四ツ子川の「百間堤」(大津市大物地先)
「大物区有文書」や『近江国滋賀郡誌』(宇野健一1979)・『志賀町むかし話』(志賀町教育委員会1985)などによると、四ツ子川が嘉永5年(1852)7月22日卯刻(現在の暦でいうと9月6日朝6時頃)に暴風雨で大規模に氾濫し、下流の田畑や人家数戸が流失する被害が出ました。四ツ子川は集落の上側(西側)で左折して流れているため、それまでも暴風雨や大雨でしばしば洪水を起こしていて、下流の集落や田畑に被害をもたらしていました。そのため、住民は藩への上納米の減額をたびたび役所に願い出ていました。そこで、当時大物村を治めていた宮川藩(現在の長浜市宮司町に所在)の藩主堀田正誠は、水害防止のために一大石積み工事を起こすことにしました。若狭国から石積み名人の「佐吉」を呼び寄せて棟梁とし、人夫は近郷の百姓の男女に日当として男米1升、女米5合で出仕させました。1m前後の巨石を用いて長さ百間(約180m、ただし実測では約200mあります)、天場幅十間(約18m)、高さ五~三間(5.5~9m)の大堤を、5年8ヵ月の歳月をかけて完成させました。
百間堤は崩壊することなく現在でも当時の姿をとどめ、その迫力には驚かされます。また、下流の生活用水や水田の水源用に堤を横断して造られた水路は、石造建築の強さと優しさが表れています。百間堤に続く下流部の堤は女堤(おなごつつみ)とよばれ、女性でも運べる程度の石で造られています。
こうもり穴(大津市八屋戸地先)
湖西道路の建設工事に先立ち、昭和59年(1984)に周辺の発掘調査が行われました(滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会1986『国道161号線バイパス・湖西道路関係遺跡調査報告Ⅲ 木戸・荒川坊遺跡 こうもり穴遺跡』)。山道にそって斜面をさかのぼるように、長さ約310mのトンネルが見つかりました。そのうちの約245m分は完全なトンネルで、ひと1人がかろうじて立って歩けるほどの幅と高さでした。トンネルの内部は所々にロウソクを立てたと思われる穴や窪みもありましたが、土器などの人工遺物は見つかりませんでした。
地元の住民もこの「こうもり穴」の存在は知っていましたが、いつ掘られたのか、その由来や何のためトンネルなのか、地元の古文書にも残されていませんでした。現在では、山腹を貫く長さ300m以上のこの謎のトンネルは、江戸時代終わり頃に水不足を解消するために掘られた隧道と推定されています。『志賀町むかし話』には、「水不足の守山の、水探し事業のために掘られたもの」と記されています。平成4年(1992)頃までは中を歩くことができたようですが、現在ではトンネル入口(西側)は埋まってしまったようです。唯一、トンネル出口(東側)の痕跡が、湖西道路の下に残されています。
周辺のおすすめポイント
アクセス
◆百間堤
【公共交通機関】JR湖西線志賀駅・比良駅下車徒歩30分
◆こうもり穴
【公共交通機関】 JR湖西線志賀駅下車徒歩15分
【公共交通機関】JR湖西線志賀駅・比良駅下車徒歩30分
◆こうもり穴
【公共交通機関】 JR湖西線志賀駅下車徒歩15分