2016年12月20日火曜日

阿字観

阿字観(あじかん)とは、真言密教の教典である「大日経」に基づく瞑想法の一つです。真言宗では、この瞑想法を密教修行の入口として、また中核をなすものとして全ての修行者が修得すべきものと位置づけています。 阿字観の瞑想法について、初心者向けの説明では『梵字の「ア(ア)」の一字に、自心の本不生(ほんぷしょう)を
徹見(てっけん)し、自己の本源である大日如来の根本大生命を己が心として、創造的に生き抜く密教瞑想法』としています。分かりやすくすると梵字の第一字母である「ア」字は全ての始まり、即ち 宇宙の万物の創世を表
わしていると同時に、万物の本源として不生不滅の原理を意味することから、密教の根本仏である大日如来をも象徴しています。 この「ア」字を心の眼で観ることにより、本不生すなわち「宇宙の万物はもともと存在してい
るのであって、新たに生じたものではない」ことを覚り、自身の根源である宇宙と、宇宙の真理の現れである大日如来との一体感を得ることにより創造的に生きるための瞑想法ということになります。
境内中程に建つ大日堂
阿字観が行われる大日堂
このように述べると 真言宗の修行者だけが行う独特の瞑想法のように思われるかも知れませんが、 阿字観は修得レベルによって初心者から上級者まで実践する内容が異なり、特に初心者の体験段階では禅宗で行う座禅と比べても変わりはありません。そのため最近は、誰もができる瞑想法として、また心をリラックスさせる精神修養法として、 阿字観瞑想法を試みる方が少なくありません。
実は 当山が阿字観のご案内をさせて頂くのも、阿字観の瞑想法を通じて、少しでも多くの方に寺院に親しみ、寺院の持つ魅力を知って頂けたら、という考え方に基づくものです。そうした意味もあって、当山では、 阿字観体験者が分かりやすく、気軽に取り組めるように、例えば密教の根本仏である大日如来を、単に森羅万象を象徴する宇宙として捉えて頂いたり、宇宙との一体感を得るというより、自身を取り巻く無限の世界に向けて自らの心を解き放つ感覚で良しとするなど、 アプローチ手法を工夫しています。 この阿字観瞑想法を体験してみたいという方は、前もって、当山までご連絡をくだされば、希望される方のレベルに合わせて責任をもって指導させて頂きます。

■阿字観瞑想法への道

阿字観には、初心者から上級者まで段階があり、 当然のことながら修するレベルによって得られる内容が異なります。その第一段階は、数息観(すそくかん)と呼ばれる呼吸を観じる瞑想法です。 これは呼吸に意識を集中することによって、精神を安定させる瞑想法であり、一般のヨーガや禅と変わりはありません。 第二段階は、阿息観(あそくかん)と呼ばれ、出入の息に大日如来の「ア」つまり大宇宙の胎動を観じる瞑想法です。この二つの
段階を経て阿字観の基礎である月輪観(がちりんかん)へと進み、最終段階で阿字観となります。尚、初心者レベルの数息観および阿息観は、呼吸法であり、瞑想法ですから心配ありませんが、中級以上のレベルとなる月輪観および阿字観を実践していると、 鋭敏かつ不可思議な感覚を覚えることがあり、 人によっては混乱をきたすような場合がありますので、確かな経験を有する指導者のもとで実践するようにしてください。では 当山の阿字観について、まず数息観から順を追って紹介しましよう。

◆数息観

座法と印
半跏趺座と法界定印
数息観は、呼吸を観じる瞑想法です。つまり、呼吸に意識を集中することにより、精神を安定させる瞑想法といえます。 一般の禅と同じように、初心者でも手軽にできる瞑想法ですから、具体的に紹介してみましょう。
まず半伽趺座(はんかふざ)で座ります。肩の力を抜き、背骨を下から順に積み上げるような感じで姿勢を正します。この時、身体を動かして座り心地に違和感がないようにしておきます。 手は法界定印 (ほっかいじょういん:左手の上に右手を置き、親指と親指を軽く触れさせ卵形を作る)を結んでお腹の前に置きます。 身体の重心を安定させます。 まず、身体を前後に揺らして徐々に揺れを小さくしていくと、身体がピタリと止まり、 前後の重心が決まります。 続いて、身体を左右に揺らして徐々に揺れを小さくしていくと、身体がピタリと止まり、これで前後左右の重心が決まります。 もう一度、背骨を下から順に積み上げるような感じで姿勢を正します。 眼は半眼にして、1メートルか1メートル半くらい先の床面を観るようにします。
次は呼吸法です。まず、口を軽く開いて身体の中の空気を「ハァ~~~~~~~~~」と吐き出します。息を吐き出す時は、身体の中や心の中のすべての汚れが、 吐く息とともに流れ出て部屋の外の自然に溶け込むというイメージを持ちます。次に息を吸い込みます。鼻からゆっくり「スゥ~~~~~~~~~」と空気を吸います。自然の中へ出て行った息が浄化され、口と鼻から入って来るというイメージを持って集中します。清浄な空気が、喉を通り、胸を通って、お腹の中が一杯になるまで吸い込みます。吸った空気が一杯になったら、少し留め置いて、身体の中の空気を全部出す気持ちで静かに長くゆっくりと吐きます。この時大切なことは、息に心を込めることで、吸う時は自然を自らの身体に納める気持ちで、 また吐く時は自らが自然に溶け込む気持ちになるようにします。これを随息観といい、こうした呼吸を繰り返しながら心を安定させ、息の数を数えます。
やってみましょう。 「ヒト~~~~~ツ~~」「フタ~~~~~ツ~~」「ミィ~~~~~ツ~~」・・・・・・・・・・・「ココノ~~~~~ツ~~」「トウ~~~~~オ~~」「ヒト~~~~~ツ~~」「フタ~~~~~ツ~~」・・・・・・これを繰り返しながら、声を徐々に小さくしていきます。 声が小さくなって無音になります。口を閉じて鼻だけで息をします。残りの数はそのまま心の中で数えます。 途中で幾つまで数えたか分からなくなっても、また数えていることを忘れてしまっても構いません。1回の瞑想は10分ぐらいを一区切りとし、この呼吸を通じて大自然との一体感を得られるようになるまで繰り返します。

◆阿息観

数息観が出来るようになったら、次の段階は阿息観です。これは吐く息、吸う息に、 命の本源である「ア(ア)」の声を唱えることにより天地と呼吸
を通わせ、「ア」の声と一つになって宇宙の大生命を感じる瞑想法です。
阿息観が数息観と異なるのは、 数息観が呼吸を数えるのに対して、 阿息観では「ア」の声を唱えて瞑想します。具体的に紹介してみましょう。
数息観で修得した呼吸法により、全身が清らかな空気で満たされるのを感じたら、 体の中にある息を「ア~~~~~~~~~」 と唱えながら
口からゆっくり吐き出します。この時、吐き出す「ア」の息が1メートル
2メートルとだんだん遠くへ流れて行くようなイメージを持ちます。 ③息を全部吐き出したら、「ア~~~~~~~~~」と唱えながら 鼻からゆっく
り吸い込みます。これを3回繰り返します。3回終わりましたら、口を軽く閉じて鼻から息を吸い、 鼻から息を抜きます。 その際、出る息にも、入る息にも共に 「ア~~~~~~~~~」と心で唱えながら、「ア」の息に
心を集中します。心を解き放ち、自我という枠を離れ、この世のすべての存在が、一つの大きな生命を生きていると観じます。 ⑥そして宇宙の大生命を感じる全てのものは、在るがままであり、 いつも同じように存在
数息観・阿字観実践の姿
数息観・阿息観の実践
していて、何も変わりがないと観じます。 この瞑想を5~10分間続けて阿息観を終えます。 終える時は、静かに眼を開き、法界定印を解いて胸の前で合掌し、そのまま一礼して阿息観を終わります。
この阿息観の流れとポイントを以下にまとめました。尚、数息観、阿息観は、初心者でも手軽にできる瞑想法であり、呼吸法ですから、座法からしっかりと修得して頂ければ、心をリラックスさせる精神修養法として自宅でもできるようになります。一度、当山で体験されることをお勧めします。

1)
調 身(ちょうしん)---------------------
座法(ざほう)
◇半跏趺座(はんかふざ)あるいは結跏趺座(けつかふざ)で座ります。
◇手は、自身即宇宙法界の三昧に住する法界定印を結びます。
◇体を前後・左右にゆっくりと二、三度揺すって重心を安定させます。
◇肩の力を抜き、背筋を伸ばし、ゆったりと座ると、下腹におのずと生気が充実してきます。
◇眼は、半眼にして、鼻筋の斜め下に視線を落とします。
2)
調 息(ちょうそく)---------------------
調気(じょうき)・浄化呼吸法
◇下腹を引っ込めながら、胸に溜まっているモヤモヤした不安 ・ 不浄の気を、炭酸ガスと共に、口を軽く
  開いてゆっくりと吐きます(出息:しゅっそく)。
◇遠くの方から清らかな霊気が白い霧のようになって、鼻から入って来ます。
◇鼻から入って来た霊気は、喉を通り、胸を通り、腹部を次第に満たしてから、胸にまで至ります。
◇その息を、そのまま少しの間、保ちます。
◇次に二度目の出息は、下腹に溜まっている不浄の気を絞り出すように、 一度目の要領でゆるゆると吐
  き、その息は遠くへ去っていきます。 前よりも遠くの方から、清らかな霊気が鼻から次第に下腹に入っ
  てから胸に至ります。
◇三度目の出息は、全身の細胞の不浄の気を絞り出します。
◇入息は、全身の毛孔から霊気を全身の細胞に吸収していくと観じます。
3)
正 観(しょうかん)---------------------
自身の本不生を観ずる
◇口を軽く開いて、天地宇宙の本源の「ア」の声が、地底からこの自身の下腹を通り、胸・喉・口へと震動
  を起こしながら「ア~~~~~~~~~」の声となって、口から体外へゆっくりと流れ出ていきます。
  それは1メートル、2メートル、3メートル・・・と流れていき、半眼のままで「ア」の声の行方を観じます。
◇声の途切れた所から無音の「ア」になります。◇目には見えない本不生、無限実相の世界へ・・・。
◇そして再び、天地宇宙を根底から生かし給う大日如来の霊気が、地底から自身の下腹を通り、 胸・喉・
  口へと、現象世界に形をもつ私の全身に震動を起こしながら「ア~~~~~~~~~」の声となって
  だんだん遠くへ流れて行くを観じます。(繰り返す)
◇次第に「ア」の声を小さくしていきます。
◇無音の「ア」に、天地宇宙の本源、即ち自心の本不生を体得していきます。
(数十人が一堂で「ア」の声を唱えるとき、お互いの声が渉入して「ア」の音声法界となる)





◆月輪観

月輪観本尊軸装
月輪観本尊
数息観、阿息観を経て、次に実践するのが、阿字観の基礎となる月輪観(がちりんかん)です。月輪観は、心の中に月輪(満月)を観じて、これを次第に拡大していき、最終的には宇宙との一体感を観想する瞑想法です。どのような瞑想法なのか、具体的に紹介してみましょう。
月輪観は、月輪観本尊(月輪を本尊として軸装したもの)の前で行いますので、座った時の眼の位置(高さ)を考えて本尊を壁に掛けます。香炉に線香を1本立て三礼(さんらい)をします。本尊が1メートル位前方にある位置に半跏趺座(または結跏趺座)で座ります。本尊の前に座ったら、数息観、阿息観で修得した呼吸法によって、 全身が清浄な霊気で満たされるのを観想し、 その状態を維持しながら瞑想に入ります。 本尊の月輪をしばらく見つめてから眼を半眼にして、「人は満月のように円満で清らかな心を持つ」と念じます。清らかに輝く満月(月輪)を心に想い浮かべながら軽く眼を閉じます。再び半眼にして念じます。これを何度か繰り返し、 眼を閉じても月輪の丸い月が心の眼に観えるようになるまで意識を集中します。月輪が鮮明に観えるようになったら、その月を自身の胸中に入れると観想します。ここまでが月輪観の第一段階です。 次の段階は胸中に入れた月輪を拡大(広観:こうかん)したり、縮小(斂観:れんかん)できるようにします。胸中の月輪に本尊との一体感を観じたら、心の中の月輪を次第に大きくしていきます。イメージとしては、まず自身の体の大きさに、そして家の大きさ、町の大きさ、国の大きさ、地球の大きさにというように月輪を拡げていきます。 ⑫そして月輪が宇宙全体を覆う位にまで達した時、無限に広がる宇宙との一体感を観想します。この広観を何度も修することによって意識を限界まで拡大する事ができるようになります。広観で拡大した月輪を安定した状態でしばらく維持することができたら、今度は月輪を徐々に小さくしていき、最初の大きさに戻して胸中に納めます。この広観と斂観によって阿字観の基礎となる月輪観が終了します。
月輪観では、清らかに輝く満月を心に観じることで、自らを見つめ、人が本来持つ清らかな心に目覚めるようになり、そうした過程の中で御仏の世界を観じることが出来るようになります。 従って月輪観を修する中で清々しい無我の境地を自在に観想できるようになれば月輪観は終了となります。後は、最後の仕上げとして阿字観に進みます。尚、当山では、広観の段階を中級以上のレベルに位置づけており、確かな経験を有する指導者および僧の指導のもとで行うべきとして月輪観を指導しております。

◆阿字観

最終段階となる阿字観は、 自身の根源である宇宙と、 宇宙の真理の現れである 大日如来との一体感を観想し、 御仏の慈悲の心を観じる瞑想法です。阿字観では、大日如来の世界に同化した自身と 大日如来の心そのものになった自身の心を観想します。具体的に紹介してみましょう。
観法の進め方は月輪観と同じですが、 阿字観では、月輪観本尊に替えて阿字観本尊 (「ア」字と蓮華と月を本尊として軸装したもの) の前で
行います。月輪観により大宇宙との一体感を観想し、御仏の世界を観じることが出来るようになりましたので、ここでは、さらに一歩進んで宇宙の真理を表す大日如来との一体感を確かなものとして観想します。果てることのない世界と自身が一体であると実感し、悠久の世界に遊歩する自らの心を観る事が出来たら、 阿字観本尊の満月の中の「ア」字を見
つめ、 心の中の「ア」字が次第に大日如来の姿と重なり、大日如来その
ものに変わるのを観じます。大日如来が現れたら、三昧(さんまい: 精神集中が深まりきった状態) の境地と御仏の慈悲の心を感じ取るように観想します。こうした観法を重ねていくことにより、「ア」 字を心の内に
阿字観本尊軸装
阿字観本尊
観じた後、「ア」字を他の仏の梵字に変化させていき、梵字を通じて梵字が表す仏を観想する事ができるように
なります。 ここで注意すべきは、阿字観はあくまでも仏の智慧を得るためのものであり、観法の過程で得られる一種超能力ともいえる鋭敏な感覚のみに重点をおいてはならないということです。たとえ、一時そのような不可思議な感覚を体得したとしても、己の魂を磨くための一つの方便として捉えるべきです。 人によっては、これを神通力と思い込む事があるかも知れませんが、 真の神通力は、 神に通じると同時に人に通じる=人通力でもあるべきであり、人格の伴わない能力は、御仏の心から外れてしまうことに注意しなくてはなりません。
最後に、観想が終われば静かに眼を開き、両手の掌を内にして、頭の上から肩、胸、腹、足の先までというように、身体に触れないで撫でるようにさすります。これは深い瞑想に入った時ほど、さらにゆっくりと時間をかけるように心掛けてください。後は、金剛合掌をして回向文を唱え、三礼して阿字観を終えます。
以下は、月輪観および阿字観の流れとポイントをまとめたものです。

(身) : 礼や合掌など身体で表す姿勢 (口) : 真言や声明など口から発する言葉 (意) : 念じる心の在り方
---------------------------------------------
1)
入 堂(にゅうどう)
(身) 手を洗い、口をすすぎ、ゆったりとした服装をして、静かに道場に入ります。
(瞑想中は、他の人の出入りを禁止します)
2)
三 礼(さんらい)
(身) 起居礼(ききょらい):阿字観本尊の前に進み、まず、立ったまま合掌し、膝を少し曲げながら頭をわずかにかがめて二度礼拝します。そして、三度目は床に両膝・両肘と軽く額をつけて礼拝します。
3)
着 座(ちゃくざ)
(身) 半跏趺座(はんかふざ)で座ります。〔正座や結跏趺座(けつかふざ)でも構いません〕
4)
浄三業(じょうさんごう)
 
(身) 蓮華合掌
(意) 《 蓮華は泥中にあっても浄(きよ)らかなように、この私の身も心も本来清浄である 》
5)
発菩提心(ほつぼだいしん)
 
(身) 金剛合掌(右手五指が、左手の各五指の上になるように少し交差して軽く合掌する) 
観法座法
半跏趺座結跏趺座
半跏趺座
結跏趺座
(意) 《 私は今、菩提心を発起する 》
 
(口) ~7回唱える~
「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」
「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」
「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」
「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」
「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」
「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」
「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」
6)
三摩耶戒(さんまやかい)
 
(身) 金剛合掌
(意) 《 汝は三摩耶なり(私は仏の一族であり、仏の誓願を必ず為し遂げる金剛薩タである) 》
印・蓮華合掌印・金剛合掌
蓮華合掌
金剛合掌
(口) ~7回唱える~
「オン サンマヤ サトバン」
「オン サンマヤ サトバン」
「オン サンマヤ サトバン」
「オン サンマヤ サトバン」
「オン サンマヤ サトバン」
「オン サンマヤ サトバン」
「オン サンマヤ サトバン」
7)
五大願(ごだいがん)
 
(身) 金剛合掌
(口) 
衆生無辺誓願度・・・・・「衆生は無辺なり 誓って度(すく)わんことを願う」
福智無辺誓願集・・・・・「福智は無辺なり 誓って集めんことを願う」
法門無辺誓願学・・・・・「法門は無辺なり 誓って学ばんことを願う」
如来無辺誓願事・・・・・「如来は無辺なり 誓って事(つか)えんことを願う」
菩提無上誓願証・・・・・「菩提は無上なり 誓って証(さと)らんことを願う」
8)
五字明念誦(ごじみょうねんじゅ)-------------
(胎蔵界大日如来の真言)  
(身) 金剛合掌
(意) 《 本不生(ほんぷしょう)を証する勇者よ フーン・カン 》
(口) ~7回唱える~
「アビラウンケン」 「アビラウンケン」 「アビラウンケン」 「アビラウンケン」 「アビラウンケン」
「アビラウンケン」 「アビラウンケン」 
・・・・「アビラウンケン」の5文字は、「ア=地、ビ=水、ラ=火、ウン=風、ケン=空」の五大を表すとされています。
9)
調 息(ちょうそく)
 
(身) 法界定印 (ほっかいじょういん:左手を右手の上に置き、親指を軽く触れさせ卵形を作る)を結び、眼を閉じたまま、息を3回程口から吐きます。その後は鼻で呼吸をして集中し、出入の息に心を観じて呼吸を調え、心を静めます。
10)
正 観(しょうかん) 
 
(身) 法界定印
(意)
純粋な本来不生の自心を表す「ア」字、 自心の清浄にして慈しみの心
を開いた蓮華、自心の円満にして清涼の光を放つ月輪・・・・正観とは、「ア」字、蓮華、月輪の色、形、徳を感覚的に観じることをいいます。
まず、眼を少し開いて月輪観本尊(または阿字観本尊)を見ます。暫くして眼を閉じ、本尊を眼前に観じます。 月輪は、鏡のように観じるのが良く、 眼前の月輪がかなり明瞭に映るようになったら、そのままゆっくりと
法界定印
法界定印
胸中に引き入れて、自心の清浄を心ゆくまで実感してから再び元の掛け軸本尊に返します。月輪は、胸中では次第に水晶の球のように立体的に観じるのが良く、 月輪が明瞭になれば、その中に蓮華と「ア
字を同時に観じる阿字観へと進みます。
阿字観正観
阿字観正観の姿
正観が進み、上級(誤ると危険ですから必ず師に付いて学びます)になると、胸中の月輪をしっかりと観じてからこれを段々と拡大していきます。このことを広観といい自身が月輪となって最終的には宇宙法界(宇宙の万物を包含する全宇宙)にまで拡大し、宇宙法界が自身となるのを観じます。この境界に暫く住してから余り疲れない内に、順次月輪を縮めて胸中に収めます。このことを斂観といい、眼を閉じたまま最後に元の位置に返し本宮の浄土へ送り奉ると観じます。 阿字観は悟りと同じでたとえ神秘的な観想に至ったとしても、それに捕らわれてはいけません。日々の精進のなかで、ひたすら修することが阿字観の極意です。
11)
出 定(しゅつじょう)
(身) 眼を閉じたまま深呼吸を二、三度して、 両掌で頭から足の方へ、体に直接触れずに撫で下ろすようにします。呼吸や血液循環が次第に平常に戻ってから、静かに眼を開けます。深い定に入った時ほど時間をかけます。
12)
三力加持(さんりきかじ) 
(身) 金剛合掌
(口)
「以我功徳力(いがくどくりき)」・・・・・・・・・・・「如来加持力(にょらいかじりき)」
「及以法界力(ぎゅういほうかいりき)」・・・・・「普供養而住(ふくようにじゅう)」
13)
祈 念(きねん)
(意) 《 生かされていることに感謝し、阿字の霊光に照らされて自己を深め、社会を良くすること 》を祈念します。(心に念願があれば、ここで祈念し、その後は仏の御心にすべてお任せします)
14)
被甲護身(ひこうごしん)
甲胃印
甲胄印
(身) 甲胄印(内縛して中指を立て合わせ、両人差指は中指の背で、中指に触れないで、鈎の形のように曲げる、親指は並べて伸ばす)
 
(意) 《 如来大慈悲の甲胄を着て魔障や煩悩から身を護り、社会の浄化に、献身する身支度をなす 》
15)
出 堂(しゅつどう) 
 
(身) 金剛合掌
生きとし生けるものに慈悲の心を抱き、座したまま合掌し、一礼して出堂します。