116 昭和30年代は、映画という文化的な娯楽が日本で黄金期を迎えた時代であった。 昭和33年、1958年には映画人口は11億2700万人に達して、国民1人が 年に平均12回も映画を見ていたことになるという。乳幼児から老人まで、 1人残らず月に一度は映画館の軒をくぐった勘定である。映画館の数も全国で 7000館を超え、特に東京では豪華なホールがきびすを接して新築された。築地の 松竹セントラル劇場、歌舞伎町の新宿コマ劇場、渋谷のパンテオンが開館したのが、 いずれも昭和31年のことだった。そのころ10代であった川本三郎少年は、この 黄金期を文字通り満喫した。中学から高校時代まで、自宅に近い阿佐ヶ谷オデオン座 に通い詰め、ときに懐が豊かだと盛り場のロードショー劇場へ足をのばした。 松竹セントラルや新宿コマ劇場の入場料が150円で、ちょうどおとなの散髪代と おなじであった。見る作品は圧倒的にハリウッド映画、おりしもこの映画王国 が全盛を誇っていたころである。長じて川本さんは文筆の道に進み、文芸評論でも 賞に輝いたが、おびただしい映画評論を著した。「ロードショーが150円だった頃、 思い出のアメリカ映画」という粋な評論は、そういう川本さんが心の故郷を語った 近著である。 主題としてとりあげられた映画だけでも50本を超え、文中に触れられた作品は 数えきれない。この人の本をいつ読んでも驚かされることだが、事実についての記憶が 人間離れしている。スターはもちろん、監督、製作者、撮影者、脚本家、脇役 たちが気の利いた逸話とともに紹介され、思い出の名場面が短く鮮やかに再現される。 川本さんは少年時代から映画プログラムを隗集していて、それがこの記憶の下支え として役立ったと書いている。ビデオもない時代だったからと川本さんは事もなげに 言うのだが、私はこれを読んで微かに胸が熱くなった。記録の機械がなかったために、 これほど手数をかけて人に記憶され、思い出の中で暖められた映画は、今よりも 幸せではなかったかと思ったのである。 「真昼の決闘」「シェーン」「情事の終わり」「エデンの東」「戦場にかける橋」 「若き獅子たち」「12人の怒れる男」など、アメリカ映画の良い観客でなかった 私にも懐かしい作品が並んでいる。こうして振り返ってみると、ハリウッドの 最盛期は実に多彩であって、むしろ地味で心にしみる佳作が少なくなかったこと を思い出す。特にうれしかったのは、テレス・ラティンガンの戯曲「セパレート テーブルズ」を原作に、デヴィド・ニーバンとデボラ・カーを配した「旅路」 が取り上げられていたことである。冬の海辺のホテルの食堂を舞台に、わび住い する男女のさまざまな孤独、小さな悲劇と人情の通いを描いた繊細な秀作であった。 ホテルの女主人公を演じた女優の風格が印象的で、私に今も忘れられない感動を 残しているが、それが英国の名優ウェンディ・ヒラーであったことも、川本さんの 博識によって教えてもらった。、、、、、、 粋な評論と書いたが、実はこの本は秘められた文明批評に溢れていて、昭和30年代 がどんな時代であったか、それに比べて現代が何を失ったかを肩肘張らずに 教えてくれる。 私なりにいいかえれば、あの時代はまず日本近代の教養主義、知的な西洋受容の 最後の高揚の時期だったようである。、、、、、 それにしても昭和30年代とは、1955年であって、政治的にはまさに「55年 体制」の始まりの年であったということは面白い。この年、左右両派の社会党が統一 に回復し、かたや保守合同が成立して自由民主党が発足した。 世界の冷戦対決を背景に、日本にも政治のイデオロギー的対立の構図が確定 したのである。 それ以来、外交と安全保障、エネルギー開発といった国の基本政策をめぐって、 日本は目に見えない「分断国家」の様相を呈してきた。日米安保条約に反対する デモ隊が国会を包囲し、岸内閣が崩壊したのは、1960年の事件であった。 社会党の浅沼書記長が北京を訪問し、「アメリカは日中両国人民の共通の敵」 と宣言して、右翼少年に刺殺されたのも、同じ年の象徴的な惨事であった。 その時のことについて以下のような論評もある。 「1960年6月15日、いわゆる60年安保のとき、国会周辺を埋めたデモ隊の数は、 主催者発表で33万人、警視庁発表で13万人だったとされている。言うまで もなく、史上空前の規模の市民の抗議行動であり、戦後における最大の反政府運動であ る。死者1名、重傷者43名、逮捕者182名を出した激しい衝突の4日後、6月19日に安保条 約は自然成立となったが、予定していたアイゼンハワーの来日は延期となり、岸信介は 混乱の責任をとる形で6月23日に退陣を表明した。このとき、朝日の世論調査では岸内 閣の支持率は12%まで落ち込み、NHKの世論調査でも17%にまで落ちている。その1ヶ月 前の5月19日深夜、右翼と警官隊を導入しての強行採決で安保承認に及んだとき、岸信 介は、1ヶ月後に退陣する羽目になるとは予想していない。6月15日と6月18日、数十万 の市民が国会を取り巻いて騒然とする中、岸信介は陸上自衛隊による武力鎮圧を要請す る。実現していれば、戦後初めての自衛隊による治安維持出動となっていたが、国家公 安委員長と防衛庁長官に反対されて頓挫した。ここで岸信介の命運が尽き、内閣総辞職 の決断となる。岸信介の退陣が、アイク来日の中止を契機とする政治であったことは間 違いない。つまり、米国政府に見放されたのだ。アイクが6月19日の来日を断念したの は、33万人のデモ隊に恐れをなしたからであり、来日強行によって暴動と内乱に発展す る事態を避けたからである。」 141 なりふりかまわず生きているとき、人間はまだ文化を持っていない。生きるなりふり に心を配り、人に見られることを意識し始めた時、生活は文化になる。 喫茶のなりふりを気遣えば茶の湯が生まれ、立ち振る舞いの形を意識すれば、 舞踊が誕生する。 文化とは生活の様式だが、たんに惰性的な習慣は様式とは言えない。習慣が形として 自覚され、外に向かって表現され、1つの規律として人々に意識されたときに、 文化は誕生する。ところで何かを意識し表現することの極致には、それを論じるという 行為がある。舞踊が高度化すれば規範が芽生え、規範を意味づける主張が生まれ、 やがてその延長上に舞踊論が成立する。どんな生活習慣もおきてを生み、掟は法 に高まって法理論を形成する。文化が生活の意識化の過程だとすれば、 その最後の到着点にはつねに文化論がなければならない。文化論は文化についての 後知恵ではなく、文化そのものが自己を完成した形態なのである。 この百年ほど人間が自意識を高め、同時代論に関心を深めた世紀も珍しい。 シュペングラーからジョージオーウェル、リースマンからダニエルベルと、 世紀の前半にも後半にも優れた現代論が続出した。しかし反面、二十世紀はこの 自意識の鬼子ともいうべき思潮、内容的には正反対の二つの思潮が猛威を振るい、 文化論の深化をさまたげてもいたからである。 一つはもちろんマルクス史観であって、これは経済の立場から歴史の法則なるものを 設け、その法則を尺度に文化を善悪二つに分類した。進歩的と反動的に二分 された文化は、その本来の多様性を認められる道を失った。もう一つの 弊害はこの一元主義とは逆に、たこつぼ的な専門化の思潮が襲ってきた。 人間の問題を考えるのに総合的な人間像を忘れ、学問の方法ごとに部分だけ を見る努力が重ねられた。ここでは文化は本来の有機的な脈絡を失い、生きること の意味づけ、時代批評としての文化論も道を狭められた。 当然、人間の生きる姿勢、文化活動そのものも二つの方向に歪められた。 生き方は一方で粗雑な政治主義に傾き、他方では視野の狭い、「専門ばか」 に堕落した。芸術のような意識性の高い文化活動は特に象徴的であって、 「人民に奉仕する芸術」と「芸術のための芸術」が対立した。皮肉なことに 両者は共通して党派的であり、後者もそれぞれのジャンルの方法論、その 純粋性を守るために戦闘的になった。非マルクス的な芸術が「前衛」を自称し、 この百年つねに方法論のうえで、「進歩的」であったのは、最大の皮肉だろう。 だがそれとは別に、この文化的な自意識を根本から覆し、政治主義も「専門ばか」 も無差別に押し流すような力が、世紀の初めからひそかに用意されていた。 従来あまり関連を指摘されていないが、商業主義と文化相対主義の暗黙の 連携である。ラジオや映画やテレビの繁栄、そして文化に無記名の人気投票を 行う大衆の台頭が背後にあった。それは自意識と内的な規範の弱い文化の興隆で あり、いわば文化論抜きの文化の圧倒的な普及であった。 文化相対主義は前世紀の人類学に始まり、民族文化の価値を平等視する 思想として誕生した。やがて、これをなぞらえて階層文化を平等視する 主張が現れ、ハイ、ポピュラー、サブといった文化区分を相対化する思想が 広まった。論者の主観的な意図とは別に、これが商業主義の席巻を助けた ことは確実だろう。漫画と文学、ファッションと美術の区別なく、売れるものが 文化を支配することになったのだ。同時に、つねに現在を重視する市場原理 の結果として、ベストセラーがロングセラーの存在を難しくしてしまった。 これに止めを刺す形で、前世紀末に芽生えたのが、「デファクトスタンダード」 を容認する気風である。理由もなく、意識することさえなく、流行したものは 正しいとする風潮である。国家より市場が、文化運動よりグローバルな消費動向が 優越するなかで、明らかに時代を批評する現代論の傑作も乏しくなった。 しかし機械仕様の事実上の標準化はやむをえないとしても、本来、意識の産物 である文化がこのままでよいはずがない。党派性や階層差別は乗り越えながら 個々の文化活動、自分が生きる時代を批評する精神を復活しなければならない。 それぞれの「私」が生きるなりふりの表現として、自己の文化的な規範を ろんじなければならない。人間にデファクトスタンダードがあるとすれば、 動物的な本能か、文化以前の惰性的な習慣のほかにはないからである。 147 政治から倫理にいたるまで、昨今、社会の基本的な価値観を論じる風潮が 一般に衰えている。これは特に日本において目立つが、その背景には冷戦後の 世界的な傾向があるともいえる。ベルリンの壁が崩れて十年がたったいま、欧米でも 価値観の勝敗は過去の事件となりすでに決着のついた問題として忘れかけている。 人権も民主主義も当然の正義とされ、市場自由主義を含めて、だれもその根拠を あらためて論じようとしない。だから、一部のイスラムやアジアの諸国が それに疑義を唱えると、欧米人は常識を否定されたような驚きを覚える。 驚きのあまり説得の努力さえわすれて、いち早く、宿命的な「文明の衝突」 に直面したと思い込みがちになる。、、、 だが「事実上(デファクト)の政治的勝利は先進国の知識人にそれ以上の錯覚を 招いた。人権と民主主義は世界の「事実上の標準」であり、それについて説明責任 は誰にもないという感覚が広がったのである。実際には、この政治思想はかって 近代の知識人が創造し、不断の説得によって実現した正義であった。それは 数学的真実のような絶対普遍の理念ではなく、人類が歴史のなかで証明してきた 善である。いいかえれば、それは歴史の新しい段階ごとに再確認され、説明され なおされるべき理念なのだが、今日の国際政治の場にそういう思想的な努力 は見られない。 それにつけて、もう一つ悪い条件をもたらしたのが、世紀末のグローバル化という 現象である。グローバル化は従来の国際化と違って、それを進める国家という主体の 顔が見えない。利益を主張し、イデオロギーを説き、影響の拡大を目指す国家という 顔が見えない。 市場原理であれ、情報技術であれ、ファッションであれ、エイズや麻薬犯罪ですら、 グローバル化するものはすべて自然現象のように広がる。そこには、特定の国の 主張した標準は見当たらない。あらゆる基準は気が付くといつのまにか、 「事実上の標準」として世界を支配しているのである。 政治の場合でも、現代では政策を主張する国家や個人の顔が見えにくい。国際政治を 動かすのもまずは「世論」であり、非政府組織に加わる大衆である。サッチャリズム、 レーガニズムなどと個人名のつく政策も見られなくなった。といよりも世界政治 の大潮流はまず市場が決定して、国家の政策はそれへの対応に追われているよう に見える。 すべての面で無署名の力が世界を左右する時代の中で、それを見慣れた人々は社会の 基本的な価値観についても、それが「事実上の標準」として働くことに異常を感じ なくなったのであろう。 だが、情報革命やファッションとは違って、政治理念を含む基本的価値観は人間 の倫理に関わってくる。社会が「どうなるか」ではなく、社会を「どうするべきか」 に関わってくる。それは本来、個人が責任をもって選ぶべきものであり、それを めぐる合意形成のために積極的に努力すべきものである。そしてそのためには、 人々は価値観を暗黙の了解にまかせるのではなく、根拠づけと説明につねに新たな 思考を働かせるのが当然である。 たとえば、人権ひとつとっても、それが現代では国家主権よりも尊重されねばならない のは、なぜなのか。神がまず国ではなく個人を創造したからであり、人権は神が 与えた価値だからであるのか。あるいは個人はすべてかけがえのない実存であり、 かけがえのある法や制度よりも上位の存在だからか。 こうした思考を先進国の側が怠っているのに対応して、民族原理主義者も彼らの 独自の「事実上の標準」に依っている。伝統の習慣や固有の宗教がそれであって、 いずれも民族の暗黙の了解、説明不可能な価値観として固執されている。 それは暗黙の了解であるために合理的な分析も受け付けず、したがって真に 守るべき部分とそうでない部分の区別もつけられない。結果として、彼らの文化は 片鱗の変化も許さないものとなり、生きた文化としての成長も妨げられる。さらに その頑迷さが先進国を不安に駆り立て、「文明の衝突」の悪循環の原因にもなるの である。グローバル化と民族主義の対決は、こう考えると21世紀の文明形成の 危機だとみることができる。文明形成とは無意識の伝統や生活習慣を意識化して、 いいかえれば暗黙の文化を論理的な言葉に翻訳して、それを知らない異文化の 人間をも説得することだからである。 、、、、、 こうした価値観の無意識化は、さらにグローバル化と無関係にも現代社会を むしばんでいる。近代とともに進んだ文化の脱宗教化、宗教的な規範の無意識化 が、むしろ逆に暗黙の規範としての宗教の影響力を強めるという現象を生んでいる。 、、、、 21世紀はすべてが寛容な時代になり、価値観の多様性がますます許される時代 になるであろう。イデオロギーの対立は消滅し、文化の相対主義もさらに広く 認められるであろう。だがこの寛容さがもろ刃の剣であり、社会の基本的な 価値観への無関心につながり、一転して恐るべき無意識の通念、独善的な規範の 支配を招く恐れを忘れてはならない。抑圧や対立のない時代に、懐疑的な精神を 持ち続けることは難しい。 152 かって、人間の倫理は根源的に1つであるとかんがえられてきた。正義の根本は 唯一であって、多様な道徳規範はそれの現実への応用編だとみなされていた。 だがしばし、現実に現れた個別の道徳規範は互いに矛盾して人間を苦しめる。 たとえば、神への献身と家族への愛、集団への忠誠と個人の内面的な誠実など、 どちらの正しいはずの徳目が両親をまた割きにする。そこに厳密な意味での悲劇が 生じるわけだが、これまで長らく、それに耐えることがより高次の倫理への道 だと信じられてきた。個人が現実の個別の倫理に殉じて倒れることが、根源的な 正義、世俗の倫理を超越した神の正義へと回帰する道だと説かれていたのである。 、、、、 ジェイン・ジェイコブズは文明の根底に、生活の糧を採取し縄張りを作る活動と 糧を交換しそのために生産をする活動があるとみる。これに対応して道徳にも 2つの体系が生まれ、前者が統治の倫理、後者が市場の倫理へと発展した。 前者には例えば忠誠心、規律順守、虚栄心、施しの精神などが含まれ、後者は 正直、契約尊重、異質への寛容、創意工夫、競争心など、前者に対する価値観から なっている。どの価値観もそれぞれの体系の内部では正義であるが、反対の 体系へ恣意的に移すと不正義になる。じっさいこの混同による腐敗は現実に氾濫 していて、官僚は効率主義に毒されて点数稼ぎに走り、企業は領土拡大の 精神で敵対的乗っ取りに狂奔している。 224 経済構造の大きな変貌を受けて、ようやく日本でも平等社会の神話が崩れ、 貧富の差の拡大を問題する意識が芽生えてきたようである。2000年5月号の ちゅうおうこうろんが「中流階級崩壊」という特集を行い、符節を合したように、 同じ月の文芸春秋が「新階級社会ニッポン」と題するレポートを載せている。 文芸春秋の記事は、近年のベンチャービジネスの隆盛に乗って、新しく生まれた 成功者の姿を紹介している。業種は投資情報や企業コンサルなど、従来の大企業 勤務の枠外にあるものが多い。年収も資産も破格に豊かで、暮らしぶりも 絵にかいたようなアメリカ風である。対照的にかっての中流俸給者の没落が目立ち、 失業、減給に襲われないまでも、能力給の競争に脅かされている。一般に、 所得の不平等度を示すジニ係数は明白に高まり、生活保護世帯も90年代後半に 2倍近くまで増えたという。 中央公論の特集も多くの統計を含んだ論文を集め、昨今の日本では、「結果の平等」 だけでなく、「機会の平等」さえ危うくなったと警鐘を鳴らす。企業では上級管理職 の子が上級職に就く率が高まり、子が親の社会的地位を超える可能性が減っている。 巷では若者が努力の報われなさをかこち、所詮は資産家の子には勝てないと自棄 になっている。教育に金がかかるだけでなく、親の教育への熱意も社会的地位に 比例するから、次世代の富の格差はますます再生産されるはずだというのである。 これが行きつく先には米国社会があるわけだが、ここでは73年から経済が2倍に 拡大し、1人当たりの生産性も7割上がったのに、中位の所得の世帯数は増えず、 賃金は逆に1割近くも低下した。上位5パーセント層と下位20パーセント層の 所得の格差は、68年の6倍弱から98年の8倍強に拡大した。金融資産に いたっては、最上位1パーセントの富裕層が全国民の富の半分を保有しており、 その格差は増すばかりだという。問題なのは、ここでも、有能な若年層の所得が 伸びず、努力が成功をよぶという、「アメリカの夢」陰り始めたことである。 特に注目されるのは、話題のIT革命が不平等の解消には役立たず、むしろ悪化させる 重大な要因と考えられていることである。 情報技術は人間の知的労働を代替して、低賃金の未熟労働者をう買う道を開き、中途半 端な 専門家を無用のものとする。情報技術そのものの専門家も国際競争にさらされて、中程 度の 技術者は途上国の労働力に置き換えられる。一方、独自のアイデアを開発した 少数の成功者は、これまで以上に膨大な報酬を約束される。技術習得の難しさが、 ディジタルデバイド(情報格差)を招く不安とあいまって、IT社会にはより 深刻な階層化が予想されるという。だが、このような問題に触れると、我々が まだ不平等とはなにか、どんな意味でそれが問題なのか、確かな哲学を持ち合わせて いないことに気付くのである。 議論があいまいになるのは、第1に不平等が純粋に客観的な事実ではなく、たぶんに 感覚的な社会通念の問題だからである。現に富の格差は日本より大きいのに、 アメリカで不公平を嘆く声が特に高いとは聞かない。 しかも一論者にによると、過去の日本が平等だったという常識も不正確で、統計上の 錯覚が加わっていたという。さらに現代の日本が過渡期であり、性質の相反する 事態が重なって進行していることが、認識を混乱させる。 、、、、、 本来、人間は単に所得によってではなく、他人の認知によって生きがいを覚える動物で ある。 嫉妬や自己蔑視の原因は、しばしば富の格差よりも何者かとして他人に認められない ことに根差していた。これに対して、二〇世紀の大衆社会は万人を見知らぬ存在に 変え、具体的な相互認知を感じにくい社会を生んだ。隣人の見えにくい社会では 遠い派手な存在が目立つことになり、これが人の目を富裕層や特権階級に 引き付ける結果を招いた。 こう考えれば、今、急がれるのは社会の「視線の転換」であり、他人の注目を 受ける人間の分散であることが分かる。普通の人間が求める認知は名声ではなく、 無限大の世界での認知ではない。むしろ人は自らが価値を認め、敬愛する少数の 相手に認められてこそ幸福を覚える。必要なのはそれを可能にする場を確保 することである。
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