2017年3月30日木曜日

鮨松本

東京人のわたしにとって、京都は食に限らず、どこへ行ってもなんとなく気後れする感じがしてしまう。「これだから東男は……」と、若いころに生粋の京都人からさんざん言われたせいもあるが、今もってある種の恐さを感じるのだ。
だからというわけでもないが、わざわざ〝敵地〟京都まで出かけて行って、江戸前の鮨を食らおうなどと思ったことは一度もなく、いつでも京都らしい割烹か、これも京都ならではと呼べる庶民的な食堂で腹を満たしていた。
しかし、あるときにそんな話を相当な食通の友人にしたところ、「だまされたと思って次の京都では、祇園にある『鮨まつもと』に行ってみてほしい」と言われた。それがこちらを訪れたきっかけだった。それもまだ一度しか訪ねていないことを正直に白状する。何しろ、予約が取りにくいのだから仕方がない(笑)。
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聞けばミシュランの星を獲得しているそうで、海外の客が多かったことも納得だった。それはともかく、新橋の名店「しみづ」で修業されたというご主人が供する鮨の江戸前ぶりにすっかり魅了されてしまった。「京都でこんなに旨い鮨が食せるのか」と早々に再訪を誓ったのは言うまでもない。「餅は餅屋」ではないが、京都に来たなら京料理を、と思うのも至極当然ではある。しかし、考えてみれば究極の味覚が集積する京都だ。腕利きの職人さえいれば、うまい鮨が食せて当然と言えば当然なのだった。
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鮨まつもと

住所/京都市東山区祇園町南側570-123 地図
TEL/075-531-2031
営業時間/昼12:00~14:00(L.O.13:30)
夜17:30~21:00(L.O.21:00)
ランチ営業、日曜営業
定休日/火曜、水曜の昼

若冲 石峰寺

京都・深草にひっそりと佇(たたず)む「石峰寺」は、江戸時代前期に明から渡来し、日本に黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた隠元(いんげん)の孫弟子に当たる千呆禅師(せんがいぜんじ)によって、宝永年間(1704〜1711)に創建された禅宗寺院である。
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石峰寺は、由緒正しき禅寺として名高いだけでなく、1791(寛政3)年、75歳となっていた天才絵師・伊藤若冲がこの地に庵を結び、晩年の作画活動を行ったことでもよく知られている。
若冲に所縁(しょえん)の地は、錦小路や代表作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」を寄進したことで知られる相国寺など、京都にいくつか存在している。しかし、この寺が若冲ファンにとって特別な場所となっているのは、彼が下絵を描き、亡くなるまでの晩年を費やして石工たちに彫らせた、五百羅漢(ごひゃくらかん)の石像群が今も訪れる人々を待ち構えているかにほかならない。
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本堂裏手の竹林に群立する五百羅漢の石像は、釈迦の誕生からはじまり、托鉢(たくはつ)、涅槃(ねはん)、賽(さい)の河原などの名場面を再現したものとなっており、そのどれもが表情や姿勢を異にしているのが興味深い。当初は1000体以上もあったという石像は、現在、530体余が残るのみだが、豊かな表情を見せる仔細(しさい)なつくり込みには、若冲の繊細な感性が垣間見えるようで必見である。
本堂の南には若冲の墓も現存し、命日に当たる9月10日には毎年、若冲忌の法要が営まれ、若冲作の掛け軸が一般に公開されている。

石峰寺

住所/京都市伏見区深草石峰寺山町26 地図
TEL/075-641-0792
拝観時間/9時~17時
(10月~2月は16時まで)
無休

2017年3月10日金曜日

平野とうふ

柊家」の朝食でこちらの湯豆腐をいただいたのは十数年前。「近所のお豆腐屋さんにいいお店があって」と教えてもらい、「平野とうふ」の店構えを見に行ったのを記憶している。旅行者に豆腐は縁のないお土産と思い込み、それ以降寄ることがなかった。ところが3年前のある日。「仁王門 うね乃」※のきざみうどんでお揚げに開眼。聞けば平野とうふのもので、お揚げなら持ち帰れる!とその足でうかがった。これを機会に、東京に早く戻るときは豆腐も求め、これまでの時間を埋めるかのごとく食べている。
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ここのお揚げはおいしさのツボがはっきりしている。フチのところに一段厚みが増してあるのだ。焼けば、中心はカリッ、端っこはサクッと歯ごたえが残る。これが煮炊きになると、フチがお出汁をため込むため、お揚げは甘みを増してジューシーな食べ物に変わる。いずれも、口に入れたときの存在感は相当なもので、私にはひとつの完成された料理にすら感じる。ご主人の平野良明さんによれば、お揚げのほうが豆腐をつくるよりも難しいとか。
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「お揚げの材料は生もの。こうしたいというビジョンがなければ、瞬間勝負だからね」。生地をつくる段階で、秘密の工程が4つぐらいあるらしい。
豆腐も揚げも添加物は一切使わず、昔ながらのつくり方を続けている。「京都を代表する旅館や料理店に長く使ってもらっている以上、誠実につくらなければ」と静かに語る平野さんである。
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油あげ、白豆腐(もめん)各¥230(税込)。7月から8月には、にがりと寒天を用いた絹ごし豆腐¥230を販売。つるっとのど越しのいいお豆腐は京都ならではの夏の風物詩。今、この豆腐をつくれるお店も少なくなってきたという。

平野とうふ

住所/京都市中京区姉小路通麩屋町角 地図
TEL/075-221-1646
営業時間/9時半〜19時
定休日/日曜
※「仁王門うね乃」の記事はこちらから!
気持ちがほっとゆるむおだし専門店のうどん

金地院南禅寺塔頭

京都が日本美術の宝庫であるのは外国人も承知のことだが、何より驚かれるのは、それらが美術館のガラスケースの中にあるだけではないということ。保護保存のため収蔵庫などに眠るものも少なくないが、それが制作された当時の空間で鑑賞できるのだから。
そんな貴重な体験ができるのが、南禅寺の塔頭「金地院」。何しろ狩野探幽(かのうたんゆう)が雪松図を、弟の尚信(なおのぶ)が鶴を描いた襖が、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作の枯山水庭園に面したふたつの部屋で見ることができるのだ。さらには、長谷川等伯の筆によるキュートなお猿さんまで! 日本美術に詳しくない私も興奮のビッグネーム揃い、これを見ずに南禅寺美術は語れまい。
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「南禅寺」の荘厳さに圧され気味の塔頭だが(実際、南禅寺の方丈は襖絵も庭もやっぱり見事!)、探幽の老松も、尚信の鶴も、それぞれの間に入って至近距離から鑑賞できる。背景の金箔の鈍い輝きも、胡粉の盛り具合も、幹や枝の皮のリアルな表現も、ぼんや~りではなくピントが合った状態で見ることができるのだ。これってすごくない?
ところで…写真映えする寺と、そのよさがフレームに納まりきれない寺がある。「金地院」はその後者。ビジュアル重視の和樂では写真の出来が誌面構成を左右するので、南禅寺周辺の取材企画ではフォトジェニックな南禅寺がメインになりがち。2016年和樂4・5月号「京都パーフェクトガイド100」で「金地院」が採用され、今までの無念が少し晴れた。
スクリーンショット 2017-03-09 10.21.44「金地院」の方丈奥、開山堂から見た方丈の前庭、鶴亀の庭。
スクリーンショット 2017-03-09 10.22.03「金地院」の鶴亀の庭の白砂に施されているのは水面を表す砂紋
特別拝観では書院の襖絵、等伯による『猿猴捉月図』もぜひ。池の水面に映った月をすくいとろうとしているテナガザルの、ふわふわの毛並みが妙にリアル。伏見桃山城の遺構を移した方丈、枯山水に池泉庭園、東照宮と、見どころが一目瞭然。

金地院南禅寺塔頭

住所/京都市左京区南禅寺福地町86-12 地図
TEL/075-771-3511
拝観時間/8時30分~17時(12月~2月は16時30分まで)
定休日/無休
拝観料/¥400(茶室の特別拝観は別途¥700。申し込みは往復はがきで)

2017年3月8日水曜日

仙厓和尚

今回は、日本画のイメージを180度変えてしまうかもしれない「めっちゃゆるい日本画」をご紹介します。
仙厓(せんがい)和尚という人が描いた、ゆるかわ作品の中から「これは特にゆるい!」というものを5つ選んでみました。

仙厓和尚って誰?

仙厓義梵(せんがいぎぼん)は、江戸時代の禅僧です。禅僧としての声望は高かったものの、本山妙心寺の誘いに応じず、生涯を地方の寺で過ごし民衆に教えを説きました。還暦を過ぎた頃から書画に本腰を入れはじめ、80歳を過ぎてもなお制作意欲は衰えることなく、現存する作品だけでも2000点を超えると言われています。
禅僧なので禅画が多いのですが、普通の人々の暮らしを描くことも多く、画風のゆるさ、ユーモアと親しみやすさが特徴です。

指月布袋画賛

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ああー。なにこのおしり。ぷりっぷりやないか
「を月様幾ツ、十三七ツ」。禅の教えを説いた「指月布袋」の図です。
この絵を収蔵している出光美術館のサイトには、「月は円満な悟りの境地を、指し示す指は経典を象徴しているが、月が指の遙か彼方、天空にあるように、「不立文字」を説く禅の悟りは経典学習などでは容易に到達できず、厳しい修行を通して獲得するものであることを説いている。」と書かれています。

凧揚げ図

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もう、どこから突っ込めばいいか・・・
とりあえず、凧低いわ!

一円相画賛(これ食うて茶のめ)

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お饅頭のことか!!
この絵を収蔵している出光美術館の解説を読んでみると、
「丸い円を描くことは円満な悟りの境地の表明であるとして、古来より禅僧の間で好んで描かれてきた。しかし、「これを茶菓子だと思って食べよ」という賛文からは、大切な円相図をいとも簡単に捨て去ってしまうおうとする仙がいの態度を読み取ることができる。」
だそうです。ふむふむ。禅の教えはわかりませんが、お饅頭食べたい。

花見

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上の方に、「楽しみは 花の下より鼻の下」と書かれています。
人物それぞれには、「ヲドル」「おやぢ寒がる」「たいこ」「ベッコウハク」「書きそこない」「小共(こども)」など説明が書かれています。
人物が描かれている部分を拡大してみましょう。
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いやいや、黒く塗りつぶして「書きそこない」て。
あと、右下の「小共(こども)」適当すぎるやろ。ヒヨコみたい。

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なぜそこを縛ったか。
日本の絵師は犬好きが多いようで、かわいい犬の絵と言えば、宗達、若冲、蕪村、応挙、芦雪など様々な名前があがります。
その中でも群を抜いてゆるいのが、仙厓和尚の犬。
禅の世界では「はたして犬に仏性はあるか」という公案があり、もしかするとそれを踏まえた作品かもしれませんが、この表情はきっと何か悟ってますよね。

まとめ

このゆるさ、くせになりそう・・・。
見ているだけで気が抜けるユーモアさ。
なのに、実は禅の教訓を説いているという奥深さ。
ちなみに、出光興産の創業者である出光佐三は、骨とう品収集が趣味だったそうで、特に仙厓和尚の作品を熱心に集めていました。そのため出光美術館には1000点以上の仙厓作品が収蔵されています。
もっといろんな作品が見たい方は、ぜひ東京の出光美術館で堪能してみてください!

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2017年3月5日日曜日

河鍋暁斎

暁斎の動物画の特徴は、ひとえに擬人化の妙と、奇抜なアングルや有り得ない姿態にもかかわらず、驚くほどリアルで自然に見える、卓越した描写力にあると言えるでしょう。常日ごろから、写生の技を磨くことに専心し、動物たちの仕草や瞬間的に見せる愛らしい表情をすべて完璧に脳裏に焼き付けていたという河鍋暁斎。だからこそ彼は、有り得ないはずの姿態の動物たちの姿を、愛らしくもユーモアたっぷりに描き出すことができたのです。そこには、独特の感性に裏打ちされた鋭い観察力と、ありとあらゆる技を体得していた暁斎ならではの、圧倒的な画力が秘められています。暁斎の「きもかわ」絵画のすべてが動物画の中にはあるのです。

戯画の源泉『鳥獣人物戯画』に勝るとも劣らない暁斎のユーモア

平安時代の国宝『鳥獣人物戯画』(高山寺)は、至高の絵巻にしてマンガの原点。狩野派の中には、この傑作の模写を実践した絵師もいたことから(狩野探幽など)、一時、狩野派の絵師についた暁斎もまた、この絵から動物画の基礎を学び取ったのかもしれない。暁斎の描く「鳥獣戯画」には、鋭利な視線とユーモアが込められ、得も言われぬ可笑しみが込められている。
DMA-TBM000715『鳥獣戯画 鼠曳く瓜に乗る猫』一面 紙本着色 37.7×52.5㎝ 明治12(1879)年ごろ 大英博物館(アンダソン旧蔵)©The Trustees of the British Museum c/o DNPartcom

蛙に人力車を引かせる!?奇想天外な発想力も天下一品!

蓮の葉でできた人力車の上で、煙草を吹かす2匹の蛙は、見事なまでに車上でふんぞり返っている。動物を擬人化することで、人間社会のある種の縮図を描き出そうとしていた暁斎の真骨頂とも言える作品。電柱が蓮の茎と花になっているのも面白い。
DMA-P03-04-2 G0511『町の蛙たち』一幅 紙本淡彩 127.5×48.0㎝ 明治4~22(1871~89)年 イスラエル・ゴールドマン コレクション
IsraelGoldman Collection,London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター

即興で描いた水墨画にも洒脱なユーモアが満載

もとは50枚ほどの絵を集めた、暁斎の画帖の中の1点といわれる作品。恐らくは、客の求めに応じて宴の席などで即興で描いたものと思われる。その証拠に象の首の辺りには畳の目の跡がついている。大きな象が、小さな狸に戯れついているようで、なんとも微笑ましい一枚。
DMA-P03-04-3 1『象とたぬき』一面 紙本淡彩 19.6×17.5㎝ 明治3(1870)年以前 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection,London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター

暁斎のきもかわな動物たちがBunkamuraで見られます!!

日本美術界で一番人気の伊藤若冲にも匹敵する技の持ち主、河鍋暁斎の注目の展覧会が開催中です!本展では、世界屈指の暁斎コレクションとして知られる、イスラエル・ゴールドマン氏が所蔵する名品の数々を一堂に展観!仏画から美人画、さらにはかわいい動物が数多く登場する戯画や風刺画まで、多岐にわたる暁斎作品の魅力を堪能できます!!
「ゴールドマン コレクションこれぞ暁斎!世界が認めたその画力」展
会期/2月23日(木)〜4月16日(日)
開館時間/10時~19時(入館は18時30分まで)
※毎週金曜、土曜は21時まで開館(入館は20時30分まで)
休館日/会期中無休
会場/Bunkamuraザ・ミュージアム 
住所/東京都渋谷区道玄坂2-24-1 地図
TEL/03-5777-8600(ハローダイヤル)

2017年3月2日木曜日

伊藤若冲

18世紀の京都で活躍し、空前絶後とも言える傑作の数々を描き出した伊藤若冲は、近年、日本美術の絵師の中でも抜きんでて高い人気を誇っています。若冲が繰り出す水墨画の数々は、そのテクニックの高さはもちろんのこと、描き出されるモチーフのユニークな造形と、思わず「かわいい!」と叫んでしまいたくなる描写がとにかく秀逸。かわいい造形を描き出すことにかけては右に出る者がおらず、天衣無縫(てんいむほう)なるかわいいキャラクターづくりの天才にして、「元祖ゆるキャラ」のチャンピオンと認定したくなる存在なのです。

河豚と蛙が相撲!この発想が若冲でしょう!

描かれている河豚(ふぐ)と蛙の表情など、ほとんど漫画のようでとにかくかわいい。が、しかし、そもそも河豚と蛙が相撲を取るなどという発想自体が若冲らしいユーモアに溢れていて素晴しい!
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蝦蟇河豚相撲図』(がまふぐすもうず)
一幅 紙本墨画 101.3×43.0㎝
18世紀・江戸時代 個人蔵
高山寺に伝わる『鳥獣人物戯画』に見られるように、動物たちが相撲を取る絵画はポピュラーとも言えるが、河豚と蛙という組み合わせになると空前絶後ということになる。河豚は強毒で知られ、蛙も蝦蟇(がま)の油で知られるようにいずれもが毒をもつ生物。若冲は何か意図があってこの組み合わせを発想したのだろう。

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「かわいい!」日本美術1200年の歴史を俯瞰する〜平安編〜

なぜ若冲は「かわいい」水墨画を描くことができたの?

若冲は絵師として歩み始めた当初、庭に数十羽の鶏を飼って、その姿、形、仕草や表情などの生態を観察し続け、見つめ尽くした上でそれを写し取るという行為を数年にわたって続けました。こうして鶏の姿を見尽くしたところで若冲は“生きもののもつ神気”をつかみ、鶏に限らずあらゆる生きとし生けるものにもその神気を見出して、生命のもつリアルを超えたところにある形態をそのもの以上に描き出すことに成功するのです。

徹底的な観察眼から繰り出される切れ味,鋭い造形描写がかわいい!

鋭い観察眼から繰り出される描写がときにこの鶏のようなかわいさを生んだ。
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『花鳥人物図押絵貼屏風』
(かちょうじんぶつずおしえばりびょうぶ)
(部分)
六曲一双 紙本墨画 各127.5×52.3㎝
18世紀・江戸時代
エツコ&ジョー・プライスコレクション
若冲と言えば真っ先に思い浮かぶ鶏の絵。特に水墨画ではユーモラスでウイットに富んだ作品が多い。敵を威嚇(いかく)する雄鶏が頸(くび)周りの羽を広げる描写も若冲の手にかかればご覧のとおりのモダンな造形に早変わりする。

虎を見たことがない若冲だったから、こんなにカワイイ?

中国絵画の虎を模写することで、いくつかの虎図を描いた若冲。それにしても、この眉毛と表情のデフォルメは若冲ならではのお茶目さ。この類い稀なる表情づくりの上手さこそが、若冲水墨のかわいさの根源。
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『虎図』
一幅 紙本墨画 112.0×56.5㎝
18世紀・江戸時代
石峰寺
若冲は何点か虎の絵を描いているが、いずれもが虎の威厳というか恐さを感じない。有名な着色画の虎図に「日本に虎はいないので中国の絵に倣って(ならって)描く」と自ら書いているように、見たことがないからカワイク描いたとも言えるだろうか。

箒(ほうき)の黒と仔犬の白の対比にウイットを感じる!

パッと見はとにかくかわいい仔犬の姿。でも、その表情はあくまでも眼光鋭く、かわいくはない。だが、造形全体として見ると不自然に踏ん張った後肢(うしろあし)の線などに、えも言われぬ愛らしさを感じてしまい、やはりかわいい!
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『仔犬に箒図』
一幅 紙本墨画 99.5×27.8㎝
18世紀・江戸時代
細見美術館
˝Artefactory/Hosomi Museum/OADIS
一見すると簡略化された墨の線で表現されている仔犬だが、その実、非常に細くかすれた線描を用いてふわふわとした毛並のやわらかさを表出している。若冲の高度なテクニックの賜物。

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「かわいい!」日本美術1200年の歴史を俯瞰する〜鎌倉・室町編〜

黒目が最高にキュートな亀は若冲の技の見本帳

墨の濃淡を使い分け、亀の甲羅を若冲独特の「筋目描き」(すじめがき)で描いた本作は、彼の水墨テクニックが遺憾なく発揮された傑作。甲羅からニュッと突き出た亀の頭が薄墨で表現され、そこにくっきりと入れられた黒目が最高にキュート!
DMA-亀図 聞中浄復賛 伊藤若冲筆 鹿苑寺蔵
『亀図』
一幅 紙本墨画 111.3×28.8㎝
寛政12(1800)年・江戸時代
鹿苑寺
頭を突き出した亀の上に見える濃い墨の線は亀の尾で、いわゆる蓬莱亀(ほうらいかめ)であることを意味する。正月の縁起物として描かれたと推測されている。款記(かんき)に「米斗翁(べいとおう)八十八歳」と入っているが、若冲は数え85歳で死んでいるので最晩年に自らの長寿をも願って描いたのだろうか。

自由自在な水墨画の動物たち

彼は、草木や虫、魚などのありとあらゆる動植物の姿を知り尽くした上で、すべての生命に対する慈愛に満ちた視線によって彼らが放つ神気を紙と墨を用いて描き出したからこそ、若冲オリジナルの「かわいい」造形を生み出し得たのでした。「山川草木悉皆成仏」(さんせいそうもくしっかいじょうぶつ)という仏の教えを体得していた若冲だからこそ成し得た、生命への讃歌が「かわいい」という造形となって表出しているのです。