京都は、世界に誇る文化の宝庫です。
出典: www.flickr.com
【世界遺産「龍安寺」の『方丈庭園』。】
京都旅行の醍醐味は、京都で育まれた芸術、文化と出会い、自身の内奥にある感性と共鳴させること。
自然と共鳴する日本人の感性
日本で暮らす大方の人びとは、大都市圏に居住していなくても、都市生活者です。
コンクリートやアスファルトに囲まれた空間で暮らし、働いています。大量生産の衣類を身に着け、道具を使い、工場生産の食べ物を口にし、情報機器を通して人と繋がり、活動しています。
そうした暮らしの中で、私たちは“自然”に対して、取り立てて特別な感覚を覚えることはありません。
コンクリートやアスファルトに囲まれた空間で暮らし、働いています。大量生産の衣類を身に着け、道具を使い、工場生産の食べ物を口にし、情報機器を通して人と繋がり、活動しています。
そうした暮らしの中で、私たちは“自然”に対して、取り立てて特別な感覚を覚えることはありません。
出典: www.flickr.com(@Jun Kaneko)
【宝厳院の借景回遊式庭園『獅子吼の庭』】
けれども、ふとした瞬間や旅先で、私たちは自然に対して、特別な感情を抱いたり、感覚を覚えたりします。
桜が散る様に儚さを思い、夏草の勢いに生命力を感じ、棚田の風景に心癒されます。蝉の声や虫の音を聴き分け、風鈴や小川のせせらぎに清涼なる気分を味わいます。
道端の雑草にも、季節に咲き開く花々にも、等しく目を注ぎ、四季の移り変わりに敏感に反応します。旬の食べ物、季節の行事等、自然の運行によって行動を変え、自ずと暮らしを整えています。
日本人の美に対する意識、美的感性は、そうした感覚の中に内在するものです。その根源は、太古の人びとがもっていた、自然を敬い、自然と共生しようとする態度、姿勢にあります。
出典: www.flickr.com(@Jun Kaneko)
【「宝厳院」・『獅子吼(ししく)の庭』に置かれる「碧岩」。】
日本では古来、万物には神々が宿ると信じられてきました。日本に限らず、太古の人びとは、自然を畏れて祀り、崇め敬ってきました。人は自然によって生かされているのであり、自然は征服すものでも、対抗するものでもなく、受容して、共に生きるものでした。
西洋文明圏とは異なり、日本人は自然と融合した感覚や意識を失わず、自然から美を抽出して表現し、振る舞いや暮らしを通して美的感性を磨き、他国とは異なる素晴らしい日本文化を育んできました。
そうした先史からの記憶ともいうべき自然に対する感性は、時代を経ても私たちの身の内から消え去るものではありません。
そうした先史からの記憶ともいうべき自然に対する感性は、時代を経ても私たちの身の内から消え去るものではありません。
出典: www.flickr.com(@tndhk)
【大徳寺塔頭「高桐院」の客殿前に広がる『楓の庭』】
美的感性を発達させてきた千年の都“京都”
京都は、そうした自然に対する日本固有の感性を土台にして、渡来した文化を消化吸収しながら“美的感性”を高度に磨き上げてきた千年の都です。
仏像、絵画、建築、工芸品、茶の湯、香道、和菓子等など、様々なジャンルにおいて、日本文化の核となるものを、京都は歴史を通じて、洗練させてきました。その歴史的文化的成果は、神社仏閣に限らず、路地の中にも、町家の中にも、人々の暮らしの中にも、様々に溶け込み、多くの人々を魅了し続けています。
庭園鑑賞するのなら、京都へ。
日本庭園は、京都において発展した日本美術の一ジャンルです。
仏画や仏像に、時代毎の特徴が刻まれているように、日本の庭園にも様式があり、時代という潮流の中で磨かれてきました。
仏画や仏像に、時代毎の特徴が刻まれているように、日本の庭園にも様式があり、時代という潮流の中で磨かれてきました。
庭園鑑賞と言えば、兼六園・後楽園・偕楽園の「日本三名園」に代表される、江戸期作庭の大名庭園に思いを馳せてしまいます。でも、庭園鑑賞を目的に旅をするのなら、京都が一番お勧めです。
出典: www.flickr.com(@Yuki Yaginuma)
【妙心寺塔頭「退蔵院」内の茶席「大休庵」】
日本では、芸術上、観賞上高い価値のある庭園や山岳などの景勝地を「名勝」とし、その中で特に重要なものを「特別名勝」に指定しています。全国には特別名勝が36件ありますが、そのうちの14件は京都にあります。日本三景の一つ宮津市の天橋立を除けば、京都の特別名勝は、全て京都市内の寺院に付随する庭園です。
出典: www.flickr.com(@Rosino)
【龍安寺『方丈石庭』】
※件数は2013年4月現在のもの。京都府内の名勝数は43件で、その内の14件が特別名勝に指定されています。京都府内の特別名勝は以下の通りです
西本願寺[本願寺書院庭園(特別名勝・史跡)]・二条城[二の丸庭園]・鹿苑寺(金閣寺)[金閣寺庭園(特別史跡・特別名勝)]・慈照寺(銀閣寺)[慈照寺庭園(特別史跡・特別名勝)]・金地院[金地院庭園/鶴亀の庭]・天龍寺[庭園]・西芳寺(苔寺)[西芳寺庭園(特別名勝・史跡)]・龍安寺[方丈石庭(特別名勝・史跡)]・法金剛院[青女の滝]・醍醐寺三宝院[三宝院庭園(特別史跡・特別名勝)]・大徳寺[方丈庭園(特別名勝・史跡)]・大徳寺大仙院[大仙院書院庭園(特別名勝・史跡)]・浄瑠璃寺[浄瑠璃寺庭園(特別名勝・史跡)]・天橋立
西本願寺[本願寺書院庭園(特別名勝・史跡)]・二条城[二の丸庭園]・鹿苑寺(金閣寺)[金閣寺庭園(特別史跡・特別名勝)]・慈照寺(銀閣寺)[慈照寺庭園(特別史跡・特別名勝)]・金地院[金地院庭園/鶴亀の庭]・天龍寺[庭園]・西芳寺(苔寺)[西芳寺庭園(特別名勝・史跡)]・龍安寺[方丈石庭(特別名勝・史跡)]・法金剛院[青女の滝]・醍醐寺三宝院[三宝院庭園(特別史跡・特別名勝)]・大徳寺[方丈庭園(特別名勝・史跡)]・大徳寺大仙院[大仙院書院庭園(特別名勝・史跡)]・浄瑠璃寺[浄瑠璃寺庭園(特別名勝・史跡)]・天橋立
京都を勧めるのは、特別名勝、名勝の数の多さだけでなく、先に述べたように“日本庭園”という一美術分野が、当地において発展し、時代・様式における貴重な成果を、市内の至る所で鑑賞できるからです。
また庭園は、寺社仏閣に限らず、市井の町家の中にも、旅館やホテルといった商業施設の中にも設えられており、私たちは様々な場所で、美的感性に溢れた素晴らしい庭園を目にすることができます。
日本庭園の三様式
日本の庭園を様式で大別すると、1.池泉庭園、2.枯山水庭園、3.露地庭園の三種類に分けられます。
1.池泉庭園
池泉庭園は、自然の景色を写して造園されたもので、園内には山や川、池があり、実際の“水”を用いた庭園です。
池泉庭園は、更に鑑賞方式によって、
①建物内部から座して庭を眺める「座視鑑賞式庭園」、
②順路に従って庭の中を歩き廻りながら鑑賞する「回遊式庭園」、
③池で舟遊びをしながら鑑賞する「舟遊式(しゅうゆうしき)庭園」等に分類されています。
①建物内部から座して庭を眺める「座視鑑賞式庭園」、
②順路に従って庭の中を歩き廻りながら鑑賞する「回遊式庭園」、
③池で舟遊びをしながら鑑賞する「舟遊式(しゅうゆうしき)庭園」等に分類されています。
池泉庭園の方式でよく知られ、馴染まれているのは、「池泉回遊式庭園」。室町期の禅僧、江戸期の大名らによって数多く造園されており、近現代においても作庭されています。
「池泉回遊式庭園」は、一般的に大きな池を中心として、周囲には園路が巡らされています。池の中には小島があり、池や川には橋がかかり、園内には筑山や名石が配され、展望や休憩をを目的とした茶亭や東屋等が設けられています。
2.枯山水庭園
現代において、私たちが認識する“枯山水”とは、室町期に禅宗寺院で展開し、発達したものですが、元々は、水利が悪く、敷地が限られた場所に作庭する際に、必然的に生まれた様式です。
枯山水庭園は、水を一切用いずに、石や砂等を用いて、水を感じさせるように、自然景を抽象化し、自然(山水)に内在する“美”を詩的にに表現した庭です。
最も有名な例は、世界遺産に登録されている「龍安寺」の『方丈庭園』です。白砂は海を、砂紋は波を、岩は島を表現していると云われています。
出典: www.flickr.com(@Bermi Ferrer)
【「龍安寺」『方丈庭園』の一部】
「龍安寺」の枯山水庭園が世界的に有名なため、禅宗寺院のみで展開されている庭園様式のように思われていますが、枯山水は、池泉庭園と比較して、敷地が狭くても効果的に山水を表現できるため、禅寺に限らす、多くの神社や民家、また商業空間でも広く取り入れられている様式です。
出典: www.flickr.com(@Kimon Berlin)
【南禅寺の『少方丈庭園」。「心」字型に配石した枯山水庭園で、別名『如心庭』と呼ばれる。】
日本における庭とは、水や石を用いて自然景(山水)を“見立て”た空間です。庭の池は、海であり川であり、石は島となります。水を用いない「枯山水」においては、石は険しい山を表し、石の組み方、置き方によって、表現される内容が変わります。白砂も、波の様子を描いたものであり、うねりや流水、さざ波、立浪等様々で、庭園それぞれに工夫されています。
3.露地庭園
露地庭園(露地又は茶庭ともいう)は、池泉や枯山水庭園とは異なり、茶室に付随するもので、茶室に入る前に、精神を整えるための準備空間です。
茶の湯とは、伝統的な様式に則って、主人が茶を点て客人をもてなすことですが、茶室は、単に茶を点てるための空間にとどまりません。
茶の湯(茶事)の道具、茶、菓子、懐石料理の献立、食器、花、掛け軸等など、全てにおいて主人が心を配り、客をもてなす場です。主人と客人が、総合芸術ともいうべき「茶室」という空間において、真の心を交流させ、清浄無垢の境地に至ることが、茶の湯の目的とするところです。
茶の湯(茶事)の道具、茶、菓子、懐石料理の献立、食器、花、掛け軸等など、全てにおいて主人が心を配り、客をもてなす場です。主人と客人が、総合芸術ともいうべき「茶室」という空間において、真の心を交流させ、清浄無垢の境地に至ることが、茶の湯の目的とするところです。
露地は、このような高い精神性が保たれた茶室へと入る前の空間で、露地を通ることによって、客人は世俗の塵埃を落とし、心を整え、茶の湯の世界へと導かれます。
したがって、露地は一般的に、蹲(つくばい)や飛び石等で空間の骨格を築いて、人工的な植栽はせずに、飾り気がなく、自然で物静かな風情、幽寂な佇まいが良しとされています。
日本における庭園様式の変遷
日本の庭園は、飛鳥時代に渡来した神仙蓬莱思想に基づく池泉庭園が築かれ、その後、仏教や禅宗、それと共にもたらされた工芸品や絵画、茶等など、様々な渡来文化を吸収しつつ、独自の自然観、感性とともに庭園様式が形作られました。
歴史毎に俯瞰すれば、平安前期は、大覚寺「大沢池」に見らるような、周囲の自然風景と調和する池泉式庭園が、平安中期には、貴族の寝殿造の住宅とともに自然の景色を写した池泉回遊式庭園(遺構はないが『作庭記』に記されている)が造られました。
平安中期から末期にかけては、末法思想に流布により、平等院や浄瑠璃寺にみられるような、浄土世界を表現した浄土式庭園が流行しました。鎌倉期は、渡来した禅宗や水墨画により、思想や自然観に変化がもたらされ、夢窓疎石の作庭による天龍寺や西芳寺にみられるような造作物と自然を活かした造園様式が浸透していきました。
室町期に入ると、禅宗の思想を踏まえた「枯山水庭園」が主流となり、桃山期には、時代の空気を反映した派手で豪華な意匠、また材料が庭造りに用いられるようになり、前時代の禅の思想が薄れていきました。その一方で、千利休による茶道の大成、茶の文化が発達した同時代は「露地庭園」が茶室建築とともに誕生しました。
江戸期には、過去に確立した池泉・枯山水・露地の様式が統合され、桂離宮等にみられる大規模な回遊式庭園(大名庭園)が数多く造られました。安土桃山から江戸初期に活躍した小堀遠州による庭園には、従来の庭園様式になかった意匠が盛り込まれ、“遠州好み”として、後の造園スタイルに大きな影響を与えました。
出典: www.flickr.com(@Jun Kaneko)
【東福寺「本坊庭園」の小市松模様が斬新な『北庭』】
明治以降になると、西洋文化の影響を受け、芝生等の新しい素材やデザインが取り込まれ、時代に見合う新たな日本庭園が様々に造られるようになり、現在に至っています。
庭は、眺める者を選ばない。
庭園の様式は、時代の潮流に従って、磨かれながら変遷してきました。庭を鑑賞する際は、歴史や建築、庭園様式といった知識を持ち合わせた方が、より深く庭を味わえるかもしれません。
けれども、日本において庭を設ける目的は、限られた敷地に自然を再現することにあり、庭を眺めることは、自然と相対することに他なりません。相対することによって、鑑賞者の内奥にある感性が庭である自然と響き合い、癒やしや安らぎ、悟りといった恩恵を得ているのです。
それは、平安の貴族も、室町の禅僧も、江戸期の大名も、現代の人びとも、濃淡はあっても、その目的、目標とするところは同じです。
けれども、日本において庭を設ける目的は、限られた敷地に自然を再現することにあり、庭を眺めることは、自然と相対することに他なりません。相対することによって、鑑賞者の内奥にある感性が庭である自然と響き合い、癒やしや安らぎ、悟りといった恩恵を得ているのです。
それは、平安の貴族も、室町の禅僧も、江戸期の大名も、現代の人びとも、濃淡はあっても、その目的、目標とするところは同じです。
作庭の目的が“自然の再現”であり、目標とするのが、自然と共鳴することによって恩恵を授かることとするならば、自然である「庭」が鑑賞者を選ばぶことはありません。なぜなら“自然”は常に懐深く、また私たちが慈しみの心、素直な心で向き合えば、必ず受容してくれるからです。
鑑賞する側は、持ち合わせている知識とともに感じ方を深めても良いですし、自然風景に対するような態度で、気ままに付き合うこともできます。枯山水庭園といえども、禅の思想を読み切ろうと身構えず、穏やかな気持で気楽に向き合えば良いのです。
鑑賞する側は、持ち合わせている知識とともに感じ方を深めても良いですし、自然風景に対するような態度で、気ままに付き合うこともできます。枯山水庭園といえども、禅の思想を読み切ろうと身構えず、穏やかな気持で気楽に向き合えば良いのです。
旅のおわりに
庭は、自然を再現したものですが、単に自然を縮小化したものでもなく、模倣したものでもありません。日本庭園は、美術の一分野であり、“自然の理”を映した高度な芸術に他なりません。
穏やかな態度で向き合えば、きっとご自身の感性と響き合って、様々なものを授けてくれるはずです。私たちは、ただ素直に受け取れば良いのです。
穏やかな態度で向き合えば、きっとご自身の感性と響き合って、様々なものを授けてくれるはずです。私たちは、ただ素直に受け取れば良いのです。
庭は、四季、天候、時間それぞれに、様々な表情を表し、例え石や白砂で表現された枯山水庭園といえども、生ける「自然」であり、森羅万象を表しています。白砂の波紋は、日の傾きによって、刻一刻と落とす影が変わり、雨露に濡れた苔や岩は、深みを増します。
庭はどの季節に訪れても楽しめる空間です。
そして、私たちの内なる「自然」を目覚めさせる芸術品です。素直に向き合えば、偏った心境や感情を一掃し、清浄なる時間を授けてくれます。
旅をするのなら、ぜひ京都の「名園」へ。きっと、あなただけの素晴らしい一時が味わえるはずです。
そして、私たちの内なる「自然」を目覚めさせる芸術品です。素直に向き合えば、偏った心境や感情を一掃し、清浄なる時間を授けてくれます。
旅をするのなら、ぜひ京都の「名園」へ。きっと、あなただけの素晴らしい一時が味わえるはずです。
旅のInformation
本記事内で紹介した庭園を五十音順に並べてあります。全て常時公開ではありません。事前申し込みが必要な庭園もありますので、以下のリンク先で詳細を確認してから訪れましょう。
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