るることなかれ。
水は心身の薬なれば」
祈りを以て心を清め、水を以て身を浄めるヒンズーの儀礼は、
ここベナレスの数々の水浴階段において極まるのである。

94
本多はこれらの古本から西洋の輪廻転生説について多くを学んだ。


、、、「無我であるのに、なぜ輪廻があるのか?」

105
マヌの法典が告げる輪廻の法は、およそ人の転生を三種に分けて、一切衆生
の肉体を支配する三つの性のうち、よろこばしく、静寂で、また清く
かがやく感情に充たされた智の性は、転生して神となり、企業を好み、
優柔不断、正しからざる仕事に従事し、又つねに感覚的享楽に耽る
無智の性は、人間に生まれ変わり、放逸、無気力、残忍、無信仰、
邪悪な生活を営むタマスの性は、畜生に生まれ変わると説いていた。
畜生に転生する罪は精細に規定され、バラモンの殺害者は、犬、豚、
驢馬、駱駝、牛、山羊、羊、鹿、鳥の胎に入り、バラモンの金を盗んだ
バラモンは、千回、蜘蛛、蛇、蜥蜴および水棲動物の胎に入り、尊者
の臥床を侵したものは、百度、草や灌木および蔓草、又、肉食獣に生まれ変わり
穀物を盗むものは鼠となり、蜜を盗む者は虻となり、牛乳を盗む者は鳥となり、
調味料を盗む者は犬となり、肉を盗む者は禿鷹となり、脂肉を盗む者は鵜
となり、塩を盗む者は蟋蟀となり、絹を盗む者は蝦蛄となり、
、、、、、、、。

163
富士の山頂の向こう側から、少しづつ、稀薄な小さな雲が、雪煙のように
立ってきていた。
向こう側からそっとこちらを窺っているような雲の気配が、四肢を広げた
希薄な形で、前面へ舞い立ってきては、又たちまち、硬質の青空に呑み込まれて
しまう、今はいかにも無力に見えるこういう伏勢は油断がならなかった。ともすると
昼までに、こういう雲がいつのまにか群がり、奇襲を繰り返して、富士の全容を
覆ってしまうからだ。
十時ごろまで、本多は涼亭に座って茫然としていた。生涯わずかのひまにも
手放さない癖のついていた書物は、遠ざけられていた。生と感情の、濾過されない
原素を夢見ていた。そして何もせずにじっとしていた。山頂の左辺にほのかに
現れて、やがて宝永山に掛かった雲が、その雲の尾を、鯱のように立ち昇らせた。

192
今西が持ってきてくれた「本朝文粋」を今朝本多はよんだところであった。
いうまでもなく都良香の「富士山の記」を読みたくおもって、今西に
頼んでおいた本である。
「富士山は、駿河国にあり。峯削り成せるがごとく、直に聳えて天につづく」
などという記述は面白くもないが、
「貞観十七年十一月五日に、吏民古きによりて祭りを致す。日午に加えて天甚だ
よく晴れる。仰ぎて山の峯を観るに、白衣の美女二人有り、山の頂の上に
並び舞う。峯を去ること一尺余り、土人共に見きと、古老伝えて言う」
という件こそ、むかし本多が読んで密かに記憶に留め、その後再読の機を得ず
にいたものであった。
様々な目の錯覚を呼び起こす富士山が、晴れた日にそのような幻を現出したのは
不思議ではなかった。裾野では穏やかな風が、山頂では厳しい突風になって、
晴天へ雪煙を舞い上げているのはよく見るところである。その雪煙がたまたま
二体の美女の形を思わせて、土地の人の目に映ったのもありうることである。
富士は冷静的確でありながら、ほかならぬその正確な白さと冷たさとで、
あらゆる幻想を許していた。冷たさの果てにもめまいがあるのだ、理知の果てにも
めまいがあるように、富士は端正なかたちであるがあまりに、あいまいな
情念でもあるような一つの不思議な極であり、又、境界であった。
その境に二人の白衣の美女が舞っていたということは、ありえないことではない。
これに加えるに、浅間神社の祭神が木花開耶姫という女神であることが、
本多の心をしきりに誘った。
木漏れ日が残雪の一部を荘厳にした。
茶色の杉落ち葉をうづたかい残雪に降らし続ける老杉の梢には、霧のような
ひかりがこもり、ある梢は緑の雲が棚引くようである。参道の奥に、残雪に
囲まれた朱の鳥居が見えた。

205
本多の願っていたことは実に単純で、愛と名付けるのは却って不自然だった
に違いない。今の姫の一糸繕わぬ裸をすみずみまで眺め、青の小さい平たい
胸が今はいかにも色づいて、巣からのぞく巣鳥のように頭をもたげ、桃色の
乳首が不服そうに尖り、褐色の腋が折りたたんだほのかな影を含み、腕の内側に
敏感な洲のような部分が現われ、未明の光りのなかですでにすべての成熟の
用意が出来上がったところを点検して、幼い姫の肉体との比較に心をののかせたい、
というだけのことなのだ。腹が無染の柔らかさで漂う中に、小さな環礁のように
鎮まる臍、護門神ヤスカの代わりを務める深い毛に護られて、かっては
ただきまじめな固い沈黙であったものが、たえまない潤んだ微笑みにまで
変わったもの。美しい足の指が一本一本ひらき、脛が光、成長した脚が
すらりと伸びて、生命の踊りの規律と夢を一心に支えるありさま、それを一つ
一つかっての幼い姿と照合してみたかったのだ。それは時を知ることだ。
時が何を創り、何を熟れさせたかを知ることだ。その丹念な照合の末、
左の脇腹の黒子が依然として見当たらなければ、本多はきっと最終的に
恋するだろう。恋を妨げるのは転生であり、情熱を遮るのは輪廻だった。


215
金のかからぬ快楽にこそ、身の毛のよだつような喜びが潜むのを、本多は
知っていた。身を隠す夜の木立の幹のぬれた苔の手ざわり、ひざまついた
土の落ち葉のしめやかな匂い、それは去年の五月の公園の夜であった。
若葉の香りは濃密で、恋人たちは草の上に乱れていた。その林の外周の
自動車道路のヘッドライトの皮相な往来、それがあたかも針葉樹を神殿
の列柱のように見せ、その列柱の影を次から次へと、悲劇的になぎ倒す光芒の
素早さと、それが叢生の上を走るときの戦慄、その中に一瞬浮かぶ、まくれた
下着の白の、ほとんど残虐的なほどの神聖な美しさ。たった一度、その光芒が
ほのかに目をあいた女の顔の上をまともに擦過したことがある。なぜ目を
あいていたのが見えたのか。一滴の光りの反射が瞳に落ちるのが見えたからには、
確かに女は、半眼ながら、眼を開いていたに違いない。それは存在の闇を
一気に引き剥がした凄愴な瞬間だったから、見えるはずのないものまで見えて
しまったのだ。恋人たちの戦慄と戦慄を等しくし、その鼓動と鼓動を等しくし、
同じ不安を分かち合い、これほどの同一化の果てに、しかも見るだけで
決して見られぬ存在にとどまること。その静かな作業の執行者は、あちこち
の木陰や草叢に蜥蜴のように隠れていた。本多も、無名のその1人だった。
闇に浮かぶ若い男女の、むつみあう白い裸の下半身。夜ものひときわ濃いあたりに
舞う手の優しさ。ピンポンの球のように白い男の尻。そしてあの1つ1つの
吐息の、ほとんど法的な信憑性。そうだ。思いがけず女の顔を、ヘッドライトが
照らし出した一瞬、存在の闇を引っぺがすその瞬間に、たじろいだのは行為者
だけではなかった。たじろいだのはむしろ覗き手だった。夜の公園のはるか外側に
燠のように残っているネオンの反映のあたりから、遠く抒情的なパトロールカー
のサイレンが響いてくると、恐怖と不安のために覗き手の木陰はざわめき、
見られている女たちは溺れたまま身じろぎもせず、見られている男たちは必ず
狼のように凛々しく、その社会的な上半身のシルエットを俊敏に起こした。
この表沙汰にならずじまいの醜聞は誰知らぬ者のない人であったが、常習犯と
して警察に捕まった。老人は尋問の間、卑屈になり、うなだれ、何度となく
額の汗を拭った。こうして行政機構の末端の泥をたっぷり口へ押し込まれた
末、老人はお目こぼしで釈放された。
彼はその話の間、心はわざわざ自分に向かってそんな話をした弁護士の心事を
あれこれと忖度し、要所要所で人の悪い笑いを合わせる努力に追われ、世間の
眼の中に置かれたその汚れた藁草履のような快楽のみじめさと、どんな
快楽の核心にもひそむ厳粛なものとの無残な対比に目もくらみ、さてその
1時間の午餐のぞっとする労苦と引き換えに、以後、ついに幸いに誰にも
知られずにすんだこの習慣、その戦慄と、すっぱり縁を切ったのだった。

328
仄明かりの下にははなはだ複雑に組み合わされた肢体が、すぐ前のベッドに
うごめいていた。白いふくよかな体と浅黒い体が、頭の方向を異にして、
放恣の限りを尽くしていた。それは心が肉体に結びつき、愛を醸し出す
脳髄が、脳髄からもっともっと遠い部分へ少しでも近づいて均衡を得、
そこから自分の醸し出した酒をじかに味わおうとして自然にとる姿態だった
といえる。影に充たされた黒い髪が、等しく影に充たされた黒い毛と
親しみあい、紛れあって、頬にかかる後れ毛のうるささが愛のしるしとなった。
燃えているなめらかな腿と燃えている頬が睦みあい、柔らかな腹が月夜の
入海のようにしのびやかに波立っていた。しかと声は聞こえぬが、歓びと
も悲しみともつかない歓喜が全身に行き渡り、今は共々相手から見捨てられて
いる乳房が、光の方へあどけなく乳首を向けていながら、時々稲妻に
触れたように怯えた。その乳うんにこもる夜の深さ、その乳房をおののかせている
逸楽の遠さは、肉体の各部各部がなお狂おしいほどの孤独に置かれている
ことをしめしていた。もっと近く、もっと密に、もっとお互いに溶け入りたい
とあせりながら果たさず、ずっと彼方で、赤く染めた慶子の足の指が、一本
一本の指の股を開いたり閉ざしたりして、まるで熱い鉄板を踏んだように
指は踊っているのに、それが結局、虚しい薄明の空間を踏みしだくことに
しかならないでいた。
背筋の溝には、汗が静かに流れて、やがて溝をそれて、下にしたくらい脇腹の
ほうへ伝っていた。ジンンの美しい黒い乳房は汗にしとどに濡れていた。
右の乳房は慶子の身体に押しつぶされて形を歪め、健やかに息づいている
左の乳房は、慶子の腹を撫ぜつづける左腕に豊かに持たれていた。その絶えず揺れる
肉の円墳の上に乳首はまどろみ、汗がこの赤土の新しい円墳に明るい雨の
光沢を添えた。

2016年10月1日土曜日

これから正義の話をしよう、より

正義へのアプローチ
ある社会が公正かどうかを問うということは、我々が大切にするもの、
収入、財産、義務や権利、権力や機会、職務や栄誉、がどう分配されるを
問うことである。公正な社会ではこうした良きものが正しく分配される。
つまり、一人ひとりにふさわしいものが与えられるのだ。
難しい問題が起こるのは、ふさわしいものが何であり、それはなぜかを
問うときである。
そして、価値あるものの分配にアプローチする三つの観点を明らかにしてきた。
つまり、幸福、自由、美徳である。これらの理念はそれぞれ、正義について
異なる考え方を示している。
我々の議論のいくつかには、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養といったことが
何を意味するかについて見解の相違が表れている。


48
ベンサムがこの原理に到達したのは次のような一連の論法によってだ。
我々は快や苦の感覚によって支配されている。この2つの感覚は我々の
君主なのだ。それは我々のあらゆる行為を支配し、さらに我々が行うべき
ことを決定する。善悪の規準は「この君主の王座に結び付けられている」
のである。
誰もが快楽をこの身、苦痛を嫌う。功利主義哲学はこの事実を認め、
それを道徳生活と政治生活の基本に据える。効用の最大化は、個人だけでなく
立法者の原理でもあるのだ。どんな法律や政策を制定するかを決めるにあたり、
政府は共同体全体の幸福を最大にするため、あらゆる手段をとるべきである。
コミュニティとは結局のところなんだろうか。ベンサムによれば、それらを
構成する個人の総和からなる「架空の集団」だという。市民や立法者は
したがって、みずからにこう問うべきだ。この政策の利益のすべてを足し合わせ
すべてのコストを差し引いたときに、この政策はほかの政策より多くの
幸福を生むだろうか、と。


51
功利主義のもっとも目につく弱みは個人の権利を尊重しないことだ。
満足の総和だけを気にするため、個人を踏みつけにしてしまう場合がある。
功利主義にとっても個人は重要である。だが、その意味は個人の選好も
他のすべての人々の選好とともに考慮されるべきだということにすぎない。
したがって、功利主義の原理を徹底すると、品位や敬意といった我々が
基本的規範と考えるものを侵害するような人間の扱い方を認める
ことになりかねない。
例えば、拷問の是非について、功利主義の点からは、「一人の人間に
烈しい苦痛を与えても、それによって大勢の人々の死や苦しみが防げる
のであれば、道徳的に正当化される」が導かれる。しかし、人間の権利
や尊厳は効用を超えた道徳的基盤を持っていると主張する人もいる。
数は重要で、多くの人が危機にさらされるならば、我々は尊厳や権利についての
心の痛みに目をつぶることもいとうべきではないというならば、道徳は
結局コストと利益の計算の問題だということになる。

57
功利主義は、道徳の科学を提供すると主張する。その土台となるのは、幸福を計測し、
合計し、計算することだという。この科学が人の好みを測る際、それを評価
することはない。すべての人の好みを平等に計算するのだ。道徳の科学の
魅力の大半はこの評価しないという精神に由来している。道徳的選択を一つの科学
するというこの展望は、現代の多くの経済的議論に共通している。しかし、好みを
合計するためには、それを単一の尺度で測る必要がある。ベンサムの効用
という概念はこうした一つの共通通貨を提供するものだ。
だが、道徳にまつわるあらゆる事物を計算の過程で何も失わずに、単一の価値の
通貨に換算することは可能だろうか。
ベンサムは人命の価値を含め、我々が大切にしている多種多様な物事を単一の
尺度で厳密にとらえるために、効用と概念を考え出したのだ。


67
ミルの「自由論」の中心原理は、人間は他人に危害を及ぼさないかぎり、自分の
望むいかなる行動をしようとも自由であるべきだというものだ。政府は、
ある人を本人の愚行から守ろうとしたり、最善の生き方についての多数派の
考えを押し付けようとしたりして、個人の自由に介入してはならない。
人が社会に対して説明責任を負う唯一の行為は、ミルによれば、他人に影響を
及ぼす行為だけだ。自身の身体とこころについて、人は主権を持っているのである。
、、、、
効用は個別の問題ごとではなく長期的な観点から最大化すべきとミルは考えており、
自由論と幸福の最大化はこれにより同一の基盤で考えられる。

80
リバタリアン(自由至上主義者)は、経済効率の名においてではなく人間の
自由の名において、制約のない市場を支持し、政府規制に反対する。リバタリアン
の中心的主張は、どの人間も自由への基本的権利、他人が同じことをする権利
を尊重する限り、みずからが所有するものを使って、自らが望むいかなることも
行うことが許される権利、を有するという。
そのため、近代国家の活動の多くは不法であり、自由を侵害するものだ。最少国家
契約を履行させ、私有財産を盗みから守り、平和を維持する国家、だけがリバタリアン
の権利理論と両立する。これを超える行為を行う国家は道徳的に正当化されないのだ。
一般的に制定している3つのタイプを拒否する。
・父権的温情主義の拒否
国家には、個人が自分の命と体でドンリスクをとるかを支持する権利はない。
・道徳的法律の拒否
法制的な強制をもって多数派の持つ美徳の概念を奨励することなどを反対する。
・所得や富の再配分の拒否
他人を助けるためにある人々にそれを要求する法律を拒否する。
例えば、幇助自殺はリバタリアンの考えでは、正当化される。それは、自分の命が
自分のものならば、命を捨てるのも自由なはず。自分の死に手を貸してくれる
誰かと自発的に合意に至れば、国家がそれを干渉する権利はない。

105
例えば、三つの兵士の集め方、徴兵制、身代わりを雇っていいという条件付き徴兵制、
志願兵制(市場による)でここでは検証している。
リバタリアンでは、徴兵制は不公平で、強制であり、志願兵制が望ましいと考える。
功利主義では、三つの選択肢の中では、これも志願兵制が最も優れているとしている。
人々は提示された報酬に基づいて兵役につくかどうか自由に決められるから、自分の
利益が最大化される場合のみ兵役に就くことが出来る。
しかし、いくつかの反論があることも重要だ。1つ目は、階級差別による不公平と
経済的に恵まれないために若者が大学教育やその他の利益と引き換えに自分の命
を危険にさらす時に生じる強制である。
更には、市民道徳と公益という点での反論である。
兵役はただの仕事ではなく、市民の義務である。それにより、国民は自国に奉仕
する義務があるという。これを明確に言っているのが、ルソーの「社会契約論」
であり、市民の義務を市場に任せるような商品的な考え方は、自由を広げる
どころか逆に損なうことになるという。
「公共への奉仕が市民の主な仕事でなくなり、彼らが自分の身体ではなく、金銭で
奉仕するようになると、国家の滅亡は近い」。
また、同様の議論を「金をもらっての妊娠」でもしている。代理出産についても、
それを正当化する以下のような判決がある。
「両者とも取引において一方的に優位な立場にいるわけではない。どちらも
それぞれ相手が欲しいものを持っていた。お互いに履行するとしたサービス
の価格は合意のもとに決定され、取引は成立した。一方がもう一方を強制
したわけではない。どちらも、相手に不利益を及ぼす力があったわけではない。
また、どちらかの交渉力が相手を上回っていたわけでもない」。
功利主義、リバタリアンによる論拠は、「契約は全体の幸福を促進している」、
「選択の自由を反映している」からだ。
もっとも、これには「不合理な同意」「赤ん坊や女性の生殖能力を商品として
扱うことへの誹謗」という反論もある。

139
カントは人間の尊厳を重んじたが、これはこんにちの普遍的人権の概念にも
通じる。さらに重要なのは、自由についてのカントの解釈が正義を巡る現代の
議論にも頻繁に登場することだ。本書の導入部で、私は正義へのアプローチ
を3つ上げた。一つ目は功利主義のアプローチで、福祉、すなわち社会全体の
幸福を最大に化するする方法を考えることで、正義を定義し、なすべきことを
見極める。二つ目のアプローチは、正義を自由と結び付ける。これはリバタリアン
を例に考えるとわかりやすい。リバタリアンは、完全な自由市場で財とサービス
を自由に交換することが、収入と富の公正な分配につながると考える。市場を
規制することは、個人の選択の自由を侵すことになるので公正ではない。
三つ目のアプローチは、道徳的な観点から見て人々にふさわしいものを与えること。
美徳に報い、美徳を促すために財を与えることを正義とみなす。美徳に基づく
アプローチは、正義を善良な生活に関する考えと結びつく。
カントは、一つ目のアプローチ(幸福の最大化)と三つ目のアプローチ(美徳の奨励)
を認めていない。彼の考えでは、どちらも人間の自由を尊重していないからだ。
彼が勧めるのは、正義と道徳を自由に結びつける二つ目のアプローチだ。
しかし、カントが定義する自由は厳格だ。市場でものを売買する際の選択の自由よりも
厳しい。カントに言わせれば、大多数の人が市場の自由や消費者の選択だと
考えているものは真の自由ではない。なぜなら、そこで満たされる欲望はそもそも
自分自身が選んだものではないからだ。


145
カントの言う他律的な決定とは、あることをするのは、別の目的のためであり、
その目的を実行するのはまた違う目的のためというように延々と続いていく。
他律的に行動するというのは、誰かが定めた目的のために行動するという
ことだ。その時、われわれは目的を定めるものではなく、目的を達成する
貯めの道具にしか過ぎない。この対極にあるのがカントの自律の概念だ。
自分が定めた法則に従って自律的に行動するとき、われわれはその
行動のためにその行動自体を究極の目的として行動している。われわれはもはや、
誰かが定めた目的を達成するための道具ではない。自律的に行動する
能力こそ、人間に特別な尊厳を与えているものだ。この能力が人格と物を
隔てているのである。カントにとって、人間の尊厳を尊重するのは、
人格そのものを究極の目的として扱うことだ。

245
目的論的思考
古代世界では、目的論的な考え方が現在より優勢であった。
プラトンとアリストテレスは、炎が立ち上るのは本来の場所である
空に届こうとするからであり、石が落ちるのは還るべき場所である
地面に近づこうとするとするからだと考えた。自然には意味のある秩序が
あるとみられていた。自然を理解し、その中に占める人間の居場所を理解するのは、
自然の目的と本質的意味を把握することだった。

近代科学の誕生とともに、自然を意味のある秩序とみる見方は影を潜めた。代わって、
自然はメカニズムとして理解されるようになり、物理的法則に支配されると
見られるようになった。自然現象を目的、手段、最終結果と関連付けて解釈するのは
無智のゆえの擬人化した見方とされるようになった。だが、そうした変化にも関わらず
世界を目的論的秩序と目的を持つ相対と見たがる傾向は完全になくなったわけ
ではない。そうした見方は、とりわけ、世界をそのように見ないよう教育される
べき子供たちに、根強く残っている。

アリストテレスの指摘によれば、分配の正義の論理はすべて差別的だ。問題は、
どの差別が正義かである。その答えは、問題とされる活動の目的による。
したがって、政治的権利と権威の分配法を決めるためには、まず政治の目的を
検証しなければならない。
「政治的共同体は何のためにあるのか?」を問わねばならない。
今日、われわれは政治を特有の本質的目的をもつものとは考えずに、市民が
支持できる様々な目的に開かれているものと考える。だからこそ、人々が集団的に
追及したい目的や目標をその都度選べるようにするために、選挙があるのだろう。
政治的コミュニティにあらかじめ何らかの目的や目標を与えれば、市民が自ら
決める権利を横取りされることになる。誰もが共有できるわけではない価値
を押し付けられるおそれもある。我々が政治的に明確な目的や目標を付与する
のに二の足を踏むのは、個人の自由への関心の表れだ。
しかし、アリストテレスは政治をそのように見ない。彼にとって政治の目的は
中立的な権利の枠組みを構築することではなく、良き市民を育成し、良き人格
を養成することだ。

312
カントとローズにとって、正しさは善に優先する。人間の義務と権利を定義する
正義の原理は、善良な生活をめぐって対立する構想のすべてに中立でなければ
ならない。
道徳法則に到達するためには、偶発的な利害や目的を捨象しなければならない
と、カントは主張する。ロールズの持論では、正義について考えるためには、
特定の目的、愛着、善の構想を脇に置いておかねばならない。それが、無知の
ベールに包まれて正義を考える際の重要な点だ。
正義に対するこのような考え方は、アリストテレスの考え方とは相いれない。彼は、
正義の原理は善良な生活に関して中立でありうるとも、あるべきだとも考えていない。
逆に、正しい国制の目的の1つは、善い国民を育成し、善い人格を培うことにあると
主張する。善の意味について熟考せずして、正義について熟考することはできない
と彼は考える。その善とは、社会が割り当てる地位、名誉、権利、機会のことだ。

335

第3の考え方である、正義には美徳を涵養することと共通善について判断することが含
まれる。
、、、、、
功利主義的な考え方には欠点が2つある。1つ目は、正義と権利を原理ではなく計算の
対象としていることだ。2つ目は、人間のあらゆる善をたった1つの統一した
価値基準にあてはめ、平らにならして、ここの質的な違いを考慮しないことだ。
自由に基づく理論は、1つ目の問題を解決するが、2つ目の問題を解決しない。そうし
た
理論は権利を真剣に受け止め、正義は単なる計算以上のものだと強く主張する。
自由に基づく諸理論は、どの権利が功利主義的功利に優るかという点では一致しない
ものの、ある特定の権利が基盤となり、尊重されるべきだという点では、一致する。
、、、、
私には、これは間違っていると思える。
公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障するしたりするだけでは、
達成できない。公正な社会を達成するするためには、善良な生活の意味をわれわれが
ともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化を創り出さななくてはい
けない。

公正な社会には強いコミュニティ意識が求められるとすれば、全体への配慮、共通善
への献身を市民の内に育てる方法を見つけなければならい。公共の生における
市民の姿勢と性向、いわゆる「心の習慣」に無頓着ではいけない。






336
正義にはどうしても判断が関わってくる。議論の対象が金融救済策や代理妻、
兵役であれ、正義の問題は名誉や美徳、誇りや承認について対立する様々な
概念と密接に関係している。
正義は、物事を分配する正しい方法にかかわるだけでない。
ものごとを評価する正しい方法にもかかわるのだ。

現代の最も驚くべき傾向に数えられるのが、市場拡大と以前は市場以外の基準に
従ってきた生活領域での市場志向の論法の拡大だ。これまでの議論では、
国家が兵役や捕虜の尋問を傭兵や民間業者へ委託する場合であり、公開市場で
腎臓を売買する、移民政策の簡素化など様々だ。そうした問題で問われるのは、
効用や合意だけではない。重要な社会的慣行、兵役、出産、犯罪者への懲罰、移民
等の正しい評価方法も問われる。社会的慣行を市場に持ち込むと、その慣行を
定義する基準の崩壊や低下を招きかねない。そのため、市場以外の規準のうち、
どれを市場の侵入から守るべきかを問わねばならない。それには、善の価値
を判断する正しい方法について、対立する様々な考えを公に論じることが必要だ。
市場は生産活動を調整する有用な道具である。だが、社会制度を律する基準が
市場によって変えられるのを望まないのであれば、我々は、市場の道徳的限界を
公に論じる必要がある。


ーーーーー
地域の活動をしていると、人の多様性、意見の多様性を
感じざるを得ない。また、その多様性が、組織を活性化させる
場合もあり、低迷、消散させる場合もある。企業の活動の中では、
それを覆い隠し組織の方向性を高める必要性もあるが、頑張っている
企業の多くは、この多様性を容認し、如何に、個人と組織の方向性
を保つか?に工夫されている様である。
また、前回の衆議院選挙やチョット前の「アラブの春」に見られた
みんなの意見や集合知的対応が招いた結果としての是非のあり方もある。
IT活用を企業に進める立場の人間としても、「人とITの融合」に
この多様性や集合知を活かすことが重要と思っている。

政治家とは、かなりの高度な智慧と先見性を持つべきなのであろうが、
最近の知識も智慧もない政治屋と言われる人間が多く国の施策に
関われるのは、彼らを代弁者として選んだ国民が悪いのか、制度的な
問題なのか。

「みんなの意見は案外正しい」(ジェームズ・スロウィキー)
「多様な意見はなぜ正しいのか」(スコット・ペイジ)
「集合知とは何か」(西垣 通)
を読み返している。

インターネットの拡大に伴い、多くの人たちが、自分の感じ方や考え方を
公開している。それら無数の声を自動的に集めてきて、人々の集合的な意見
を吸い上げ、政策に生かしたり、ビジネスに役立てたりできるという話
が多くある。当然、インターネット上の「集合知」がすばらしい働きをする
ことはある。でも、うまくいくのは、条件が整備された課題に限られる。
たとえば、これからの政治をどのように運営していけばいいかをネット上
の集合知にまかせたとしても、混乱をまねくだけであろう。

また、意外とみんなの意見を集約すると正しい場合も多い。しかし、その場合は、
すべて「基本的に正しい答えが存在」「回答者が充分に傾向が分散している」
「それを推定することができる」といった場合である。
たとえば「日本の少子化を止めるには?」といった絶対的な答えがでない問い
を、集合知で解決することは出来ない。

①「みんなの意見は案外正しい」からのポイント
以下の記述が気に入っている。
「集合的にベストな意思決定は意見の相違や異議から生まれるのであって、決して合意
や妥協から生まれるのではない」
これは、多様性の重要性を説く「多様な意見はなぜ正しいのか」も同様のベースを
持つものではないか。
また、「解決すべき問題は、認知、調整、協調」の3つであり、集合知が機能する
ためには「多様性、独立性、分散性、集約性」という条件が満たされなければ
ならない」と言っている。
・認知  正しい答えが必ず見つかる問題  
・調整  他人の行動も加味する必要のある問題 
・協調  自己利益だけ追求すると全体の利益を損なう問題(地域活動ではよくある) 
そして、
・多様性  集団の中のそれぞれの人間が自分の私的な情報とそれに基づく意見を
      持っており、突飛なものも含め色々な意見がある状態 
・独立性  周囲の人の意見に影響されずに集団の中の人がそれぞれ意思決定
     できる状態 
・分散性  集団の中のそれぞれの人間がローカルで具体的な情報に基づき意思決定
     をする状態 
・集約性  多様な情報や意見を集め、うまく集約する仕組やプロセスがある状態 

これらの条件は、現在のソーシャルメディア拡大の要件ともなっている。

②「多様な意見はなぜ正しいのか」からのポイント
「多様性が一様性に勝る」「多様性が能力に勝る」を明確に説いている。
そのため、まず集合知を4つのツール要素に分解する。
・多様な観点  状況や問題を表現する方法
・多様な解釈  観点を分類したり分割したりする方法
・多様なヒューリスティック  問題に対する解を生み出す方法
・多様な予測モデル  原因と結果を推測する方法

群衆の叡智や多数決が万能という意味ではない。むしろ限定的である。
ここでは、集合知の働く条件を以下のように結論している。
・問題が難しいものでなければならない
・ソルバーたちが持つ観点やヒューリスティックが多様でなければならない
・ソルバーの集団は大きな集合の中から選び出さなければならない
・ソルバーの集団は小さすぎてはならない
以上の条件が満たされれば、ランダムに選ばれたソルバーの集団は個人で
最高のソルバーからなる集団より良い出来を示す。専門の科学者達が解けないで
いる問題を、多様なツールボックスを持つ非専門家集団が解いてしまうことが
ありえる。

地域での活動での組織作り、企業での組織の活性化、いずれにおいても
色々な気付きが出てくる。

③「集合知とは何か」からのポイント
発想として考えさせられるのが、「生命体を機械化していく」のでは
なく、「生命体を機械でサポートする」形こそが重要である。主観的な知で
構成されている「閉鎖システム」である人間と、開放されパターン化さ
れた入出力を持つコンピュータのような「開放システム」とでは、
その融合化は難しいとのこと。
システムはすっかりと根をおろしており、その有用性はすでに広く知れ
渡っている。問題は「システム」そのものにあるのではなく、システムを
つかって「システム的な世界を構築すること」にある。
提示される「集合知を支援するIT」とは、その最も本質的なところでは
個人同士、集団同士をむすび、コミュニケーションの密度をあげ、活性化
していくものになる、そしてその為の方法としては、人間の暗黙知や
感性的な深層な「人間の主観的な部分」をすくいあげ、明示化するため
にITを使う。
ウィキペディアとグーグルからアマゾンやイーベイでの集合的相互評価
システムもあり、リナックスを例に集団的創造の話題に触れ、Twitter や
YouTube とブログを組み合わせて新しいジャーナリズムのあり方がある。

企業内コミュニケーションに悩む企業やソーシャルメディアの活用に
逡巡する企業でも、その原点に立ち返り、単なる表面的な解決では
済まさず、今後の進め方を考えて欲しいものである。

マインドフルネスのコツ、坐禅儀の実践


最近、企業でも活用されているという「マインドフルネス」そのやり方は
道元の説く(もっとも、坐禅としては禅宗全体でも大きな違いはないと思うが)
「坐禅儀」とほぼ同じである。これが説かれたのが、寛永元年(1624)と
言われているから400年ほど前にもこの実践手法はあったということだ。
人間が大きく変わっていないのであるから、当然なのかもしれないが。
マインドフルネスと坐禅の実践手法をもう一度振り返り、どちらでもよいので
実践すると「坐禅をやった」など知魚大袈裟なものではなく、日ごろのちょっと
やる仕草程度で頑張ってもらいたいもの。

1.マインドフルネス

(1)背筋を伸ばして、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座り、目を閉じる
脚を組んでも、正座でも、椅子に座っても良いです。「背筋が伸びてその他の体の力は
抜けている」楽な姿勢を見つけて下さい。

(2)呼吸をあるがままに感じる
呼吸をコントロールしないで、身体がそうしたいようにさせます。
そして呼吸に伴ってお腹や胸がふくらんだり縮んだりする感覚に注意を向け、その感覚
の変化を気づきが追いかけていくようにします。
例えば、お腹や胸に感じる感覚が変化する様子を、心の中で、「ふくらみ、ふくらみ、
縮み、縮み」などと実況すると感じやすくなります。

(3)わいてくる雑念や感情にとらわれない
単純な作業なので、「仕事のメールしなくちゃ」「ゴミ捨て忘れちゃった」など雑念が
浮かんできます。そうしたら「雑念、雑念」と心の中でつぶやき、考えを切り上げ、「
戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。
「あいつには負けたくない」など考えてしまっている場合には、感情が動き始めていま
す。「怒り、怒り」などと心の中でつぶやき、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻
します。

(4)身体全体で呼吸するようにする
次に、注意のフォーカスを広げて、「今の瞬間」の現実を幅広く捉えるようにしていき
ます。
最初は、身体全体で呼吸をするように、吸った息が手足の先まで流れ込んでいくように
、吐く息が身体の隅々から流れ出ていくように感じながら、「ふくらみ、ふくらみ、縮
み、縮み」と実況を続けていきます。

(5)身体の外にまで注意のフォーカスを広げていく
さらに、自分の周りの空間の隅々に気を配り、そこで気づくことのできる現実の全てを
見守るようにしていきます。
自分を取り巻く部屋の空気の動き、温度、広さなどを感じ、さらに外側の空間にも(部
屋の外の音などに対しても)気を配っていきます。それと同時に「ふくらみ、ふくらみ
、縮み、縮み」と実況は続けますが、そちらに向ける注意は弱くなり、何か雑念が出て
きたことに気づいても、その辺りに漂わせておくようにして(「戻ります」とはせずに
)、消えていくのを見届けます。

(6)瞑想を終了する
まぶたの裏に注意を向け、そっと目を開けていきます。
伸びをしたり、身体をさすったりして、普段の自分に戻ります



姿勢は?: 呼吸が楽にできて、一定時間止まってくつろげる姿勢であれば何でもOK。
立ったままでも、座ったままでも。
時間と頻度は?: GoogleでマインドフルネスとEQのプログラムSIY(Search Inside Y
ourself)を創り出し、世界で注目されているチャディ・メン・タンは、「ひと呼吸で
も、数分であっても、あなたができる時間であればそれがベストな時間」と言っている
。はじめは、がんばりすぎず無理のない範囲で行い、気に入ったら時間を延ばせばよい
。頻度についても同じく、気が付いたらちょこちょこ気分転換のつもりで。
場所は?: 瞑想中に家族や同僚に見られて、怪しまれたらどうしよう――多くの人が
この不安を持っているようだ。人知れず自宅で静かに、というのが便利で理想的ではあ
るが、それも難しい場合、電車やバスでの移動中、カフェ、電車や信号の待ち時間、会
社の席でPCの画面や資料をうつむいて読むふりをしながら、など。参考にして自分の環
境で探してみよう。
やり方は?: 今すぐ、そのままの状態で立ち止まり、意図的に自分に注意を向けてみ
よう。目は閉じても、うつむいた状態でもよい。うつむいた状態は、人から見られても
怪しまれないというメリットあり(笑) 次の瞬間も、同じく自分に注意を向ける、そ
してまた次の瞬間も、という風に。これを少しの間続けるために、今自分の中で起こっ
ている呼吸を注意の対象としてみる。まずはこれだけで十分。(ビデオインストラクシ
ョンはこちら)
そう、今このブログを読むのを30秒だけやめて、上記をトライしてみよう。それだけ
で、あなたはすでにマインドフルネス瞑想経験者だ。

【より楽しんで継続するためのコツ】

心地よさや自由をのびのび味わう: マインドフルネス瞑想の最中は、どこにも行かな
くていい、何もしなくていい、誰かになる必要もない。ただ、あるがままでいられる何
より自由な時間だ。この時間だけでも、先の計画や心配事から自分を解放しよう。楽に
呼吸を続け、今の自分とともにある自由さ、くつろぎを体感できたらさらに続けたくな
る。はじめからストイックに修行だと思わないほうがいい。
1日を振り返って、瞑想の影響・価値を考える: 立ち止まって瞑想した(あるいはし
なかった)ことがどう影響したか、振り返ってみよう。「あれ、今日はなぜか苦手な上
司ともうまく話せた」「あれ、今日はなぜかイライラしがちだった」など。そして続け
る価値があると思えば、続けたり深めたりすればよいし、そうでなければ無理に続ける
必要はない。自発的に、自由に行うこと。
雑念がやってくることも歓迎して楽しむ: 呼吸から意識が逸れて「昨日の○○さん、
なんであんな態度だったんだろう?」「今日のランチなににしよう?」など思いが「今
・ここ」から外れることももちろんOKだ。雑念が浮かぶたびに「しまった!」「いけな
い!」とダメ出しをしていると、瞑想は苦しいものになって、続けるのもいやになるだ
ろう。それらの思いは何であれ、あなたの「今・ここ」に訪れてくれた訪問者として迎
え入れ、それからまた呼吸に意識を戻せばよい。このニュートラルな感覚は、日常生活
やビジネスでも冷静さや信頼感を創り出す、重要な基盤となってくれる。

2.坐禅儀より
坐禅の悪い所は、一般の人に何か大変なもの、苦痛が伴うものという怖れを引き起こす
ような
導きかたをしているからではないだろうか。

坐禅儀の所作との対比

正法眼蔵 第十一

坐禅儀 (ざぜんぎ)

 参禅は坐禅なり。

坐禅は静処よろし。坐蓐あつく敷くべし。風烟をいらしむることなかれ、雨露をもらし
むることなかれ、容身の地を護持すべし。かつて金剛の上に坐し、盤石の上に坐する蹤
跡あり、かれらみな草をあつく敷きて坐せしなり。坐処あたたかなるべし、昼夜暗から
ざれ。冬暖夏涼をその術とせり。

 所縁を放捨し、万事を休息すべし。

善也不思量なり、悪也不思量なり。
心意識にあらず、念想観に非ず。
作仏を図することなかれ、坐臥を脱落すべし。


飲食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらふが如く坐禅を好むべし。黄梅山の
五祖、異なる営みなし、唯務坐禅のみなり。坐禅のとき、袈裟をかくべし、蒲団を敷く
べし。蒲団は全跏に敷くには非ず、跏趺の半ばよりは後ろに敷くなり。然あれば、累足
の下は坐蓐にあたれり、脊骨の下は蒲団にてあるなり。これ仏々祖々の坐禅のとき坐す
る法なり。

 あるいは半跏趺坐し、あるいは結跏趺坐す。
結跏趺坐は、右の脚をひだりの股の上に置く。左の足を右の股の上に置く。左の足を右
の股の上に置く。脚の先、各々股と等しくすべし。参差なることえざれ。
半跏趺坐は、ただ左の足を右の股のうへに置くのみなり。

 衣衫を寛繋して斉整ならしむべし。右手を左足の上に置く。左手を右手の上に置く。
二つのおほ指、先あひささふ。両手斯くの如くして身に近づけ置くなり。二つのおほ指
のさし合わせたる先を、ほぞに対して置くべし。正身端坐すべし。左へそばだち、右へ
傾き、前にくぐまり、後ろへあふのくことなかれ。必ず耳と肩と対し、鼻と臍と対すべ
し。舌は、かみのあぎにかくべし。息は鼻より通ずべし。唇・歯あひつくべし。目は開
すべし、不張不微なるべし。

 斯くの如く身心を調へて、欠気一息あるべし。

兀々「ごつごつ」と坐定して思量箇不思量底なり。

不思量底如何思量。

これ非思量なり。

これすなはち坐禅の法術なり。

坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり。不染汚の修証なり。


寛元元年癸卯冬十一日、越州吉田県吉峰に在って精舎の衆に示す



參禪は坐禪なり。
坐禪は靜處よろし。坐蓐あつくしくべし。風烟をいらしむる事なかれ、雨露をもらしむ
ることなかれ、容身の地を護持すべし。かつて金剛のうへに坐し、盤石のうへに坐する
蹤跡あり、かれらみな草をあつくしきて坐せしなり。坐處あきらかなるべし、晝夜くら
からざれ。冬暖夏涼をその術とせり。

諸縁を放捨し、萬事を休息すべし。善也不思量なり、惡也不思量なり。心意識にあらず
、念想觀にあらず。作佛を圖する事なかれ、坐臥を脱落すべし。

飮食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらふがごとく坐禪をこのむべし。黄梅
山の五祖、ことなるいとなみなし、唯務坐禪のみなり。

坐禪のとき、袈裟をかくべし、蒲團をしくべし。蒲團は全跏にしくにはあらず、跏趺の
なかばよりはうしろにしくなり。しかあれば、累足のしたは坐蓐にあたれり、脊骨のし
たは蒲團にてあるなり。これ佛佛祖祖の坐禪のとき坐する法なり。

あるいは半跏趺坐し、あるいは結果趺坐す。結果趺坐は、みぎのあしをひだりのももの
上におく。ひだりの足をみぎのもものうへにおく。あしのさき、おのおのももとひとし
くすべし。參差なることをえざれ。半跏趺坐は、ただ左の足を右のもものうへにおくの
みなり。 衣衫を寛繋して齊整ならしむべし。右手を左足のうへにおく。左手を右手の
うへにおく。ふたつのおほゆび、さきあひささふ。兩手かくのごとくして身にちかづけ
ておくなり。ふたつのおほゆびのさしあはせたるさきを、ほそに對しておくべし。

折りたく柴の記 新井白石自伝

『折りたく柴の記』 新井白石 以下の古文の訳

わが父のわかくおはせしほどは戦国の時をさる事遠からず、世の人遊侠を事として、気
節を尚ぶならはし、
今の時には異なる事ども多く聞こえたりけり。
わが父にておはせし人も、東走西奔、その証跡さだまれることもなくして年を経給ひし
うちに、
三十一歳の時に、民部省輔源利直の家に出でて仕へられし初めに、徒の侍の夜討ちした
りと
聞こえし者三人ありて、召しとらへつつ、門のやぐらの上におしこめしを、わが父一人
に預けらる。
このよしを承りて、「かの輩をそれがしに預けられ候はむには、さだめて刀脇ざしをば
取られずこそ候はむずれ」と申さる。
申すところ聞こえ召されぬとて、かれらが刀脇ざしをば、わが父にて候ひし人に給うた
りけり。
それをもたせて、やぐらの上にのぼりて、三人の者に返し与へて、「わぬしら、にげて
ゆかむと思はば、わが首切りてゆけ。
われ一人、わぬしら三人に敵すべきにもあらず。さらばみずからの刀脇ざし、不用の物
なり」とて、三尺手拭にてつかね結びて投げ捨て、かれらと同じく起臥し、ものうち食
ひて、日十日ばかりが後に、かれらが夜討ちせしと聞こえしは、
あらぬ事なるよしさだまりしかど、かかる者召し使ふべきにあらずとて、戸部の家をば
出だされたり。
そのときに及びて、かれらわが父に言ひしは、「われらいかに言ひがひなき者どもと思
ひ給ひぬれば、ただ一人に召し預けられたりけむ。思ひ知らせ参らせむものをと思ひし
かど、わぬしが刀脇ざしをだに帯せずしてあるを殺したらむには、はたして言ひがひな
しと思ひ給はむ事のくやしければ、このままに死しなむは力なし。幸ひに命いきたらま
しかば、そのときにこそ恨みをば報いむずるやうありと思ひしに、わぬしがなさけによ
りて、刀脇ざし取りはなされずして、ふたたび武士の中にたちまじべき身ともなりぬ。
このなさけ忘るべからずと思へば、今は恨みも晴れし心地するなり」と言ひて、わかれ
しと語り給ひき。
その後いくほどなくして、ぬきんでて用いられ給ひしかば、つひに戸部の家にとどまり
仕へ給ひたりき。
戸部の家にして、後には司祭の事を命ぜられたりき。わが物の心をわきまへしよりこの
かたの事は覚えしに、日々の事
ただ同じさだめにして、つゆたがふ所おはせざりけり。
寅の時ばかりには、必ず起き出で給ひて、水をもて身を洗ひすすぎて、みづから髪とり
あげ給ひしかば、夜さむき頃は、母にて
おはせし人の、「湯を参らすべし」とのたまひしを、「召し使ふ物どもわづらはす事、
ゆめゆめしかるべからず」と制しとどめらる。

現代文

私の父親が若くていらっしゃったころには、戦国時代からそんなに時代が遠ざかって
おらず、世間の人は仁義を重んじ、強きをくじき、弱きを助けることを大事なことだと
考え、気概があって、節操の固いことをとうとぶ風潮があり、今の時代とはずいぶんち
がう話もいろいろ耳にしました。

私の父親でいらっしゃった人も、あっちの武家・こっちの武家と東奔西走、勤め先が
定まらないような状態で何年も過ごされていたが、三十一歳の時に、民部少輔源利直
さまのお屋敷に出仕なさった最初に、したっぱのサムライで夜、盗みに入ったと通報
された者が三人いて、屋敷の者たちがその三人を逮捕しようと追い詰めて、
門のやぐらの上に閉じ込めたその賊を、殿が私の父一人にその身柄をお預けになった。

父は殿が父に処分をまかせろとおっしゃったのをお聞きして、「例の賊どもを、
もし私にお預けになりますのなら、ぜったいに刀・脇差しを取り上げなさいませんよう
に」
と殿に申しあげなさった。父が申し上げたことを殿がお聞き入れあそばされたと
いうので、彼らの刀・脇差しを、私の父でいらっしゃった人に下さったとさ。父
はそれを部下に持たせて、やぐらの上に登って、三人の者に返し与えて、「お前達、も
し逃げて行こうと思うのなら、私の首を切って行け。私ひとりで、お前たち三人にかな
うはずもない。だから、自分の刀・脇差しは、不要のものだ。」と言って、三尺ほどの
てぬぐいで束ねて結んで投げ捨て、彼らといっしょに寝起きし、ものを食ったりして過
ごし、十日ほど過ごしてのちに、彼らが夜、盗みに入ったと報告したのは、事実無根の
誤報だったことがはっきりしたが、こんな連中をお屋敷で使うわけにはいかないという
ので、戸部(=土屋利直)の屋敷を追放されたとさ。

そのときになって、彼らが私の父に言ったのは、「我々がどんなに取るにたらない者
だとお考えになって、たった一人に逮捕をおまかせになったのだろう。思い知らせて
差し上げようと考えたが、お前が刀・脇差しさえも身につけずに丸腰でいるのを、
もし殺したりしたら、やっぱり取るに足りないやつらだったと殿がお考えになるのが
悔しいから、このままで死んでしまうのはつまらない。幸運にも命を生きながらえて
いたら、そのときにこそ恨みを晴らす方法もあるだろうと考えていたところ、
お前の慈悲によって、刀脇差しを取り上げられずに、再び武士社会の中で生きていける
身の上になった。この慈悲は忘れられないと思うから、お前のおかげで今となっては
殿への恨みも晴れた気がするのだ」と言って、別れた、と父が私にお話になった。

そののち、いくらも経たないうちに、父は正式に殿から抜擢されて雇用されなさった
ので、とうとう戸部の屋敷にとどまりお仕えになった。土屋様のお屋敷で、父は、
のちには儀式の管理・監督をするお役目を命じられた。私がものごころついて
以後の出来事は記憶しているが、父は毎日の日課を、ただ同じ規則にしたがって
こなし、ちっともずれるようなことがおありではありませんでした。
朝四時ごろには、必ず部屋から起き出してこられ、水で体を洗いきよめ、自分で
髪を持ち上げ束ねなさったので、夜が寒い時季には私の母でいらっしゃったかたが、
「お湯を差し上げましょう」とおっしゃったのを、「つまらぬことで使用人たちの
手をわずらわすようなことは、決してしてはいけない」と、母が使用人に湯を
沸かさせようとするのを制止なさった。

モモ、時間泥棒との闘い

ある人の書評から、ミヒャエル・エンデの「モモ」という童話を読んだ。
だが、これは童話ではない、人生への道標のようなものと思った。
もっとも、現役引退の身にとっては、悔悟の方が似合うようだが。

1.モモについて
この本は、時間貯蓄銀行という時間泥棒とモモの戦いの話だった。
ある日、平和な街に灰色の男たちがやってきて、「みなさん、時間は
どこから手に入れますか」と聞き、「それは倹約するしかないでしょう」と
説得しまわっていく。計算と数字も見せる。すべてを損得勘定で説明で
きる連中である。時間銀行の銀行員は「時間をあずけてくれたら五年で同額を
利子として払う」と言い、時間の節約の仕方を説明する。
やがて人々は、仕事はさっさとすます。老いた母親は養老院に入れて、自分の時間
を大事にする。役立たずのセキセイインコの世話の時間ももったいないから、
捨てる。とくに歌を唄ったり、友達と遊ぶのを避ける。
このようにして時間を節約したぶん、幸福が確実にたまっていく。そう、思っていく。
住人たちは次々に時間が倍になって戻ってくることに狂喜する。新しいが画一的な
街がどんどん建っていく。きれいな服装をし、美味しいものを食べらられる日々、
それを人々は幸福と思う。だが、やがてそれは不幸であることを知るようになる。
エンデは、「時は金なり」の裏側にある意図、それは「時間の意識化」、を
ファンタジックにしてみせた。
いずれにしろ、一度は読んでみてもらいたい。何か生き方のヒントが湧いてくる、
そんな本だ。

2.自分への反省
まさに30代から50代初めの自分がそうだった。時間を節約することで、幸せを
掴めると思っていた。だが、その後60代はこの物語に似た思いが続いている。
余裕のない生活と無意味な人生だったのか、へと変わっていた、そんな思いは強い。

時間の国に住むマイスター・ホラがモモに語った言葉は中々に考えさせられる。

「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全
ながらもまねてかたどったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くため
には耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないも
おなじだ。ちょうど虹の七色が目の見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の
聞こえない人にはないも同じようにね。でもかなしいことに、心臓はちゃんと生きて
鼓動しているのに、なにも感じ取れない心を持った人がいるのだ」

これを読んだとき、心に大きな重しが出来た。悔悟というそれだった。
私も、滋賀に来た当初は、家からこの道路を一時間ほどかけてかけて
道の駅から近くの温泉へと、直行便の如く走り抜けていた。狭い道路沿いの川の
流れに、比良山系ってその深さは凄いね、と感じ、迫り来る杉の黒さとその圧倒的な
緑の群れの中の自身の小ささを感じさせた情景を思い出す。
だが、足で歩いていたら全く違う情景もあったはずだ。
昔、鯖街道と呼ばれて敦賀から京都へと鯖を運んだというこの山並みに沿った道は通る
人々に同じ情景を与えたのかもしれない。しばし、きれいに整備された道路の横に車を
止める。杉木立の下まで上ると杉と杉のあいだには、端正な黒い沈黙がきっちりとはま
っていた。生き物の気配はどこにもない。斜面を歩いて、そこからわずかに明るくなる
雑木の疎林に入った。すると突然、足元から数羽の鳥が飛び立った。そしてまた静寂が
あたりをおおう。さらに先には暗く重い影と軽やかな明るさを持つ影が四方を照らして
いた。樫の木や柊の木などの広葉樹の明るい林と常緑樹からなる厚い葉におおわれた森
が併存している世界だった。歩くことで見えた情景であった。

何処へ、誰とでも行っても、点と点の行動の中で、ただひたすら走るのみの時代、
社会の大きな流れの中で我を知らず、富と生活の豊かさを享受することが唯一の目標
であった時代。誰もが、それを人生と思っていた時代、懐かしさと儚さが、頭の中で、
去来する。しかし、その歩みを停める訳には、行かなかった。それは、己が人生を逝く
ときでもあるのだから。右の足を前に出し、左の足を前に出す。その単調さが、
全てであった。

3.さらに、深く考えると、
ミヒャエル・エンデがすごいのはもう一段上のレベルの概念、「時間とは意識
である」ということを子供に語りかけるような言葉で説明していることだろう。
例えば、食事時間を節約するためにファーストフードで10分で食事を終える
ことは、一見すると時間を節約しているように思えるが、
その10分が心や意識に残らない10分ならば存在しないのと同じ。
そういう時間のすごし方で30年を重ねたとしたら、物理時間は節約できた
かもしれないが、意識のレベルでは何も残っていない。
しかし、食事に30分かけたとしても、記憶に残る食事を経験できたのであれば、
それは意識を大事にできたということであり、つまりは時間を大事にしたという
ことだ。

ついでにえば、道元の教えに以下のようなものがある。
「時は即ち存在であり、存在はみな時である。
今という時の一日について考えよ。阿修羅像はそのまま現在の時である。
阿修羅の姿はそのまま時であるから今という眼前の一日と全く同じである。
一日24時間が長いか短いか広いか狭いか、きっぱり量りもせずに、人は
これを一日と言っている。日常の一日が朝に来て、夜になれば去るはっきりした
ものであるから人はこれに疑いを持たず、しかし疑いを持たないからと言って
知っているわけではない。
このように、人は見当がつかない諸所の物事にいちいち疑いを持つとは限らない
から、また疑いというものは対象を定まった像に結ぶことがないことによって
「疑い」であるから、本来はっきりとわからない状態の「疑う前」と疑いを
持った今の「疑い」とは必ずしも一致することがない。知っているようで
実は知らないということも、定まらないままの形相としてやはり時である
ほかはない」と。
たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、
「寝たときの今」と「起きたときの今」を「配列」してできた認識である。
換言すれば「昨日寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした
「物語」を産むことで時間を認識し、また自己存在を認識することになる。
エンデの示したおとぎ話の時間見える世界、難しい言葉を並べて同じ時間と
存在の意識化を進めた道元、どちらも悔悟の想いと残る人生への新しい見方
への期待がある。

しかし時代は容赦なく進んでいるようだ。
工業化の時代に企業は、効率と生産性を上げることで自分たちの時間を最大限活用
していた。それは「モモ」の時代に近い。だが、今日ではそれでは不十分に
なりつつある。
今や組織や体制が顧客や市民の時間を節約しないといけない。
つまりリアルタイムでやり取りできるように最大限努力しなくてはならない時代
に踏み込んでいる。
スマホで物を購入でき、個人の行動や嗜好をその人がプロセスした行動から判断し、
個人が意識する以前に提供しうる環境となっている。
「モモ」の中では、人の意識変化が社会を変えていったが、リアルタイムという
人間の時間のもつ資源を社会が主導し、人を変え始めている。
「モモ」の時代よりより一層の変化が始めっている。
しかもそれは、良い方向とは思えない。時間貯蓄銀行に無意識にため込まれていく
時間を多くの人がその使い方がわからず、目標さえ存在しない。
そんな社会になっていく、この危惧が当たらなければ、幸いだ。

ーーーーーーーー

ミヒャエル・エンデ「モモ」という童話から見るかっての自分。
モモというみなしごの少女が大きな街の古びた廃墟のような円形劇場に
住みついている。
そのモモのところに「灰色の男」たちがあらわれる。「時間貯蓄銀行」からやってき
た灰色の男たちは、人々から時間を奪っていくのが専門の職業になっている。時間を節
約して、時間貯蓄銀行にその時間をせっせと預ければ、利子が利子を生んで人生の何十
倍もの時間をもつことができるというふれこみだ。モモはこれは時間泥棒だと思う。
 けれどもその街の人々は時間泥棒たちの言葉巧みな説得に誘導されて、しだいに余裕
のない生活に追い立てられていく。気がつくと時間とともに人生の意味も失っている。
モモは盗まれた時間を人々に取り戻すため、カメやカシオペイアとともに灰色の男たち
との戦いに挑んでいく。そういうお話である。
モモにも親友が二人いる。道路掃除夫のベッボ爺さんは自分で建てた煉瓦とブ
リキの小屋にいる。どんな話にもにこにこ笑えるが、自分ではほとんど喋らない。観光
ガイドの若者ジジは何でもよく喋る。けれどもほとんどが空想で、この街の神話を勝手
に作っている。つまりはこのモモを含めた3人は、何も所有していない無所有者たちな
のである。当然、無産者でもあった。
そこへ時間貯蓄銀行の灰色の男たちがやってきて、「みなさん、時間はどこから手に
入れますか」と聞き、「それは倹約するしかないでしょう」と説得しまわっていく。た
くさんの計算と数字も見せる。すべてを損得勘定で説明できる連中である。時間銀行の
銀行員は「時間をあずけてくれたら5年で同額を利子として払う」と言い、時間の節約
の仕方を説明する。
仕事はさっさとすます。老いた母親は養老院に入れて、自分の時間を大事にする。役
立たずのセキセイインコの世話の時間ももったいないから、捨てる。とくに歌を唄った
り、友達と遊ぶのを避ける。このようにして時間を節約したぶん、幸福が確実にたまっ
ていく。そう、言うのだ。住人たちは次々に時間が倍になって戻ってくることに狂喜す
る。だが、これは、単に失った時間を取り戻したという話ではない。「時間」を
「幸福」と見立てたのでもない。エンデはあきらかに時間を「貨幣」と同義とみなした
のである。
「時は金なり」の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせたのだ。
まさに30代40代の自分がそうだった。時間を節約することで、幸せを掴めると
思っていた。だが、その30年後はこの物語の通りとなった。
余裕のない生活と無意味な人生へと変わっていた、そんな思いは強い。

「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全なが
らもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳がある
のとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその
心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
気にかかるフレーズだ。
この言葉をさらに突き詰めていくと、「時間系列が曖昧になった人間にとって
自己の存在はありうるのだろうか」という疑問も出てくる。
たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、「寝た
ときの今」と「起きたときの今」を「配列」してできた認識である。
換言すれば「昨日寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした
「物語」を産むことで時間を感じ、また自己存在を認識することになる。
これは正法眼蔵の有事の巻にも通ずるのでは、と思う。

「時は即ち存在であり、存在はみな時である。
今という時の一日について考えよ。三頭八ひの阿修羅像はそのまま現在の時である。
阿修羅の姿はそのまま時であるから今という眼前の一日と全く同じである。一日
二十四時間が長いか短いか広いか狭いか、きっぱり量りもせずに、人はこれを一日
と言っている。日常の一日が朝に来て、夜になれば去るはっきりしたものであるから
人はこれに疑いを持たず、しかし疑いを持たないからと言って知っている
わけではない。
このように、人は見当がつかない諸所の物事にいちいち疑いを持つとは限らないから、
また疑いというものは対象を定まった像に結ぶことがないことによって「疑い」
であるから、本来はっきりとわからない状態の「疑う前」と疑いを持った今の
「疑い」とは必ずしも一致することがない。知っているようで実は知らない
ということも、定まらないままの形相としてやはり時であるほかはない。

 客観的存在も客観的時間も存在せず、世界は吾有時(わがうじ)そのものであると禅
師は云う。「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有
時なり」
 私は「有時」を理解するために、「物語」という言葉を使ってみた。
 たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、「寝た
ときの今」と「起きたときの今」を「排列」してできた認識である。換言すれば「昨日
寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした「物語」を産むことで
時間をあらしめ、また自己存在を認識することになる。
 むろん「排列」する際には省略も含む。たとえば「最近私はとても調子がわるい」と
いう時間と自己を提出しようと思えば、たまたま調子がよかったことは全部省き、美味
しかった夕食もはずし、面白かった映画や彼女との会話も削ぎ落としてようやく成立す
る「物語」なのだと知るべきだろう。つまりあらゆる時間もそこでの自己存在も、厳密
な意味ではフィクションなのである。
 過去・現在・未来と、時が一つの方向に流れていくなどと思うのは、仏道を専一に学
んでいないからだと禅師は云う。三つの時制は実は「つらなりながら時時」と並んでお
り、それを我々は「経歴(きょうりゃく)」している。この「経歴」こそ、「排列」か
らさらに複雑化した「物語」と云えるだろう。一つの「物語」を語るために、我々は無
数の「有時」を如何様にもアレンジし、改変すると云うのだ」。

貧しいが、のほほんとした温かい生活を送っている村人たちのところに、効率こそ大事
だとささやきながら、無駄なことをどんどんやめさせようとする灰色の男たち、時間ド
ロボウがやってくる。
おっとりしたモモが、そんな時間ドロボウから奪われた時間を取り返して村人の生活を
元通りにするために立ち上がるといったストーリー。
70年代に書かれた本であるが、時間に追われる現代人と資本主義の行く末を暗示するか
のような世界観が描かれている。本当に大切なもの、幸せってなんなのか、そもそも無
駄なことってなんなのか、
立ち止まってじっくりとそういうことを考えるべきときに感じるものがある本。

しかし、ミヒャエル・エンデがすごいのはもう一段上のレベルの概念、『時間とは意識
である』ということを子供に語りかけるような言葉で説明しているところだと思う。

時間の国に住むマイスター・ホラがモモに語った言葉では、こうなっている。

「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないからだよ。・・
・・・時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全
ながらもまねてかたどったものなのだ。・・・・人間には時間を感じとるために心とい
うものがある。そして、もしその心が時間を感じ取らないようなときには、その時間は
ないもおなじだ。」

1・・2・・3・・という秒の単位は、あくまで物理的な計算を成り立たせるための原理
原則として作られているもの。それを空間的に表現したものが時計である。
しかし、過去に起こったことを過去の記憶として整理し、今をとらえ、未来を想像する
ことができるのは人間の意識がそのようになっているから。

逆に言えば、妄想の世界に生きている人、精神的に狂ってしまって、過去や現実、妄想
の区別がつかない人には時間という概念が存在しないと言ってもいい。
実際、自分が体験として起こったことと、想像で考えたことって、意識の中では同じよ
うに存在しているはずだし、10年前の経験であっても鮮明なものは鮮明な記憶として存
在しつづけ、1週間前の経験でも意識から消えているものは存在しないに等しいし、感
じ方によっては10年前の経験よりも古い出来事に感じるかもしれない。

「時間とは意識だ」
という前提で『モモ』をもう一度振り返ってみると、

・効率的な時間のすごし方 = 効率的な意識の持ち方
・無駄な時間のすごし方 = 無駄な意識の持ち方
・タイムマネジメント = 意識・心マネジメント

というように言い換えることもできるのではないだろうか?

つまり、
食事時間を節約するためにファーストフードで10分で食事を終えることは、
一見すると時間を節約しているように思えるのだが、
その10分が心・意識に残らない10分ならば存在しないのと同じ。
(体にエネルギーが注がれている点では意味があるが、意識のレベルでは無意味。)
そういう時間のすごし方で30歳年を重ねたとしたら、
物理時間は節約できたかもしれないが、
意識のレベルでは何も残っていない。

しかし、食事に30分かけたとしても、記憶に残る食事を経験できたのであれば、それは
意識を大事にできたということであり、つまりは時間を大事にしたということである。

意識があるからこそ、動物ではなく人間だといえるのではないか。だとすれば、心や意
識を大事にして生きるって、もっとも人間らしく生きることの本質なのではないか、と
思うのである。
経済活動、生命活動を行う上で忘れてはならないものだと思う。


【第一部 モモとその友だち】
とある大きな都会の、今は廃墟に
なっている円形劇場にどこからともなく
モモという少女がやって来て住み着く。

背が低くやせていて、8歳くらいとも、
12歳ほどとも見え、生まれてこのかた
一度もくしを通したり切ったりして
いなさそうな、くしゃくしゃにもつれた
まっ黒な巻き毛と、やはりまっ黒な
大きな美しい目をもっている。


だれかが一生懸命モモに話すと、
モモはなにも言わないのに、話す人は
すっかり気分がよくなって、
物事は自然と解決してしまう。

ずっとケンカしていた2人も
いつの間にか仲直りしている。

モモのこの不思議な能力に気づいた
人々はもめごとや悩みがあれば
「モモのところに行ってごらん!」
というようになっていた。

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モモがすべてを分け合う親友は2人。

1人目は、道路掃除の仕事を誇りに
思いそれに打ち込む老人、ベッポ。

ベッポはモモにこんな話をする。

ときどき「世界がすきとおって見えて」
その底に「ほかの時代が沈んでいる」
ことがあるんだが、きょう、昔からある
外壁の掃除をしていたら「おまえと
わし」が働いているのが見えた……。


もうひとりは観光ガイドの青年ジジ。

口からでまかせの作り話をまきちらして
お金をもらっているので、心配する人も
いるが、本人は、詩人や学者と同じだ、
だって昔の「ほんとうのことは、
だれも知らないんだもの」と平気。

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【第二部 灰色の男たち】
ある日、町に灰色の男たちが現われ、
すべてが変わりはじめる。

「時間貯蓄銀行」からやって来た彼らは
「時間を貯蓄すれば命が倍になる」と
偽って人々から時間を奪う。

人々は時間を節約しようと、
人生を楽しむことを忘れて、せかせかと
生活するようになるが、その節約した
時間は盗まれているのだ。

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親たちは仕事ばかりして、高級な
おもちゃは買ってくれても、いっしょに
遊んでくれなくなり、円形劇場に
集まるのは子どもたちだけ。

モモとその仲間たちは、灰色の男たちの
危険性を大人たちに訴えようと、集会を
開こうとするが、失敗に終わり、
かえって彼らに目をつけられる。


モモを捕らえようとした「時間泥棒
BLW553号」は、「時間泥棒も愛されて
いる」というモモの言葉に自失し、
時間泥棒の秘密を話してしまう。

彼が裏切り者として裁かれる裁判を
ペッポはたまたま目撃するが、そこで
死刑を宣告されたBLW553号は、
ただちに透明にされてしまう。

同じころ、モモの前に大きな  240705 

カメが現れ、甲羅に「ツイテオイデ!」
というほんのり光る文字が浮かんで
いたので、ついていく。


一方、灰色の男たちの会議では、
ベッポ、ジジや子どもたちをモモから
引き離す計画が立てられる。

完全に一人きりになってしまえば、
時間をもてあまし、呪いさえするから、
そうなったときに、われわれが条件を
もちだすのだ、と。


モモがカメに連れてこられたのは、
時計だらけで、そのすべてが
「べつべつの時間をさしている」
ふしぎな「時間の国」の、
〈さかさま小路(こうじ)〉を入った
〈どこでもない家〉。

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カメのカシオペイアをつかわした
この家の主人、マイスター・ホラは
ここは「あらゆる人間の時間の
みなもと」で一人一人に「定められた
時間をくばる」ことが自分の
仕事だという。

時間とは何か、また時間泥棒たちの
秘密について話を聞くうち、モモは
時間とは「人間がとりたてて聞きも
しない音楽」のようなものと気づく。



【第三部〈時間の花〉】
〈どこでもない家〉でモモが1日をすごす
間に、通常の世界では1年がすぎており、
灰色の男たちの支配は進んで、大人は
「時間貯蓄家」になり、子どもはみな
〈子どもの家〉で監視されて
夢見ることを忘れてゆく。

今や有名な物語作家になったジジから
届いていた手紙を読んだモモは
カシオペイアとともに通常の世界へ
もどり、灰色の男たちと闘う。

灰色の男たちはモモらを追って    137678 
〈どこでもない家〉まで来るが、
「ぬすんだ時間だけでできている」
彼らは、ここでは「時間の逆流」の
せいで消えてしまうため、
手が出せない。


彼らを撲滅するための
マイスター・ホラの戦略。
いったん自分が眠って
時間を止める。
それに気づくと彼らは
「時間貯蔵庫」へ行ってたくわえた
時間を取り出そうとするから、
モモが尾行してこれを阻止。
彼らがすべて消えたら
「ぬすまれた時間をぜんぶ
解放してやる」

モモらの活躍によって戦略は成功し、
時間がよみがえって、人々には
生気と心の余裕が戻る。


モモが住む廃墟のような円形劇場。
そこへやってくる時間銀行御用達の灰色の男たち。
このお話は凄腕の時間泥棒の暴挙を
可愛いいけれども果敢なモモが
すっかり退治しました、というお話ではない。
ニンゲン本来の時間を
ついに取り戻しましたというお話でもない。
お金を銀行に預けておくと、
利子が利子を生むということを告発した物語だった。
いやエンデは、その多くの作品で
貨幣経済社会を問題にしてきたのである。
これから数夜にわたって、
エンデの物語とその遺言を少しく案内したい。



 読書には「ドッキ」というものがある。ドッキは「読機」だ。その本をいつ読んだの
かということ、いつ通過したのかということ、そこにその本とわれわれのあいだにひそ
むドッキがある。

 ドッキは容易には掴めない。だからドッキなのである。念のために言っておくが、果
物に旬があるようにその本に旬があるのではない。そんなものはない。どんな本もその
気になればいつだって旬になる。これはシュンドクというもので、「旬読」という。旬
読は版元がそれをこよなく願っていて、その本が時代の中に提示されたときに買って読
むことが大いに期待されているのだが、けれども本そのものには、実は旬はない。アリ
ストテレス(291夜)も太宰治(507夜)もつねに旬なのだ。だから本というもの
はいつだって旬読を待っている。
 ところが旬読はなかなかおこらない。それを読み食べるこちら側の時機に問題がある
からだ。その本をいつどんな心境やどんな状況で読んだかが、その本についての印象や
感想にひどく関係してしまうのに、それがずれるため旬読がおこらない。これはドッキ
のせいなのである。
 ドッキはそもそもが潜在的なものなので、これを制御したり有利にすることはできな
い。太宰の『女生徒』や『葉桜と魔笛』をぼくが読んだのは高校時代だったけれど、こ
のときはドッキがよかった。だからやたらに感動した。だからといって、こういうこと
を自慢してもしょうがない。セレンディップな恩恵として有り難く感じるしかない。ド
ッキとはそういうものなのだ。

 日本で『モモ』が岩波から刊行されたのは1976年で、ぼくは「遊」の第2期をぶ
んぶん編集していた頃だった。寝るなんてことが惜しくて、ともかくいろんなディープ
で過激なことに挑んでいた。
 そんななか、それでも話題になっていた本にはなんとか目を通すという作業だけは欠
かしていなかったので、噂の『モモ』も一読した。時間泥棒というアイディアにはなる
ほど感心したが、全体に寓意が勝ちすぎていておもしろくなかった。ビビガールという
“完全無欠な人形”がちらちらと印象に残ったにすぎない。
 このころはSFを片っ端から読んでいた。劇画を読んだのもこの時期だったが、これ
は勢いで読んだにすぎなかった。なかでJ・G・バラード(80夜)やレイ・ブラッド
ベリ(110夜)にはついに会いたくなってロンドンやロスアンジェルスにまで行った
。きっとチャンスがあればアーサー・クラーク(428夜)やフィリップ・K・ディッ
ク(883夜)やトマス・ピンチョン(456夜)とも会っていただろう。
 そういう時機に『モモ』を読んだのだから、いけない。きっと劇画のように読んでし
まったのだろう。実はトールキンの『指輪物語』やC・G・ルイスの『ナルニア国もの
がたり』もこのあとしばらくして読んだのだが、残念ながらつまらなかった。いずれも
ドッキが悪かったのだ。『指輪物語』は別役実に薦められたので読んだのだけれど、や
はりその一定した寓話力や寓意力に、どうしても感心できなかった。

 というわけでぼくはエンデを旬読すらできなかったのである。それからずいぶん時間
がたった。『モモ』を再読したのはごく最近のことで、10カ月ほど前なのである。
 きっかけは河邑厚徳らがまとめた『エンデの遺言』(NHK出版)を読んだせいだっ
た。その『エンデの遺言』を読んだのは反グローバリゼーションの見解を片っ端から読
んで、その傍らでハイエク(1337夜)の貨幣論、たとえば『貨幣発行自由化論』(
東洋経済新報社)を知り、さらにケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(岩
波文庫)にとりあげられているシルビオ・ゲゼルの「スタンプ付き貨幣」のアイディア
に、エンデがひとかたならない関心をもっていたことを知ったからだった。
 そこからはジグザグとした読書が数カ月ほど続いて、一方では経済学の本を啄(つい
ば)みながら、エンデの『遺産相続ゲーム』や『鏡のなかの鏡』を遊ぶというようなこ
との“折り紙読み”が、あれこれ前後したと思われたい。こういうことはぼくにはよく
あることで、新たな集中ドッキをつくりながら世界読書の渦中に自分でどんどこ入って
いくという読み方になる。
 ともかくはこうして、ひとつにはゲゼルの自由貨幣論が、もうひとつにはエンデの「
お金」に対する思想の片鱗が手元に残ったのだ。ゲゼルのほうのことについては、この
あとの千夜千冊にまわすとして、今夜は初読のドッキをまちがえたぼくが、あらためて
エンデに“再会”できた感想を、以下、ごくかんたんに披露しておきたい。

 まず、『モモ』である。
 物語はよく知られているだろうから紹介しないが、モモという少女が大きな街の古び
た廃墟のような円形劇場に住み着く。モモには人の話にじっと耳を傾けるだけで、人々
に自信を取り戻させるような不思議な力がそなわっているらしい。

 そのモモのところに「灰色の男」たちがあらわれる。「時間貯蓄銀行」からやってき
た灰色の男たちは、人々から時間を奪っていくのが専門の職業になっている。時間を節
約して、時間貯蓄銀行にその時間をせっせと預ければ、利子が利子を生んで人生の何十
倍もの時間をもつことができるというふれこみだ。モモはこれは時間泥棒だと思う。
 けれどもその街の人々は時間泥棒たちの言葉巧みな説得に誘導されて、しだいに余裕
のない生活に追い立てられていく。気がつくと時間とともに人生の意味も失っている。
モモは盗まれた時間を人々に取り戻すため、カメやカシオペイアとともに灰色の男たち
との戦いに挑んでいく‥‥。ざっといえば、そういうお話である。

 モモは孤児に設定されている。身寄りのない「みなしご」だ。「棄人」や「みなしご
」や「孤児」は内村鑑三(250夜)や野口雨情(700夜)が最も重視した社会存在
のモデルだった。「歌を忘れたカナリア」を連れてモモのところにやってきた少年も出
てくる。
 そんなモモにも親友が二人いる。道路掃除夫のベッボ爺さんは自分で建てた煉瓦とブ
リキの小屋にいる。どんな話にもにこにこ笑えるが、自分ではほとんど喋らない。観光
ガイドの若者ジジは何でもよく喋る。けれどもほとんどが空想で、この街の神話を勝手
に作っている。つまりはこのモモを含めた3人は、何も所有していない無所有者たちな
のである。当然、無産者でもあった。
 そこへ時間貯蓄銀行の灰色の男たちがやってきて、「みなさん、時間はどこから手に
入れますか」と聞き、「それは倹約するしかないでしょう」と説得しまわっていく。た
くさんの計算と数字も見せる。すべてを損得勘定で説明できる連中である。時間銀行の
銀行員は「時間をあずけてくれたら5年で同額を利子として払う」と言い、時間の節約
の仕方を説明する。
 仕事はさっさとすます。老いた母親は養老院に入れて、自分の時間を大事にする。役
立たずのセキセイインコの世話の時間ももったいないから、捨てる。とくに歌を唄った
り、友達と遊ぶのを避ける。このようにして時間を節約したぶん、幸福が確実にたまっ
ていく。そう、言うのだ。住人たちは次々に時間が倍になって戻ってくることに狂喜す
る。
 いったいこのお話は何を書いたのか。
 失った時間を取り戻したという話ではない。「時間」を「幸福」と見立てたのでもな
かった。エンデはあきらかに時間を「貨幣」と同義とみなしたのである。「時は金なり
」の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせたのだ。ドッキを失うと、こういう
ことすら読めてこなかったのである。

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 さて、あらためてエンデの作品群をつらつら読んでわかったのは、エンデは同じこと
を『鏡のなかの鏡』でも、また初期の戯曲の『遺産相続ゲーム』でもメタフォリカルに
書いていたことだった。同じことというのは「お金」をめぐるということだ。
 『鏡のなかの鏡』(丘沢静也訳)はカフカ=アインシュタインふうの一種の迷宮小説
で、モモに代わってホルという少年が主人公になるのだが、『モモ』よりもずっと挑戦
的である。文字だけでできている紳士、デュシャンのガラス絵のような花嫁と花婿、売
春宮殿、部屋になっている砂漠、貧しい女王、輪郭を溶かせる男、伝達力を問うブリキ
缶、格子のある螺旋階段、市街電車に合図をする白髭‥‥。
 なんともいろいろなものが出てくるが、エンデはこれらを巧みに組み合わせて話を進
める。とくに「列車の来ない駅カテドラル」の全面が紙幣でできていることを証かすと
、この街のどこかで「奇蹟の金銭増殖」がおこっていることを仄めかす。
 どうやらカテドラルの祭壇がお金を増殖させているらしい。案の定、祭壇についてい
る説教師は大声で「真なるものも商品である!」「お金は万能である!」などと叫んで
いる。その意味するところは、「われわれは永遠にわれわれ自身の債権者(グロイビガ
ー)であって、かつまたわれわれ自身の債務者(シュルドナー)である」ということだ
った。
 なるほど、われわれは何かの債権者であって債務者なのである。何を担保に債権し、
債務を感じているのかといえば、生命と社会がもたらすイレギュラーなものいっさいに
、債権し、債務を感じているのだ。セイゴオ流にわかりやすくいえば、われわれは生と
死という両端の無明(むみょう)に挟まれて危険な日々を生きる不断のリスク・テイカ
ーなのである。いや、そのはずだったのだ。
 ところが「お金」が発達するにつれ、われわれのリスクはすべからく値段に換算され
ることになった。いまや出産も葬式も、結婚も病気も、洗濯も食事も、教育も音楽も、
おいしい水も山の空気さえ、マネーゲームに関与しないものはない。リスクはすっかり
貨幣に乗っ取られてしまったのだ。

 エンデが『鏡のなかの鏡』で現代の貨幣経済の陥穽を突いていると最初に指摘したの
は、おそらくは『金と魔術』で『ファウスト』の錬金術の近代的意味を解剖してみせた
ビンスヴァンガー(1374夜)だった。
 ビンスヴァンガーはエンデの遺作となった『ハーメルンの死の舞踏』でも、その問題
がとりあげられていると見た。金貨の報酬を得られなかったハーメルンの笛吹き男に子
どもたちが誘い出されたことを、エンデは資本主義社会からの次世代の救済というふう
に読み替えたというのだ。
 ぼくはエンデが救済の物語を書いたとは判定しないけれど、多くの作品に貨幣経済の
影を描こうとしていることは明白だった。
 こうしてやっと『遺産相続ゲーム』を、3ヶ月ほど前に読むことになった。エンデが
36歳のときの戯曲処女作である。『モモ』が発表されたのは43歳のときだから、そ
の10年前の作品だ。フランクフルトで上演されながらさんざんな酷評に見舞われたこ
とで有名になった。
 岩波のエンデ全集(9巻)の解説では、平田オリザがなぜに『遺産相続ゲーム』が失
敗作なのかをしつこく書いていたが、それは上演上の問題にすぎない。むしろ興味深い
のは、エンデはこの戯曲ですでに貨幣経済社会の矛盾を暴こうとしていたということに
ある。

 そもそも、いったい何がその人間の財産目録かということは、時代によっても社会に
よっても異なるはずである。15世紀のロンドンの貴族にとっての財産目録とドゴン族
の財産目録は一致しっこない。かつては田畑を保有すればそれが石高になったわけだが
、いまでは日本の農民の財は土地ではなく農協の作物買い上げ額によって決まる。
 もっとはっきりいえば、財産目録なんていっときの国家の管理物にすぎないともいえ
るわけで、そのリストと価格には何の普遍性もない。それが今日の社会では、税務署や
金融機関が認定する価値判断によって財産が規定されていくばかりなのである。たとえ
ばぼくの財産なんて金高にすればおよそ知れているが、しかし「誰によってもとうてい
算定できないもの」とも言えるはずなのだ。
 エンデはこの財産目録が明示できるということに疑問をもった。そのため作品の中で
は、財産をとりまく人物たちを異様にも、多様にも仕立てた。
 この戯曲の第3幕には、保険会社の社長エーゴン・ゲーリュオンが財産目録を作成し
ている場面が出てくる。思考磁石、星時計、ミツバチの天の梯子、精霊の卵の殻といっ
たわけのわからない財産ばかりが並んで、ゲーリュオンは多幸感に酔いしれ、そのくせ
それがどのような値打ちになるのか、焦燥感を禁じえない。ゲーリュオンという名はダ
ンテの『神曲』(913夜)の冒頭近くに出てくる地獄の番人、ジェリオーネのことで
ある。ダンテは「堅気の顔をした竜」と書いたが、エンデはこの人物をブレヒト流の「
搾取する者」になりすぎないように設定した。
 もっといろいろな人物が出てくる。公証人のレーオ・アルミニウスは義務を忠実には
たすことでいっさいの紛争に巻き込まれないようにしている。女教師のクララ・ドゥン
ケルシュタインは論理的なシステムが大好きで、「公平」とは何かということをつねに
主張する。年輩の前科者ヤーコプ・ネーベルはどんなときでも大儲けをしようとしてい
る。ゲーリュオンの妻はどんな難問からも逃れてばかりいる。将軍マルクス・シュヴェ
ーラーは全員の幸せのためには暴力が必要だと考えている。
 こんな連中によって遺産相続ゲームはとんでもなく頽廃的になっていく。誰も、何が
本当の遺産であるか、わからない。そういう物語なのだ。ここにはエンデがその後に書
き綴っていこうとした“モモ的なるもの”がすべて用意されていたわけだった。

 諸君、ドッキとは掴めぬものなのだ。
 よほどにセレンディップでないかぎり、本は2度目の読みに入ったほうがいい。ぼく
にとっては『モモ』とはそういう物語だったのである。
 では、エンデのドッキが次に何を呼びこんだかということについては、次夜に説明し
たい。エンデは長らく「老化する紙幣」や「時計がついた貨幣」を夢想しつづけたのだ
。それをシルヴィオ・ゲゼルやルドルフ・シュタイナー(33夜)に学んでいたのだ。
これ、「エイジング・マネー」とは何かという、とんでもなく大きな問題である。

猫の客

はじめは、ちぎれ雲が浮かんでいるように見えた。浮かんで、それから風に少し
ばかり、右左と吹かれているようでもあった。
台所の隅の小窓は、丈の高い溝板塀に、人の通れぬほどの近さで接していた。
その曇りガラスを中から見れば、映写室ほの暗いスクリーンのようだった。
板塀に小さな節穴があいているらしい。粗末なスクリーンには、幅3メートル
ほどの小路をおいて北向こうにある生垣の緑が、いつもぼんやりと映っていた。
狭い小路を人が通ると、窓一杯にその姿が像を結ぶ。暗箱と同じ原理だろう。
暗い室内から見ていると、晴れた日はことに鮮やかに、通り過ぎる人が倒立して
見えた。そればかりか、過ぎていく像は、実際に歩いていく向きとは逆の方へ
過ぎていった。通過者が穴にもっとも近づいたとき、逆立ちしたその姿は窓を
あふれるほどにも大きくふくれあがり、過ぎると、特別な光学的現象のように、
あっという間にはかなく消えた。


チビは腰を落としてじっとそれを目で追う。やがて全身を低い姿勢に緊張させると
四肢をそろえてわずかに後方に身を退き、ばねをため込む様に丸く収縮する。
そこから、猛烈な勢いで地を蹴るや、白い小さな玉に敢然と飛びかかる。そうして、
両の前脚のあいだの宙にいつか玉を数往復させるほど打ち合わせながら、
こちらの脚の間を走り抜ける。
てんでんの性格は、こんな超絶技巧の途中にも、突然としてあらわれた。ピンポン玉
を見捨て、身を鋭角に翻したかと思うと、次の瞬間には置き石の影に潜むヒキガエル
の頭に小さな掌を載せている。と、また次の瞬間には反対へ飛んで、片方の前脚から
突っ込むように草叢に滑り込み、白いおなかを見せたまま、小さくひくつきながら
こちらを見ている。かと思うと、もう遊び相手には見向きもせずに、物干し竿に揺れる
下着の袖口を垂直とびでつかんでから、母屋の庭へと木戸を抜けていったりする。


引越しして半年の、1987年の早春のある日、アルミサッシュの窓を大きく
開けると、南から風が雪崩れてきた。流しの窓はもちろんのこと、二つの部屋の
東側のガラス障子それに食堂の出窓やトイレの窓まで次々に開け放っていくと、
家の中はたちまちに、風をはらむ祠となって荒れ始めた。雲が速く走る物干し場
の方へ呆然とした目を向けていると、細腕の二本からみあう恰好で宿り木が、
折れて落ちてきた。見上げると、隣家から蔽いかかる大きな欅けやきが、幹と枝
ばかりの全身をはげしく風に洗わせていた。
斜めの大きな天窓からは、日光の幾条かが射しては消え、その間合いに混じるように
梅の蕾も吹き込んできた。とばされた小机の上の紙の類は、落ちたところからまた、
意思あるもののように舞い立とうとしていた。

35
9月中旬に吐血した天皇の容態が、その後急変し、世を上げての自粛気分となった。
1988年の秋遅い頃であった。
その子猫チビがあらわれ、借りている離れの家へはじめて入って来たときの光景は、
くりかえし思い出される。
広やかな庭から形ばかり仕切られえた小庭に面して、洗濯機を置く狭い土間があった。
ある明るい午後、その開き戸のわずかな隙間をいつかしら抜けてきて、白く輝く
四つの跡に半ば日曝しのすのこをことと踏んで、行儀のよい好奇心を全身に
みせながら、貧しい部屋のうちを静かに見渡していた。
黒二毛というのか、焦げ茶というより墨の混じった泥のような色の、年寄った野良猫も
敷地内に出没していた。こちらは引き戸を引き開けてでも留守の家に入ってこようとす
る
という話を聞き、妻は情愛を込めてドロと呼ぶようになっていた。、、、
一度この小さな家へ入ることを覚えたちびは、隙間を作ってやりさえすれば、
静かに入ってくるようになった。それで悪戯するというわけではない。
家の中をそろそろと歩く。物と物のあいだへ、真白い毛並みに灰墨の玉模様の浮く
柔らかい身を、しばしが潜らせた。


疲れが濃くなって非常時に入ると、しかし決まって机が二つ面している南の窓越しに
濡れ縁に乗ってから窓の桟に両の前脚をかけてこちらを覗く、小さな仄白い影
が見えた。
そこで窓を開け、冬の暁に連れられてきた来客を迎え入れると、家内の気配は
ひといきに蘇った。元日にはそれが初礼者となった。年賀によその家々を回り歩く
者を礼者という。めずらしくもこの礼者は、窓から入ってきてしかもひとことの
祝詞も述べなかったが、きちんと両手をそろえる挨拶は知っているようだ。


卵をもった初夏のものが、とりわけ美味として珍重される。
チビはそのまるごとの姿を見るや、いきなり興奮が極まった。焼き魚や刺身を
もらうときとは、すっかり様子が変わっている。だが、妻はいつものように
声を掛けながら、手に取ったそれを指で一毟りをして、傍らに来ているチビ
の口許に差し出した。チビは背中に背鰭ひれをこしらえたように総毛立っていた。
尾は狸のそれのように膨張しきっている。またたく間に平らげてしまうと、
その味覚のせいか舌触りや咽喉越しのせいか、重ねて別種の興奮が来たようである。
妻がもうひと毟りむしりした。チビが襲うように食べた。それから少し間を
置いて、もうひと毟りした。チビがまた一瞬のうちに平らげてしまうと、口中で
赤い舌が炎のように裏返るのが、向き合った席から見えた。
さらにもうひと毟りするまでの間を、チビはこらえきれなかった。まどろっこしい
というのか、全身いっぱいでじりじりとしてみせ、目は夜叉のように切れ長となり、
卓袱台にかけていた前脚には、みるみる鉤かぎ型の爪があらわになった。
狩猟に動いたチビの牙が、シャコを遠ざけようとした妻の掌に深々と食い込んでいた。


チビは、人間には素気ないくせに、東隣の家からこの庭に入ってくると、身も心も
一変したように緑のひろがりの隅々に鼻を突き入れ、目を凝らし、前脚を差し入れ、
ときには躍りかかり、埒をなくしたように全速力で駆け巡っていた。それは
お婆さんたちがいなくなって燈籠に灯も点らなくなった日々の、深夜にも未明にも
つづいた。
チビにとって、そこは森の様であっただろう。一緒に逍遥にしていると、ある瞬間
場所のすべてに感応したというように全身に波を起こし、一体をむやみに疾走
してから立ち木の高いところへと上り詰めて、さらにどこかへ逃れでようとするように
中空に身を曝し、打ち震える、そんな動きの全過程をみることがあった。


防犯のために点している玄関の常夜燈と離れの住居からくる明るみとのほかは、
月の光がようやく、物の文目あやめをつけさせていた。仄暗い屋敷の中で、
小さな白い玉が跳ねて、硬い音を立てた。それを追う小さな生き物も、月光を
まとって、白い珠のようになった。
昼は昼で、チビは梅の花びらを背につけたりしながら、ハナアブを叩き、トカゲを
嗅ぎ、精気と混沌の兆しをはじめた庭で遊び続けた。突然の木登りは、稲妻に
化けた様であった。稲妻はたいがい上から下へ走るものだが、この稲妻は
下から上へも走ったわけである。チビが電撃的な動きで柿の木に登るのを、
件のノートの中で、稲妻の切尖のようにと妻は描き止め、また、雷鳴を
起こす手伝いをするように、とも言い換えたりした。、、、、
登りきった柿の木の梢で、風はあらゆる変化を鋭く窺がいながら次の瞬間に
対して身構えている姿は、天からも地からも離れて、あらぬ隙間へ突き出よう
とする姿である。
猫は飼い主にだけ心を許す、だから一番可憐な姿は、飼い主の前にだけ曝す
ものだ、と聞いた。猫を所有する事をことを知らないまま、飼っている状態だけ
を擬似的に味わっている夫婦は、チビの一番甘えきった姿というものを、
見せてもらっていないはずだった。
ところが、そのためにかえって、チビは飼い主さえ知らない、媚びることの
ない無垢と言う、野生の姿を示してくれている。チビから受ける神秘的な
感じの由来は、簡単に暴いてしまえばそんなことではないか、と思ったものだ。
すなわちその最たる姿が、稲妻捕りと呼ばれるものだった。


7月半ばに梅雨があけると、庭の池のほとりの日当たりのいい岩に、1匹の
シオカラトンボの蒼い姿態があらわれていた、ホースの水で作る空中の弧に
ついついと口付けしてきたあの1匹の、遺した息子と言うことになるのだろうか。
あの親しかった雄のシオカラトンボは、八月の終りとともに見えなくなった。
お爺さんとお婆さんが離れていった庭から、翅のある友もその妻も消えてゆくのを、
しばらくは惜しんだものだった。だがその同じ彼が、この夏の光とともに
蘇って来た気がした。するとその消失とにせの蘇生とのあいだに、取り返せなく
消えていった者たちのことが、かえってありありと思い返された。
七月も終りの、陽射しの強い午後、庭に出るとまず、池に迫り出すその岩に
目をやった。シオカラトンボはいなかった。そんなとき以前していたように、
軽く二回、手を拍った。すると、どこからか大気をかすかに震わせて、
涼しい影が飛行して来た。水のアーチをつくると喜んだようにあたりを
飛びめぐってから近づいてくるところなど、あのシオカラトンボと変わりがない。
張り巡らされた蜘蛛の糸を巧に避けながら、廃れていくばかりの庭を隅々まで、
彼も豪勢に住みなしているらしい。ふと思い立って、水栓を締めた。
水流を作ることをやめて、左手の人差し指を宙に突き出してみた。すると
彼は、中空に大きな一巡りの呼吸を入れた。それから速やかに接近してきて、
眼の前で小さく別の旋回を見せたかと思うと、人差し指の指す方向に向いて、
その指に止まった。喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、
長い時間だった。ひとけの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている
庭の中央で、指先にしばし、大きな2個の複眼と透き通った4枚の翅を載せていた。
わずかな身じろぎが伝わって彼は中に舞い上がったが、また直ぐに戻ってきて
止まった。それから再び静かな時間が過ぎた。


それから、ぐったりしているミンミンゼミを掴んで掌に載せた。もう駄目かと思って
いたら、ミンミンゼミは緑の斑紋をもつ翅からちょっと音を立ててよろよろと
飛び立ち、いったん地面に落ちそうになりながら、また持ち直した恰好で翅を
打ち震わせ、高く、西側の塀を越えて飛んで行った。


ただし、チビがどこまでも人の世を突き抜けて天にも地にもいないような神秘的な
感じを持っていたのに対してお姉ちゃんという子猫には、柔らかい、平穏で
地上的なものがあった。それに体型が少し洋梨形に丸みを帯びていて、尻尾は
短く、アニメーションから抜け出してきたような親しみやすさがある。

110
早朝、だれかが縁側で包丁を研いでいる、と思った。
欅の枝葉の繁りを梳いて、庭へ厳しい晩夏の光が差し込んでいる朝だった。
とても近い音なのに、見渡しても誰もいない。音のする方に下駄をつっかけて
出ると、すぐそばの梅の木の、根方にそよぐ草叢から発していた。
目を凝らして草の間をのぞいてみたら、前肢にミンミンゼミががっしりと
捕らえられたまま、翅を収め切っていない大カマキリが振り向いた。
カマキリは一番苦手にしている生き物であった。これには全く耐えることが
できない。包丁を研ぐような音は、瀕死のミンミンゼミの、喘ぎの翅音だった。
いや、それとも、攻撃しながらも立てるという、大カマキリの威嚇音だったのか。
惨劇をまなうちに焼き付けたまま、布団に戻って、なおその音を聴きながら
息を整えていると、目を覚ました妻がかたわらから尋ねてきた。事の次第を
話すと飛び起きて、縁側に投げ置いてあった藤細工の布団たたきを手にして、
庭の飛び石へ、寝間着で裸足のまま下りて行った。
後ろからついていくと、布団たたきで引き離した大カマキリを、背後の
植込みの方へ撥ねやった。それから、ぐったりしているミンミンゼミを掴んで
掌に載せた。もうだめかと思っていたら、ミンミンゼミは緑の斑紋をもつ
翅からちょっと音を立ててよろよろと飛び立ち、いったん地面におちそう
になりながら、また持ち直した格好で翅を打ち震わせ、高く、西側の塀を
越えて飛んで行った。

121
4匹の仔猫は、敷地の緑の間をチロチロとしていた。白黒の母猫のほかに
濃い鼠色の父猫もいて、珍しく家族そろっての棲息である。
秋になるとすぐに、母親の姿が見えなくなった。ちろちろの影も、4匹から
3匹となった。ことにその中の1匹が、ちびの模様に似ていることもあって、
3匹まとめてチビチビビーズと呼ぶようになった。3匹の仔猫と父猫
はいつもエントランスのあたりにいた。といっても、決まった1匹の仔猫
だけが、通行に邪魔にならない植込みの間に出て、行儀よく前肢をそろえて
座っていた。父猫を含む残りの3匹は、躑躅の植込みの陰に隠れていた。
どうやって役割が決まったものか、一番器量よしの仔猫がそうやって居住者
の関心を惹きつけた。可憐に思った住人が食べ物を路肩のコンクリートの
面に供える。するとその子の後ろからそろそろと3匹が出てきて、食べ物
にとりついた。器量よしの仔猫は自分からは食べず、ほかのものが
落ち着いたところを見て、ようやく食事にとりかかった。
チビチビビーズの3匹のことは、器量よしのその仔猫を、おねえちゃん
と呼んだ。白い毛がほとんである芯の強そうなのをシロ、いちばんよたよた
して背中が甲羅の模様をしたのを、カッパちゃんと呼んだ。
慎重でおとなしい父猫はそのまま、お父さんと呼ばれた。
たしかに、おねえちゃんはチビに似ている。ただし、チビがどこまでも人の
世を突き抜けて天にも地にもいないような神秘的な感じを持っていた
のに対して、おねえちゃんという仔猫には、柔らかい、平穏で地上的な
ものがあった。それに体型が少し洋梨形に丸みを帯びていて、尻尾は
短くアニメーションから抜け出してきたような親しみがある。

青い目がほしい

73
すると、ミスターのゴマ塩色の頭が、カウンターの上に大きく浮かび上がる。
彼は物思いから覚めて、彼女の方に目を向けようとする。青い目。
かすみのかかった眼。小春日和がそれとわからぬほど徐々に秋に移っていく
ように、ゆっくりと、彼は彼女の方を見る。網膜と対象との間、視力と目前の
眺めとの間で、眼はたじろぎ、ためらい、宙をさまよう。時間と空間のある時点
で、彼はわざわざ一瞥必要はないと悟る。彼女の姿は目に入らない。彼にとっては
見るものがないからだ。口にはまだジャガイモとビールの味が残っており、
心は雌鹿のような眼をした処女マリアに憧れ、たえず損をしている意識に
感受性を鈍らされた52歳の白人移民の店主に、どうして小さな黒人の少女
の姿が見えよう?これまでの生涯で、そんな芸当が出来ると思ったことは
一度もなかった。ましてや、そういうことがのぞましいとか必要だとか言う
考えは、浮かんだことすらなかった。
彼女は彼を見上げ、本来なら好奇心が宿るところに、空白しかないのを
見る。それから、それ以上のものを。つまり人間を認めようという意識の完全な
欠如、ガラスをはめ込んだように隔絶した感じ、を見る。
彼の視線を宙ぶらりんにしているものが何か。彼女にはわからない。
しかし、彼女はこれまで、大人の男の目の中に、、興味や嫌悪や、怒りさえ
見たことがあった。それでいて、この空白はなじみのないものではない。
それにはとげがあり、瞼の底には嫌悪がある。、、、
彼の爪が、彼女のしめった掌に軽く触れる。、、、、
ピコーラは歩道の割れ目につまずく。怒りが心の中でうごめき、目を覚ます。
それが口を開け、口の熱い子犬のように、恥にまみれた傷口を丹念になめてくれる。

81
彼女の話はみんな、食事の描写で腰砕けになってしまう。ピコーラは、マリーの
歯がかりかりのすずきの背肉にかみついていくところを見、太った指が
くちびるからはみ出した熱くて白い肉の小さな切れ端を口の中に押し込むのを見た。
また、ビールビンの蓋が抜けるときのぽんという音を聞き、最初に吹きあがってくる
苦い風味を嗅ぎ、冷たいビールの味が舌に触れるのを感じた。

110
眼は、モリーンが逃げていった方角にじっと注がれている。彼女は折りたたんだつばさ
のように、自分の中にこもってしまったように見えた。彼女の苦しみが、
私の反抗心をそそる。私は彼女の心を開き、神経を掻き立て、その弓なりに曲げた
背骨に棒を突き入れ、力づくでまっすぐ立たせ、みじめな思いをみんな路上に
吐き出させたいと思った。しかし、彼女はみじめな思いがじわじわと眼の中に滲み
だそうになるのを、じっとこらえていた。

132
猫は彼女の脚の間やまわりに体を擦り付けた。一瞬、恐ろしさを忘れて、彼女は
しゃがみ、涙で濡れた手で猫に触った。猫は、彼女のひざに身をすり寄せた。
それはからだ中が黒い猫で、深みのある絹のような黒色をしており、先が鼻の方を
さしている眼は、青みを帯びた緑色だった。光のせいで、眼が蒼い氷のように
きらめいている。彼女は猫の頭を撫ぜた。すると、猫は喜んで舌の先を震わしながら、
のどを鳴らした。黒い顔の中の青い目が、彼女の注意を引いた。彼女がしゃがんで
猫の背中を撫でているのを見た。また、猫が首を伸ばして眼を細めているのを見た。
この動物が母親の愛撫に応えるとき、そんな表情をするのを何度も見たことがある。

猫はすごい力で窓に投げつけられた。それから、ずるずるとすべり落ち、ソファの
うしろの暖房機のの上に落ちた。2,3度身震いしただけで、猫は静かになった。
毛がこげる微かなにおいがしただけであった。
そこに猫は青い目を閉じ、黒い、無力で、生命のない顔をして横たわっている。

彼女はその毛に顔を擦り付けた。それから彼女を見た。
汚い裂けた服を見、頭から突き立っている編み毛、お下げがほどけたところで
くしゃくしゃになっている髪、安い靴底からゴムの詰め物がのぞいている泥だらけの
靴、よごれたソックス、ソックスの一方が歩いているうちに靴のかかとのなかに
ずれこんでいるさま、を見た。こぶのように丸くなった猫の背中越しに、その少女を見
た。



243
生涯を通じて、彼はいろいろなものに対する愛着心を抱いていた。
富や美しいものの獲得ではなくて、使い古したものに対する
純粋な愛情だった。
、、、、
おおむね、彼の性格は1つの唐草模様を呈していた。複雑で、均斉や
バランスがとれ、構造は緊密だったが、一つだけ欠点がある。
この注意深く織られた模様は時折、まれではあったが、激しい性的渇望
のために、ひどくそこなわれるのだ.

141
最初の小枝は細く、しなやかで、緑色をしている。そうした小枝は完全な円に
なるほど曲がるが、折れはしない。れんぎょうやライラックの茂みから伸びでる、
繊細で、誇らしげで、いかにも希望にあふれた生命が表すのは、鞭打ちの
変化にすぎなかった。春になると、打たれ方が変わる。冬使われる革紐の
鈍い痛みに変わって、こうした新緑のしなやかな小枝が与える痛みは、
鞭打ちが終わって、長い時間がたたなければ、抜けない。長い小枝には
いらいらするさもしさがあったので、わたしたちは革紐のしたたかな打擲
ちょうやくや、きびしいけれどまっとうなヘアブラシの一打ちのほうをなつかしく
思ったものだ。いまでも、わたしにとって春はしなやかな小枝で打たれた時の
痛みの記憶で一杯だ。だから、れんぎょを見ても喜びはわいてこない。
ある春の土曜日、わたしは空き地の草の中に体をうずめて、とうわたの茎を
裂きながら、蟻や桃の種子や、死のことや、眼を閉じたらこの世界はどうなるんだろう
、
ということを考えた。私は長いこと、草の中に横たわっていたに違いない。
家を出るときには前にあった影が、帰るときには消えてしまっていたからだ。
家には薄気味の悪い静けさが満ちていたが、わたしは家の中に入った。
すると、母が何か汽車やアーカンソー州の歌をうたっている声が聞こえてきた。
母はたたんだ黄色いカーテンを持って裏口から入り、カーテンを台所の
テーブルの上に積み上げた。